2019年9月7日土曜日

日韓関係の悪化を招いた責任

外務省に25年勤め,東大教養学部に出向した後,日本大学法学部教授,明治学院大学国際学部教授,広島市立大学広島平和研究所所長などを歴任した浅井基文さんのブログ「21世紀の日本と国際社会」は貴重な論考の集まりだ。

2019年8月25日の記事「引きこもり国家」へと進む日本(ハンギョレ文章)が「世に倦む日々」で紹介され一部で話題になった。「今日の日韓関係の悪化を招いた責任は全的に安倍政権にあることについての私の理解をお話しします」ということで,明解に今の状況を分析している。一読の価値がある。

P. S.  田中宏和の「世に倦む日々」は毀誉褒貶も激しいのだけれど,ときどきは新鮮な切り口を見せてくれる。9月4日の「開戦と戦時」にはドキッとした。



2019年9月6日金曜日

徴用工判決をめぐって

2018年の11月5日に「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」が出されている。

その内容は,いたってシンプルであり納得できるものだ。
1 元徴用工問題の本質は人権問題である
2 日韓請求権協定により個人請求権は消滅していない
3 被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である
4 日韓両国が相互に非難しあうのではなく,本判決を機に根本的な解決を行うべきである

しかし,日本中の多くの人々は政府の説明(国どうしの約束は守らなければならない)のほうを支持しているようだ。

2019年9月5日木曜日

旭日旗舞う東京五輪

オリンピックや万博に血道をあげるよりも,東日本大震災・原発被害からの復興や急速に劣化しつつある生活・国土インフラ補修のほうがよほど重要だと思っていた。そのオリンピックの方は,招致汚職と猛暑の危険とボランティア搾取と大腸菌まみれの海と次々とケチがついてきたが,日本オリンピック委員会(JOC)の非公開を経由してとうとう旭日旗での応援を認めるというところにまで到達したようだ。

日韓関係の悪化のエピソードとしての旭日旗自衛艦の拒否問題は,今年の5月に外務省と防衛省によるプロパガンダ強化へとつながった。官僚たちはみごとに東アジアの歴史問題を「旭日旗の歴史」問題と,どうでもよい「旭日旗のデザイン」問題と,関係ない「満艦飾の定義」問題にすりかえた(防衛官僚の方がやや賢くない印象がある)。これらを背景として,どうしようもないJOCは新しい結論を導いたようだ。

FIFAのこれまでの経緯などからしても,オリンピック競技場への旭日旗の導入にこれっぽっちも賛成する根拠は出てこない。しかし,まじめな青少年諸君とその延長線上にあるマスコミの皆さんは外務省の説明をみて納得するものと想像される。

[1]2019.5.13,外務省 旭日旗
[2]2019.5.24,防衛省 自衛隊の旗と満艦飾について (自衛艦旗について
[3]2018.7.1,セネガル戦でまたも「旭日旗」。日本代表を応援するのに旭日旗を出すべきではないこれだけの理由
[4]2017.4.27,旭日旗はなぜサッカースタジアムで禁止なのか? 関係ない日本側の主張、知るべき国際ルール
[5]2013.7.30,なぜ韓国サポーターは政治的な横断幕を掲げ、旭日旗に反発するのか?
[6]FIFA Stadium Safety and Security Regulations 

2019年9月4日水曜日

ネイピア数と素数

天才数学少女?からの続き)

ネイピア数を10進法で表現し,小数点以下650桁までとったものから2.7を減じたものを整数とみなした数が素数になるという話について。なぜ,最初の2桁を除いたものなのだろうか。その他ではどうなるのだろうか。そこで,上の桁から順に取り除いて整数化したもののうちはじめて素数が現れる小数点以下桁数を探してみた。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
N[E, 20]
2.7182818284590452354

g1[k_] := PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 2*10^(k + 1))]]
g2[k_] := PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 27*10^k)]]
g3[k_] := PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 271*10^(k - 1))]]
g4[k_] := PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 2718*10^(k - 2))]]
g5[k_] := PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 27182*10^(k - 3))]]
g6[k_] := PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 271828*10^(k - 4))]]
g7[k_] := PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 2718281*10^(k - 5))]]
g8[k_] := PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 27182818*10^(k - 6))]]
g9[k_] :=
 PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 271828182*10^(k - 7))]]
g10[k_] :=
 PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 2718281828*10^(k - 8))]]
g11[k_] :=
 PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 27182818284*10^(k - 9))]]
g12[k_] :=
 PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 271828182845*10^(k - 10))]]
g13[k_] :=
 PrimeQ[Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 2718281828459*10^(k - 11))]]

 {g1[1], g2[649], g3[26], g4[3], g5[25], g6[34], g7[18],  g8[7], g9[273], g10[44], g11[10], g12[16], g13[16]}

 {True, True, True, True, True, True, True, True, True, True, True, True, True}
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

最後の数字はgi[k]のテーブルを目の子で作って探した結果だけを書いたものであり,2桁の2.7を差し引いた場合が,他の場合に比べて際立っていることがわかる。が,それほど意味はない。

