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2020年7月1日水曜日

裁判員等選任手続

今日から7月に入る。仲夏・夏至・半夏生(はんげしょうず)。

朝から奈良地方裁判所に裁判員等選任手続に向う。10:00開始の30分前にはもう行列ができていて番号札は15番,最終的には35名ほど集まっていた。担当職員から当日の手順や事件の概要などを聞いた上で,裁判員となることに不都合がないかどうかの質問票に回答して,旅費・日当の振込手続きをする。コロナウィルス関係で,書類の押印が廃止されサインでOKだった。やればできるんじゃないですか。休憩をはさんで,当該事件の裁判長や裁判官,検事,弁護士ら7名がでてこられてご挨拶の後,裁判長から候補者に全体質問がある。その後,数名に対する個別質問なども終わると抽選というだった。抽選プロセスはブラックボックスだったが,裁判員6名と補充裁判員2名が発表され,無事に4倍強の難関を落選した。今年度の名簿からは外されたので,もし次があるとしても来年度以降だ。なお,裁判員候補者になったことは公表しても差し支えないとあった。選任手続の当日書類は回収されたので,記憶を辿ってみた。


写真:奈良地方裁判所前(2020.7.1)

2020年6月25日木曜日

セグウェイ

セグウェイが7月15日をもって生産中止されることになった。2001年に鳴り物入りで発表され注目を集めていたけれど,日本では公道を走れないし,あの価格だったのでまあ仕方がないのかもしれない。

最初にセグウェイに乗ったのは,2010年の夏休み,アラスカ州アンカレッジ市内のセグウェイツアーだった。次の日に日本に帰るということで,アンカレッジのホテル(ヒストリック・アンカレッジ)の近くを散策していたらセグウェイの市内ツアーを見かけた。はじめはスルーしたのが,やっぱり試してみようかということになってお店に戻ると,もう定員を締め切ったという。あす日本に帰るので,そこをなんとかとねばると,やさしいおじさんは2人を追加してくれた。

ヘルメットを借りて,近所の空き地まで行って,操作に慣れるためにしばらく練習したが,そんなに難しくはなかった。ツアー参加者は我々を含めて6〜8人くらいか。市内の普通の歩道や車道をゾロゾロと進むのである。アラスカ鉄道のアンカレッジ駅の向こう側を回るコースは小一時間くらいだったか。途中に公園,展望台,坂道などもある楽しいコースだったが,なんとか無事に出発点に帰り着いた。アンカレッジは人口30万弱で,そんなに混雑した街ではないとはいえ,面倒な規制でがちがちの日本と違って普通に市内を走れるのがすごいと思う。

その後,日本に帰ってしばらくした秋の日,明日香の高松塚記念公園辺りでセグウェイツアーがあるというのをどこかで見つけて,早速家族で申し込んだ。こちらの方も最初に少し練習をした後で,晴れた日の公園内をスルスルと列をなして進むのであった。最後の最後にバランスをくずしてしまって,全コースをクリアできなかったのが残念。

 

写真:アンカレッジ市内のセグウェイツアー(2010.8.30)


2020年6月17日水曜日

稗田環濠集落

稗田阿礼の出身地ということで,稗田環濠集落にある賣太神社の祭神は稗田阿礼命(ひえだのあれのみこと)だった。天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と猿田彦神(さるたひこのかみ)も祭神に名を連ねている。

神道の神の命名規則によると,「(1)○○ノ(2)○○ノ(3)○○」では,(1)が神の属性,(2)が神の名前,(3)が神号(尊称)である。むむむ,(3)には神−命−大神−権現−明神などがあるようだがいまひとつ区別がかわからない。そもそもサルタヒコも古事記では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神であり,日本書紀では猿田彦命となっているということなのでいったいなんなのか。

えーっ,猿田彦と天宇受賣は夫婦だったのか。猿田彦が手塚治虫の火の鳥にでてきたところまではなんとなく知っていたけれど。また「アメノウズメ」は古事記では天宇受賣命,日本書紀では天細女命となっている。賣太神社は稗田阿礼なので古事記方式でよいのだろう。

