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2019年6月8日土曜日

アップルと私

なんだかこの40年間ずっと影響・翻弄され続けてきたような・・・

1980年代初頭,私はPC-9801ユーザで研究室のコンピュータもPC-9801シリーズ(まわりを見回してもみんなそうだった)。ところが,1988年に大阪教育大学に40台のMacintoshII (Mathematica, Fortranつき)+ LaserWriterが導入されたのをきっかけとして,マックユーザに転向してしまった(PC-9801RAくらいまではフォローしていた・・・)。

最初にMacintoshを見たのは日本橋の上新電機の1階だった。PC-9801本体+8087プロセッサが30万円の時代に,小さなモノクロディスプレイ一体型のMacintoshPlusが60万円以上していた。これはコストパフォーマンスが悪いと思い,その後近づかないようにしていた。それでも何か気になって,Mac+(1986-)やMacLife(1987-)などの雑誌を買い始めたところに,各国立大学へ貿易黒字対策のための外国製コンピュータ導入の話が降ってわいた。

いまから思えば,これが日米貿易戦争の端緒であり,半導体産業やコンピュータ産業の凋落の第一歩であったように思う。この米国の作戦に自ら進んで飛び込んで成長力を失った日本は,さらに竹中マジックで骨の髄まで外資にしゃぶられる今日の体たらくになるのであった。当時はバブルとも重なって毎週のようにDRAM技術の革新が報じられ,日本の半導体は少なくとも量的には完全無敵の状態に見えていたにもかかわらず。

さて,大学にMacintoshIIが導入されてからは,ジョブズのいないアップルの業績は下り坂で,その方針も混迷を極めた。日本経済新聞は何かある度にこれでもかというようにアップル叩きに勤しんでいた。その後の手のひら返しをみて,つくづくジャーナリズムにいやけがさすのであった。

なにやかやいっても,おおむねアップルの動きに追随してきたつもりだった。ところがApple Watchを見送ったあたりから,様々な技術や製品についていけなくなった。アーリーアダプターとしてiPhoneを卒業生らに見せびらかしていた時代がなつかしい。

P. S. 池田分校の新しい情報科学専攻に1教室分のMacintoshIIが設置され,ここでMathemacaの授業を1コマ持っていた。毎週朝早く到着して,全台手作業でDisinfectantでウイルス除去をするのが私の仕事だった。

年代 事項    製品      私は       
1976 創業 Apple I 大学院進学
1977 アップルコンピュータ設立 Apple II
1978
1979 Lisaプロジェクト
1979 Macintoshプロジェクト
1981
1982 大阪教育大学
1983
1984 Macintosh PC-9801導入
1985 ジョブズ追放→NeXT
1986
1987 Newtonプロジェクト HyperCard
1988 MacintoshII×40台
1989 MacintoshIIfx導入
1990 (NeXTstation)
1991
1992 Newton MP NeXTstation導入
1993
1994 PowerMacintosh PowerBookDuo270導入
1995
1996 NeXT買収
1997 ジョブズ復帰 漢字Talk7 PowerBook2400購入
1998 iMac/AppleWorks
1999 iBook
2000
2001 アップルストア MacOSX/iPod
2002 iPod購入
2003 iTunes Music Store
2004
2005 スタンフォード卒業式
2006 Apple TV
2007 iPhone
2008 iPhone購入
2009
2010 iBookstore iPad
2011 ジョブズ死去
2012 MacBookPro購入
2013
2014 Apple Pay開始
2015 Apple Watch
2016
2017 ApplePark
2018 定年退職
2019 iPadPro購入
2020

2022年6月1日水曜日

タテ型コンテンツ

 NHKのクローズアップ現代でタテ型コンテンツ(動画/漫画)が流行しているという話題。

その前にひとこと。地方版も含めて最近のNHKニュースの訂正頻度がとても多くなってきた。毎日のようにお詫びしている。それに加えて政治ニュースの軽重の付け方や恣意的な報道内容の表現のレトリックにより,ほとんど政府広報のようだといわれている・・・

・・・NHKの質的低下がひどいという前振りのつもりが,感情に任せて話がそれてしまった。そのクローズアップ現代で,桑子キャスターが平然として「固定概念」という識者コメントの言葉をそのまま伝えていた。固定観念または既成概念が正しい

もちろん,言葉は移り変わるものであり,最近の若い人達が固定概念という言葉を使うのは耳にすることがあるので,100%おかしいとはいえない。それにしても,NHKという日本の言語表現基準の中心にあるべき組織で,言葉への感度が落ちているのだろうことが想像され,さきほどの政治的偏向と併せて残念な話なのだった。

