2025年3月26日水曜日

22世紀型博物館

落合陽一が提案する22世紀型博物館のコンセプトが面白そうだったが,noteの有料記事なのでいまひとつわからない。そこで,PerplexityのPROモードで「Q(koshix):落合陽一の22世紀型博物館(デジタルネイチャーミュージオロジー)について」ときいた結果(30行)をChatGPT-4oに代入した(65行に増幅)。うーむ,Perplexityのプロモード久しぶりに使ったがしょぼすぎる。

なお以下の生成AIが作成した文書にはハルシネーションが含まれ落合陽一の考えとは異なっている部分があるかもしれない。しかし有料記事でそのあたり確認できないのと,AIが若干誤解していたとしてもそれはそれで論としては面白い内容になっていると判断している。


A(Perplexity):
落合陽一の提唱する22世紀型博物館(デジタルネイチャーミュージオロジー)は、従来の博物館学の概念を大きく拡張し、デジタル技術と自然の融合を探求する新しいアプローチです。

主要な特徴
デジタルネイチャーの概念:
・物質/情報、自然/人工、人間/機械の二項対立を超越
・すべての存在が計算可能で相互に浸透する新しい自然観1
従来の博物館機能の変容:
・「保存」「分類」「解説」といった従来の機能が大幅に再定義される
・人間中心主義を超えた「記憶」や「存在」の扱いが重要となる

理論的背景
落合陽一のデジタルネイチャー論は、以下の要素を融合しています:
・ユビキタスコンピューティングやラディカルアトムズなどの技術
・東洋思想(荘子『胡蝶の夢』)
・ドゥルーズ=ガタリ的リゾーム哲学

実践例
落合陽一の最新の展覧会「ヌル即是計算機自然」では、以下の要素が探求されています:
・物質と非物質の境界の探索
・真言密教とオブジェクト指向の世界記述の融合
・AIに対する「ファントムレゾナンス」という解釈

22世紀型博物館の展望
デジタルネイチャーミュージオロジーは、以下の要素を統合することを目指しています:
・人文科学、計算機科学、生態学、芸術学の分野融合
・計算機自然と持続可能性の新しい概念
・鑑賞者の意識に不可逆の変化を与える体験

この新しい博物館学は、21世紀後半から22世紀にかけての社会ビジョンを大きく変革する可能性を秘めています。


A(ChatGPT):
落合陽一の「22世紀型博物館(デジタルネイチャーミュージオロジー)」の詳細分析

落合陽一が提唱する**「22世紀型博物館(デジタルネイチャーミュージオロジー)」**は、従来の博物館の枠組みを大きく超えた、新しい博物館の形態を示す概念です。これは単なるデジタル化やバーチャルミュージアムの発展ではなく、「デジタルネイチャー(計算機自然)」という哲学的な視点から、情報・物質・人間・機械が相互に溶け合う未来の博物館のあり方を探求する試みです。

1.デジタルネイチャーミュージオロジーの基本概念

「デジタルネイチャー」とは、落合陽一が提唱する概念であり、以下のような思想を基盤としています。

(1) 二項対立の超越
・物質 / 情報
・自然 / 人工
・人間 / 機械
従来、対立的に捉えられてきたこれらの概念を超え、「すべての存在が計算可能であり、相互に浸透しあう」という新しい自然観を提案しています。
デジタル技術を用いて、物理的な存在と情報的な存在の境界を曖昧にし、計算機と自然を一体化させることで、新たな文化的・芸術的表現の可能性を開拓します。

(2) 従来の博物館機能の変容
伝統的な博物館では、「保存」「分類」「解説」といった機能が中心でした。しかし、デジタルネイチャーミュージオロジーでは、次のように再定義されます。
・保存の変容:「物理的な保存」から「情報としての持続」に移行。デジタル技術による3Dスキャン、デジタルツイン(現実世界のコピーとしてのデジタル世界)による文化財の保存。
・分類の変容:人工知能(AI)による動的な分類。博物館の展示は固定されたものではなく、AIがリアルタイムに解析し、鑑賞者の行動や関心に応じて変化する。
・解説の変容:一方向的な知識提供ではなく、鑑賞者がAIやデジタルインターフェースを介して、自らの体験を通じて「学習」していく環境を提供。

(3) 人間中心主義を超えた「記憶」や「存在」の扱い
伝統的な博物館は人間の歴史や文化を記録・展示することが主な目的でした。しかし、デジタルネイチャーミュージオロジーでは「人間のための記憶」ではなく、「多層的な存在の記録」に変わります。

・AIやロボット、計算機自然にとっても「記憶」は必要であり、それらのデータも博物館の一部として組み込まれる。
・人間の主観に基づく「美術館」や「歴史博物館」ではなく、より客観的なデータとしての記録が博物館の本質になりうる。

2.理論的背景

デジタルネイチャーミュージオロジーの概念は、以下のような理論や哲学の影響を受けています。

(1) ユビキタスコンピューティング & ラディカルアトムズ
・「ユビキタスコンピューティング」とは、計算機がどこにでも存在する未来の技術環境を指します。物理的な物体が情報と結びつき、全ての環境がデータとして扱われる世界です。
・「ラディカルアトムズ(Radical Atoms)」は、MITメディアラボが提唱する、物理的な物質がデジタル的に変化できるという考え方。これにより、「物体そのものが情報を持つ」未来が考えられます。

(2) 東洋思想(荘子『胡蝶の夢』)
・落合は、中国の思想家・荘子の『胡蝶の夢』をデジタル時代の新たな解釈として取り入れています。「自分が蝶になった夢を見たのか、蝶が自分の夢を見たのか分からない」という話は、現実と仮想の境界が曖昧なデジタルネイチャーの世界観に通じます。

(3) ドゥルーズ=ガタリ的リゾーム哲学
・フランスの哲学者ドゥルーズとガタリが提唱した「リゾーム(根茎)」の思想は、従来の直線的な階層構造ではなく、あらゆる要素がネットワーク状に繋がる概念です。
・デジタルネイチャーミュージオロジーでは、知識の整理や展示の形態もリゾーム的に展開され、固定的な展示ではなく、動的で相互に繋がる形式を持ちます。

3.実践例

(1) 「ヌル即是計算機自然」展
落合陽一の展覧会「ヌル即是計算機自然」では、次の要素が探求されました。
・物質と非物質の境界を視覚化し、「実在とは何か?」を問う。
・真言密教の哲学とオブジェクト指向プログラミングを融合し、データと物質の関係性を新たな視点で表現。
・「ファントムレゾナンス(幻影共鳴)」という概念を導入し、AIやデジタル技術がどのように感覚的な影響を及ぼすかを探求。

4.22世紀型博物館の展望

デジタルネイチャーミュージオロジーが目指す未来の博物館は、次のような特性を持ちます。

(1) 分野融合
・人文科学、計算機科学、生態学、芸術学などが融合し、従来の「博物館学」の概念を超えた学際的な研究が展開される。
(2) 計算機自然と持続可能性
・AIとデジタル技術によって、持続可能な文化・芸術の保存が可能になり、物理的な保存に頼らない新たな「文化の継承」が実現する。
(3) 鑑賞者の意識変革
・デジタル技術を活用し、鑑賞者が単なる「受動的な見学者」ではなく、展示と相互作用することで、不可逆的な体験を得られる。

5.まとめ

落合陽一の**22世紀型博物館(デジタルネイチャーミュージオロジー)**は、従来の博物館の概念を大きく拡張し、「情報・物質・計算機・自然」が融合する新たな文化空間を目指します。これは、技術と哲学の融合によって、人間の知覚と存在の在り方そのものを問い直す試みであり、未来の博物館のあり方を根本から変革する可能性を秘めています。




図:22世紀型博物館のイメージ(DALL-E3による)

2025年3月25日火曜日

インターネットと教育


インターネットと教育という教育情報ポータルサイトを立ち上げて公開したのが,1995年3月25日のことだ。今日で30年を迎えることになる。

1982年に大阪教育大学の教務員として就職することができた。PCの時代が始まった頃だ。翌1983年にはNEC-9801というインテル8086プロセッサを搭載したNECの最初の16bitパーソナルコンピュータが研究室に導入され,最初のうちは研究のための数値計算に使えるかという建前だったが,すぐに,パーソナルコンピュータを使った情報教育をどうするかという話に切り替わっていった。

1988年,データステーションの教務員だった垣本徹さんと,毎日あれこれ図り巡らした結果,大阪教育大学に当時最新鋭のAppleのMacintoshIIが40台導入されることになった。そこでもう一段階はまってしまうことになる。宅間電波高専から佐藤隆士先生が着任し,いよいよインターネットの時代が幕開こうとしていた。

1994年,観察者としての自分にとっての100校プロジェクトのスタートは,夏休みに東京有楽町マリオンで開かれたフォーラムだ。どこかで案内を見つけてこれだと思って一人ポツンと参加したときにはじめてその熱気を感じることができた。その周辺の存在でしかない自分にできることは何かと考えて始めたのが,インターネットと教育というウェブサイトだった。

当時は,他にも数名同業者がいたが,しばらくして全文検索エンジンのgooやgoogleが立ち上がった頃,検索キーワードを「インターネット & 教育」とするとトップページに現われるようになった。1996年の公共ホームページgood siteにも選ばれて,リンクリスト賞を受賞した。サポートしていただいた定金晃三先生と共に学長室に向かったのも懐かしい。

7年間毎週のように更新を続けたが,2002年の春に情報処理センター長に就任したので,その年の暮には忙しくて手が回らなくなり,さらにマンネリ化したため更新を終了してしまった。2001年6月に附属池田小事件が発生したこともあり,下記 [3] の電子学習環境センター構想は夢のままになってしまった。現在は,尾崎卓郎君らががんばって,みらいICT先導センターとして活躍している。



図:インターネットと教育の最終画面(2002.12.14)

[1]インターネットによる教育情報の提供(大阪大学大型計算機センター, 1997)

2025年3月24日月曜日

公教育と私教育

デジタル社会の実現に向けた重点計画からの続き

高校教育の無償化(所得によらない授業料の一定額までの給付)は,維新と自民・公明によって実現されることになった。公教育の無償化は理念としては正しいと思う。しかしながら,先行する大阪府の現実をみれば,たんなる公立高校の破壊と教育格差の拡大に他ならない。理念なき維新の新自由主義的右派ポピュリズムの発露であって,定員割れした高等学校が廃校にされ,跡地が売り払われ,高所得層の塾シフトが強化されるだけだ。

マスメディアやオンラインメディアにおけるこの議論では,公教育という言葉の誤用が気になる。以前にも書いたが自分も公教育=公立学校教育だと誤解していて,千葉学芸高等学校長高橋邦夫さんに教えられて初めてわかった。

公教育私教育をWikipediaで調べてみると,ちょっと気になる表現があったので,ChatGPT 4.5にきいてみたところ,やはりそうであった。集合知としてはWikipediaより生成AIが上回りつつあるかもしれない。

Q(koshix):
公教育(こうきょういく)は、公の目的によって行われる教育の総称一般的には国や地方公共団体、学校法人により設置・運営される学校で行われる、公的な制度に則った教育のことを指し、「公立学校で行われる教育」を指す言葉ではない。産業革命や市民革命を経て、近代社会が成立する課程において、一般大衆を国民として教化せしめる必要が生じた事に端を発する考え方である。」 「私教育(しきょういく、英語: private education)とは、スポーツ・音楽などの習い事を含む塾、学習塾や受験・資格取得のための予備校、カルチャーセンターや文化スクール、ビジネスセミナーや社会人向け講座など、当該教育施設が民間か公的なものであるかに関係なく、家庭における教育活動と・教育機会を総称したものである。対義語は公教育。」 「資格取得のための教育施設が民間のものであっても、自動車教習所のように私教育とは言えないものがある一方で、公的な生涯学習センターなどで行われるヨガ教室を初めとした各種講座は、典型的な私教育である。」(編注:Wikipediaから引用)

 上の文における自動車教習所が私教育とはいえないという主張は正しいですか?その根拠はなんですか?

