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2025年10月28日火曜日

グランドツアー

マンションの電気設備(配電盤関係)の交換のため,10:00〜16:00まで全面停電のアナウンスがあった。エレベータはもちろん,電気も水道もトイレもWiFiもみなストップしてしまう。しかたがないので,脱出して映画を観に行くことになった。

日経の夕刊で紹介されていた,ミゲル・ゴメス監督のグランドツアーがおもしろそうだったので探してみたが,奈良県では上演されていない。大阪のテアトル梅田にしようか迷ったけれど,四条烏丸の京都シネマに向かう。おしゃれな烏丸古今(COCON)というビルの3Fにある名画館で,マイナーな映画ばかり扱っている。

グランドツアーの舞台は1918年のアジアで,逃げる男を女が追いかけるという話だ。ビルマ(ミャンマー)−タイ−ベトナム−フィリピン−大阪−上海−成都と物語が進んでいく。前半は男性,後半は女性を追いかけるモノクロの映像でほとんどが構成され,一部にカラーが混じる。映像はドラマとドキュメンタリーが適度に混ざっていて,わかったようなわからないようななストーリーが展開する。

大阪では道頓堀の風景と地下街のうどん屋が映っているが,どうみても1918年代のものではなくて,たぶん昭和の風景だ。それと虚無僧が登場していた。そうか,安部公房の箱男の原点は虚無僧なのかと気付いた。成都では森の中のパンダが見え隠れしていた。

アジアの様々な人形劇が挟まれていた。影絵,操り人形,棒人形。ビルマの人形は三人遣いで,黒子のかわりに顔を黒塗りしていた。人形浄瑠璃文楽の三人遣いは世界的に珍しいということだったけれど,まったく存在しないわけではなかった。

平日の10時過ぎから2時間の上映だが,10人あまりのシニア割引客がいたので,かなり盛況だったのではないだろうか。あいかわらず,京都の街は(奈良もそうだが)外国人観光客でとても賑わっている。



図:グランドツアーのポスター(ミモザフィルムズから引用)

2025年10月6日月曜日

芳醇なグレー

国宝:吉田修一からの続き

NHKのスイッチインタビューで,妻夫木聡(1980-)と李相日(1974-)の回があった。李の映画,69 sixty nine(2004),悪人(2010),怒り(2016)に妻夫木が出演している。

新潟生まれの在日朝鮮人三世である李相日が最初にとった映画,青〜chong〜(2001)は在日朝鮮人学校に通う高校生の物語だったが,それ以降,在日をテーマとした作品は封印している。それにもかかわらず,映画に関するインタビューで在日との関係についてYesかNoかで聞かれることが多かったという。

彼は,関係ありませんとは答えているものの,その理由は,Yes/No 白/黒の間にある大きなグレーの領域,芳醇なグレーを理解してもらえないからだという。確かにそうだ。人々は単純な物語を好む。マスコミはその方が売れるからだと思うかも知れないが,その背景には言い古されたナラティブに当てはめて理解したいと渇望している大衆が存在している。

物理学は単純な物語(理論)を指向する典型的な思考法である。だから,自分もその大衆の一部に違いない。ネトウヨもリベラルもトランプも自民党員も反斉藤元彦派もみんなみんな,白黒のはっきりした物語を強い言葉で語りだす。政治的な効果を狙ってもいるが,そもそも我々の脳は,情報を如何に効率的に圧縮して扱うかを迫られている。そこで,単純なナラティブやスローガンやキーワードに落とし込むのだ。いわく「テロリスト,ネトウヨ,サヨク,アベ信者・・・」。問題を複雑なままで抱えて持ち続けるのはたいへんなのだ。



図:上記テキストに対応するChatGPT-5 のイメージ


2025年10月3日金曜日

宝島

国宝:吉田修一沖縄からの続き

吉田修一原作,李相日監督の映画「国宝」は12億円の製作費で,1000万人動員し150億円の興行収入となる大ヒットになった。一方,真藤順丈原作の直木賞作品で,大友啓史監督の映画「宝島」は25億円の製作費をかけたものの,いまひとつ盛り上がっていないらしい。

NHKのスイッチインタビューで,妻夫木聡と李相日が対談していて,宝島にも言及していたので,朝一番に新ノ口ツインゲートのユナイテッド・シネマ橿原に向かった。

戦後1952年から1972年の返還までの沖縄が舞台。宝島の英訳はHero's Islandである。伝説の英雄オンちゃんと,その後輩や恋人や弟が主人公だ。嘉手納基地の米軍物資を盗みだす子どもたちが成長し,米軍支配下の沖縄で宮森小学校米軍機墜落事故(1959)からVXガス放出事故(1969),コザ暴動(1970)をなど中心に様々な事件に巻き込まれていく。

全編セピアのトーンで,昔の沖縄のコザの町並みが再現され,妻夫木聡,広瀬すず,窪田正孝の演技も良かった。原作は読んでいないのだけれど,脚本がちょっと微妙だったのかも知れない。最後の嘉手納基地から海辺でオンちゃんの骨に至るところが,ちょっと納得感に欠けてしまった。まあ国宝だって完全ではなかったのだけれど,もう少しストーリーが前進するリズムがあった。

1977年の米島君との沖縄旅行では,最初の日にバスで嘉手納基地の方に向かった。北側のフェンスの近くでバスを降りて,フェンスに手をかけながら基地を背景に写真を撮った。その後コザの街の方へ向かう。ゲート前の商店街の角の店で米軍向けの大きなサイズの畳柄のサンダルを買った。

そこから中城城(ナカグスクじょう)に回った。二人で10mくらいの高さの石垣を登ったのだが,さっきのサンダルが邪魔で石垣の上に放り投げた。あーっという米島君の叫び声が聞こえたが,サンダルは無事に石垣の上に着地。帰りのバスでは疲れてしまい目が覚めると民宿のある那覇に着いていた。


