2025年10月10日金曜日

香淳皇后実録

香淳皇后実録が公開されたというので,宮内庁に見に行くと平均350ページ1.4MBのpdfファイルで12巻が公開されていた。商業出版されている昭和天皇実録とか明治天皇記は印刷物だけなので,こちらもpdfで公開してほしいところだ。なお,大正天皇実録ゆまに書房から全六巻でているのだけれど,宮内庁の発行物一覧への記載がない。この発行物一覧の中で,桂宮本叢書だけが,天理市の養徳社という天理教関係の出版社からでている。他はすべて東京。

さっそく全ファイルをダウンロードして終戦前後のあたりをみるとなかなか面白い。たぶん,世の中の人が皆やっているように生成AIに読み込ませて分析するということになる。ファイルサイズはそれほど大きくないが,残念なことに,ChatGPTでもGeminiでも一部だけしか調べてもらえない。

一番ましだったのが,NotebookLMである。こんなかんじ。
Q(koshix):
(香淳皇后実録巻四 昭和十四年〜昭和二十年 を読み込ませて)
面会,祭事,救恤(きゅうじゅつ)や弔慰以外で,ちょっとこれは珍しいなと思える出来事やキーワードをピックアップできますか?

A(NotebookLM):
ご質問ありがとうございます。面会、祭事、救恤、弔慰といった日常的な公務や儀式を除いた中で、皇后様の活動や当時の状況を物語る、特筆すべき出来事やキーワードを、資料に基づいていくつかピックアップします。

1.戦時下の生活と献身(Diet, Labor, Supplies)
資料には、戦時下の緊迫した状況や物資不足に対応するための皇后様の具体的な行動が記録されています。
• 野戦兵食料理の試食:毎月1日の興亜奉公日には、天皇陛下と共に、朝食、昼食、夕食のいずれも野戦兵食料理をお召し上がりになっています。これは、皇后様の日常の食生活にまで戦時色が反映されていたことを示す珍しい出来事です。
• 衛生材料の作成と下賜:
    ◦ 昭和17年1月15日には、繃帯巻きを日課(御日常の余暇の作業)とされています。
    ◦ 昭和19年1月6日には、今次の戦争の陸軍関係傷痍者に対し、繃帯一万二千本を下賜されています。
    ◦ また、昭和20年8月には、ヨードチンキの包装作業を自ら行い、皇太后様から回されたものを日本赤十字社に下賜するための準備をされています。この作業は終戦後も継続され、最終的に3,970箇が平時災害救護準備品として下賜されました。
• 物資不足への対応:
    ◦ 厳冬下の木炭不足に際し、昭和15年1月には、養老・少年保護の私設社会事業団体など33団体に木炭を下賜されています。昭和19年12月にも、貧困者救済の無料診療のために木炭千百俵を下賜されています。
    ◦ 昭和20年2月には、国内の油類欠乏に際し、吹上御苑産の椿油を女官一同に自ら手ずから下賜されています。
• 手工芸品・仕立て物の制作:復員者や被災者への賜物として、羽織下百枚の仕立て や、ちゃんちゃんこの綿入れ、お手製のお菓子の贈進 など、皇后様ご自身が手を動かして品物を御制作になっています。
• 疎開児童への配慮:昭和19年12月23日、疎開児童の健康増進のため、ビスケット41万4千258袋を文部大臣に下賜されるとともに、「つくの世をせおふへき身そたくましくたゝしくのひよさとにつらりて」という御歌を下賜されています。

2.教育・芸術・教養に関する活動
儀式的な「講書始」以外にも、多岐にわたる分野の進講を聴講したり、芸術的な活動を深めたりされています。
• 専門的な進講の聴講:穂積重遠氏(国際情勢、財政、軍人援護、歴史など)や板沢武雄氏(歴史、地理、国際関係など)らから、極めて多様なテーマの進講を定期的に聴講されています。特に戦時下の国際情勢や国内の戦時財政、軍人援護、国民医療法、大英帝国の崩壊現象、さらには聾唖教育に触れる進講「海の見える丘」 など、その関心の幅広さがうかがえます。
• 芸術・技能の習得と奨励:
    ◦ 皇后宮職御用掛の加藤虎之亮氏より、漢文の進講として『大学』や『中庸』について学ばれています。
    ◦ 別当(山階宮付)工藤壮平氏から書道の指導を27回にわたって受けています。
    ◦ 昭和19年4月27日には、皇子御座所の入側で日本画の稽古を始め、川合玉堂から指導を受けています。
    ◦ 日本画家跡見玉枝に桜の絵の制作を下命し、完成品を御覧になっています。
• 教育の視察:御茶ノ水の東京女子高等師範学校および特設中等教員養成所(戦没者寡婦のための教育機関)に行啓され、校務に関する奉呈を受けたり、講堂で校歌を聴かれたりしています。