【付録】なお,素数定理とネイピア数には関係があるらしい。
f[n_] := Apply[LCM, Range[n]]^(1.0/n)
a = Table[f[i], {i, 1, 10000}]; b=Table[f[i],{i,1,100000}];
ListPlot[a]
ListPlot[b]



図 nまでの数の最小公倍数のn乗根の収束性


2019年9月3日火曜日

様々な反応

天才数学少女?からの続き)

SNSはすごいいきおいで情報を消費していく。それによって,様々なことがらが大きく拡大されたり変形されたりしていく。情報空間の幾何学が実感として必要になるゆえんだ。例えば,仙台の高校生が,いきなりアメリカ在住の日本人高校生になっていた。

昨日の記事についてはいくつかの反応に分かれる。
(1) フェイク説,(2) 懐疑説,(3) 倫理説,(4) 静観説,(5) 支援説,

すのうさんのブログの開始時期と記事日時の不整合にかみついた人もいた。本人は,2019年2月にbloggerからの移転ではじめますと書いてある。ただ,ブログビジネスと書いているところに引っかかるかもしれない。フェイク説のはっきりした根拠はまだ寄せられていない。

懐疑説の代表的なものは,数学デー運営の鯵坂もっちょさん。彼のブログであるアジマティックスはたいへん面白い話題でいっぱいだ。そこには2019年1月の記事「連分数展開について考えてたらやばい式が出てきてやばい」で例の√3や√45の連分数平方根の導出に到った経緯などが詳しく書かれている。これをパクられたのではないかと彼が想像してもおかしくはない。また,素数大富豪の記事があり,5桁程度の素数には熟達しているひとがいても違和感を感じないのかもしれない。

有力なブロガー(いや物理学者だ),野尻さん,田崎さんなどは,未成年に対するパトロネージの話を公開のSNSで行っていることに強く警告をうながしている。それはそのとおりなのだが。でも,すのうさんの衝撃はそれほど大きかったのだということかもしれない(また,1月からはMichigan State University へ移るので)。一方,仙台在住の小波さんや大隅さんは注意しながらも支援説に傾いているようにみえる。ここは千葉逸人さんのコメントをもらいたいところだ。

P. S.(09/05/2019)小波さんがきっかけとなって拡散したこの話題は,結局,9/5にすのうさんの休筆で幕を閉じることになった。フェイク説や懐疑説をみるに,本邦のデルクイを打つエネルギーの大きさと,貴重な情報の取り扱いの難しさをあらためて感じてしまう。


2019年9月2日月曜日

天才数学少女?

小波さんのフェイスブック経由で,東北の天才数学少女の話題が飛び込んできた。詳しくは,東北大学の材料科学高等研究所の数学連携グループ(ビールの千葉逸人さんが教授で在席)に所属している助教の高橋悠樹さんのブログ「すのうの部屋」の2019年7月のところにある。

ラマヌジャン(1887-1920)のように数が見える16歳の高校生だ。数学は得意でないが,数の不思議な関係を直感的に幻視する能力があるらしい。すのうさんが,週1回数学の勉強を指導しているときに,その能力に気付いたそうだ。例えば,5桁の素数で特定のパターンを持つものを指定したところ,5分くらい考えて10個の素数を示したが,後で確認するとそれは正しかったことが確認されたとのこと。

具体的には5桁で,上から2桁目が1,4桁目が3となるもののうち1桁目が1となるものを10個選び出したということである。Mathematicaで確認すると確かに正しいことがわかる。
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In[1]:=  a = Table[Prime[k], {k, 1335, 1439}]

Out[1]=  {10993, 11003, 11027, 11047, 11057, 11059, 11069, 11071, 11083, \
11087, 11093, 11113, 11117, 11119, 11131, 11149, 11159, 11161, 11171, \
11173, 11177, 11197, 11213, 11239, 11243, 11251, 11257, 11261, 11273, \
11279, 11287, 11299, 11311, 11317, 11321, 11329, 11351, 11353, 11369, \
11383, 11393, 11399, 11411, 11423, 11437, 11443, 11447, 11467, 11471, \
11483, 11489, 11491, 11497, 11503, 11519, 11527, 11549, 11551, 11579, \
11587, 11593, 11597, 11617, 11621, 11633, 11657, 11677, 11681, 11689, \
11699, 11701, 11717, 11719, 11731, 11743, 11777, 11779, 11783, 11789, \
11801, 11807, 11813, 11821, 11827, 11831, 11833, 11839, 11863, 11867, \
11887, 11897, 11903, 11909, 11923, 11927, 11933, 11939, 11941, 11953, \
11959, 11969, 11971, 11981, 11987, 12007}

In[2]:=  Select[a, Mod[Floor[#/10], 10] == 3 &]

Out[2]=  {11131, 11239, 11437, 11633, 11731, 11831, 11833, 11839, 11933, 11939}
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