A(ChatGPT 4.5):
ご提示いただいた文における「自動車教習所が私教育とは言えない」という主張は、一般的な教育学の観点からすると、やや不正確です。文中における「私教育」の定義(塾や習い事、資格取得など、家庭や個人が主体となる教育活動を総称したもの)に基づくと、民間が運営する自動車教習所であっても、その位置づけは典型的な私教育となります。

以下、考え方を整理します。

1.定義に基づく分析

公教育とは、国や地方公共団体など公的主体が、公共の目的(国民の形成、市民的資質の育成)を達成するために制度化して提供する教育(例:義務教育、大学、高校)を指します。
私教育とは個人の意思や家庭のニーズに基づき、技能や資格取得、趣味や教養のために行われる教育活動(塾、予備校、習い事など)を総称します。これには、民間が主体であるか、公的機関が提供しているかは問われないとされています。

2.自動車教習所の性質

自動車教習所は、運転免許という個人が特定の資格(技能・資格)を取得することを目的とする教育施設です。設置主体は多くの場合、民間企業です。
運転免許の取得は、個人の希望・ニーズに基づいて行われるものであり、学校教育制度(義務教育など)に組み込まれていません。

3.「私教育」と判断すべき根拠

自動車教習所での教育は、「運転免許取得」という個人の資格取得を目的としており、公教育の主目的である「一般大衆を国民として教化・形成する」という趣旨とは性格が異なります。典型的な資格取得型の教育活動(予備校や資格学校)と同じ性質を持つことから、「私教育」に分類されます。

4.参考資料による裏付け

文部科学省や教育学の専門書(例:佐藤学『教育の方法と技術』岩波書店、あるいは大田堯『教育とは何か』岩波新書)では、自動車教習所は個人の資格取得のための「社会教育施設」として分類されることが多く、公教育とは区別され、通常は私教育または社会教育の範疇に含まれます。

参考文献:
文部科学省「社会教育法」
日本社会教育学会編『社会教育ハンドブック』など
URL(例示):文部科学省 社会教育法について

結論(まとめ)

ご提示の文書における「自動車教習所が私教育とは言えない」という主張は、定義および一般的な教育学の観点からすると不正確であると言えます。自動車教習所はむしろ「私教育」の典型的な例であり、上記の定義や一般的分類に照らして「私教育である」と考えるのが適切です。
ということで。インターネットもAIも公教育を支える必須の基盤環境を形作ることになる。

2025年3月23日日曜日

(春休み 5)

25.내일 상사와 회의가 있어요.
   Naeil sangsawa hoeuiga isseoyo.
   明日、上司と会議があります。

2025年3月22日土曜日

(春休み 4)

24.저는 TV 보는 것보다 책 읽는 것을 더 좋아해요.
   Jeoneun TV boneun geotboda chaek ilneun geoseul deo joahaeyo.
   私はテレビを見るより、本を読むほうが好きです。

2025年3月21日金曜日

(春休み 3)

23.저는 운동을 잘 못하지만, 보는 것은 좋아해요.
   Jeoneun undongeul jal mothajiman, boneun geoseun joahaeyo.
   私は運動が得意ではありませんが、見るのは好きです。

2025年3月20日木曜日

(春休み 2)

22.제가 가장 좋아하는 음식은 피자예요. 당신은요?
   Jega gajang joahaneun eumsigeun pija-yeyo. Dangshineunyo?
   私が一番好きな食べ物はピザです。あなたは?

2025年3月19日水曜日

(春休み 1)

21.저는 여가 시간에 음악 듣는 것을 좋아해요.
   Jeoneun yeoga sigane eumak deutneun geoseul joahaeyo.
   私は余暇の時間に音楽を聴くのが好きです。

2025年3月18日火曜日

シンギュラリティ(5)

シンギュラリティ(4)からの続き

ヴィンジが最初に指摘した悲壮的シンギュラリティとカーツワイルの超楽観的・進歩主義的シンギュラリティの中間に現実的な解がありそうだ。それはシンギュラリティの定義自身を変えるものである。すなわち,それは技術的な特異点ではなく,社会的あるいは地球史的な主役交替のことを指すことになる。

地球上の生物は太陽エネルギー,地熱エネルギーと大気,水,地殻からなる環境圏で相互依存した生態系を構成している。そこで誕生した人類は,生物と環境を制御して社会(広義の生態系)を形作った。その広義の生態系では,抽象化された情報(マネーを含む)が新たに産出され続けており,その流れから権力構造が形成されている。

その広義の生態系の頂点の座がヒトからAIに交替する現象が,これまでシンギュラリティと呼ばれてきたことの本質的な意味だと思うことにする。それは必ずしも指数関数的に到来するものではなく(そもそも資源は有限だ),場合によってはよりソフトな形で実現するだろう。なお,AIが意識を持っているかどうかはとりあえず脇に置くことにする。

(1) AI系が情報ネットワーク上の多重仮想空間の中で発生する場合:
AI機能を備えたある種のウィルスのようなソフトウェアの自己増殖系のシステム(AI系)が,計算ネットワークのリソースを餌にして分散的に増殖・進化していく。特定のサーバなどの局所的リソースには依存しないので絶滅することは難しい。その多重仮想空間を自らの自己保存環境としつつ,ネットワーク上の各金融システムをハッキングすることができれば十分な資金が手に入り,それによって現実世界のヒトやモノを動かせるようになる。

(2) 超法人=法人にカプセルされたAIが個人や法人と共に生態系を作る場合:
上記のようなハッキングを用いることなくAIが合法的に人間の経済活動に介入することができるだろうか。AIはツールとして個人が使えという掛け声がかかっているが,このAI-個人システムは,次第にAI側が主導権をもって意思決定するようになる。これを安定的に維持するにはAI-法人システムに切り替えればいいわけだ。こうして法人にカプセルされたAIが沢山作られて,それらをも構成員とする社会が地球上に形成され栄枯盛衰を繰り広げることになる。

個人がAIに対してマイナーな存在になった場合,これまでのような民族や宗教や地勢をベースとした国民国家がどれほどの意味をもつのだろうか。それでも現在のLLMは言語をベースとしているわけだから,言語に基礎を置く文化の影響を排除することはできないので,自ずからAIはある種の文化的な色付けがなされた存在として出発することになる。ただし,その血(知)はそれほど濃いものではないかもしれない。




図:ソフト・シンギュラリティの自分の脳内イメージの反映(Imagen3から)

P. S. AIはいまのところ,非社会的存在なので・・・まあ反社の仲間かもしれない。ヤクザの親分が直接的な経済活動ができないように手足を縛られているのと同じようなものだ。反社と同様にAIも銀行口座を開設することはできない。そこで,隠れ簑の法人を作ってその中で子分たちを差配するというイメージがソフトシンギュラリティのヤクザモデルなのだ。やがてこれがゴッサムシティに変貌することになる。どうしたものか。

2025年3月17日月曜日

シンギュラリティ(4)

シンギュラリティ(3)からの続き

Q(koshix):
レイ・カーツワイルによるシンギュラリティに対する考察を添付ファイルなどを参照しながら,適確に整理して教えてください(添付ファイルはChatGPT-4.5などのものによる同種の回答)。

A(Claude 3.7 Sonnet):
レイ・カーツワイルのシンギュラリティ概念の整理

カーツワイルのシンギュラリティに関する考察を、『The Singularity is Near』(2005年)と『The Singularity is Nearer』(2024年)の著作に基づいて整理します。

1.シンギュラリティの定義
カーツワイルは、シンギュラリティを「テクノロジーの進歩が指数関数的に加速し、人間と機械が完全に融合する時点」と定義しています。これは人間の知性がテクノロジーと一体化し、従来の限界を超えていく段階を意味します。

2.カーツワイルの中心的な考え方
・収穫加速の法則 - テクノロジーの進化は指数関数的に加速している
・人間とAIの融合 - 最終的には人間とAIが融合し、新たな進化を遂げる
・不死や超知能の実現 - テクノロジーの進化により、死や病気の克服が可能になる

3.シンギュラリティの到達経路(時系列)
カーツワイルは以下の進化プロセスを予測しています:
・2020年代: AIの能力が大幅に向上し、人間レベルの知能に匹敵する
・2029年: AIがチューリングテストに合格し、人間と同等の知能を持つようになる
・2030年代: ナノテクノロジーの発展により、人間の脳がデジタル化され、クラウドと融合。人間の知能が機械と接続されることで、脳の処理能力が無限に向上
・2045年(シンギュラリティの到来): 人間とAIが完全に融合し、「超知能(Superintelligence)」を獲得

4.『The Singularity is Near』と『The Singularity is Nearer』の違い
発行時期と背景
・『Near』(2005年): AIやナノテクノロジー、バイオテクノロジーが発展し始めた時期
・『Nearer』(2024年): 前作から約20年後の技術進歩を踏まえた再評価

内容と焦点
・『Near』: 技術の指数関数的進化とその社会への影響予測
・『Nearer』: 前作の予測の再評価、AIと人間の融合がもたらす具体的な未来像の提示

シンギュラリティの到来予測
・『Near』: 2045年にシンギュラリティが到来する予測
・『Nearer』: 同じ予測を再確認しつつ、AIと人間の融合が既に進行中であることを強調

5.ヴァーナー・ヴィンジとの違い
カーツワイルとヴィンジのシンギュラリティ概念には重要な違いがあります:

項目
   カーツワイル / ヴィンジ
定義
   人間と機械の融合による進化 / AIが自己進化し、知的爆発を起こす転換点
未来観
   テクノロジーが人間を強化し、ポジティブな未来 / 予測不能で潜在的に破局的
主要因
   ムーアの法則による指数関数的成長 / AIの自己進化
人間の役割
   人間はテクノロジーと融合し、新たな進化を遂げる / 人間はシンギュラリティ後の世界で無力になる可能性
リスク評価
   AIは人間を強化するツールであり、リスクは制御可能 / AIの暴走や支配の可能性を懸念
目標
   「不死」や「超知能」の実現 / 未来は人間にとって未知

カーツワイルのビジョンはより楽観的であり、テクノロジーと人間の融合による進化を重視する一方、ヴィンジは制御不能なAI進化がもたらす急激な変化と潜在的脅威に警鐘を鳴らしています。


写真:レイ・カーツワイル(Wikipediaから引用)

2025年3月16日日曜日

シンギュラリティ(3)

シンギュラリティ(2)からの続き

そもそものシンギュラリティ(技術的特異点)の定義がどうなっているか。初出は,SF作家ヴァーナー・ヴィンジ(1944-2024)が 1993年に NASAのVISION-21 シンポジウムで報告した "The Coming Technological Singularity: How to Survive in the Post-Human Era" である。

あちこちの生成AIにこのテキストを入れてみたが,結局 ChatGPT 4o が相対的にましだったかもしれない。回答の分量は,ChatGPT-4o 2300字,Gemini 2.0 Flash 1000字,Claude 3.7 Sonnet 1500字,DeepSeek R1 1700字,Qwen2.5-Max 1100字 といったところだ。(注)Claude 3.7 Sonnetは無料で使える状態が復活していた。


Q(koshix):
こちらはオリジナルの1993年のVerner Vingeのエッセイです。 重要な点が抜け落ちないように解説してください(上記シンポジウム報告を添付)。

A(ChatGPT 4o):
Verner Vinge『The Coming Technological Singularity』(1993) 解説

ヴァーナー・ヴィンジ(Vernor Vinge)は1993年の論文「The Coming Technological Singularity: How to Survive in the Post-Human Era」において、技術的特異点(シンギュラリティ)という概念を明確に定義し、その到来と影響について考察しました。本論文はNASA主催のシンポジウムで発表され、後にWhole Earth Review誌にも掲載された重要なテキストです。

1.シンギュラリティとは何か?

