2018年12月25日火曜日

クリスマス

メリー・クリスマス。

浄土真宗の檀家であるにも拘わらず,子どもの頃に通っていた金沢の若草幼稚園が基督教系だったせいもあって,クリスマスとの親和度は高かったような気がする。この幼稚園では,クリスマスの時期にキリスト生誕の劇をすることになっていた。私の妹も2,3年後に同じ幼稚園で主役のマリアさまを演じている。友達のD嶋君などは輝ける東方の三博士の1人の役であった。動物の役だと馬や牛のお面を被るため,それはそれでカッコイイのであるが,自分はその他大勢の羊飼いの役なのだ。茶色い風呂敷を頭から巻くと,あっという間に中東の荒野を彷徨う羊飼いのできあがり。マリアさまや三博士とは違い,写真撮影時には最右翼端に位置することになる。

近所に住んでいた祖母がこの幼稚園の園長先生の友達だったので,もう少し良い役が回ってきてもよさそうなものなのであるが,当時の私は引っ込み思案予備軍の幼稚園登園拒否児だったので,そうは問屋が卸さなかった。母の作ってくれたお弁当の時間や,腹巻き付きのオープン寝袋(立方体の展開図的な薄い布団のこと)によるお昼寝の時間は楽しかった。が,弱虫だったこともあり,砂場での土木建築作業や室内における体力強化のための身体大積木建設バトルは相当苦手だった。そうかといって,お絵書きの時間でも,人間の顔を描くのに肌色の絵の具が無くて泣き出す始末。三博士のD嶋君は「黄色でも大丈夫だよ」とたいへん適切なアドバイスをしてくれたのだが,それはイヤなのね。

小学校に入って1,2年生の頃,近所の羊飼い友達のM崎君と幼稚園に隣接している日本基督教団若草教会の日曜学校に通った。日曜の朝10時から始まり,牧師さんのお話と賛美歌があるのだが,手に持たされた聖書のページを指定されてもどこを見れば良いのかさっぱりわかりません。毎週毎週分かったふりをしてページを捲り続けるという困惑の時間が続くのだった。このような経験は皆さん多かれ少なかれありそうなので(そうでないのかもしれませんが…),誰もがわからない子どもの気持ちに共感してもよさそうなものである。しかし,残念なことに人間は物事が少しわかり出すと,まわりのことが見えなくなる。自分の認識座標系を相対論化することは大変困難な課題である(これも宿題)。

P. S. 賛美歌も著作権でガチガチに絞められていて,なかなかつらいものがある。

「おほかたは星の子の役聖夜劇」(伊藤トキノ 1936-)


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