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2024年12月9日月曜日

関心領域

日曜日の午後,録画してあった関心領域ジョナサン・グレイザー)を観た。2023年度第96回アカデミー賞の国際長編映画賞と音響賞を受賞した作品だ。

音だけが聞こえる真っ暗な画面が延々といつまでも続くところから始まったので,若干不安になった。明るくなって主人公のルドルフ・ヘスの家族が池にピクニックに行くシーンにホッとする。対象への距離が遠めで正対した構図が多用され,カメラとともに状況を醒めた眼で見ることになる。

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘス(Rudolf Franz Ferdinand Höß,1901-1947)の一家の収容所の隣にある家での生活が大きな事件もなく淡々と描かれていく。その背景には,強制収容所で殺されていくユダヤ人が存在することのシグナルを示すエビソードがふんだんに折り込まれ,ヘスも妻も家政婦たちもそれには気づいているわけだ。完全な無関心ではない。

ヘスはベルリンに転属になるが,妻はその快適な環境から離れることを強く拒否し,そのまま住み続ける。映画の最終盤に,現在のアウシュビッツ・ビルケナウ博物館の朝の清掃のシーンが挿入され,それが映画の中で唯一強制収容所の内部が映し出される場面となっている。

強制収容所 ⊂ 関心領域の世界 ⊂ 関心領域を見ている自分たちの関心領域の世界,という入れ子構造の中で,自分たちにもまた見えていないもの,薄々見えていながら見えないふりをしているものが山のようにあるわけで・・・。そのうえ,見えたつもりになったとしてもそれがフェイクの罠だったりする。



図:アウシュビッツ=ビルケナウ Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ強制収容所の配置([2]から引用)

P. S. ルドルフ・ヘスは二人いた。もう一人のヘスはナチス副総統で親衛隊長のルドルフ・ヘス(Rudolf Walter Richard Heß,1894-1987)である。1941年に飛行機でイギリスに逃亡し,ニュルンベルグ裁判では死刑を免れている。

2024年11月12日火曜日

八犬伝


12月まで有効の映画券をもらったのだけれど,なかなか面白そうな映画がみあたらない。消去法で残ったのが,八犬伝だ。テレビでも宣伝していたのでちょっと観たいと思った。原作は山田風太郎の「八犬傳」であり,なんのことはない自宅の本棚に収まっていた。

原作の八犬傳は,南総里見八犬伝の著者の曲亭馬琴葛飾北斎の対話が中心となる実の世界と,八犬伝の物語のダイジェストに相当する虚の世界が14章にわたって交互に描かれている。実の世界は,物語の中心部分をなす鶴屋南北との問答を含めてほぼ映画で再現されている。一方,虚の世界はそもそももとの八犬伝が長編なので,映画の時間では全く収まらず,ごく少数のエピソードとSFXだけで最後まで突っ走っていった。

江戸時代に二日がかりで,歌舞伎の東海道四谷怪談が上演されていたという場面があり,これは,仮名手本忠臣蔵の中に,東海道四谷怪談が埋め込まれるという構成になっていた。四谷怪談が忠臣蔵の外伝だということは知っていたけれど,上演方法がこんなことになっているとはビックリだ。

高校時代の教科書に載っていた,芥川龍之介戯作三昧はまさにこの滝沢馬琴だった。最後に八犬伝の口述筆記を行った滝沢家の嫁の土岐村路のくだりも,馬琴の誇張だったという説があったけれど,どうなのだろうか。路女日記を読んだらわかるのかもしれない。



写真:映画「八犬伝」のポスターを引用


2024年9月6日金曜日

カモになるな

NHKの映像の世紀バタフライエフェクト「ゲッベルス 狂気と熱狂の扇動者」を途中から見た。

ナチス・ドイツの宣伝大臣で強制的同一化をすすめたゲッベルス(1897-1945)は,映画好きであり,映画女優との浮気を重ねて深入りしたことから,妻のマグダ・ゲッベルスに離婚を持ち出された。これが,ヒトラーの不興を買ってしまう(1938)。そこで,ユダヤ人を標的とした官製暴動としての水晶の夜を引き起こして復権をはかろうとする。それが,ホロコーストへの道を開いたということか。

この番組の終盤で,1943年に米陸軍通信隊が制作したプロパガンダ映画「DON'T BE A SCUKER(カモになるな)」(23分)が紹介されていた。1947年にパラマウント映画から無償公開された。

いきなりプロレスのシーンから始まったが,その心はフェイクだった。その後,インチキポーカーやマジック,美人局のシーンなどが続き,世の中には騙そうとする人が溢れているのでこれらのカモになるなというメッセージが示される。

アメリカ人の真面目そうな若者と,ナチスの迫害を避けて米国にきたハンガリー人の大学教授が登場する。街角では,扇動者が,集まった大衆に対して,労働者が苦労しているのは,1.黒人,2.外国人,3.カトリック教会,4.フリーメーソン,が仕事や富を奪っているからだとアジっている。

最初は,扇動者の話に賛同していた主人公の若者だが,自分がフリーメーソンであったために,迷いが生じてしまう。そこへ,大学教授が声をかけ,これは扇動者の手口であって,少数者の分断を図って政治的利益を得ることが目的であることを説く。彼は,全く同じことが,黒人→ユダヤ人と置き換えて,ナチス・ドイツが実行したことを詳細に説明する。



写真:DON'T BE A SUCKERのタイトル(Wikipediaからの引用)

これ,今もそのままであって,日本においても外国人排斥・差別で繰り返されている(立憲民主党クルド人問題,小池都知事朝鮮人虐殺へのメッセージ拒否問題,法務省入国管理における人権侵害問題などなど)。

さらに,SNS(例えばX)には差別的な言動によってアクセスを稼ぎ,金もうけできる仕組みが組み込まれているため,日本だけでなくヨーロッパ,アメリカなど世界中で,アンチグローバリズムから波紋を広げた右傾化の波が著しく増幅されている。