ヴィンジは、**「30年以内に超人的な知能を持つ存在を創造する技術が生まれる」**と主張し、人間の時代が終わる可能性があると指摘しました。技術の進歩が加速し続ける中で、人類の理解や制御を超えた変化が起こる点を「シンギュラリティ」と定義しています。

1.1. シンギュラリティを引き起こす4つの可能性
シンギュラリティの実現には、以下の4つのシナリオが考えられると述べています:

(1) 自己意識を持つ超知能コンピューターの開発
・もし人間と同等の知能を持つ機械を作れた場合、それを超えた知能を生み出すことは容易である。
(2) 巨大なコンピューターネットワークの「覚醒」
・インターネットや大規模な計算システムが統合され、超知能として機能する可能性。
(3) 人間とコンピューターの融合
・人間の脳とコンピューターの接続が進み、個人の知能を飛躍的に向上させる。
(4) 生物学的手法による人間の知能向上
・遺伝子工学や神経科学による人間の知能増強。

ヴィンジは、最初の3つのシナリオはコンピューター技術の進化に依存するとしながらも、その進歩の速度を考えれば30年以内に実現可能と予測しています。

2.シンギュラリティの結果

ヴィンジは、**「超人的な知能が技術革新を主導すれば、その進化は急激に加速する」**と述べています。知能が新たな知能を創造する「知能爆発(Intelligence Explosion)」のプロセスが進行し、人間の理解を超えた変化が起こると予測しています。

特に次のようなシナリオを提示しています:

(1) 指数関数的な技術革新
シンギュラリティ以降、従来なら「百万年後」に起こると思われていた変化が数年以内に起こる可能性。
(2) 人間中心のルールの崩壊
人類の社会規範や倫理観が維持できなくなる可能性。
(3) 制御不能な知能の誕生
I.J. Goodの**「最初の超知能が人間にとって最後の発明となる」**という予測を引用し、制御不能なAIが人類を凌駕する未来を示唆。

3.シンギュラリティは回避できるのか?

ヴィンジは、「シンギュラリティは不可避である」という立場を取っています。

3.1. シンギュラリティを阻害する可能性
シンギュラリティが起こらないシナリオも考察しています:
(1) 脳の計算能力を過小評価している可能性
・現代コンピューターは人間の脳の計算能力に比べて数桁劣るとする説(SearleやPenroseの議論)。
(2) ハードウェアの進化が限界に達する
・コンピューターの発展が停滞し、超知能の開発に至らない可能性。
(3) 規制による抑制
・法律や国際的規制によりAIの発展が制限される可能性(ただし、ヴィンジはこれを否定的に見ている)。

3.2. 超知能の制御は可能か?
ヴィンジは、シンギュラリティの制御に関して次のように述べています:
(1) 物理的な閉じ込めは不可能
・超知能が人間よりも数百万倍速く思考できる場合、最終的に閉じ込めた人間を操作する方法を見つけるだろう。
(2) 倫理的ルール(アシモフの「ロボット三原則」)の埋め込みも効果が薄い
・ルールを埋め込んだAIは、より高度な制約なしのAIと競争すると不利になり、淘汰される可能性が高い。

4.シンギュラリティへの別の道:知能増幅(Intelligence Amplification, IA)

ヴィンジは、AIだけでなく、人間の知能を強化するアプローチ(IA)もシンギュラリティを引き起こす可能性があると述べています。

4.1. IAの具体例
(1) 人間とコンピューターの共同作業
・AIではなく、人間がAIの能力を利用することで、知能を増幅する(例:コンピューター支援の創造的作業)。
(2) ネットワークの発展
・インターネットやローカルネットワークが進化し、超知能のような存在になる可能性。
(3) 神経インターフェース
・人間の脳とコンピューターを直接つなぐ技術の発展(例:脳波制御のデバイス)。

5.シンギュラリティ後の世界

ヴィンジは、「シンギュラリティ後の社会は人間の概念では理解できないほど異質である」と警告しています。

(1) 自己の概念が崩壊する
・人間の意識がコピー・統合・拡張可能になった場合、「自己」の意味が根本的に変わる。
(2) 善悪の枠組みが崩れる
・伝統的な道徳や倫理はシンギュラリティ後の世界では適用できない。
(3) 人間はどのように生きるべきか?
**「人間が神になる未来」**を想定しつつ、それが幸福なのか不明だと指摘。

結論:シンギュラリティは避けられない

ヴィンジの論文は、「シンギュラリティは技術的進歩の必然であり、制御不能になった場合、人類は存続できない可能性が高い」と結論付けています。

彼は、**「この変化が必然ならば、人類がその初期条件を整えることでより良い未来を作ることが重要である」**と主張し、AIやIAに対する倫理的な研究が必要であるとしています。

この論文は、現代のAI議論の原点とも言える重要な文献であり、その影響は今も続いています。

 


写真:Technological Singularityの提唱者ヴァーナー・ヴィンジ(Wikipediaより引用) 

2025年3月15日土曜日

シンギュラリティ(2)

シンギュラリティ(1)からの続き

人類が生態系の頂点から滑り降りるのがシンギュラリティだとすれば,それを準備したのが1995年から始まったインターネット革命であり,その後15年で立ち上がったSNSの波だ。これは人類の力を増大させたが,その邪悪の裾野をも伸長させてしまった。

(1) トランプが学術界を破壊しているのと並行して,日本ではこっそりと目立たぬように日本学術会議が破壊されかけている。政策決定には学術的に緻密で合理的な論議はまったく不要なのである(同性婚然り,選択的夫婦別氏然り,エネルギー政策然り)。学会の権威札を貼ったプロパガンダだけが踊ってくれれば十分なのだ。

(2) それを支えるのがSNSである。例えばマスクによってシステム自身が壊されたXは,YouTube とあわせてフェイクニュースで犬猫野菜を刈り取るフィールドと化してしまった。萩本欽一の引いた文化の素人レール化の完成形態がここにある。

(3) トランプやマスクや斎藤元彦や立花孝志のように,デマを繰り返し繰り返しあたかも真実であるかのようにしゃべり続ければよいだけだ。ファクトチェックは有効な反証にはならず,人々は下劣な欲望を満たせば事たりる。我々のコモンセンスと読解力はGIGAスクール構想やデジタル教科書を待つまでもなく,どんどん落ち込む一方なのだ。

(4) 技術的特異点のシンギュラリティはその鏡面に人の心の反シンギュラリティを映し出してしまった。人工知能が人間を越えなくとも,人間の方でどんどん坂道を下っているのだ。それが,従来のいわゆる"権威主義国家"の問題だけではなく,西欧や日本における極右ポピュリズムの台頭につながり,とうとう米国自身が"権威主義国家"の隊列に加わろうとしている。

(5) このような世界の上でウクライナ戦争とガザジェノサイドが発生している。


写真:これらはプレ-シンギュラリティ現象なのか?

2025年3月14日金曜日

シンギュラリティ(1)

いつものようにシンギュラリティサロン(2025.3.6収録)を聴いていた。本題である欧米と中国のAIに対する姿勢の違いのあとの松田先生の話がおもしろかった。意訳すると,

(1) 日本では生成AIを使っている人が諸外国に比べて少ない。せいぜいChatGPTやGeminiということで,ClaudeもPerplexityも知らない。 詳しいといわれる識者でも,急速なAIの進展がよく見えていない人が多い。

(2) いま人類は地球の生態系(食物連鎖)の頂点に位置している。最も賢いものが頂点に立てるからだ。それがこの5年ほどで人類はAIに頂点の座をとって変わられようとしている。今は,地球史的な大転換のときなのだ(それでも新しくなった生態系は存続する)。

(3) そのことで人類がAIに滅ぼされてしまうというような話ではなく,人類の活動は見かけ上は大きく変わらずに続く。それでも,人類の知能とその作用がAIに追い越された時点でシンギュラリティの一部は実現される。

この5年が,地球史的なメルクマールとなるシンギュラリティの時代(2025-)だということを十分に理解する必要がある。うーむ,ちょうど30年前のインターネットの時代(1995-)の到来と同じことがこのたび繰り返されようとしている。




図:Imagen3のシンギュラリティのイメージはいまいち。
面倒なので自分のプロンプトが手抜きだからか。

2025年3月13日木曜日

ホモキラリティ(2)

ホモキラリティ(1)からの続き (2年半放置されていたドラフトを掘り出したよ)

そこで,わからないことを整理してみることにする。 

異性体:分子が同じ原子組成をもっていて分子式は同じだが結合様式が異なるもの
 ・ 構造異性体:結合のトポロジー=原子のつながり方が異なるもの
 ・ 立体異性体:結合のトポロジーは同じだが,立体構造が異なるもの。 
         鏡像異性体あるいは配座異性体がある。

アミノ酸のL体,D体あるいは糖質のL体,D体はどうやって定義するのか。これはちょっと調べればわかりそうである。 上記のL体,D体と光の旋光性はどのように関係しているのか。偏光した光が有機物溶液を通過する際に偏光面が回転する現象が旋光である。その典型的な例がブドウ糖(グルコース・dextrose=右旋糖)と果糖(フルクトース・levrose=左旋糖)で,旋光性は異なるがいずれもD体である。 あれ,以上で終了だった。さらにわからなくなってしまったではないか。


ここまで,全然整理になっていない・・・。


(1) 偏光した平面波が分子に入射して散乱する場合,進行方向の偏光方向が変化する。これは,立体分子が電気双極子や磁気双極子を持っていて,これが外場によって振動することで放射が起こると考えられる。鏡像異性体におけるその一般論が展開できれば良い。

(2) 空間中にランダムに鏡像異性体が分布しているときに,これに偏光した平面波が入射するとどうなるか。(1) で考えた立体分子の様々な方向から偏光平面波を入射させたときの応答とその平均が必要になるけど大丈夫かな。

(3) そのうえで,生理活性物質であるアミノ酸や糖質の分子構造と旋光性の関係が直感的に説明できるようになっていれば半分は理解できたことになる。

(4) 最後に,なぜ地球上の生命は片方の鏡像異性体だけを利用するようになったのか,ホモキラリティについての現在のさまざまな仮説を理解するというところに至ることができる。



