門戸厄神からの続き
近鉄天理線二階堂駅の前の碑の件だ。やはり自分の記憶はあてにならない。簡単に捏造されてしまう。フェイクニュースは頭の中でも生産される。明治天皇は全く関係ありませんでした。
碑文を解読すると次のようになった。読めない漢字が多かったので,精度は95%程度だ。
駐蹕地之碑 陸軍大将本庄繁謹書
正三位勲一等功一級
侍従武官長陸軍大将
共桉 聖上陛下昭和七年十一月十一日統監陸軍大演
習親閲戎焉 大懸進従乗鞍山于吾邑空堂堂銀翼陣野
殷殷砲聲 皇威維震貔貅咸忠勇馳道担驊騮嘶秋旻北
地駐 聖蹕長享栄耀沿道粛列庶民夭拝 龍顔華也集
闔邑 天卷優渥執不感激今茲乙亥秋九長吾邨帝国在
郷軍人會分會員等與本村當局者胥謀讀得本庄陸軍大
将之題額勒貞珉之以傳 聖蹟於永遠朱嗟呼彌萬世戦
夕此境仰止斯碑即崇幕之誠有興超忠愛者歟謹記之
昭和拾年十一月三日
大日本帝國在郷軍人會二階堂村分會 建之
駐蹕(ちゅうひつ)とは「天子が行幸の途中,一時乗り物をとめること。また,一時その土地に滞在すること」,そんな難しい言葉は知りませんでした。近鉄二階堂駅前の駐蹕地之碑は,昭和7年(1932年)11月11日に昭和天皇が陸軍特別大演習の際にこの場所に留まったことを記念して建立されたもの。在郷軍人会の二階堂村分会が,建立時の侍従武官長の本庄繁陸軍大将に碑の揮毫を依頼したようだ。
参考文献[1]によれば,昭和天皇は,11月10日に大阪城に隣接する第四師団司令部に置かれた大本営に到着し,11月11日には畝傍御陵参拝ののち,大阪電気軌道丹波市駅(現近鉄天理駅)から天理外国語学校(現天理大学)へ向った。沿道周辺は約35万の奉送迎者で埋められた(うち天理教関係約20万人)とのこと。
天理外国語学校から,西乗鞍古墳(現天理市杣之内町)に設置された野外統監部で演習を統監後,南下して夜都岐(やつぎ)神社前で右折し二階堂駅前に至るまで戦線を視察したとある。夜都岐神社を経由せずに,そのまま西進した方が便利なのだけれど,どういうことか。ここから昭和天皇が乗車したのは,天理軽便鉄道だったのか。などなど謎は深まる。
本庄繁が関東軍司令官を務めていたときに発生した満州事変は昭和6年9月(1931年),なお,五・一五事件は昭和7年5月(1932年),本庄は,昭和11年2月(1936年)の二・二六事件で責任を取って侍従武官長を辞めている。終戦後,1945年11月19日にGHQから戦犯指名された翌日に満州事変の責任を取って自決した。
写真:近鉄二階堂駅前にある駐蹕地之碑(2021.3.27)
[1]昭和7年陸軍特別大演習於奈良・大阪(奈良県立図書情報館)
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