21世紀ってこんな時代になるはずだったのかなあ・・・orz。

2024年8月31日土曜日

映画はアリスから始まった

あまり気にもとめずに録画予約していた映画を再生してみた。映画誕生期の女性監督の伝記映画くらいに思っていた。映画の導入部は,インフォグラフィックス的な表現だったので,いつになったらドラマが始まるのかと待っていたら,これが女性監督パメラ・グリーンによる非常に優れたドキュメンタリー映画だった。

タイトルは,「映画はアリスから始まった(Be Natural: The Untold Story of Alice Guy-Blaché)」主人公のアリス・ギイ(1873-1968)は,フランス人,映画史上初の女性映画監督,脚本家,映画プロデューサーである。いや,トーマス・エジソンリュミエール兄弟と並んで,映画産業や映画表現の基礎をプロデューサや監督として作った人だった。

兄と父を亡くして姉二人が嫁いだ後,アリス・ギイは,母との生活を支えるために,タイピングと速記を学んで,写真会社の社長代理のレオン・ゴーモンの秘書に採用される。彼は,リュミエール兄弟からシネマトグラフという新しい発明の上映会に招待された。この,1895年3月の世界初の映画の上映会に,アリスも出席したのだ。

レオンは,1895年に映写機を販売するL ゴーモン社を設立した。映写機のデモンストレーションのため,アリスは,それまでの実写映画ではない,世界初の物語映画である「キャベツ畑の妖精たち」を撮影した。やがてL ゴーモン社は映画制作にも本格的に乗り出し,彼女がゴーモン社の映画制作部門の責任者となる。その後,アリス・ギイは1000本もの映画を監督・制作することになる。



写真:映画撮影ロケ中のアリス・ギイ(BE NATURAL から引用)

このドキュメンタリーでは,アリスの作品が,セルゲイ・エイゼンシュタイン戦艦ポチョムキンに影響を及ぼしていたことや,エジソンとは異なった方式の発声映画の最初の試みを行ったこと等を取上げていた。

アリスは,1907年の結婚後,1910年にアメリカに渡り,映画制作のSolax スタジオを夫とともに立ち上げた。Solaxが1912年にニュージャージー州のフォートリーに新しいスタジオを建ててから,その一帯は映画産業の一大集積地となった。

夫のハーバートが,Solaxとは別の映画会社を設立してから,二人の関係は悪化し,株で失敗したハーバートの会社の倒産,さらに1921年のSolaxの倒産の後,アリスが映画を監督・制作することはなかった。そして,映画史の中からアリスの名前が消えてしまう。彼女の業績が再評価されるのは,1970年代以降のことになる。


リアルな会話をうまくコラージュして,謎解きを進めて行くクールな表現が際立っていた。アリス・ギイの晩年のインタビュー映像も挟まれていて,非常に貴重な映像に仕上がっている。過去のサイレント時代の映画の撮影場所を訪ねて,現在の場所に重ねる表現も秀逸だった。名前を消されてしまったアリス・ギイが,次第にその価値を取り戻していく過程もドキュメンタリーの骨格をなしていた。

P. S. ドキュメンタリーの原題のBE NATURAL はSolaxの新スタジオに掲げられていたアリスのスローガンであり,俳優に自然な演技を求めたものだった。


2024年6月16日日曜日

アメリカン・ニューシネマ

ルート66金沢の映画館(4)からの続き

NHKの映像の世紀「ルート66」に登場したのは,いわゆるアメリカン・ニューシネマの代表的な2作品である,「俺達に明日はない(1967)Bonnie and Clyde」と「イージ・ライダー(1969)」だ。これに「明日に向かって撃て(1969)Butch Cassidy and the Sundance Kid」を加えれば,主人公の二人が最後に射殺される三部作になる。

「俺達に明日はない」の監督は,アーサー・ペンだ。彼のもう一つの代表作は,少し時間を遡る「奇跡の人(1962)」だ。これに登場するアン・バンクロフトが「卒業(1967)」ではミセスロビンソンになる。一方,「卒業」のキャサリン・ロスは「明日に向かって撃て」ではサンダンス・キッドの恋人になる。

「卒業」のダスティン・ホフマンは,アーサー・ペン監督の「小さな巨人(1970)」の主人公になり,そこには「俺達に明日はない」のフェイ・ダナウェイが出ていた。こうして,昔観たアメリカン・ニューシネマの監督と登場人物と主人公たちはぐるぐるとつながっていた。ダスティン・ホフマンが出た「真夜中のカウボーイ(1970)」は,梅田の映画館で風邪をひいて熱がある状態でフラフラしながら観ていた。映画の中でバスで揺られる病んだ副主人公のダスティン・ホフマンの状態とほとんど同じだった。

