教行信証からの続き
藤場俊基君は,金沢泉丘高等学校の E. S. S. で1年後輩だったが,それに関連した話。
中学生になったとき,両親が部活動は英語部に入ったらどうかと強く勧めてきた。そもそも,小学校1-2年のときに,近所にいた父親の会社の人に英語を習いに行かされたことがある。これからの子どもには英語を学ばせる必要があるだという認識が親にあったのだろう。
それをかーるく無視して,小学校のときと同様に理科部に入った。当時の野田中の理科部は,主に化学の実験をすることが多かった。というのも,化学の担当のO先生が,まったくやる気がなくて,生徒の自由活動にまかせるという完全放任主義だったので,実験という名目のいたずら好きの悪ガキが集まってきたからだ。
部活動の時間というのか放課後は,理科準備室の鍵が空いている中を,生徒が自由に出入りして適当な実験しているというカオスな状態だった。今から思えば考えられない危険きわまりない有り様だ。カラーの実験手引きカードがあって,数人ずつの友人グループが,それぞれ見様見真似で薬品を引っ張り出して試していた。ただ,理科の授業で基本的実験操作はみんな学んでいるので,それなりになんとかなったように思われた。
我々のチームが最初に取り組んだのが石鹸づくりである。肉屋で牛脂をただで手に入れ,水酸化ナトリウム溶液中で加熱してよく攪拌してから冷やし固めるのだが,なにやら怪しい塊ができただけだった。
次に取り組んだ実験が,塩化ナトリウムの結晶をつくるというもので,飽和食塩水をシャーレに入れて長時間放置したところ,1cm角の平たい結晶ができるにはできたけれど,ちょっといまいちだった。そこで,蒸留水を自前で用意しようということになった。
池田先生はその後,ときどき様子をみて話しかけてくれるようになった。
高等学校に入って,理数科の同級生だった倉橋君に誘われて自分が,E. S. S. に入部すると報告したころには,親は既に英語部活動を勧める雰囲気ではなくなっていた。受験勉強の方が大事だということだったのか,なんなのだろう。
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