2020年2月18日火曜日

昭和のプログラミング教育(1)

Facebookをみていたら(こんなのばっかりだけど),恩師の楠先生のニュースが飛び込んできた。北國新聞の2月18日版「昭和のプログラミング教育、資料収集 元泉丘高教諭・楠さん」冒頭を引用してみよう。
昭和40~50年代、泉丘高理数科で行われた計算機プログラミング教育の資料を、当時の担当教諭が収集している。授業内容の記録、使った機器がほとんど地元に残っていないことから、現在は理工各分野で活躍する教え子から授業の感想文を募ってまとめる。今年4月から小学校でプログラミング教育が必修化されるのを前に、当時の「最先端」教育現場の記憶を次代に伝える考えである。
 資料をまとめているのは、楠(くすのき)禎一郎さん(93)=金沢市金石西1丁目=。旧制四高、東大理学部地球物理学科出身の楠さんは1958~77年に泉丘高で勤務し、68年にできた理数科を受け持った。
 同校は69年、世界初のプログラム機能付き電子計算機「AL1000」3台を導入した。プログラミングのできる計算機が大学、研究機関などでようやく普及し始めた時代、プログラミングによる「ユークリッド互除法」「素因数分解」などを課題として生徒に学ばせていたという。
 自宅を整理していた楠さんが、理数科で出題した課題やコンピューター実習室の配置設計図といった資料を見つけた。2018年に開かれた理数科の同窓会で授業の感想文を募集。東京工大教授や企業の技術者を含む教え子から多数の返事が寄せられた。
はい,この感想文を送ったうちの一人が私です。1969年に石川県立金沢泉丘高等学校の理数科1年(第2期生)でした。CASIOのAL-1000でプログラミングを学んだ。さらに,アナログ計算機で微分方程式を解いてレポートをまとめるなど。楠先生には1年から3年まで数学(甲と乙があってその片方)の授業を受け,理数科の2年のときはクラス担任だった。おととし,先生のリクエストに答えてお送りした返事が次の文章である。

平成30年9月23日
 理数科でのプログラミング教育のこと        大阪教育大学 越桐國雄
 私が,金沢泉丘高等学校の理数科の2期生として入学したのは昭和44年(1969年)のことです。3年間クラス替えのない8組として,40人のクラスメートとともに学びました。もう50年も前のことになるので,記憶もかなり怪しくなっているのですが,とりあえず,自分の中の物語を憶えている範囲で記してみます。
 理数科の二期生ということもあって,2年の担任だった楠先生なども授業を手探りでつくられているようでした。数学や理科?の授業が多く,その分,体育の授業が少ない中で,理数科向けの数学の授業では,同値関係?とεδ論法?とイデアル?とアフィン幾何?という言葉だけが,まったく分からなかった講義の中の微かな残像で残っています(記憶違いかもしれません)。
 コンピュータについてはニキシー管が並んだ,カシオ計算機のプログラミング電卓があって,4メモリ26ステップ?のプログラムが組めるというものだったと思います。こちらの方はとても興味をもって取り組むことができました。最後の課題として「整数の階乗を求める」というのがありました。がんばって考えてできた!と思ったのですが,土田君のプログラムのステップ数が最短だったということで,負けて残念だったという記憶が強く残っています。
 また,これとは別に,アナログコンピュータで微分方程式を解いてグラフを出力するという課題にも取り組みました。一人で残って作業しているときに,配線を間違えて,警告ブザーが鳴り響いて肝を冷やしたことを憶えています。単振動,減衰振動,強制振動のグラフを出力して,かなり丁寧なレポートを提出しました。
 その後,大阪大学理学部の物理学科に進んで,原子核理論を専攻し,大型計算機でFORTRANを走らせ,当時のベクトル型スーパーコンピュータの初期モデルと格闘しました。就職先の大阪教育大学では,情報教育の立ち上げに係わることになります。Macintosh40台でMathematicaの授業をやっていると,高校時代の情報教育の黎明期からたいへん遠くまで来たなと感慨深いものがありました。
P. S. 15年前に大阪教育大学の附属高校でお話しした際の資料(自分史のようなもの)を別添します。


写真 :北國新聞ウェブ版に掲載された楠先生の近影(2020.2.18)


2020年2月17日月曜日

特集−量子コンピュータ(1)

現代思想の2020年2月号vol.48-2の特集が量子コンピュータ−情報科学技術の新しいパラダイムだった。全卓樹さんの記事が載るというので,もうなくなりかけている近所の本屋を探してみたが,当然,そのへんの本屋には現代思想は置いてなかった。というわけで,早速アマゾンで注文することにした。19本の記事が227ページに渡っている。平均12ページ弱。

