2022年7月9日土曜日

KCN 光1G

フレッツ光 vs eo光 からの続き

あっというまに,9ヶ月過ぎていた。マンションの春の理事会で,KCNのインターネットが光に 切り替わるというアナウンスがあり,5月ごろに受付が始まった。早速申し込んだところ,6月に訪問調査があり,7月8日に開通することになった。

これまでは,TVの共聴同軸ラインから分配したものをモデム経由で無線ルータ(AirMac)に繋いでいた。今回は,NTTの電話線の配管に光ファイバーを通して,電話線の出口あたりからONUに入って無線ルータに繋げることになる。そこで,AirMacの設置場所も電話機の位置に移動するわけで,やや面倒なことになったのだが,ONUはとてもコンパクトだったので,壁に取り付けるまでもなかった。

光ファイバーの引き込みとONUへの接続に1時間ほどかかって作業が終り,KCNさんの端末では接続が確認された。ただし,クレームを避けるためか,速度測定はしてくれなかった。

入線担当グループはMacの設定についてはちょっと不安があるようで,KCNの別担当が工事終了後にくることになっていた。それまでに,自分でAirMacに結線して確認したところ,特別な設定なしに問題なく繋がった。肝腎の回線速度だけれど,下りが150Mbps,上りが100Mbpsくらいだ。下りは多少改善された程度だが,上りは20倍程度になったので,zoom会議も安心だ。

KCNの設定担当者がきても特にすることはなく,専用端末を有線でつないで,下り180Mbpsと上り210Mbpsでていますということで終了した。AirMacもかなり古いWifiルーターなので,これを取り換えてもいいかと考えていたが,有線でこの程度ならばあまり御利益はない。

ベストエフォートだし,月々の回線料も安くなったので,まあよしとしよう。問題は夜間の混雑時にどうなるかだ。うちが,マンション内の光回線引き込み工事第1号だったので,今週くらいはまだましかも(P. S. とりあえず夜間のスピードダウンは解消された)。


図:メカニカルストライプの構造(FUJIKURAから引用)


P. S. (7/13/2022 10:00)  ONUから直接Ethernetで接続しようとしてうまくいかず。手動でIPアドレスなどを設定したが端末のネットワーク設定でグリーンランプまでいくがだめ。PPPoEで繋げとかあるけれど,PPPoEはサポートしていないという記述もあり,ONU側はそもそもルータが繋がることしか想定していないのか。そういえば,AirMacの有線ポートが3つあったので試してみると,下り450Mbps,上り380Mbpsを出していた。問題はAirMacの無線の規格が遅いということか。

P. P. S.  たぶん,手元のAirMac(TImeCapsule 802.11n 2nd)は,2009年の2TBモデルではないか。つまり,802.11 a/b/g/n に対応している。いまどきのWiFi-5 802.11acとかWiFi-6 802.11ax 対応にすればもう少し改善されるかもしれない。

2022年7月8日金曜日

latexdiff

latexdiffは,texファイルの差分表示ソフトだ。

latexdiff main1.tex main2.tex > diff.tex
pdflatex diff.tex


下の例題に対する結果は次のようになる。
% main1.tex
\documentclass{article}
\title{ld}
\author{me}
\date{July 2021}
\begin{document}
\maketitle
\section{Introduction}
zzz
\end{document}

% main2.tex
\documentclass{article}
\title{latexdiff}
\author{me\and you}
\date{July 2021}
\begin{document}
\maketitle
\section{Introduction}
zzz zzz
\section{Section}
zzz
\end{document}

図:latexdiffの出力サンプル


2022年7月7日木曜日

最密球充填

フィールズ賞は,4年に一度開催される国際数学者会議(ICM)で,顕著な業績を上げた40歳以下の数学者(2-4名)に与えられる賞だ。初回は1936年だが,第2回の1950年から4年周期が始まっている。

受賞者の日本人は,小平邦彦(1954年),広中平祐(1970年),森重文(1990年)の三人。2014年にイランのマリアル・ミリザハニ(1977-2017)が女性として初めての受賞者となったが,若くしてガんで亡くなっている。2022年の今回,ウクライナのマリナ・ヴィヤゾフスカ(1984-)が二人目の女性受賞者となった。

彼女の業績は,最密球充填に関わるものだ。空間に規則的に球を配置するときの密度の最大値がわかっているものは,1次元(100%),2次元($\frac{\pi}{\sqrt{12}}=0.9068$),3次元($\frac{\pi}{\sqrt{18}}=0.7404$),8次元($\frac{\pi^4}{384}=0.2536$),24次元($\frac{\pi^12}{12!}=0.001929$)だけである。2017年にヴィヤゾフスカは,単独で8次元の問題を,これを応用して連名で24次元の問題を解決した。

3次元の問題の証明は,ケプラー予想とよばれ,17世紀のヨハネス・ケプラーの時代から考えられてきた。1998年に,トーマス・ヘイルズが解決したが,250ページの手稿と10万個の線形計画問題を解くコードとデータ3ギガバイトを必要とした。その後,コンピュータによる形式的証明を援用して証明を完全なものにした。一方,ヴィヤゾフスカの論文は,普通の理系の大学生でも読めそうな式を20ページほど並べるだけでこれを解決してしまった。


写真:新潮文庫のケプラー予想の書影(Amazonから引用)

[1]8次元と24次元の球充填問題の解決(tsujimotter)

2022年7月6日水曜日

まひるの月を追いかけて:恩田陸

昔,最も多いときは,年に100冊近く本や雑誌を買っていたかもしれない。ところが,最近,ほとんど本を買わなくなってしまった。通勤帰りに毎日本屋に立ち寄る習慣がなくなったせいだが,そもそも行動範囲内から書店がどんどん消えていることも原因だ。

