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2025年6月23日月曜日

メディア百選

 人類2000年間のメディアトピックス100選
       by manus.ai (なかなか絶妙だったので,神田敏晶さんからまるごと引用)

古代のメディア(紀元前〜5世紀

1.ラスコー洞窟の壁画(紀元前15000年頃)
フランスのラスコー洞窟に描かれた壁画は、人類最古のビジュアルコミュニケーション手段の一つ。狩猟の様子や動物の姿を描いた芸術作品は、当時の人々の生活や信仰を伝える重要なメディアとなった。

2.メソポタミアの楔形文字(紀元前3500年頃)
シュメール人が発明した楔形文字は、粘土板に葦の先で刻まれた世界最古の文字体系の一つ。主に経済記録や行政文書に使用され、情報の永続的な記録と伝達を可能にした。

3.エジプトのヒエログリフ(紀元前3200年頃)
古代エジプトで使われた象形文字で、神殿や墓の壁、パピルスに記録された。宗教的テキストや王の業績を記録し、3000年以上にわたり使用された。

4.パピルス紙の発明(紀元前3000年頃)
古代エジプトで発明されたパピルス紙は、ナイル川のパピルス植物から作られ、軽量で持ち運びやすい書写材料として普及。情報の記録と伝達を革命的に変えた。

5.中国の甲骨文字(紀元前1400年頃)
亀の甲羅や獣の骨に刻まれた中国最古の体系的な文字。占いの結果や王朝の記録に使用され、現代の漢字の起源となった。

6.フェニキア文字の普及(紀元前1000年頃)
22の子音記号からなるアルファベットの原型で、シンプルで習得しやすく、地中海全域に広がった。後のギリシャ文字やラテン文字の基礎となり、文字文化の普及に大きく貢献した。

7.古代ギリシャの劇場(紀元前6世紀)
円形の野外劇場で行われた演劇は、神話や歴史を伝える重要なメディアとなった。数千人を収容できる劇場構造により、大規模な情報共有と文化的体験が可能になった。

8.アレクサンドリア図書館の設立(紀元前3世紀)
古代世界最大の図書館として、約50万の巻物を所蔵。知識の集積と保存、学術研究の中心地として機能し、情報の集中管理と共有の先駆けとなった。

9.ローマの「アクタ・ディウルナ」(紀元前59年頃)
ユリウス・カエサルの命により始まった世界初の「日刊新聞」。公共の場に掲示され、政治的決定や社会的出来事を市民に伝えた。

10.羊皮紙の普及(紀元前1世紀〜紀元後1世紀)
動物の皮から作られた耐久性の高い書写材料。パピルスより丈夫で両面に書けるため、コデックス(現代の本の形態)の発展に貢献した。

中世のメディア(6世紀〜15世紀)

11.修道院の写本制作(6世紀〜15世紀)
キリスト教修道院で行われた手書きの書物複製。聖書や古典文学の保存と伝播に貢献し、装飾写本は中世の重要な芸術形態となった。

12.木版印刷の発明(中国・7世紀)
唐代の中国で発展した木版印刷技術。仏教経典の大量複製に使用され、知識の普及に貢献した。

13.宋代の活版印刷(11世紀)
中国の畢昇が発明した陶器の活字による印刷技術。木版印刷より効率的で、書籍生産の増加をもたらした。

14.大学の設立と学術書の流通(12世紀〜)
ヨーロッパ各地に大学が設立され、学術書の需要と流通が拡大。知識の体系化と専門化が進み、学術コミュニティの形成に貢献した。

15.マルコ・ポーロの「東方見聞録」(13世紀末)
ヨーロッパ人に東アジアの文化や技術を紹介した旅行記。異文化理解と情報交換の重要性を示し、後の大航海時代に影響を与えた。

16.韓国の金属活字印刷(13世紀)
高麗時代に発明された金属活字による印刷技術。グーテンベルクより200年以上前に実用化され、東アジアでの書籍生産に革命をもたらした。
近世のメディア(15世紀〜18世紀)

17.グーテンベルクの活版印刷機(1440年頃)
ヨハネス・グーテンベルクが発明した金属活字と印刷機の組み合わせ。聖書の大量印刷を可能にし、情報革命の起点となった。印刷技術の標準化と書籍の大量生産により、識字率の向上と知識の民主化に貢献した。

18.郵便制度の確立(16世紀)
ヨーロッパで発展した組織的な郵便システム。特にタクシス家が運営した神聖ローマ帝国の郵便網は、情報の長距離伝達を可能にし、国際的なコミュニケーションネットワークの基盤を形成した。

19.新聞の誕生(17世紀初頭)
ドイツやオランダで定期的に発行される印刷新聞が登場。「アヴィーゾ」(1609年)や「ティディンゲ」(1618年)などの初期新聞は、商業ニュースや政治情報を広く伝播させた。

20.科学雑誌の創刊(1665年)
フィロソフィカル・トランザクションズ」(英国王立協会)と「ジュルナル・デ・サヴァン」(フランス)が世界初の科学雑誌として創刊。研究成果の共有と検証を促進し、近代科学の発展に貢献した。

21.百科事典の編纂(18世紀)
ディドロとダランベールによる「百科全書」(1751-1772)をはじめとする体系的な知識集成の出版。啓蒙思想の普及と知識の体系化に大きな役割を果たした。

22.政治パンフレットの流行(18世紀)
アメリカ独立革命やフランス革命期に大量に出回った政治的パンフレット。トマス・ペインの「コモン・センス」(1776年)などは大衆の政治意識を高め、革命の思想的基盤を形成した。