以下,簡単に感想を述べてみよう。

1.江間有沙(科学技術社会論)・藤井啓祐(量子情報)
  量子をめぐるエコシステム(13p ☆)
12月に行われた対談だ。江間さんの書いた量子エコシステムの図がキーポイントなのだが,これが今一つだった。例えば,量子計算+量子通信+量子計測というふうに分野を設定し,そのうえで,基礎と応用についての課題を整理してほしかった。それが,核スピンセンシングと量子暗号とビジネス利用がそれぞれ対等の概念群として表記されているのには参った。そもそもがこれなので,せっかく藤井さんがきているのに話が深まらない。


2.根本香絵(理論物理学)
  量子コンピュータ開発の現在と応用可能性について(9p ☆)
根本さんは,お茶の水の柴田文明さんの研究室の出身なので,専門は理論物理学となっている。1996年の博士論文は「A Quantum Langevin Approach to Open Systems (開放系への量子ランジュバンアプローチ)」であり,その後,量子情報を専門として現在はNIIに所属している。微妙にD-Waveをディスっているような気がしたが,NISQ(noisy intermediate scale quantum)マシンが重要であるというところがポイントだろうか。

3.竹内勇貴(量子情報)
  量子コンピュータの原理と優位性(16p ☆☆)
竹内さんは,阪大基礎工の井元信之さんの研究室でドクターを取り,NTTコミュニケーション科学基礎研究所に入っている。この論説は珍しく式がたくさん書いてあり,参考文献をきっちり上げていてわかりやすかった。グーグルが量子超越(スプレマシー)を実証したと主張しているマシンは,NISQのうちランダムな量子ゲートを用いるランダム量子回路の方法であるというところまで到達した。

4.細谷暁夫(基礎物理学)
  量子計算を哲学してみる(8p ☆☆☆☆)
自分が大学院生の時代に,細谷先生が所属していた阪大の内山研究室は,公式には基礎物理学講座という名前だった。ちなみに森田研究室は量子物理学第1講座で,金森研究室が量子物理学第2講座だったと思う。その後,大講座に再編されている。その細谷先生が東工大に移って,宇宙論を経由して1990年代の半ばごろから量子情報を研究されているのを遠くから眺めていた。この論説では,量子計算とは何かを簡潔に要領良くまとめていて非常にわかりやすい。東工大なので西森秀俊さんの量子アニーリングを正しく位置づけている。量子アルゴリズムを次の2つに分類しているのがよかった。(A) |Ψ〉を問題解決の手段とする。(B) |Ψ〉の実現を目的とする。その上でゲート型とアニーラ型を比較している。

2020年2月16日日曜日

赤死病

新型コロナウィルス感染症は,無能な政府の対応の結果,日本でもアウトブレイクしそうな勢いである。明確な症状がない状態で感染するところが最も問題らしい。高齢者であるという危険要因と毎日通勤しなくて良いという安全要因の狭間でニュースに浸っている。

それで思い出したのが,ジャック・ロンドンの「赤死病(The Scarlet Plague)」である。中学生から高校生にかけて定期購読していたSFマガジンに掲載されていたのを憶えている。早速調べてみたら記憶が混線していた。自分がSFマガジンで読んだつもりだった物語は,エドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面(The Masque of the Red Death)」の方なのだ。どうしたことだろう。

ジャック・ロンドンの赤死病が掲載されていたのは,SFマガジンの1968年8月号(110号)であり,自分が購読を開始したのがたぶん1968年9月号(111号)以降ではなかったか。ただ,その後バックナンバーとして何冊か買っているので,110号も手元にあったことは間違いない。1968年9月増刊号(112号)は入手できず,高校の部室から天井に通じる階段の途中にあったのを読んだ。我々のESSの部室コーナーの隣がマイナーなJRCの部室コーナーで,そこに一学年先輩の小豆沢さん(たぶん内科の小豆沢定秀先生)のSFマガジンが何冊かあった。はじめはまったく気がつかなかったが,ある日これを見つけてこっそりと読んでいた。

小豆沢さんは,軟派のようにみえていたのだけれど,卒業式で,過激な内容の答辞をかましていたのが印象に残っている。


画像:1968年当時のSFマガジンの表紙(引用)

2020年2月15日土曜日

兼六園

コロラド博士が日本のマスメディアの情報は当てにならないので,BBCCNNAl-Jazeeraを参照するようにとアドバイスしていた。ので,たまにこれらを見るようにする。ヨーロッパで最初のコロナウィルスの死者がフランスで出たというニュースが早速見つかった。

BBCのTRAVELで,Japan's 'perfect' national treasureとあったので,なんだろうと開いてみると,'Japan’s perfectly imperfect garden' ということで,兼六園を紹介するビデオクリップだった。Kenroku-en is considered one of Japan’s three great gardens – and its perfect natural look takes a lot of human effort. 兼六園の庭師のインタビューと庭園の特徴や様子の簡単な紹介だった。

