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2024年11月25日月曜日

袖振り合うも他生の縁

Facebookで辰巳さんが,「袖振り合うも他生の縁」といってたので,『はて』となった。「袖擦りあうも多少の縁」じゃなかったっけ?

調べてみると,袖振り合うが正しいけれど,袖擦り合うでも間違いではない。他生の縁は,多生の縁でも構わないが,多少の縁は誤りということになった。この調子で間違ったまま定着している自分の知識が沢山埋もれている。

どの解説もいきなり,袖振り合う=袖が触れ合う,であるという前提で話を進めているので今一つ納得できなかった。昼寝から醒めると,すれ違う人の互いの袖同士が接触することで,袖が振れる=振動するという状況を表しているわけだと気がついて腑に落ちた。

相互作用によって,並進運動エネルギーの一部が振動エネルギーに転換したということか。その相互作用は,広い宇宙の中の自分と他者の関係にとってはレアイベントなのである。でエンタングルメントが発生するということ「袖振り合うも多少のエンタングルメント」。

(1)「袖振り合うも他生の縁」という言葉のイメージをください。
江戸時代の昼間,町中に通行人が少しだけいて,偶然に互いの着物の袖と袖をわずかに触れるような場面です。→左上
(2)これだと二人は意図的に手をつないで同じ方向をあるいていることになります。まったくランダムな方向をあるいている複数の通行人がいて,そのうちの全く関係ない他人である二人が違う方向を歩いているにもかかわらず,その着物の袖だけが偶然にちょっとだけかすってしまった場面に修正してください。→右上 
(3)いやいや,やはりこれは手をつないで同じ方向に歩いていますよね。そうではないのです。少なくとも二人の進行方向は別になるようにしてください。→左下 
(4)手をつなぐような表現はやめてください。歩いていて,手はつながずに,袖だけが振れてしまう状況なのです。→右下


図:いくらがんばってもうまくイメージが生成されないDALL-E3

[1]四分岐ポリマーからなる Tetra-PEGゲルの網目構造解析(酒井崇匡・松永拓部,2010)
   (多少のエンタングルメントの用例)

2024年11月21日木曜日

138億光年の孤独

谷川俊太郎からの続き

昔から,20億光年というのは詩の都合で適当に 設定されたそれらしい大きな数字だと思っていたが,そうではなかった。「20億光年の孤独」が出版された1952年当時の最新の科学知識に基づいている。まだビッグバン理論が誕生して間もない頃だ。

「20億光年の孤独」に採録されている「運命について」にも,プラットフォームに並んでいる天使たちが〈たった五十年と五億平方粁さ〉というところがある。たしかに地球の表面積は,4×3.14×(6556 km )^2  = 5.075億 km² である。


Q(koshix):
谷川俊太郎の「20億光年の孤独」は,この詩集が書かれた1952年当時,観測された最も遠方の星雲が20億光年のかなたにあったことから,宇宙の大きさを象徴する単位としてタイトルに使われました。このことや,現在の宇宙の年齢が138億年であることを踏まえて,膨張宇宙の大きさがこれに対応するX億光年になったとして,それを象徴するタイトルでかつ,この事実を説明しながら,谷川俊太郎の表現を尊重した内容の詩を書いてください。
Q(koshix):
谷川俊太郎の「20億光年の孤独」はより簡潔で諧謔的で象徴的でエレガントでした。そんなふうに改善できますか?


A(ChatGPT-4o):

宇宙がふくらむたび、
孤独は遠ざかる。

星々は語らず、
闇だけが歌う。

138億光年の向こうに、
誰かが笑っている気がした。

それも、ただの錯覚。

光も、言葉も、
追いつけない速さで
世界は拡がっていく。

それでも、ここにいる私を、
私だけが知っている。



図:「20億光年の孤独」だけで得られたイメージ(DALL-E3より)


P. S.  NASAのサイト[3]によれば,1955年で宇宙の年齢は60億年,サイズは40億光年とされていたらしい。まあまあそんなものか。


[2]観測可能な宇宙(CMBR球体の最大直径=780億光年が答えらしい,Wikipedia)

2024年11月20日水曜日

谷川俊太郎


11月13日,谷川俊太郎(1931-2024)が92歳で亡くなった。

最初に谷川俊太郎を意識したのは,世界SF全集の第35巻「日本のSF現代編」が配本された1969年4月なので高校1年になったばかりだった。と思う。この巻に採録されているのは「21世紀の教養」というものだ。内容はまったく覚えていない。そのとき,彼の最初の詩集のタイトルが「20億光年の孤独」であることを知ったのだろう。いつか読んでみたいと思っていた。

手元には,角川文庫の谷川俊太郎詩集(大岡信解説,1972年4月30日初版第七刷)と谷川俊太郎詩集Ⅱ(北川透解説,1985年10月30日再版)がある。前者は大学に入学してまもなく手に入れたもの。後者は古本の値段があるので,子どもが二人産まれた後に買ったのかもしれない。谷川の処女詩集,「20億光年の孤独」は20編の詩集として文庫の谷川俊太郎詩集のほうに採録されている。タイトルにもなっている本編自身はちょっと拍子抜けするような軽いものなのだ。

阪大のマンドリンクラブに入部して間もない合宿で,緑地公園かどこかのユースホステルに泊まったとき,二段ベッド寝そべって谷川俊太郎詩集を読んでいた。セロの先輩の近藤さんが顔をのぞかせ「何読んでるの」といって手に取りパラパラと頁をめくって「ソネットか,14行詩だね」と。ソネットが14行の定型詩だということもわからずにありがたがって谷川俊太郎を読んでいた一回生なのだった。

谷川俊太郎は「にほんご」で子育て時代に大変お世話になった。いまや孫のすーちゃんが,きっときってかってきて,きっときってかってはってきて,を小学校1年の国語の教科書で勉強する時代になった。


写真:本棚にあった谷川俊太郎詩集とそのⅡの書影を引用

P. S. 
2013年に,岩波書店から自選 谷川俊太郎詩集がでていた。全2千数百編から173編を厳選したというものだ。その目次には採録した詩集のリストがある。これを年代順に並べ替えて,手持ちの角川文庫に収録されている詩集を◎でチェックしたリストはつぎのとおり。