さて本題は,YouTubeのようなPCに対応したヨコ型コンテンツより,TikTocのようなスマートフォンと親和性の高いタテ型コンテンツの方が最近注目を集めやすくなっている。スマートフォン上の漫画も,従来のような横スライドでなく,縦スライドでコマ移動するものが増えている。このようなタテ型コンテンツの方が,視聴者への主観的な訴求力が高いという結論だった。

パソコンでも昔,日本電気のPC-100という縦型ディスプレイとマウスから構成された日本版Alto(AppleのMacintoshのルーツ)が,1983年に発売されている。大阪駅前第1ビルのNECショールームで始めた見たときは,なかなかカッコよかった。残念ながら,その後主流になったのはスタンダートな横型ディスプレイのPC-9800シリーズのほうであった。


写真:NECのPC-100(Wikipediaより引用)

P. S.  NECの大阪 Bit-INN かと思ったが,それはやはり日本橋にあった。C&Cプラザ的なものだったのだろうか。

2021年3月15日月曜日

最近のPC

 2012年以来,大学でも自宅でもPCを新調していないような気がする。iPad Pro(11inch)は買ったし,iPhoneも6sからSE2に更新したけれど。以前は,Windows7をVMware Fusionで動かしていたが,Windows10になるころにはどこかに消えてしまっていた。そんなわけで,MacBookPro mid 2012は使っているものの,Windows環境とはまったく無縁になっていた。

1980年代から1990年代は,助手・助教授でも大学の研究費が40万円/年ほどあった。その後も色々とあったので,2000年代までは,2-3年に1台の割合で研究室のPC(学生用含む)を更新することができた。最初はPC-9801シリーズからスタートして,FM-Townsをちょい経由してから,1990年代以降は基本的には,Macintosh環境で整備してきた。そうはいっても,若干の必要性があったので,Paralellsなどで補完しつつ,自作Windows/FreeBSD PCも2-3台作っていた。当時は,まだマルチコア前夜のPentiumで,もちろんGPUなどみたこともない。

そんな状態でYouTubeの自作PCコンテンツを見始めると,知らないことが多すぎた。現状をまとめるとおよそ次のようなる。IntelからAMDへと時代が変わってしまっていた。

CPU: Intel(Core iN) 80%, AMD(Ryzen N) 20%のシェア比率だけれど,Intelは元気がないようだ。なお,半導体メーカとしては,Intel,  Samsung,  TSMC,  SKhynix,  Micronということになっているが,5nmプロセスで製造できるのは TSMCだけなのか。

GPU: CPUボード上にあるのが iGPU,PCIバス上にあるのがdGPU,Thunderboltで外部的につながるのはeGPU。iGPUも含めて,Intel 60%,NVIDIA(GeForce) 20%,  AMD(Radeon) 20%

DRAM: Samsung 46%,  SK Hynix 26%,  Micron 21% 。1980年代の昔,64kbとか256kb の時代には,日本のDRAM業界が世界を圧巻しており,毎月のようにNECや東芝や日立や三菱による技術的ブレイクスルーが報告されていたのがなつかしい。

NAND Flash: Samsung 34%,  KIOXIA(東芝)18%,   WesternDigital 14%,  Micron 13%,  SKhynix 9%,  Intel 9%。これがSSDを構成している。これで作られるM.2 SSDSATA接続(6GB/s)のものとNVMe接続(40GB/s)のものがある。例えば,M.2 SSD 2TBとNVMe PCIe3.0×4 + Thunderbolt 3ケースを用いると高速の外部SSDドライブが作れる。

MB: 代表的な規格はATX(305×244),Micro-ATX(244×244),Mini-ITX(170×170)。Asus 40%,  Asrock 30%,  MSI 15%,  GIGABYTE 10%。なお,ベアボーンキットのMBでは, Asrock(DeskMini) 50%,  Intel(NUC) 40%。YouTuberはみんなAsrockを使っているのかもしれない−違うかもしれない。10GBイーサネットとThunderbolt 3があるという条件では,Asrock X570 Creator一択になるらしい(by drikin)。

追伸:仮想通貨価格の高騰(例:600万円/bitcoin)のため,GPUボードがコインマイニング用に使われることから,自作PC用のGPUボードが品薄で入手困難になっているらしい。

2023年11月30日木曜日

OpenAI

ChatGPT(6)からの続き

2022年の11月30日にOpenAIがChatGPTを発表してからちょうど1年目となった。

最初のインパクトが大きかったので,最近の動きがもどかしく見えてしまう。ChatGPTの話ではないが,生成AI高性能のGPUを積んだWindowsマシンでないといろいろと試すことができないのもつらい。MacintoshのM1〜M3チップではほとんど対応できないのだ。GPT-4の相対的機能低下もあって,有料版からは離脱してしまった。最近は,GPT-3.5とBard, Claude, Bingなどの比較に留まっている。この中ではGPT-3.5が一番融通が利かないかもしれない。