写真:BBC TRAVELの兼六園の動画から引用

2020年2月14日金曜日

若草山

車検が終了した車を引き取りに行った。その後,某行事の下見ということで奈良に向う。秋田県の横手市ではこの週末がかまくら祭りなので,一年でも最も寒くなる頃だろう。奈良の鹿も冬の景色の中に溶け込んでいる。奈良奥山ドライブウェイの新若草山往復コースを進むが,山頂の駐車場には神戸ナンバーの車が一台停っているだけで閑散としている。他にはランニングまたは散歩の人がちらほら。奈良盆地が低く垂れ込めた雲の下にある。


写真:若草山から奈良盆地を望む。(撮影 2020.2.14)

2020年2月13日木曜日

国会の予算委員会のアレを筆頭としてJCとtwitterをめぐる頭の痛くなるニュースなどが続くお先真っ暗の本邦である。それにもかかわらず,twitter中毒の自分。小学校の算数で数字の4の書き方を指摘した記事があった。そのスレッドで,アラビア数字の起源は,字形の角の数が数字の値と対応しているので,4の上の角は離れているのが正解だという説があった。

少し調べてみると,4の上の角はくっついていて,下の四つ辻が三差路になっているとして,角の数を求めている図もみられる。なんだかなあと思っていろいろ探してみたが,アラビア数字の起源は,字形の角の数からきているという説はあまり信憑性がなさそうだ。


2020年2月12日水曜日

木谷千種

日本経済新聞の朝刊文化面に,なにわの街角十選の七回目として,木谷千種(1895-1947)の浄瑠璃舟が載っていた。この絵は大阪中之島美術館蔵となっているが,どこかの美術展でみてすごいなあと会話していた気がする。この絵を拡大して読み解くと,浄瑠璃の演目は梅川,忠兵衛,孫右衛門の登場する傾城恋飛脚の新ノ口村の段であり,横にある床本は伽羅先代萩なのだそうだ。西瓜,まくわ瓜をつんだ物売り舟,浄瑠璃を聴く大店のいとさんなど,大阪の夏の雰囲気で満ちている。

木谷千種の略歴によれば,12歳で渡米しシアトルで2年洋画を学んでいるとのこと。帰国後には,大阪府立清水谷高等女学校に進んでいる。清水谷高校といえば,入口豊先生とか姪御さんの谷口真由美さんだが,そういえば,大教大の経営協議会委員や監事を務められた,元和歌山大学学長の小田章先生もいらっしゃった。そうそう,浄瑠璃繋がりでは,豊竹咲寿太夫も忘れてはいけない。

2020年2月11日火曜日

ポン・ジュノ

パラサイトからの続き)

第92回アカデミー賞で,ポン・ジュノ監督(1969-)の「パラサイト」が,作品賞,監督賞,脚本賞,国際長編映画賞の4冠に輝いた。BSの中継を,主演男優賞(ジョーカーの補ホアキン・フェニックス),主演女優賞(ジュディのレネー・ゼルウィガー)のあたりから見ていた。途中で監督賞にはポン・ジュノが選ばれているのを知って,これは有力かもと思っていたら,外国語映画としてアカデミー賞史上初めての作品賞となった。感動的でしたね。

ポン・ジュノの主な監督作品で比較的簡単にアクセスできるのは次のようなものだ。
2000 ほえる犬は噛まない(フランダースの犬)
2003 殺人の追憶
2006 グエムル(怪物
2009 母なる証明
2013 スノー・ピアサー
2017 オクジャ
2019 パラサイト
いずれも,ソン・ガンホ(1967-)がしぶくて良い役を担っている。

ポン・ジュノは監督賞の受賞挨拶で,マーティン・スコセッシ(1942-)に最大級の賛辞を贈っているが,そのスコセッシもまた,今村昌平(1926-2006)などから影響を受けている。それにしても,最近の韓国映画や韓国テレビドラマの質は高い。パク・ウネ時代にはポン・ジュノは韓国政府からは冷たくあしらわれていたようだけれど,韓国としては映画産業の振興にてこ入れしてきたのだろう。

2020年2月10日月曜日

Japan e-Portfolio

公共財としての教育ビッグデータ(2)からの続き

文部科学省による「大学入学者選抜改革推進依託事業」が,2016年度から2018年度まで実施された。その狙いは次のようなものである。
本事業は,「思考力等」や「主体性等」を評価する大学入学者選抜改革を進める上での具体的な課題・問題点を整理するとともに,多面的・総合的な評価を行うための実践的で具体的な評価手法を構築し,その成果を全国の大学に普及することにより,各大学の入学者選抜の改革を推進することを目的としている。
人文社会分野(国語科),人文社会分野(地理歴史科・公民科),理数分野,情報分野,主体性等分野の5事業が選定され,それぞれの分野で代表大学の元に,複数の国立・私立大学等が参画した。