19世紀前半のメディア革命

23.リトグラフ(石版画)の発明(1796年)
アロイス・ゼネフェルダーによって発明された平版印刷技術。油と水が反発する原理を利用し、芸術作品の複製や商業印刷に革命をもたらした。

24.シリンダー印刷機の発明(1811年)
フリードリヒ・ケーニッヒが発明した蒸気動力の高速印刷機。「タイムズ」紙が1814年に採用し、新聞の大量印刷と低価格化を実現、マスメディアの基盤を形成した。

25.ニセフォール・ニエプスの最初の写真(1826年)
ル・グラの窓からの眺め」は現存する最古の写真。アスファルトを感光材料として使用し、8時間以上の露出で撮影された。視覚情報の記録と複製の可能性を開いた。

26.電信技術の実用化(1837年)
サミュエル・モールスらによる電信機の発明と実用化。1844年のワシントンとボルチモア間の通信成功は、電気通信の時代の幕開けとなった。距離と時間の制約を超えた即時通信を初めて可能にした。

27.ダゲレオタイプの発明(1839年)
ルイ・ダゲールが発明した初の実用的な写真技術。銀メッキ銅板に鮮明な画像を定着させることに成功し、肖像写真の普及と視覚文化の変革をもたらした。

28.タルボットのカロタイプ(1841年)
ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが発明したネガ・ポジ方式の写真技術。一枚のネガから複数の写真を作成できるようになり、写真の複製と普及の基礎を築いた。

29.ロイター通信社の設立(1851年)
ポール・ジュリアス・ロイターが設立した国際通信社。電信を活用した国際ニュースの配信システムを構築し、グローバルな情報ネットワークの先駆けとなった。

30.写真入り名刺「カルト・ド・ビジット」の流行(1854年)
アンドレ・アドルフ・ディスデリが特許を取得した小型写真技術。一度に複数の写真を撮影できる特殊カメラを使用し、写真の大衆化と社会的交換を促進した。

19世紀後半〜20世紀初頭のメディア発展

31.大西洋横断電信ケーブルの完成(1866年)
ヨーロッパとアメリカを結ぶ海底電信ケーブルの敷設成功。国際通信の即時性を実現し、グローバルな情報交換と経済活動の基盤を形成した。

32.エジソンのフォノグラフ発明(1877年)
トーマス・エジソンが発明した音声記録・再生装置。錫箔を巻いた円筒に音溝を刻む方式で、人類初めて音を記録し再生することに成功。音声メディアの幕開けとなった。

33.写真の印刷技術「ハーフトーン法」の実用化(1880年代)
写真を点の集合に変換して印刷する技術の確立。新聞や雑誌に写真を掲載することが可能になり、ビジュアルジャーナリズムの発展に貢献した。

34.イーストマン・コダックのカメラ発売(1888年)
ジョージ・イーストマンが開発した初の大衆向けカメラ。「あなたはボタンを押すだけ、あとは私たちにお任せください」というスローガンで、写真撮影を一般大衆に開放した。

35.マルコーニの無線電信実験成功(1895年)
グリエルモ・マルコーニが無線による信号伝送に成功。有線に依存しない通信の可能性を開き、後のラジオ放送の基礎となった。

36.リュミエール兄弟の映画上映(1895年12月28日)
オーギュストとルイ・リュミエール兄弟がパリのグラン・カフェで世界初の商業映画上映を実施。「シネマトグラフ」という装置を使用し、複数の短編映画を上映した。映画産業の誕生の瞬間となった。

37.エミール・ベルリナーのグラモフォン(1887年)と円盤レコード(1894年)
横溝方式の円盤レコードと再生装置の開発。エジソンのフォノグラフの円筒形レコードと異なり、大量生産が容易な円盤形式を採用。音楽産業の基盤を形成した。

38.無線電話(ラジオ)の発明(1900年)
レジナルド・フェッセンデンが人間の声の無線伝送に成功。1906年のクリスマス・イブには世界初のラジオ放送を実施し、マスメディアとしてのラジオの可能性を示した。

39.パテ社の映画ニュース(1908年)
フランスのパテ社が始めた定期的な映画ニュース。世界各地の出来事を映像で伝え、視覚的なニュースメディアの先駆けとなった。

40.ハリウッド映画産業の形成(1910年代)
カリフォルニア州ハリウッドへの映画スタジオの集中と映画産業の確立。スター・システムやスタジオ・システムを構築し、グローバルな映画文化の中心地となった。

ラジオと映画の黄金時代(1920年代〜1940年代)

41.商業ラジオ放送の開始(1920年)
アメリカのWWJ(デトロイト)KDKA(ピッツバーグ)が定期的な商業放送を開始。家庭にリアルタイムのエンターテイメントと情報を届ける新時代の幕開けとなった。

42.BBC(英国放送協会)の設立(1922年)
世界初の公共放送機関として設立。「情報、教育、娯楽」を提供する公共サービスモデルを確立し、世界各国の公共放送の模範となった。

43.トーキー映画の登場(1927年)
ワーナー・ブラザーズの「ジャズ・シンガー」が初の商業的に成功した音声付き映画となる。サイレント映画時代の終焉と映画表現の新時代を告げた。

44.カラー映画技術の発展(1930年代)
テクニカラー社の3色式カラーフィルム技術が確立。「風と共に去りぬ」(1939年)などのカラー映画の成功により、映像表現の可能性が大きく広がった。

45.オーソン・ウェルズの「宇宙戦争」ラジオドラマ(1938年)
リアルな演出で火星人の侵略を描いたラジオドラマ。一部のリスナーが実際の出来事と勘違いして混乱が生じ、マスメディアの影響力と責任が問われる契機となった。

