図:大学評価の波と書類の迷路(ChatGPTによる)
大学に勤めていたころ,後半は評価に振り回されていた。国立大学の法人化や認証評価制度の導入など,引きも切らずに評価の波が押し寄せた。大学改革のための評価室というところに割り振られ,個人評価の導入までかかわることになった。
弱小教員養成系大学が,生き残りのかかった自己評価書の作成に,大学全体のリソース(人と時間)を費やしていた。無駄なことあほらしいことこのうえないが,組織の存亡と予算獲得がかかっているので仕方がない。
さらに,その屋上屋を重ねる話が進んでいる。日本の役所というものは,仕事をしたという物語を生み出すためだけに,九龍城砦のように話を複雑怪奇なものに積み上げていく。それを止められる賢人はどこにも見当たらない。十分に賢い芦田宏直先生も,大学組織人として,この面倒な話をまともに取り合っている。
A(ChatGPT + Claude):
文科省「新たな大学評価」案への批判 — 測れないものを格付けし,予算と制裁に接続する制度
2026年6月3日,中央教育審議会のワーキンググループが「教育・学習の質向上に向けた新たな評価の在り方」の議論のまとめを公表した(本文,概要)。大学・学部を「要是正」から星三つまでの四段階で格付けし,統一形式で公表して進路選択に供し,資源配分や行政措置にも接続するという構想である。なお,これは現時点では施行済みの制度ではなく,実施前の試行的評価の必要性を述べる段階の文書であることを最初に確認しておく。
結論から言えば,この案は現状のまま制度化すべきではない。最大の欠陥は,教育成果を測定する方法が確立していない段階で格付けを行い,その結果を評判,予算,学部新設,場合によっては存続にまで接続しようとしている点にある。何を測っているのかは曖昧なのに,結果の効力だけは強大である。測定論的に未成熟なまま行政的に強力という,この危険な非対称性が制度全体を貫いている。
目的の混線:
文科省案は,①最低基準の認証,②教育改善を促す形成的評価,③進学者向け情報提供,④序列化,⑤国費配分,⑥制裁という,目的も方法も異なる六つの機能を一つの制度に詰め込んでいる。とりわけ致命的なのは,質保証と質向上の混同である。最低基準の確認には強制力が伴ってよいが,質向上の評価は,大学が弱点を率直に開示して改善策を探す形成的評価でなければ機能しない。ところが,弱点を公表すれば星が減り予算に響く制度の下で,大学が弱点を正直に申告するはずがない。改善のためのデータと賞罰を決めるデータを同一にしてはならない。前者には正直さが必要だが,後者は正直さを罰するからである。
測定器が未完成のまま,格付けと制裁が先に決まっている:
文書自身が,標準試験,ポートフォリオ,ルーブリック等の直接評価は「始まっているところ」であり,全国学生調査の質問項目も「今後設定」と認めている。測定方法は実験段階なのに,四段階評価,統一的公表,資源配分への利用,要是正への行政措置という外枠だけが先に決められている。試験問題の妥当性を確認する前に,成績表と懲戒規定を作っているのである。
大学独自のディプロマ・ポリシー(DP)と全国共通の星は両立しない:
大学ごとに目標が異なるなら達成度を同じ星で比較できず,比較可能にするにはDPの水準と尺度を外部から統一せざるを得ず,それはDPの実質的な国定化である。標準化せずに格付けだけ行えば,評価の攻略競争になる。この三すくみは解消困難である。しかも最高評価の基準とされる「その学部に社会的・学術的に期待される水準」は,評価者の頭の中のブランドや偏差値と切り離せない。形式上は絶対評価でも,実際には「この大学にしてはよくやっている」という相対評価が入り込み,難関大学の星三つと地方小規模大学の星三つは異なる意味を持つことになる。
「学生をどれだけ成長させたか」は単純には測れない:
入学時と卒業時の差には,入学者の学力・家庭背景,退学者除外による選抜効果,学外学習,自然な成熟,平均への回帰,天井効果などが混入する。統計的に調整しなければ,「伸び幅」は教育力ではなく学生構成と測定方法の産物になる。また,低い出発点から大きく伸びることと,学士に必要な水準に到達することは別問題であり,案は到達水準と伸び幅をどう統合するかを示していない。明示的なルールがなければ,最後は評価委員の印象である。直接評価も間接評価も同様で,各大学が自ら目標を作り,自ら採点し,自ら成功物語を書く制度では評価対象と評価者が実質的に同一であり,学生アンケートが測るのは能力ではなく本人の自信である。異種の不完全な指標を「総合的に勘案」しても正しい評価にはならない。片方が温度,もう片方が湿度,三つ目が暑さの感想を測る温度計を平均しても,気温にはならないのである。