写真:映画「宝島」のウェブサイトから引用

2025年8月15日金曜日

太陽の帝国

J. G. バラード(1930-2009)の原作で,スティーヴン・スピルバーグ(1946-)の製作によって映画化された太陽の帝国(1987)を録画していたので,夏休み映画教室を開いた。毎日が夏休みというのはちょっとおいといてね。

バラード自身の体験に基づいた小説が原作になっている。彼は上海の共同租界に生まれた上流階級の英国人だが,第二次世界大戦の開戦とともに,日本軍の捕虜収容所に家族で収容された。戦後単身でイギリスに帰国し,1956年にSF作家としてデビューする。クラーク,ディックなどと同様に,自分が最も良く読んだSF作家の一人だ。

映画では,少年が混乱の中で両親と離れ離れになり,紆余曲折の後に捕虜収容所にたどり着き,さらに遍歴を重ねていく。日本人の出演者は,伊武雅刀,片岡孝太郎,ガッツ石松,山田隆夫などである。40年近く前なので皆若い。久しぶりに良質の映画を観た。録画してみるのは韓国映画とかサスペンス映画とかばかりだったから。

そのガッツ石松が,「スピルバーグの太陽の帝国で,全米映画俳優協会最優秀外国人俳優賞を受賞した」という情報をいくつか見かけていたので,注意していたが,ガッツ石松の登場時間は短くてほとんどセリフもなく,映画のストーリーで大きな役割を話していない。どういうこと?

さっそく,生成AI各氏にたずねてみたところ,Grokが一番正しい答えを返してきた。
(1) これはデマ=都市伝説である。(2) 全米映画俳優協会賞(SAG)は1995年に始まっている。(3)最優秀外国人俳優賞というカテゴリーは存在しない。ということで,デマが都市伝説として延々と生き延びていたのだ。危うく信じてしまうところだった。



図:太陽の帝国の映画ポスターから引用


P. S. 映画では収容所のあった蘇州近辺から,長崎の原爆の閃光が見えたというエピソードが含まれていた。これも生成AIに聞いてみたところ,長崎から上海/蘇州までは,800kmあるので,地平線の曲率から無理だとのこと。100kmくらいまでは視認の可能性があるかもしれない。

P. P. S. 爆発高度 h,地球半径 R,視認範囲 Lとすると,L ≒ √2hR 。これに R = 6350km と h = 0.5+0.3 km を代入すると,L = 100 km となる。


[1] J. G. バラードの自伝「Miracles of Life(2008)

2025年6月22日日曜日

辻占

あさイチの映画紹介コーナーで,フォーチュンクッキー(2025)がとりあげられていた。タリバンに迫害されたアフガニスタンから脱出した司会者・ジャーナリストのアナイタ・ワリ・ザダが女優として初主演したモノクロ映画だ。米国生活に詳しいゲストの宮沢氷魚がフォーチュン・クッキーの説明をしていたが,あれ,これって金沢の辻占と同じだよなと思った。

ところが調べてみると,日本の辻占菓子や辻占煎餅がフォーチュンクッキーの原型かもしれないという話がある。1888年にサクラメントに元祖の日本料理店を開店した山梨県出身の萩原真が,1894年にゴールデンゲートパークの日本庭園に出した茶店のお菓子が源流だという説だ。

辻占菓子は江戸時代には夜の街を中心に広がっていたが,今は,伏見稲荷,金沢などいくつかの限られた地域だけに残っているようだ。金沢で,辻占(つじうら)というなまえを意識したのは正月に出嶋君の家にいったときかもしれない。それまでは福梅のおまけ程度にしか見えていなかった。正月に並ぶ辻占を開いて出てくるメッセージは結構大人向けで艶っぽいのであった。



写真:金沢森八の辻占(森八の伝統菓子ページから引用)

[3]縁起菓子について(Web Archive から)

2025年6月10日火曜日

国宝:吉田修一

吉田修一の「国宝」は,4年前に朝日文庫版を本屋でみかけたときに買おうと思った。ところが,昔と違って,本を買おうと思ってから実際に購入するまで,あるいは実際に本を購入してから読み終わるまで,それぞれ数年かかることがしばしばある。なんてこった。最近の自分には,本を読むという行為はとんでもなく閾が高い。

そうこうしているうちに,吉田修一の「国宝」は「悪人」や「怒り」に続いて李相日(1974-)によって映画化されてこのほど公開に至った。6月6日(金)の公開初日の朝一番の部,新ノ口のユナイテッド・シネマ橿原に二人で飛び込んで174分の映画を鑑賞した。花井半次郎(喜久雄)を演じた吉沢亮は素晴らしかったし,その少年期の黒川想矢も。それから,立女形の重鎮,小野川万菊の田中泯の存在感が半端無い。

歌舞伎の演技と語りが映画の技法の中で非常にうまく表現されていた。もちろん出演者の努力の賜物なのだろうけれど。普段みている歌舞伎だと舞台までかなり距離があるのだが,映画ではそこがクローズアップで見せられるので迫力が増幅される。また,自宅でテレビで観賞していたのでは,この映画館での音場は伝わってこないだろう。


さっそく原作をKindleで購入して読んでみた。なるほどね。上巻は枝葉を少し落としただけでそのまま映画にされていたが,下巻は沢山のエピソードの積み重ねの上に最後の場面に導かれるので,これを映画にするのは難しかったのだろう。李相日というか脚本の奥寺佐渡子はそこからうまく映画用の物語を抽出して創りだしていた。