アメリカン・ニューシネマの正確な定義はないが,その主な作品は,ちょうど自分の高校時代から大学時代にかけて公開されたものだ。映画を最もよく観ていた時代だった。Wikipediaの記事をちょっとアレンジして,アメリカン・ニューシネマのベスト30をリストアップしてみる。◎は高校時代,○は大学のころ,△はテレビでみたものだ・・・たぶん・・・。
◎1.俺たちに明日はない (1967) アーサー・ペン
◎2.卒業 (1967) マイク・ニコルズ:サウンド・オブ・サイレンス
 3.暴力脱獄 (1967) スチュアート・ローゼンバーグ
◎4.イージー・ライダー (1969) デニス・ホッパー:ワイルドで行こう
○5.真夜中のカーボーイ (1969) ジョン・シュレシンジャー:うわさの男
 6.ワイルドバンチ (1969) サム・ペキンパー
◎7.明日に向って撃て!(1969) ジョージ・ロイ・ヒル:雨にぬれても
△8.M★A★S★H マッシュ (1970) ロバート・アルトマン
○9.小さな巨人 (1970) アーサー・ペン
◎10.いちご白書 (1970) スチュアート・ハグマン:サークル・ゲーム
 11.ソルジャー・ブルー (1970) ラルフ・ネルソン
○12.…YOU...(1970) リチャード・ラッシュ
 13.ファイブ・イージー・ピーセス (1970) ボブ・ラフェルソン
△14.キャッチ=22 (1970) マイク・ニコルズ
 15.フレンチ・コネクション (1971) ウィリアム・フリードキン
 16.バニシング・ポイント (1971) ジョン・ブアマン
 17.ダーティ・ハリー (1971) ドン・シーゲル
○18.時計じかけのオレンジ (1971) スタンリー・キューブリック
◎19.愛の狩人 (1971) マイク・ニコルズ
△20.スローターハウス5 (1972) ジョージ・ロイ・ヒル
 21.スケアクロウ (1973) ジェリー・シャッツバーグ
 22.カンバセーション…盗聴 (1974) フランシス・フォード・コッポラ
 23.チャイナタウン (1974) ロマン・ポランスキー
 24.続・激突/カージャック (1974) スティーヴン・スピルバーグ
 25.カッコーの巣の上で (1975) ミロス・フォアマン
 26.狼たちの午後 (1975) シドニー・ルメット
 27.タクシードライバー (1976) マーティン・スコセッシ
 28.ネットワーク (1976) シドニー・ルメット
 29.ディア・ハンター (1978) マイケル・チミノ
△30.地獄の黙示録 (1979) フランシス・フォード・コッポラ

 


写真:アメリカンニューシネマのポスター(ダ・ヴィンチから引用)

2024年6月15日土曜日

ルート66

NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」シリーズで放送された「ルート66:アメリカの夢と絶望を運んだ道」は,アメリカ社会の変遷を象徴し,大陸横断でシカゴとサンタモニカを結ぶ国道66号線(1926-1985)に焦点を当てたものである。

ルート66」(1960-1964)と聞くとテレビ番組を思い浮かべるような気がする。たぶん自分はその番組を見た記憶がない。小学校3年のころ半年NHKで放映していたはずなのに。それどころか,「サンセット77」(1958-1964,これも微かに記憶がある程度)と混線する始末だ。実際の「ルート66」は若者二人のロードムービーだそうだ。

映像の世紀は,1920年代のアメリカにおけるモータリゼーションの発展から始まる。1926年に大陸横断道路としてルート66が開通し,その記念として行われたマラソン大会が紹介される。この道が「夢を運んだ」とされる一方で,「絶望を運んだ」とはどのような意味なのか。

1933年,ルート66沿いのジョプリンで発生したボニーとクライドの事件が次に取り上げられる。アーサー・ペン(1922-2010)の映画「俺達に明日はない(1967)」では,フェイ・ダナウェイウォーレン・ビーティがこの二人を演じている。この映画の前に,「ボニーとクライドへの報い(1934)」という再現記録映画が紹介されたが,ネット上でそれがちょっと見当たらない。

1930年代に中西部のグレート・プレーンズを襲い続けた砂嵐,ダストボウルによって数十万人の人々が故郷を追われ,カリフォルニアに新たな生活を求めて移動する。しかし,そこには仕事がなく,彼らの絶望を運んだ道がまさにルート66であった。ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」がこの悲劇を描き,ジョン・フォード監督,ヘンリー・フォンダ主演で映画化されている。

第二次世界大戦中,カリフォルニアには軍需産業が立ち上がり,ダストボウル移民に仕事を提供する。その一方,日系人は収容所に送られることになる。戦後、ルート66沿いには新しいビジネスが立ち上がり,マクドナルドもその一つである。最初の工場製造式セルフサービスのハンバーガー店が1940年にスタートし,戦後に普及拡大した。

番組では,ルート66沿いのラスベガスで,100km離れたネバダ核実験場での原子爆弾実験を見物するアトミックパーティの様子も紹介された。さらに,ルート66にある日暮れの町(サンダウンタウン)についても触れられた。有色人種が日没までに町を出るよう指示する標識が立つ白人だけの地区である。公民権法が制定されるまで,黒人旅行者は「黒人ドライバーのためのグリーン・ブック」を頼りにルート66を旅する。これが映画「グリーンブック(2018)」の背景である。

テレビ番組のルート66は若者たちを旅に駆り立てた。1960年代末にルート66は,カリフォルニアに向かうヒッピーの道となる。映画「イージー・ライダー(1969)」ではカリフォルニアからニューオリンズを目指すヒッピー的な二人が描かれている。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが主演し、彼らはボニーとクライドのように最後には射殺される。

番組の最後には,現在のアメリカのワーキャンパーたちが紹介された。仕事や家を失い,日々車上生活を余儀なくされる人々の姿が描かれる。彼らはドナルド・トランプを支持するルート66沿いの貧しい人々の一部である。ルート66は現在,州間高速道路に取って代わられたが,歴史遺産として甦ろうとしている。



写真:近所の駐車場でみかけたお洒落なルート66

2024年5月5日日曜日

オッペンハイマー

日下周一からの続き

毎日のように新ノ口に通っている気がする今日この頃(先週の話)。

オッペンハイマー」の上映がそろそろ終りそうなので(一日の上映回数が減って,一番小さい部屋が割り当てられる),先週のゴジラ -1.0 に続いて,ユニバーサルシネマ橿原に足を運んだ。

映画オッペンハイマーのカラーパートは,核分裂,モノクロパートには,核融合という名前が付けられている。名前の説明なしで物理学者が沢山登場して,カラーとモノクロのバートが時間順序を無視してやってくるので,相当予習していかないと理解できないとの前評判だった。クリストファー・ノーラン脚本・監督作品は,TENETをテレビでみたけれど,時間逆行と巡行の物語が並行して進むのでなかなか複雑な話だった。