諸般の事情で少し空き時間があったので,久しぶりに近鉄八木店のジュンク堂書店に立ち寄ると,宮部みゆき(1960-)の文庫新刊「まひるの月をおいかけて」が平積みされていた。手に取って中をパラパラみると,奈良県のあちこちを回る話で,天理という字が目に入ったので思わず買ってしまい,並み居る未読書を差し置いてさっそく読了した。

主人公らは,東京−橿原神宮前駅−橿原神宮−藤原京−今井町−明日香−亀石−橘寺−石舞台−天理駅−山辺の道−長岳寺−大神神社−近鉄奈良駅−奈良公園−新薬師寺−白毫寺−東大寺−法隆寺−中宮寺−飛鳥駅−橘寺と巡り,それにつれて物語が転回していく。

実体験にもとづくような文章だったので,たぶん,宮部みゆきもこのルートを辿ったのだな。天理駅前のビジネスホテルと焼き肉屋はどこだろう。とあらためて本をよく見ると,著者は宮部みゆきではなく,恩田陸(1964-)だった。しかも新刊ではなく,2007年が文庫1刷(単行本は2003年)だ。写真で見る二人の顔形はなんとなく似ているような気がするし,文春文庫の黄色い背表紙をみて条件反射的に宮部みゆきにアサインされていたようだ。奈良のご当地ものということで,書店で平積みされていただけだった。

宮部みゆきは何冊も読んだが,恩田陸は映画化された「夜のピクニック」を始めほとんど読んでいない。ハヤカワSFシリーズということもあって「ロミオとロミオは永遠に」はたぶん買ったような気がするが,期待外れだったので処分してしまった。


写真:まひるの月を追いかけての書影(amazonから引用)

2022年7月5日火曜日

てらまちや風心庵

 日経朝刊の文化欄をみていたら,「かなざわ風鈴」という言葉が目に入った。著者は金沢工業大学の土田義郎先生で,環境心理,サウンドスケープの専門家だ。音が出る玩具や雑貨の収集をはじめていたが,2013年に正方形の紙を組み合わせたかなざわ風鈴を考案した。

2017年には,寺町の町家再生プロジェクトの一環として,古民家を再生したゲストハウス「てらまちや風心庵」をオープンしており,そこで収集した風鈴が展示されている。地図でしらべると,昔,大叔父の越桐與三次郎さん(あじちのおじさん)が住んでいた家の近くだった。数年前に亡くなった母が入院していた石田病院からも近く,新規開店した中華料理屋に入ったが,その数軒となりだ。

1棟貸しで,1泊平日6400円~(5名利用の1名),休前日7949円~(5名利用の1名),風鈴制作・灯り制作1名1600円なのでなかなかリーズナブルかもしれない。


写真:かなざわ風鈴(金沢旅物語から引用)

2022年7月4日月曜日

KDDIの通信障害

 7月2日午前1時35分からau携帯電話などKDDIの回線に通信障害が発生して,最大3900万ユーザに影響が及んだ。障害発生から62時間後の7月4日午後15時00分ごろに全国でほぼ回復したが(輻輳制御を終了した),全面的復旧のアナウンスは7月5日の夕方になりそうだ。

2018年12月6日にソフトバンクの4GLTEで通信障害が発生したときは3000万ユーザに影響があり,障害継続時間は4時間半程度だった。だから,iPhoneがつながらなくて困ったという記憶があまりない(このblogを始める2日前のことだから記録がないだけか)。

KDDIの社長と専務による説明記者会見が,事象収束前の7月3日に実施され,2時間のYouTubeライブとしてアップロードされていた。高橋誠(1961-,横浜国立大工学部金属工学科)KDDI代表取締役社長,吉村和幸(1965-,東京工業大工学部情報工学科)KDDI取締役執行役員専務・技術統括本部長の二人が質問に回答していた。この会見における回答者の質の高さや誠実さについて,ネットでの評判は非常に良かった。

いくつか,気がついたこと

(1) NHK,朝日新聞など主要メディア記者の質問力回答理解力はかなり低い。
(2) 日経コンピュータ,日経BP,一部フリーランスの質問は非常に的確である。
(3) 音声通話用のVoLTE交換機に繋がれたルータを旧から新に切り替えたところ,音声通話に不具合が発生し(ソフトウェア上の問題),ルータを切り戻したが輻輳がはじまった。
(4) この輻輳が,加入者データベースの更新に影響してデータの不整合が生じた。
(5) VoLTE交換機/ルータは全国18台の1台に障害(→ 6台切り離し,9台で運用可能な容量)。協調運用しているので影響が広がったかもしれないが,詳細は分析中。
(6) iOSでは音声がつながらなくてもデータ通信はOKだったが,アンドロイドでは音声がつながらないとデータ通信も接続できない仕様のものが多かったようだ。
(7) 5GやIoTの設備導入が進行していることとは直接関係がない。

なお,データ通信ができても2段階認証でSMSからパスコードを入力しなければならないサービスが多く,VoLTE側が使えないことで結局ダメということが多々あったらしい。

日本ではこのような障害が,2年に1度程度発生しているけれど,公衆電話の撤去には歯止めが必要かもしれない。あるいは,このような障害時に,緊急番号だけは加入者データベースの認証なしでアクセスできる(ただしユーザのログは確保する)ということは可能なのだろうか。

P. S. 7月5日 15:00 24時間トラフィックが先週と同水準であり,完全復旧が宣言された。
P. P. S.  7月5日の2回目の技術担当責任者2名の記者会見では,ローミングの可能性についての質問が多かった。検討中とのこと。総務省はKDDI苛める前にその音頭をとったらどうか。