ちょっと残念なのは,映画では,二人道成寺とか曾根崎心中がダブルで使われていたことだ。それはそれで物語に効果を生む必然性があるのだけれど,ちょっと冗長な感じがしてもったいない。特に,喜久雄が抜擢された最初の曾根崎心中はインパクトが大きかったのでなおさらかもしれない。まあ,原作通りにすべての演目を再現するとなるととんでもないことになるので仕方がない。なお,最初の少年による積恋雪関扉のあたりは映画の方がよほどていねいに表現されていた。




図:朝日文庫の書影から引用

2025年4月7日月曜日

教皇選挙

夫婦で観たい映画が一致したのが教皇選挙コンクラーベ)。最近,世界一の売り場面積の無印良品の店ができた橿原イオンモールの映画館では上映時間が夜の9:00開始になっていた。これは危ない。上映期間がもう終る兆候だ。しかたがないので,京都府と奈良県の境界線上にある高の原イオンの映画館に向かった。

相変らず頭が悪いGoogle Mapに誘導され,どうにかこうにか駐車して映画館に着いたのが開始数分前。奈良県とは違ってなんだかえらい混んでいる。キャッシュレスの券売機に並んで,座席を指定したところまではよかったが,支払いのQRコードを選ぶとPayPayが選択できない。これは事前予約のQRコードか。戻って,電子マネーを選択するとWAONしか出てこない。1つ戻るとPayPayもリストには見えるがどうやって選ぶのかわからない。おろおろしていたら,安全のため隣の現金も使える券売機に並んだ家人に引っ張られて,結局現金払いになった。老人は映画の切符を買うところで撥ねられてしまうのだった。

事前の情報では,最後がびっくりということだったので,コンクラーベで誰が残るかは薄々わかったのだけれど,最後の最後はちょっとびっくり。これでは,トランプが猛威を振るうアメリカのアカデミー賞では選ばれにくいかもしれない。まさに,多様性戦争が描かれていた。なお,英国アカデミー賞では作品賞を受賞している。



図:教皇選挙の映画のプロモーションをChatGPT 4oで加工したもの

2025年2月28日金曜日

幻想の未来からの続き

筒井康隆の1998年の長編小説「」が吉田大八監督によって映画化された。奈良では上映されていないので,京都か大阪かと迷ったが,大阪梅田スカイビルのテアトル梅田(旧シネ・リーブル梅田)に向かった(2/18のこと)。

昔は操車場の下を潜る長い地下道を通ってスカイビルまで行ったものだけれど,うめきた二期区域再開発のために,地下道はなくなってしまいグラングリーンと公園が整備中だ。


最初に買った筒井康隆は,ハヤカワSFシリーズ(銀背)の「東海道戦争」だったか。あるいは「ベトナム観光公社」とか「アルファルファ作戦」だ。その次が日本SFシリーズの「48億の妄想」と「馬の首風雲録」あたりか。その後,角川文庫の「幻想の未来」,「アフリカの爆弾」,「にぎやかな未来」と続いていった。「霊長類南へ」を含め,このころが最も楽しかった時代だ。

SFマガジンに連載されていた「脱走と追跡のサンバ」以降の1970年代の作品にはどうも乗り切れないと思っているうちに,1980年代の「虚人たち」や「虚構船団」へと飛躍していった。もうあまりSFを読まなくなった時代だ。

さて,小説は未読の映画の「敵」のテーマは老人だ。老人男性だ。自分にぴったりのテーマかな。意識がしだいに妄想に侵食されていく70代後半の爺さんだ。日常のリズムを保とうと努力しているが,それが次第に破綻してしまう年代だ。

全編モノクロだったので食事のシーンがもたれずに進んでいく。女性陣が瀧内公美+河合優美+黒沢あすかというすごい配役を揃えてきた。これに,松尾コンビ(松尾諭+松尾貴史)が加わって,主人公のフランスといえば長塚京三をささえていた。おもしろかったのだが,テアトル梅田のホール2の画面が狭かったので自宅のテレビでも十分だったかもしれない。



写真:映画「敵」のポスターから引用

2024年12月9日月曜日

関心領域

日曜日の午後,録画してあった関心領域ジョナサン・グレイザー)を観た。2023年度第96回アカデミー賞の国際長編映画賞と音響賞を受賞した作品だ。

音だけが聞こえる真っ暗な画面が延々といつまでも続くところから始まったので,若干不安になった。明るくなって主人公のルドルフ・ヘスの家族が池にピクニックに行くシーンにホッとする。対象への距離が遠めで正対した構図が多用され,カメラとともに状況を醒めた眼で見ることになる。

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘス(Rudolf Franz Ferdinand Höß,1901-1947)の一家の収容所の隣にある家での生活が大きな事件もなく淡々と描かれていく。その背景には,強制収容所で殺されていくユダヤ人が存在することのシグナルを示すエビソードがふんだんに折り込まれ,ヘスも妻も家政婦たちもそれには気づいているわけだ。完全な無関心ではない。

ヘスはベルリンに転属になるが,妻はその快適な環境から離れることを強く拒否し,そのまま住み続ける。映画の最終盤に,現在のアウシュビッツ・ビルケナウ博物館の朝の清掃のシーンが挿入され,それが映画の中で唯一強制収容所の内部が映し出される場面となっている。

強制収容所 ⊂ 関心領域の世界 ⊂ 関心領域を見ている自分たちの関心領域の世界,という入れ子構造の中で,自分たちにもまた見えていないもの,薄々見えていながら見えないふりをしているものが山のようにあるわけで・・・。そのうえ,見えたつもりになったとしてもそれがフェイクの罠だったりする。



図:アウシュビッツ=ビルケナウ Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ強制収容所の配置([2]から引用)

P. S. ルドルフ・ヘスは二人いた。もう一人のヘスはナチス副総統で親衛隊長のルドルフ・ヘス(Rudolf Walter Richard Heß,1894-1987)である。1941年に飛行機でイギリスに逃亡し,ニュルンベルグ裁判では死刑を免れている。