物語は,ロバート・オッペンハイマーの学生時代から,マンハッタン計画における原爆開発の中心地,ロスアラモス研究所の所長としてトリニティ実験に成功するまでがひとつ,戦後,プリンストン高等研究所や原子力委員会でルイス・ストローズ(1896-1976)と関わり,1954年のオッペンハイマー聴聞会で国家機密に関する要職から追放されたオッペンハイマー事件がひとつ,この2つの流れが,カラーパートで表される。

モノクロパートの主人公は,ルイス・ストローズである。1953年から1958年まで原子力委員長をつとめた投資銀行家のストローズは,アイゼンハワー政権の商務長官に推挙される。そのための公聴会の部分がオッペンハイマーと絡めながら描かれている。結局,1959年に上院の反対によって,ストロースの商務長官就任は拒否された。それは歴史的な出来事だった。

こうしてモノクロパートと2つのカラーパートが絡まりながら物語は進んでいく。ノーランの脚本はとてもわかりやすく,すべての人物や出来事を把握できなくても,話の筋道は追うことが出来た。オッペンハイマーや妻のキティはやや複雑に描かれているが,悪役ははっきりしている。ストローズとその陰謀に加担した者たち,そしてエドワード・テラーか。

物理学者は,アインシュタインとニールス・ボーアと核磁気共鳴のイジドール・ラビとサイクロトロンのアーネスト・ローレンスと理論核物理のハンス・ベーテがわかっていれば話はつながるのだ。ボンゴをたたいていた若きファインマンは何の役割も果たしていない。


写真:J. ロバート・オッペンハイマー(Wikipediaから引用)

P. S. オッペンハイマーの物理は,1939年にPhysical Reviewに載ったブラックホールの着想が取り上げられていた。日本語訳の物理監修は橋本幸士さんだったが,1ヶ所,原子がふさわしいところが分子のままになっていた。

2024年4月26日金曜日

ゴジラ-1.0

このブログで,過去にシン・ゴジラの記事を書いたかどうか確認したが見当たらない。それもそのはず,つい昨日みたような記憶が残っていたシン・ゴジラはブログ を始める2年前の2016年の作品だった。

シン・ゴジラ(第29作)と同じく,新ノ口のユナイテッド・シネマ橿原ゴジラ-1.0(第30作)を観た。平日の朝一番なので,お客さんは5人くらい。テレビで放映されるまで待とうかどうか迷ったけれど,映画館の方が迫力があるかなと誤った判断をしてしまった。

結論から言うと,シン・ゴジラの方がよかったです。いきなり大戸島でゴジラ(小)が登場して,答えあわせが終ってしまう。何が来るのだ,いつ出てくるのだ,というドキドキ感がなくて,結論がせかされる。飲み込みやすいストーリーにしたがって,ゴジラの登場場面がトントンと積み上げられていく。

分かりやすいといえば,わかりやすい。戦後のバラックの描写や,ゴジラのディーテイルのVFXなども美しい。でも何か違うのである。山崎貴監督のこれまでの作品,ALWAYS 三丁目の夕日 シリーズ,永遠の0 ,アルキメデスの大戦のミックスジュースのようだった。どうりで違和感が残るわけだ。永遠のゼロですからね。

この映画で一番よかったのは,泡による浮力の消失という現象があることを教えてくれたっことだ。なるほど,これはおもしろい。しかしながら,この結論もいきなり天下りで与えられるので,発見の面白さや感動はまったく得られない。



写真:ゴジラ-1.0 公式サイトから引用

[1]ゴジラ映画作品の一覧(Wikipedia)

2023年11月28日火曜日

妖星ゴラス

海底軍艦からの続き

11月のWOWOWで東宝の特撮SF映画シリーズをやっていた。地球防衛軍(1957),宇宙大戦争(1959),妖星ゴラス(1962.3),海底軍艦(1963),緯度0大作戦(1969)の五本だ。

このうち,1963年の海底軍艦だけ映画館で見ているのは以前書いた通り。妖星ゴラスは小学校2-3年の時で,近所に映画のポスターも貼ってあった(そんな時代)。ストーリーも薄々わかって,とても見たかったのだけれど,当時は"大人の映画"につれていってほしいと言い出せるとは思っていなかった。まもなく,最初に体験することになる東宝の特撮怪獣映画は,キングコング対ゴジラ(1962.8)で,それ以後,夏休みのゴジラシリーズ等には連れて行ってもらえた。


その妖星ゴラスは,本多猪四郎(いしろう)と円谷英二のコンビ作品のうちの怪獣物でないSF作品の一つであり,今回のWOWOWの特集もそうしたSFものから変身人間シリーズなどを除いた5作が選ばれている。ただし,世界大戦争(1961)は含まれていない。

妖星ゴラスは,地球の0.75倍の大きさだが,重力が6000倍近い"黒色矮星"という設定で,地球に向かってくる。この星の接近による地球の破壊を避けるために南極にロケット噴射装置を設置して,地球をその公転軌道からずらすというものだ。$10^{-6}$Gを100日かけて40万km移動する。加速終了後も等速運動を続けるのはどうするのかと思ったけれど,映画の中では,北極に装置を再設置して逆に動かすような説明をしていた。

このため,南極におけるロケット噴射を表現するガスバーナーの炎のシーンが延々と続くのだった。ただ,説明では重水素と水素による核エネルギー(核融合とか水爆というキーワードは表立って出てこない)的なものが示唆されている。そのわりにはガスバーナーなのであるが。アポロ11号を打ち上げたサタン5号程度の推力ならば,1万セットで$10^{-12}$Gを短時間加えられるかもしれないけれど,ちょっとかなり厳しい。

おもしろかったのは,久保明がゴラスの再調査に向かったときに危機的状況になって記憶喪失になるシーン。ところどころ,2001年宇宙の旅(1968)のボーマン船長を思わせるようなシーンや宇宙ステーションへの回収のカットが出てくるのだ。キューブリックがこの映画を観ていることはないと思うが・・・。ところが検索してみると,同様の意見が散見された。もしかすると影響しているのだろうか。