このうちの,主体性等分野では「「主体性等」をより適切に評価する面接や書類審査等 教科・科目によらない評価手法の調査研究」というテーマで,関西学院大学の代表のもとに,大阪大学,大阪教育大学,神戸大学,佐賀大学,早稲田大学,同志社大学,立命館大学,関西大学の9大学で進められた。その概要は以下の通りである。
学力の3要素の「主体性等」をより適切に評価するため,教育委員会,高等学校等と連携し,調査書・提出書類や面接等を実践的に活用する方法,高校段階でのeポートフォリオとインターネットによる出願のシステムの構築, 「主体性等」の評価尺度・基準の開発等を行う。
昨年(2019年)の3月18日には,文部科学省で委託事業成果報告会も開催されている。各教科分野での取り組みは,この度の大学入学共通テストへの移行になんらかの寄与をしているのだと思うが,主体性分野の方はより現実的な結果をもたらした。それが,2019年4月に立ち上がった一般社団法人教育情報管理機構とここが運営する高大接続ポータルサイトJapan e-Portfolio である。ベネッセのIDをそのまま使って高等学校からのデータ入力に対応していたものが批判され,2021年からは独自のIDシステムに変更するとしている。まあ,いくらあがいてもその背景にはベネッセがしっかりと食い込んでいるのだろう。

教育情報管理機構は元金沢大学学長の山崎光悦(機械工学)会長のもと,正会員として,改革推進事業を進めてきた大学を含む国公立大学法人や私立の学校法人など34法人が参加している。大阪大学だけが抜けたのはなぜだろうか。

そして,すでに令和2年度の大学入学者選抜には複数の大学でこのe-Portfolioが用いられることになった。はい,大阪教育大学も岐阜聖徳学園大学も入っております。

自分自身も,大阪教育大学の在職時に「eポートフォリオはいいんじゃないですか」と気軽に応援しつつ,大学の特徴づけのツールとしての活用に期待して推進する側にいたので,全く大きなことはいえないし,猛省しなければならないのだが,e-Portfolioがすべての高校生を覆うようになってしまうことには非常に大きな不安と危惧の念を持っている。

インターネット上の言説空間でも,まともな考えを持つ人々の大多数はこれに対する異議を申し立てている。まずいですよね。すべての高校生の活動が常に大学入試ポートフォリオという「金銭的」な価値に変換されて,365日24時間監視されているような心理的効果を持つシステムというものは。そして,これは,高校生だけでなく全ての子ども,あるいは場合によっては社会人(労働者)にまで伝染しかねないパンデミック同様の脅威なのだろう。来るべき未来に訪れるかもしれない個人情報システムによる個人資産の完全把握を凌駕する,個人の活動や思惟産物の完全把握は,全国民的DNAデータベースに匹敵する個としての人の危機かもしれない。もしくは,完全に単一化された人類の集合意識への進化への一里塚なのか・・・

2020年2月9日日曜日

稽古照今

にっぽんの芸能山川静夫が,「稽古照今(けいこしょうこん)=いにしえをかんがえ いまをてらす」という言葉をよく覚えておいてくださいとのこと。古事記の序文に出てくるもので,「莫不稽古以繩風猷於既頽・照今以補典教於欲絶」とある。「古(いにしえ)を稽(かんが)えて以(もつ)て風猷(ふうゆう)をすでに廃(すた)れるに縄(ただ)し、今を照らして以て典教(てんきょう)を絶えんと浴するに補(おぎな)わずということなし」であり,「昔のことをよく学び,すでに廃れてしまった道徳を見直し,今の基準とすべく失われかかっている尊い文献を補うために、この古事記を書き残しておく」とのことらしい。古事記編纂の趣旨である。ネトウヨの皆様にはよく肝に銘じてほしいところであるが,記録は全部廃棄したことにしてデータを改竄するのが最近のはやりなのだろう。

番組は,「蔵出し!名舞台~初世 吉田玉男」であり,ゲストの山川静夫とともに,玉男の名場面や思い出をたどるものだった。「曾根崎心中の天神森の段」,「菅原伝授手習鑑 丞相名残の段」,「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」,「心中天網島 河庄の段」が取り上げられた。英太夫の若々しい声や越路太夫の力強さが印象深かった。菅原伝授手習鑑の寺子屋の段は出遣いではないのだが,松王丸の迫力が凄い。


2020年2月8日土曜日

Scrapbox

スクラップボックスは,あの増井俊之さんが開発した,情報保存・共有システムだ。
いまでは,紙copiで(使わなかったけど)有名な洛西一周さんのNOTAで商品化されている。昔ちょっとさわってみて,結局使わずじまいだった。自分の情報保存コンセプトと微妙に食い違っている。いまは,もっぱらAppleのノートにためている。これはこれで問題があるのだけれど,MacからもiPhoneからもiPadからも同期しながらアクセスできるので安心だ。もっともうまいバックアップの取り方はよくわからない。