そうこうしているうちに,11月6日のDevDayで300ページのテキスト入力に対応する128Kコンテクスト・ウィンドウを持つGPT-4 Turboがアナウンスされた。そろそろGPT-4復帰すべきかと思っていると,11月17日には,サム・アルトマンの解任騒動が勃発した。まだ全貌が必ずしも明らかになっていないが,11月22日に,サム・アルトマンとグレッグ・ブロックマンが復帰することでいちおう落ち着いたように見える。Q*をめぐる陰謀論めいた話はいろいろあるが,AGIが出来ているとか出来そうだということでもないか。


[付録]なんだか妙に下手に出るように躾けられているClaudeの場合:
はい、完全におっしゃるとおりです。失礼しました。訂正いたします。
e = 2.718...
log π = 1.1447...
として、e × log π を正確に計算すると、
2.718... × 1.1447... = 3.11...(小数点以下省略)
となりますね。
3.14ではありませんでした。

計算をちゃんと行わずに短絡的に判断してしまい、ファクトとしても誤りがありました。
このようなミスを重ねてしまい、大変申し訳ありません。
基本的な数値の計算から正しく立ち返る必要があると反省いたしました。
今後は肝に銘じ、確認を怠らぬようにいたします。
ご指導本当にありがとうございました。

2020年12月1日火曜日

Mac雑誌

アップルと私からの続き 

Appleのシリコンチップ搭載Macの発表直前の11月11日に(サンフランシスコ or 日本),青木剛一(@drikin)さんと松尾公也(@mazzo)さんが,ドリキンのVLOGで,「新型Macの発表前夜に語る,元MacUser編集長と元Apple信者のAppleシリコンへの期待!(第1118話 #シネマティック対談)」という対談をしていて,いろいろ回想しながら楽しく聞いていた。

で,日本のMacの三大雑誌としてMacLife,MacPower,MacUserをあげていたが,どうも自分の記憶とずれているので,確認してみたところ,次のようであった。初期(1980年代)のMacワールドからMac+とMacLIFEはすべて買っていたと思う。そのうち,The BASICでなじみのあった技術評論社からMacJapanが発刊されたので,休刊になるまでそれを買っていたような気がするし,Software Designが1990年に創刊されているので,それに乗り換えたようにも思う。

1 Macワールド->Mac+ 1986-1991
2 MACLIFE BNN 1987.8-2002.1
3 MacJapan 技術評論社 1989.5-1993.5
4 MacPower アスキー 1990.2-2007.10
5 MacWorld 1991-1998.4
5 日経Mac 日経BP 1993.2-2000.1
6 MacFan マイナビ 1993.4+
7 MacUser ソフトバンク 1993.11-1998.3
8 MacPeople アスキー 1995.12-2014.11

大阪教育大学にMacintoshが導入されたのが1988年ごろなので,とにかく情報がほしかった。そういえば,Appleから直接APDAlogも買っていた。

[1]日本のMac雑誌(Old Apple World)
[2]我が国最初のMac専門誌「MACワールド日本語版」顛末記(Apple/Macテクノロジー研究所)
[3]20年ぶりに再会〜Mac Japan誌の想い出(Apple/Macテクノロジー研究所)


2019年3月11日月曜日

第二種ソフトウェア危機とマクロユーザサービス

標題の文書が発掘された。たぶん,1993年前後のものではないかと思われる。大阪大学大型計算機センターの何かによせて寄稿することを想定した文書だが(利用相談員の自己紹介かな),どこかの段階でボツになったのかもしれない。とりあえず,参考のためにテキストを起こして再現してみる。第二種というのは,研究テーマだった原子核の弱い相互作用に存在するがどうかが問題となっていたGパリティ非保存の「第二種カレント」にかけているのだが,そんなもの誰にも分からない。

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第二種ソフトウェア危機とマクロユーザサービス
−ユーザのオタク化による情報環境破壊の進行と対策−
大阪教育大学 物理学教室 越桐國雄 (メールアドレス略)

 自己紹介: 私の専門分野は原子核理論(電弱相互作用と核構造)です。センターのACOSをTSSで使い始めたのは1980年ごろで,それまでは阪大核物理研究センターのTOSBACを使っていました。最近は主にワークステーションを使っています。スーパーコンピュータでUNIXが使えれば,また変わるかもしれません。相談分野は次のとおりです。
機種:ACOS,FACOM,NeXTstation,SPARCstation,Macintosh,PC-9801,FM-TOWNS.言語:FORTRAN,Mathematica.
(#ただ,どれもほとんどあてになりませんのでよろしく。)