46.テレビの実験放送(1930年代)
イギリスのBBCやアメリカのNBCが定期的なテレビ実験放送を開始。第二次世界大戦によって一時中断されるが、戦後の本格的なテレビ時代の準備段階となった。

47.プロパガンダ映画の台頭(1930年代〜1940年代)
ナチス・ドイツのレニ・リーフェンシュタール監督「意志の勝利」(1935年)や米国の「なぜ我々は戦うのか」シリーズなど、映画が強力な政治的プロパガンダツールとして活用された。

48.FM放送の開始(1940年代)
エドウィン・アームストロングが開発したFM(周波数変調)放送の実用化。AMよりも高音質な放送を可能にし、音楽放送の質を向上させた。
テレビ時代の到来(1950年代〜1970年代)

49.テレビの本放送開始と普及(1950年代)
第二次世界大戦後、アメリカを中心に商業テレビ放送が本格化。日本では1953年にNHKと日本テレビが放送を開始。家庭にリアルタイムの映像と音声を届ける強力なマスメディアとして急速に普及した。

50.エド・サリバン・ショーにおけるエルヴィス・プレスリーの出演(1956年)
テレビの影響力を示す象徴的出来事。全米約6000万人が視聴し、ロックンロールの普及とポピュラー音楽の視覚化に大きな影響を与えた。

51.ケネディ・ニクソンテレビ討論会(1960年)
アメリカ大統領選におけるテレビ討論会。映像メディアが政治に与える影響の大きさを示し、政治コミュニケーションの新時代を開いた。

52.通信衛星テルスターの打ち上げ(1962年)
世界初の商業通信衛星の運用開始。大西洋を越えたテレビ中継を可能にし、グローバルな映像通信の時代を開いた。

53.カラーテレビの普及(1960年代)
アメリカでは1960年代前半、日本では1960年代後半からカラーテレビが急速に普及。より豊かな視覚体験を提供し、テレビ文化の発展に貢献した。

54.アポロ11号月面着陸の生中継(1969年7月20日)
世界中で約6億人が視聴したとされる歴史的な宇宙中継。グローバルなメディアイベントの可能性を示し、テレビの社会的影響力を決定的なものにした。

55.家庭用ビデオレコーダーの普及(1970年代)
ソニーのベータマックスやJVCのVHSなど家庭用ビデオ録画システムの登場。テレビ番組の時間シフト視聴を可能にし、視聴者に時間的自由をもたらした。

56.衛星放送の開始(1970年代後半)
各国で衛星を利用した放送サービスが始まる。国境を越えた放送の受信が可能になり、情報の国際的流通に新たな局面をもたらした。

コンピュータとデジタルメディアの台頭(1970年代〜1990年代)

57.パーソナルコンピュータの誕生(1970年代)
アップルII(1977年)やIBM PC(1981年)など、個人向けコンピュータの商業的成功。コンピューティングパワーの民主化と、デジタルメディアの基盤形成に貢献した。

58.ビデオゲームの普及(1970年代〜1980年代)
アタリ社のPONG(1972年)から始まる家庭用ビデオゲームの普及。インタラクティブなメディア体験の先駆けとなり、新たなエンターテイメント産業を創出した。

59.ウォークマンの発売(1979年)
ソニーが発売した携帯型カセットプレーヤー。音楽の個人的・モバイル消費という新しいライフスタイルを生み出し、メディア体験のパーソナル化を促進した。

60.CNNの24時間ニュース放送開始(1980年)
テッド・ターナーが創設した世界初の24時間ニュース専門チャンネル。ニュースの即時性と常時性を高め、グローバルな情報流通の新たなモデルを確立した。

61.MTVの開局(1981年)
音楽専門テレビチャンネルの登場。ミュージックビデオという新たな芸術形式を普及させ、音楽産業とビジュアルカルチャーの融合を促進した。

62.コンパクトディスク(CD)の発売(1982年)
フィリップスとソニーが共同開発したデジタル音楽メディア。アナログからデジタルへの移行を象徴し、音楽の高音質再生と耐久性を実現した。

63.パソコン通信サービスの普及(1980年代)
CompuServeやThe WELL、日本ではPC-VANやニフティサーブなどのオンライン情報サービスが登場。電子掲示板やメールによる新たなコミュニケーション形態を生み出した。

64.デスクトップパブリッシングの登場(1985年)
アップルのMacintoshとAldus PageMakerの組み合わせにより、個人でも高品質な印刷物の制作が可能に。出版の民主化と視覚表現の革新をもたらした。

65.WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)の発明(1989年)
ティム・バーナーズ=リーがCERNでハイパーテキストシステムを開発。インターネット上の情報を相互にリンクさせる仕組みを構築し、情報アクセスの革命をもたらした。

66.デジタルカメラの商品化(1990年代初頭)
コダックのDCS100(1991年)など初期のデジタルカメラの登場。フィルムを使わない写真撮影が可能になり、画像のデジタル化と即時共有の道を開いた。

インターネット時代の幕開け(1990年代)

67.Mosaic ウェブブラウザの登場(1993年)
イリノイ大学のマーク・アンドリーセンらが開発したグラフィカルなウェブブラウザ。画像と文字を同一ページに表示する機能により、ウェブの一般利用を促進した。

68.Yahoo!の創設(1994年)
ジェリー・ヤンとデビッド・ファイロによるウェブディレクトリサービスの開始。インターネット上の情報整理と検索の重要性を示し、ウェブポータルの先駆けとなった。

69.Amazon.comの設立(1994年)
ジェフ・ベゾスによるオンライン書店の開業。電子商取引の可能性を示し、インターネットを通じた小売業の革命を起こした。