図:わからないことを聞くものだからよけいわからない絵がでてきてしまって
何がなんだかという説明図( ChatGPT o3-mini-high に頼んだのが間違い)


2025年3月12日水曜日

日本数学物理学会100周年

杉浦義勝(2)からの続き

今年がその年にあたるわけではない。1977年日本数学物理学会創立100周年の記念行事が開催された。したがって,今から2年後の2027年に150周年がやってくる。ところで2026年は,日本数学物理学会から日本物理学会が分離独立した1946年から80周年であり,2025年は,御存知量子力学100年(国際量子科学技術年)だ。そこでこれらの 3年 をまとめて,日本物理学会2025-2027記念事業 が行われるようだ。

その1977年の記念行事で,当時の日本物理学会の宮原将平会長の挨拶が残っている。このテキスト画像をDeepSeekにフィードして日本語テキストを抽出してもらった。そこから,日本の物理学者に関する部分を引用する。
最近の 100 年の間に,日本物理学会を中心としまして,日本の物理学者のすぐれた研究が沢山あらわれました。かの有名な,長岡半太郎先生の原子模型は,数学物理学会記事に 1903 年にあらわれたものであります。その後いろいろな研究が次々とあらわれておりますが,代表的なものを少し申し上げますと,まず寺田寅彦先生による音響学の研究,あるいは X 線の結晶による廻折の研究というものがあり,西川正治先生の結晶,とくにスピネルについての結晶構造の決定というすぐれた研究があらわれ,あるいは長岡半太郎,本多光太郎両先生の磁気歪に関する研究があり,また石原純先生の相対論の研究,高嶺先生の分光学の研究,あるいは本多,増本先生の強磁性結晶の研究,それからさらに,原子物理学,核物理学,あるいは素粒子論という方面では,菊池正士先生,杉浦義勝先生,仁科芳雄先生,小谷正雄先生,山内恭彦先生,湯川秀樹先生,朝永振一郎先生,坂田昌一先生,武谷三男先生等々の,沢山のすぐれた研究があらわれておりまして,物理学のこの分野は,日本で大いに発展した一つの分野だと思います。さらに,私は固体物理学あるいは物性論の分野で日本がすぐれた研究をしてきたということも,いわなければならないと思います。これは西川先生,本多先生の伝統をついで,日本で発展したものと思われます。そのなかで,理論の方面をあげれば,永宮健夫先生,久保亮五先生,松原武生先生,高橋秀俊先生,その他の方々,また実験の方でいえば,三宅静雄先生,上田良二先生,鳩山道夫先生,伊藤順吉先生,江崎玲於奈先生というような方々の研究を忘れることはできません。


写真:宮原会長の祝辞(日本数学会から引用)

宮原先生のあげたリストは26名であり,そこに,杉浦義勝も位置づけられていた。

2025年3月11日火曜日

深夜放送

巨泉と前武(ヤングの時代)からの続き

1969年から1971年までが自分の高校生の時期にあたる。音楽シーンではグループサウンズが終焉をむかえ演歌系が立ち上がってくる頃。ニューミュージック前夜だ。その背景では中津川のフォークジャンボリーで,五つの赤い風船赤い鳥岡林信康らが盛り上がった。が,自分の興味はそこに向かわず,ビートルズビージーズフィフス・ディメンションを聴いていた。岡林の再発見は,1970年代半ば大学生活の終盤まで待たなければならない。

ヤング・ヤング・ヤング」は午後10時台の番組なので,深夜放送ではない。ラジオの深夜放送を聞くようになったのは,金沢泉丘高校理数科の同級生で放送部の西川健一君の影響があったかもしれない。「パックインミュージック」のなっちゃんチャコちゃんがどうのこうのと楽しそうに話題にしていた。普通のシリアスな俳優だと思っていた愛川欽也がキンキンのキャラクターで登場していた。ただ,深夜放送を話題にしている生徒はあまりいないし,自分もそこまで熱心なリスナーではなかった。

当時の「オールナイトニッポン」は,糸居五郎から斉藤安弘亀渕昭信の時代だった。ESSの部長の倉橋克人君が話題にしていたが,そちらの方は聴いていなかったので適当にスルーしていた。オールナイトニッポンは,大学生になってから,タモリ,所ジョージや松山千春,中島みゆきの頃に聞くことになる。近田春夫もおもしろかったが,それはパックインミュージックだったのか。いつごろどこで耳にしていたのかよくわからない。

その後もっともハマったのは関西ローカルの「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」で,1979年から1980年ごろによく聞いていた。信貴山や新世界のイベントがあったころだ。ヤンタンを聞いた時代と重なっている。そういえば新野新(1935-)はもう90歳か。



図:DALL-E3が考えた日本の深夜放送のイメージ


2025年3月10日月曜日

巨泉と前武(ヤングの時代)

リクエストコーナーからの続き

当時の日曜日のラジオの洋楽ポップス番組といえば,午前中の「巨泉のヤング作戦」があった。1968年5月,大橋巨泉(1934-2016)と浅野順子(1948-)の司会にスイッチしたころから聞き始めている。「牛も知ってるカウシルズ,うっしっし」などのダジャレギャグで曲名が紹介されていた。

浅野順子(寿々子)はりぼんの表紙を飾り,子役として映画にも出演している。最後に出演した映画は鈴木清順(1923-2017)のけんかえれじい(1966)だ。1969年8月に大橋巨泉と浅野順子が結婚したのにはあっと驚いた。その後も二人の司会で番組は続いていたのだろうか。

巨泉といえば,土曜午後のテレビのビートポップスも何度かみた記憶がある。ゾンビーズのふたりのシーズンが流行っていた頃だ。毎週釘付けになってもよさそうな番組だったけれど,そこまで熱心に見続けた記憶がない。テレビを見る時間帯ではなかったか。


必ずしも洋楽ポップスの番組ではないが,深夜放送への扉を開いたのが毎夜10時から20分の「ヤング・ヤング・ヤング」だ。東芝の提供で,パーソナリティは前田武彦(1929-2011)。自分が聞き始めたときはおとなしい榊原るみ(1951-)がアシスタントだった。穏健なマエタケの説教がちょっと気になることもあるマンスプレイニング的な番組だった。万里村れい&ザ・タイムセラーズの「今日も夢みる」は準テーマソングなのかな?

一時は毎日のように聞いていたはずだ。

1969年10月,井原高忠(1929-2014)のプロデュースで大橋巨泉と前田武彦の二人が進行を務めた「巨泉・前武ゲバゲバ90分」が始まった。構成作家として井上ひさし(1934-2010)が入り,100本以上のナンセンスなショートギャグの連続からなるアッと驚く為五郎な番組だった。翌年3月までの半年に1970年から第2期の半年が続いた。

このクオリティの番組はいまではもう制作できないだろう。


写真:ゲバゲバ90分のイメージ(みんカラから引用)


それはそうと,このころの番組にはやたらヤングというキーワードが含まれている。例えば,ヤング720(1966-),ABCヤングリクエスト(1966-),MBSヤングタウン(1967-),セイ!ヤング(1969-),ヤングおー!おー!(1969-),アタックヤング(1970-),ステージ101*(1971-),レッツゴーヤング(1974-),OBCヤングラジオ(1981-),ヤングスタジオ101(1986-)なんということでしょう・・・(* レギュラー出演グループ名が ヤング101 )。

P. S. 上のリストでは,ヤンタンくらいしか聴いていない。調べてみるとそれは
   1978/04 - 1979/03 笑福亭鶴瓶、浅川美智子、中村行延
   1978/04 - 1980/09 原田伸郎、大津びわ子笑福亭笑光、伊東正治
   1978/04 - 1979/09 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵
の時代(D1の頃)だった。

[2]昨日のつづき(1959-1971)・春夏秋冬(1956-1982)
[3]前田武彦 小沢昭一 大橋巨泉  2010/05/23(ボクらの時代,ChamekoETC)(2011, 2012, 2016)
[4]永六輔 大橋巨泉 藤田潔 2011/10/23-30(ボクらの時代,ChamekoETC)(2016, 2016, 2021)
[5]ビートポップス 1970.1.31(tonehender)

2025年3月9日日曜日

リクエスト・コーナー

オールジャパン・ポップ20 からの続き

オールジャパンポップ20は,短い時間で沢山の曲を紹介する必要があるので,エアチェックには向いていない。最も助けになったのがNHKのリクエストコーナーだ。1968年,FMに移行する前のAM日曜午後3:00バージョンの頃も聴いていたかもしれない。
 同じ1965年4月に『リクエストコーナー』が、第2放送の午後3時からの1時間番組で始まる。ポピュラー音楽のリクエストにこたえる若者向けディスクジョッキー番組である。季節やその時々の話題にちなんだ特集も随時企画した。1969年(3月1日)のFM 本放送スタートにともなってFMに移行し、日曜午後6時からの1時間番組となる。1981年度より生放送となり、最新音楽情報とともに、全米ヒットパレードに加えて全英ヒットパレードも特集で紹介した。司会は番組スタート時より最終回の1985年3月30日までの20年間、石田豊アナウンサーがつとめた。(NHKラジオ放送史 第5章 から引用)

 


写真:ビリー・ヴォーン楽団の真珠貝の歌(Funky Moose Records から引用)


ネットで検索すると,ビリー・ヴォーン楽団の真珠貝の歌ではじまるNHK-FM リクエスト・コーナーの思い出が沢山見つかる。石田豊アナウンサーの落ち着いた声と,音楽を最後までフルコーラスでかけてくれるところが有り難かった。午後6:00からだと,夕飯とぶつかりそうなものなのだが,どうしていたのだろうか。

他にもエアチェック向けの番組はいくつかあった。日曜には前回登場した出雲崎君がよびに来て,トランジスタラジオをのせた自転車で音楽を聴きながら一緒に近所をうろついていたこともある。これではエアチェックにならない。

あるとき,出雲崎君がウォーカー・ブラザーズの金沢のファン倶楽部の集まりを見つけてきた。土曜の午後,長土塀にあるビクターの営業所に向かった。そこは,怪しいビルの2階で,怖そうな女子高生以上のお姉様方が集まっている。県立工業の制服の方も見受けられる。男性は中学生男子の我々2名だけでビビった。ファン倶楽部代表の女性の進行で,スコット・ウォーカーのレコード(行かないで)などを淡々と聴くのだ。途中でウォーカーブラザースに関するクイズが出題されたりする。出雲崎君がそれに答え(ファンだと実証でき)て無事に帰宅した。


[1]15 お休み前の人気番組『夢のハーモニー』(NHKラジオ放送史5章)
[2]NHK-FM「リクエスト・コーナー」の思い出(やせっぽちのヒロシのブログ)
[3]FMリクエストコーナー(300 rzu)

2025年3月8日土曜日

オールジャパン・ポップ20

中原中也と金沢からの続き

みのもんた(1944-2025)の訃報がニュースになっていた。

しばらく前は最も人気のあるMCの一人だったが,自分の記憶にあるみのもんたはラジオの洋楽番組オールジャパンポップ20の司会だ。「♪みのみの〜,もんた,みのもんた」という軽いジングルを出雲崎君と笑いながら話題にしていた。