◎『二十億光年の孤独』 (創元社 1952)
◎『六十二のソネット』 (創元社 1953)
◎『愛について』 (東京創元社 1955)
◎『絵本』 (的場書房 1956)
◎『あなたに』 (東京創元社 1960)
◎『21』 (思潮社 1962)
◎『落首九十九』 (朝日新聞社 1964)
 『谷川俊太郎詩集』 (思潮社 1965)
 『谷川俊太郎詩集』 (河出書房 1968)
◎『旅』 (求龍堂 1968)
◎『谷川俊太郎詩集』 (角川文庫 1968)
 『谷川俊太郎詩集』 (現代詩文庫 1969)
◎『うつむく青年』 (山梨シルクセンター出版部 1971)
 『谷川俊太郎詩集』 (角川書店 1972)
 『ことばあそびうた』 (福音館書店 1973)
◎『空に小鳥がいなくなった日』 (サンリオ出版 1974)
◎『定義』 (思潮社 1975)
◎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』 (青土社 1975)
 『タラマイカ偽書残闕』 (書肆山田 1978)
 『谷川俊太郎詩集 続』 (思潮社 1979)
◎『そのほかに』 (集英社 1979)
◎『コカコーラ・レッスン』 (思潮社 1980)
◎『ことばあそびうた また』 (福音館書店 1981)
◎『わらべうた』 (集英社 1981)
◎『わらべうた 続』 (集英社 1982)
◎『みみをすます』 (福音館書店 1982)
◎『日々の地図』 (集英社 1982)
◎『どきん』 (理論社 1983)
◎『対詩 1981.12.24~1983.3.7』 (書肆山田 1983)
 『手紙』 (集英社 1984)
 『日本語のカタログ』 (思潮社 1984)
 『詩めくり』 (マドラ出版 1984)
 『よしなしうた』 (青土社 1985)
 『いちねんせい』 (小学館 1988)
 『はだか』 (筑摩書房 1988)
 『メランコリーの川下り』 (思潮社 1988)
 『魂のいちばんおいしいところ』 (サンリオ 1990)
 『女に』 (マガジンハウス 1991)
 『詩を贈ろうとすることは』 (集英社 1991)
 『十八歳』 (東京書籍 1993)
 『子どもの肖像』 (紀伊國屋書店 1993)
 『世間知ラズ』 (思潮社 1993)
 『ふじさんとおひさま』 (童話屋 1994)
 『モーツァルトを聴く人』 (小学館 1995)
 『真っ白でいるよりも』 (集英社 1995)
 『クレーの絵本』 (講談社 1995)
 『谷川俊太郎詩集』 (ハルキ文庫 1998)
 『みんなやわらかい』 (大日本図書 1999)
 『クレーの天使』 (講談社 2000)
 『minimal』 (思潮社 2002)
 『夜のミッキーマウス』 (新潮社 2003)
 『シャガールと木の葉』 (集英社 2005)
 『すき』 (理論社 2006)
 『私』 (思潮社 2007)
 『62のソネット+36』 (集英社文庫 2009)
 『子どもたちの遺言』 (佼成出版社 2009)
 『トロムソコラージュ』 (新潮社 2009)
 『詩の本』 (集英社 2009)

2024年11月17日日曜日

4時10分前

家人から,最近の人は「四時十分前」というと,4:09 ごろと理解するらしいと聞いてたまげた。「四時十分前」ならば,3:50前後だろう。調べてみるとどうもそうらしい。仕方がないので,AI諸君に聞いてみて多数決をとることにした。

Q(koshix):
友達との待ち合わせの集合時間を「駅前に四時十分前頃に」と打ち合わせしました。 4時10分前とはだいたいどの範囲の時間を表しますか。


A(ChatGPT-4o):
「4時10分前」という表現は、日本語では「4時の10分前」、つまり3時50分頃を指します。友達との集合時間が「4時10分前頃に」と打ち合わせた場合、範囲としては少し幅をもたせて3時45分から3時55分くらいまでの時間帯を指すのが一般的です。
この表現が曖昧な場合、具体的に「3時50分頃」や「4時ちょうど前」など、もう少しはっきりと伝えておくと、誤解が避けられるでしょう。

A(Gemini):
「駅前に四時十分前頃に」という待ち合わせの集合時間ですね。この場合、4時10分前の範囲は人によって解釈が少し異なる可能性があります。
一般的な解釈
3時50分~4時9分頃 多くの場合、この範囲で解釈されることが多いでしょう。「4時10分」という明確な時間から少し前、というニュアンスで捉えられます。
3時55分~4時9分頃 もう少し厳密に時間を守りたい人や、時間に余裕を持って待ち合わせたい人は、この範囲で考えるかもしれません。
状況による解釈
待ち合わせの場所:人が多い場所や、電車の発着時刻が近い場所など、時間の正確さが求められる場所では、3時55分以降に来る人が多いかもしれません。
関係性:親しい友人同士であれば、少し遅れても問題ないという場合もあります。一方、初めて会う人や、仕事関係の待ち合わせであれば、時間に厳守したいと思う人もいるでしょう。
当日の状況:天候が悪かったり、交通機関が遅延したりする場合は、少し遅れても仕方ないという状況も考えられます。
より確実な確認
再度確認する:待ち合わせの直前に、「4時10分前頃って、だいたい何時くらいをイメージしてる?」と相手に確認するのが一番確実です。
余裕を持って行く:少し早めに行って、安心して待ち合わせ場所にいられるようにしましょう。
まとめ
「4時10分前頃」という表現は、あくまで目安です。状況に合わせて、柔軟に解釈することが大切です。相手に失礼のないように、そして、待ち合わせをスムーズに進めるために、事前に確認したり、余裕を持って行動したりすることがおすすめです。
その他
「頃」の意味: 「頃」という言葉は、ある時間の前後を漠然と表す言葉です。
「~くらい」との違い: 「~くらい」は、「頃」よりも範囲が少し広がる場合があります。
もし、他にも何か知りたいことがあれば、お気軽にご質問ください。


A(Claude 3.5 Sonnet)
この表現について考えてみましょう。
「四時十分前頃」は少しあいまいな表現で、日本語特有の曖昧さを含んでいます。
一般的な解釈としては:
「四時十分前」は3時50分を指します
「頃」が付くことで、その前後約5分程度の幅を持たせる意味になります
つまり、だいたい3時45分から3時55分くらいの範囲を示すと考えられます
ただし、これは待ち合わせの文脈なので、少し早めに着くことが望ましいとされる日本の文化も考慮に入れると、3時45分から3時50分くらいの間に到着することが望ましいでしょう。
より明確なコミュニケーションのためには、「3時50分」のように具体的な時刻を指定する方が誤解を避けられます。


A(Perplexity Pro):
「四時十分前頃」という表現は、正確な時間を指定するものではなく、ある程度の幅を持った時間帯を示しています。この場合、おおよそ次のような時間帯を指すと考えられます:
時間の範囲
「四時十分前頃」は、3時50分前後の時間帯を指すと解釈できます。具体的には:
中心時刻: 3時50分
前後の幅: 約5分程度
つまり、おおよそ3時45分から3時55分の間を指していると考えられます。
解釈の理由
「四時十分前」は文字通り解釈すると3時50分を指します。
「頃」という言葉が付いていることで、厳密な3時50分ではなく、その前後の時間帯を含むことを示しています。
一般的に、待ち合わせなどで「〜頃」と言う場合、5分程度の余裕を見ることが多いです。
注意点
この時間帯は厳密なものではなく、状況や個人の解釈によって多少前後する可能性があります。重要な約束の場合は、相手に確認を取るか、より具体的な時間を指定することをお勧めします。文化や個人の習慣によって、「〜頃」の解釈が異なる場合もあるので、相手との共通理解を持つことが大切です。

結論として、「四時十分前頃」は3時45分から3時55分の間を指す表現だと理解できますが、正確を期すためには、待ち合わせ相手と具体的な時間を確認することが望ましいでしょう。


A(PlaMo):
「四時十分前頃に」というのは、四時ジャストから数えて多少の時間が経過している状態を指すと思われ、具体的には「4時5分〜15分くらいの間」と考えるのが妥当ではないでしょうか。前後の時間も含めれば「4時前〜4時10分の間」と想定することもできますが、状況によって判断は変わる可能性があります。友人との待ち合わせの際は、相手の連絡先があるのであれば、今一度確認することをおすすめします。
3対2で,我々老人世代側の解釈が勝利した。ChatGPT-4oやClaude 3.5 Sonnetが簡潔な答えを返した。Perplexity Proは詳しすぎるけどまあいいか。Geminiはバカ丁寧に若者だったし,PlaMoはバカの若者だった。この多数決の結果も数年後には変わってしまうのだろうか。それまで生き延びていたら再検証してみたい。



