2019年10月9日水曜日

グッドイナフ-金森則

ノーベル化学賞の発表があって,グッドイナフって聞いたことあるような気がするけどどんな人かなと調べてみたら,金森順次郎先生の名前がでてきた。

当時の理学部の研究室は11しかなくて,理論物理はそのうち3つ。理学部の日当たりのよろしくない北西4階に,内山研,森田研,金森研と並んでいた。金森先生は我々の統計熱力学の授業を担当されていた。演習は助手の寺倉清之さんだった。

グッドイナフ-金森則は,陰イオンをはさんだ磁性イオンに対する超交換相互作用の符号をきめる一般則の名前だ。培風館から金森先生の磁性の本が出ているのだけど,買わずじまいだった。

金森先生には,学部3回生のときにきつく叱られたことがある,佐藤秀明君が機動隊になぐられて目に青痣をつくるなど,豊中キャンパスでの緊張関係が高まっていたとき,再度機動隊が導入されて,これにいきどおり,金森先生の授業がはじまった冒頭に1人でクラスに呼びかけに行った。金森先生はこれに対し,君はなんだ出て行けと一喝した。金森先生は,我々が入学した1972年に学生部長をつとめており,こうした学生の扱いには慣れていたのかもしれない。後に,中性子物性実験の国富信彦先生がフォローしてくださったようなのだが,その後,物理学科の同窓会でお目にかかっても,恐れ多くてあいさつもできなかった。

1994年に大阪教育大学の創基120周年の記念式典が柏原キャンパスで行われた。金森先生は,1991年から1997年まで阪大の総長をつとめていたので,来賓としてこの式典に参加され,自分の母親が大阪教育大附属平野幼稚園だったか小学校だったかの出身で縁があるとおっしゃっていた。



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