図:中公新書「継体天皇」の書影(amazonから引用)
奈良県盆地の中央部に住んでいるので,いやおうにも周りの古代史跡に行き当たる。そもそも,自宅マンションは古墳の上に建設され,ベランダからは箸墓がくっきり見える。
皇室典範改正をめぐる政府与党宗教右派の言説にはうんざりしているので,まずは第26代継体天皇について学ぼうかと中公新書(Kindle版)を手に取った。高校時代に世界史をとり日本史を選択しなかったので,2600年とか万世一系いう戯言ではなく,もう少しまじめな話を読みたかったからだ。
著者は,古事記(712年)と日本書紀(720年)の記述を批判的に参照しながら,古墳や出土物などの考古学的な物証とその前後の中国の文献などを照らし合わせて,5世紀から6世紀の倭国の王権の全体的な動態を記述している。そのころ畿内には,古市集団,百舌鳥集団,葛城集団があり,5世紀の倭の五王と,古市や百舌鳥の古墳群との関係(讃・珍の古市王統から、済・興・武の百舌鳥王統へ大王位が移動という仮説)が考察されている。
6世紀初めに存在していた継体天皇(ヲホドノオウ)は,北陸集団(越前・近江から摂津=三島)が出自である。日本書紀で暴虐の天皇として記されている武烈天皇(著者は実在を疑問視)を嗣ぐものがなくて,応神天皇の五世孫として推戴されたということになっている。
そこでびっくりしたのが,次の継嗣令(けいしりょう)の説明である。
天皇の兄弟・皇子はみな「親王」とする。(女帝の子も同じである) それ以外の王族は「王」とする。親王から数えて五世の者は,王を名のっていても皇親とは扱わない。
それよりも問題なのは,皇室典範改正である。継嗣令では女帝を排除する規程がないだけでなく,室町時代の36-38親等の養子は,皇親とは扱われないので,結局,普通の人を持ってくるということではないの。
池田信夫がこれを根拠に男系男子派を批判していた。一方,Wikipediaの継嗣令の終りには,継嗣令第四条「王娶親王条」を根拠に「皇位の男系継承以外が一切生じ得ない仕組みを定めていた」とある。どうなっているのか。ChatGPTに調べてもらった。
A(ChatGPT):・女帝の子は母を基準に親王となる→正しい・女帝の子は有力な皇位候補になり得る→正しい・女帝の子の父は臣下でもよい→継嗣令の婚姻規定上は支持されない・継嗣令が現代的意味の女系天皇を明文で認めた→根拠不足・継嗣令が父系以外の身位継承を一切排除した→誤り・合法的婚姻の結果として生まれる皇位候補は男系でもあった→おおむね正しい要するに、継嗣令は「女系継承を認めた法律」でも「男系男子継承を明記した法律」でもありません。より正確には、女性天皇とその子孫を皇親形成の起点として認めつつ、婚姻相手を男系皇族に限定することで、結果として父系皇統も維持する双重構造、だったと見るべきです。池田氏は「女帝を起点に子の身位を決める部分」を正しく拾っていますが、それを現代的な女系天皇まで拡張しています。Wikipediaは婚姻制限を正しく拾っていますが、「男系以外は一切不可能」と単純化しています。今回に限っては、両者の間にある説明がいちばん史料に忠実です。
さて,そんなわけで,なんだか遠いところから連れてきたヲホドノオウ(継体天皇)から,大王(今の天皇)が,ほぼほぼ世襲(側室あり,女性天皇あり)的に受け継がれるようになったらしい・・・かな?,というのが万世一系の実態だった。
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