いろもの物理学者の前野昌広さんが,よくわかる熱力学の査読ページをスクラップボックスで作っていたので,さっそく参加させていただいて慣れない作業をしていたら,1章分のコメントページをふっとばしてしまった。ごめんなさい。悪いのは私です。で,調べたところ,バックアップのシステムが標準的にはついていないようだ。有償バージョンでどうなっているのかはわからない。落ち着いて作業することにしましょう。

2020年2月7日金曜日

悲しい個人番号カード

なんだか騙されて個人番号カードを作ることになってしまった。昨年,元の勤務先に書類を提出して数ヶ月,ようやく市から連絡の通知が来た。ご丁寧に,時間を予約してとりにきてくれとのことで,本日,市役所の地下に設けられた個人番号カード受付に行った。

ものものしいコーナで3人くらい同時に対応できそうな衝立ブースに職員が3,4人いて対応してもらった。準備物は事前のお知らせの通り,通知ハガキ,通知カード,身分証明(自動車運転免許証),印鑑の4つ。あとは,パスワードをあらかじめ決めておいたので,問題なく進行する。紙に書かされたパスワードを画面に入力するのがメインの手続きですぐに完了した。なんのことはない20分かかるといわれていたが,1人だと3分で終わりそうなので,予約制にする必要があるのだろうか。

カードを受け取って茫然自失となる。安っぽい感じで,自動車運転免許証より一回り小さいくてペラペラなのではないか(確認したら面積は免許証のサイズと同じで,ぺらぺらではなかったです)。へんな兎マークが付いていて色彩もいまいち。問題は写真。あらかじめ申請時に提出しておいたが,免許証より小さくて見るも無残なぼけぼけイメージになっていた。これでは本人確認できないんじゃないか。

その後,市役所の方に説明をきいたところ,さらに多くの問題点が発覚した。
(1)有効期限は10年だが,各種サービスと紐付けられたパスワードの有効期間は5年なので,これを確認されたうえで,市役所の人がサインペンで有効期間最終日を手書きした。おいおい,最初から印刷できないのか。
(2)遠隔地の戸籍関係書類は取り寄せられるのですねと聞いたところ(ほとんどそのために取得したようなものだったので),なんと,天理市は対応していないのでだめなのだそうだ。予算の関係その他でいつになるか分からないとのこと。えー,うそでしょう。
(3)ペイペイなどのスマホ決済サービスと連動した割引ができるとのことで,説明の書類をもらって帰ったところ,iPhone 6sには対応していないことが判明し,これも使えないのであった。だめだめだった。
(4)個人番号部分はみせると恥ずかしいものらしく,使うときはこの透明な袋にいれて下さいということで,部分的にグレイな四角が印刷されていて,個人番号やその他の部分を隠すポリプロの袋入りだった。ありえない。

以上のように,国が後先を考えずに推進しているようだけれど,制度設計や運用に完全に失敗している。この程度の個人番号カードしかデザインできなかったのかと思うとなさけない。ほんとうに貧しい国になってしまった。国会では毎日のように,安部やそのとりまきの非論理的ないいわけや利権まみれの暴走が続いていて,それを官僚機構が必死にささえている。そんな不合理が染みついてしまった。大学入学共通テストの失敗といい,行政がまともに機能しなくなっている。


2020年2月6日木曜日

非常勤講師後期授業終了

今日の物理学Ⅲ(振動・波動)で今年の授業はおわり。昨日と今日は期末テストだったが,できる人はできて,できない人はそれなりの問題でした。週に2日から3日大学に通って,面倒な会議もなく,研究室の学生指導もないので,楽といえば楽になった。それでも,自分の体力や気力や記憶力がゆっくりと衰えてきているので,負荷がかかるといえばそうでもある。鈴木先生から来年は物理をとっていない学生が半分以上という話を聞いたので,それはそれで戦々恐々かもしれない。



写真:近所に買物へ出る途中(2020.2.6撮影)

2020年2月5日水曜日

絵ことばLoCoS

絵ことばLoCosは,非常口のデザインでおなじみの,太田幸夫が1964年に考案した絵文字・絵ことばのシステムである。1964年といえば東京オリンピックが開催され,様々な競技の会場や案内のためのピクトグラムが実用的に広まった年でもある。

LoCoSはLovers Communication System の略で,世界の人が言語や文化の違いを超えて,恋人のように理解しあえるコミュニケーションメディアを目指して考えられた。1971年にウィーン国際会議で注目を浴び,1973年には講談社から「新しい絵ことばロコス」が出版されている。当時大学生の自分は,梅田の紀伊国屋書店で何度もこの本に魅かれて立ち止まり,買おうかどうしようかと散々迷ったのだけれど,結局買わずじまいだった。