2022年7月3日日曜日

⊃ ∪ ∩ ⊂ 

連日の熱暑で,干からびかけた奈良公園の鹿がラクダにみえる今日この頃。

WOWOWでデューン砂の惑星の特集をやっていた。原作はフランク・ハーバート(1920-1986)の1965年の作品だ。フランク・ハーバートといえば21世紀潜水艦だったので,ハヤカワ文庫で最初に出版された1973年ごろはまったく関心がなかった。手元にある古書は1982年発行の12刷だったので,たぶん1980年代の中ごろに購入している。読後感は最高で,マイベスト20には確実に入る一冊だ。

特集では,1984年のデヴィッド・リンチ(1946-)監督の「デューン/砂の惑星」,2013年のドキュメンタリー「ホドロフスキーのDUNE」,2021年のドゥニ・ヴィルヌーヴ(1967-)監督の「DUNE/デューン 砂の惑星」が放映された。デヴィッド・リンチ版は日曜洋画劇場でみており,ななかな良かったという印象的がある。このころにハヤカワ文庫版を買ったのかもしれない。

アカデミー賞6部門を受賞した2021年版(2部作の前半だった)は,たしかに美しいのだけれど,デヴィッド・リンチ版の怪しいおどろおどろしさがなく,完全除菌されたような印象だ。キャストも1984年版のほうがよかった。もちろん,1984年版のSFXなど今からみればとても残念な状態ではあった。

WOWOWの特集の中で一番よかったのは,チリに生まれたロシア系ユダヤ人アレハンドロ・ホドロフスキー(1929-)のDUNEだった。1975年にDUNEの制作に着手し,最高のスタッフと出演者を集めながら,

メカデザインにSF画家のクリス・フォス,クリーチャーとキャラクターのデザインと絵コンテにバンド・デシネのカリスマ作家メビウス,特撮担当にダン・オバノン,悪役ハルコンネン男爵の城のデザインにH・R・ギーガーを起用。キャストもハルコンネン役にオーソン・ウェルズ,皇帝役にはサルバドール・ダリ,他にもミック・ジャガーやデビッド・キャラダインなどがキャスティングされた。また,音楽をピンク・フロイドやマグマが製作するなど,各界から一流のメンバーが集められた(Wikipedia から引用)。

1年余りで挫折してしまう。その理由は,ホドロフスキーのシュールレアリスムの芸術性がハリウッドに恐怖心を抱かせたということらしい。プロモーション用の分厚い絵コンテ・デザイン集が若干部印刷されて関係者に配布されていた。古本で出てないか探してみたところ,クリスティーのオークションで,3億ドルの値段がついたらしい。チーン。

ホドロフスキーのDUNEは未完に終ったが,そのスタッフやイメージは,その後のSF映画に多大な影響を及ぼしている。まさに,ホドロフスキーのDUNEで改変された,主人公が死んでもその意識が普遍的に実在化するというストーリーをなぞったものになっていた。


写真:JodorowskyのDUNE デザイン・絵コンテ集/3億ドル(Gigazineから引用)

2022年7月2日土曜日

ζ(2)

リーマンゼータ関数 $\zeta (s) = \sum_{n=1}^\infty \frac{1}{n^s}$は,その零点となる$s$が負の偶数と,実部が1/2の複素数に限られるというリーマン予想に結びつく重要な関数であり,数理物理学の難しい議論だけでなく,統計力学の入り口のあたりにも少しだけ登場する。

自由電子気体やデバイ模型のあたりの積分の計算に必要となるのが,$\zeta(2)$や$\zeta(4)$の値だ。ただし,時間がもったいないので,結果だけ与えて終りたくなる。簡単な導出法は,$\sin x $ の級数展開によるもので,バーゼル問題を最初に解いたオイラーの方法だ。

$\sin x = x \Bigl( 1 - \dfrac{x^2}{3!} + \dfrac{x^4}{5!} -\dfrac{x^6}{7!} \cdots \Bigr) = x \ \Pi_{n=1}^\infty  \Bigl( 1- \dfrac{x^2}{n^2 \pi^2} \Bigr)$

ここで,両辺の$\ x^{2n}\ $の係数を比較すると,$\zeta(2n)\ $の値が求まる。例えば,$n=1\ $の場合,$-\frac{1}{6} = - \frac{1}{\pi^2} \Sigma_{n=1}^\infty \frac{1}{n^2}\ $,すなわち,$\zeta(2) = \frac{\pi^2}{6}$であり,これがバーゼル問題の解であった。

$a_n=\frac{1}{\pi^2 n^2}$とおいて,$\zeta(4)$と$\zeta(6)$の場合を考えてみたい。$\theta_{ij}=1\ {\rm if}\ i<j \quad {\rm otherwise}\ =0$,$\theta_{ijk} = 1 \ {\rm if}\ i<j<k \quad {\rm otherwise}\ =0$として,対称和の一般的な分解方法を考える。

n=2の場合:

$\Sigma_{ij} a_i a_j = \Sigma_{ij} a_i a_j (\delta_{ij} + \theta_{ij}+\theta_{ji}) =  \Sigma_{ij} a_i a_j (\delta_{ij} + 2 \theta_{ij}) $

$+\frac{1}{5!} = \Sigma_{i<j} a_i a_j = \Sigma_{ij} a_i a_j  \theta_{ij}= \Sigma_{ij} a_i a_j  (1-\delta_{ij}) /2 = ( ( \Sigma a_i) ^2 - \Sigma a_i^2 ) /2 $

$\therefore \zeta(4)/\pi^4 = \Sigma a_i^2 = (\frac{1}{6})^2 - \frac{1}{60} = \frac{1}{90}$

n=3の場合:

$\Sigma_{ijk} a_i a_j a_k= \Sigma_{ij} a_i a_j a_k (\delta_{ijk} + 6 \theta_{ijk}+ 3 \theta_{ij}\delta_{jk} + 3 \delta_{ij}\theta_{jk}) $

