田村松平について,ネット上での情報をさらに調べると次のようなものが見つかった。
(1)日本における量子力学の受容の最初期のものとして,京都大学学術情報リポジトリ紅に,量子力学の紹介記事「新量子論,物理化學の進歩(1928),2(1):1-38」が掲載されていた。「物理化學の進歩」は,京都大学の物理化学教室が発行している学術誌であり,バックナンバーの電子化も行われているようだ(吉村洋介さん)。
(2)田村松平の没年は1995年ではなく1994年であった(Wikipediaはさきほど修正済)。
京大リポジトリにある京大広報 No. 474 855p 1994.11.01 に次の記事があった。
訃報 田村松平 名誉教授
本学名誉教授 田村松平 先生は,9月24日逝
去された。享年90。
先生は,昭和2年京都帝国大学理学部物理学科
を卒業,本学理学部副手,講師,助教授を経て同
25年本学教授(分校)に就任,物理学及び科学史
の講義を担当された。同38年教養部に配置換,同
42年停年により退官され,京都大学名誉教授の称
号を受けられた。
先生の専門は素粒子論で,特に,場の量子論を
中心とする研究は,その後のこの分野における研
究に対する先駆的な役割を果たしたものであり,
高い評価を受けている。また,先生は物理学史を
中心とする科学史に対する造詣が深く,該博なる
学識と透徹した論理に基づいての科学史研究が評
価されている。
先生は教養部における講義以外に大学院理学研
究科の教育も担当され,深い学殖と円満な人格を
もって後学の育成に尽力された。
ここに謹んで哀悼の意を表します。
(総合人間学部)
(3)田村松平と60年安保の関わりについての二次資料があった。
田村文庫のところで紹介した記事には,安保でデモにいった話があった。
(4)物理教育学会の論文誌,物理教育6巻3号(昭和33年)に,昭和33年度の物理教育シンポジウム(昭和33年10月20日,京都大学)の特集記事(高校や大学における物理実験について)が掲載されている。そのシンポジウム「物理実験をはばむものとその対策」に田村松平が参加している。田村は昭和25年に分校の教授に就任しており,昭和38年に正式に制度化された教養部に配置替えとなる。学生の教養教育を長年担当していたのでシンポジウムによばれていたのだろう。ただ,田村は理論物理(素粒子論)が専門であり,学生実験は持っていないのでシンポジウムの発言もなかなかコメントがしづらそうな様子がみられる。
P. S. 旧制の第三高等学校を前身として,京都大学の分校を経由して教養部が設置されるまでの経緯は複雑であり,京都大学百年史,部局史編2第14章(旧教養部)を参照する必要がある。
(4)物理教育学会の論文誌,物理教育6巻3号(昭和33年)に,昭和33年度の物理教育シンポジウム(昭和33年10月20日,京都大学)の特集記事(高校や大学における物理実験について)が掲載されている。そのシンポジウム「物理実験をはばむものとその対策」に田村松平が参加している。田村は昭和25年に分校の教授に就任しており,昭和38年に正式に制度化された教養部に配置替えとなる。学生の教養教育を長年担当していたのでシンポジウムによばれていたのだろう。ただ,田村は理論物理(素粒子論)が専門であり,学生実験は持っていないのでシンポジウムの発言もなかなかコメントがしづらそうな様子がみられる。
P. S. 旧制の第三高等学校を前身として,京都大学の分校を経由して教養部が設置されるまでの経緯は複雑であり,京都大学百年史,部局史編2第14章(旧教養部)を参照する必要がある。
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