クリスマスからの続き
まわりが真宗大谷派で囲まれつつも,キリスト教とはいろいろ縁がある。出身の若草幼稚園は日本基督教団の若草教会に併設されていて,卒園してからは教会の日曜学校にしばらく通っていた。
親戚にも,立教大学とか青山学院大学とか神戸女学院大学とか関係者多数ありだ。そもそも大学院の指導教官だった森田正人先生の葬儀も聖イグナチオ教会(?)だった。
さて,金沢泉丘高校に入学して,クラブに入るつもりはなくブラブラしていたのだが,1年8組理数科のアイウエオ順の座席が近かった倉橋克人君が,上出誠君と私を誘い込んで,とりあえず,E. S. S. の一日見学に行くことになった。その結果,なんだか様子がよくわからないままに,いつのまにか入部することになってしまった。同じクラスの山口雄三君も野々市中学校繋がりの高橋裕之君とともに参戦した。
テキストは,アメリカ口語教本の入門編であり,付録(?)の英語の発音練習テープがあって,それをダビングして自宅のSONYのテープレコーダーで聞いていた。そうはいっても,秋の文化祭の英語劇の練習が最も重要な活動なのだった。
藤場俊基君の消息を見た後に,E. S. S. の我々の学年の部長だった倉橋克人君はいずこかと調べてみた。たぶん,この日本基督教団の玉島教会(倉敷市)の牧師の倉橋克人師なのではないだろうか。そうか,うちのクラブからは宗教者が2名輩出されたということなのか。
倉橋君は,上智大学(カトリック系)に進んだはずだ。大学1年のときに米島君を訪ねて文京区の茗荷谷にあった石川県学生寮を訪れた。今と違って連絡手段が少なく,米島君とはすれ違いなってしまった。そこでたまたま居合わせた同寮の倉橋君の部屋に泊めてもらったことがある。一方,先ほどの玉島教会の資料には,同志社大学(プロテスタント系)出身の牧師が代々受け継いでいるとあった。
[1]同志社大学人文科学研究所嘱託研究員としての論文など
[2]統一協会で被害に遭われた方々と現在関わりのある方々へ(日本基督教団)
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