なお,毛色が異なるので今回は含まれていない第三次世界大戦ものである世界大戦争を検索していたら,第二東映の第三次世界大戦 四十一時間の恐怖(1960)というドキュメンタリータッチのモノクロ映画も見つかった。当時は相当世界危機的な認識が広まっていた状況だったのだろう。



写真:妖星ゴラスの一場面([1]から引用)

[1]映画 妖星ゴラス(サブロジーの日々是ずく出し)

2023年5月5日金曜日

RRR

新ノ口のユナイテッド・シネマ橿原でインド映画「RRR」を観てきた。

近鉄橿原線の新ノ口駅を降りて東に進み,いつもは国道24号線に沿った表口から入っていた。ところが,連休中の人の流れは川沿いの裏道をアリさんのように列をなしていたため,それにつられてツインゲートの駐車場側の裏口からアプローチすることになった。

インド映画はテレビの断片的な紹介映像しか見たことがなくて,一度観たいと思っていた。たまたまユナイテッド・シネマ橿原で評判のRRRが上映中だったので,さっそくオンラインチケットを購入した。最近は,平日に映画館にいっても客席には2-3人からせいぜい10人というところだったが,祝日効果もあってか,コロナ自粛解除のためか,170人のシアターの1/5〜1/4くらいは埋っていた。

ストーリーは単純明快で,スローモーションを多用したアクションシーンとダンスシーンに加えて,特殊効果もフルに使われ,主人公の個性もはっきりしているので,3時間まったく眠くならずに画面に集中できた。素晴らしい。特に音響効果というか音楽というか主人公の歌声がよかった。

舞台は1920年のイギリスの植民地支配下にあるインドで,英国人に虐げられた2人の主人公が,友情を持ちつつ葛藤を抱えながら物語が展開するというものだ。英国人はサブヒロインの一人を除いて徹底的に悪役として描かれているので,ある種のインドナショナリズムかとも思えた。

実在のインド独立運動の活動家をモチーフとした主人公の二人が同時にインド神話の二人の神として無敵の戦いを(時々死にそうにはなるのだけど)進めるという勧善懲悪ストーリーなので,最後に超極悪に描かれた英国の総督と婦人がTNT火薬の大爆発で吹っ飛ぶ屋敷を背景として惨めに死んでいくところで,観客は溜飲を下げることになる。

これをナショナリズムと解釈してしまって,日本に置き換えると微妙なことになる。鬼畜米英相手に日の丸振り回す素戔嗚尊と日本武尊ですか。このアナロジーがうまくいかないのは日本が欧米によって植民地として侵略され人権を完全に剥奪されてはいなかったからだ。むしろ,日本はインドを支配した英国と同様に,アジア各国を(より巧妙な方法で)侵略した側だった。だから,日本では残念ながらRRRのような映画をつくることができない。


写真:ダンスシーンに用いられたキーウのマリア宮殿(Wikipedia 記事 から引用

2022年11月2日水曜日

戦争と人間(2)

戦争と人間(1)からの続き

三部作の映画で描かれた(言及された)事件はおよそ次のようなものだった。

    三・一運動(1919.3.1) 万歳事件
    https://ja.wikipedia.org/wiki/三・一運動
    三・一五事件(1928.3.15)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/三・一五事件
    済南事件(1928.5.3)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/済南事件
    張作霖爆殺事件(1928.6.4)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/張作霖爆殺事件
    易幟(えきし)(1928.12.19) 張学良
    https://ja.wikipedia.org/wiki/易幟
    間島共産党暴動(1930.5.30)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/間島共産党暴動
    霧社事件(1930.10.27)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/霧社事件
    中村大尉事件(1931.6.27)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/中村大尉事件
    万宝山事件(1931.7.2)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/万宝山事件
    満州事変(1931.9.18)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/満洲事変
    第9師団
    https://ja.wikipedia.org/wiki/第9師団_(日本軍)
    第一次上海事変(1932.1.28)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/第一次上海事変
    満州国設立(1932.3.1)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/満洲国
    五・一五事件(1932.5.15)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/五・一五事件
    国際連盟脱退(1933.3.27)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国際連盟
    相沢事件(1935.8.12)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/相沢事件
    二・二六事件(1936.2.26)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/二・二六事件
    関東軍防疫部設置(1936.4.23)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/731部隊
    盧溝橋事件(1937.7.7)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/支那事変
    第二次上海事変(1937.8.13)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/第二次上海事変
    国共合作(1937.9.22)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国共合作
    南京事件(1937.12.1)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国共合作
    国家総動員法(1938.4.1)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国家総動員法
    重慶爆撃(1938.12.26)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/重慶爆撃
    ノモンハン事件(1939.5.11)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/ノモンハン事件

参謀の辻政信は,ノモンハン事件でも相変わらずろくでもない動きをしていた。この映画では南京事件はあまり強調されていなかった。調べていたら,金沢の第九師団が第二次上海事変に動員されていて,その延長で南京事件に深く関わっていた(岡野君江)ことがわかった。

「戦争と人間」の映画は,東京裁判に至る第四部まで制作する予定だったが,資金が集まらずに第三部で終ってしまったようだ。このため,いろいろと伏線が回収されずじまいの不満が残る。完結編の後半はほとんどノモンハン事件の戦闘シーンであり,戦争の残虐さを表現するということだったかもしれないが,良かったのか悪かったのか・・・。

2022年11月1日火曜日

戦争と人間(1)

先日WOWOWで放映していた,五味川純平原作,山本薩夫監督の「戦争と人間」三部作を録画していたので,さっそく見ている。

第一部「運命の序曲」が1970年,第二部「愛と悲しみの山河」が1971年,第三部「完結編」が1973年の公開で,高校生か大学生のときに映画館で一通り見ている。日清・日露戦争の後,中国大陸に進出した日本が侵略戦争をはじめる満州事変前夜の1928年の張作霖爆殺事件から太平洋戦争に至る前の1939年のノモンハン事件まで10年余りを描いたものだ。