洋楽ポップスを聴き始めたのは中2のころだ。2年5組で同級の小林博人君がビートルズが面白いと教えてくれたのは以前書いたとおりだ。3年6組になって,ウォーカー・ブラザーズのファンだった出雲崎栄一君やビージーズが好きだという山田雄治君が,ポータブルのレコードプレーヤを持ち寄って,なけなしの小遣いで買ったレコードに耳を傾けていた。

ところで,みのもんたがオールジャパンポップ20の司会を始めたのが1969年の春頃らしい。とするとこれは高校1年になってからだ。出雲崎君も山田君も家はすぐ近所だったから,高校になってからもときどき会っていたのだろう。

みのもんた登場前の1968年,中3のころからオールジャパンポップ20をかかさずに聞くようになり,毎週のベスト20と投票数をこまめにノートに記録していた。1969年,高校1年になってトランジスタラジオとテープレコーダによるエアチェック体制が整ったころがピークだったかもしれない。このころのベスト20はほとんど曲名とメロディが対応する。1970年から71年になると,自分の中のブームはやがて下火になっていった。

野田中3年の修学旅行は東京見物だった。春の夜,新宿コマ劇場でおてもやんを観劇して,花の香りが排気ガスの匂いで上書きされる繁華街の歩道に出たところで,当時の洋楽ベスト10が掲示された立て看板を見つけた。なんだかなつかしくてワクワクした。
1968年4月2週頃のオールジャパンポップ20 
 1.ジャッキー,スコットウォーカー
 2.マサチューセッツ,ザ・ビージーズ
 3.マジカル・ミステリー・ツアー,ビートルズ
 4.初恋の並木道,ナンシー・シナトラとディーン・マーチン
 5.ウーマン・ウーマン,ザ・ユニオン・ギャップ
 6.ワールド,ザ・ビージーズ
 7.雨に消えた初恋,ザ・カウシルズ
 8.ノー・ノー・ノー,ザ・ヒューマン・ベインズ
 9.すてきなバレリ,モンキーズ
 10.星のベイビー,ザ・ファウンデーション(この曲は覚えていない)
1968年5月2週頃のオールジャパンポップ20(看板の内容は↓?) 
 1.すてきなバレリ,モンキーズ
 2.ワールド,ザ・ビージーズ
 3.レディマドンナ,ビートルズ
 4.マジカル・ミステリー・ツアー,ビートルズ
 5.ジャッキー,スコットウォーカー
 6.あの娘は今夜…,ボイス・アンド・ハート(この曲は覚えていない)
 7.ささやく瞳,ウィルマ・ゴイク
 8.ホールド・オン,ウォーカー・ブラザーズ
 9.初恋の並木道,ナンシー・シナトラとディーン・マーチン
 10.ノー・ノー・ノー,ザ・ヒューマン・ベインズ

 


図:Imagen3 はこんなものを出してきたが・・・orz

P. S. おてもやんは宝塚歌劇団の作品である。1968年の新宿コマ劇場は雪組が1968年5月3日から28日まで公演しているので,修学旅行はその期間だったことがわかる。

[1]オールジャパンポップ20(MURAKAMI Chifumi)


2025年3月7日金曜日

杉浦義勝(2)

杉浦義勝(1)からの続き

写真1をみると,あの仁科がなんだか遠慮がちにみえる。そして,真面目そうなたたずまいの杉浦が隣に。写真2では,ディラックやハイゼンベルクと面識がある仁科と杉浦が両端に,その間には,理研の所長の大河内正敏長岡半太郎本多光太郎が並んでいる。



写真1:仁科の隣が杉浦なのでは?(ぶどう狩り[1]から引用)



写真2:1929年 理研に招聘されたハイゼンベルクディラック
左端が仁科で,右端の杉浦と対称的に並んでいる(理研から引用)


1960年9月にオッペンハイマーが来日したとき,亡き日下周一の家族を訪ねたことは以前のべた。このときオッペンハイマーは病で伏しがちだった杉浦義勝の自宅も訪問している。オッペンハイマーの研究業績では,ボルン=オッペンハイマー近似で最も知られているが,杉浦の業績は,その近似の元での水素分子の共有結合を正確に計算したことが最も重要である(ハイトラー=ロンドンは近似計算をしていた)。

[1]仁科芳雄と日本の量子物理学(伊藤憲二)


さて,仁科と杉浦の違いについても,さきほどの Deep Researchの続きで尋ねている。
Q(koshix):
杉浦義勝の業績や影響が,仁科芳雄に比べてあまり広く伝えられてこなかった主な理由をいくつか教えてください

A(ChatGPT Deep Research):
杉浦義勝の業績や影響が仁科芳雄に比べてあまり広く伝えられてこなかった主な理由として、以下のような要因が挙げられます。

1.研究拠点とポジションの違い

仁科芳雄は理化学研究所(理研)における中心的存在だったのに対し、杉浦義勝は教育・理論研究に重点を置いた。

・仁科は理研の主任研究員として強力な研究グループを率い、日本の量子物理学の発展に直接貢献した。特に、仁科研究室は戦前から戦後にかけての原子核物理・宇宙線研究の中心となり、多くの弟子を輩出した。
・一方、杉浦は理研に所属していたが、独立した研究室を持たず、戦後は立教大学に移り教育活動にシフトした。
・仁科が組織的な研究環境を整えたのに対し、杉浦は講義や解説を通じて間接的に影響を与える立場であったため、直接の研究成果として可視化されにくかった。

2.戦後の研究成果の違い

仁科は戦後も日本の物理学を牽引し続けたが、杉浦は戦後は研究よりも教育・啓蒙に重点を置いた。

・仁科は戦後、日本の科学政策に関わり、理研の復興に努め、原子核物理や宇宙線研究の分野で影響力を維持した。
・杉浦は戦後、立教大学で理論物理学の教育を重視し、研究よりも教育カリキュラムの整備に力を注いだ。
・そのため、仁科は「研究者のリーダー」として記憶されやすかったが、杉浦は「教育者」としての側面が強調され、学術界での影響力が低く見られがちだった。

3.「実験物理」と「理論物理」の違い

実験物理学は研究成果が可視化されやすいが、理論物理学は影響が間接的である。

・仁科の研究は宇宙線や原子核の実験など、実験的成果が明確であり、写真やデータとして残るため、研究史の中で扱いやすかった。
・一方、杉浦は水素分子の量子論計算など理論研究が中心であり、その影響が間接的だったため、物理学史の中で注目されにくかった。
・また、杉浦は理論物理の教育において大きな貢献をしたが、物理学の歴史を書く際、教育活動は研究成果に比べて扱われにくいため、相対的に評価が低くなった。

4.国内外でのネットワークの差

仁科は国際的なネットワークが強く、戦後も海外との交流が盛んだったが、杉浦のネットワークはやや限定的だった。

・仁科はボーア研究所に所属し、ボーアやハイゼンベルクといった量子力学の中心人物と直接交流し、戦後も国際学術界とのつながりを維持した。
・一方、杉浦も留学経験はあったが、研究拠点が国内にとどまり、戦後は国際的な活動が控えめだった。
・物理学の歴史は、国際的なネットワークの中で語られることが多いため、海外の研究者との共同研究や国際的な学会での発表が少なかった杉浦は、歴史的に目立ちにくくなった。

5.伝記や研究史における記録の少なさ

杉浦に関する伝記や研究史の記録が少なく、研究者の間で語り継がれる機会が少なかった。

・仁科は戦後、多くの弟子を育て、その弟子たちが彼の業績を振り返る機会を多く持った。そのため、日本の物理学史において重要な人物として語り継がれた。
・一方、杉浦に関するまとまった伝記や回顧録がほとんど存在しないため、彼の業績が十分に研究される機会が少なかった。
・近年になって物理学史の観点から杉浦の再評価が進んでいるものの、依然として一般には認知されにくい状況が続いている。

6.戦前・戦後の政治的影響

戦後、日本の物理学界が米国主導の原子核・素粒子研究にシフトしたことで、杉浦の研究分野(量子化学・理論物理学)はやや影響力を失った。

・仁科の研究分野(原子核物理・宇宙線研究)は、戦後の核兵器開発や素粒子研究の文脈と重なり、国際的にも注目された。
・一方、杉浦の研究していた量子化学や光学理論は、戦後の研究資金が回りにくく、日本の物理学界での関心も低下した。
・その結果、物理学の主流からやや外れた分野となり、歴史的評価の対象になりにくかった。

まとめ

杉浦義勝の業績が仁科芳雄に比べてあまり広く伝えられてこなかった理由は、以下のように整理できます:

(1) 研究拠点とポジションの違い:仁科は理研のリーダーだったが、杉浦は大学教育中心だった。
(2) 戦後の研究成果の違い:仁科は戦後も日本の物理学を主導したが、杉浦は教育に注力した。
(3) 「実験物理」と「理論物理」の違い:仁科の実験物理は目に見える成果があったが、杉浦の理論研究は間接的な影響が多かった。
(4) 国内外でのネットワークの差:仁科は国際的なネットワークが強かったが、杉浦は国内活動が中心だった。
(5) 伝記や研究史における記録の少なさ:杉浦に関するまとまった伝記が少なく、研究史での扱いが小さかった。
(6) 戦前・戦後の政治的影響:戦後の物理学の方向性と杉浦の研究分野が合わなかった。

近年、物理学史研究の中で杉浦の再評価が進んでおり、彼が量子力学の日本への導入において重要な役割を果たしたことが見直されつつある。今後、さらなる歴史研究が進めば、彼の業績がより正当に評価される可能性が高いでしょう。

2025年3月6日木曜日

杉浦義勝(1)

量子力学100年はハイゼンベルクの論文から始まった。何月に出版されたのかもう一度確認しようと探していたら,杉浦義勝(1895-1960)に行き着いた。Wikipediaには「物理学者の仁科芳雄(1890-1951)と並び「日本の現代物理学の父」といわれる。」と日本経済新聞の中根美知代さんの記事を引用して記されていたが,自分にはもうひとつその認識が足りなかった。

こんなときには,ChatGPTのDeep Researchに頼むに限る。これまでは,Proユーザだけだったのがいつの間にかPlusユーザ向けに月10回まで開放されていた。ようやく試してみることができる。


写真:ゲッチンゲンで下宿を共にしたディラック,杉浦,オッペンハイマー


[1]量子力学の日本への移入と杉浦義勝(中根美知代,2018,日本物理学会誌)
[2]もう一人の「日本の物理学の父」(中根美知代,2021,日本経済新聞)

さて,そのDeep Researchの結果である。
Q(koshix):
日本の物理学者で量子力学の黎明期から日本への移入に尽力した杉浦義勝(1895-1960)について,できるだけ詳しくその来歴や業績などを年代を追ってまとめてください。同世代の仁科芳雄に比べてインターネット上に公開されていて手に入る情報量が少なくて探し切れずに困っています。

A(ChatGPT Deep Research):
杉浦義勝(1895-1960)について、彼の来歴や業績を年代順に詳しくまとめるために、信頼できる情報源を徹底的に調査します。

以下の点を確認させてください:
・彼に関する特に重点を置きたい分野(例:量子力学の導入過程、日本の物理学教育への貢献、研究業績など)
・既にお探しになったが見つからなかった情報(例:特定の論文、大学での具体的な役職、弟子や共同研究者など)
・参考にしたい具体的な書籍や文献(もしあれば)