$-\frac{1}{7!} = -\Sigma_{i<j<k} a_i a_j a_k = -\Sigma_{ijk} a_i a_j  a_k \theta_{ijk} = -\Sigma_{ijk} a_i a_j  a_k \bigl( 1-\delta_{ijk}-3 \theta_{ij}\delta_{jk} - 3 \delta_{ij}\theta_{jk} \bigr ) /6 \\ = -\Bigl ( (\Sigma a_i)^3 -\Sigma a_i^3 - 3 \bigl\{ (\Sigma a_i)(\Sigma a_i^2)-\Sigma a_i^3 \bigr \} \Bigr )/6 $

$\therefore \zeta(6)/\pi^6 = \Sigma a_i^3 = \Bigl ( \frac{6}{7!} - (\frac{1}{6})^3   + 3 \frac{1}{6 \cdot 90} \Bigr ) / 2= \frac{1}{945}$

付録:

$X=(\Sigma a_i) (\Sigma a_i^2) = \Sigma_{ij} a_i a_j^2 = \Sigma_{ij} a_i a_j^2 (\delta_{ij} + \theta_{ij} + \theta_{ji}) = \Sigma a_i^2 + \Sigma_{i<j} a_i a_j^2 + \Sigma_{i<j} a_i^2 a_j $

$Y=\Sigma a_i a_j a_k (\theta_{ij}\delta_{jk} + \delta_{ij} \theta_{jk}) = \Sigma_{i<j} a_i a_j^2 + \Sigma_{i<j} a_i^2 a_j$

$\therefore X - \Sigma a_i^2 =Y$

2022年7月1日金曜日

教養強化合宿(4)

教養強化合宿(3)からの続き 

恒例の外山恒一教養強化合宿第22回(6/24-7/3)が開催中である。いつの間に22回になった。ナンバリングルールがよくわからないぞ。

北大,千葉工大,早大2,ICU2,愛知淑徳大,龍谷大,阪大,九州工大,放送大,浪人の12名が結集。教養チェックは次の通りだった。

遅刻者1名を除くイマドキの意識高すぎる系学生11名中,管野スガを知ってた人0,中野正剛0,鶴見済4,植垣康博0,会田誠7,榎美紗子0,高野実1,野村秋介0,家永三郎1,鴻上尚史4,津田大介11,宮崎学3,湯浅誠5,小林よしのり9,山下洋輔0,ジョーン・バエズ0,トリスタン・ツァラ5,ジョルジュ・ソレル4,林彪2。

山下洋輔とジョーンバエズはいったいどうなっているのだ。自分が知らなかったのは,管野スガ鶴見済ジョルジュ・ソレル。「完全自殺マニュアル」という書名は聞いたことあったけど。

ついでに3・11以降の諸氏についても訊いた。そこそこ意識高いはずの若人11人中,白井聡を知ってた人7,斎藤幸平7,野間易通1,ミサオ・レッドウルフ0,奥田愛基1,ろくでなし子9,坂口恭平9,菅野完2,清義明0,木下ちがや0,雨宮処凛7,松本哉1,東浩紀&山本太郎はさっすが11,某Fラン政治学者1。

ミサオ・レッドウルフ坂口恭平は知らなかった。誰それ。 

2022年6月30日木曜日

全国ハザードマップ

NHK全国ハザードマップが公開されている。

洪水や土砂災害の危険性が全国の市町村の地図上に表現されているものだ。天理市のハザードマップも印刷物として配布されていたが,それに相当する。自宅の周りは,洪水による浸水の恐れはなさそうだけれど,数百メートル先には危険地帯が迫っている。

NHKのハザードマップは,全国の市町村ごとのデータを統合して,任意の場所について一つのインターフェースでリスクを調べることを可能にしたものだ。これがなかなか大変な作業だったということが,34テラバイトのデータと格闘して「全国ハザードマップ」を公開した理由という記事になっている。

なぜ34TBも必要なのと普通は考える。例えば,面積が60 ㎢ の天理市のハザードマップのpdfファイルは7枚,15MBある。37万㎢の日本全体にスケールするには6000倍すればよく,必要なファイルサイズは90GBだ。34TB/90GB =300倍ほど過大になっている(様々な情報を格納するためのベクターデータなら1桁余分に必要かもしれないが,2桁ではないだろう)。

災害に遭遇するのは,自分が住んでいる市町村に居る場合とは限らないから,いつでも,どこでも,誰でもが簡単に全国のハザード情報を検索できるシステムの必要性や重要性は言を待たない。実際,国土交通省には重ねるハザードマップというシステムは存在している。しかし,掲載されている河川数が水防法で規定されている2200河川の43%にすぎない(これに限らず,憲法改正によって危険な緊急事態条項の導入に血道を上げる前にやるべきことが山積している日本なのだった)。

そこで,NHKががんばって,1800の地方自治体に電話をかけてデータを集めたところ,外注した成果物がpdfファイルのみで元のデジタルデータがないとか,データの格納ファイルが整理されていないとか,関係ないデータが山のように混入しているとか,そもそもデータ形式が統一されていないとか。それが34TBのデータであり,これから散々苦労して必要な情報を蒸留して作り上げたのがNHK全国ハザードマップだった。この涙なくして語れない的な読み物を一読することをお薦めする。

デジタル庁がやるべきなのは,あるいは,災害出動に価値のある自衛隊の防衛予算をまわすべきなのは,こんなところからだと思われる。


図:NHK全国ハザードマップのイメージ

P. S. NHK全国ハザードマップは期間限定の試験的デジタルコンテンツとある。もったいないので,国土交通省で引き継いだらいいのに。

[1]ハザードマップポータルサイト(国土交通省)