2024年11月12日火曜日

八犬伝


12月まで有効の映画券をもらったのだけれど,なかなか面白そうな映画がみあたらない。消去法で残ったのが,八犬伝だ。テレビでも宣伝していたのでちょっと観たいと思った。原作は山田風太郎の「八犬傳」であり,なんのことはない自宅の本棚に収まっていた。

原作の八犬傳は,南総里見八犬伝の著者の曲亭馬琴葛飾北斎の対話が中心となる実の世界と,八犬伝の物語のダイジェストに相当する虚の世界が14章にわたって交互に描かれている。実の世界は,物語の中心部分をなす鶴屋南北との問答を含めてほぼ映画で再現されている。一方,虚の世界はそもそももとの八犬伝が長編なので,映画の時間では全く収まらず,ごく少数のエピソードとSFXだけで最後まで突っ走っていった。

江戸時代に二日がかりで,歌舞伎の東海道四谷怪談が上演されていたという場面があり,これは,仮名手本忠臣蔵の中に,東海道四谷怪談が埋め込まれるという構成になっていた。四谷怪談が忠臣蔵の外伝だということは知っていたけれど,上演方法がこんなことになっているとはビックリだ。

高校時代の教科書に載っていた,芥川龍之介戯作三昧はまさにこの滝沢馬琴だった。最後に八犬伝の口述筆記を行った滝沢家の嫁の土岐村路のくだりも,馬琴の誇張だったという説があったけれど,どうなのだろうか。路女日記を読んだらわかるのかもしれない。



写真:映画「八犬伝」のポスターを引用


2024年9月6日金曜日

カモになるな

NHKの映像の世紀バタフライエフェクト「ゲッベルス 狂気と熱狂の扇動者」を途中から見た。

ナチス・ドイツの宣伝大臣で強制的同一化をすすめたゲッベルス(1897-1945)は,映画好きであり,映画女優との浮気を重ねて深入りしたことから,妻のマグダ・ゲッベルスに離婚を持ち出された。これが,ヒトラーの不興を買ってしまう(1938)。そこで,ユダヤ人を標的とした官製暴動としての水晶の夜を引き起こして復権をはかろうとする。それが,ホロコーストへの道を開いたということか。

この番組の終盤で,1943年に米陸軍通信隊が制作したプロパガンダ映画「DON'T BE A SCUKER(カモになるな)」(23分)が紹介されていた。1947年にパラマウント映画から無償公開された。

いきなりプロレスのシーンから始まったが,その心はフェイクだった。その後,インチキポーカーやマジック,美人局のシーンなどが続き,世の中には騙そうとする人が溢れているのでこれらのカモになるなというメッセージが示される。

アメリカ人の真面目そうな若者と,ナチスの迫害を避けて米国にきたハンガリー人の大学教授が登場する。街角では,扇動者が,集まった大衆に対して,労働者が苦労しているのは,1.黒人,2.外国人,3.カトリック教会,4.フリーメーソン,が仕事や富を奪っているからだとアジっている。

最初は,扇動者の話に賛同していた主人公の若者だが,自分がフリーメーソンであったために,迷いが生じてしまう。そこへ,大学教授が声をかけ,これは扇動者の手口であって,少数者の分断を図って政治的利益を得ることが目的であることを説く。彼は,全く同じことが,黒人→ユダヤ人と置き換えて,ナチス・ドイツが実行したことを詳細に説明する。



写真:DON'T BE A SUCKERのタイトル(Wikipediaからの引用)

これ,今もそのままであって,日本においても外国人排斥・差別で繰り返されている(立憲民主党クルド人問題,小池都知事朝鮮人虐殺へのメッセージ拒否問題,法務省入国管理における人権侵害問題などなど)。

さらに,SNS(例えばX)には差別的な言動によってアクセスを稼ぎ,金もうけできる仕組みが組み込まれているため,日本だけでなくヨーロッパ,アメリカなど世界中で,アンチグローバリズムから波紋を広げた右傾化の波が著しく増幅されている。

21世紀ってこんな時代になるはずだったのかなあ・・・orz。

2024年8月31日土曜日

映画はアリスから始まった

あまり気にもとめずに録画予約していた映画を再生してみた。映画誕生期の女性監督の伝記映画くらいに思っていた。映画の導入部は,インフォグラフィックス的な表現だったので,いつになったらドラマが始まるのかと待っていたら,これが女性監督パメラ・グリーンによる非常に優れたドキュメンタリー映画だった。

タイトルは,「映画はアリスから始まった(Be Natural: The Untold Story of Alice Guy-Blaché)」主人公のアリス・ギイ(1873-1968)は,フランス人,映画史上初の女性映画監督,脚本家,映画プロデューサーである。いや,トーマス・エジソンリュミエール兄弟と並んで,映画産業や映画表現の基礎をプロデューサや監督として作った人だった。

兄と父を亡くして姉二人が嫁いだ後,アリス・ギイは,母との生活を支えるために,タイピングと速記を学んで,写真会社の社長代理のレオン・ゴーモンの秘書に採用される。彼は,リュミエール兄弟からシネマトグラフという新しい発明の上映会に招待された。この,1895年3月の世界初の映画の上映会に,アリスも出席したのだ。

レオンは,1895年に映写機を販売するL ゴーモン社を設立した。映写機のデモンストレーションのため,アリスは,それまでの実写映画ではない,世界初の物語映画である「キャベツ畑の妖精たち」を撮影した。やがてL ゴーモン社は映画制作にも本格的に乗り出し,彼女がゴーモン社の映画制作部門の責任者となる。その後,アリス・ギイは1000本もの映画を監督・制作することになる。