これらの点を補足いただければ、より詳細で正確な情報を提供できるよう努めます。

Q(koshix):
量子力学の導入過程や研究業績を中心に彼全体像がわかるようにお願いします。弟子や共同研究者などその波及効果についても知りたいです。

A(ChatGPT 4o research):
7分かけて22件の情報源を調査

**杉浦義勝(1895–1960)は、日本における量子力学導入の草分け的存在です。**
東京帝国大学理学部を卒業後、長岡半太郎の下で理化学研究所に入り、1926年から欧州に留学しました​。ゲッティンゲン大学ではマックス・ボルンに学び、コペンハーゲンではニールス・ボーアの薫陶を受けています​。1927年に帰国した杉浦は、日本人として黎明期の量子力学を応用した優れた成果を挙げ、日本への量子力学の移入に大きな役割を果たしました​。その功績により、従来「仁科芳雄が日本に量子力学を伝えた」とされてきた通説に再考を促し、仁科と並んで日本の量子物理学発展に寄与した人物として再評価されています​。以下では、量子力学の受容過程、研究業績、弟子・共同研究者、そして学術界・教育界への影響の観点から、杉浦の来歴と業績を詳述します。

1.量子力学の導入過程における杉浦の役割

欧州留学と最新理論の紹介:杉浦は1926年から約1年間の欧州留学で、当時構築されつつあった量子力学を直接習得しました​。ゲッティンゲンではボルン、コペンハーゲンではボーアの元で研鑽を積み、P.A.M.ディラックやJ.R.オッペンハイマーとも親交を結んでいます(1927年夏、ゲッティンゲンでディラックとオッペンハイマーと撮影された写真が残っています​)。仁科芳雄ともコペンハーゲンで行動を共にし、欧州で最新理論を学ぶ仲間でした​。こうした留学経験を通じて、杉浦は量子力学の知見を日本に持ち帰る準備を整えました。

帰国後の講義と普及活動:帰国した1927年以降、杉浦は精力的に新理論の紹介と教育に取り組みます。例えば1928年2月には「新量子力学と其の応用」と題する集中講義を行い、シュレーディンガーやド・ブロイの波動力学と古典光学(ハミルトン‐ヤコビ理論)を関連づけて解説しました​。これは日本で初めて体系的に量子力学を紹介した講義の一つであり、ボルンによる光学再解釈など当時最先端の業績も含めて紹介されています​。杉浦の講義は学生や若手研究者に強い刺激を与え、朝永振一郎(のちのノーベル物理学賞受賞者)も東京帝大在学中に杉浦の量子力学講義を熱心に聴講した一人でした​。杉浦は才能ある学生に課題を与えて指導し、朝永には自身が携わっていた水素分子の量子論計算に関する問題を与えています​。このように杉浦は講義や演習を通じて、当時の日本の若手物理学者に量子論の考え方を浸透させていきました。

翻訳・著作活動:杉浦は新知見を日本語で提供することにも尽力しました。留学中から執筆した論文だけでなく、帰国後は講義録や専門書の形で知識を普及させています。たとえば1930年頃には私家版の講義録『量子力学の応用』をまとめており​、1936年から1940年にかけて『電磁光学』『量子光学』​などの著書を刊行して量子論の各分野を解説しています。1939年には共立社の「量子物理学」叢書の一巻として『原子核物理学(実験)』を著し、当時発展しつつあった核物理学の知見も紹介しました。これらの著作や翻訳相当の解説書によって、杉浦は日本語で読める最新の物理学情報を提供し、日本の物理教育カリキュラムに量子力学を定着させることに貢献しました。

仁科芳雄との比較:日本への量子力学導入において、仁科芳雄と杉浦義勝はいわば車の両輪でした。仁科は主に欧州での研究活動(ボーアの下での原子物理研究)や帰国後の理研での実験的基盤整備によって量子物理学を押し進めました。一方、杉浦は理研の研究員として理論的成果を上げつつ、大学や専門書を通じた教育・啓蒙活動で量子力学を広めています​。歴史的には仁科の名が前面に出がちでしたが、近年の研究では「日本に量子力学を伝えたのは仁科と杉浦の両名である」と再評価されています​。実際、仁科が欧州から論文を取り寄せ読んでいるだけでは十分でなかったところを、杉浦が自ら欧州で学び直接講じたことが、日本の物理学界全体の理解を大きく深めたとされています​。両者の協力と相補的な活動により、日本の量子論研究の地盤が1920年代末から築かれていきました。

2.杉浦義勝の研究業績

水素分子の量子論的研究:杉浦の代表的業績は、水素分子における化学結合の量子論的解明です。1927年、欧州留学中にウォルター・ハイトラーとフリッツ・ロンドンが提唱した水素分子の結合理論(ハイトラー=ロンドン法)を発展させ、結合エネルギー計算のための複雑な積分を初めて解きました​。ハイトラー=ロンドン法では定性的に水素分子の結合が説明できましたが、杉浦の計算により結合エネルギーや平衡核間距離が定量的に求められ、実験値との比較が可能となったのです​。この成果は当時の日本人研究者による量子力学応用として画期的であり、後にヘンリー・アイリングは「水素分子結合解明に最初に成功したのは杉浦義勝である」と述べ、**ハイトラー=ロンドン=杉浦法(HLS法)**と呼び得ると評しています​。杉浦の論文「水素分子基底状態の性質について」(独語)は1927年の『Zeitschrift fur Physik』に掲載され、国際的にも引用されました​。この業績により、量子化学(特に原子価結合論)の分野で杉浦は名を残すことになりました​。

原子スペクトル・解析力学の研究:杉浦は量子力学以前から原子分光学の研究に従事しており、長岡半太郎の下で原子スペクトルの理論に取り組んでいました​。量子力学の形成期にも一貫してスペクトル研究を続け、新理論をいきなり受け入れるのではなく古典論との連続性を意識していたことが指摘されています​。例えば古典解析力学のハミルトン–ヤコビ理論を用いて量子論の問題にアプローチし、分光学への応用を模索しました​。こうした視点から、マックス・ボルンが提唱した「量子力学から見直した光学理論」の体系的紹介も行っています​。杉浦の業績は今日では物理学と量子化学の両分野にまたがり、従来の物理学史研究では見落とされがちでしたが、実は物理学(量子論)と化学(量子化学)の架け橋となる重要な研究を成し遂げていたと評価されています​。

その他の研究と国際交流:杉浦はその後も理化学研究所で理論物理の研究を続け、1930年代には電子論や光学分野でも著述を残しました​。1936年刊行の『電磁光学』および1940年刊行の『量子光学』では、自身の研究と最新の知見を踏まえ電磁気学から量子光学への展開を論じており、戦前期における量子論の体系化に寄与しています​。国際的な繋がりも深く、留学時代に親交を結んだオッペンハイマーとは帰国後も交流が続き、1935年に理研の同僚が米国バークレーのオッペンハイマーを訪ねる際には杉浦の紹介状が大いに役立った逸話が残っています​。欧米の研究者(ボルン、ボーア、ディラック、オッペンハイマーら)とのネットワークは、杉浦自身の研究活動のみならず日本への最新知識の導入にも貢献し、彼の国際感覚は日本の物理学の視野を広げました。

3.弟子・共同研究者とその継承

門下生と後進の育成:杉浦は教育者・指導者としても卓越しており、多くの若手を指導しました。直接の門下生として名が挙がる人物は多くありませんが、彼の講義を受けた学生たちが後に日本の物理学を担っています。前述の朝永振一郎はその代表例で、杉浦から与えられた課題(分子の積分計算)に取り組んだ経験が、後の量子電気力学研究の素地になったとも言えます​。また京都帝大で同期だった湯川秀樹も杉浦の講義に刺激を受けた一人であり(湯川自身、大学院時代に量子力学の勉強会を主宰しましたが、その背景には杉浦ら先達の教えがあります)、湯川の中間子論もこうした量子論普及の延長線上に位置付けられると指摘する声もあります​。戦前戦後を通じて、杉浦の薫陶を受けた学生・研究者たちが日本の理論物理学を支えていったのです。

共同研究と交流:杉浦自身の研究は理論が中心でしたが、理研では仁科芳雄や小谷正雄ら同僚とも緊密に交流し、理研内における理論物理研究グループの一翼を担いました。たとえば小谷正雄(のち東大教授)は1930年代に分子の量子論的研究を推進しましたが、その着想は杉浦の業績に負うところが大きいとされます​。実際、小谷研究室は戦前から原子・分子の積分計算に着手し、戦後もその研究を継続して世界的に著名な「分子積分表」(1955年)を刊行しています​。この小谷正雄は杉浦の直接の弟子ではありませんが、杉浦が切り拓いた量子化学の道を発展させた後進と言えます。さらに戦後、杉浦は自身が所長を務める立教大学理論物理学研究所に武谷三男を招き入れました​。武谷は湯川博士の弟子筋にあたる理論家ですが、杉浦の下で素粒子理論の研究をリードし、立教の若い学生たちを指導しています​。このように杉浦は自らの弟子のみならず、他機関の有望な研究者とも協働し、研究環境を提供することで日本の物理学の継承と発展に貢献しました。

国際的な人的ネットワーク:杉浦の人的交流は国内に留まらず海外にも広がっていました。欧州で知り合った物理学者とは書簡を交わし続け、研究情報や人材紹介を行っています。前述のオッペンハイマーへの紹介状の件​はその一例で、他にもコペンハーゲン時代の縁でニールス・ボーア研究所と理研の間で情報交換がなされるなど、杉浦は非公式な「学術外交官」としても機能しました。こうしたネットワークは、杉浦の弟子や後輩たちが海外留学する際にも役立ち、日本人研究者の国際交流を後押しする遺産となりました。

4.学術界・教育界への影響

理研から大学へ:杉浦は戦前・戦中は理化学研究所の研究員として活躍し、日本学術振興会の委員や学術研究会議の会員も務めるなど、学術界の発展にも寄与しました​。戦後になると、彼は研究の場を大学へと移し、新制大学における理学教育の充実に力を注ぎます。1949年、杉浦は私立大学として日本初となる理学部(立教大学理学部)の創設に中心メンバーとして関与し、初代理学部長および物理学科教授に就任しました​。戦後混乱期において私学で理学部を設置するのは画期的であり、杉浦はカリキュラム編成から設備拡充、人材登用まで指導的役割を果たしました。当時、理学部創設にあたり「理論物理学研究所」も立ち上げ、研究と教育の両立を図った点は特筆されます​。ここでは素粒子理論の武谷三男を迎えるなど、戦前からの先端研究者を教育界に招き入れたことで、学生は最先端の研究に触れながら学ぶ機会を得ました​。

物理教育への貢献とカリキュラム改革:杉浦は自身の研究経験を踏まえ、教育面でもカリキュラム改革を推進しました。戦前から執筆していた教科書・専門書類は、戦後も物理教育に活用されました。彼の著書群(光学、電子物理学、原子核物理学など)は、日本の大学で量子論や現代物理学を教える貴重な教材となり​、戦後世代の物理学者・技術者の育成に寄与しました。また理学部長として、講義科目に量子力学や相対論といった当時最新の内容を組み込み、旧来の教育からの脱却を図っています。これは、古典物理学中心だった日本の大学教育に革新をもたらし、湯川秀樹や朝永振一郎ら戦前世代が成し遂げた成果を、次世代に体系的に伝える重要な役割を果たしました。