さらに,ネイピア数から2.7を引いた数字の小数点以下650桁分を整数と見なしたときにこれが素数であることが,下記のFacebookの記事にみられた。なお,650桁未満のカットオフに対して素数はあらわれない。また次に素数となるのは小数点以下2650桁分である。
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In[3]:=  f[k_] := Do[m = Floor[(N[E, k + 3]*10^(k + 1) - 27*10^k)];Print[m]; Print[PrimeQ[m]], 1]

In[4]:= f[649]

 1828182845904523536028747135266249775724709369995957496696762772407663035354759457138217852516642742746639193200305992181741359662904357290033429526059563073813232862794349076323382988075319525101901157383418793070215408914993488416750924476146066808226480016847741185374234544243710753907774499206955170276183860626133138458300075204493382656029760673711320070932870912744374704723069697720931014169283681902551510865746377211125238978442505695369677078544996996794686445490598793163688923009879312773617821542499922957635148220826989519366803318252886939849646510582093923982948879332036250944311730123819706841614039701983767932068328237646480429

True
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

当該のブログではfakeでないかとのコメントもついているが,すのうさんの話が本当ならば,上記の素数列などはネットには上がってこない種類のものなので,彼女がそれらをネットから探し出して再現しているだけだという主張には根拠がないと思う。

素数を生成する式,それはそれこそ紀元前から現代に至るまで誰1人見つけることの出来ていないもので,だから,そんなものは存在するはずがないとずっと思っていましたが。
正真正銘の天才だと僕が信じる人が「あると確信している」と言っているので,恐らくあるのだろうと今は思っています。
「nのフィールド上にあると仮定した軸を持った螺旋にそれと正反対の回転と角度を持った螺旋を任意の(適当な?)CBRにそって回転させていって,それがハマれば当たり」
彼女がこれを我々凡人が理解できるように説明できるだけの数学の知識を得たとき,世界が震撼するかも知れません。

2019年9月1日日曜日

若槻先生と内山先生

原子核物理(実験)が専門の若槻哲雄先生が,阪大の学長になられたのは,自分が4回生のときだった。原子核物理に関係する授業というと,1回生の原子物理学は杉本健三先生で,3回生の原子核物理学は江尻宏康先生だった。若槻先生の授業があったのかどうかあまりはっきりしない。ただ,学長になられる前にクラスの数名と研究室に押し掛けて,当時の学内問題について意見をしにいったというのか聞きに行ったことがあり,たいへん丁寧に対応していただいた。

学長になられてからだったかどうか。理学部5階の大講義室で全学の学生が要求した集会が開かれて,そこで矢面に立たれたことがある。当時の阪大の諸問題のうちで何をめぐるものだったのかははっきり憶えていない。授業料値上反対闘争は,自分たちが入学した時点で収束しており,筑波大学設置をめぐる反「大学管理法案」闘争やそれに連動した言語文化部設置反対運動も2回生のときに収束している。あるいは,宮山寮廃止やその入退寮権をめぐる問題だったのだろうか。こちらの方はかなり長引いていた。

1960年代後半の大学闘争の大波は引いていたが,まだ学内には崩壊熱が残っている時代だった。その理学部での集会はヘルメット学生やゲバ棒は見られない,いたって穏健なものだったが,会場いっぱいに学生や教職員が集まり,学生からはきつい言葉が飛びかっていたと思う。内山先生を見たのはそのときが最初だった。体格のよい先生が若槻先生の演壇の脇に仁王のように立って学生を睥睨し,なにかあったら容赦しないぞという緊張感がただよっていたが,それでも会場の笑いをとっていたのが内山先生らしかった。

2019年8月31日土曜日

龍雄先生の冒険

昨日注文した「龍雄先生の冒険 回想の内山龍雄:一般ゲージ場理論の創始者(窮理舎)」が早速到着した。1994年に私家版として発行され,25年後に内山研究室ゆかりのひとたちが加筆してできた新版だ。

前半が「先生と犬印の缶づめ」というタイトルで,1-2ページ以内のエピソード80話から成り立っている。後半は「耳に残る先生の怒鳴り声」というタイトルで,内山先生の書かれたいくつかの文章(未完のものを含む)があり,最後に砂川重信先生の「さようなら内山先生」という追悼文がきている。

内山研の人々が著者なので,だいたいはお顔が浮かぶか,お名前を耳にしている。斉藤武先生には3回生の量子力学を講義していただいたし,その演習は今回,直接登場されていない国正東作さんだった。細谷暁夫先生は助手か講師の時代で,声をかけられたこともある。先輩の重本和泰さんは隣の研究室の先輩として存在感を発揮されていた。

内山先生には4回生の時の相対論と素粒子論の授業を担当していただいた。大学院に進学して,自分がD1からD2(1978-1979年度)のときに理学部長を務められ,1980年の3月に停年退官されている。M1のときの修士論文発表会では,内山研のH先輩に大きな雷が落ちるのを目撃していたので,今年はどうなるのかとびくびくものだった。しかし,ちょうど理学部長になる直前でお忙しかったのか,自分の発表のときにはたまたまいらっしゃらなかった。伊達宗行先生のやさしい進行で無事に発表は終了したが,よかったのかわるかったのか。