70.Windows 95の発売(1995年)
マイクロソフトのオペレーティングシステム。インターネットエクスプローラを統合し、一般ユーザーのインターネットアクセスを容易にした。日本では「インターネット元年」と呼ばれる普及の契機となった。

71.eBayの創設(1995年)
ピエール・オミダイアによるオンラインオークションサイトの開設。個人間取引(C2C)の新たなモデルを確立し、電子商取引の多様化に貢献した。

72.ブログの誕生(1990年代後半)
個人が簡単に情報発信できるウェブログの登場。「市民ジャーナリズム」の台頭と情報発信の民主化をもたらした。

73.Napsterの登場(1999年)
ショーン・ファニングが開発した音楽ファイル共有サービス。P2P(ピア・ツー・ピア)技術を活用し、音楽産業に大きな衝撃を与え、デジタルコンテンツ流通の新時代を開いた。

21世紀のソーシャルメディアとモバイル革命

74.Wikipedia の設立(2001年)
ジミー・ウェールズとラリー・サンガーによる協働編集型オンライン百科事典の創設。集合知の可能性を示し、知識生産と共有の新たなモデルを確立した。

75.iPodの発売(2001年)
アップルが発売したポータブル音楽プレーヤー。デジタル音楽の携帯性と大容量ストレージを組み合わせ、音楽消費の形態を変革した。

76.LinkedIn の設立(2002年)
レイド・ホフマンらによるビジネス特化型SNSの創設。プロフェッショナルなネットワーキングとキャリア形成のためのプラットフォームを提供した。

77.MySpaceの台頭(2003年)
初期のソーシャルネットワーキングサービスとして急成長。特に音楽アーティストの自己プロモーションプラットフォームとして機能し、音楽産業とソーシャルメディアの融合を促進した。

78.Facebookの創設(2004年)
マーク・ザッカーバーグがハーバード大学で開始したSNS。実名登録と「友達」概念に基づくネットワーク構築により、オンラインコミュニケーションの新たな形を確立した。

79.YouTubeの設立(2005年)
チャド・ハーリー、スティーブ・チェン、ジョード・カリムによる動画共有プラットフォームの創設。「Broadcast Yourself(自分自身を放送しよう)」というスローガンのもと、個人の映像発信を可能にした。

80.Twitterの創設(2006年)
ジャック・ドーシーらによる短文投稿サービスの開始。140文字という制限の中でのリアルタイムコミュニケーションという新たな形式を生み出した。

81.iPhoneの発売(2007年)
アップルが発表したスマートフォン。タッチスクリーンインターフェースとアプリエコシステムにより、モバイルインターネット利用の新時代を開いた。

82.App Storeの開設(2008年)
アップルによるモバイルアプリケーション配信プラットフォームの創設。サードパーティ開発者によるアプリ開発と流通の仕組みを確立し、モバイルエコシステムの基盤を形成した。

83.Instagramの創設(2010年)
ケビン・システロムとマイク・クリーガーによる写真共有アプリの開発。スマートフォンでの写真撮影とフィルター加工、即時共有の文化を生み出した。

84.Snapchatの登場(2011年)
エヴァン・シュピーゲルらによる「消える」メッセージアプリの開発。一時的なコンテンツという概念を導入し、デジタルコミュニケーションの新たな形を提案した。

85.Netflix のストリーミングサービス拡大(2010年代)
DVDレンタル事業から動画ストリーミングサービスへの転換と国際展開。「ビンジウォッチング(一気見)」という視聴習慣を生み出し、テレビ視聴の形態を変革した。

86.Spotifyの国際展開(2010年代)
ダニエル・エクらが創設した音楽ストリーミングサービス。サブスクリプションモデルによる音楽消費の形態を確立し、音楽産業のデジタル化を加速させた。

AIとメタバースの時代へ

87.クラウドコンピューティングの普及(2010年代)
AmazonのAWS、MicrosoftのAzure、GoogleのGCPなどクラウドサービスの発展。データとコンピューティングリソースのネットワーク化により、情報処理とストレージの概念を変革した。

88.ビッグデータ分析技術の発展(2010年代)
大量のデジタルデータを収集・分析する技術の進化。消費者行動の予測やターゲティング広告など、データ駆動型のメディアビジネスモデルを確立した。

89.TikTokの台頭(2016年〜)
中国発の短尺動画共有アプリ。AIによるコンテンツレコメンデーションと簡単な動画編集機能により、新たな動画文化とクリエイターエコノミーを生み出した。

90.ポッドキャストの再興(2010年代後半)
スマートフォンとストリーミング技術の普及により、音声コンテンツが復権。通勤時間や家事の合間など、様々なシーンでの「ながら聴き」という新たな消費形態を確立した。

91.5G通信の実用化(2019年〜)
第5世代移動通信システムの商用サービス開始。超高速・大容量・低遅延の通信により、AR/VRやIoTなど次世代メディア技術の基盤を形成した。

92.Zoomなどのビデオ会議サービスの普及(2020年〜)
COVID-19パンデミックを契機としたリモートコミュニケーションツールの急速な普及。仕事や教育、社交の場がデジタル空間に移行する契機となった。

93.NFT(非代替性トークン)アートの台頭(2021年〜)
ブロックチェーン技術を活用したデジタルアート所有権の認証システム。「Everydays: The First 5000 Days」が6900万ドルで落札されるなど、デジタルコンテンツの価値と所有の概念に革命をもたらした。

94.メタバースの構想(2021年〜)
Facebookが社名をMetaに変更し、仮想現実空間での生活・仕事・娯楽を統合する「メタバース」構想を発表。物理的空間とデジタル空間の融合という新たなメディア環境の可能性を示した。