3.珍しい観覧・レジャー・交流
公的な行事とは別に、個人的な関心やご家族との交流を深めるための珍しい活動も見られます。
• 私的な御採集活動:葉山御用邸滞在中に、天皇陛下と共に曳船で名島に向かい、海洋生物を御採集され、お弁当を共に召し上がっています。その後も、天皇陛下の海洋生物採集にしばしば同行されています。
• 家庭内での娯楽:東宮仮御所(皇太子)にお出ましになった際、侍医の緒方安雄による手品を御覧になっています。
• 天体観測:昭和16年9月21日には、吹上御苑で天体望遠鏡などを用いて日蝕を観測されています。
• 服装に関する御研究:宣仁親王妃喜久子様や皇太后様と、女子改良服や皇族妃礼服に関する御相談や御研究をされています。
• 宮殿内の特殊空間の視察:
    ◦ 昭和17年10月29日には、吹上御苑内に新設された防空用の地下室や観瀑亭付近を散策されています。
    ◦ 昭和17年4月27日には、空襲の際に三殿(賢所・皇霊殿・神殿)が移された斎庫へ御遙拝されています。
    ◦ 昭和17年10月5日には、御文庫で映画を御覧になった後、地下室を雍仁親王妃勢津子様に御案内になっています。

4.疾病に関する特異な記録
皇后様ご自身の病状に関する詳細な記録や、皇族方への異例な配慮も残されています。
• 診断名:昭和18年3月5日には、皇后様の御病気がジフテリアと診断されています。
• 隔離中の面会:昭和16年4月8日、御不例御静養中のため、参内した皇太子とはガラス戸越しに御対面されています。
• 病状のお尋ね:貴子内親王様が高熱を発症した際、皇后様は侍医頭に何度も容体をお尋ねになり、内掌典に17日間の祈願を依頼されています。

これらの出来事やキーワードは、公的な役割と私的な生活の両面において、当時の皇后様が直面した困難な時代背景、強い学習意欲、そして細やかな配慮と献身の姿勢を示しており、非常に珍しい記録と言えるでしょう。

Q(koshix):
グリッドの件は?(電波探知機用に使う三極真空管のグリッドのこと)

A(NotebookLM):
ご質問ありがとうございます。「グリッドの件」について、資料に基づいた珍しい出来事や活動の詳細をご説明いたします。
皇后様(香淳皇后)は、第二次世界大戦末期の緊迫した状況下で、疎開学童への下賜品として、また、防空関連の物資として、「グリッド」の制作に関わっておられました。

1.グリッド制作の開始と目的
• 昭和20年(1945年)1月1日、皇后様は新年の朝、天皇陛下と共に、皇族や側近からの拝賀をお受けになりましたが、これに続き、この日から御日常の余暇の作業として「グリッド」の制作を始められました。
• 「グリッド」とは、格子状の電極の制作を指すもので、この年の6月11日まで頻繁に制作が行われました。

2.グリッド制作の環境と中断
• グリッド制作の作業は、御文庫において行われていました。
• 昭和20年4月16日払暁の空襲により、グリッド作業工場が焼失したため、この日から当分の間、グリッドの制作が休業となりました。
• 同年5月1日には、皇后様はグリッド工場の類焼の状況についてお聞きになり、調査の結果、ガス供給と電力不足から復旧した後、制作を再開されることになりました。

Q(koshix):
御文庫とはなんでしょうか

A(NotebookLM):
御文庫」(おぶんこ)とは、戦時下において、天皇皇后両陛下が主として起居し、重要な機能を果たした施設です。資料によると、御文庫は以下のような特徴と経緯を持っています。

1.設置場所と機能
• 御文庫は、吹上御苑内に造営されました。
• 特に、防空用の地下室として建設された空間を含んでおり、防空対策上の重要な役割を担っていました。

2.戦時下の利用経緯
• 両陛下が御文庫での起居を始められたのは、昭和18年(1943年)1月8日からです。
• これは、天皇皇后が当時体調不良であったにもかかわらず、時局柄(戦時下)静養のための転地が困難であったため、次善の策として御文庫へ移転することが決定されたことによります。
• 当初、御文庫は夜間の空襲を警戒するためのもので、昭和18年10月には、天皇と共に初めて御文庫で御就寝されるという記録があります。その後、空襲警報発令の際には、地下室または附属室へ動座される場所となりました。
• 特に昭和20年(1945年)の空襲で宮殿や御常御殿が焼失した後も、御文庫は両陛下の主要な生活拠点となりました。

3.御文庫で行われた活動の例
御文庫は単なる避難所としてだけでなく、日常生活や公務の一部が行われる場所でした。
• 家族との交流:皇子・皇女方(皇太子、正仁親王、内親王方)が御文庫に参殿し、天皇皇后と御対面や御昼餐を共にすることが頻繁にありました。
• 娯楽・教養:
    ◦ 御文庫において映画を御覧になることがありました。
    ◦ 昭和20年1月25日夜には、疎開学童へ下賜した御歌に付けられた譜(曲)をピアノで演奏されています。
• 公務・執務:
    ◦ 皇族や側近からの拝賀、祝詞言上、御機嫌伺いを受ける場として利用されました。
    ◦ 戦時下、皇后様が御日常の余暇の作業として、「グリッド」(電波探知機の真空管の部品である格子状の電極)の制作を御文庫で始められました(以前の会話参照)。
    ◦ 戦災罹災者に賜るための衣類や品を、御文庫で御選定になるなど、罹災者救済に関連する準備も行われました。
    ◦ 終戦後、皇后様は大東亜戦争終結の詔書を御文庫において謄写されています。
• 特殊な利用:昭和17年10月5日には、御文庫に参殿した雍仁親王妃勢津子様に、映画鑑賞後に地下室を御案内されています。
香淳皇后は墜落したB29の破片や乗組員の所持品とか焼夷弾の断片なども説明を受けている。



図:皇居の一部も焼けたという記載が見られる(昭和館デジタルアーカイブから引用)

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