内山先生の大音声はときどき聞こえてきたが,直接お話した機会はごくわずかである。1つは,大学院入試の時で,内山先生,村岡先生のチームの部屋だったか。村岡先生の14Nのスピンと統計の話はちゃんと答えられたが,内山先生の質問はゲージ変換についてだった。電磁場中のシュレーディンガー方程式を書かせ,ゲージ変換でこの方程式がどうなるかを述べよというものだった。ゲージ不変だとは思ったけれども,示すことはできなかった。

もう1回は,附属図書館のアルバイトをしていたときの事件と関係がある。D1のときだったろうか。時間外窓口の担当と図書目録カードの整理が仕事で,週2日ほど夕方2Fのデスクにすわっていた。ある日,係長がトイレに落書きがあるので確認してきてほしいといった。差別問題にかかわるようなものだが,あまり強い印象はない。ただ,不思議だったのが,この落書きをあなたが発見したことにしてほしいといわれたことだ。実際には自分は第一発見者ではなかったが,事情がよく飲み込めずハイハイと返事してそのままにしておいた。1週間ほどしてから,森田先生が学生部屋に来て,内山先生がお呼びだという。なんだろうと思って,内山先生の教授室へ行くとその話だった。なんだかよくわからず狐につままれたようなことで,こちらもハイハイと返事して退室した。

いや,当時はこういう差別落書きが大きな学内問題に発展することは多々あったので,関係者が敏感になっていることは分かっていた。自分は学部生のときにいろいろ騒いでいたので,危ないと思われたのかもしれない。

2019年8月30日金曜日

内山先生の相対論

手元にある岩波全書の「相対性理論(内山龍雄)」は,1977年の出版である。自分がM2の年だ。同じ著者で裳華房の物理学選書の「一般相対性理論」は,1978年だからD1の年。理学部物理学科4回生で受講した内山先生の「相対論」は,特殊相対性理論がテーマだった。毎時間,熟練秘書の辻芳子さん(池田市にあった大教大の官舎近くにお住まいで,後に家族でハワイへ行ったときにもお世話になった)が,教卓にお茶を運んでくる。その後,内山先生がやおら登場してお茶を飲みながらノートなしで,黒板にさらさらと流れるようにゆっくり式を書きながら説明される。一点のよどみもない明確な論理で貫かれた名講義で,聞いているだけで相対論が完全に理解できたような錯覚が得られた。

さて,岩波全書の相対性理論であるが,序の最後で内山龍雄先生は次のように語っている。
たびたび述べるように,説明は平易でも,重要事項はほとんどもれなくとりあげてあるから,本書を読破したなら,相対性理論を理解したという自身をもってさしつかえない。本書は力学(変分原理を含む)と電磁気学の基礎知識さえあれば,必ず理解できる。もし本書を読んでも,これが理解できないようなら,もはや相対性理論を学ぶことはあきらめるべきであろう。
このフレーズは度々あちらこちらで取り上げられ話題になるが,内山先生の講義の受講者としては宜なるかなと思っていた。

しかし今回,これまで未読だった岩波全書後半の一般相対論の部分を読み始めて,この意見を撤回する。内山先生,ちょっと,これだけだと難しくないですか。たぶん「君の勉強不足だろう,わはは」で終了する。122pの接続係数 Γ の定義で,計量テンソルの g の微分は誤植された x でなく,u だと気付くのにしばらく悩み,130pの計量テンソルの性質のところでひっかかった。裳華房の一般相対性理論をみると,ちゃんと導出方法が書いてあったので,問題なく理解できたが,全書版だけこれを推理するのは自分には難しかった。

P. S. 本日は内山先生(1916.8.28-1990.8.30)の命日であり,龍雄先生の冒険(窮理舎)の発売日だった。

2019年8月29日木曜日

arXiv

arXivは,コーネル大学図書館が運用する物理科学や数理科学のプレプリントアーカイブである。1991年にLANLロスアラモス国立研究所の物理学分野のプレプリントサーバとして始まった。かつては京都大学基礎物理学研究所にもミラーサーバが置かれており,日本国内のユーザはそちらを利用するように誘導されていたが,2015年には廃止されてしまった。現在の対象分野は,Physics,Mathematics,Computer Science,Quantitative Biology,Quantitative Finence,Statistics,Electrical Engineering and Systems Science,Economics

プレプリントといえば,昔は,IBMの電動タイプライターで打った原稿をもって,大坪先生と一緒に理学部の1階にあるたいへん調子の悪い印刷機と格闘していたことを思い出すが,arXivが普及してきた頃には,もう物理(原子核理論)の研究からからはほどんど足を洗っていた。したがって,arXivとのつき合いは論文などをダウンロードして読むだけだ。