P. S. 稗田環濠集落の水路には亀がたくさん泳いでいた。猿沢池を越えるインパクトである。


写真:大和郡山市の稗田環濠集落にある賣太神社(2020.6.16撮影)

2020年6月8日月曜日

田植え

奈良県の農業研究開発センターの出している栽培技術マニュアルによれば,「ヒノヒカリ」と「キヌヒカリ」の田植えは6月9日となっている。朝の散歩で目にする数多の水田には水が張られ,日々田植えが進んでいる。


写真 朝の散歩から(2020.6.8撮影)

2020年5月25日月曜日

中ツ道

買物の帰り,旧24号線を南に下る途中で道がやや右に曲がるところの細い道を直進するとどんどん細い道に迷い込んでいった。google map 上では県道の51号線となっていて,それなりに太い線が引かれていた。残念ながらいつものようにグーグルマップの地図はあてにならず,現実の道路は隘路なのであった。途中に橘街道という看板があったので,これが中ツ道なのかと思った。朝の散歩の北東の転換点にあるセブンイレブン喜殿町店の前の道につながっており,そのまま南下すると前栽幼稚園から前栽駅に到達する道路だった。

2020年4月6日月曜日

奈良コンベンションセンター

4月1日,近鉄奈良線新大宮駅から徒歩10分の大宮通りと三条通りに挟まれた区域に奈良コンベンションセンターがオープンした。近くのホテルマリオットはまだオープンしていなかったが,おしゃれな蔦屋書店は中川政七商店とコラボレーションしながら開店していた。新型コロナウイルス感染症で不要不急の外出を自粛させられている中,用事があったのと,まあ人はいないだろうという予測のもとに探索に出かけた。実際お客さんはほとんどいなかった。地下の駐車場もガラガラだった。

蔦屋書店がおしゃれであることは認めるけれど,本屋の価値の本質はおしゃれにあるわけではないので,あまり好きではない。見掛け倒しのために洋書を壁面に糊付けするセンスには耐えられないのだった(それはここじゃないけど)。もう一つの大問題。理工書がほとんどないのである。しかも数学と物理は妙にかけ離れた場所に存在していた。なんだかなあ。

もちろんビレッジバンガード(こちらはきらいじゃない)とか丸善などの本のアレンジだって好き嫌いはあるのだろうけれど,ジュンク堂にがっつり並んだ理工書のボリュームを見ると安心するのであった。

そんなわけで,文句をいいながらも,無人支払機を試してみるべく久しぶりに文庫本を一冊買って帰った。親切に使い方を教えていただいてありがとうございました。

2020年2月14日金曜日

若草山

車検が終了した車を引き取りに行った。その後,某行事の下見ということで奈良に向う。秋田県の横手市ではこの週末がかまくら祭りなので,一年でも最も寒くなる頃だろう。奈良の鹿も冬の景色の中に溶け込んでいる。奈良奥山ドライブウェイの新若草山往復コースを進むが,山頂の駐車場には神戸ナンバーの車が一台停っているだけで閑散としている。他にはランニングまたは散歩の人がちらほら。奈良盆地が低く垂れ込めた雲の下にある。


写真:若草山から奈良盆地を望む。(撮影 2020.2.14)

2020年1月26日日曜日

徳勝龍

奈良県奈良市出身の大相撲力士,西前頭17枚目の徳勝龍が令和2年の1月場所で優勝した。20年ぶりの幕尻優勝,98年ぶりの奈良県出身力士の優勝で話題になった。ちなみに東前頭筆頭の遠藤9勝6敗で殊勲賞,西前頭5枚目の炎鵬は8勝7敗で残念ながら技能賞を逃した。西前頭11枚目の輝は10勝5敗でらくらくと炎鵬に勝っていた。千秋楽のテレビにはしがみついて見ていたけれど,正大と御嶽海からはじまって,貴景勝と徳勝龍の対戦,優勝インタビューまで目を離せなかったし,久々の感動ものだった。

自分がテレビで観戦するスポーツで最も時間の多いのは大相撲だ。夫婦でよくみる。石川県からは相撲に強い力士が多く輩出されるからだ。富山県は前乃山くらいだけど。高校野球やプロ野球でもときどき松井秀喜のような選手が出てくるので目を離せない。スポーツは自分の中ではローカル・パトリオティズムと直結しているのであった。だからオリンピックはいやなのである。

