NHKの番組では,PBSフロントラインのディレクターであるジェイムズ・ジャコビーが関係者へのインタビューを重ねていく。そのなかで焦点化していくのが言論の自由の問題である。
合衆国憲法修正第1条(1791)は,
連邦議会は、国教を樹立し、若しくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない。また、言論若しくは出版の自由、又は人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない。ということで,連邦議会に対する制限を規定している。これは,私企業が運営するネットコミュニティを対象としたものではない。ところが,ネットメディアは政府と同じもしくはそれ以上の力を持つようになったのではないかというものだ。
Twitter社が,選挙結果の改竄があったと主張するフェイクニュースやヘイトスピーチを制限したことに対して,米国の共和党や親トランプ派がこぞって異議をとなえた。それだけにとどまらず,親トランプメディアを使って,トランプ大統領補佐官がTwitter社の担当者を個人的に糾弾するにまで至った。まったく酷い話だ。
イーロン・マスクによるTwitter買収後は,永久凍結されたトランプや他のヘイターのアカウントは復活されることになった。
同じ構図が,週刊文春の記事についても指摘されることになる。性被害にあった弱者を支えるという名目で,週刊誌が「強者」を越える力を持っているのではないかという話だ。これは,今に始まったことではなく,昔(1978-)からマスコミは第四の権力とよばれていた。
しかし,その様相は変化している。新聞や雑誌の発行部数の構造的な減少とともに,週刊文春などが突出してスクープを追っているように見られる事態が発生している。テレビなども含めてほとんどのマスコミは,意識的もしくは無意識的な権力迎合へと傾いている(資本主義システムの中では当然の帰結かもしれないが)。そして,わずかなスクープは,無責任で抑制の効かないSNSによって大きく増幅されることになった。
一方で,あれもこれもまとめてフェイクニュースというレッテルをはって制限しようという権力側からの動きがある。ファクトチェックという言葉の嘘っぽさ。どうなることか。
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