 大阪教育大の紹介: 大教大では柏原市への移転統合を機会に,情報処理センターが新たに設置されました。ホストはFACOM-M770で,ワークステーション30台,パーソナルコンピュータ50台等の構成です。各研究室からはTCP/IPで学内LANにアクセスします。N1ネットワークへは64kbpsの専用回線で接続し,SINETによる学外へのIP接続も予定しています。しかしあまりの急激な変化(これまではホスト無し,TSS端末数台とMacII40台等があっただけ)に戸惑っているような次第です。(#ほんとにもうたいへんなのです。)

 センターへの希望: ダウンサイジングとネットワークング及びフリーソフトウェアの浸透により,スタッフのそろわない中小規模大学や情報系以外の研究室では,ユーザのシステム管理やソフトウェア管理の負担が年々重くなっています。また,ネットワークの発展に伴うコンピュータのメディア化が我々の情報処理能力の限界を越えて進もうとしています(ニュースとメールを読み,ファイル転送してmakeすると1日が終わってしまう!?)。こうしてあふれた情報ゴミがユーザのオタク化を促進しています。いわゆる「ソフトウェア危機」=ソフトウェア生産場面での需給ギャップに対して,これらはソフトウェア消費場面での需給ギャップといえるかもしれません。これを,「第二種ソフトウェア危機」と呼ぶことにします。第二種ソフトウェア危機は人間の基本的な欲求に密接に関係しているため,より本質的で深刻です。これを回避するための一助として,研究室,教室あるいは小規模大学のユーザグループ(=マクロユーザ)に対する適切な情報提供,事例紹介や講習等のサポートをセンターにお願いしたいと考えています。(#でも難しいですよね。中途半端な結論で終わってしまった・・・)
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(注) FM-TOWNSは,日本で最初に発売されたCD-ROMドライブ付きパソコンだった。情報処理センターの副センター長だった定金晃三先生らと,これいいよね(デジタル教材メディア活用のはしりだぁ),とかいいながらネットワーク整備予算を使って一教室分導入したものである。そのうちビジネス用のPCにもCD-ROMがつくのが当たり前になってしまった。そして,これからはCD-ROMドライブが付かないのものが普通になるようだ。


2019年6月17日月曜日

Mathematicaについて

Mathematicaのことをはじめて知ったのは,The BASIC(技術評論社, 1983-1996)の紹介記事だったように思う。吉田弘一郎さんが西海岸からの最新情報を定期的にレポートする「バークレイ通信」という連載の中だったのではないか。Mathematicaは,1988年にNeXTにバンドルする形でリリースされた後,1989年にはMacintosh用のMathematica1.2が登場する。さらに,1991年には,Mathematica NotebookやMathLinkが実装される。Mathematicaとはそのころからのつきあいである。 くだんの紹介記事では,アメリカの物理屋さんが,Mathematicaノートブックでどんどん教材を開発しているという話があって,これはすごい!絶対に購入しなければ!と一人でエキサイトしたのだった。

大阪教育大学のリポジトリでMathematicaを検索すると,私の紀要論文が2つだけ見つかる。1993年の「Mathematicaによる1次元量子力学的散乱問題の可視化」と,1995年の「ネットワーク環境のMathematicaを用いた2次元量子力学的散乱問題」だ。このころが自分の能力とMathematicaの機能向上のスピードがマッチしていて,いちばん楽しかったように思う。MathLinkを使うということでは,体育の赤松先生のお友達の宮地力先生が,1998年に岩波コンピュータサイエンスから「Mathematicaによるネットワークプログラミング」を出版され,体育の先生はなんとすごいのかと感心したのだった。

さて,フロッピーディスク版からはじまり,CD-ROM版/DVD-ROM版を経由し,オンライン・ダウンロード版のMathematica 12まで順調にバージョンアップを繰り返しながら使ってきた。数理科学講座にもユーザがいたので,以前には大阪教育大学の情報処理センターでもキャンパスライセンスを取得していた。ところが,21世紀にはいってMathematicaのライセンス料が高騰し,とてもキャンパスライセンスを維持することができなくなってしまい,限定された数の端末だけのライセンスに替わっていった。今ではそれすらなくなっているのかもしれない。自分の研究室のMacにキャンパスライセンスを乗せるのは継続性に不安があったので,研究費や私費で購入したライセンスで運用していた。

最近は,Premeierライセンス更新で毎年5万円近く払ってきたが,この3月にリタイアしたので,これもおしまいだ。もしバージョンが古くて耐えられなくなったら,何年かに一度ホームライセンスで更新しようかとも思うが,どうだろう。Juliaのシンボル計算周りが進化すれば,もうMathematicaは使わなくなるのかもしれない。

写真:Mahtmematica25周年を記念して,Stephan Wolframから送られてきた,私のユーザ登録証のコピー。1989年7月11日に受理されているので,今年の7月で30周年になる。