2023年8月13日日曜日

模擬原爆

先週の8月6日は78回目の原爆忌だった。

1945年7月,広島や長崎(予定では小倉,もしくは候補としての新潟)に原爆を投下するための実験や訓練のために模擬原爆(パンプキン爆弾)が日本に多数投下されたというニュースがあった。もしかすると,1973年の夏の旅行で訪れた広島平和記念資料館で展示を見たかもしれないが,全く記憶から消えていた。
パンプキン爆弾は,「原爆投下に備えた爆撃機乗員訓練のためと,今までに例のない特殊な形状をしたファットマン(引用注:長崎に投下されたプルトニウム爆弾)が爆撃機(原爆搭載が可能なように特別に改修したB-29)から投下され爆発するまでの弾道特性・慣性能率等の様々な事前データ採取のために,いわば「模擬原爆」として製作された。」(Wikipediaから引用)
平和祈念資料館によれば,「1945年(昭和20年)7月20日から8月14日までの間に49発が投下され、1,600人以上の死傷者が出ました。」ということであり,8月9日の長崎の後も続いていた。模擬原爆投下の目標とされたのは,当初の原爆投下候補地だった京都市,広島市,新潟市,小倉市の各都市を含む4つのエリアに分けた周辺都市である。例えば,富山市には4発も投下されていた。


図:模擬版段の投下(西日本新聞から引用)

[1] もう一つの「原爆」大阪に落とされた模擬原爆(大阪日日新聞)
[2]模擬原子爆弾投下跡地之碑(大阪市東住吉区)

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