95.ChatGPTの登場(2022年)
OpenAIが開発した対話型AI。自然言語処理の飛躍的進化により、人間とAIの対話の可能性を広げ、情報生成と知識アクセスの新たな形を提示した。

96.生成AIの普及(2022年〜)
DALL-E、Midjourney、Stable Diffusionなど、テキストプロンプトから画像を生成するAIの登場。クリエイティブ表現の民主化と著作権の概念に新たな課題を投げかけた。

97.AIによる動画生成技術の発展(2023年〜)
テキスト入力から短尺動画を生成するAI技術の実用化。映像制作の敷居を下げ、視覚表現の可能性を拡大した。

98.脳-コンピュータインターフェース(BCI)の進展(2020年代)
Neuralink社などによる脳とコンピュータを直接接続する技術の開発。思考によるメディア操作や直接的な情報アクセスという未来の可能性を示唆している。

99.量子コンピューティングの発展(2020年代)
IBMやGoogleなどによる量子コンピュータの実用化研究。従来のコンピュータでは不可能な計算能力により、暗号化やAI、シミュレーションなど次世代メディア技術の基盤となる可能性を秘めている。

100.拡張現実(AR)技術の進化(2020年代)
Apple Vision Proなど高度なAR/MRデバイスの登場。現実世界とデジタル情報を融合させ、情報の文脈化と空間化という新たなメディア体験の可能性を開いている。



図:最近,ChatGPTの画像生成力はいまいちなのか?
プロンプト作成もChatGPT 4oに頼んでいるのに・・・

2025年6月12日木曜日

HyperCard

アップルと私からの続き

6月5日,HyperCard(1987-1998)を産みだしたビル・アトキンソン(1951-2025)が亡くなった。ビル・アトキンソンは,先日テレビでみた映画スティーブ・ジョブス(2013)にも本人とよく似た役者さんが登場していた。

1988年に大阪教育大学にMacintosh IIを40台導入して使い始めようとしていたとき,HyperCardがインストール済みかどうかは我々には大きな問題だった。というのも,そのハイパーテキストスタックの例をみて,これは教育に使えると直感したからだ。HyperCardは1987年に発表されたばかりだったが,無事にインストールされていた。

その後,自分の研究室に入った代々のMacintoshにもしばらくHyperCardがのっていた。やったー。しかし,残念ながらそれだけで満足してしまい自分でHyperCardスタックを開発することは全くなかった。ハイパーテキストを実際に自分で操って教育用コンテンツを作るようになるには,WorldWideWebの登場によるHTMLファイルの作成まで待たなければならなかった。


京大の情報科学演習の非常勤を担当していたころ,WWWブラウザ普及の嚆矢となるNSCAMosaicが登場した。筒井多圭志さんに,ハイパーテキストの重要性を初めて認識したのはHyperCardを見たからだというと,ハイパーテキストはTexinfoで実装されているよと教えてもらった。

なお,ビル・アトキンソンは,MacPaintでも知られるQuickDraw を開発し,MacintoshのGUIを成功に導いた人だ。以下,小龍茶館から引用。
1987年8月11日から1992年まで、Appleは販売した全てのMac(Macintosh)にHyperCardをプレインストールしていました。またそれ以外の時期に発売されたMacにも、49ドルという価格でHyperCardを購入できてインストールすることが可能でした。そして2004年3月、HyperCardは正式にAppleのプラットフォームから”引退”し、Appleとコンピュータの歴史にその名が刻まれることになります。


図:HyperCardのホーム画面(ITmediaから引用)

[1]HyperCard on the Archive(Internet Archive)
[2]HyperCard Stacks(Internet Archive)
[5]HyperCard AI(平野友康)
[6]青空のリスタート(富田倫生)

2023年11月30日木曜日

OpenAI

ChatGPT(6)からの続き

2022年の11月30日にOpenAIがChatGPTを発表してからちょうど1年目となった。

最初のインパクトが大きかったので,最近の動きがもどかしく見えてしまう。ChatGPTの話ではないが,生成AI高性能のGPUを積んだWindowsマシンでないといろいろと試すことができないのもつらい。MacintoshのM1〜M3チップではほとんど対応できないのだ。GPT-4の相対的機能低下もあって,有料版からは離脱してしまった。最近は,GPT-3.5とBard, Claude, Bingなどの比較に留まっている。この中ではGPT-3.5が一番融通が利かないかもしれない。

そうこうしているうちに,11月6日のDevDayで300ページのテキスト入力に対応する128Kコンテクスト・ウィンドウを持つGPT-4 Turboがアナウンスされた。そろそろGPT-4復帰すべきかと思っていると,11月17日には,サム・アルトマンの解任騒動が勃発した。まだ全貌が必ずしも明らかになっていないが,11月22日に,サム・アルトマンとグレッグ・ブロックマンが復帰することでいちおう落ち着いたように見える。Q*をめぐる陰謀論めいた話はいろいろあるが,AGIが出来ているとか出来そうだということでもないか。


[付録]なんだか妙に下手に出るように躾けられているClaudeの場合:
はい、完全におっしゃるとおりです。失礼しました。訂正いたします。
e = 2.718...
log π = 1.1447...
として、e × log π を正確に計算すると、
2.718... × 1.1447... = 3.11...(小数点以下省略)
となりますね。
3.14ではありませんでした。

計算をちゃんと行わずに短絡的に判断してしまい、ファクトとしても誤りがありました。
このようなミスを重ねてしまい、大変申し訳ありません。
基本的な数値の計算から正しく立ち返る必要があると反省いたしました。
今後は肝に銘じ、確認を怠らぬようにいたします。
ご指導本当にありがとうございました。