図1:ChatGPT-4oに4時10分前を指示して描かせた結果・・・時計は苦手だ。


図2:OpenAI o1に4時10分前を指示してpythonプログラムにより描かせた結果

import matplotlib.pyplot as plt
import numpy as np

def draw_clock(hour, minute):
    fig, ax = plt.subplots(figsize=(6,6))
    # 時計の外枠を描画
    clock_face = plt.Circle((0,0), 1, fill=False, linewidth=2)
    ax.add_patch(clock_face)
    # 目盛りを描画
    for i in range(60):
        angle = np.deg2rad(90 - i * 6)
        x_start = np.cos(angle)
        y_start = np.sin(angle)
        if i % 5 == 0:
            # 5分ごとの長めの目盛り
            x_end = 0.85 * np.cos(angle)
            y_end = 0.85 * np.sin(angle)
            linewidth = 2
        else:
            # 1分ごとの短めの目盛り
            x_end = 0.9 * np.cos(angle)
            y_end = 0.9 * np.sin(angle)
            linewidth = 1
        ax.plot([x_start, x_end], [y_start, y_end], color='black', linewidth=linewidth)
    # 時間目盛りと数字を描画
    for i in range(1, 13):
        angle = np.deg2rad(90 - i * 30)
        x_text = 0.75 * np.cos(angle)
        y_text = 0.75 * np.sin(angle)
        ax.text(x_text, y_text, str(i), horizontalalignment='center', verticalalignment='center', fontsize=24)  # フォントサイズを大きく
    # 時針を描画(矢印)
    hour_angle = np.deg2rad(90 - (hour % 12 + minute / 60) * 30)
    hour_x = 0.5 * np.cos(hour_angle)
    hour_y = 0.5 * np.sin(hour_angle)
    ax.arrow(0, 0, hour_x, hour_y, width=0.025, head_width=0.07, head_length=0.14, fc='black', ec='black', length_includes_head=True)
    # 分針を描画(矢印)
    minute_angle = np.deg2rad(90 - minute * 6)
    minute_x = 0.8 * np.cos(minute_angle)
    minute_y = 0.8 * np.sin(minute_angle)
    ax.arrow(0, 0, minute_x, minute_y, width=0.015, head_width=0.06, head_length=0.12, fc='black', ec='black', length_includes_head=True)
    # プロットの設定
    ax.set_xlim(-1.1, 1.1)
    ax.set_ylim(-1.1, 1.1)
    ax.set_aspect('equal')
    ax.axis('off')
    plt.show()

draw_clock(3, 50)
自然言語で5回ほど修正指示を繰り返してたどり着いた結果のコード。これでも子ども全員向けのプログラミング教育は必要なのですか?むしろ,4時10分前の言語文化的な継続性を維持できるような日本語教育の方が重要だと思うのだけれど・・・。


[2]"9時10分前"は,何時何分?(NHK放送文化研究所,2020)

2024年8月10日土曜日

世界の解像度(1)

シャワーを浴びている最中,ふと「世界の解像度」という言葉が浮かんだ。

そのきっかけは生成AIにある。毎日のように生成AIを使って,未知の事柄を調べたり,ブログ記事を書いたり,論文や記事の要約を行っているうちに,少しずつ違和感が沈殿してきた。

生成AIが吐き出すテキストは,システムごとに多少違いがあるものの,創作場面におけるような特別な役割付与をしない限り,いずれも無難で平板な文章が連なっている。論争を呼びそうな表現はきれいにサニタイズされている。

その結果,せっかく要約された文章が心に響かず,知りたかったテキストの意味が手のひらに乗せた砂のように認識の指の間からこぼれ落ちていく。幾度問い方を変えて調べようが知識の積み重なっていく実感には繋がらない。

この現象は,生成AIに限らず,全ての知識をいつでも即座に検索して要約できてしまうという危うい状況に依存しているのかもしれない。かつて,論文をコピーして机に積み上げただけで,その内容を理解してしまったような錯覚に捕らわれたときと同じ状況だ。


我々の経験や知識の多寡によって,世界の見え方は異なってくる。例えば,同じドラマを見ても,背景知識や自分の経験がどれだけあるかによって,その内容の伝わり方や感じ方は大きく異なるだろう。その部分を強調するのがいわゆるオタクだ。しかも,その半分は言語の精度にかかわっている。

つまり,自分の操る言葉の範囲や精度や密度によって,ある概念や感情が意識の表面に浮き上がれるかどうかが決まり,世界の見え方が異なってくるはずだ。もちろん,残りの半分は言葉ではなく,意識下に潜在している。それらは言語野以外のニューロンによる身体的な経験と技能が担うのものだろうけれど,知的活動の多くは言語を媒介としているはずだ。

その重要な鍵を担う言葉の入力や出力に生成AIが関与することで,自分自身のものの捉え方やコミュニケーションの多くの場面で薄いフィルターがかかってしまうことになる。それが繰り返されれば自分の頭で考えるときでさえ,言葉を簒奪されてしまうかもしれない。毎日生成AIを使っていて沈殿してきたモヤモヤした気分は,その結果ではないかと疑っている。


生成AIの教育利用を危惧する意見に対しての反論がある。テキストを作成する能力を生成AIに代替させることで,それが身につかなくともよい。代わりにテキストの編集能力など,よりメタな新しい力が身につくはずだというのだ。自分もその意見に賛成していたのだけれど,言葉が思考と密接に繋がっている限り,どこか危険性は完全にぬぐうことができないことに改めて気がつく。

つまり,自分の心配事は,生成AIが自分の世界の解像度を落としてしまうのではないかということなのだけれど,どうだろうか。



図:世界の解像度 by DALL-E3

2024年7月23日火曜日

Japhalbet

松尾公也さんが面白いことをやっていた。

Claude 3.5 Sonnetを使って新しい自然言語を創るというものだ。次のとおりだ
Q(mazzo):
現在の日本語をベースにして、表記文字はアルファベットのみを使った新しい言語の仕様を考えて。非ネイティブが使いやすく、覚えやすく、日本語話者も再学習が容易なものとする

A(Claude 3.5 Sonnet):
新しい日本語ベースの言語の仕様を考案しました。この言語をJaphalbet(ジャファルベット)と呼ぶことにします。以下に主な特徴を示します:
1.文字体系:
 ・アルファベットのみを使用
 ・長音は母音を重ねて表現 (例: aa, ee, oo)
 ・撥音は「n」で表現
 ・促音は子音を重ねて表現
2.文法:
 ・基本的な語順はSVO(主語-動詞-目的語)に変更
 ・助詞は省略し、語順で文法関係を表現
 ・時制は動詞の後に付加語を追加 (例: -ta for過去, -ru for現在/未来)
3.発音:
 ・日本語の発音規則を基本とするが、「つ」は「tu」、「ふ」は「fu」と表記
4.語彙:
 ・日本語の語彙を基本とするが、複雑な漢語は簡略化
 ・外来語はそのまま使用可能

そこで,自分もまったく同じプロンプトを試してみた。似たような雰囲気だが,語順は S-O-V のままだった。

Q(koshix):
現在の日本語をベースにして、表記文字はアルファベットのみを使った新しい言語の仕様を考えて。非ネイティブが使いやすく、覚えやすく、日本語話者も再学習が容易なものとする

A(Claude 3.5 Sonnet):
アルファベットのみを使用した日本語ベースの新言語仕様

1.アルファベットと発音
標準的な26文字のラテンアルファベットを使用
発音は日本語の音声規則に従う
長音は母音を重ねて表記(aa, ii, uu, ee, oo)

2.基本文法
主語-目的語-動詞(SOV)の語順(日本語と同様)
文法機能を示す助詞(日本語から簡略化):
「wa」:主題を表す
「ga」:主語を表す
「o」:直接目的語を表す
「ni」:間接目的語や方向を表す
「de」:動作の場所を表す
文法的性別なし
冠詞なし(a, an, the に相当するものがない)