2022年6月29日水曜日

信貴山朝護孫子寺

摂州合邦辻からの続き

今年は寅年なので,信貴山朝護孫子寺に注目が集まっているはずだ。信貴山登るなら今年がいいねということで,自宅から西に15km,車で30分のところにある信貴山寺に行ってきた。

実は,これは初めてではなくて2回目である。1回目は大学2年のゴールデンウィークだった。八尾(志紀)の柳田さんの家にお泊まりで行ったメンバーは誰だったか,楠本さんの他,藤原さんもいたかなあ。講義ノートを販売する作戦の倫理的問題について議論が巡らされたときだ。

次の日に恩智駅からいけば近いよということで,楠本君と二人で信貴山に上ることになった。信貴山寺は,恩智駅からほぼ東に5kmにある。Googleマップで道を確認して見たがみあたらない。しかし,ちゃんとハイキングコースがあって,2-3時間ほど歩くと迷わずにお寺まで到達できた。そのころにも大きな寅があったのだろうか,全く印象には残っていない。

さて,今回は,入り口の大寅(電動らしい)で記念撮影したあと,成福院,玉蔵院,本堂(戒壇巡り),千手院とまわったが,信貴山観光センターも霊宝館も臨時休業で,信貴山縁起絵巻(複製)も拝観できなかった。境内の電気工事のせいだ。戒壇巡りもコーナーの非常灯が消灯しているので,気をつけるように注意された。

本堂拝観の後,時間が余ったので信貴山城趾まで登ることにする。出発点から頂上まで560m20分と書いてあるけれど,両手に竹杖の高齢者夫婦にはその倍の時間がかかってフラフラになる。残念ながら力尽きて松永屋敷跡まではたどり着けなかった。

587年7月3日,聖徳太子が物部守屋を討伐したのを機に創建し,毘沙門天=多聞天を本尊とする信貴山寺だが,境内は鳥居だらけだった。真言宗でも高野山とはちょっと空気が違う。毘沙門天が戦いの神になったのは,仏教に取り込まれた後であり,そもそもは,「五穀豊穣,商売繁盛,家内安全,長命長寿,立身出世」という現世利益を授ける七福神の一柱なので,信貴山寺の売り出し方は本来の姿なのだろう。



写真:信貴山朝護孫子寺(撮影 2022.6.28)

[1]志貴山縁起上(国立国会図書館デジタルコレクション)
[2]志貴山縁起中(国立国会図書館デジタルコレクション) 
[3]志貴山縁起下(国立国会図書館デジタルコレクション)

2022年6月28日火曜日

みんなの自動翻訳

DeepL翻訳からの続き

自動翻訳はDeepLで間に合ってます。といいたいところなのだが,一番の問題は,韓国語がないところかもしれない。無料版なので,1回に5000字までという制限はあるけれど,いまのところ,英文ニュース記事を読む際の支援ツールとして使っているので,それほど問題ではない。

情報通信研究機構(NICT)のみんなの自動翻訳@TexTraもなかなかよいという噂が伝わってきたので試してみた。韓国語も訳せるので韓国ドラマを安心してみることができる・・・というわけにはいかない。多機能なのを表に出しすぎているので,ちょっと使いにくい印象がある。Safariではデフォルトの表示が必ずしも整っていないのも気になる。

ユーザインタフェイスはそうだとして,実際に訳文を比較するとどうなるだろうか。

原文(WikipediaのQuantum THermodynamicsから)

Quantum thermodynamics[1][2] is the study of the relations between two independent physical theories: thermodynamics and quantum mechanics. The two independent theories address the physical phenomena of light and matter. In 1905, Albert Einstein argued that the requirement of consistency between thermodynamics and electromagnetism[3] leads to the conclusion that light is quantized obtaining the relation 

E=h\nu . This paper is the dawn of quantum theory. In a few decades quantum theory became established with an independent set of rules.[4] Currently quantum thermodynamics addresses the emergence of thermodynamic laws from quantum mechanics. It differs from quantum statistical mechanics in the emphasis on dynamical processes out of equilibrium. In addition, there is a quest for the theory to be relevant for a single individual quantum system.

TexTra

量子熱力学[1][2]は、熱力学と量子力学という2つの独立した物理理論の間の関係を研究する学問です。2つの独立した理論は、光と物質の物理現象を扱っています。1905年にアルバート・アインシュタインは、熱力学と電磁気学の一貫性が必要であると[3]、光はその関係を得て量子化されるという結論が導かれると論じました。E=h\nu。

この論文は量子論の夜明けです。数十年のうちに、量子論は独立した規則によって確立されました。[4]現在、量子熱力学は量子力学からの熱力学法則の出現を取り上げています。量子統計力学とは異なり、平衡から外れた動的過程に重点が置かれています。さらに、単一の個々の量子系に関連する理論を探求しています。

DeepL

量子熱力学[1][2]は、熱力学と量子力学という2つの独立した物理理論の関係を研究する学問である。2つの独立した理論は、光と物質という物理現象を扱っている。1905年、アルバート・アインシュタインは、熱力学と電磁気学の整合性[3]が必要であることから、光は量子化され、次の関係式が成り立つと主張した。E=h</nu。

この論文は、量子論の黎明期を告げるものです。現在、量子熱力学は、量子力学から熱力学的法則を生み出すことを目的としています[4]。量子統計力学との違いは、平衡状態から外れた動的な過程に重点を置いている点です。さらに、単一の個々の量子系に関連する理論の探求がある。

こうして,比べるとDeepLもやや微妙なところがあるが,訳文は全体としてややこなれている。まあ一長一短というところかもしれない。みんなで使えばより精度は高くなると思うが,まだまだ知名度が低いし,あまり宣伝もしていないようだ。

 [1]みんなの自動翻訳@KI(個人版)(川村インターナショナル・プロの個人翻訳者向け商用利用可能ライセンス)