そのarXivに関連した話題が2つ。
(1)arXivとは関係ないが,Center for Open Science が運用する教育学分野のEdArXivができた。arXivに教育分野ができたのかと勘違いしていたが,それは間違いだった。
(2)arXivの行動規範,arXiv Code of Conduct が示された。フィードバックを募集中。
著者に関連するポリシーとして,モデレーションプライバシー投稿条件オーサーシップポリシーなどもある。

2019年8月28日水曜日

ニューヨーク公共図書館

平日に妻と行く映画シリーズその2。制限時間30分で,梅田スカイビルから中津まで走り,阪急宝塚線一駅のって十三の第七芸術劇場に向う。開演5分前に到着し,整理番号は56と57。平日このテーマにもかかわらず,結構お客さんが入っている。12:00から15:35の長丁場なので途中に休憩が入る。

さて,タイトルは「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス(Ex Libris: The NewYork Public Library)」で,フレデリック・ワイズマン監督の2017年米国ドキュメンタリー映画(205分)である。3時間を越えるドキュメンタリーってどんなものかと思ったが,妻の予想だったシックでクラシックな建物を中心とした紹介などではまったくなかった。

ニューヨーク公共図書館(NYPL NewYork Public Library 1895-)は,国,州,市などの行政が設置した図書館ではなく,カーネギーの寄付などをもとにした私立(だがパブリック)の図書館であり,ニューヨーク市からの公的資金と民間からの寄付によって運営される。マンハッタン,ブロンクス,スタテンアイランドに92の分館を設置し,5300万冊の図書・資料を所蔵し,年間350万人が利用している。クイーンズとブルックリンには運営が別組織である公共図書館がそれぞれにある。

映画は,レファレンスサービスでの電話のやりとりから始まったが,1つのエピソードが長い。しかもほとんどが言葉や対話の積み重ねだ。図書館のプログラムで社会的な問題についての話をする講師や,芸術的な対話の数々。黒人文化に関するショーンバーグ研究図書館も大きなテーマとして,黒人差別の問題と関って取り上げられていた。また,NYPLの運営にかかわる委員会での議論がたびたび登場する。全編の3割以上を占めていたのではないか。予算獲得の問題。インターネットアクセスの問題。図書館の教育機能にかかわる問題。ホームレスへの対応の問題。などなど,多様な問題についての議論の様子が克明に記録されている。日本のオリンピック委員会も見習ってほしい。

予想とは異なっていたが,とても楽しく3時間半を過ごすことができた。さまざまな病巣をかかえる国であるにしろ,民主主義の基本となる言葉がしっかりと生きている場所がある安心感。翻って,日本の政治家やマスコミやTV知識人の細切れで歴史を無視した表層的な議論の数々を対比させたとき,なんともいえない虚脱感に襲われる。

あるいは,大阪では,児童図書館や公共的な文化施設が破壊されただけでなく,公共交通,病院,公園,大学が次々とターゲットとなり,公共から営利への流れができている。そして,それを推進する政治勢力がマスコミによって擁護され,さらに多くの市民・住民の支持を得ていくという,公共性の喪失の危機が進行している。

この映画は,民主主義の本質を支える言葉(Speech)の映画だった。

2019年8月27日火曜日

ディリリとパリの時間旅行

平日に妻と行く映画シリーズその1。梅田スカイビルイーストタワー3Fのシネ・リーブルに「ディリリとパリの時間旅行(Dilili a Paris)」を観に行った。日本経済新聞の文化欄か映画欄で紹介されていておもしろそうだったので。フランスアニメーションのミッシェル・オスロ監督による,2018年フランス・ベルギー・ドイツ合作の94分のアニメーション。

紙兎ロペ風の,平面的で対称的な構図を中心としたリアルなデザインと色彩の作品。パリ市街や室内装飾などの一部は実写写真を加工したものが使われている。19世紀末から20世紀初頭までのベル・エポック時代のパリの著名人,マリー・キュリーと娘たち,パスツールエッフェルツェッペリン,印象派の画家達,ルソーピカソロートレック(背が低かったのか),サティドビュッシーサラ・ベルナールエマ・カルヴェなどが登場する。

ストーリーは,ニューカレドニアから密航し,パリ万博の見せ物を演じつつ庇護者の下でしっかりしたフランスの教育を受けている,混血の少女ディリリが主人公だ。物語の発端から突如登場する副主人公の三輪車乗りの青年オレルとともにパリの観光スポットをめぐる冒険が始まる。パリの少女を狙った連続誘拐事件は,男性支配団(非常にストレートな女性差別構造の表現だ)のしわざであり,警視総監などパリ警察のトップもこれにつながっている。権力の腐敗,パリの貧困や差別構造にも目配りされている。

誘拐され,男性支配団によって四つ足椅子(江戸川乱歩を彷彿とさせる)にされていた少女たちを,ディリリと仲間たちがツェッペリンの飛行船で救出し,最後は大団円で終わる。