3.動詞
動詞の語幹 + 時制/相マーカー
現在/未来形:動詞の語幹 + 「ru」
過去形:動詞の語幹 + 「ta」
進行形:動詞の語幹 + 「teiru」
丁寧形:動詞の語幹に「ru」の代わりに「masu」を付ける

4.形容詞
i形容詞:「i」で終わる(日本語と同様)
na形容詞:名詞を修飾する際に「na」を付ける

5.代名詞
簡略化された代名詞セット:
「watashi」(私)
「anata」(あなた)
「kare」(彼)
「kanojo」(彼女)
「sore」(それ)

6.数字
アラビア数字(0-9)を使用
助数詞は簡略化し、数を減らす

7.文構造
日本語と同様に主題卓越型
文脈が明確な場合は主語の省略可能

8.語彙
日本語の単語をベースに、ローマ字で表記
現代的な概念には適宜英語からの借用語を使用

9.敬語
簡略化された敬語システム:
「san」:一般的な丁寧さを表す
「sama」:高い敬意を表す

10.句読点
標準的な英語の句読点を使用

例文:
"Watashi wa kinoo toshokan de hon o yomimashita."
(私は昨日図書館で本を読みました。)

これでは,たんなるローマ字表記ではないか。チーン。

2024年6月21日金曜日

状況認識:次の10年

Open AIの元研究者が,セキュリティ上の懸念を取締役会に訴えたため解雇された。のアッシェンブレナーが書いた文書が,Situational Awareness: The Decade Ahead である。その内容をGPT-4oに聞いてみた。最初はそっけない答えだったので,何回も問いただした結果が次のまとめである。これでも,結論がわからなかったので,そこはさらに問い詰めた。

Q(koshix):
https://situational-awareness.ai の内容を日本語で私にわかるように説明してください。

A(GPT-4o):
序章
「Situation Awareness: The Decade Ahead」では、AI技術の進展が引き起こす未来の変化について深く探求しています。特にサンフランシスコがこの変化の中心地となることが予測されています。著者は、過去数年間のAIの進歩が予測可能であったことを指摘し、今後の数年間も同様に予測できる可能性が高いと主張します。AI技術の急速な発展と、それに伴う社会的影響について、具体的なデータと予測を交えながら解説しています。

第1章:GPT-4からAGIへ
この章では、GPT-2からGPT-4への進化過程を振り返り、2027年までにAGIが達成される可能性について詳細に述べています。著者は、計算能力の向上、アルゴリズムの効率化、そして「アンホブリング」と呼ばれるAIの能力解放がAGIの達成に寄与すると説明しています。これらの要素が組み合わさることで、AIの知能は現在の高校生レベルから大きく飛躍し、2027年までに人間レベルの知能に達する可能性が高いと予測しています。

第2章:AGIから超知能へ
AGIが人間の知能を超え、超知能に進化する過程とその影響について詳述しています。数百万のAGIがAI研究を自動化し、アルゴリズムの進歩を急速に進めることで、短期間で人間レベルから超人レベルのAIシステムへの移行が可能となります。超知能がもたらす力と危険性についても深く掘り下げ、その影響の大きさと社会に与える可能性のある変化について議論しています。

第3章:課題

技術資本の加速
AI技術の急速な発展に伴い、GPUやデータセンターへの大規模な投資が必要です。特にアメリカでは、電力生産が数十パーセント増加し、数百万人のGPUが稼働することが見込まれています。この産業動員は、AIの発展を支えるための重要なステップとなります。

セキュリティの確保
AGIの開発と実装に伴うセキュリティ問題は重大です。現在、多くのAI研究所はセキュリティを軽視しており、国家レベルの脅威に対処するための対策が急務となっています。AGIの機密情報を保護し、悪意ある国家や組織からの攻撃を防ぐための具体的な戦略が必要です。

超整合性
超知能を安全に制御するための技術的課題は未解決です。急速な知能爆発の中で制御を失うリスクがあり、失敗すれば壊滅的な結果を招く可能性があります。超知能の整合性を保つための技術的および倫理的な問題について詳細に議論されています。

自由世界の存続
超知能が経済的および軍事的な優位性をもたらす中、中国との競争が激化しています。自由世界がその優位性を維持しつつ、自己破壊を回避できるかが重要な課題となっています。自由世界の存続とAI競争における戦略的な対策についても深く掘り下げられています。

第4章:プロジェクト
AGIへの競争が激化する中で、国家安全保障が関与するAGIプロジェクトの出現が予測されます。2027年から2028年にかけて、米国政府がAGIプロジェクトを主導し、スタートアップ企業では対処できない超知能の管理に取り組むことが期待されています。この章では、政府の役割とその影響について詳細に考察されています。

第5章:終わりに
これらの予測が正しい場合、私たちが直面する未来について考察します。超知能の出現がもたらす可能性のあるシナリオと、それに伴う社会的、経済的影響について議論し、これからの対策の必要性を強調しています。最終的には、これらの技術的進歩が人類にどのような影響を与えるか、そして私たちがどのように対応すべきかについての洞察を提供しています。

Q(koshix):
https://situational-awareness.ai の 第5章の結論をより具体的に示してください。 

 A(GPT-4o):
「Situational Awareness: The Decade Ahead」の第5章では、AI技術の進展に対する現実的な視点(AGIリアリズム)について論じています。著者は、AGIが国家安全保障の問題であり、特にアメリカがリードする必要があると強調します。アメリカがAGIの開発と管理を主導しないと、権威主義的な国家が先行するリスクが高いからです。著者は、現在のAI技術の進歩は、単なるシリコンバレーの技術ブームではなく、世界を劇的に変える可能性があると述べています。特に2020年代の終わりまでに、スーパーインテリジェンスが現れると予測しています。この技術の進展は、新しい世界秩序をもたらす可能性があり、その過程で発生するリスクとチャンスについても触れています。AGIリアリズムの核心は次の三点です:
  1. 国家安全保障としてのスーパーインテリジェンス:これまでで最も強力な兵器となり、これに関わる者にとって最も重要な仕事となる。
  2. アメリカのリーダーシップ:自由の灯火を保つためには、アメリカがAGIのリーダーシップを取る必要がある。これはAIクラスターの建設とセキュリティの強化を含む。
  3. 失敗のリスク管理:スーパーインテリジェンスのリスクは現実的であり、これを管理するためには真剣な取り組みが必要。
最終的に、著者はAI技術の進展が私たちに与える重みと、その未来についての深い洞察を共有しています。この進展は、少数の人々の手に委ねられており、これからの数年間が非常に重要であると述べています。


図:DALL-Eが答えた暗い方のイメージ・・・

現代のレオ・シラードか。なんだか,原爆開発をルーズベルトに進言させた件を想起させる。もっとも,このたびは開発の次にくる軍事管理の勧めになってしまっているようだ。これならば,OpenAIが握っているほうがまだましか。

問題は,インターネット等を経由した社会システム基盤のコンピュータネットワークシステムへの介入とAGIが結びついたときに深刻になる。人類全体が,その生命維持機構をクラッキングされてしまうことだ。電力制御,通信制御,生産制御,金融制御,医療制御,軍事制御などをのっとられてしまうとき(一番は核ミサイルシステム?),どうするかということだ。

[1]LLMの現状〜国家の最重要プロジェクトレベルで取り組むべき(松田語録)

2024年3月3日日曜日

「自分の考え」(あるいは課題発見力の重要性)