それから40年たって,いまなら十分進化したコンピュータとネットワークの機能により,もっと簡単に使えるのではないかと思って,いろいろ調べてみたけれど,誰もそれに着手していないようだった。うーん,もったいない話である。
図:LoCoSのサンプル(よろこび,たのしみ)

[1]LoCoS WebSite Design (AM+A, 2007)
[2]LoCoS: 世界をむすぶ絵ことば(Kindle版,2018)
[3]LoCoS 世界をむすぶ絵ことば(太田幸夫デザインアソシエーツ)

2020年2月4日火曜日

立春の問題

今日は立春。暖く晴れた春の一日。

こんな日は数学パズル。これを解くのがComputational Thinkingなのだろうか?
次の四角の中には1〜9の数が1回づずはいる。その配列を求めよ。という問題をtwitterでみかけた。
図 ピーターからの問題?

これを解くためにJuliaを用いると次のようになった。9重の整数のループがあってとてもださい。ループの範囲を集合にして1つずつ減らしていくということも考えられたが,もっときたなくなりそうなのでこれはやめ。それでも取り合えず答えは得られた。和と積で絞るのはちょっとトリッキーなので,正統的ではない。答えは1通りしかないというヒントに基づいている。
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function loop()
  for i1 in 1:9
    for i2 in i1+1:9
      for i3 in i2+1:9
        for i4 in 1:9
          for i5 in 1:9
            for i6 in 1:9
              for i7 in 1:9
                for i8 in 1:9
                  for i9 in 1:9
                    a=i1+i2+i3+i4+i5+i6+i7+i8+i9
                    b=i1*i2*i3*i4*i5*i6*i7*i8*i9
                    c=i1/(10*i4+i7)+i2/(10*i5+i8)+i3/(10*i6+i9)
                    if a==45 && b==362880 && c==1
                      return (i1,i2,i3,i4,i5,i6,i7,i8,i9)
                    end
                  end
                end
              end
            end
          end
        end
      end
    end
  end
end
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 
@time loop()
  0.191865 seconds (201.31 k allocations: 10.933 MiB, 2.17% gc time)
(5, 7, 9, 3, 6, 1, 4, 8, 2)


2020年2月3日月曜日

なにわ夫婦八景

松竹座の「なにわ夫婦八景」は,廓(かまえ)正子(1929-)の「なにわ華ものがたり」が原作で,桂米朝の妻の中川絹子夫人と米朝およびその弟子たちの物語である。したがって,真琴つばさが主人公なのだろう。

桂ざこばが米朝の師匠の四代目桂米團治,ざこばの娘の関口まいがその妻の役。ざこばも書かれたセリフがないときびしいのが残念だった。桂団朝を除いて,ざこばの弟子たちが米朝の弟子の役をつとめる。桂團治郎は五代目桂米團治の弟子か。

聞いたことのあるようなエピソードの連続で,説明的な脚本だったけれど,わかりやすいといえばわかりやすい物語,ものたりないといえばものたりない。そもそもの趣旨が桂米朝五年祭なので,これは,これでよいのだろう。今日は節分,豆まきの日でした。

2020年2月2日日曜日

コンピューテーショナル・シンキング(4)

コンピューテーショナル・シンキング(3)からの続き

パパートを源流としてウィングが口火を切った「コンピューテーショナル・シンキング(計算論的思考)」は,K-12にひろがるとともに,日本では「プログラミング的思考」と名前とその性格を変えて政策的な道具として用いられることになった。

そもそも「○○的思考は学校教育に欠かせない」という言説は,「○○力が未来の子どもたちには必要だ」というスローガンと並んで,近年の教育改革の通奏低音となり,政策推進のツールとして悪用されている。プログラミング的思考もその最先端の代表例である。

学校教育をめぐる目標設定では,常に怪しい看板がつけられはずされしながら,「子どもたちのために」,「国の将来のために」,「地球の持続可能な発展のために」という大義名分のもとに,隠れた利益誘導や思想誘導の道具として,○○的思考と○○力のオンパレードが続いている。

最近の○○的思考の○○には何が入りうるか。工学,科学,数学,論理,批判,問題解決,デザイン,なんでもいいのだが,これによって利益を得られる社会セクターの人々は,なまじ悪知恵が発達しているので,ありとあらゆる正当化の論理を繰り出している。

計算論的思考は,その定義からして,情報科学(Computer Science & Technology)の領域基盤の概観(内容・方法)に対応している。これを「読み,書き,算術」に加える21世紀の第4のリテラシーとして位置づけようとするものだ。2000年前後を境とする情報テクノロジーの発展と浸透により,その重要性が飛躍的高まった。それゆえ,あらゆる分野や階層の人々に関係するという意味で,他の○○に比べて優位性があるのは確かだと思う。