奈良県出身の力士というのは誰かと思ってしらべると,鶴ヶ濱という名前がでてきたが,3名のうちで優勝したのは,1922年の東前頭4枚目鶴ヶ濱増太郎のようだった。相撲の起源は古代の奈良にあるのだけれど,相撲発祥の地として桜井市の相撲神社と葛城市(當麻町)のけはや座が争っている。これを機会にキャンペーンを繰り広げると良いかもしれません。

NHKの夕方の番組,ニュースホット関西や奈良ナビのスポーツコーナあたりで奈良県出身力士の勝敗情報が流れている。徳勝龍は十両あたりでいまひとつの成績だけど,とりあえずしょっちゅう目にしていたのだが,こんな日を迎えることになるとは,世の中何が起こるか分からない。



2019年12月26日木曜日

ならの大仏さま:かこさとし

かこさとし絵本にはとてもお世話になった。子どもたちが小さいとき,1960年代から1980年代にかけて出版されたかこさとしの絵本のいくつかは寝る前の読み聞かせの定番だった。「だるまちゃんとてんぐちゃん 」「だるまちゃんとかみなりちゃん」「どろぼうがっこう」「からすのパンやさん」「だるまちゃんとうさぎちゃん」「だるまちゃんととらのこちゃん」などで,親子共々たいへんたのしく読むことができた。

福井県生まれ,東大工学部応用化学科出身で工学博士号を持つ加古里子には,「かわ」「海」「地球」「人間」「宇宙」などのすぐれた科学絵本もあった。しかし,これらについては図書館で借りるか本屋で立ち読みしたくらいで,買うことはなかった(なぜだろう)。ただ,「ならの大仏さま」だけは,1990年ごろに奈良県に引っ越した後に買ったのでいまも手元にある。

久しぶりに奥から引っ張り出してきて読んでみると,これはなかなかの名著であった。小学校高学年のときに読んだ日本の歴史シリーズの最初の巻で奈良の大仏の建立にいたる具体的な物語が書かれていてとてもおもしろく読んだ記憶があったが,それを思い出させるものであった。金の水銀アマルガムからくる毒性の話ものっていたのではないかと思う。非常に具体的であり,科学者の目がすみずみまでとどいているのだ。板倉聖宣のセンスと同じものがある。

2019年12月18日水曜日

聖火リレー

2020オリンピックはやめてほしいと思っているものの一人ではあるが,ニュースがあるとついつい見てしまうのが心の弱い証拠である。聖火リレーのコースが発表されたというので,奈良県はどうなっているのか探してみたら見つかった

えーっ,人間が走る部分はこんなに離散化されているのか。県を跨ぐ部分は車で輸送するのだろうと想像していたが,実は市町村単位で細切れになっていた。1964年もそうだったのだろうか。


2019年11月15日金曜日

東大寺七重塔

奈良東大寺の創建当時,東西に七重塔があったようだ。最近の東塔の発掘調査でも東塔を囲む回廊の東門の跡が見つかっている。塔の高さは70mとも100mともいわれており,東大寺はその再建を目標としているとのこと。ほんとですか。

日本で一番高い木造の塔は,54.8mの東寺の五重の塔だ。世界で一番高い木造建築物は,58.5mのカナダのブリティッシュコロンビア大学の学生寮だ。70mとか100mは可能なのだろうか?建築基準法上は燃えなければ可能みたい

その東大寺の七重塔は,1970年の大阪万博の際に古河グループの古河パビリオンとして復元されたことがある。ただしこれは木造ではなくプレハブ構造で1年で作ったようだ。その際に作られた七重塔相輪のレプリカは,東大寺大仏殿の横に設置されている。

金沢から大阪まで,雷鳥の臨時特急に乗って万博に行ったのは高校2年の夏休みだった。が,古河パビリオンにはあまり印象がない。岡本太郎のデザインで,小松左京のコンセプトによる内部展示を楽しみにしていただけにちょっと期待外れだった70mの太陽の塔には登ったけれど。


