今年の成人の日は1月9日である。いつのまにか成人年齢の定義がかわり,成人の日も1月15日ではなくなってしまった。社会もこれに適応できていないので,成人の日の式典は20歳が対象になっているところが多い。これまたなんだかなぁ案件だ。
そこで,彼はTwitterにこの原文を公開して,若者に届けてようとしている。主旨は「自分で考えるな」といわれてきた高校生に,これからは「自分の頭で考えよ」というメッセージを送るものだった。
〈僕達は、国語の授業でずっと「退屈な本ほど価値がある」と思い込まされてきました〉。僕はそうかもしれませんが、〈僕達〉と括るのはやめてほしい。わたしは国語の教科書で素晴らしい作家と大勢出会ってきました。
それは確かにそうだ。現代国語の教科書でいまでも記憶に残っているものはいくつかある。舞姫,山月記,こころなどの定番に加えて,一番真剣に授業に集中していたのは,志賀直哉の城の崎にてかもしれない。あと,中学生の教科書にあった平頭銛の話(平田森三の発明)も印象的だった。
詩歌では次のとおり。国語の授業がすべて退屈だったわけではなかった。
与謝蕪村春の海ひねむすのたりのたりかな菜の花や月は東に日は西に安西冬衛てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った三好達治太郎を眠らせ,太郎の屋根に雪ふりつむ次郎を眠らせ,次郎の屋根に雪ふりつむ
*注:外岡秀俊の「伝わる文章が書ける」作文の技術 名文記者が教える65のコツ によれば,25 体言止めは使わない,なのだけれど。文字数制限の厳しい環境で生息してきた編集者にとっては,鴻上のていねいな口語表現がいやだったのだろう。それにしても言葉のプロにこれほどの直しを求めるとは如何にという意見も多数あり。
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