1970年代以降の教育費政策における受益者負担主義の展開は,家計負担の教育費を急増させ,いわゆる少子化社会到来の主な要因の一つとさえいわれるに至った。かかる現状に対し,改めて教育財政の合理的な姿とし,教育経費の財源を租税負担に求める方向性を強化する議論が提起されてよいであろう。しかし,問題はそこにとどまらない。教育経費の財源負担のあり方は,国民の教育意識をその深部おいて規定する。受益者負担主義は,子ども・青年を父母に依存させ,教育を経済的成功の手段とし,教育における競争秩序を是認する傾向を促進する。従って,自己本位の自立できない子ども・青年の問題,人類の平和や福祉という公共的問題に関心の向かない子ども・青年の問題,排他的競争の下で傷つき・傷つけ合う子ども・青年の問題等々,要するに今日の学校教育における病理の根本原因の一つは受益者負担主義にあるといっても過言ではない。その意味で,経済的効率性を追求する受益者負担主義は,あたかも教育公害をもたらし,その対症療法に要する経費が嵩む結果,返って経済的にも不効率になるといえるのではなかろうか。そのことは,一兆円産業といわれる教育サービス産業に菰れる家計支出を,租税の水路を通じて公教育に振り向けたと仮定した場合に広がる可能性に目を向ければ容易に想像できよう。しかし,そのためには,受益者負担主義とその表裏の関係にある能力主義的競争とを国民的規模で克服しなければなるまい。
井深さんの論文で,本文が公開されていて興味を引いたのはつぎのようなものだ。ただし,Society5.0については現状をさらっとまとめただけで斬り込んででいるわけではなかった。
[1]教育費の節減合理化と受益者負担論(井深雄二,1996)
[2]教育の公共性の再構築と私事の組織化論(井深雄二,2000)
[3]教育基本法と立憲主義−新旧教育基本法の歴史的本質−(井深雄二,2015)
[4]第3期教育振興基本計画とSociety5.0の教育改革論(井深雄二,2019)
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