2022年6月1日水曜日

タテ型コンテンツ

 NHKのクローズアップ現代でタテ型コンテンツ(動画/漫画)が流行しているという話題。

その前にひとこと。地方版も含めて最近のNHKニュースの訂正頻度がとても多くなってきた。毎日のようにお詫びしている。それに加えて政治ニュースの軽重の付け方や恣意的な報道内容の表現のレトリックにより,ほとんど政府広報のようだといわれている・・・

・・・NHKの質的低下がひどいという前振りのつもりが,感情に任せて話がそれてしまった。そのクローズアップ現代で,桑子キャスターが平然として「固定概念」という識者コメントの言葉をそのまま伝えていた。固定観念または既成概念が正しい

もちろん,言葉は移り変わるものであり,最近の若い人達が固定概念という言葉を使うのは耳にすることがあるので,100%おかしいとはいえない。それにしても,NHKという日本の言語表現基準の中心にあるべき組織で,言葉への感度が落ちているのだろうことが想像され,さきほどの政治的偏向と併せて残念な話なのだった。

さて本題は,YouTubeのようなPCに対応したヨコ型コンテンツより,TikTocのようなスマートフォンと親和性の高いタテ型コンテンツの方が最近注目を集めやすくなっている。スマートフォン上の漫画も,従来のような横スライドでなく,縦スライドでコマ移動するものが増えている。このようなタテ型コンテンツの方が,視聴者への主観的な訴求力が高いという結論だった。

パソコンでも昔,日本電気のPC-100という縦型ディスプレイとマウスから構成された日本版Alto(AppleのMacintoshのルーツ)が,1983年に発売されている。大阪駅前第1ビルのNECショールームで始めた見たときは,なかなかカッコよかった。残念ながら,その後主流になったのはスタンダートな横型ディスプレイのPC-9800シリーズのほうであった。


写真:NECのPC-100(Wikipediaより引用)

P. S.  NECの大阪 Bit-INN かと思ったが,それはやはり日本橋にあった。C&Cプラザ的なものだったのだろうか。

2021年3月15日月曜日

最近のPC

 2012年以来,大学でも自宅でもPCを新調していないような気がする。iPad Pro(11inch)は買ったし,iPhoneも6sからSE2に更新したけれど。以前は,Windows7をVMware Fusionで動かしていたが,Windows10になるころにはどこかに消えてしまっていた。そんなわけで,MacBookPro mid 2012は使っているものの,Windows環境とはまったく無縁になっていた。

1980年代から1990年代は,助手・助教授でも大学の研究費が40万円/年ほどあった。その後も色々とあったので,2000年代までは,2-3年に1台の割合で研究室のPC(学生用含む)を更新することができた。最初はPC-9801シリーズからスタートして,FM-Townsをちょい経由してから,1990年代以降は基本的には,Macintosh環境で整備してきた。そうはいっても,若干の必要性があったので,Paralellsなどで補完しつつ,自作Windows/FreeBSD PCも2-3台作っていた。当時は,まだマルチコア前夜のPentiumで,もちろんGPUなどみたこともない。

そんな状態でYouTubeの自作PCコンテンツを見始めると,知らないことが多すぎた。現状をまとめるとおよそ次のようなる。IntelからAMDへと時代が変わってしまっていた。

CPU: Intel(Core iN) 80%, AMD(Ryzen N) 20%のシェア比率だけれど,Intelは元気がないようだ。なお,半導体メーカとしては,Intel,  Samsung,  TSMC,  SKhynix,  Micronということになっているが,5nmプロセスで製造できるのは TSMCだけなのか。

GPU: CPUボード上にあるのが iGPU,PCIバス上にあるのがdGPU,Thunderboltで外部的につながるのはeGPU。iGPUも含めて,Intel 60%,NVIDIA(GeForce) 20%,  AMD(Radeon) 20%

DRAM: Samsung 46%,  SK Hynix 26%,  Micron 21% 。1980年代の昔,64kbとか256kb の時代には,日本のDRAM業界が世界を圧巻しており,毎月のようにNECや東芝や日立や三菱による技術的ブレイクスルーが報告されていたのがなつかしい。

NAND Flash: Samsung 34%,  KIOXIA(東芝)18%,   WesternDigital 14%,  Micron 13%,  SKhynix 9%,  Intel 9%。これがSSDを構成している。これで作られるM.2 SSDSATA接続(6GB/s)のものとNVMe接続(40GB/s)のものがある。例えば,M.2 SSD 2TBとNVMe PCIe3.0×4 + Thunderbolt 3ケースを用いると高速の外部SSDドライブが作れる。

MB: 代表的な規格はATX(305×244),Micro-ATX(244×244),Mini-ITX(170×170)。Asus 40%,  Asrock 30%,  MSI 15%,  GIGABYTE 10%。なお,ベアボーンキットのMBでは, Asrock(DeskMini) 50%,  Intel(NUC) 40%。YouTuberはみんなAsrockを使っているのかもしれない−違うかもしれない。10GBイーサネットとThunderbolt 3があるという条件では,Asrock X570 Creator一択になるらしい(by drikin)。

追伸:仮想通貨価格の高騰(例:600万円/bitcoin)のため,GPUボードがコインマイニング用に使われることから,自作PC用のGPUボードが品薄で入手困難になっているらしい。

2020年12月1日火曜日

Mac雑誌

アップルと私からの続き 

Appleのシリコンチップ搭載Macの発表直前の11月11日に(サンフランシスコ or 日本),青木剛一(@drikin)さんと松尾公也(@mazzo)さんが,ドリキンのVLOGで,「新型Macの発表前夜に語る,元MacUser編集長と元Apple信者のAppleシリコンへの期待!(第1118話 #シネマティック対談)」という対談をしていて,いろいろ回想しながら楽しく聞いていた。