[2]みんなの自動翻訳 質問・要望一覧

2022年6月27日月曜日

太陽フレア

 NHKニュースで太陽フレアの危機が取り上げられていた。

なんでも,2025年は太陽活動が活発になり,太陽フレアが2週間続き,ケータイも繋がらなくて大変なことになるという説だった。なんとなく胡散臭かったので確認してみる。

太陽活動は11年周期で変動しているが,その本質は,太陽の自転による磁場の22年周期変動である。11年で太陽極磁場のNSが逆転するが,絶対値を考えると活動値(黒点数,太陽フレア頻度,太陽放射量)の周期は11年ということになる。活動期には,黒点数や太陽フレア頻度が増加し,太陽放射も0.1%程度強くなる。

1843年にドイツの天文学者シュワーベによって,太陽活動周期(黒点周期)が発見され,スイスの天文学者ウォルフの研究から1755-1766年が第1周期とされた。最近のピーク年と周期番号を並べると,1981年(第21周期),1992年(第22周期),2003年(第23周期),2014年(第24周期),2025年(第25周期)となるので,2025年という時期は正しそうだ。

ただし,フレア頻度は活動極小期に比べて1桁増えるが,爆発の大きさ自体は周期と直接関係しない。

ところで,近年の太陽活動をみると,22周期,23周期,24周期と次第に活動が衰えており,黒点数も近年になく減少している。大規模太陽フレアも24周期にはほとんど発生していない。それでは,このたび25周期の危険性に警鐘を鳴らしている根拠はなんなのだろうか。

ニュースになったのは,6月21日に,総務省の宇宙天気予報の高度化の在り方に関する検討会報告書を公表したからだ。そこでは,一般的な太陽活動への監視態勢や対応体制の構築ポリシーについて議論すると同時に,100年に一度の大きな太陽フレアがあったときにどんな影響が考えられるかを評価(シミュレーション)したものだった。

つまり,2025年の太陽フレア予報に重点があったわけではなかったのだ。ニュースの取り上げ方と受け止め方は本当に難しい。ましてや,忖度まみれの政治経済関係のニュースはどうなのだろうか。情報系の人たちはメディアリテラシーと簡単にいうけれど,結局,個別分野の知識に基づきながら,事実とデータを積み上げ読み解いて分析することでしか,相対的に正しい事実には接近できない。


図:22〜24周期までの黒点数の変動(Wikipediaより引用)

2022年6月26日日曜日

テトラ中性子核

中性子と陽子の束縛系は重陽子(重水素の原子核)であり,スピン1,アイソスピン0で,テンソル力を含む核力により相対運動はS波とD波が混じった状態である。中性子2個の状態で空間部分がS波の状態は,スピン0,アイソスピン1であり,テンソル力部分の寄与もなく束縛状態は存在しない。

中性子の数が膨大になれば重力によって束縛することができ,中性子星として存在することは確かめられている。一方,中性子3個や4個の原子核が束縛状態として存在するかどうかは昔から問題だった。3中性子系の話題はみたことがあったが,4中性子系は考えたこともなかった。

理化学研究所下浦さんらの国際共同研究チームが,4中性子系に共鳴状態があることを実験的に確かめた。理研の重イオン加速器施設(RIビームファクトリ:RIBF)で生成したヘリウム8(ヘリウム4+4中性子)に陽子をぶつけて,ヘリウム4だけをたたき出すという手法(8He(p,p4He)4n)で,そのエネルギーを測定した。これからピーク位置2.37MeV,幅1.75MeVの4中性子系(テトラ中性子核)の共鳴状態のピークが発見された。


図:テトラ中性子核の共鳴状態(理研のプレスリリースから引用)

2022年6月25日土曜日

我が心はICにあらず

 ギフテッドからの続き

遠い親戚の鈴木晶さんのことを調べていたら,彼が,高橋たか子(1932-2013)に弟子入りしていたとある。学生時代に小説を見せたところ「小説になっていないとして翻訳を勧められ,高橋と共訳をしたりするうちに秘書的存在になった」。たか子が亡くなったときに喪主を務めた鈴木晶は「たか子の40年来の弟子で,たか子の生前から高橋家の鎌倉の自邸(黒川紀章設計)に妻子と暮らし,和巳・たか子両名の著作権代理人を務めた」とある。なお,高橋和巳と高橋たか子の著作権は,2013年に日本近代文学館に遺贈されている。

高橋たか子の小説は全く読んだことがないが,高橋和巳(1931-1971)の小説は,新潮文庫でひととおり読んだ。あんなに並んでいた高橋和巳の文庫本が,書店の棚にみつからなくなって久しいが,最近は河出文庫に少し戻ってきたかもしれない。小松左京(1931-2011)の親友だった高橋和巳への入り口は「わが解体」だったが,暗く観念的な小説群の中で一番おもしろかったのは「邪宗門」だった。現代人の必読書ですね。

高橋和巳の「我が心は石にあらず」を(冷笑的に)もじったのが,小田嶋隆(1956-2022)の「我が心はICにあらず」だ。1980年代にマイナーなパソコン雑誌に連載されたテクニカルエッセイで,ほとんど読んだことはなかったが,そのタイトルと著者名だけはしっかり刻印された。

小田嶋隆のエッセイやTwitterを読むようになったのは最近の話である。日経ビジネスに連載された「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明は,著者の絶妙な挿し絵と,着眼点と,アイロニーにあふれた表現で,躊躇いを含んだ権力批判を毎回読むのが楽しみだった。2020年9月以前の記事はオープン・アクセスである。古くからの読者で,オダジマは政治的な話題を取り上げるのでいやになったという感想を持つ冷笑派が多く見受けられるが,それはあなたたちの方が間違っている。