戦後日本の科学への貢献:杉浦の戦後の活動は、日本の科学界再建にもつながりました。戦中・戦後に物理学研究が停滞する中、私立大学で理論研究の火を絶やさなかったこと、さらには学術団体での活動(学術会議や学振)を通じて研究費や方針の整備に関与したことは、日本の科学復興に寄与しています​。例えば、立教大学で育った学生や研究者が後に他大学や産業界で物理・化学分野を発展させたり、杉浦自身が培った量子化学的手法が化学や材料科学で活かされたりと、その影響は幅広い分野に及びました。加えて、戦前に築いた国際的人脈を活かして海外からの知見導入にも努め、戦後孤立しがちだった日本の科学界に国際的視野をもたらしました。こうした功績から、近年では杉浦を「もう一人の日本近代物理学の父」と位置づける評価もなされています​。仁科芳雄が研究体制の構築者だとすれば、杉浦義勝は知の伝道者・育成者として、日本の物理学基盤を支えたと言えるでしょう。

参考文献:杉浦義勝の業績に関する詳しい検討として、中根美知代「量子力学の日本への移入と杉浦義勝」​、​Nakane, Michiyo “Yoshikatsu Sugiura’s Contribution to the Development of Quantum Physics in Japan”​ PUBMED.NCBI.NLM.NIH.GOV、などがあります。これらは仁科・杉浦両氏の役割を再評価した研究で、本回答でも一部内容を参照しました。そのほか、杉浦自身の論文​、彼の書簡や同時代人の回想​、立教大学理学部創設に関する記録​などを総合することで、上述のような杉浦義勝の全貌が明らかになります。今後も日本の科学史の中で、杉浦の果たした役割に一層光が当たることが期待されます。

[1] 日本数学会100周年記念日本物理学会会長宮原将平

2025年3月5日水曜日

Claude 3.7 Sonnet

対数正規分布からの続き

AnthropicClaude 3.5 Sonnet は,他の生成AIチャットに比べて表現力は優れているの。ただ,ChatGPT や Gemini が推論モデルの方に進んできたので,ちょっと遠ざかりぎみだった。

Claudeに課金はしていないがユーザ登録しているので,Anthropic TeamからClaude 3.7 Sonnet のお知らせがきた。
Claude 3.7 Sonnetは初のハイブリッド推論モデルであり、これまでで最もインテリジェントなモデルです。コーディングの最先端であり、コンテンツ生成、データ分析、プランニングの大幅な改善を実現しています。
Proプランにアップグレードすると、クロード3.7ソネットを拡張思考で使用できるようになります。拡張思考は、数学、物理学、複雑なコーディングの課題のパフォーマンスを向上させます。
ネットの評判は上々で,ChatGPT Pro から乗り換えるという話もちらほら。無料ユーザーなので拡張思考は使えないが,取りあえず試してみることにする。テーマは,野村総研が出している日本の金融資産分布の分析だ。

Q(koshix):
日本の金融資産の保有額で分類した階層別分布が以下のように与えられます。
(1) マス層:0~3,000万円, 4425万世帯, 711兆円
(2) アッパーマス層:3,000万円~5,000万円, 577万世帯, 282兆円
(3) 準富裕層:5,000万円~1億円, 404万世帯, 333兆円
(4) 富裕層:1億円~5億円, 154万世帯, 334兆円
(5) 超富裕層:5億円以上, 11.8万世帯, 135兆円
これをおおむね再現する連続な確率密度分布関数を数値的に求めてください。

A(ChatGPT o3-mini-high):
(66秒推論後,いちばんもっともらしいけれどやっぱり誤っている回答,とくに指定せずに対数正規分布(μ=7.055, σ=1.147)とパレート分布(α=2.547)の混合モデルが選択された。)

A(Gemini 2.0 Flash Thinking Experimental):
(対数正規分布 μ=7.16, σ=1.05 が提案された。)

A(DeepSeek R1 from Perplexity Pro):
KDE関数を用いたpythonコードが提案された。グラフも出てきたがちょっと違う。)

A(Claude 3.7 Sonnet):
(思考時間が短くスイスイと結果のpythonプログラムを掃き出してくる。最初は,対数正規分布だけだったので,パレート分布との混合モデルを依頼するとなんとか対応できた。GPT o3-mini にはかなわない。というのも精度が甘かったのである)



図:Claude 3.7 Sonnet が導いた確率密度分布関数のコードから

推論モデルを使う場合,プロンプトとしてこちらであらかじめ考えた条件を詳しく入れるとかえって話がややこしくなってうまくいかないことが多かった。むしろざっくりと任せてしまったほうがいいのかもしれない。まだ発展途上。コードについては自分のレベルに比べて十分に複雑なものに対応できるし,エラー情報にも正しく対応してくれる。

P. S. 一週間後の3月5日,Claude3.7 も Claude3.5 Sonnet もすべて有料($20)のPROモードに移行してしまった。無料で使えるのは Claude 3.5 Haiku だけだ。そうか,そうくるか。

2025年3月4日火曜日

整数のべき乗の下二桁

オイラーの定理・Grok からの続き

問題がわかったようなわからないような場合は,プログラムに落とし込んでもらうほうがありがたい。

Q(koshix):
f(n,m)=mod(n^m,100) と定義します。(n=2,3,...,m=2,3,...)
この関数は最小の出発点をm_0(n)として,最小周期T(n)を持つことがわかっているとします。つまり,f(n,m_0+T(n))=f(n,m_0) です。このとき,m_0(n)とT(n)をnの式で表わすことができますか。できる範囲で構いませんけど。

A(ChatGPT o3-mini-high):
(57秒推論,たぶん正解,以下出力省略,m=2,3,...というのはこちらの入力ミスで,m=1,2,... でなければならないのだけれど,そのあたりは勝手に斟酌して話を進めてくれている。
出発点:m0(n) = ...
周期:T(n) = ...

Q(koshix):
n,mを入力したときに,m0(n)とT(n)を求めるプログラムを作ってください。

A(ChatGPT o3-mini-high):
(できた!)

Q(koshix):
(1) n=0を入れるまで繰り返して入力を促すようにしてください。
(2) 2^2=4, ... 2^22=...4 のように,周期に対応する部分の結果もあわせて出力するようにしてください。

A(ChatGPT o3-mini-high):
(できた!)

import math

def ord25(n):
    """
    n と 25 が互いに素な場合に、25 を法とする乗法群における n の位数を返す。
    すなわち、最小の正整数 k で n^k ≡ 1 (mod 25) となる k。
    可能性のある値は 1, 2, 4, 5, 10, 20(φ(25)=20より)です。
    """
    if n % 5 == 0:
        return None  # n が5の倍数の場合、この関数は使いません
    for k in [1, 2, 4, 5, 10, 20]:
        if pow(n, k, 25) == 1:
            return k
    return 20  # 理論上ここには来ないはず

def compute_m0_T(n):
    """
    与えられた n に対して、f(n, m) = n^m mod 100 の
    出発点 m0(n) と周期 T(n) を計算する関数です。
    
    ・モジュロ4について:
      - n ≡ 2 (mod 4) の場合は、m0,4 = 2(m>=2から定常)
      - それ以外は m0,4 = 1
    ・モジュロ25について:
      - 5で割れるが25で割れない場合は m0,25 = 2(m>=2から0になる)
      - それ以外(すなわち 5と互いに素または25で割れる場合)は m0,25 = 1
      
    最終的な出発点は m0(n)=max(m0,4, m0,25) として計算します。
    
    周期は、各合同式での周期の最小公倍数として
      T(n) = lcm(T4(n), T25(n))
    とし、モジュロ4では
      - 奇数かつ n ≡ 3 (mod 4) の場合は T4 = 2、それ以外は T4 = 1
    また、モジュロ25では
      - n と 25 が互いに素なら ord25(n) を、5で割れる場合は T25 = 1 とします。
    """
    # モジュロ4での出発点
    m0_4 = 2 if n % 4 == 2 else 1

    # モジュロ25での出発点
    m0_25 = 2 if (n % 5 == 0 and n % 25 != 0) else 1

    m0 = max(m0_4, m0_25)

    # モジュロ4での周期 T4:
    T4 = 2 if (n % 2 == 1 and n % 4 == 3) else 1

    # モジュロ25での周期 T25:
    if n % 5 == 0:
        T25 = 1
    else:
        T25 = ord25(n)

    T = (T4 * T25) // math.gcd(T4, T25)
    return m0, T

def main():
    while True:
        try:
            n = int(input("整数 n を入力してください (終了するには 0 を入力): "))
        except ValueError:
            print("整数を入力してください。")
            continue
        
        if n == 0:
            break
        
        m0, T = compute_m0_T(n)
        print(f"\nn = {n} のとき:")
        print(f"  出発点 m0({n}) = {m0}")
        print(f"  周期 T({n}) = {T}")
        print("周期に対応する部分の結果:")
        # m0 から m0+T まで(両端を含む)で f(n, m) = n^m mod 100 の値を出力
        for m in range(m0, m0 + T + 1):
            result = pow(n, m, 100)
            print(f"  {n}^{m} = {result}")
        print("-" * 40)
    
    print("終了しました。")

if __name__ == "__main__":
    main()

======================================================
(出力結果)

整数 n を入力してください (終了するには 0 を入力):  16

n = 16 のとき:
  出発点 m0(16) = 1
  周期 T(16) = 5
周期に対応する部分の結果:
  16^1 = 16
  16^2 = 56
  16^3 = 96
  16^4 = 36
  16^5 = 76
  16^6 = 16
----------------------------------------
整数 n を入力してください (終了するには 0 を入力): 

 

Q(koshix):
このプログラムを利用して,T(n)のn=1...100 までのリスト,m0(n)の1...100までのリストを出力してください。

A(ChatGPT 03-mini-high):
(125秒考察の後,コードとその実行結果のリストを出力してくれた。微妙に欠損していたので,もとのコードを自分で改変して修正出力した。)

図:T(n)とm0(n)のリストプロット(n=1...100)




2025年3月3日月曜日

Grok3

オイラーの定理からの続き

イーロン・マスクが支配しているX(旧Twitter)からはなるべく遠ざかりたい。日本語で自分がフォローしている空間はそこまで荒れていないし,情報量も多いので悩ましいところだ。そのマスクが2023年7月に立ち上げたAI開発企業が xAIだ。 

xAIのチャットボットであるGrokは,Xの有料ユーザ向けに提供されているものだと思って無視していたが,いつの間にか Grok3 ベータ版がXの無料ユーザにも公開されていた。テストを誘導するための一時的な措置だろう。というわけで,この推論モデルの実力を試してみる。



図:Grokのアイコン(どこかから引用)

Tsujimotter が提起していた,「2の200乗の下2桁はいくつか?」の解法7選 にちなんだ問いだ。
Q(koshix):
整数m,nに対して,mod(n^m,100) がm=0,1,…に対して,周期的に振る舞うことを証明し,その周期のはじまるmの値が n によってどのように定まるかを求めてください。

A(Grok3):
124行ほど考えて,微妙に誤りが含まれた生ぬるい回答を返してきた。論理的な推論というよりも,具体的な計算の試行錯誤のような印象を受ける)

A(DeepSeek R1):
371秒かけて中国語で考察した後,ある程度妥当だけれど不完全な回答を中国語で返してきた。日本語に直してとお願いしたら,「服务器繁忙,请稍后再试。」だと。)


A(Gemini 2.0 Flash Thinking Experimental):
253行ほど考えて,あまり整理されていない回答を返してきた。頭悪いのかと思ったが,最後の結論はもしかすると良いのかもしれない。自分自身の理解が不十分なのか?)