で,日本のMacの三大雑誌としてMacLife,MacPower,MacUserをあげていたが,どうも自分の記憶とずれているので,確認してみたところ,次のようであった。初期(1980年代)のMacワールドからMac+とMacLIFEはすべて買っていたと思う。そのうち,The BASICでなじみのあった技術評論社からMacJapanが発刊されたので,休刊になるまでそれを買っていたような気がするし,Software Designが1990年に創刊されているので,それに乗り換えたようにも思う。

1 Macワールド->Mac+ 1986-1991
2 MACLIFE BNN 1987.8-2002.1
3 MacJapan 技術評論社 1989.5-1993.5
4 MacPower アスキー 1990.2-2007.10
5 MacWorld 1991-1998.4
5 日経Mac 日経BP 1993.2-2000.1
6 MacFan マイナビ 1993.4+
7 MacUser ソフトバンク 1993.11-1998.3
8 MacPeople アスキー 1995.12-2014.11

大阪教育大学にMacintoshが導入されたのが1988年ごろなので,とにかく情報がほしかった。そういえば,Appleから直接APDAlogも買っていた。

[1]日本のMac雑誌(Old Apple World)
[2]我が国最初のMac専門誌「MACワールド日本語版」顛末記(Apple/Macテクノロジー研究所)
[3]20年ぶりに再会〜Mac Japan誌の想い出(Apple/Macテクノロジー研究所)


2019年6月17日月曜日

Mathematicaについて

Mathematicaのことをはじめて知ったのは,The BASIC(技術評論社, 1983-1996)の紹介記事だったように思う。吉田弘一郎さんが西海岸からの最新情報を定期的にレポートする「バークレイ通信」という連載の中だったのではないか。Mathematicaは,1988年にNeXTにバンドルする形でリリースされた後,1989年にはMacintosh用のMathematica1.2が登場する。さらに,1991年には,Mathematica NotebookやMathLinkが実装される。Mathematicaとはそのころからのつきあいである。 くだんの紹介記事では,アメリカの物理屋さんが,Mathematicaノートブックでどんどん教材を開発しているという話があって,これはすごい!絶対に購入しなければ!と一人でエキサイトしたのだった。

大阪教育大学のリポジトリでMathematicaを検索すると,私の紀要論文が2つだけ見つかる。1993年の「Mathematicaによる1次元量子力学的散乱問題の可視化」と,1995年の「ネットワーク環境のMathematicaを用いた2次元量子力学的散乱問題」だ。このころが自分の能力とMathematicaの機能向上のスピードがマッチしていて,いちばん楽しかったように思う。MathLinkを使うということでは,体育の赤松先生のお友達の宮地力先生が,1998年に岩波コンピュータサイエンスから「Mathematicaによるネットワークプログラミング」を出版され,体育の先生はなんとすごいのかと感心したのだった。

さて,フロッピーディスク版からはじまり,CD-ROM版/DVD-ROM版を経由し,オンライン・ダウンロード版のMathematica 12まで順調にバージョンアップを繰り返しながら使ってきた。数理科学講座にもユーザがいたので,以前には大阪教育大学の情報処理センターでもキャンパスライセンスを取得していた。ところが,21世紀にはいってMathematicaのライセンス料が高騰し,とてもキャンパスライセンスを維持することができなくなってしまい,限定された数の端末だけのライセンスに替わっていった。今ではそれすらなくなっているのかもしれない。自分の研究室のMacにキャンパスライセンスを乗せるのは継続性に不安があったので,研究費や私費で購入したライセンスで運用していた。

最近は,Premeierライセンス更新で毎年5万円近く払ってきたが,この3月にリタイアしたので,これもおしまいだ。もしバージョンが古くて耐えられなくなったら,何年かに一度ホームライセンスで更新しようかとも思うが,どうだろう。Juliaのシンボル計算周りが進化すれば,もうMathematicaは使わなくなるのかもしれない。

写真:Mahtmematica25周年を記念して,Stephan Wolframから送られてきた,私のユーザ登録証のコピー。1989年7月11日に受理されているので,今年の7月で30周年になる。


2019年6月8日土曜日

アップルと私

なんだかこの40年間ずっと影響・翻弄され続けてきたような・・・

1980年代初頭,私はPC-9801ユーザで研究室のコンピュータもPC-9801シリーズ(まわりを見回してもみんなそうだった)。ところが,1988年に大阪教育大学に40台のMacintoshII (Mathematica, Fortranつき)+ LaserWriterが導入されたのをきっかけとして,マックユーザに転向してしまった(PC-9801RAくらいまではフォローしていた・・・)。

最初にMacintoshを見たのは日本橋の上新電機の1階だった。PC-9801本体+8087プロセッサが30万円の時代に,小さなモノクロディスプレイ一体型のMacintoshPlusが60万円以上していた。これはコストパフォーマンスが悪いと思い,その後近づかないようにしていた。それでも何か気になって,Mac+(1986-)やMacLife(1987-)などの雑誌を買い始めたところに,各国立大学へ貿易黒字対策のための外国製コンピュータ導入の話が降ってわいた。

いまから思えば,これが日米貿易戦争の端緒であり,半導体産業やコンピュータ産業の凋落の第一歩であったように思う。この米国の作戦に自ら進んで飛び込んで成長力を失った日本は,さらに竹中マジックで骨の髄まで外資にしゃぶられる今日の体たらくになるのであった。当時はバブルとも重なって毎週のようにDRAM技術の革新が報じられ,日本の半導体は少なくとも量的には完全無敵の状態に見えていたにもかかわらず。