2019年11月9日土曜日

興福院特別公開

奈良市法蓮町の興福院(こんぶいん)は奈良時代に創建された浄土宗知恩院派の鄙びた尼寺だ。奈良高校の裏手辺りの佐保山の丘陵地に立地し,本堂からは奈良の町並みが一望できる。普段は一般公開されていないのだが,今年20年ぶりの特別公開が行われ,予約無しで拝観することができた。秋晴れの日に参詣客がそぞろ訪れていたが,さすがにここまでは外国人観光客が到達していない模様。

国重要文化財の客殿には,襖絵や袱紗などが展示されていた。雨ざらしになりそうな渡り廊下の階段を登って,足を踏み抜きそうな橋部を慎重に踏み渡っていくと本殿に至る。本殿にあるご本尊は,国重要文化財である天平時代の阿弥陀三尊像だ。木心乾漆阿弥陀如来の印相は珍しい中品下生のもので,両脇侍は観音菩薩と勢至菩薩。庭も美しく手入れされており,くちなしの若芽が養生中だった。


写真:興福院の大門と本堂(2019.11.08撮影)


2019年11月5日火曜日

南円堂と北円堂

家人に勧められて,興福寺国宝特別公開【南円堂,北円堂】に行った。秋晴れの爽やかな朝,すでに30人ほどが興福寺に設置された特別展の ticket counter に並んでいた。重要文化財南円堂では,東向きの国宝木造不空羂索観音菩薩座像(康慶作)のまわりに国宝木造四天王立像(康慶作)が多聞天(北東)持国天(南東)増長天(南西)広目天(北西)と囲んでおり,本尊の左手と右手の脇に国宝木造法相六祖座像(康慶作)が玄賓,行賀,常騰と玄昉,善集,神叡が据えてあった。南円堂よりひとまわり小さな国宝北円堂には国宝木造弥勒如来座像(運慶作)の背後に国宝木造無著菩薩立像と世親菩薩立像(運慶作)が,脇の左右に法苑林菩薩と大妙相菩薩が,そして国宝木心乾漆造四天王立像が囲んでいる。

運慶の無著菩薩は前回見たときは凄い印象があったが今回は弥勒如来ともども,康慶の迫力に負けてしまった。南円堂は何周もして四天王像の特徴を観察した。両足の上げ方や火焔光背の炎の向きの対称性,両手に持つ武具と宝物,衣装や兜,体型などすべてが緻密に計算されて形造られて本尊の周りを囲んでいた。一般に,四天王は持国天(東)増長天(南)広目天(西)多聞天(北)とそれぞれの守護範囲が決まっているのだが,本尊の向きとこの四方を護持する関係で実際の方位は異なる場合もあるようだ(見張りのお坊さんに尋ねてみた応答からの推測)。

その後,再建された中金堂にも回ってみたが,こちらは着飾った新婚外国人カップルがプロカメラマンを従えて中金堂を背景に記念スチール写真の撮影会をやっているような状況で,これはこれで大変雰囲気にマッチしていたが,中に収められた江戸時代の釈迦如来座像などは今一つだった。国宝木造四天王立像や重要文化財薬王・薬上菩薩立像なども再建された中金堂の空間の雰囲気になじめず,残念な状況だった。


写真:南円堂と北円堂(撮影 2019.11.05)

2019年9月16日月曜日

天河大辨財天社

敬老の日の休日なので(実は連日休日なのだ),道の駅吉野路黒滝でおいしい蕎麦(深山そば)を売っているというので,ドライブに出かけたところ,道の駅は入場待ちの行列ができており,10分さきの天川村まで足を伸ばした。

まずは,大峰本宮の天河神社に向った。天河伝説殺人事件は読んだことも映画を見たこともないのだけれど,当時のCMのせいか印象に残っていたので,天河神社の存在はよく認識していた。ところが,妻はそれ何知らないという。そうではなくて,途中に案内があった,丹生川上神社のほうが圧倒的に有名だと主張する。自分はそれ何知らない状態である。調べてみると天河神社は郷社であり,丹生川上神社は旧官幣大社であった。あらら。しかも丹生川上神社の上社はダムに水没させたという。いいのか水神を守る神社にそんなことして。罰があたるぞ。