デジタル化と「考える力」の喪失からの続き

MacBookAirのメモ大掃除シリーズ第2段である。これは2014年6月24日の夜のメモ。

「自分の考え」(あるいは課題発見力の重要性)
というのは「問いと答えのセット」のことであり,いかに適切な問いを立てそれに答えるか,が「自分の考え」の実体である。「自分の考え」は,問いにおいて,あるいは,答えにおいて,同じ世界を生きる他者のそれらと共通する部分を持っているだろう。人々に共通する問いに対して十分に納得のできる答えを用意すること,あるいは,人々が潜在的に感じていて言語化できなかった問いを発掘して磨き上げ,それに対して十分に推敲された適切な解答を提示しようとする態度が,人々の信頼や関心を集めることになる。

「会話」は,このような潜在的な問いと答え,あるいは,顕在的な問いと答えが編み込まれたストリームとして存在する。繰り返される問いと答えに感情の絵の具が塗られたタペストリーとしての会話。「自分が考える」ということは「問いと答えのセット」の往還を持続することであり,その適応範囲を拡げながら問いや答えの質を高めるためにも,他者との「問いと答えの交換」は不可欠なものである。

常に問いを準備せよ,常に答えを準備せよ,それは対話の中で次のステップへと歩みを進めることを可能にする。大学の将来像については,それを巡る問いと答えの膨大な集積の中に解決を探るしかない。しかし,自然現象とは異なり,社会的な制度として,人為的な境界条件の制約を課されていることから,問いは問いたりえず,答えは答えたりえない場合も少なからず存在している。あらかじめ答えが限定された問いを自らに強制され,あたかも自発的にその答えを発見したかのように擬制されるケースは列挙に事欠かない。

「問いと答えのセット」を既存の知識と論理の中で延長し拡大しようというのが哲学
「問いと答えのセット」を対象操作的な実験や観測により発見しようというのが科学
「問いと答えのセット」を主体と環境との相互作用の中で現しようというのが芸術
言語化されない「自分の考え」=「問いと答えのセット」も世界には存在している

言語で表現された「問いと答え」からは捨象されて見えるかもしれないが,すべての問いと答えには,その問いや答えが発せられた時空(世界)における,時間(歴史)と空間(構造)と情報(主体)のラベルが貼られているのであって,それによって問いの意味も文脈も相互作用もすべてが規定されてくることになる。

従来であればマスコミや知的権威などの,あるいは最近であればインターネットメディアで増幅された「他者」によって発せられる仮想の問いと仮想の答えに毎日さらされている私たちは自らの問いと答えを作り出す力が衰えている。「他者」の問いに「他者」が答えることを学ぶ(まねする)。
一箇所修正した。芸術の定義は,「実現」となっていたが「表現」の方が適切だ。最後は尻切れトンボで終っている。課題発見力というのが問いを立てる力だということかな。

2024年3月2日土曜日

デジタル化と「考える力」の喪失

MacBookAirのメモを整理し始めた。もっと暖かくなったら,本の整理も始めよう。

この過程で,古くなったテキスト断片を貼り付けてみる。以下は2013年5月5日のもの。

手書き(アナログ)かタイプ(デジタル)かというのは本質ではない。
一方で,思考過程における身体性の意味を押さえる必要がある。
「身体化された心の人類学的解明」

ウェブやスマホのSNSに没入して,他者の言葉の断片とその連鎖の中を漂うとき,自分は他者の言葉で考えている。それらをなぞることで,疑似的に「自分」の考えを紡いでいる。いや,「自分で考える」ということも,本質的にはこれと替わらないのかもしれない。既存の言葉と概念を材料として,自分で積み木を組み上げる作業が「考える」ということ。DNAプールから長い年月をかけて「試行」を繰返し,その環境や相互作用の中で最適化を進めるプロセスと類似している「思考」の過程。言葉と概念の並び替えと繋ぎ替えが,考えることの本質だとするとき,デジタル化は何を奪うことになるのだろうか。言葉と概念のストックを自分の脳の中から,インターネット空間に拡大し,リンクの作業を既存のリンクで代替する。「本を読む」ことや「論文を読む」ことは,他人の思考過程を追試することであった。それは「自分で考える」ための練習でもあったわけだが,そのような完成した思考過程の成果の学習ではなく,思考のためのトレーニングあるいは非トレーニングがデジタル化された情報空間で展開される。アナログ情報空間とデジタル情報空間の差異は何か。我々はどの空間に生息しているのか。重なり合う2つの宇宙の狭間で,乗り移りを図る知性体のありようは,小松左京のSF短編で示された,宇宙からの脱出の実体を表現しているのかもしれない

言葉を紡ぐ,音を紡ぐ,色と形を紡ぐ,論理を紡ぐ,身体運動を紡ぐ,すべてが考えるということであり,そこに,身体性が・・・
まだ,孫の紡木くんが生まれる前だ。多分,引用されている「身体化された心の人類学的解明」にインスパイアされて考えたことをメモしたもの。もちろん生成AI登場以前だ。表題についての考えはこれっぽっちも進んでいないのだ。

2023年12月15日金曜日

Duolingo

今年の春に始めた iPhoneアプリDuolingoでの韓国学習である。

最近は,朝起きて新聞とテレビのニュースをチェックした後に,Duolingoで韓国語のレッスンをするのが日課になっている。iPhoneの先週のアクセスログをみると,一日平均3時間のうち,Facebookが45分,Duplingoを30分,Pikmin Bloomが20分,GoogleとLineが15分ということになっている。

単語の表記と発音と意味,韓国語の和訳あてはめ,韓国語読み上げのハングルあてはめ,日本語の韓国語訳ハングルあてはめ,など15問ほどで1セットである。単語ごとにヒントを確認できるので,覚えていないあるいは理解できていなくても,勘だけで何となく答えられてしまう。いいようなわるいような。

ヒント頼りなので,ほとんど実力がつかない。ハチマン,毎日繰り返していると記憶に残る単語も少しはあるので,韓国ドラマを見ていても,以前よりは意識に引っかかる会話が増えてきた。


図:今年11月30日時点のDuolingoの成績(実はソコまで出来ていない)

2023年12月14日木曜日

フェイスブックで,芳賀さんが息子のりんちゃんから受けた質問について書いていた。

人生でどのくらい,文字の「」を書かないといけないか」という趣旨のものだ。なぜその質問がでてきたのかはよくわからない。なぜ「棒」なのかな。書くのが面倒だからなのかな。そういう話ではないのかな。犬も歩けば棒にあたったのかな。

準備のための一般論
 モノゴコロついてから惚けるまで,およそ75年≒900ヶ月≒3900週≒2万7千日≒66万時間≒3900万分≒24億秒あるとする。このとき,人生におけるある事象の頻度と総数はおよそ次のように対応する。
 10年に 1回 〜 10回
   3年に 1回 〜 30回
   1年に 1回 〜 100回
  年に 4回 〜 300回
  月に 1回 〜 1000回
  週に 1回 〜 4000回
   3日に 1回 〜 1万回
   1日に 1回 〜 3万回
   1日に 3回 〜 10万回
名前との比較
 一生の間に自分の名前はどのくらい書くだろうか。宅配のサインも含めて週に1回よりは多いような気がするので,多分1万回のオーダーになる。「棒」はこれよりは2桁以上少ないのではないか。100回ほどか

ブログの計量
 自分のブログであるOn a Thread of the Webの5年分のデータを全文検索してみると,「棒」は16回ヒットした。つまり,最近は年平均に3回ということになる。75年をかけると,生涯では 200回 程度書くことになるのではないか。

