自分の考えを整理するために,自己流で概念を定義する(2019年版)。
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道徳の定義
人の共同体を維持するために,社会慣習や行為基準を理念化し内面化させるもの
法の定義
人の共同体を維持するために,構成員の行為を制約する制度的な枠組み
宗教の定義
複雑化した社会を調停するために,超越的存在とそれへの帰依によって,
人の共同体の矛盾を回避するための理念とこれを実現するシステム
倫理の定義
道徳から宗教的な要素を取り除いた行為基準を客体化したもの
知識の定義
対象や事象に関して認識された情報から抽出されたもので,他の知識との関係の中に位置づけて理解や伝達を可能にしたもの
科学の定義
客観的に妥当する調査,観察,実験,推論などによって仮説検証を繰り返す過程から,対象世界に関する知識を獲得する活動
技術の定義
対象の状態を変える,または創るための,再現や伝達が可能な方法や手段の体系(形式知)
技能の定義
対象の状態を変える,または創るための,経験に根ざして個人に宿る方法や手段(暗黙知)
教育の定義
人の共同体を維持するために,対象となる個人の技能を伸ばしながら,必要な知識や技術を伝えるための仕組み
学校教育の定義
社会において,ある層を対象として組織的に教育を行うための制度的な枠組み
学校の定義
学校教育を実施するための,組織・施設などのシステム
*社会システムは複雑系であることから,上記で用いられる「維持」とは保守的な概念ではなく,内外の状態や環境に対応して適応的に発展させることを含んでいる。
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ここから,学校において道徳教育が可能かどうかを考える。
道徳は普遍的なものではない。時代や民族や国あるいはそれらを構成する社会集団,例えば家族によっても異る可能性がある。あるいは,成育歴やおかれた社会環境によって,個人ごとに何が望ましい行為基準であるかは変動していておかしくない。いや,道徳は内面的な基準として作用するのであるから,本質的に個人に依存するものであり,いわゆる「価値多様化社会」においては大域的に共通な道徳概念は成立しにくい。したがって,ある道徳的な徳目が提示された場合には,それが誰にとってどんな意味を持つのか,その妥当性を局所的な視点で検討する必要がある。
道徳的な基準は,善悪,正邪,聖俗,美醜,苦楽,情理などのような行動基準に結びつく二項対立のリストに関係する。そして,ある事象に対したときの行動基準を定める上において,個人ごとに上記の項目を組み合わせた多次元の境界面の位置は異なる。一方,社会集団ごとにその境界面の構造は似通ったものとなることが想像され,集団ごとの道徳的な傾向といったものが考えられるかもしれない。そうであれば,社会集団ごとの利害関係にもとづく経済的・政治的な力関係によって,何が社会としての普遍的な基準としての道徳となるかが選択されることになる。
学習指導要領で提示されているような道徳教育の項目(徳目)は,知恵者たちによるロンダリングの結果,一見普遍的な妥当性を持つように思われる。しかし,よくみれば,それらはマクロなあるいはミクロな社会構造の中で支配的な立場にある側がその状態を維持するという目的にとって有利なものであることが見え隠れする。もちろん,社会集団が安定的に維持されることは,構成員にとっても正しいことでもあるかもしれない。しかし,その社会が矛盾をかかえていて,その矛盾を解決せずに維持しようとしている場合には,道徳は矛盾に苦しむ構成員に対する抑圧として強く作用することになる。
道徳教育は科学ではないので,時間や空間を越えた普遍的な妥当性を議論することに意味はない。もちろん,集団を維持するための生物学的なあるいは社会心理学的な知見にもとづいた傾向性が存在することまでは否定しない。だが,気をつけなければ,それらは道徳のあやしげな科学的裏付けに使われるだけだろう。問題は,道徳教育をいかにして価値観を押し付ける抑圧体系の輪廻から解脱させるかである。それは道徳という概念の枠組みでは本質的に困難ではないか。
もし,道徳教育を現在の学校教育のなかで位置づけるとすれば,安定した人間関係を築きながら社会に調和することを目指すと同時に,そこに生ずる様々な課題に立ち向かいながら解決できるようになるための具体的な技や方法を習得するとともに,その前提となる多様な視点や共感する力を獲得するための感性を養うことだろうか(結局は,教育する側が重要だと考える価値を注入するという方法論に自分自身が染まっていて,それから抜け出せていないようにも思う。現在の道徳教育推進論者たちと同じ穴に落ち込んでいるのか・・・orz)。
道徳を廃止し,生活科を解体再編して1〜6年の35時間の枠にしたい(1・2学年で各100時間余りある現行の生活科は,理科と社会に配分してあげて下さいw)。
参考文献