その後,天川村に1つしかない信号機の横のかどや食堂に入ってアマゴ塩焼き定食とアマゴ甘露煮定食(両方とも安くておいしい)を食べて,これまたすぐ向いの土産物屋の小路の駅「てん」でアマゴの甘露煮をお土産に買った。かどや食堂の亭主夫妻のイラスト入りである。なお,帰りによった道の駅黒滝の深山そばは,人気のため売り切れてしまっていた。



写真:天河神社(撮影 2019.9.16)


2019年9月13日金曜日

奈良公園バスターミナル

奈良公園バスターミナルは,奈良県庁前での観光バスの乗降にともなう交通渋滞を解消するために,奈良県が45億円をかけて県庁横の空き地を整備し,2019年4月13日にオープンした。パーク&ライドの仕組みとあわせて,奈良公園ゾーンへの観光バスやマイカー流入の抑制を図るという趣旨だったが,バスターミナルの利用が当初の予想の半分程度にとどまっている。

ということで,妻と早速現地調査に赴いた。確かにターミナルは混雑しておらず,市の中心部にたいへんここち良い空間が創出されていた。お店の数もかなり限定されていて,どちらかというとイベントや屋上から奈良の緑に触れるための公共施設といった趣ののんびりした奈良的雰囲気でいっぱいだった。あっ,平城宮跡歴史公園鍵・唐古遺跡史跡公園飛鳥歴史公園などもそうだが,この手のパターンの空間が奈良には多いわ。維新に牛耳られた大阪が公共空間である公園を潰しながら商業化を図っているベクトルとはあきらかに違う。

 

写真:奈良公園バスターミナル(2019.9.12撮影)

2019年9月12日木曜日

五劫院

五劫院は奈良市北御門町にある華厳宗の寺院。東大寺復興の勧進で有名な重源(1121-1206)が開山した。重要文化財の五劫思惟阿弥陀仏坐像が本尊となっている。今日は特別に拝観させていただいた。

この五劫思惟阿弥陀仏は螺髪が伸びるままにまかせ,アフロヘアーのようになっているのが特徴である。昔の笑福亭鶴瓶というか最近のチコちゃんというか。毎年夏に特別開帳されているが,それ以外のときは予約すれば見ることができる場合もある。

なお,形は東大寺傘下の華厳宗であるが,実質は阿弥陀仏をお祭りしている浄土宗だそうだ。法然の名前が行事予定にあった。


 

写真:五劫院(2019.9.12)

2019年8月21日水曜日

運転免許証の更新

昨日,66歳の誕生日を前に,豪雨の田原本地区を通過して雨の降っていない奈良県橿原市新ノ口の運転免許センターに免許証の更新に向った。思わず免許状更新講習と書いてしまいそうでこわい。午前中の受付時間は8:30〜9:30だがちょうど8:30に到着。雨模様だったので更新にくる人は少ないかと思っていたがそうでもなく,いつもと同じようだった。

違っていたのは受付と手続きのフローだ。これまでの数回の更新ではなかなかもっちゃりしていたが,今回かなり改善されていた。最初に並ぶ列が,70歳以上(高齢者講習が必要)と69歳以下の2つに分かれている。列の先の端末機に免許証を入れると,暗証番号を発券する。高齢者列は難渋していて,待ちきれない別の人が係の人を呼び出していた。ゲットした暗証番号を窓口に提示するために待っていると,受付順に申請書類が速やかに印刷されており,すぐ名前がよばれた。記入事項はあらかた印刷されており,電話番号を記入するだけだ。申請書と同時に体調チェックアンケートを渡され,記入して1番に向うよう指示される。

1番窓口。証紙発行窓口に1列に並ぶよう誘導される。窓口は6箇所あり,スムーズに列は進む。かつてはこの窓口に手書きの申請書を持って並列で窓口開始前から長時間並んでいたのだったが,かなり改善された。証紙代金の3,000円を払い込むと既に貼り付けも完了しているので,名前と生年月日を書いて2番に進めと指示される。

