2019年2月21日木曜日

スーパーコンピュータ登場前夜

大阪大学大型計算機センターニュースセンター25周年のあゆみ:出口弘)によると,センターシステムは1980年代の前後には次のように変遷している。我々がRCNPから大型計算機センターに乗換え始めたのは,1980年に入出力棟が新設されたころからである。

1969.05 大型計算機センター開設
1976.09  ACOS700導入
1977.12  ACOS800導入
1978.10 ACOS900導入
1979.05 センター設置10周年
1980.03 入出力棟新設
1981.12 ACOS1000導入
1982.05 ACOS1000増設・IAPサービス開始・FORTRAN77
1985.01 HFPサービス開始
1986.06 SX-1サービス開始
1987.04 学術情報ネットワーク・大学間ネットワーク
1987.11 ACOS2020サービス開始
1988.01 SX-2Nサービス開始
1993.02 SX-3Rサービス開始
1994,01 ACOS3900サービス開始
1994.05 センター設置25周年
2019.01 大型計算機センター法制化50周年(記念シンポジウムのページが保護中...orz)

1970年代の半ばに,CRAY-1が開発されたのに続いて,国産の大型汎用機メーカーがスーパーコンピュータの開発を進めていた。日本電気の開発したベクトル型スーパーコンピュータのSXシリーズが登場する前,汎用機であるACOS1000に統合アレイプロセッサ(IAP)とよばれるベクトル計算機構が導入されて,1982年からサービスが始まった。ちょうど,大阪教育大学に就職したときで,天王寺のデータステーションから阪大大型計算機センターのTSS利用が可能になったころである。

1983年ごろの研究ノートをみると,FORTRAN66からFORTRAN77へのプログラム書き換えや,ACOS1000のTSSのジョブ処理手順への変更などで四苦八苦している。FORTANのコンパイル時の最適化オプションで実行時間が1/3になり,IAPオプションでさらにその1/2になるというのが,最も効果のある場合の例だった。

1985年には,ACOS1000のバックエンドシステムとして高速FORTRANプロセッサ(HFP)が導入され,ここでもIAPが使えた。これが,SX-1の導入イメージのための練習用システムとなっていたようだ。翌1986年にはSX-1が使えるようになった。

1986年に核物理センターの計算費をもらって,大型計算機センターでSX-1を利用した話(スーパーコンピュータと原子核殻模型計算 1987)は,Juliaでパズル(5)で紹介したとおりである。

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