生成AIの考え
Q(私):日本人が一日に書く漢字の数は400字程度です。一生には,1000万字程度の漢字を書くことになるでしょう。このうち,「棒」という漢字を書く回数は何回程度だと推定されますか?
A(Claude):
はい、ご指摘の通り、日本人が一生のうちに書く漢字はおよそ1000万字とされています。このうち、「棒」という漢字が何回含まれるかを推定するため、次のように考えます。日本語の漢字使用頻度データによると、「棒」の出現頻度は0.0026%,1000万字の0.0026%は2600字。したがって、一生のうちに書く漢字1000万字のなかで、「棒」という漢字が含まれる頻度はおよそ2600回と推定されます。
なお,Copilotが4690回,Perplexityが4800回,Bardは200万回,ChatGPTは10億回と答えた。(注)上記の仮定である1日に400字というのは,手書きだけではなくて,SNSなどでのスマホやPCにおけるデジタル入力も含めたつもりだけれど,どうだろうか。

漢字出現頻度
 ClaudeやPerplexityは,漢字の出現頻度という量を持ち出してきた。Perplexityでは,0.0048%とされた。そんなデータがあるのかと検索してみた。令和1年に文化庁の漢字出現度数調査というレポートがある。出現確率ではなく,出現順位が与えられている。棒は1200位あたりで,結構高頻度で出現する文字だった。もう少し調べてみると,mwSoft Blog[1]というサイトが見つかった。2012年6月Wikipediaデータにおける出現漢字をまとめたものだ。このデータを拝借すると,「棒」は1375位で38,285回/528,530,037回(上位3000字の総計)=0.00724%=724回という結果が得られた。

結論
 平均的な人が「書く」漢字の「棒」は,100回〜1000回程度じゃないでしょうか。

参考(学校で棒が出てくる場面)
 棒読み。棒暗記。棒立ち。棒グラフ。棒磁石。乳棒。制御棒。溶接棒。指揮棒。鉄棒。棒高跳び。段違い平行棒。棒球(だま)。綿棒。編み棒。棒針。相棒。泥棒。片棒。棒ダラ。アメン棒。お先棒。棒切れ。火かき棒。金棒。警棒。用心棒。こん棒。ゲバ棒。点棒。

P. S. このページだけで12年分くらいの「棒」を書いてしまった。


写真:画像生成AIがイメージしている「棒」(Diffusion Beeより引用)


2023年6月8日木曜日

会話行動に関する調査


シンセティック・メディアについて考えるための,人の情報環境について考えていた。情報通新メディアの利用時間のデータは見つかったので,対面コミュニケーションの時間のデータがないか探してみた。国立国語研究所日常会話コーパスプロジェクトの中に,「一日の会話行動に関する調査報告(2017)」が見つかった。

243人の調査対象に平日2日,休日1日のすべての会話を記録してもらった結果,1日平均の会話数 12.7回,会話時間長 6.2時間,1回の会話時間 29分という結果になった。会話時間の約6時間というのは,情報通信メディアの利用時間約6時間とほぼ同じであった。


図:一日の平均会話の特徴

会話相手の人数がN人の時,自分の発話割合は,1/(N+1)である仮定する。上記の相手人数の割合の加重平均をとれば,(38.3/2+17.9/3+12.5/4+6.6/5+4.3/6+3.2/7+1.9/8+1.5/9+1.1/10+12.7/20)%=32%となる。
したがって,一日の平均会話時間の1/3の2時間は自分が話し,残りの4時間は相手の話を聞いているということになる。

2023年3月23日木曜日

「これは個人的な意見ですが…」

金沢に一泊して用事をすませてきた。ChatGPTはやはり話題に登場した。帰ってきて,物理教育学会誌が届いたが,その編集後記もChatGPTの話題で持ちきりだった。新聞でもネットでも毎日のように生成型AIを巡るニュースが飛び交っていて,すべてをフォローするのは困難だ。

GPT-4に俳句について聞いてみた。GPT-3.5より多少マシだったが,これはまだ普通の水準に達していなかった。数学的な計算も同様で,プロンプト工学ではカバーできそうにない。それでも着実に能力は高まっている。以下は,わりとまともな答えが帰ってきた例である。
Q:組織における制度化された会議の場で,あるいは打ち合わせ等での意見交換の場で,「これは個人的な意見ですが・・・」と前置きされる発言がでることがしばしばあります。この表現は何を意味していて,どういう機能を果たしているのか,いくつかの類型に分けて整理しながらの説明をお願いします。

A:この「これは個人的な意見ですが・・・」という表現は、主に以下の機能を果たしていると考えられます。様々な類型に分けて整理してみました。

1.責任の回避
この表現を使うことで、発言者は自分の意見が組織やチームの意見として捉えられることを避けることができます。これにより、意見が受け入れられなかった場合や問題が生じた場合でも、発言者個人への責任を最小限に抑えることができるでしょう。

2.柔らかい意見の表現
この表現を使うことで、発言者は自分の意見を他者に押し付けることなく、柔らかく提案できます。これは、対立や摩擦を避けるために役立ちますし、他者が意見に対してオープンである可能性を高めるでしょう。

3.オープンな議論の促進
「これは個人的な意見ですが」は、発言者が自分の意見に対して完全に自信がないことを示唆する場合もあります。この表現を使うことで、他者に対して意見についてのフィードバックや異なる視点を提供する機会を与えることができます。

4.エキスパートでない立場からの意見提供
発言者がその分野の専門家ではない場合や、十分な情報を持っていない場合に、この表現を使うことがあります。この場合、発言者は意見を提供しつつも、自分がエキスパートでないことを明示し、他者からの補足や訂正を歓迎する態度を示すことができます。

5.異なる意見や視点の提示
組織内で既存の意見や方針に対して異なる視点を持っている場合、発言者は「これは個人的な意見ですが」と前置きすることで、新たなアイデアや視点を提案しやすくなります。これにより、組織全体の意見や方針の多様性を促進することができるでしょう。

総じて、「これは個人的な意見ですが」という表現は、意見交換の場において多様な意見を尊重し、

続けて

オープンな議論を促進するための有用な表現です。この表現を使用することで、以下のような効果も期待できます。

6.階層を超えた意見の提案
組織内で階層が存在する場合、「これは個人的な意見ですが」という表現を使うことで、上層部に対して意見を提案しやすくなることがあります。この表現は、自分の意見が組織全体に適用されるべきだと主張しているわけではないことを示しているため、上層部に対して敬意を払いつつ、意見の提案が可能になります。

7.時間をかけて意見を検討する余地の提供
「これは個人的な意見ですが」という表現を用いることで、他者に対して即座に意見を評価し、決定を下すことを求めない空気を醸成できます。これにより、意見がじっくりと検討される可能性が高まるでしょう。

8.チームのコミュニケーションを円滑にする
この表現は、チーム内での意見の対立を和らげ、より建設的なコミュニケーションを促す役割を果たします。相手に対して敬意を示し、意見の違いを受け入れやすくすることで、チーム全体の関係を強化する効果があります。

これらの類型に分けられる機能を通じて、「これは個人的な意見ですが」という表現は、組織内での意見交換や会議の場をより有意義で生産的なものにする助けとなります。発言者はこの表現を用いることで、自分の意見を適切な形で伝えることができ、他者とのコミュニケーションを円滑に進めることができるでしょう。
そこで,更問いしてみた。
Q:このような表現は日本以外の国でも見られるのでしょうか。

A:「これは個人的な意見ですが」という表現に相当するものは、日本以外の国でも見られます。異なる言語や文化においても、同様の表現が使われることがあります。以下にいくつかの例を挙げます。

英語圏:「In my opinion...」(私の意見では…)、「I personally think...」(個人的には思うんですが…)、「Just my two cents...」(たった2セントの価値しかないかもしれませんが…)などの表現が使われます。

