2018年12月15日土曜日

冷血(上):高村薫

東京までの往復の車内で,新潮文庫の高村薫の冷血(上)を読んだ。第1章の事件と第2章の警察の475ページ。下巻が第3章個々の生または死が440ページである。分速1ページくらいで読める(でしか読めない)。最近,仕事に向う電車の車内(片道1時間)で,ほとんど文庫本が読めなくなってしまった。2008年の8月11日(母親の誕生日)に(米国から1年遅れで)ソフトバンクが日本で初めて発売したiPhoneを購入して以来,徐々に本を読む時間が,iPhoneでの情報摂取時間で置き換えられてしまった結果である。その前に読んだ小説は,マーガレット・アトウッドの侍女の物語,これは時間をかけて味わうことができたSFだ。今年はこの2−3冊で終わるのか・・・

さて冷血である。事件までの経緯や二人が逮捕されるまでの経緯は,上巻でほぼ明らかになっているので,下巻がどうなるかだ。少し読み始めたが,まだ様子はわからない。パチスロやクルマや警察無線と捜査人員編成の具体的なディーテイルが描き込まれている。アマゾンの書評はあまり芳しくない。しかし自分には高村薫を読めるだけでありがたいことなので,先日大阪キタの堂島アバンザにあるジュンク堂本店で発見したときには迷わず購入した。ちょっと気になったのは,筑波大学附属中学1年生の高梨あゆみが数学オリンピックを目指すような少女なので,数学についての用語がいくつかでてくるところ。悪くはないとおもうのだけど,ちょっとだけ違和感を感じる。これだけ入念に調査した専門的な内容であっても,その道の専門家がみれば・・・ということはあるのだろう。

事件の幕が開くのが2002年の12月17日で ,東京の地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅が出てくるのだが,この本を読み始めたのが,12月15日で,この日はたまたま筑波大学附属高校で日本物理教育学会の第3回理事会があったため,茗荷谷駅近くのお洒落な喫茶店Galleria Caffé U_Uでこの小説を読むというシンクロニティ(非因果的連関)があった。自分にとっての代表的なシンクロニティは,庄司薫の「さよなら怪傑黒頭巾」を1970年の5月の連休に高校2年生の自分が読んでいたというシチュエーションである。完全に非因果的とは言えないかもしれないけれど。さて「冷血」といえばトルーマン・カポーティの冷血が連想されたのだけど,読んだことはない。実際の事件を非常に丁寧に取材した小説らしい。高村薫のほうは,世田谷一家殺人事件との関係が指摘されてもいたが,あまり関係ないのではないかと思った。はやく下巻を読みたい。

冷血(下):高村薫に続く)

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