2019年7月9日火曜日

ノウアスフィア

新国立劇場で,テイヤール・ド・シャルダンの生涯を描いた「骨と十字架」の公演が,7月11日から始まる(7月6・7日にプレビュー)。矢島道子さんがMLで紹介しており「ノースフェーラを提案し」と書いていたのでなんだろうと思った。

さて,テイヤール・ド・シャルダンの「現象としての人間」を買ったのは大学生の頃だ。その頃の愛読書の文学や理工書以外で印象に残っているのは,コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」,エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」,ディヴィッド・リースマンの「孤独な群衆」,バローズ・ダンハムの「現代の神話」と並んで,ティヤール・ド・シャルダン(ティと発音すると思い込んでいた)の「現象としての人間」だった。

調べてみると,ノースフェーラ(ヴェルナツキー,ロシア文化界隈,叡知圏)は,noosphereの訳語だった。訳語は1つに定まっておらず「ノウアスフィア(山形浩生,オープンソース界隈)」,「ヌースフィア(怪しい系界隈,精神圏)」などもある。テイヤール・ド・シャルダンやヴェルナツキーがいうには,物質=精神進化の段階により,ジオスフィア(地質圏)→バイオスフィア(生物圏)→ノウアスフィア(叡智圏)が形成されるということだ。

テイヤール・ド・シャルダンは神学者・科学者として,キリスト教と相容れないキリスト教的進化論を提唱した。宇宙の進化は叡智の究極としてのオメガ点を目指しており,その完成がコスミック・キリストの誕生を意味するというストーリーは,小松左京の「神への長い道」などのコンセプトと一致する。小松左京はピランデルロを専門としていたが,テイヤール・ド・シャルダンについてどこまで語っていただろう。いや,自分が「現象としての人間」を手にとったのも,SF界のどこかでそれを目にしたからに違いないとは思う。

テイヤール・ド・シャルダンのオメガ点やノウアスフィアは,科学のフレーバがただよっている論考ではあるが,これはもちろん科学ではなく,あくまでも思弁(スペキュレーション)の一つである。しかし,その概念は今となっては,傾聴に値するものに近づいてきているのではないか。

バイオスフィアとほぼ並行に,世界は意識を持った人であふれ,未だ意識をもたない電子脳(コンピュータ)や電子感覚器(センサー)や電子神経系(インターネット)の大群が,世界中の意識を持ったヒトと,ヒトが作り出した人工物の生態系を網目のように繋ごうとしているのを見て,このグローバルな複雑系を,バイオスフィアに対応するノウアスフィアと呼ぶことには全く抵抗がない。果たして,そのノウアスフィア上に一つのあるいは複数の人工的な意識=神が誕生するのだろうか。

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