1969年から1971年までが自分の高校生の時期にあたる。音楽シーンではグループサウンズが終焉をむかえ演歌系が立ち上がってくる頃。ニューミュージック前夜だ。その背景では中津川のフォークジャンボリーで,五つの赤い風船,赤い鳥や岡林信康らが盛り上がった。が,自分の興味はそこに向かわず,ビートルズやビージーズとフィフス・ディメンションを聴いていた。岡林の再発見は,1970年代半ば大学生活の終盤まで待たなければならない。
「ヤング・ヤング・ヤング」は午後10時台の番組なので,深夜放送ではない。ラジオの深夜放送を聞くようになったのは,金沢泉丘高校理数科の同級生で放送部の西川健一君の影響があったかもしれない。「パックインミュージック」のなっちゃん・チャコちゃんがどうのこうのと楽しそうに話題にしていた。普通のシリアスな俳優だと思っていた愛川欽也がキンキンのキャラクターで登場していた。ただ,深夜放送を話題にしている生徒はあまりいないし,自分もそこまで熱心なリスナーではなかった。
当時の「オールナイトニッポン」は,糸居五郎から斉藤安弘・亀渕昭信の時代だった。ESSの部長の倉橋克人君が話題にしていたが,そちらの方は聴いていなかったので適当にスルーしていた。オールナイトニッポンは,大学生になってから,タモリ,所ジョージや松山千春,中島みゆきの頃に聞くことになる。近田春夫もおもしろかったが,それはパックインミュージックだったのか。いつごろどこで耳にしていたのかよくわからない。
その後もっともハマったのは関西ローカルの「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」で,1979年から1980年ごろによく聞いていた。信貴山や新世界のイベントがあったころだ。ヤンタンを聞いた時代と重なっている。そういえば新野新(1935-)はもう90歳か。
図:DALL-E3が考えた日本の深夜放送のイメージ
[1]放送90年シンポジウム「ラジオは未来の夢を見る」(植村充博)
―ジャンル変遷史を中心に―(黄 逸雋)
0 件のコメント:
コメントを投稿