2番窓口。ここは視力検査だが,列に並ぶ前で書類に不備がないか簡単にチェックされて,やはり1列に並ぶ。なお,証紙をはった紙は色分けされていて,自分は優良講習のピンクだった。次回は70歳以上なのだがどうなるのだろう。検査機は2台だが,列も淡々と進む。視力検査は眼鏡ありでOKだった。眼鏡がないと小さいランドルト環は見えない。

3番窓口。ここでも列に並ぶ前に必要書類があるかを確認する係員が立っている。このように要所要所に人がいて,流れを円滑にしている。大変結構ですね。3番窓口では,免許証の申請書類の内容をデータベースに入力して次の関門に進むための書類と免許証だけが返ってくる。

5番窓口。4番がないのは,縁起担ぎか。いよいよ写真撮影だ。ここもかつてより円滑に流れているような気がする。書類と免許証を渡し,2台のうちの左側で撮影すると受領番号札パウチがもらえた。これも色分けされていて,優良講習は2Fの講習室に進めと指示された。問題が1つ。写真を撮るとき頭が少し右に傾く癖がある。それを指摘されて修正する過程で気が緩んでにやけてしまったのが失敗。今後5年間は,このニヤケタ免許証とつき合わなければならない。いつもの逮捕された犯人顔ではないのでよしとしよう。ここまでで,最初から30分経過している。

2F講習室。20分ほど待って,30分の講習が始まる。いよいよ自動運転時代を前にして,両手でハンドルを持ってしっかり操作してください,他の車とコミュニケーションしてくださいという,非常に本質的な注意を受ける。夜間はハイビームがデフォルトで,対向車があればこまめにロービームに変えて下さいということだった。もちろん,話題のあおり運転の話もあった。

次回は71歳の2024年です。




2019年7月22日月曜日

喜光寺(菅原寺)

奈良にある法相宗の別格本山喜光寺は,721年に行基が創建したという説がある。菅原の里につくられたので,当初は菅原寺と名付けられていたが,748年に行幸された聖武天皇によって喜光寺という名前が賜られた。左下の写真のように菅原寺という名札も懸かっている。右下の写真の建物は,行基が東大寺大仏殿を建立する際に十分の一の雛形として建てたとの伝承から「試みの大仏殿」とよばれていると受付の方が説明してくれた。十分の一は長さなのか面積なのか体積なのかよくわからなかった。

写真:喜光寺の本堂1(2019.7.18撮影)

本堂の中には阿弥陀如来,観自在菩薩,勢至菩薩の三尊が治められている。もうすぐ修理に入るらしい。奈良大学に預けられている四天王が里帰りしていた。9月2日まで特別公開されているらしい。奥のお写経道場ではいろは写経ができる。境内では鉢植えの蓮の花がちょうど見頃になっていた。

写真:喜光寺の本堂2(2019.7.18撮影)


2019年7月21日日曜日

菅原神社

奈良の喜光寺は,菅原道真(845-903)の生誕地(異説も多い)である菅原の里にあったためかつて菅原寺とよばれていた。喜光寺のそばには菅原神社(菅原天満宮)と菅原道真が産湯を使ったといわれる天神池の遺跡があった。「すがはら」なのか「すがわら」なのかどうなのだろう

写真 菅原天満宮あたり(2019.7.18撮影)

2019年4月21日日曜日

まほろば健康パーク

奈良県浄化センターにあるファミリー公園が,施設改修されて「まほろば健康パーク」になったのは5年前の2014年7月。毎日通勤で,「ファミリー公園前」を通過していたが,今日初めて行ってみた。子どもが小さいときは,何度か足を運んでいたけれど,いろいろと模様替えして,大勢の家族連れが訪れていた。
図 奈良県浄化センターの全体図(奈良県ホームページより引用)

ファミリー鉄道は1回300円 ,スイムピア奈良の65歳以上料金は2時間420円。これならときどき来てもいいかもしれない。広場で歓声がするのでのぞいてみると,ナショナルディスクドッグアソシエーションのゲームが行われていた。なかなか素早い犬たちがフリスビーをキャッチしている。似たような団体に日本フィリスビードッグ協会というのもあるようだ。

 
写真:まほろばファミリー鉄道の出発駅(2019.4.21)