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2020年2月3日月曜日

なにわ夫婦八景

松竹座の「なにわ夫婦八景」は,廓(かまえ)正子(1929-)の「なにわ華ものがたり」が原作で,桂米朝の妻の中川絹子夫人と米朝およびその弟子たちの物語である。したがって,真琴つばさが主人公なのだろう。

桂ざこばが米朝の師匠の四代目桂米團治,ざこばの娘の関口まいがその妻の役。ざこばも書かれたセリフがないときびしいのが残念だった。桂団朝を除いて,ざこばの弟子たちが米朝の弟子の役をつとめる。桂團治郎は五代目桂米團治の弟子か。

聞いたことのあるようなエピソードの連続で,説明的な脚本だったけれど,わかりやすいといえばわかりやすい物語,ものたりないといえばものたりない。そもそもの趣旨が桂米朝五年祭なので,これは,これでよいのだろう。今日は節分,豆まきの日でした。

2019年12月11日水曜日

布袋戯(プータイシー)

昨日,十三の第七藝術劇場で「台湾,街かどの人形劇」を観てきた。

布袋戯は台湾の民間芸能である指人形劇の一種だ。精巧に造られた木製の頭部や手足部が,布製の袋部の衣裳をまとい,そこに手を入れて操作する。

その布袋戯の第一人者であった李天禄(リ・チェンルー)は,映画監督侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の作品のいくつかもに出演している。そして今回,李天禄の長男であり台湾の人間国宝でもある陳錫煌(チェン・シーホァン)のドキュメンタリーを侯孝賢が監修し, 楊力州(ヤン・リージョウ)監督のもとで,映画化されたのが本作品である。

原題は「父」であり,父と子の葛藤をベースにしながら,滅びつつある伝統的な布袋戯の活動が10年に渡って記録されている。それにしても,布袋戯の人形の動きは素晴らしかった。日本の文楽の人形に通ずるものがある。アジアに広く浸透している人形劇の背景文化を土壌として,各地で独特の発展をしているかのように見えてしまう。

[1]李天禄布袋戯文物館

2019年10月29日火曜日

船弁慶

NHKの「にっぽんの芸能」で船弁慶をやっていたので,これは,義経千本桜とどんな関係になっているのか調べようとしたところ,滋賀県立大学能楽部にたどりついた。農学部ではない。これはなかなか素晴らしいサイトだ。謡曲三百五十番集入力やたがらすナビもよい。

2019年1月9日水曜日

金門五三桐

大阪松竹座の壽初春大歌舞伎の夜の部の演目は,並木五瓶の金門五三桐の通し狂言である。二幕目の南禅寺山門の返しの浅葱幕前で,細棹の三味線弾きが白木の台に片足を乗せ,正本を片手に持つ唄い手が朗詠する。調べてみると大薩摩節(おおざつまぶし)の独唱とあり,その後,石川五右衛門と真柴久吉のお馴染の場面が始まる。

絶景かな,絶景かな。春の眺めは値千金とは小せえ,小せえ。この五右衛門には値万両,最早陽も西に傾き,誠に春の夕暮れに花の盛りもまた一入,はて,うららかな眺めじゃなぁ。ハテ心得ぬ,われを忘れずこのところに羽根を休むるとは。なになに,某もとは大明十二代神宗皇帝の臣下宋蘇卿と言いし者,本国に一子を残し,この土に渡り謀叛の企て今月ただいま露顕なし,たとえ空しく相果つるとも,かの地に残せし倅,われを慕うて日本へ渡りしとほぼ聞けど,いまだ対面は遂げず形見に与えし蘭麝待という名香を証拠になにとぞ尋ね出し,わが無念を語り,力を合わせ,久吉を討ち取るべきものなり。すりゃ此村大炒之助と言いしは,わが父宋蘇卿にありつるか,父の無念,光秀公の恨み,たとえこの身は油で煮られ,肉はとろけ,骨は微塵に砕くるとも,おのれ久吉,今にぞ思い知らせてくれん。