冬至の定義をもう少し丁寧に調べようとすると,次のように自分があまり正確には分かっていない言葉(概念)の連鎖が得られた。冬至(冬至日)→冬至点(春分点・夏至点・秋分点)→黄経270度→黄道(天頂・天底・白道)→ 定記法(二十四節気・恒気法)。でもWikipediaの網を用いることで,ある程度までは適当な精度で理解することができるように思える。
Wikipediaに対しては,かなり有益,やや有益,中立,やや有害(あまり信用できない),かなり有害(まったく信用できない)という意見がある。利用する場面や対象によって,この価値判断スペクトルが虹色に変化する。教育や研究の場では「知識の安全性」を担保する必要があるので,否定的な考えのほうが多いかもしれない。
「理解の精度」という概念を導入して,知識の信頼性と有用性を場面ごとに尺度変換して考えることはできないだろうか。ある知識のまわりに連結するネットワークの密度が高ければ高いほど,相互信頼性が増して理解の精度が高くなるということを定量的に扱うことができないかということ。次の夏至までの宿題にしよう(夏への扉)。
「行く水のゆくにまかせて冬至かな」(田川鳳朗 1762-1845)
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