写真:映画撮影ロケ中のアリス・ギイ(BE NATURAL から引用)

このドキュメンタリーでは,アリスの作品が,セルゲイ・エイゼンシュタイン戦艦ポチョムキンに影響を及ぼしていたことや,エジソンとは異なった方式の発声映画の最初の試みを行ったこと等を取上げていた。

アリスは,1907年の結婚後,1910年にアメリカに渡り,映画制作のSolax スタジオを夫とともに立ち上げた。Solaxが1912年にニュージャージー州のフォートリーに新しいスタジオを建ててから,その一帯は映画産業の一大集積地となった。

夫のハーバートが,Solaxとは別の映画会社を設立してから,二人の関係は悪化し,株で失敗したハーバートの会社の倒産,さらに1921年のSolaxの倒産の後,アリスが映画を監督・制作することはなかった。そして,映画史の中からアリスの名前が消えてしまう。彼女の業績が再評価されるのは,1970年代以降のことになる。


リアルな会話をうまくコラージュして,謎解きを進めて行くクールな表現が際立っていた。アリス・ギイの晩年のインタビュー映像も挟まれていて,非常に貴重な映像に仕上がっている。過去のサイレント時代の映画の撮影場所を訪ねて,現在の場所に重ねる表現も秀逸だった。名前を消されてしまったアリス・ギイが,次第にその価値を取り戻していく過程もドキュメンタリーの骨格をなしていた。

P. S. ドキュメンタリーの原題のBE NATURAL はSolaxの新スタジオに掲げられていたアリスのスローガンであり,俳優に自然な演技を求めたものだった。


2024年6月16日日曜日

アメリカン・ニューシネマ

ルート66金沢の映画館(4)からの続き

NHKの映像の世紀「ルート66」に登場したのは,いわゆるアメリカン・ニューシネマの代表的な2作品である,「俺達に明日はない(1967)Bonnie and Clyde」と「イージ・ライダー(1969)」だ。これに「明日に向かって撃て(1969)Butch Cassidy and the Sundance Kid」を加えれば,主人公の二人が最後に射殺される三部作になる。

「俺達に明日はない」の監督は,アーサー・ペンだ。彼のもう一つの代表作は,少し時間を遡る「奇跡の人(1962)」だ。これに登場するアン・バンクロフトが「卒業(1967)」ではミセスロビンソンになる。一方,「卒業」のキャサリン・ロスは「明日に向かって撃て」ではサンダンス・キッドの恋人になる。

「卒業」のダスティン・ホフマンは,アーサー・ペン監督の「小さな巨人(1970)」の主人公になり,そこには「俺達に明日はない」のフェイ・ダナウェイが出ていた。こうして,昔観たアメリカン・ニューシネマの監督と登場人物と主人公たちはぐるぐるとつながっていた。ダスティン・ホフマンが出た「真夜中のカウボーイ(1970)」は,梅田の映画館で風邪をひいて熱がある状態でフラフラしながら観ていた。映画の中でバスで揺られる病んだ副主人公のダスティン・ホフマンの状態とほとんど同じだった。

アメリカン・ニューシネマの正確な定義はないが,その主な作品は,ちょうど自分の高校時代から大学時代にかけて公開されたものだ。映画を最もよく観ていた時代だった。Wikipediaの記事をちょっとアレンジして,アメリカン・ニューシネマのベスト30をリストアップしてみる。◎は高校時代,○は大学のころ,△はテレビでみたものだ・・・たぶん・・・。
◎1.俺たちに明日はない (1967) アーサー・ペン
◎2.卒業 (1967) マイク・ニコルズ:サウンド・オブ・サイレンス
 3.暴力脱獄 (1967) スチュアート・ローゼンバーグ
◎4.イージー・ライダー (1969) デニス・ホッパー:ワイルドで行こう
○5.真夜中のカーボーイ (1969) ジョン・シュレシンジャー:うわさの男
 6.ワイルドバンチ (1969) サム・ペキンパー
◎7.明日に向って撃て!(1969) ジョージ・ロイ・ヒル:雨にぬれても
△8.M★A★S★H マッシュ (1970) ロバート・アルトマン
○9.小さな巨人 (1970) アーサー・ペン
◎10.いちご白書 (1970) スチュアート・ハグマン:サークル・ゲーム
 11.ソルジャー・ブルー (1970) ラルフ・ネルソン
○12.…YOU...(1970) リチャード・ラッシュ
 13.ファイブ・イージー・ピーセス (1970) ボブ・ラフェルソン
△14.キャッチ=22 (1970) マイク・ニコルズ
 15.フレンチ・コネクション (1971) ウィリアム・フリードキン
 16.バニシング・ポイント (1971) ジョン・ブアマン
 17.ダーティ・ハリー (1971) ドン・シーゲル
○18.時計じかけのオレンジ (1971) スタンリー・キューブリック
◎19.愛の狩人 (1971) マイク・ニコルズ
△20.スローターハウス5 (1972) ジョージ・ロイ・ヒル
 21.スケアクロウ (1973) ジェリー・シャッツバーグ
 22.カンバセーション…盗聴 (1974) フランシス・フォード・コッポラ
 23.チャイナタウン (1974) ロマン・ポランスキー
 24.続・激突/カージャック (1974) スティーヴン・スピルバーグ
 25.カッコーの巣の上で (1975) ミロス・フォアマン
 26.狼たちの午後 (1975) シドニー・ルメット
 27.タクシードライバー (1976) マーティン・スコセッシ
 28.ネットワーク (1976) シドニー・ルメット
 29.ディア・ハンター (1978) マイケル・チミノ
△30.地獄の黙示録 (1979) フランシス・フォード・コッポラ

 


写真:アメリカンニューシネマのポスター(ダ・ヴィンチから引用)

