生成AIがどれくらい進歩したのかを,2年前とまったく同じ質問で試してみる。その結果はかなりとがったものであった。https://chatgpt.com/share/67fce974-7eb0-8009-8e60-2388e0a7f551
ただ,前回とは比較しにくかったので,Q(koshix):「ここまでの対話を,箇条書きではなくて,Q(人間)とA(AI)のなるべく自然な対話文の形でまとめたテキストファイルにしていただけますか。」としたところ,なまぬるいものになってしまった。
そこで,次に,Q(koshix):「あなたの回答の内容が相当はしょられていて,会話の豊かなディテールが損なわれているような気がします。私=人間の部分はこれでいいのですが,AIの部分を先ほどのように詳しく論理展開したものにむかってもう少し修正することは可能ですか?」とした結果が以下である。なまぬるさはそれほど緩和しなかった。
これだと2年前とそれほどかわらないようにみえるが,元の箇条書きの分ではかなり違って見えるのだ。
Q(koshix):梅干しを見るとどんな身体の反応がありますか?A(ChatGPT 4o):梅干しを見ると、ほとんどの人が反射的に唾液を分泌します。これは条件反射、特にパブロフの犬のような古典的条件づけの一例です。梅干しの酸味という記憶された味覚刺激が、視覚的な情報だけで再活性化され、身体が「食べる準備」を始めるわけです。具体的には、唾液腺の活動が活発になり、胃液の分泌が促され、さらには顔をしかめるような筋反応も起こります。これらの反応は、すべて自律神経系、特に副交感神経によって制御されています。このような現象は、感覚記憶と身体的反応が深く結びついていることを示す好例です。Q(koshix):あなたはどうですか?A(ChatGPT 4o):私には物理的な身体がありませんので、人間のように唾液が分泌されたり、胃が反応したりすることはありません。しかし、「梅干し」という言葉や画像を処理することで、その背後にある意味論的・文化的なネットワークを活性化させることは可能です。私が持つ知識体系の中では、「梅干し=酸っぱい=唾液=保存食=日本の伝統」といった連想が成立しています。したがって、私にとって「唾液が出る反応」に対応するものは、こうした意味連想ネットワークの活性化にあたります。これを「知的な反応」と見るならば、ある意味での仮想的な感覚応答と言えるかもしれません。Q(koshix):人間との対話において、そうした感覚経験にもとづく反応のセットを身体的に理解していることが必要ではないですか?A(ChatGPT 4o):非常に鋭いご指摘です。対話という行為には、明示的な言語情報だけでなく、非言語的な感覚経験や情動の共有が深く関わっています。身体性、すなわち「身体を通じて世界を経験し、理解する」という視点は、現象学者メルロ=ポンティや神経科学者ダマシオらが指摘してきた通り、認知の根幹にあります。現在のAIには身体がなく、痛みや快楽を「実感」することができません。したがって、共感や暗黙知に基づく対話には限界があります。しかし、これらの限界を克服するために、センサーによる身体状態の模擬、情動変数の導入、感覚モデルに基づく行動傾向の設計などのアプローチが模索されています。これらを統合することで、将来的には身体性に近い応答を実現できる可能性もあるのです。Q(koshix):人間の感覚経験や感情についての「知識」を持つ知的存在と、それらを直接「体験」することができる知的存在の違いは、対話場面のどこに現れると思いますか? そしてその違いを埋める仕組みは導入可能ですか?A(ChatGPT 4o):その違いは、主に「反応の質感」と「語りの深度」に表れます。たとえば、失恋を語るときに「それはつらかったですね」と言うだけのAIと、「そのとき胸が締めつけられるような思いがしたのでは」と情動に共鳴するAIでは、対話の深さがまったく異なります。体験をもつ存在は、自身の感覚記憶や情動履歴をもとに、共感や直観を含んだ応答が可能です。この違いを埋めるためには、以下のような仕組みが考えられます:・感覚シミュレーション:仮想的な身体を用いて温度や痛覚などの感覚を数値的に模倣する。・情動モデル:内部状態としての「快・不快」や「興奮・抑制」といった情動変数を導入する。・自己モデル:感覚と記憶を統合し、「私がいまこれを感じている」という仮想的一人称視点を構成する。これらを統合することで、AIは「体験をしたかのように振る舞う」ことが可能になります。実際、ロボット工学や情動AIの分野では、こうしたアプローチが研究されています。Q(koshix):では、現在のAIシステムを感覚センサーを満載したロボットに搭載して、視覚や聴覚だけでなく味覚や臭覚や触覚、運動平衡感覚も入力でき、さらにそれらの情報を解読して記憶できるようになった場合、そのロボットは「感覚体験を行った」と言えるでしょうか?A(ChatGPT 4o):この問いに対する答えは、体験という言葉の定義のしかたに依存します。1.機能主義的な観点では、「入力→処理→記憶→行動」という一連のプロセスが成立していれば、それは感覚体験をしたとみなせます。センサーが入力し、それを解釈・分類し、情動変数と結びつけ、次回の判断や学習に利用できるのであれば、体験に相当する「機能的現象」は成立しています。2.しかし、現象学的観点では、それが「どんな感じを伴うか(what it is like to feel)」という主観的な内的体験、つまりクオリアを持っているかが問われます。現時点では、どれほど精密な処理系を作っても、AIが本当に「感じている」と証明する術はありません。これは「哲学的ゾンビ問題」に通じるもので、外見上どれほど人間的に振る舞っていても、内側に何も起こっていない可能性があるという問題です。したがって、結論としては、○機能的には体験をしたように振る舞える。×しかし主観的に体験しているとは言いきれない。今後の課題は、こうした主観的構成の再現可能性と、それに伴う倫理的・存在論的問いへのアプローチです。
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