大阪の千日前や梅田に大きな墓地があったというのは聞いたことがある(昨年,梅田墓跡で1500体の人骨が見つかっている)。15年ほど前に大阪市内の高校での模擬授業の後,阿倍野の大きな霊園(大阪市設南霊園)の横を車で送ってもらった。天王寺駅からすぐ近くにこんな大きな墓地があったのか。
江戸時代の初め,大坂夏の陣のあとに整理された大阪七墓とよばれる墓地をお盆の期間に巡るという風習があると知って調べてみた。梅田墓地,南浜墓地(浜墓地),葭原墓地,蒲生墓地(野田墓地),小橋墓地,千日墓地(千日前墓地),飛田墓地(鳶田墓地)の7ヶ所であり,現在も墓地になっているところとそうでないところがある。
図:大阪七墓の位置(湯川敏男[1]より引用)
かつての大坂の町は,現在の環状線内の半分ほどの大坂三郷(天満組,北組,南組)とよばれる行政区から成り立ち,大阪七墓はそれを囲むように配置されている。
[2]賀古教信七墓廻(近松門左衛門)
[3]大阪七墓巡り復活プロジェクト(むつさとし)
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