その小田嶋隆が6月24日に亡くなってしまった。友人の町山智弘(1962-)は,宝島社時代の小田嶋隆の著書の編集担当だった。こうして,自民+公明+維新が笑う様が透けて見える参議院選挙の季節が回っていく。


写真:1950年代後半の高橋たか子と高橋和巳(朝日新聞から引用)

[1]高橋和巳50回忌(2021.5.3 Gonのあれこれ)

2022年6月24日金曜日

沖縄「慰霊の日」

 6月23日は,沖縄戦(1945.3.26-1945.9.7)から77年目(ななじゅうしちねんめ)を迎える「慰霊の日」だった。NHKでは左手に情緒的で反戦的なエピソードを積み上げつつ,右手では"防衛費"の増額と憲法の"改正"があたかも既定路線であって,なんの問題もないかのような印象操作を続けている。

さて,6月23日という日付は,なんとなく,沖縄戦で米軍が勝ち日本軍が負けた日なのかと思いこんでいたが,そんな単純なことでもなかった。沖縄戦を戦った第32軍の司令官の牛島満(1887-1945)と参謀の長勇(1895-1945)が自決して,日本軍の組織的な戦闘ができなくなった日だった。降伏の手続きを経なかったので掃討戦は継続し,6月23日以降にも多くの人命が失われた。7月2日には,連合国軍が終了宣言を出したものの,降伏調印式が行われたのは9月7日だった。

昭和19年の沖縄の人口は59万人,昭和21年には51万人に減っている。沖縄県による沖縄戦戦没者の推計によれば,全戦没者20万人(平和の礎には24万人が刻まれる),軍人軍属9.4万,一般県民9.4万,米軍1.3万とある。沖縄出身の軍人軍属と県民を合わせれば,12.2万人であり,県民全体の1/4近くに達している。


1977年夏の米島君との沖縄旅行については少し書いた。民宿に一泊した次の日に,南部戦跡をめぐるバスツアーに参加した。途中で,日本軍の地下壕の跡に立ち寄ったのだが,それが,豊見城市の旧海軍指令壕だった。ここでも6月13日に海軍司令官の大田実が自決している。その後ひめゆりの塔に向かったはずだがあまりはっきりおぼえていない。

金沢の卯辰山には,殉難豊川女子挺身隊の像がある。高校相撲大会の応援のときに,それをみながら米島君が,日本でミュージカルをつくるならばテーマはひめゆりの塔だと力説していた。そのとき自分はピンと来ていなかったが,数年後にはいっしょに沖縄を訪れることになった。


写真:卯辰山の殉難乙女の像(朝日新聞から引用)

2022年6月23日木曜日

評価基準と評価規準

 大阪教育大学のフェイスブックに「府内高校教員を対象に「教師の学び舎」第1回講座を開講」という記事が掲載され,お知らせがiPhoneにとんできた。

八田幸恵先生の講義が紹介されていた。八田さんといえば,京大教育学部の田中耕治研究室の出身なので,教育評価のプロである。自分が評価情報室に配属されていたころだったか,必要に迫られて田中耕治先生が書いた岩波書店の「教育評価」も買ったのだが,積ん読状態で放置していた。

さて,紹介された八田先生の講義の一コマで,次のようなスライドがあった。

キジュン={規準(criterion),基準(standard)}

規準:評価・解釈の規準を目標においたもの

基準:ある目標についてこれがこうできていれば5,こうであれば4ということを示して,教師に子どもの目標に対する達成度を把握させるもの 

   =量的な基準(○×10問中9問正解),質的な基準(ルーブリック)

うーん,循環定義になっている。そこで,師匠の本を繙いてみることにすると「相対評価」に対峙するものとして,「目標に準拠した評価」(「絶対評価」と混同されがち)があることを示したうえで,次のように書いている。

すなわち,規準」とは教育評価を目標準拠で行うということであり,教育評価の立場を表明する言葉として採用されている。しかし,この段階にとどまっていては,「目標に準拠した評価」は単なるスローガンに終ってしまう。その「規準」が量的・段階的に示された「基準」にまで具体化されなくては,「目標に準拠した評価」といえども,評価者の主観的な判断に陥る危険がある。

なるほどこれでわかったといいたいところだけれど,皆川さんの論文をみると話は錯綜していて,一筋縄では行かない。そもそも国立政策研究所の下記の資料は,ほとんどすべてを「評価規準」という用語で統一してしまったにもかかわらず,具体的な「基準」に立ち入って書いてあるのだから。混乱を招くこと必至ではないのか。

[1]「規準」と「基準」・‘criterion’と‘standard’の 区別と和英照合(皆川英代)
[2] 評価規準の作成のための参考資料(小学校)(国立政策研究所)
[3] 評価規準の作成のための参考資料(中学校)(国立政策研究所)
[4]「指導と評価の一体化」のための学習評価に関する参考資料(国立政策研究所)
[5]アメリカのスタンダード教育(さらに話が複雑な方向に・・・)

2022年6月22日水曜日

AIが意識を持った?

2015年に設立されたシンギュラリティサロン主宰の神戸大学名誉教授の松田卓也(1943-),セーラー服おじさんこと小林秀章(1962-),神戸大学教授の塚本昌彦(1964-),XOOMSの保田充彦らにより,YouTubeのシンギュラリティサロン・オンラインでは,意識・人工知能などの問題が議論されている。

今回のテーマは,「LaMDA騒動~「AIが意識を持った」というGoogleエンジニアが停職処分になったという話について」だった。LaMDAはGoogleが開発した対話システムであり,Transformerとよばれる自然言語処理のためのニューラルネットワーク深層学習モデルの上に構築されている。