ただ,それは,これまで情報リテラシー,ICTリテラシーとよばれていたのではないか。高等学校に教科情報を導入して 20 年近く培ってきたものではないか。そこではプログラミングこそ背景に退かされていたものの,情報科学をバックボーンとして,その成果を活用する能力をいかに獲得するかが目標であったはずだ。

それが,看板を変えてまで,あらたなテコ入れの道具として化粧直しするときの名前がプログラミング思考だった。計算論的思考(この訳語も微妙なのですが)に比べれば格段と見劣りのするしょぼい目標設定になってしまってはいたが。「一つ一つの動きに対応した記号を,どのように組み合わせたらいいのか,記号の組合せをどのように改善していけば,より意図した活動に近づくのか」だと・・・あんたらなにゆうてんの・・・orz。

たぶん,この30年の日本の停滞と,機械学習,クラウド,IoTなどの進化による産業構造の本質的な変化の予感が,日本にあせりをもたらしているのだと思う。それが小学校へのプログラミング教育の導入とGIGAスクール構想(児童生徒一人一台のPC整備)へとつながった。そのビジョンの柱となる考え方をプログラミング的思考に落とし込んだところに本質的な欠陥があるような気がする。

なぜプログラミングの能力が全員に必要なのだろうか。自動車整備の能力がすべての国民に必要なのだろうか。散々議論した末に,プログラミングが柱ではなく,情報科学や情報技術によってもたらされた成果や,それを実現しているアプリケーションを組み合わせて活用することで問題解決することこそが重要だとしてきたのではなかったのか。

プログラミングを体験することが,コンピュータの活用の質を高めるために本当に必須なのだろうか。むしろ,生活や学習のあらゆる場面で,必要に応じて自由に情報デバイスを組み合わせて,文書を作成し,計算し,マルチメディア情報を処理して創造できる環境の整備とサポートの仕組みこそが必要なのではないだろうか。

マセマティカによって提供されるような,あるいはジュリア(プロセッシング)によって実現されるような柔軟性の高い情報処理環境が,すべての科学や文芸や芸術の分野で必要であり,そのための専門的な能力を養成するルートやそのための裾野の広い学びが必要であることは認めるが,それは,小学生全員にプログラミングを学ばせることとは別だと思うのだ。

2020年2月1日土曜日

コンピューテーショナル・シンキング(3)

コンピューテーショナル・シンキング(2)からの続き

ジャネット・ウイングがコンピューテーショナル・シンキング(計算論的思考)で名をあげて10年後の2016年3月に,その後の状況について報告するエッセイを書いていたことはすでに紹介している。

その半年後の2016年9月,マセマティカでおなじみのスティーブン・ウルフラムが,ブログに「How to Teach Computational Thinking」という記事を書いた。ウイングのエッセイや中島さんの翻訳をまったく知らなかった私は,10月ごろに当時,清教学園におられた田邊先生とのメールのやり取りの中で,このリンクを使い「Computational Thinkingがはやりそうですよ」とお知らせしていた。10年遅れで。ただ,この時期は例の有識者会議がプログラミング的思考というキャッチフレーズを掲げて4ヶ月後だったので,そのあたりを意識していたともいえる。まあいずれにせよ,7周半ほど周回遅れなのである。

ウルフラムのやってきたことや作り上げてきたシステムは,まさにコンピューテーショナル・シンキングの直球ど真ん中だったので,これはイメージを作りやすかった。ただ,そのまま日本のK-12に導入するには敷居が高すぎたた。Wolfram Alphaをもってしてもすでに手遅れというか,マセマティカの導入価格高騰によって,多くの大学からは潮が引くように撤退してしまったのではないだろうか。

2020年1月31日金曜日

コンピューテーショナル・シンキング(2)

コンピューテーショナル・シンキング(1)からの続き

タベシュの論文のさきほどの引用部分の前段には,コンピューテーショナル・シンキングの定義がある。また,最近の議論と直接関るものとしてしばしば引用される,ジャネット・ウィング2006年のACM論文(エッセイ)「Computational Thinking」についての言及もある。公立はこだて未来大学の中島秀之によるその日本語訳は,2015年になって「計算論的思考」として情報処理 Vol.56 No.6 に掲載された。また,林向達によって〔学習用翻訳〕計算論的思考として訳された。このページでは「計算論的思考」を用いよう。