2024年6月15日土曜日

ルート66

NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」シリーズで放送された「ルート66:アメリカの夢と絶望を運んだ道」は,アメリカ社会の変遷を象徴し,大陸横断でシカゴとサンタモニカを結ぶ国道66号線(1926-1985)に焦点を当てたものである。

ルート66」(1960-1964)と聞くとテレビ番組を思い浮かべるような気がする。たぶん自分はその番組を見た記憶がない。小学校3年のころ半年NHKで放映していたはずなのに。それどころか,「サンセット77」(1958-1964,これも微かに記憶がある程度)と混線する始末だ。実際の「ルート66」は若者二人のロードムービーだそうだ。

映像の世紀は,1920年代のアメリカにおけるモータリゼーションの発展から始まる。1926年に大陸横断道路としてルート66が開通し,その記念として行われたマラソン大会が紹介される。この道が「夢を運んだ」とされる一方で,「絶望を運んだ」とはどのような意味なのか。

1933年,ルート66沿いのジョプリンで発生したボニーとクライドの事件が次に取り上げられる。アーサー・ペン(1922-2010)の映画「俺達に明日はない(1967)」では,フェイ・ダナウェイウォーレン・ビーティがこの二人を演じている。この映画の前に,「ボニーとクライドへの報い(1934)」という再現記録映画が紹介されたが,ネット上でそれがちょっと見当たらない。

1930年代に中西部のグレート・プレーンズを襲い続けた砂嵐,ダストボウルによって数十万人の人々が故郷を追われ,カリフォルニアに新たな生活を求めて移動する。しかし,そこには仕事がなく,彼らの絶望を運んだ道がまさにルート66であった。ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」がこの悲劇を描き,ジョン・フォード監督,ヘンリー・フォンダ主演で映画化されている。

第二次世界大戦中,カリフォルニアには軍需産業が立ち上がり,ダストボウル移民に仕事を提供する。その一方,日系人は収容所に送られることになる。戦後、ルート66沿いには新しいビジネスが立ち上がり,マクドナルドもその一つである。最初の工場製造式セルフサービスのハンバーガー店が1940年にスタートし,戦後に普及拡大した。

番組では,ルート66沿いのラスベガスで,100km離れたネバダ核実験場での原子爆弾実験を見物するアトミックパーティの様子も紹介された。さらに,ルート66にある日暮れの町(サンダウンタウン)についても触れられた。有色人種が日没までに町を出るよう指示する標識が立つ白人だけの地区である。公民権法が制定されるまで,黒人旅行者は「黒人ドライバーのためのグリーン・ブック」を頼りにルート66を旅する。これが映画「グリーンブック(2018)」の背景である。

テレビ番組のルート66は若者たちを旅に駆り立てた。1960年代末にルート66は,カリフォルニアに向かうヒッピーの道となる。映画「イージー・ライダー(1969)」ではカリフォルニアからニューオリンズを目指すヒッピー的な二人が描かれている。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが主演し、彼らはボニーとクライドのように最後には射殺される。

番組の最後には,現在のアメリカのワーキャンパーたちが紹介された。仕事や家を失い,日々車上生活を余儀なくされる人々の姿が描かれる。彼らはドナルド・トランプを支持するルート66沿いの貧しい人々の一部である。ルート66は現在,州間高速道路に取って代わられたが,歴史遺産として甦ろうとしている。



写真:近所の駐車場でみかけたお洒落なルート66

2024年5月5日日曜日

オッペンハイマー

日下周一からの続き

毎日のように新ノ口に通っている気がする今日この頃(先週の話)。

オッペンハイマー」の上映がそろそろ終りそうなので(一日の上映回数が減って,一番小さい部屋が割り当てられる),先週のゴジラ -1.0 に続いて,ユニバーサルシネマ橿原に足を運んだ。

映画オッペンハイマーのカラーパートは,核分裂,モノクロパートには,核融合という名前が付けられている。名前の説明なしで物理学者が沢山登場して,カラーとモノクロのバートが時間順序を無視してやってくるので,相当予習していかないと理解できないとの前評判だった。クリストファー・ノーラン脚本・監督作品は,TENETをテレビでみたけれど,時間逆行と巡行の物語が並行して進むのでなかなか複雑な話だった。


物語は,ロバート・オッペンハイマーの学生時代から,マンハッタン計画における原爆開発の中心地,ロスアラモス研究所の所長としてトリニティ実験に成功するまでがひとつ,戦後,プリンストン高等研究所や原子力委員会でルイス・ストローズ(1896-1976)と関わり,1954年のオッペンハイマー聴聞会で国家機密に関する要職から追放されたオッペンハイマー事件がひとつ,この2つの流れが,カラーパートで表される。

モノクロパートの主人公は,ルイス・ストローズである。1953年から1958年まで原子力委員長をつとめた投資銀行家のストローズは,アイゼンハワー政権の商務長官に推挙される。そのための公聴会の部分がオッペンハイマーと絡めながら描かれている。結局,1959年に上院の反対によって,ストロースの商務長官就任は拒否された。それは歴史的な出来事だった。

こうしてモノクロパートと2つのカラーパートが絡まりながら物語は進んでいく。ノーランの脚本はとてもわかりやすく,すべての人物や出来事を把握できなくても,話の筋道は追うことが出来た。オッペンハイマーや妻のキティはやや複雑に描かれているが,悪役ははっきりしている。ストローズとその陰謀に加担した者たち,そしてエドワード・テラーか。

物理学者は,アインシュタインとニールス・ボーアと核磁気共鳴のイジドール・ラビとサイクロトロンのアーネスト・ローレンスと理論核物理のハンス・ベーテがわかっていれば話はつながるのだ。ボンゴをたたいていた若きファインマンは何の役割も果たしていない。