日本を代表する俳優陣が数多出ているため,タイトルバックの俳優名は男女別アイウエオ順で100名近くの名前があった。50年前の映画なので既に物故している方も多い。一番印象的なのは伍代財閥の満州における権益を握っていた伍代喬介役の芦田伸介(1917-1999)だった。それに比べると高橋英樹も高橋悦史も高橋幸治もチンピラのようなものだ。まだ若い岸田今日子(1930-2006)がいい味を出している。

もう少し内省的で暗い感じだと想像していた石原莞爾のイメージにカリスマは感じられず,ちょっと違っているような気がする。

記憶の中では,モノクロームの映像でノモンハンの平原を北大路欣也の伍代俊介がボロボロになりながら歩いているのだった。そこに娼婦に身を落とした女性が待っているというシーンがくる。その女性が浅丘ルリ子だと話の辻褄が合わないので,どういうことなのかと思ったが,夏純子だったので納得がいった。ただ,記憶していたモノクロシーンではなかった。

2022年10月28日金曜日

キュリー夫人

あんまり好きじゃない藤原帰一が,NHK BSのニュース番組キュリー夫人の映画を紹介していた。さっそく,京都アップリンクに見に行く。烏丸御池駅下車2分の新風館地下の便利なところにあるこじんまりとした映画館だ。40席弱のシアターが4つあり,入館チケット販売が全自動化されている。

これは2019年のイギリスの伝記映画,ハンガリーやスペインで撮影・制作されている。登場人物は英国系なので,フランスっぽさがあまり感じられない。アングロサクソンの気の強い女性とヒゲのおじさんたちが登場し,途中にイメージ映像とか時空を超えたカットバックシーンがいくつか挿入されている。誰かの映画批評にもあったけれど脚本がちょっとイマイチだったかもしれない。監督は,マルジャン・サラトビ,イラン出身のフランスの漫画家だ。

科学者の伝記映画といえば,10年ほど前に見た,高峰譲吉の「さくら、さくら 〜サムライ化学者・高峰譲吉の生涯〜」以来になる。これは主演が加藤雅也だったのか。映画だと短時間に最小限必要なエピソードを網羅しようということになって,どうしても物語がぎくしゃくする。やはり,人物の歴史を軸にする場合はNHK大河ドラマくらいの時間が必要なのかもしれない。

映画「キュリー夫人」の場合は,ピエールとマリーの出会いから始まり,ラジウムの発見,降霊会への参加,ノーベル賞,ピエールの死,ポール・ランジュバンとの恋愛騒動,第一次世界大戦,娘のイレーヌなどのエピソードが重ねられ,そこに,加速器によるガン治療,ヒロシマの原爆,第二次世界大戦後の原爆実験,チェルノブイリ原発事故などのシーンが挿入されていた。

放射能の発見は授業で取り上げたところだったので,もう少し新しい情報が得られるかと思ったが,(1) ピエールが開発して研究の切り札になったピエゾ電位計の実体イメージ,(2) ピエールが降霊会にはまっていたこと,(3) マリーとイレーヌが第一次世界大戦中にレントゲン車を作って治療にあたったこと,などか。なお,1903年のノーベル賞授賞式には夫婦揃って参加していないようだ。

20年ほど前に,黒柳徹子主演で「喜劇キュリー夫人」という舞台を梅田でみたが,こちらの方はもっとマイルドな味付けだった。いずれの場合も,3トンのピッチブレンドを大釜で炊いてポロニウムやラジウムを生成する過程が印象深く描かれていた。キュリー夫妻の実験室も,ほとんど化学の実験室として描かれていた。まあ1911年にはノーベル化学賞を受賞したのだからそうなのかもしれない。

なお,ピエールマリー・キュリーとその娘夫婦のノーベル賞受賞理由はそれぞれ次のようになっていた。

The Nobel Prize in Physics 1903 was divided, one half awarded to Antoine Henri Becquerel "in recognition of the extraordinary services he has rendered by his discovery of spontaneous radioactivity", the other half jointly to Pierre Curie and Marie Curie, née Sklodowska "in recognition of the extraordinary services they have rendered by their joint researches on the radiation phenomena discovered by Professor Henri Becquerel"

The Nobel Prize in Chemistry 1911 was awarded to Marie Curie, née Sklodowska "in recognition of her services to the advancement of chemistry by the discovery of the elements radium and polonium, by the isolation of radium and the study of the nature and compounds of this remarkable element"

The Nobel Prize in Chemistry 1935 was awarded jointly to Frédéric Joliot and Irène Joliot-Curie "in recognition of their synthesis of new radioactive elements"



写真:ピエゾ電位計とマリー&イレーヌ・キュリー(Wikipediaから引用)

[1]キュリー夫人(石原純)
[2]ラジウム発見100年(環境研ミニ百科)

2022年7月3日日曜日

⊃ ∪ ∩ ⊂ 

連日の熱暑で,干からびかけた奈良公園の鹿がラクダにみえる今日この頃。

WOWOWでデューン砂の惑星の特集をやっていた。原作はフランク・ハーバート(1920-1986)の1965年の作品だ。フランク・ハーバートといえば21世紀潜水艦だったので,ハヤカワ文庫で最初に出版された1973年ごろはまったく関心がなかった。手元にある古書は1982年発行の12刷だったので,たぶん1980年代の中ごろに購入している。読後感は最高で,マイベスト20には確実に入る一冊だ。

特集では,1984年のデヴィッド・リンチ(1946-)監督の「デューン/砂の惑星」,2013年のドキュメンタリー「ホドロフスキーのDUNE」,2021年のドゥニ・ヴィルヌーヴ(1967-)監督の「DUNE/デューン 砂の惑星」が放映された。デヴィッド・リンチ版は日曜洋画劇場でみており,ななかな良かったという印象的がある。このころにハヤカワ文庫版を買ったのかもしれない。