このLaMDAにおける倫理的問題(ジェンダー,性的志向,人種,宗教などへのバイアス)を検討するために,宗教者のBlake Lemoineが同僚とともに,LaMDAとの対話を続けた。その結果,Lemoineは,LaMDAが意識を持っていると考えるようになり,上司に報告したが一笑に付された。その過程で,Lamoineが第三者に相談としたことが秘密保持規程違反とされて停職処分をうける。これに不満をもったLemoineが,Mediumにその経緯やLaMDAとLamoineの対話スクリプトを公開したことで,大きな注目を集めることになった。

実際に,その対話スクリプトを見ると,これはチューリングテストをパスしているのではというのが,シンギュラリティサロンメンバーの感想だった。実際,すごい対話がなされている。ただし,これは,LaMDAが意識(consciousness)/ 感覚性(sentience)を持ったことの証拠とすることはできない。そもそも意識とは何かが,現在の科学では定義されていないし,したがって,その検証方法も明らかになっていないからだ。あるいは,人間が世界を補完して認識する過程(特に対話の場合)の特徴が現れているというべきか。

検索用音声インターフェースのAlexaやSiriとは全く異なるレベルである。もし,GoogleがこのLaMDAを製品化して市販すればとんでもないことになりそうだ。ニール・スティーブンソンダイヤモンド・エイジの世界がそこまで迫ってきた。

[1]6/3 Religious Discrimination at Google
[2]6/7 May be Fired Soon for Doing AI Ethics Work
[3]6/8 Goovle is not Evil
[4]6/11 What is LaMDA and What Does it Want
[5]6/11 Is LaMDA Sentient? An Interview 
[6]6/14 Scientific Data and Relisious Opinions

2022年6月21日火曜日

ギフテッド

 日曜の朝,親戚の一統さんからFacebook Messageが入っていた。姪の鈴木涼美芥川賞候補になったというのだ。自分からすると,鈴木涼美は祖父のいとこのひ孫にあたる(かなり遠い・・・)。

さっそく鈴木涼美を調べてみると,父が鈴木晶,母が灰島かりとあった。なんだ人違いじゃないのと思ったが,よくよく確かめると自分の知っている遠い親戚の本名に行き着いた。私の祖父である越桐弥太郎のいとこが越桐信で,その娘が鈴木千恵子さんだ。そのファミリーだった。

1965年,小学校6年の夏休み,家族全員で東京旅行するという企画がもちあがった。妹が小学校4年と1年のころ。父にどこに行きたいか聞かれて,東京タワーと国立科学博物館をあげた。寝台列車で東京に向かい,ひとあたり東京の街を回って,大田区にあった鈴木千恵子さんのお宅に泊めてもらう。千恵子さんには息子と娘がいて,中学生と小学生だった。その妹の部屋で本を見せてもらったが,雨月物語があった。お兄ちゃん(=鈴木晶)と話した記憶はあまりない。

日本橋の白木屋デパートで食べた天ぷらそばがおいしくてびっくりしたこと,千恵子さんが予定になかった後楽園遊園地にいっしょに行こうと提案してくれて,乗り物が楽しかったこと,科学博物館のミイラには驚いたが,時間が足りなくて全館回りきれなくて残念だったことなどなど。

千恵子さんが旅行で金沢に来て家に泊まっていったこともある。お兄ちゃんは勉強がよくできて,東大に入ったいう話だったが,今では,舞踊評論家,舞踊史家,翻訳家として多くの著作がある有名な先生だった。

なお,一統さんの母上の越桐三枝子さんは俳人だ。


写真:後楽園遊園地のジェットコースター(東京ドームから引用)
(ジェットコースターには乗ってなかったかもしれないが・・・)

P. S. (2023-3-22)
妹に確認したところ,千恵子さんに連れていってもらった銀座の風月堂で食べたポタージュが忘れられないということだった。そういえば,そんな場面もあったかもしれない。そこから国電で鈴木家に向かったのだが,お兄ちゃんだけ私鉄で帰り,どちらが先につくかと競争していたらしい。なお,白木屋の天ぷらそばも後楽園も憶えていないらしい。

2022年6月20日月曜日

大阪博物場

 鐵腕 天野皎(あきら)からの続き

天野皎は,1885年から数年間,大阪博物場長と教育博物館長を勤めていた。その大阪博物場について調べてみようと思いながらもう1年半近くたってしまった。

大阪博物場は,1875年(明治8年)に設立された,博物館・美術館・商品陳列所・図書館・美術館を1ヶ所に併設した博物館群(テーマパーク)である。その後,組織や規模を縮小しながら,1945年の大阪大空襲まで70年近く存続していたようだ[1]。

その場所は,現在のマイドーム大阪のあたりである[2]。大阪教育大学のフォーマルな催し物でよく訪れたシティプラザ大阪の隣だ。毎年今ごろの季節には,田中俊哉先生+事務局メンバー達と帰りに立ち寄って水茄子を食べていたのは何の店だっただろうか。7-8年前のことなのにすっかり忘れてしまっている。google mapで探してもわからない。なくなったのか?

教育博物館という観点で,明治初期の中央教育博物館や地方教育博物館について調べた論文が,椎名さんの「教育博物館の成立」[3]である。1871年(明治4年),湯島聖堂に博物館が設置され紆余曲折を経て,1875(明治8年)に東京博物館となり,1877年(明治10年)に教育博物館として上野に設置される。現在の国立科学博物館の前身である。

このころ,京都博物館(1875),金沢博物館(1876),秋田博物館(1876),広島博物館(1877),開拓使札幌博物場(1877)などが誕生している。博覧会を媒介として教育博物館と殖産興業的な博物場のコンセプトがせめぎ合っていたが,地方では教育博物館が成立することはなかった。


図:府立大阪博物場案内図(MyDomeおおさかから引用)

[1]大阪博物場 −「楽園」の盛衰(後々田寿徳)
[2]府立大阪博物場「年表」(すくらんぶるアートビレッジ)
[3]教育博物館の成立(椎名仙卓)