スペイン語圏:「En mi opinión...」(私の意見では…)、「Personalmente pienso que...」(個人的には思いますが…)などの表現が使われます。

中国語圏:「我个人认为...」(私個人としては思いますが…)、「在我看来...」(私の見解では…)などの表現が使われます。

ドイツ語圏:「Meiner Meinung nach...」(私の意見では…)、「Ich persönlich denke, dass...」(個人的には思うんですが…)などの表現が使われます。

これらの表現は、日本語での「これは個人的な意見ですが」と同様に、意見交換や会議の場において、発言者が自分の意見を柔らかく提案し、他者との対立を避けることを目的として使用されます。ただし、国や文化によっては、このような表現が一般的であったり、逆にあまり使われなかったりすることもあるため、異文化間でのコミュニケーションの際には注意が必要です。

勉強になるわ。これがどこまで正しいか分からないけれど,普通に人間同士の会話でもこの程度のもっともらしいが正確かどうかわからない情報は飛び交っている。また,デマゴーグになれば,SNS上であるいは国会で出鱈目を言いまくっているので,まあ,なんともいえないところである。


2023年3月12日日曜日

幽霊漢字

 今日,第1回AIアートグランプリ発表があった。主催がドスパラ(サードウェーブ)で事務局が清水亮さんのMEMEPLEXだ。

279件の応募作品から,17作品が第一次選考を通過した。そのうち12作品が佳作であり,第2次選考を通過した5作品から,グランプリ1作品と準グランプリ4作品が選ばれた。なんと,グランプリは,backspace.fmでお馴染の松尾公也さんの「Desperado by 妻音源とりちゃん[AI]」だ。

これまでも亡くなった妻のとりちゃんの音源を作ってきたが,AIによって画像イメージも生成した上に,自分の歌声をとりちゃんの声に変換できるようになった。さらに3次元化にもチャレンジしているらしい。自分の声やテキストもAI化して残る未来を想定している。

最近,テクノエッジを運営するテクノコアに入社した松尾さんは,MacUserの初代編集長で,有料メールマガジンMacWIREも立ち上げている。ドリキン,西川善治と3人で毎週流しているbackspace.fmの話が面白い。

さて,AIアートグランプリで印象に残ったのは,カラス=ヨーロッパ中世の防疫マスクで登場した機能美Pさんの作品だ。急遽作られた審査員特別賞も受書した。AIグランプリなのにAIは2%しか使っていないというメタコンセプトの「そんな話を彁は喰った」がその作品だ。そのタイトルに登場する漢字「彁(か・せい)」は幽霊漢字とよばれている。

1978年に通商産業省が制定したJIS C 6226(後のJIS X 0208)では,いわゆるJIS第1・第2水準漢字として6349字が規定された。このとき典拠は次の4つの漢字表だ。
 1. 標準コード用漢字表(試案): 情報処理学会漢字コード委員会(1971年)
 2. 国土行政区画総覧: 国土地理協会(1972年)
 3. 日本生命収容人名漢字: 日本生命(1973年、現存せず)
 4. 行政情報処理用基本漢字: 行政管理庁(1975年)
この中に,音義・使用例の不明な文字があることが指摘され,辞書類に収録されながら実用例のない単語を意味する「幽霊語」をもじって「幽霊文字」と呼ばれるようになった(WIkipedia 幽霊文字から抜粋引用)。

また知らなかった事実に出会うことになる。犬も歩けば棒に当たる。

図:幽霊漢字の例(

P. S. AIアートグランプリはNHKニュースでも取り上げられて,松尾さんがインタビューに答えていた。


[1]「松尾PはなぜAIアートグランプリで優勝できたのか?!」(第1965話 shi3z & drikinの#AIドリフト)
[2]第一回AIアートグランプリを受賞したので自分の作品解説とファイナリスト作品への感想。そしてその先(CloseBox)(松尾公也)
[3]第1回 AI Art GrandPrix が素晴らしかった件(白井暁彦)

2023年2月25日土曜日

한글(ハングル)

韓国ドラマを見るのが習慣化しているので,ハングルや韓国・朝鮮語の勉強をしておく必要がある。doulingoで毎日少しづつ学んでいるが,なかなかおもしろい。

ハングルは,1443年に李氏朝鮮第4代国王の世宗大王が,訓民正音(朝: 훈민정음,略称: 正音)の名で公布した表音文字だ。日本の表音文字のカタカナやひらがなと異なり,陰陽五行思想の創成原理に基づいたものであり,理論的で美しいし学びやすい。macOSのHangulローマ字入力(HNC)を使うと,簡単に入力することもできる。

韓国ドラマでは漢字はほとんど出てこない。漢字復活論があると耳にしたので,Bing Chatに聞いてみると次のようなことだった。知らんけど。

漢字の利用を進めるようにという意見や、韓国政府の施策についてですね。漢字復活論は、保守新聞や学術界、保護者などが主導しています12。彼らは、漢字は文化や歴史の伝承に重要であり、また外国語学習や知的活動にも有益だと主張しています13。一方で、漢字廃止論は、ハングルだけで十分であり、漢字は民族主義や反日感情に基づいて排除されるべきだと言っています3。

韓国政府はこの問題に対して消極的な姿勢をとっており、「教えろとも教えるなとも言わない」という態度を示しています4。しかし、2019年から小学校の教材に漢字を一部復活させる方針を打ち出しました52。これは、多くの韓国人が漢字の必要性を認識し始めたことや、中国との経済関係の強化などが背景にあると考えられます56。

基本子音(14)うち激音(4)

ㄱ (g), ㄴ (n), ㄷ (d), ㄹ (r, l), ㅁ (m), ㅂ (b), ㅅ (s), 

ㅇ (ng: x), ㅈ (j), ㅊ (ch: c), ㅋ (k), ㅌ (t), ㅍ (p), ㅎ (h)

重子音=濃音(5):

ㅋ (kk: G), ㄸ (dd: D), ㅃ (pp:B), ㅆ (ss: S), ㅉ (jj: J)

基本母音(10):

 ㅣ (yi: i),  ㅏ (a),  ㅑ (ya, ia),  ㅗ (o),  ㅛ (yo, io),

ㅡ (eu: w),  ㅓ (eo: e), ㅕ (yeo: ye, yie),  ㅜ (u),  ㅠ (yu), 

重母音(11):

ㅐ (ae: ay, ai), ㅒ (yae: iai, iay, yai, yay)

ㅔ (e: ei, ey), ㅖ (ye: yei, yey) , ㅢ (wi: wi)

ㅘ (wa: oa), ㅙ (wae: oai, oay), ㅚ (oe: oi, oy)

ㅝ (wo: ue), ㅞ (we: uei, uey), ㅟ (ui: ui, uy)

終声パッチムの音価(7):

앙 (ang); 안 (an); 암 (am); 알 (ar); 악 앜 앆 (ag)

앋 앝 앗 았 앚 앛 앟 (ad); 압 앞 (ab) 


2023年2月2日木曜日

ChatGPTの近況(2)

ChatGPTの近況(1)からの続き

そうこうしている内に,OpenAIは,ある文章がChatGPTのようなAIによって作られたものか,人間が書いたものかを判別するツールをオープンした。AI Text Classifier である。どうやら教育・学習の場で ChatGPTが使われることに対する批判への一つのエクスキューズのような雰囲気だ。なお,Educator considerations for ChatGPT にOpen AI側からの詳細なコメントがある。

