2021年11月6日土曜日

白骨の御文

本願寺第八代の 蓮如上人(1415-1499)が,布教のために教義を手紙の形で書いたものが御文(御文章)である。小学校6年の修学旅行は東尋坊へのバス旅行だった。その途中で蓮如の北陸布教の中心地であった吉崎御坊に立ち寄っている。金沢も浄土真宗(一向宗)の重要な活動地域の一つだったので,蓮如に関わる事跡には事欠かない。

さて,法事では,終盤に御文の中でも有名な白骨の御文を読み上げられることが多い。なんだかよくわからないお経(阿弥陀経,無量寿経,観無量寿経)や正信偈の後にこれが来ると,何回も耳にしているうちになんとなく意味というか雰囲気がわかってくる。

真宗大谷派では,以下のような文節の区切りの最後の一字を下げて読み上げることになっていた(浄土真宗本願寺派の御文章のyoutubeを見るとやはりちょっと違うようだ)。

夫(それ),人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに↓,おほよそ,はかなきものはこの世の始中終(しちゅうじゅう)↓,まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり↓。

さればいまだ萬歳(まんざい)の人身(にんじん)ノうけたりとゆう事をきかず↓。一生すぎやすし↓。いまにいたツてたれか百年の形躰(ぎょうたい)をたもつべきや↓。我やさき人やさき↓,きょうともしらずあすともしらず↓,おくれさきだつ人は↓,もとのしずく,すえの露よりもしげしといえり↓。

されば朝(あした)には紅顔あツて↓夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり↓。すでに,無常の風きたりぬれば↓,すなわちふたつのまなこたちまちにとじ↓,ひとつのいきながくたえぬれば↓,紅顔むなしく変じて↓,桃李(とうり)のよそおいをうしないぬるときは↓,六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまツてなげきかなしめども↓,更にその甲斐あるべからず↓。

さてしもあるべき事ならねばとて↓,野外(やがい)に送ツて夜半(よわ)のけむりとなしはてぬれば↓,ただ白骨のみぞのこれり↓。あわれといふも中々おろかなり↓。されば,人間のはかなき事は↓,老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば↓,たれの人も早く後生(ごしょう)の一大事を心にかけて↓,阿弥陀佛トふかくたのみまいらせて↓,念彿もうすべきーものなり。 あなかしこ,あなかしこ。

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