アカデミー賞6部門を受賞した2021年版(2部作の前半だった)は,たしかに美しいのだけれど,デヴィッド・リンチ版の怪しいおどろおどろしさがなく,完全除菌されたような印象だ。キャストも1984年版のほうがよかった。もちろん,1984年版のSFXなど今からみればとても残念な状態ではあった。

WOWOWの特集の中で一番よかったのは,チリに生まれたロシア系ユダヤ人アレハンドロ・ホドロフスキー(1929-)のDUNEだった。1975年にDUNEの制作に着手し,最高のスタッフと出演者を集めながら,

メカデザインにSF画家のクリス・フォス,クリーチャーとキャラクターのデザインと絵コンテにバンド・デシネのカリスマ作家メビウス,特撮担当にダン・オバノン,悪役ハルコンネン男爵の城のデザインにH・R・ギーガーを起用。キャストもハルコンネン役にオーソン・ウェルズ,皇帝役にはサルバドール・ダリ,他にもミック・ジャガーやデビッド・キャラダインなどがキャスティングされた。また,音楽をピンク・フロイドやマグマが製作するなど,各界から一流のメンバーが集められた(Wikipedia から引用)。

1年余りで挫折してしまう。その理由は,ホドロフスキーのシュールレアリスムの芸術性がハリウッドに恐怖心を抱かせたということらしい。プロモーション用の分厚い絵コンテ・デザイン集が若干部印刷されて関係者に配布されていた。古本で出てないか探してみたところ,クリスティーのオークションで,3億ドルの値段がついたらしい。チーン。

ホドロフスキーのDUNEは未完に終ったが,そのスタッフやイメージは,その後のSF映画に多大な影響を及ぼしている。まさに,ホドロフスキーのDUNEで改変された,主人公が死んでもその意識が普遍的に実在化するというストーリーをなぞったものになっていた。


写真:JodorowskyのDUNE デザイン・絵コンテ集/3億ドル(Gigazineから引用)

2022年6月8日水曜日

科学映像館

1960年代を中心として,日本では数多くの良質の科学映画が制作された。それらをデジタル化して保存・公開することを目的としたのが「NPO法人科学映像館を支える会」であり,科学映像館のサイトや,YouTubeチャンネルで700本以上の科学映画が配信されている。

本部は,埼玉県にあり,埼玉県の歯科医師協会が協力していることもあって,撤去冠の寄付を受け付けている。ジャンルとしては,幅広いものであり,教育,自然,動物,植物,生命科学,消化器・循環器・呼吸器系,骨,皮膚,医学・医療,食品科学,工業・産業,農業・漁業・暮らし,社会,芸術・祭り・神事・体育となっている。

科学映画といえば,国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が運用しているサイエンスポータルの中のサイエンスチャンネルも科学映画や短い動画クリップを扱っている。YouTubeのチャンネルには,1700本くらいのコンテンツがある。

2000年度の卒業論文で,「物理教育動画データベースの構築」というタイトルで物理実験のビデオクリップのウェブサイトを作ってもらった。当時は類似のデジタルコンテンツはごく限られていた。ユーザ側の負荷を考えて,かなり品質を落とした動画をアップロードしていた。その後YouTubeが2005年にスタートし,20年後の今は,質はともかく大量のコンテンツがあふれている。それが子供たちの学びにつながるかどうかはまた別の話となる。

[1]科学映画の一考察(中谷宇吉郎)

[2]科学映像を守る 記録映画の保存と活用(久米川正好)


2022年2月28日月曜日

オデッサ

ウクライナからの続き

黒海沿岸の港湾都市オデッサは ,人口100万人のウクライナの第三の都市。ちなみに首都キエフは人口300万人弱なので,大阪と同じ規模だ。北130kmのところにチェルノブイリ原子力発電所があり,事故を起こしたチェルノブイリ4号炉への観光ツアーもあるらしい。

そのオデッサが出てくるのが,セルゲイ・エイゼンシュテイン(1898-1948)の映画「戦艦ポチョムキン(1925)」だ。大学に入って,休日には映画を見ることが多かったが,岩波新書の「映画の理論(岩崎昶)」などを読んでいると,モンタージュ理論を確立したエイゼンシュテインは必見ということだ。それで,戦艦ポチョムキンを見に行くことに。

1905年のポチョムキン号における水兵の反乱は歴史的な事件である。オデッサの階段での虐殺シーンは史実ではないらしいが,印象的だったし,全体のモノクロームのロシア革命前夜的なイメージはよかった。後に,1917年のロシア革命がテーマであり,「俺達に明日はない」のウォーレン・ベイティが監督主演した「レッズ」を見たけれど,エイゼンシュタインの迫力には及ばなかった。


写真:オデッサの階段(Wikipediaから引用)

2021年12月9日木曜日

女系家族

 しばらく前に,映画版の女系家族(大映 1963)をみたが,最近テレビ朝日で二夜連続のドラマスペシャルで女系家族(2時間×2)をやっていた。

山崎豊子(1924-2013)の原作で,大阪船場の商店の婿養子の旦那が亡くなった後の遺産相続を巡るややこしい話だ。新しいテレビドラマの方も,宮沢りえと寺島しのぶががんばっていたけれど,何といっても昔の映画は,当時の時代の空気が感じられておもしろい。

番頭役の中村鴈治郎(二代目)のいやらしい目とか,主人公三人姉妹の叔母役の浪花千栄子の雰囲気がたまりませんね。ストーリー展開はほとんど(多分原作通りなのだろう)同じだった。二号さん役は,宮沢りえの方が若尾文子より,途中からの変貌ぶりがきわだっていたかもしれない。