インセンティブは逆向きに働く:
この制度下で評価を攻略する最も簡単な方法は,目標を達成しやすくすることである。「高度な統計解析ができる」と書けば厳密な試験が必要になり,「データを活用する態度を身に付ける」と書けば自己評価アンケートで済む。具体的で反証可能なDPを掲げる大学ほど低評価の危険を負い,「人間力」「主体性」を並べる大学ほど安全になる。真面目に高い目標を立てる大学が馬鹿を見る構造である。
連帯責任と格差の増幅:
一学科の基準未達で大学全体に「要是正」を付す仕組みは,全学的な統治不全の立証を欠いた連帯責任であり,学内に教育改善よりも相互監視を生む。困難な学生を受け入れる学科や高コストの実習系学科は全学の「評価リスク」と見なされ,執行部は挑戦的な教育よりも絶対に要是正にならない無難な教育を選ぶようになる。そして評価結果を資源配分に接続すれば,IR部門や評価専任職員を整備できる大規模大学が有利になり,低評価の大学は資金を減らされてさらに条件が悪化する。これは質向上の支援ではなく,累積的優位を行政的に加速する装置である。評価が測るのは教育の質よりも,かなりの程度「評価書を作る組織力」なのだ。
星印は「分かりやすい」のではなく,情報を破壊する:
専門知識,思考力,卒業率,学生支援,地域貢献といった多次元の情報を一から三の単一尺度に圧縮すれば,必ず何かが失われ,測定誤差も評価者間のばらつきも表示されない。星は精密な測定結果ではなく,複雑な定性的判断を精密に見せかける擬似的な数値である。行政が「国民に分かりやすく」と言うとき,複雑さを説明する代わりに複雑さそのものを消していないか,警戒が必要である。
Univ-mapの機能膨張と,負担のデジタル化:
共通データ基盤Univ-mapにデータ入力から自動計算,アラート,AI利用までを統合する構想は,機能膨張の典型的な入口であり,高利害評価にAIを用いるなら監査可能性,説明可能性,異議申立てを先に法定すべきだが,その記述はない。一元入力で負担が減るという説明も,負担の中心が転記作業ではなくDPの書き換え,尺度設計,卒業生追跡,証拠資料作成にあることを見誤っている。これは官僚主義の削減ではなく,官僚主義のデジタル化である。
必要なのは「新評価」の修正ではなく,制度の分離である:
第一に,法令と学位水準に限定した質保証。判定は適合・要改善・不適合程度にとどめ,不利益処分には証拠開示と異議申立てを保障する。第二に,教育改善のための形成的評価。大学が弱点を正直に提出できるよう原則非公開とし,星,ランキング,予算削減と切り離す。第三に,学生向けの多次元的な情報公表。単一の星ではなく,授業規模,退学率,学費,進路等を分野別に,定義と母数を付して示す。「伸び幅」を使うなら,共通尺度,脱落者の扱い,年度間安定性,評価者間一致度を複数年の試行で検証した後にすべきであり,それまで星表示や予算配分に使ってはならない。そして資源配分は,困難な学生を多く受け入れる大学にこそ改善資金を投じる方向で設計されるべきである。低評価だから資金を減らすのは,熱の高い患者から治療費を取り上げるようなものだ。
最終評価:
大学が学生に何を身に付けさせたのかを説明すべきだという問題意識自体は正当であり,現行の認証評価が書類確認に傾いているという指摘にも理由がある。しかし,問題意識が正しいことと解決策が正しいことは別である。現行案は,測定できていない「教育の質」を,大学自身が作った不統一な尺度で測らせ,専門家が総合的に勘案し,星印に圧縮して公表し,予算と制裁に利用する制度であり,エビデンスに基づく政策というより,エビデンスらしい外観をまとった行政統制である。一言で評するなら,「認識能力は弱いのに,処分能力だけは強い制度」。失敗を申告した大学を星と予算で罰する制度から,誠実な自己改善が生まれるはずがない。この制度が先に変えてしまうのは質の低い大学ではなく,真面目な大学の方であろう。
[1]大学の授業を英語化すると起こること(社會部部長)
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