2019年2月18日月曜日

大阪大学大型計算機センター(2)

大阪大学大型計算機センター(1)からの続き)

1975年の理学部物理4回生の数値計算法(村岡光男先生)の授業は,FORTRANによるプログラミング演習であった。豊中地区のデータステーションにパンチカードを預けると,学内便によって吹田地区の大型計算機センターに運ばれ,計算結果のプリントアウトが翌日学内便で豊中地区に戻ってきた。ということで,2日かけてようやく1ジョブが実行されるのだ。これを繰り返してFORTRANのブログラムをデバッグしていた。


写真:カード穿孔機(上)とパンチカード(下)
( Wikipedia のキーパンチ より)

さて,1969年に発足した阪大大型計算機センターの初代のセンター長は基礎工学部数理教室の高木修二先生で,1979年までの10年間にわたってセンター長を務められた。高木先生(1914-2006)は原子核理論(多体問題)がご専門であり,岩波講座現代物理学の基礎第10巻原子核論を執筆されている。

その高木先生がセンター長を退任される直前に,1979年からの新システムについてセンターニュースで紹介された記事(システムの拡充とシステムの更新について)がある。1979年から導入された汎用機が NECのACOS900であり,このころには大型計算機の利用は遠隔端末からのTSSが大きな割合を占めるようになった。そのタイミングで,わが研究室でもTSSによる大型計算機センターの利用を始めたのであった(大学院に入ってからは核物理研究センターの中型汎用機を無料で使っていた)。

ACOS900のスペックは,主記憶8MB,計算速度12MIPS,磁気ディスク6GBである。うーん,そのへんの子どもでも持っている現在の iPhone とは比べてはいけないが,たった40年でこれだ。そしてその有り余るコンピュータリソースがSNSによる自己顕示的な動画やネトウヨ言説空間の構築に費やされている。

阪大大型計算機センターでは,1982年からはACOS1000が,1986年からはベクトル型スーパーコンピュータのSX-1が運用されることになる。1980年代から90年代にかけて,全国の大型計算機センターが競ってベクトル型スーパーコンピュータを導入し,それに対応して,日立,富士通,日本電気の各社が開発競争していた時代が夢のようであった。

P. S. 阪大大型計算機センターでは,JUKI のカード穿孔機が設置されていた(写真はIBMのものである)。

大阪大学大型計算機センター(3)へ続く)


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