写真:J. ロバート・オッペンハイマー(Wikipediaから引用)

P. S. オッペンハイマーの物理は,1939年にPhysical Reviewに載ったブラックホールの着想が取り上げられていた。日本語訳の物理監修は橋本幸士さんだったが,1ヶ所,原子がふさわしいところが分子のままになっていた。

2024年4月26日金曜日

ゴジラ-1.0

このブログで,過去にシン・ゴジラの記事を書いたかどうか確認したが見当たらない。それもそのはず,つい昨日みたような記憶が残っていたシン・ゴジラはブログ を始める2年前の2016年の作品だった。

シン・ゴジラ(第29作)と同じく,新ノ口のユナイテッド・シネマ橿原ゴジラ-1.0(第30作)を観た。平日の朝一番なので,お客さんは5人くらい。テレビで放映されるまで待とうかどうか迷ったけれど,映画館の方が迫力があるかなと誤った判断をしてしまった。

結論から言うと,シン・ゴジラの方がよかったです。いきなり大戸島でゴジラ(小)が登場して,答えあわせが終ってしまう。何が来るのだ,いつ出てくるのだ,というドキドキ感がなくて,結論がせかされる。飲み込みやすいストーリーにしたがって,ゴジラの登場場面がトントンと積み上げられていく。

分かりやすいといえば,わかりやすい。戦後のバラックの描写や,ゴジラのディーテイルのVFXなども美しい。でも何か違うのである。山崎貴監督のこれまでの作品,ALWAYS 三丁目の夕日 シリーズ,永遠の0 ,アルキメデスの大戦のミックスジュースのようだった。どうりで違和感が残るわけだ。永遠のゼロですからね。

この映画で一番よかったのは,泡による浮力の消失という現象があることを教えてくれたっことだ。なるほど,これはおもしろい。しかしながら,この結論もいきなり天下りで与えられるので,発見の面白さや感動はまったく得られない。



写真:ゴジラ-1.0 公式サイトから引用

[1]ゴジラ映画作品の一覧(Wikipedia)

2023年11月28日火曜日

妖星ゴラス

海底軍艦からの続き

11月のWOWOWで東宝の特撮SF映画シリーズをやっていた。地球防衛軍(1957),宇宙大戦争(1959),妖星ゴラス(1962.3),海底軍艦(1963),緯度0大作戦(1969)の五本だ。

このうち,1963年の海底軍艦だけ映画館で見ているのは以前書いた通り。妖星ゴラスは小学校2-3年の時で,近所に映画のポスターも貼ってあった(そんな時代)。ストーリーも薄々わかって,とても見たかったのだけれど,当時は"大人の映画"につれていってほしいと言い出せるとは思っていなかった。まもなく,最初に体験することになる東宝の特撮怪獣映画は,キングコング対ゴジラ(1962.8)で,それ以後,夏休みのゴジラシリーズ等には連れて行ってもらえた。


その妖星ゴラスは,本多猪四郎(いしろう)と円谷英二のコンビ作品のうちの怪獣物でないSF作品の一つであり,今回のWOWOWの特集もそうしたSFものから変身人間シリーズなどを除いた5作が選ばれている。ただし,世界大戦争(1961)は含まれていない。

妖星ゴラスは,地球の0.75倍の大きさだが,重力が6000倍近い"黒色矮星"という設定で,地球に向かってくる。この星の接近による地球の破壊を避けるために南極にロケット噴射装置を設置して,地球をその公転軌道からずらすというものだ。$10^{-6}$Gを100日かけて40万km移動する。加速終了後も等速運動を続けるのはどうするのかと思ったけれど,映画の中では,北極に装置を再設置して逆に動かすような説明をしていた。

このため,南極におけるロケット噴射を表現するガスバーナーの炎のシーンが延々と続くのだった。ただ,説明では重水素と水素による核エネルギー(核融合とか水爆というキーワードは表立って出てこない)的なものが示唆されている。そのわりにはガスバーナーなのであるが。アポロ11号を打ち上げたサタン5号程度の推力ならば,1万セットで$10^{-12}$Gを短時間加えられるかもしれないけれど,ちょっとかなり厳しい。

おもしろかったのは,久保明がゴラスの再調査に向かったときに危機的状況になって記憶喪失になるシーン。ところどころ,2001年宇宙の旅(1968)のボーマン船長を思わせるようなシーンや宇宙ステーションへの回収のカットが出てくるのだ。キューブリックがこの映画を観ていることはないと思うが・・・。ところが検索してみると,同様の意見が散見された。もしかすると影響しているのだろうか。

なお,毛色が異なるので今回は含まれていない第三次世界大戦ものである世界大戦争を検索していたら,第二東映の第三次世界大戦 四十一時間の恐怖(1960)というドキュメンタリータッチのモノクロ映画も見つかった。当時は相当世界危機的な認識が広まっていた状況だったのだろう。



写真:妖星ゴラスの一場面([1]から引用)

[1]映画 妖星ゴラス(サブロジーの日々是ずく出し)

2023年5月5日金曜日

RRR

新ノ口のユナイテッド・シネマ橿原でインド映画「RRR」を観てきた。

近鉄橿原線の新ノ口駅を降りて東に進み,いつもは国道24号線に沿った表口から入っていた。ところが,連休中の人の流れは川沿いの裏道をアリさんのように列をなしていたため,それにつられてツインゲートの駐車場側の裏口からアプローチすることになった。

インド映画はテレビの断片的な紹介映像しか見たことがなくて,一度観たいと思っていた。たまたまユナイテッド・シネマ橿原で評判のRRRが上映中だったので,さっそくオンラインチケットを購入した。最近は,平日に映画館にいっても客席には2-3人からせいぜい10人というところだったが,祝日効果もあってか,コロナ自粛解除のためか,170人のシアターの1/5〜1/4くらいは埋っていた。

