2023年6月25日日曜日

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

1972年,大学に入りたてのころは知的好奇心のポテンシャルにあふれていた。梅棹忠夫岩波新書青版の知的生産の技術に影響されていた頃だ。毎年100冊近い本(まあ半分以上文庫のSFや小説なのだが)を読んで,京大式カードにチャレンジし(1週間で挫折),NHKの生物工学の講座を視聴し(基礎工に潜ったほうがはやい),街を歩いた。

岩波書店の「図書」も新刊本の情報収集のために購読していた。年100円?と安かった。面倒だったので封筒に100円玉を入れて送ったら,郵便局から突き返されてきた。その図書に岩波の文化講演会の案内が載っていた。

京都の国際会議場だかどこかで夕方から無料で開催されるものに,分子生物学の渡辺格(1916-2007)など3名の話があるというのでとんでいった。渡辺先生の話はそれほどインパクトがなくてやや期待外れだった(というか話の内容を理解できなかったのかもしれない)が,その後にでてきた,大塚久雄(1907-1996)が印象的だった。周囲を圧倒する雰囲気の隻腕の老紳士で,マックス・ヴェーバーとマルクスの話だったような気がする(こちらのほうも話の内容は頭に入らなかった)。

さて,その大塚久雄先生が訳したマックス・ヴェーバー(1864-1920)のプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(1904)である。学生のころ人文社会科学の中で一番関心のあったのは社会学だったけれど,正統的で本格的なものにはまったく手が伸びず,見田宗介や井上俊など周辺の甘いお菓子のような本ばかり読んでいた。

でこのたび,ChatGPTのお力をかりて俄勉強してみるが,上記にリンクしたWikipediaの方がより具体的で丁寧な説明がわかりやすかった。

Q:User
マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で展開される論理の筋道をなるべく分かりやすく解きほぐして説明してください。

A:ChatGPT
マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、西欧の経済的成功とプロテスタントの宗教倫理の関係性についての社会学的研究です。

ヴェーバーの主張は、プロテスタンティズム(特にカルヴァン派)の倫理観が、現代の資本主義の精神を醸成し、助けたというものです。

以下に、ヴェーバーの主要な論点をいくつか列挙します:

職業倫理(Calling):プロテスタンティズム(特にカルヴァン派)では、一人ひとりが神から職業(calling)を与えられ、それを全うすることが信仰の一環とされます。つまり、労働はただの生計を立てる手段ではなく、神への奉仕として理解されました。これは、労働を倫理的価値として捉え、経済活動を奨励する強力な推進力となりました。

予定説と成功の証:カルヴァン派の特徴的な教義である予定説は、神がすでに誰が救われ、誰が避けられるかを決定しているとするものです。しかし、この運命は誰にもわからない。したがって、信者は自分が選ばれた者であると信じる確証を求めました。ここで、経済的成功がその確証として捉えられるようになりました。

禁欲主義と資本蓄積:プロテスタンティズムは節制と自己規制を強調し、贅沢や浪費に対して否定的な態度をとりました。したがって、信者は労働を通じて得た利益を再投資し、資本を蓄積する傾向がありました。これが、資本主義の発展を推進しました。

このように、ヴェーバーはプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神がどのように関連しているかを論じています。彼の見解には議論の余地がありますが、宗教的価値観が経済行動や社会的変化にどのように影響を与え得るかを示す一例として引用されます。彼の視点から見れば、プロテスタンティズムの宗教的倫理は、労働の倫理的価値を高め、経済的成功を信仰の証と捉え、さらに生活の節制を奨励することにより、資本主義の発展を促進しました。

しかし、これは一方的な因果関係を示しているわけではありません。ヴェーバー自身も、プロテスタンティズムが唯一の要因、または必ずしも資本主義の発展につながるとは主張していません。むしろ、彼の主張は、これら二つの発展が互いに影響を与え、形成し合ったというものです。このような視点は、経済、宗教、文化などのさまざまな要素がどのように相互作用するかを理解するための重要な枠組みを提供します。 


写真:マックス・ヴェーバー(Wikipediaより引用)

Q:User
2. 予定説と成功の証:の部分のロジックがわかりにくいです。『禁欲的プロテスタンティズムは、「利潤の肯定」と「利潤の追求の正当化」を生み出した。つまり、金儲けに正当性を与えたのである。』の理由をもう少し詳しく説明してください。

A:ChatGPT
マックス・ヴェーバーの理論における「予定説と成功の証」について、より詳細に説明します。

カルヴァン派プロテスタンティズムには、「予定説」という重要な教義があります。これは、神がすでに誰が永遠の救済を受けるか(選ばれた者)を決めている、という信念です。しかし、誰が選ばれた者なのか、また、自分自身が選ばれた者なのかを知ることはできません。この不確実性は、信者にとって大きな不安を生じさせることとなります。

ヴェーバーは、このような信者が自身が選ばれている(つまり、神によって救済が約束されている)確証を求めるために、自らの職業に励み、経済的な成功を追求したと主張します。経済的成功は、自身が選ばれた者であるという"証拠"または"確証"と捉えられたのです。つまり、成功は神からの恵みの証となり、これが利潤追求の正当化につながります。

この理論は、「禁欲的プロテスタンティズムは、利潤の肯定と利潤の追求の正当化を生み出した」という結論に結びつきます。具体的には、信者は自身の労働と経済的成功を神聖な使命と捉え、それを通じて神の意志を具現化するものと理解しました。これにより、一見すると物質的で世俗的な活動である「金儲け」にも、神聖な価値が見出され、正当化されたのです。

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