苫野一徳の上記表題のインタビュー記事が集英社のサイトにある。表題に比べるとたいへん穏当で実践的な結論が導かれている。「問題解決的な道徳」の枠組みを使って,子どもたちが「自由の相互承認」の感度を高められるように,教科道徳から教科市民教育への転換を図れるように,学習指導要領に規定されてしまった特別教科の道徳を,探究を中心とした学校教育における学び方の変革の核としていこうというものだ。
日本会議国会議員懇談会の事務局長である荻生田光一は,文部科学大臣としてまさに日本会議的な「道徳」を貫徹しようとしているのだろう。それは,愛知トリエンナーレの文化庁補助金撤回で端的に示された。その「道徳」の強化は,日本社会の生産基盤を補完するための「移民」の増加=国際化・文化的多様化とは真っ向から対立する成分を含んでいる。また,経済界が大学に突付けた英語教育の重視=国際化のための入試改善とも矛盾するはずだが,そちらの方は利権眼鏡の対象として扱われる事項となるので道徳マターではないとされるのだろう。あるいは外国人の人権や市民権は無視した差別構造の強化としての道徳なので問題にはならないということかもしれない。
NHKでは愛国心を煽るために連日の朝から晩までラグビーの勝利をトップニュースに掲げている。嫌韓ニュースとスポーツニュースをサンドイッチのようにして,政権批判や社会の矛盾から目をそらすことにやっきになっている。一方で,消費税の問題は微細なお得生活情報に還元されてしまっている。開き直って釈明するのが作法となってしまった政権や大企業幹部の不正やモラルハザードに焦点を当てることもない。これらがりっぱな道徳教育の目指す完成形態なのだろう。
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