2019年8月26日月曜日

物理学会支部活動

佐々真一さんからメールが来て,なんだろうと思ったら,日本物理学会の京都支部総会の案内だった。なぜ,京都支部?これまでは,大阪教育大学の所属だったので,大阪支部に所属していたのだろうと思う。この3月に定年退職したので,大学との紐付けが切れて自宅住所との関係から連絡が来たということかもしれないが,支部活動には関与したことがないので,そのあたりの事情はよくわからない。なお,日本物理教育学会の近畿支部としては,日本物理学会の大阪支部とはいろいろ関係があった。

そこで,日本物理学会のホームページで支部活動がどうなっているかみた。やはり奈良県は,京都府や滋賀県と並んで京都支部のテリトリーである。大阪支部のテリトリーは,大阪府,兵庫県,和歌山県。名古屋支部は,愛知県,岐阜県,三重県。北陸支部は,福井県,石川県,富山県。新潟支部は新潟県単独で,これは,日本物理教育学会とおなじ構造になっている。なお,そこでは,京都支部+大阪支部の範囲が,近畿支部と定義されている。東京を中心とする巨大な範囲が支部ではなく本部直轄地の様相を呈していた。これも日本物理教育学会の構造に近いものがある。

さらに,支部に関する規程をみた。支部を構成する会員の条件は,各支部の支部規約で定義されることになっていた。なるほど。ところが,京都支部も大阪支部も支部規約がウェブでみられないのだった。うーん・・・。

支部には重複して所属することもできるのだろうか?本部から配分される支部の運営費用はどうやって算出しているのだろうか。などなど,謎は尽きない。

2019年8月25日日曜日

河野談話


1993年の宮澤内閣の内閣官房長官,河野洋平の談話の方が村山談話より先であった。

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慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

平成5年8月4日

     いわゆる従軍慰安婦問題については,政府は,一昨年12月より,調査を進めて来たが,今般その結果がまとまったので発表することとした。
     今次調査の結果,長期に,かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され,数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は,当時の軍当局の要請により設営されたものであり,慰安所の設置,管理及び慰安婦の移送については,旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については,軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったがその場合も,甘言,強圧による等,本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり,更に,官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また,慰安所における生活は,強制的な状況の下での痛ましいものであった。
     なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については,日本を別とすれば,朝鮮半島が大きな比重を占めていたが,当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり,その募集,移送,管理等も,甘言,強圧による等,総じて本人たちの意思に反して行われた。
     いずれにしても,本件は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は,この機会に,改めて,その出身地のいかんを問わず,いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また,そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ,今後とも真剣に検討すべきものと考える。
     われわれはこのような歴史の真実を回避することなく,むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは,歴史研究,歴史教育を通じて,このような問題を永く記憶にとどめ,同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
     なお,本問題については,本邦において訴訟が提起されており,また,国際的にも関心が寄せられており,政府としても,今後とも,民間の研究を含め,十分に関心を払って参りたい。
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2019年8月24日土曜日

村山談話

日韓関係を考える上での原則的立場の一つ。1995年の村山富市首相の談話。

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村山内閣総理大臣談話

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
平成7年8月15日

 先の大戦が終わりを告げてから,50年の歳月が流れました。今,あらためて,あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき,万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後,日本は,あの焼け野原から,幾多の困難を乗りこえて,今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり,そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に,私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで,米国をはじめ,世界の国々から寄せられた支援と協力に対し,あらためて深甚な謝意を表明いたします。また,アジア太平洋近隣諸国,米国,さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを,心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日,私たちはややもすればこの平和の尊さ,有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう,戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて,アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには,なによりも,これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は,この考えにもとづき,特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し,各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために,この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また,現在取り組んでいる戦後処理問題についても,わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため,私は,ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま,戦後50周年の節目に当たり,われわれが銘記すべきことは,来し方を訪ねて歴史の教訓に学び,未来を望んで,人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は,遠くない過去の一時期,国策を誤り,戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ,植民地支配と侵略によって,多くの国々,とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は,未来に誤ち無からしめんとするが故に,疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め,ここにあらためて痛切な反省の意を表し,心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また,この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日,わが国は,深い反省に立ち,独善的なナショナリズムを排し,責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し,それを通じて,平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に,わが国は,唯一の被爆国としての体験を踏まえて,核兵器の究極の廃絶を目指し,核不拡散体制の強化など,国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ,過去に対するつぐないとなり,犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると,私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり,信義を施政の根幹とすることを内外に表明し,私の誓いの言葉といたします。
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あれから24年,遥か遠くまで来てしまった。御霊という言葉がここで1回使われている。

2019年8月23日金曜日

星稜高校

星稜高校といえば,中学3年の同級生の筒井君を思い出す。高校受験を控えて不安な気持ちがクラスに充満したとき,2人でギャグ漫画を書き始めた。カエルが主人公のくだらないギャグで満ちたノートだったが,彼が主に絵を描いていた。それを見て自分たちで笑い転げるというなんだかわからない日々が続いたが,受験前にはもう少し落ち着いて勉強に取り組むべきだった。で,かれは公立の普通高校の受験に失敗して星稜高校に進学した。