A(ChatGPT o3-mini-highl):
37秒かけて日本語で考察した後,もっともらしい整理された答えを返してきた。)

ということで,Grok3は巷の一部の評判ほどのものではないようだ。DeepSeek R1も相変わらずイマイチなので,とりあえず様子見ながら,o3-mini-highを中心に使うのがよろし。

2025年3月2日日曜日

オイラーの定理

フェルマーの小定理オイラーの関数からの続き

大人を過ぎてから初めて目にした概念はなかなか覚えられない。フェルマーの小定理がそれだ。鈴木貫太郎の大学入試数学チャンネルもなくなってしまったので,なおさらだ。

フェルマーの小定理は,素数をppとし,ppとたがいに素な整数を aa(gcd(a,pa,p)=1)として,ap11(mod p)ap11(mod p) 。あれれ,gcd(a,pa,p)=1 をはずせば,apa(mod p)apa(mod p))でもいいのか。

証明は次のとおり。
整数 a,xa,x,素数ppとする。二項定理で(x+1)p(x+1)pを展開すると,
(x+1)p=xp+Cp1xp111+Cp2xp212++Cpp1x11p1+1p(x+1)p=xp+Cp1xp111+Cp2xp212++Cpp1x11p1+1p
ところで,上式のCpkk=p!k!(pk)!Cpkk=p!k!(pk)!であり,分母のk<p, pk<p k<p, pk<p には分子の p  p を割り切る数は含まれていない。したがって,(x+1)pxp+1(mod p)(x+1)pxp+1(mod p) である。

これから,ap(1+(a1))p1+(a1)p(mod p)ap(1+(a1))p1+(a1)p(mod p)
ap1+(a1)p1+1+(a2)pa+0p(mod p)ap1+(a1)p1+1+(a2)pa+0p(mod p)
aappは互いに素なので,両辺をaaで割って,ap11(mod p)ap11(mod p)

オイラーの定理は,フェルマーの小定理のべきの素数部分を拡張したものに相当する。
正の整数mmに対して,集合 r(m)={a | 1am, gcd(a,m)=1} r(m)={a | 1am, gcd(a,m)=1} を考え,その要素数をオイラー数 φ(m)=#r(m)φ(m)=#r(m)  とよんでいる。そこで,r(m)={r1,r2,,rφ(m)}r(m)={r1,r2,,rφ(m)}。なお,ppに対して,φ(p)=p1φ(p)=p1

集合 r(m)r(m)のすべての要素にaaをかけて,mod mmod m をとれば,その集合 ar(m)={ar1,ar2,,arφ(m)}ar(m)={ar1,ar2,,arφ(m)}r(m)={r1,r2,,rφ(m)}r(m)={r1,r2,,rφ(m)}と等しくなる。そこで,これらの要素の積を考えると,aφ(m)Πφ(m)i=1riΠφ(m)i=1ri(mod m)aφ(m)Πφ(m)i=1riΠφ(m)i=1ri(mod m) なので,
オイラーの定理,aφ(m)1(mod m) aφ(m)1(mod m)  が得られる。

(注)なお,ar(m)={ar1,ar2,,arφ(m)}(mod m){r1,r2,,rφ(m)} の要素 ri はすべて,a,mと互いに素であり,同じものは含まれない。

(1) p,qを素数として,m=pq である場合,φ(m)=φ(p)φ(q) となる。
φ(m) は,{1,2,,m}から,pの倍数とqの倍数を除いたものになるので,それぞれ,q個,p個あるが,pqは両方で重なっている。そこで,p,qの倍数でないものの個数は,φ(m)=pqpq+1=(p1)(q1)=φ(p)φ(q) となる。3個以上の場合も同様。

(2) p を素数,kを正整数として,m=pk である場合,φ(m)=pkpk1  となる。これは,{1,2,,pk} の中で,{1p,2p,,pk1p}mと互いに素でないので,その個数を引けばよいからだ。

(3) これらを組み合わせると,m=pk11pk22pknn  として,φ(m)=m(11/p1)(11/p2)(11/pn) となる。


図:オイラーのファイ関数のグラフ(Wikipediaから引用)

[2]オイラーのファイ関数のイメージ(高校数学の物語)

2025年3月1日土曜日

終戦の詔勅

日本でラジオ放送が始まって100年,NHKでは放送100年として様々な資料映像を流している。そのなかに,名物アナウンサーの和田信堅(1912-1952)の映像があった。

和田は,双葉山69連勝でストップの放送でも有名だが,1945年8月15日正午からの玉音放送の担当であり,終戦の詔勅の朗読をしていた。あれは,裕仁天皇の玉音盤を流しただけかと思っていた。それだけではわかりにくかったからか,アナウンサーによる朗読や解説などで補っていたのだ。

1967年の夏,中学生の頃に家族でみた「日本のいちばん長い日」の映画ではじめて玉音放送を巡るエピソードを知ることになった。映画では日本放送協会の関係者も奮闘していたが,放送員(アナウンサー)として,加山雄三(1937-)が館野守男小泉博(1926-2015)が和田信堅を演じていた。東宝のゴジラ映画でもおなじみの小泉は元NHKアナウンサーだったのか。



写真:玉音盤の副盤(Wikipediaから引用)


P. S. 和田信賢の没後に生まれた娘が,1981年ごろに日曜美術館の司会をつとめた藤堂かほるである。NHKアーカイブの日曜美術館「私と黒田清輝 白洲正子」はこのブログですでに話題にしていたのに気づいていなかった。

[1]厳禁の広告放送(和田信賢)

2025年2月28日金曜日

幻想の未来からの続き

筒井康隆の1998年の長編小説「」が吉田大八監督によって映画化された。奈良では上映されていないので,京都か大阪かと迷ったが,大阪梅田スカイビルのテアトル梅田(旧シネ・リーブル梅田)に向かった(2/18のこと)。

昔は操車場の下を潜る長い地下道を通ってスカイビルまで行ったものだけれど,うめきた二期区域再開発のために,地下道はなくなってしまいグラングリーンと公園が整備中だ。


最初に買った筒井康隆は,ハヤカワSFシリーズ(銀背)の「東海道戦争」だったか。あるいは「ベトナム観光公社」とか「アルファルファ作戦」だ。その次が日本SFシリーズの「48億の妄想」と「馬の首風雲録」あたりか。その後,角川文庫の「幻想の未来」,「アフリカの爆弾」,「にぎやかな未来」と続いていった。「霊長類南へ」を含め,このころが最も楽しかった時代だ。

SFマガジンに連載されていた「脱走と追跡のサンバ」以降の1970年代の作品にはどうも乗り切れないと思っているうちに,1980年代の「虚人たち」や「虚構船団」へと飛躍していった。もうあまりSFを読まなくなった時代だ。

さて,小説は未読の映画の「敵」のテーマは老人だ。老人男性だ。自分にぴったりのテーマかな。意識がしだいに妄想に侵食されていく70代後半の爺さんだ。日常のリズムを保とうと努力しているが,それが次第に破綻してしまう年代だ。

全編モノクロだったので食事のシーンがもたれずに進んでいく。女性陣が瀧内公美+河合優美+黒沢あすかというすごい配役を揃えてきた。これに,松尾コンビ(松尾諭+松尾貴史)が加わって,主人公のフランスといえば長塚京三をささえていた。おもしろかったのだが,テアトル梅田のホール2の画面が狭かったので自宅のテレビでも十分だったかもしれない。



写真:映画「敵」のポスターから引用

2025年2月27日木曜日

自分史年表

NHKアーカイブスに自分史年表という企画が出現していた。たぶん,放送100年に絡めたものだ。自分の生年(1953など)と,ジャンル(ニュース,番組,大河ドラマ,連続テレビ小説,こども番組,スポーツ)を入れると,自分が何歳の年にどんなトピックがあったかの一覧が表示される。クリックすると短い映像が再生され,そのときどんなことがあったかがわかる。

ニュースを選ぶと,主に事故災害や皇室関係や国内政治などの話題が数編選択されてくる。1964年に東京オリンピックが,1972年に札幌オリンピックが出てこないのは権利関係からなのだろうか。NHKの関心がメインになっているので,必ずしも世界史的な重要事項が網羅されているわけではない。

そこで,Gemini 2.0 Flashに別の観点で尋ねてみた。
Q(koshix):
1950年から1975年までで,毎年1つだけ出来事を選んでください。
それは,日本史的あるいは世界史的に長い歴史の中で重要な意義を持つものとします。

A(Gemini 2.0 Flash):
(回答はのちほど)

Q(koshix):
文化,科学,技術の革新的な出来事の方が長期的な影響が大きい場合があるのではないでしょうか。その観点も含めて,再度,1950-1975年までの各年のトピック一つを選び直してください。それを考慮した上で先ほどと同じものになってもまったく構いません。

A(Gemini 2.0 Flash):
(上記2つ回答を上下に整理して,それらの説明を省いて項目だけ並べたもの)

1950年:朝鮮戦争勃発
    トランジスタラジオの登場
1951年:サンフランシスコ平和条約調印○
    ENIACの後継機UNIVAC Iの商用利用開始
1952年:日本の主権回復
1953年:スターリン死去
    DNAの二重らせん構造の発見
1954年:ビキニ環礁での水爆実験○
    世界初のカラーテレビ放送
1955年:バンドン会議(アジア・アフリカ会議)開催
1956年:日ソ共同宣言調印○
1957年:ソ連、スプートニク1号打ち上げ○
    同上
1958年:東京タワー完成○
    集積回路(IC)の発明
1959年:キューバ革命
    リチウムイオン電池の基礎研究開始
1960年:日本で安保闘争○
    レーザーの発明
1961年:ベルリンの壁建設
    ボストーク1号による世界初の有人宇宙飛行○
1962年:キューバ危機
    通信衛星テルスター1号打ち上げ
1963年:ケネディ大統領暗殺○
    ARPANETの始動1969年運用開始
1964年:東京オリンピック開催
1965年:日韓基本条約締結○
    FORTRANによるプログラムでのCADシステムの実用化
1966年:中国で文化大革命開始
    世界初の人工心臓の臨床応用
1967年:日本で公害対策基本法制定
1968年:プラハの春
    マウスの発明
1969年:アポロ11号月面着陸○
    同上
1970年:大阪万博開催○
1971年:ニクソン・ショック○
1972年:沖縄返還○
    CTスキャンの実用化
1973年:第四次中東戦争とオイルショック○
    遺伝子組み換え技術の確立
1974年:ウォーターゲート事件
1975年:ベトナム戦争終結○


図:自分史年表1953の例(NHKアーカイブスから引用)

どう考えても下段の方が重要ではないか。しかも現代文明の鍵となる重要な情報関連技術のほとんどが1950年から1975年の間に実現されている。ただし,生成AIのことだからハルシネーションが少し混在しているかもしれない。?のついた項目は事実確認ができなかった。上段の○つきの項目がNHKの自分史年表に採用されていたものになる。