ストーリーは単純明快で,スローモーションを多用したアクションシーンとダンスシーンに加えて,特殊効果もフルに使われ,主人公の個性もはっきりしているので,3時間まったく眠くならずに画面に集中できた。素晴らしい。特に音響効果というか音楽というか主人公の歌声がよかった。

舞台は1920年のイギリスの植民地支配下にあるインドで,英国人に虐げられた2人の主人公が,友情を持ちつつ葛藤を抱えながら物語が展開するというものだ。英国人はサブヒロインの一人を除いて徹底的に悪役として描かれているので,ある種のインドナショナリズムかとも思えた。

実在のインド独立運動の活動家をモチーフとした主人公の二人が同時にインド神話の二人の神として無敵の戦いを(時々死にそうにはなるのだけど)進めるという勧善懲悪ストーリーなので,最後に超極悪に描かれた英国の総督と婦人がTNT火薬の大爆発で吹っ飛ぶ屋敷を背景として惨めに死んでいくところで,観客は溜飲を下げることになる。

これをナショナリズムと解釈してしまって,日本に置き換えると微妙なことになる。鬼畜米英相手に日の丸振り回す素戔嗚尊と日本武尊ですか。このアナロジーがうまくいかないのは日本が欧米によって植民地として侵略され人権を完全に剥奪されてはいなかったからだ。むしろ,日本はインドを支配した英国と同様に,アジア各国を(より巧妙な方法で)侵略した側だった。だから,日本では残念ながらRRRのような映画をつくることができない。


写真:ダンスシーンに用いられたキーウのマリア宮殿(Wikipedia 記事 から引用

2022年11月2日水曜日

戦争と人間(2)

戦争と人間(1)からの続き

三部作の映画で描かれた(言及された)事件はおよそ次のようなものだった。

    三・一運動(1919.3.1) 万歳事件
    https://ja.wikipedia.org/wiki/三・一運動
    三・一五事件(1928.3.15)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/三・一五事件
    済南事件(1928.5.3)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/済南事件
    張作霖爆殺事件(1928.6.4)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/張作霖爆殺事件
    易幟(えきし)(1928.12.19) 張学良
    https://ja.wikipedia.org/wiki/易幟
    間島共産党暴動(1930.5.30)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/間島共産党暴動
    霧社事件(1930.10.27)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/霧社事件
    中村大尉事件(1931.6.27)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/中村大尉事件
    万宝山事件(1931.7.2)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/万宝山事件
    満州事変(1931.9.18)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/満洲事変
    第9師団
    https://ja.wikipedia.org/wiki/第9師団_(日本軍)
    第一次上海事変(1932.1.28)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/第一次上海事変
    満州国設立(1932.3.1)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/満洲国
    五・一五事件(1932.5.15)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/五・一五事件
    国際連盟脱退(1933.3.27)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国際連盟
    相沢事件(1935.8.12)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/相沢事件
    二・二六事件(1936.2.26)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/二・二六事件
    関東軍防疫部設置(1936.4.23)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/731部隊
    盧溝橋事件(1937.7.7)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/支那事変
    第二次上海事変(1937.8.13)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/第二次上海事変
    国共合作(1937.9.22)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国共合作
    南京事件(1937.12.1)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国共合作
    国家総動員法(1938.4.1)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国家総動員法
    重慶爆撃(1938.12.26)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/重慶爆撃
    ノモンハン事件(1939.5.11)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/ノモンハン事件

参謀の辻政信は,ノモンハン事件でも相変わらずろくでもない動きをしていた。この映画では南京事件はあまり強調されていなかった。調べていたら,金沢の第九師団が第二次上海事変に動員されていて,その延長で南京事件に深く関わっていた(岡野君江)ことがわかった。

「戦争と人間」の映画は,東京裁判に至る第四部まで制作する予定だったが,資金が集まらずに第三部で終ってしまったようだ。このため,いろいろと伏線が回収されずじまいの不満が残る。完結編の後半はほとんどノモンハン事件の戦闘シーンであり,戦争の残虐さを表現するということだったかもしれないが,良かったのか悪かったのか・・・。

2022年11月1日火曜日

戦争と人間(1)

先日WOWOWで放映していた,五味川純平原作,山本薩夫監督の「戦争と人間」三部作を録画していたので,さっそく見ている。

第一部「運命の序曲」が1970年,第二部「愛と悲しみの山河」が1971年,第三部「完結編」が1973年の公開で,高校生か大学生のときに映画館で一通り見ている。日清・日露戦争の後,中国大陸に進出した日本が侵略戦争をはじめる満州事変前夜の1928年の張作霖爆殺事件から太平洋戦争に至る前の1939年のノモンハン事件まで10年余りを描いたものだ。

日本を代表する俳優陣が数多出ているため,タイトルバックの俳優名は男女別アイウエオ順で100名近くの名前があった。50年前の映画なので既に物故している方も多い。一番印象的なのは伍代財閥の満州における権益を握っていた伍代喬介役の芦田伸介(1917-1999)だった。それに比べると高橋英樹も高橋悦史も高橋幸治もチンピラのようなものだ。まだ若い岸田今日子(1930-2006)がいい味を出している。

もう少し内省的で暗い感じだと想像していた石原莞爾のイメージにカリスマは感じられず,ちょっと違っているような気がする。

記憶の中では,モノクロームの映像でノモンハンの平原を北大路欣也の伍代俊介がボロボロになりながら歩いているのだった。そこに娼婦に身を落とした女性が待っているというシーンがくる。その女性が浅丘ルリ子だと話の辻褄が合わないので,どういうことなのかと思ったが,夏純子だったので納得がいった。ただ,記憶していたモノクロシーンではなかった。