太陽の塔の中の生命の樹は小松左京がデザインしたと信じ切っていたが,肝腎の太陽の塔の中の展示にはどうもそれらしい説明がない。岡本太郎のデッサンはたくさん並んでいたのだけれど。細部の展示説明が全部見られていなかったのでどこかにはあったのかも知れない。
そこで,Kindleで新潮文庫版のやぶれかぶれ青春記・大阪万博奮戦記を入手した。前者のやぶれかぶれ青春記は旺文社文庫で読んてはちゃめちゃに面白いはずだった。が,どうも記憶の内容が違っているような気がする。いや面白いのだけどもっとほろ苦いものだった。
さて,大阪万博奮戦記によれば,小松左京と万博のかかわりは次のようなものだ。
・1964年:梅棹忠夫,加藤秀俊らと「万国博を考える会」スタート
・1965年:大阪千里での万国博開催決定,「考える会」の総会開催,テーマ委員会
・1966年:サブテーマ委員会,上記メンバーとカナダ・アメリカ・メキシコ視察
・1967年:岡本太郎と個人契約によりテーマ展示サブブロデューサー(地下展示)
・1968-9年:地下展示のための海外民俗資料収集(後の民族学博物館へ)
あれ,肝腎の生命の樹のアイディアに関する具体的な話がない。
しかたがないので,古本の小松左京自伝を購入した。日本経済新聞社の私の履歴書に加筆したものだ。71ページに次の記述があった。「太陽の塔,つまりテーマ館の中の展示を岡本さんと考えた。DNAの一兆倍ぐらいの模型を作り,生物の進化の過程を見せることにした。映画の特撮も駆使してゴジラや恐竜なども現われ,最後に人間が登場する。高さ四十五メートル。「生命の樹」と名づけた」
若干違うような気もする。DNAの拡大模型はないのかもしれないし,ゴジラの映画もあったかどうか。それでも単細胞生物から人類が誕生するまでを,下から原生類時代,三葉虫時代,魚類時代,両生類時代,爬虫類時代,哺乳類時代にわけて,代表的な生物の模型によって表していた。
写真:現在の太陽の塔の中の生命の樹(2025.9.16撮影)
[1]EXPO‘70「万国博を考える会」幻の資料紹介(小松左京ライブラリ)
[2]第1回「万国博を考える会総会」開催60年(小松左京ライブラリ)
0 件のコメント:
コメントを投稿