星稜高校は当時の金沢経済大学と同じ稲置学園の経営だったが,このあたりは複雑なことになっているようだ。金沢の代表的な私立高校だったが,当時はまだ野球部もそれほど有名でなく,大学への進学コースも充実してはいなかったので,今は様変わりしている。

筒井君は中学卒業のころに金沢市内から宇ノ気町に引っ越してしまった。一度だけ手紙をもらったので,自転車でその住所まで尋ねたことがあったが(それは高校時代のことだろうか),家にはたどり着かなかったような気もする。

その星稜高校の野球といえば,次の記憶がある。
1976年 夏の甲子園2回目の出場でベスト4,小松辰雄がすごかった(このときは友達と夏の信州合宿にきており,ラジオでニュースをききながら応援していた)。
1979年 夏の甲子園で和歌山の箕島高校と延長18回の大熱戦,大学から帰ってテレビをつけるとちょうどいいところで,そのまま釘付けになって応援していた。
1995年 夏の甲子園で帝京に2−1で破れて準優勝。このときの印象はない。
2019年 夏の甲子園で履正社に5−3で破れて準優勝。決勝戦はテレビでみていたが,疲れがでていたのか,攻めや守りの精度がやや足りなかった。いくつかの盗走塁失敗で,せっかくのヒットが無駄になっていた。それでも履正社を相手に良く頑張ったと思う。


2019年8月22日木曜日

multiplicative persistence

しばらく前,TwitterでUniversity of WashingtonのKeiko Toriiさんの12歳の娘さん(gifted class)の算数の自由課題が話題になっていた。任意の自然数の各桁の積を計算して新たな自然数を求める。答えの自然数に対してさらにこの計算を反復しする。これを繰り返すと最後には1桁の自然数が得られる。1桁の自然数に到達するまでの反復回数がなるべく大きくなるもとの自然数を探せというのが賞品付きの課題だ。8th grade にも関らず,pythonでプログラムを組んで反復数11の数を見つけたとのこと。

飛び級小学生(=中学生相当)には負けてられませんと,Brute Forceで計算してみた。残念ながら時間ばかりかかって反復数が10にしかとどかなかず老人は小学生に完敗だ。調べてみると,Persistence of a NumberというWikipediaの項目が見つかった。日本語版はない。自然数に一定のアルゴリズムでの操作を行って不変になるものを探すという問題群らしい。OEIS(On Line Encyclopedia of Integer Sequences )A003001 にもある。

さらに調べると,Rubyで効率的な探索をしている人がいたので,この方法を Juliaにあてはめてみた。考え方としては,2と3と7のベキからなる数の集合から,反復数が最も大きいものを探し,その数を構成する因子の2と3と7の数字が並んだ数が,反復数+1の数を与えるというものだ。反復回数11回の数が2つ見つかった。

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function pcount(n::Int128)
  local m::Int128
  println(n)
  c = 0
  while n >= 10
    m = 1
    while n>0 && m>0
      m *= n%10
      n ÷= 10
    end
    n = m
    c += 1
    println(n)
  end
end

function count(n::Int128)
  local m::Int128
  c = 0
  while n >= 10
    m = 1
    while n>0 && m>0
      m *= n%10
      n ÷= 10
    end
    n = m
    c += 1
  end
  return c
end

function search(n2,n3,n7)
  local n,m3,m7::Int128
  d = (0,0,0,0,0)
  max = 0
  for k in 1:n7
    m7 = 7^k
    for j in 1:n3
      m3 = 3^j
      for i in 1:n2
        n = 2^i*m3*m7
        c = count(n)
        if c > max
          d = (i,j,k,c,n)
          max = c
        end
      end
    end
  end
  println(d)
  return d
end

function next(p)
  s="23789"
  m=[0,0,0,0,0]
  m[1]=p[1]%3
  m[2]=p[2]%2
  m[3]=p[3]
  m[4]=p[1]÷3
  m[5]=p[2]÷2
  c=""
  for i in 1:5
    for j in 1:m[i]
      c=c*s[i]
    end
  end
  return parse(Int128,c)
end

a=search(20,10,10)
pcount(next(a))
b=search(10,20,10)
pcount(next(b))
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
(19, 4, 6, 10, 4996238671872)
277777788888899
4996238671872
438939648
4478976
338688
27648
2688
768
336
54
20
0
(4, 20, 5, 10, 937638166841712)
27777789999999999
937638166841712
438939648
4478976
338688
27648
2688
768
336
54
20
0


2019年8月21日水曜日

運転免許証の更新

昨日,66歳の誕生日を前に,豪雨の田原本地区を通過して雨の降っていない奈良県橿原市新ノ口の運転免許センターに免許証の更新に向った。思わず免許状更新講習と書いてしまいそうでこわい。午前中の受付時間は8:30〜9:30だがちょうど8:30に到着。雨模様だったので更新にくる人は少ないかと思っていたがそうでもなく,いつもと同じようだった。