タベシュの論文の要約の前段:
 計算論的思考は,コンピューターが効果的に実行できるような方法で問題を定式化し,その解決策を表現することに関与する思考プロセスとして定義できる。それは,問題を解決し,システムを設計し,人間の行動を理解する方法であり,コンピューターサイエンスの基本概念に基づいている。今日の世界で繁栄するには,計算論的思考が,人々がものを考え,世界を理解する方法の基本的な部分でなければならない。
 計算論的思考は,児童生徒にとって不可欠であり,K-12カリキュラムの一部である必要があるが,最初にそのルーツとコンテンツ開発の基礎となりうる教育学的モデルを検討する必要がある。
 計算論的思考の本質は,心の拡張としてのコンピューターと対話しながら創造し発見できることだ。このような概念は,パパート著書マインドストームで次のように想定されていた。
 パパートは,計算の2つの側面に注目した。1つは計算を使用して新しい知識を創造する方法,もう1つはコンピューターを使用して思考を強化し,知識へのアクセスパターンを変更する方法だ。最近では,ウィングが,計算論的思考に修正されたアプローチと新しい注意をもたらした。
 ウィングは,計算思考を,読み,書き,および算術と並ぶ,我々みんなの分析能力の基本的なスキルと見なしている。ウィングの論文は,すべての階層のコミュニティ,特にK-12で歓迎された。K-12コミュニティは反応が早く,ティーンエイジャー向けのアプリケーションの開発を開始し,進行中である。パパートの基本的なアイデアにアクセスしながら,計算論的思考を浸透させる手段としての問題解決に進む。
ジャネット・ウイングは2006年のエッセイで計算論的思考を次のように表現している。
・計算論的思考は計算プロセスの能力と限界の上に成立しているもので,計算の主体が人間であるか機械であるかは問わない。
・計算論的思考は,コンピュータ科学者だけではなく,すべての人にとって基本的な技術である。
・計算論的思考は問題解決,システムのデザイン,そして基本的なコンピュータ科学の概念に基づく人間の理解などを必要とする。
・計算論的思考とは再帰的に考えることであり,並列処理であり,命令をデータとし,データを命令とすることである。
・計算論的思考とは巨大で複雑なタスクに挑戦した り,巨大で複雑なシステムをデザインしたりすると きに,抽象化と分割統治を用いることである。
・計算論的思考とは予防,防御,そして最悪のシナリオからの復帰という観点を持ち,そのために冗長 性,故障封じ込め,誤り訂正などを用いることである。
・計算論的思考はヒューリスティックな推論により解を発見することである。
・計算論的思考は超大量のデータを使って計算を高速化することである。
これすなわち,コンピュータサイエンスの特徴を述べており,それが専門家だけでなくすべての人々にとって重要であるというのが彼女のビジョンである。これが K-12 関係者などコンピュータ教育にかかわる人々にヒットした。そしてその10年後には[3]にあるエッセイを書いている。

[1]コンピューテーショナル・シンキングについて(林向達,2017)
[2]Computational Thinkingに関する言説の動向(林向達,2018)
[3]Computational Thinking, 10 Years Later (Jeannette Wing,2016)
[4]〔学習用翻訳〕計算論的思考,10年後(林向達,2018)

2020年1月30日木曜日

コンピューテーショナル・シンキング(1)

コンピューテーショナル・シンキングが何であるのかの説明は,2017年のイランのシャリフ大学のタベシュの論文(Computational Thinking: A 21st Century Skill)が分かりやすい。

コンピューテーショナル・シンキングのルーツを辿ってみると,1つは,シーモア・パパート(1928-2016)の書籍 マインドストーム(1980)になる。LEGO Mindstormsの方ではない。その中に,はじめて,Computational Thinking というフレーズが一度だけ登場している。

タベシュは次のように書いている。
 パパートは,コンピューテーショナル・シンキング(計算思考)とデジタル教育学を,ピアジェが始めた教育の現代的アプローチに結び付けた。
 ピアジェは、構成主義として知られる学習理論の先駆者としてよく知られている発達心理学者である。簡単にいうと,彼は,学習者の経験と既存の知識の相互作用が,学習者の心に新しい知識を構築するとした。
 パパートは,構成主義の理論を発展させ,学習者が「意味のある産物を構築する」ことに取り組んでいるときに学習が強化されるという概念を追加した。
 我々は,パパートの問題解決法に基づいて計算思考を検討する。つまり,計算思考は,批判的思考と計算能力を組み合わせて,現実の問題に対する革新的なソリューションの基盤とするものだ。
 計算思考には,次の4段階の問題解決過程が含まれる。
・分解:問題を分析し,より小さい部分に分割する。
・パターン認識:データのパターン,傾向,規則性を観察する。
・抽象化:認知されたパターンを生成する基本原則を特定する。
・アルゴリズム設計:問題解決のための段階的な手順を開発する。
 実験的な問題解決の「遊び場」をつくって,これに各段階を接続する。
このモデルでは,遊び場は簡単にアクセスできる場所であり,学習者はフロー,パターン,対称性,パリティ,不変量,再帰などを探しながら,単純または類似のケースでモデリングやバックトラックすることにより,数値的,幾何学的および手続き的に実験できる。遊び場は,強制的な学びでなく認知的な学習を促進する環境を与える。