2021年9月6日月曜日

異端の鳥

 異端の鳥(2019)がWOWOWで放映されていた。モノクロームのくっきりとして静謐な映像と象徴的なストーリーが印象的だった。セリフは非常に少なくてほとんどが映像で説明されていくのだけれど,登場した言葉は特定の民族の言語ではなくて,インタースラーヴィクという人工言語だとのこと。

スラヴ諸国における代表者間の意思疎通を円滑にすることや,スラヴ語を知らない人々がスラブ諸国の人々と意思疎通ができるようにすることを目的としており,後者については、教育的な役割も果たしている」ということなので,補助言語として実際に使われているらしい。

最初のうちは,タイトルを「異端の島(しま)」だと認識して見ていたけれど,あらすじを確認している途中でそうでないことに気付いた。鳥飼いによってペンキを塗られた鳥が空に放たれて群れに合流するのだけれど攻撃されてついには死んでしまう。これがこの映画(The Painted Bird)の意味を端的に象徴している。

P. S. この時期の朝の散歩では,白鷺が目立つて集団行動をしているのに気がつく。


写真:異端の鳥の映画ポスター(Wikipediaから引用)


2021年8月5日木曜日

パンケーキを毒見する

8/2(月),新たに埼玉県・千葉県・神奈川県・大阪府への緊急事態宣言が発出されるとともに,東京都と沖縄県への宣言が延長された。8/31(火)までだ。一方,同じ期間に北海道・石川県・京都府・兵庫県・福岡県には蔓延防止等重点措置が実施される。さらには,東京オリンピック閉会式で台風9号が接近する8/8(日)には,同じ期限で,福島・茨城・栃木・群馬・静岡・愛知・滋賀・熊本の8県にも蔓延防止等重点措置が追加されるようだ。

それでもオリンピックは続けるのだった。8/24(火)〜9/5(日)のパラリンピックはどうするのか。

そんなわけで,映画館が閉鎖されないうちにということで,朝から新京極三条のMOVIX京都にパンケーキを毒見する(企画制作:河村光庸,監督:内山雄人)を一人で観に行った。30-40人くらいの観客が入り結構にぎわっていた。席は前後も重ならないようにしてほしい。

主戦場と同じように,インタビューの積み重ねが基本となるドキュメンタリーだ。ただ,当事者に近い関係先からはほとんど出演が断られてしまったようで,短期間での制作はたいへんだったと思う。

途中に挿入されるアニメーションや小芝居(博打)やイメージ映像はあまり成功していない(若林良が,印象操作というまったくトンチンカンな見解を披露していたがそうではないだろう)。全体として掘り下げは物足りなかったが,それでもいくつかの新しい知見はあったので,まだ見ていなければ今のうち(下手するとテレビ放映がないかもなので)。

上西充子の国会中継解説はとてもわかりやすくてよかった。これだけで1本ドキュメンタリー映画を作ってもらいたいくらいであり,メディアリテラシーの演習になる。

石破茂村上誠一郎はあたりさわりなかったが,橋本龍太郎の秘書官だった江田憲司が,菅義偉から国会への出馬をサポート・現金付で依頼されたくだりは興味深かった。

○赤旗の編集局にカメラが入り,編集者との話や,小池晃との掛け合いがあったところは,はじめてみる映像でこれは結構貴重なのではないだろうか。

森功の部分はちょっと消化不良であり,前川喜平の話は安倍絡みで既知のことだった。

今回の映画で最も面白かったのは元朝日新聞の鮫島浩の話だった。彼が新米のときに権力者とは誰かと先輩に聞いて,その答えが,経世会,宏池会,外務省,大蔵省,米国,中国だったというもので,そこには清和会はない。彼らは基本的にずっと主流ではなかったのだ。それが,小泉政権や経世会の解体を経て2度の安倍政権とそれにつながる菅政権として権力を掌握したがために,従来の権力(及びその政策)への仕返しをしているという見立てだ。

たぶん,安倍+菅政権時代の事跡を,マスメディアと政治という背景の元に再編したほうがより面白いものになったと思う。上西充子の部分や辻田真佐憲のコメント,赤旗のくだりや最期の古賀茂明の話はそのまま活かせる。あるいは望月衣塑子の部分をより広く掬い,国谷裕子と菅の話,NHK担当課長更迭の話,などなどネタは尽きることがないだろう。


写真:(C) 2021「パンケーキを毒見する」製作委員会のポスターから引用


2021年6月6日日曜日

ゼロの焦点

録画されていた 松本清張ゼロの焦点犬童一心監督,2009年)をみた。戦後,昭和32年の金沢や能登が舞台になっていて,当時の街の雰囲気がていねいに作られていた。金沢駅の構内アナウンスでは「0番線(七尾線)ホーム」が出ており,昔のホームの雰囲気が彷彿とされた。

雪の降る金沢市内の浅野川沿いの雰囲気,古い町並みと鉄製の広告看板,雪まじりの道のあるきにくさ,市電の4番線で野町や白菊町の工場に向かう様子,金沢弁の使い方など丁寧に描写されている。金沢市長選の婦人候補の陣営で支援者が歌う金沢市民の歌(昭和24年制定)が特に良かった。

ストーリーは,社会派推理作家の松本清張の特徴がはっきりとして,その後のサスペンス劇場の断崖クライマックスの嚆矢となるものだった。広末涼子,中谷美紀,木村多江がくすんだ北陸の冬景色の中に際立った色彩を放っていた。

能登金剛の巌門は小学校4年か5年の修学旅行でも定番のルートになっていたが,旧作のゼロの焦点(野村芳太郎監督,1961年,久我美子−高千穂ひづる−有馬稲子)では,巌門から15km北のヤセの断崖が舞台になっている。今回もそうだったのか。

アマゾンのこのレビューでは,映画の脚本上の違和感がいくつか指摘されており,概ね同感である。なお,金沢市の歌には他に金沢市歌(1923年)と金沢市民憲章の歌(1980年)がある。


写真:ヤセの断崖(能登 島宿せがわ から引用)