違っていたのは受付と手続きのフローだ。これまでの数回の更新ではなかなかもっちゃりしていたが,今回かなり改善されていた。最初に並ぶ列が,70歳以上(高齢者講習が必要)と69歳以下の2つに分かれている。列の先の端末機に免許証を入れると,暗証番号を発券する。高齢者列は難渋していて,待ちきれない別の人が係の人を呼び出していた。ゲットした暗証番号を窓口に提示するために待っていると,受付順に申請書類が速やかに印刷されており,すぐ名前がよばれた。記入事項はあらかた印刷されており,電話番号を記入するだけだ。申請書と同時に体調チェックアンケートを渡され,記入して1番に向うよう指示される。

1番窓口。証紙発行窓口に1列に並ぶよう誘導される。窓口は6箇所あり,スムーズに列は進む。かつてはこの窓口に手書きの申請書を持って並列で窓口開始前から長時間並んでいたのだったが,かなり改善された。証紙代金の3,000円を払い込むと既に貼り付けも完了しているので,名前と生年月日を書いて2番に進めと指示される。

2番窓口。ここは視力検査だが,列に並ぶ前で書類に不備がないか簡単にチェックされて,やはり1列に並ぶ。なお,証紙をはった紙は色分けされていて,自分は優良講習のピンクだった。次回は70歳以上なのだがどうなるのだろう。検査機は2台だが,列も淡々と進む。視力検査は眼鏡ありでOKだった。眼鏡がないと小さいランドルト環は見えない。

3番窓口。ここでも列に並ぶ前に必要書類があるかを確認する係員が立っている。このように要所要所に人がいて,流れを円滑にしている。大変結構ですね。3番窓口では,免許証の申請書類の内容をデータベースに入力して次の関門に進むための書類と免許証だけが返ってくる。

5番窓口。4番がないのは,縁起担ぎか。いよいよ写真撮影だ。ここもかつてより円滑に流れているような気がする。書類と免許証を渡し,2台のうちの左側で撮影すると受領番号札パウチがもらえた。これも色分けされていて,優良講習は2Fの講習室に進めと指示された。問題が1つ。写真を撮るとき頭が少し右に傾く癖がある。それを指摘されて修正する過程で気が緩んでにやけてしまったのが失敗。今後5年間は,このニヤケタ免許証とつき合わなければならない。いつもの逮捕された犯人顔ではないのでよしとしよう。ここまでで,最初から30分経過している。

2F講習室。20分ほど待って,30分の講習が始まる。いよいよ自動運転時代を前にして,両手でハンドルを持ってしっかり操作してください,他の車とコミュニケーションしてくださいという,非常に本質的な注意を受ける。夜間はハイビームがデフォルトで,対向車があればこまめにロービームに変えて下さいということだった。もちろん,話題のあおり運転の話もあった。

次回は71歳の2024年です。




2019年8月19日月曜日

加藤恭子と田島道治

NHK特集の昭和天皇(1901-1989)に関するテーマは,夜7:00のニュースにまであふれ出して,国民に何らかの変化をもたらせようとしている。8月17日に放映された,NHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったのか −初公開・秘録拝謁記」である。初代宮内庁長官を務めた田島道治(1885-1968)の昭和天皇とのやりとりを記録した手帳やノートが発見されたということで,昭和天皇のこれまで伝えられなかった考えを伺い知ることができる。

これに対してさっそく,昭和天皇と田島道治のことは既に知られていたとのコメントがあった。その内容は,フランス文学者で伝記著者である,加藤恭子(1929-)が不思議な因縁で田島家から受け取った資料の一部によって知られ,書籍としても出版されていた内容だということである。具体的には「近現代日本の政策史料収集と情報公開調査を踏まえた政策史研究の再構築」という科研費の報告書にある2003年の講演記録から分かる。

ただ,フランス文学者の加藤恭子は「田島メモ」を直接見てはおらず,それがゆえに,歴史学者である茶園義男(1925-)からその推論(天皇の謝罪詔書の草稿の位置づけ)を強く否定されていた。しかし,今回NHKが報道した田島メモが本当ならば,茶園のほうが誤っていたということなのだろう。

天皇の戦争責任と憲法改定と再軍備をめぐるいくつかの重層的なテーマが含まれており,NHKがこれを報じたのが,どのような意図のもとでなのか,あるいは安倍政権がどうやってこれを改憲スケジュールに編み込んでいくのか,不安で不確実な暗雲がただよっている。

そうこうしているうちにも,れいわ⊗韓国⊗あいちトリエンナーレ⊗N国をめがけて,杉田水脈,橋下徹,東国原英夫らが続々と右からの工作に励んでおり,マスコミは反韓国で一色の報道。それにしても,金正恩があれほど文在寅に対して敵意を表明するのはなぜなのだろうか。板門店でのトランプ+金正恩+文在寅(あるいは最初の段階の会談)からどうしてこんなに遠くに来てしまったのだろうか,どんな理や利があるのかよくわからない。