さて,大学にMacintoshIIが導入されてからは,ジョブズのいないアップルの業績は下り坂で,その方針も混迷を極めた。日本経済新聞は何かある度にこれでもかというようにアップル叩きに勤しんでいた。その後の手のひら返しをみて,つくづくジャーナリズムにいやけがさすのであった。

なにやかやいっても,おおむねアップルの動きに追随してきたつもりだった。ところがApple Watchを見送ったあたりから,様々な技術や製品についていけなくなった。アーリーアダプターとしてiPhoneを卒業生らに見せびらかしていた時代がなつかしい。

P. S. 池田分校の新しい情報科学専攻に1教室分のMacintoshIIが設置され,ここでMathemacaの授業を1コマ持っていた。毎週朝早く到着して,全台手作業でDisinfectantでウイルス除去をするのが私の仕事だった。

年代 事項    製品      私は       
1976 創業 Apple I 大学院進学
1977 アップルコンピュータ設立 Apple II
1978
1979 Lisaプロジェクト
1979 Macintoshプロジェクト
1981
1982 大阪教育大学
1983
1984 Macintosh PC-9801導入
1985 ジョブズ追放→NeXT
1986
1987 Newtonプロジェクト HyperCard
1988 MacintoshII×40台
1989 MacintoshIIfx導入
1990 (NeXTstation)
1991
1992 Newton MP NeXTstation導入
1993
1994 PowerMacintosh PowerBookDuo270導入
1995
1996 NeXT買収
1997 ジョブズ復帰 漢字Talk7 PowerBook2400購入
1998 iMac/AppleWorks
1999 iBook
2000
2001 アップルストア MacOSX/iPod
2002 iPod購入
2003 iTunes Music Store
2004
2005 スタンフォード卒業式
2006 Apple TV
2007 iPhone
2008 iPhone購入
2009
2010 iBookstore iPad
2011 ジョブズ死去
2012 MacBook Pro購入
2013
2014 Apple Pay開始
2015 Apple Watch
2016
2017 ApplePark
2018 定年退職
2019 iPadPro購入
2020 MacBook Air 購入

2019年3月11日月曜日

第二種ソフトウェア危機とマクロユーザサービス

標題の文書が発掘された。たぶん,1993年前後のものではないかと思われる。大阪大学大型計算機センターの何かによせて寄稿することを想定した文書だが(利用相談員の自己紹介かな),どこかの段階でボツになったのかもしれない。とりあえず,参考のためにテキストを起こして再現してみる。第二種というのは,研究テーマだった原子核の弱い相互作用に存在するがどうかが問題となっていたGパリティ非保存の「第二種カレント」にかけているのだが,そんなもの誰にも分からない。

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第二種ソフトウェア危機とマクロユーザサービス
−ユーザのオタク化による情報環境破壊の進行と対策−
大阪教育大学 物理学教室 越桐國雄 (メールアドレス略)

 自己紹介: 私の専門分野は原子核理論(電弱相互作用と核構造)です。センターのACOSをTSSで使い始めたのは1980年ごろで,それまでは阪大核物理研究センターのTOSBACを使っていました。最近は主にワークステーションを使っています。スーパーコンピュータでUNIXが使えれば,また変わるかもしれません。相談分野は次のとおりです。
機種:ACOS,FACOM,NeXTstation,SPARCstation,Macintosh,PC-9801,FM-TOWNS.言語:FORTRAN,Mathematica.
(#ただ,どれもほとんどあてになりませんのでよろしく。)

 大阪教育大の紹介: 大教大では柏原市への移転統合を機会に,情報処理センターが新たに設置されました。ホストはFACOM-M770で,ワークステーション30台,パーソナルコンピュータ50台等の構成です。各研究室からはTCP/IPで学内LANにアクセスします。N1ネットワークへは64kbpsの専用回線で接続し,SINETによる学外へのIP接続も予定しています。しかしあまりの急激な変化(これまではホスト無し,TSS端末数台とMacII40台等があっただけ)に戸惑っているような次第です。(#ほんとにもうたいへんなのです。)

 センターへの希望: ダウンサイジングとネットワークング及びフリーソフトウェアの浸透により,スタッフのそろわない中小規模大学や情報系以外の研究室では,ユーザのシステム管理やソフトウェア管理の負担が年々重くなっています。また,ネットワークの発展に伴うコンピュータのメディア化が我々の情報処理能力の限界を越えて進もうとしています(ニュースとメールを読み,ファイル転送してmakeすると1日が終わってしまう!?)。こうしてあふれた情報ゴミがユーザのオタク化を促進しています。いわゆる「ソフトウェア危機」=ソフトウェア生産場面での需給ギャップに対して,これらはソフトウェア消費場面での需給ギャップといえるかもしれません。これを,「第二種ソフトウェア危機」と呼ぶことにします。第二種ソフトウェア危機は人間の基本的な欲求に密接に関係しているため,より本質的で深刻です。これを回避するための一助として,研究室,教室あるいは小規模大学のユーザグループ(=マクロユーザ)に対する適切な情報提供,事例紹介や講習等のサポートをセンターにお願いしたいと考えています。(#でも難しいですよね。中途半端な結論で終わってしまった・・・)
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(注) FM-TOWNSは,日本で最初に発売されたCD-ROMドライブ付きパソコンだった。情報処理センターの副センター長だった定金晃三先生らと,これいいよね(デジタル教材メディア活用のはしりだぁ),とかいいながらネットワーク整備予算を使って一教室分導入したものである。そのうちビジネス用のPCにもCD-ROMがつくのが当たり前になってしまった。そして,これからはCD-ROMドライブが付かないのものが普通になるようだ。