76年前の1945年6月8日(金)の最高戦争指導会議(御前会議)において,「今後採ルべキ戦争指導ノ基本大綱」(国立公文書館アジア歴史資料センター)により,大東亜戦争を継続し本土決戦にそなえることが決定された。「今後採ルべキ戦争指導ノ大綱(基本のないもの)」はそれまでに3回(1942.3.7,1943.9.30,1944.8.19)策定されており,それらに続くものだ。
今後採ルベキ戦争指導ノ基本大綱(注:国立公文書館アジア歴史資料センターの画像から文字起し,正確性に欠く)
方 針
七生盡忠ノ信念ヲ源力トシ地ノ利人ノ和ヲ以テ飽ク迄戦争ヲ完遂シ以
テ國體ヲ護持シ楽土ヲ保衛シ征戦目的ノ達成ヲ期ス
要 領
一、速ヤカニ皇土戦場態勢ヲ強化シ皇軍ノ主戦力ヲ之ニ集中ス
爾他ノ彊域ニ於ケル戦力ノ配置ハ我ガ實力ヲ勘案シ主敵米ニ對スル
戦争ノ遂行ヲ主眼トシ兼ネテ北邊ノ情勢急變ヲ考慮スルモノトス
ニ、世界情勢變轉ノ機微ニ投ジ對外諸施策特ニ對「ソ」對支施策ノ活
發強力ナル實行ヲ期シ以テ戦争遂行ヲ有利ナラシム
三、國内ニ於テハ挙國一致皇土決戦ニ即應シ得ル如ク國民戦争ノ本質
ニ徹スル諸般ノ態勢ヲ整備ス、就中國民義勇隊ノ組織ヲ中軸トシ益
々全國民ノ團結ヲ鞏化シ愈々戦意ヲ昂揚シ物的國力ノ充實特ニ食糧
ノ確保竝特定兵器ノ生産ニ國家施策ノ重點ヲ指向ス
四、本大綱ニ基ク實行方策ハ夫々擔任ニ應ジ具體的ニ企畫シ速急ニ之
ガ實現ヲ期ス
東京オリンピック・パラリンピック競技大会と相似形の方針の下,灼熱の8月を迎えようとしている。連合国軍による日本本土上陸作戦(ダウンフォール作戦)には,オリンピック作戦というのがあるのだけれど,その名前の由来はなんなのだろう。
[1]戦争指導方針決定の構造‐太平洋戦争時の日本を事例として‐(立川京一)
[2]太平洋戦争中期における日本の戦略 —主戦場たる太平洋における作戦戦略の帰趨(屋代宜昭)
[3]今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱(1943年9月30日,Wikisource)
[4]太平洋戦争後半期における戦争指導‐陸軍の戦争終結構想を中心として‐(和田朋幸)
[5]終戦と無決定の本質(Hyong Cheol LEE)
0 件のコメント:
コメントを投稿