AI Text Classifierには,現在のところ次のような制限事項がある。
・最低1,000文字(約150~250ワード)が必要である。
・分類器は必ずしも正確ではなく,AIが生成したテキストと人間が書いたテキストの両方を誤って分類することがある。
・AIが生成したテキストは,分類器を回避するために簡単に編集できる。
・分類器は,主に大人が書いた英語のコンテンツで学習したため,子供が書いたテキストや英語でないテキストでは間違う可能性が高い。(つまり日本語には対応していない)
一方の,ChatGPTの方には,数学的な扱いが少し賢くなったようなメッセージが見えた。早速,二次方程式の問題に挑戦する。x^2-5x+6=0 である。これは簡単に因数分解できるのだけれど,解の公式を当てはめて答えの3と2を導いている。しかし,2x^2+3x-2=0 の場合は,x=(-3 ± 5)/4 までは正しいのだが,最後の答えが 2と-1なのだ。なんでやねん。

次に,ChatGPTに,"please explain the general method so solve quadratic equation, for junior high school students" と入力して得られた1150文字の回答をAI Text Classifierにいれると,確かに,AIが作った文章だと判定された。まだ様子見の段階。

2023年1月31日火曜日

形態素解析

コンピュータによる自然言語処理のアルゴリズムで第一に取り上げられるのが形態素解析である。品詞情報がならんだ辞書をもちいて,原文を形態素(品詞情報付き)に分解できる。

これを実現するソフトウェアとしては,大学等で開発されたいくつかのフリーソフトが有名だった。Juman / Juman++ChaSenKAKASIMeCab(工藤拓),SudachiKuromoji(atilica),janome(打田智子)などである。MeCabがポピュラーなのだけれど今となっては少し古いのかもしれない。これまで,MeCabになじんできたので,Juman++出力形式はやや違和感がある。

さて,しばらく前に,mecab-neologdというMeCabの最新辞書を導入した。それでもたりない場合は,ユーザ辞書を定義して使うことになるのでチャレンジしてみる。その前に,システム辞書をipadicからipadic-neologdに変更してみた。
vi /opt/homebrew/etc/mecabrc
configuration file の dicdir の修正:
; dicdir =  /opt/homebrew/lib/mecab/dic/ipadic
dicdir = /opt/homebrew/lib/mecab/dic/mecab-ipadic-neologd
次に,「ユーザ辞書登録をやり直す」にしたがって,ユーザ辞書を使えるようにしてみた。
cd /opt/homebrew/lib/mecab/dic
vi userdic.csv
cat userdic.csv

行政組織,,,1000,名詞,一般,*,*,*,*,行政組織,ギョウセイソシキ,ギョウセイソシキ

出発点,,,5000,名詞,一般,*,*,*,*,出発点,シュッパツテン,シュッパツテン

95%信頼区間,,,5000,名詞,一般,*,*,*,*,95%信頼区間,キュウジュウゴパーセントシンライクカン,キュージューゴパーセントシンライクカン

/opt/homebrew/Cellar/mecab/0.996/libexec/mecab/mecab-dict-index -d /opt/homebrew/lib/mecab/dic/mecab-ipadic-neologd -u userdic.dic -f utf-8 -t utf-8 userdic.csv
mecab -u /opt/homebrew/lib/mecab/dic/userdic.dic

これで使えるようになる。ユーザ辞書のcsvファイルの構造は次のようになっている。
表層形,左文脈ID,右文脈ID,コスト,品詞,品詞細分類1,品詞細分類2,品詞細分類3,活用型,活用形,原形,読み,発音
左右の文脈IDは空欄でよいらしい。またコスト値を推定する方法についてはもう少し調べる必要がある。

2023年1月29日日曜日

茶道

NHKの近畿のニュースで小学生の茶道教室の話題があった。アナウンサーが茶道(ちゃどう)と発音して紹介している。NHKは最近よく間違えるわと思ってみていると,2回目も「ちゃどう」と。あれ,もしかして「さどう」だと思っていた自分のほうがおかしいのか?

さっそく,物書堂の精選版日本国語大辞典で確かめてみると・・・
ちゃ-どう【茶道】〘名〙
①茶の湯を催すことによって静寂閑雅の境地にはいり,礼儀作法を修める道。…。さどう。

さ-どう【茶道・茶頭・茶堂】〘名〙
①(茶頭・茶堂)茶事をつかさどるかしら。…。
②(茶道)茶の湯。…。
[補注]茶の湯の道のことを「さどう」というのは江戸時代まではまれであり,また,茶頭との混同をさけるために「ちゃどう」というのが普通であった。
お〜い,早く教えてくれ〜。70年近く生きているのに知らなかった。たぶんそんなことが他にも沢山在るわけで,まあそれはそれでいいのかもしれないけれど・・・。なお,大辞林でも「ちゃどう」がメインで「さどう」がサブの扱いだった。

ということは,これまでも「ちゃどう」という言葉がしばしば聞こえてきてもおかしくなかったのだけれど,思い込みフィルターで完全に無視していたに違いない。高校の時は茶道部(さどうぶ)とよんでいたはずなのだが。

[参考]
(1) 裏千家,表千家の英語ページでは,Sadoはでてこない。Chanoyu だ。
(2) 日本政府観光局サイトでは,"These practices developed into sado, the art of the Japanese tea ceremony."とある。
(3) Googleでは,sado "Tea ceremony" 78,800件,chado "Tea ceremony" 65,300件
(4) Wikipedia(英語)では,The Japanese tea ceremony (known as sadō/chadō (茶道, 'The Way of Tea') or chanoyu (茶の湯)) 
(5) ChatGPTでは,Q:How do you pronaunce Japanese Tea ceremony as Japanese word.
A:The Japanese word for "tea ceremony" is "chado" or "sado" (茶道) which is pronounced "cha-doh" or "sah-doh" respectively.

一般的には,互角というところなのかもしれない。


図:The kanji characters for chadō, the 'Way of Tea' (Wikipediaから引用)

2023年1月28日土曜日

テキストマイニング

施政方針演説(2)からの続き

テキストの分析は,テキストマイニングという名前でかつて流行っていた。検索エンジンの技術が話題になってビッグデータが流行り始めていたころだ。基礎知識に欠けた自分は,形態素解析で単語の出現頻度を調べて比較する先の議論には進むことができず終いだった。当時買った本がないかと本棚を確かめてみたけれど,それらしいものも見あたらない。

さて,施政方針演説テキストの抽出までを行うことにしよう。こういう目的のためにはシェルスクリプトが有難い。pythonやperlでまとまったプログラムを書くより,複数の簡単なコマンドを組み合わせるほうが楽だと思える素人プログラマーなのだった。

(1) ウィキソースにあった,内閣総理大臣施政方針演説のpdfファイルをダウンロードする。
(2) pdftotextによってpdfファイルをテキストに変換して一時保存する。
(3) tr -d で不要な改行コード,改ページコード,記号,数字,アルファベット等を取り除く(本文中の数字は全角のアラビア数字又は漢数字が使われている)。
(4) sed で句点「。」を「。+改行」に置き換えて一時保存する。
(5) sed でキーワードから本文前後の行を取り除き,これを最終のテキストファイルとする。
(6) 全体をシェルスクリプトにまとめ,コマンドライン引数で国会の開催回と総理の姓を入力して,該当するファイルを取り出せるようにした。

#!/bin/zsh

# Speech of Prime Minister in the Diet

# https://ja.wikisource.org/wiki/カテゴリ:内閣総理大臣施政方針演説

# 1/28/2023 K. Koshigiri

# usage: jpol.sh 204 菅

# output 204.txt


lynx -dump https://ws-export.wmcloud.org/\?format=pdf\&lang=ja\&page=第\$1回国会における\$2内閣総理大臣施政方針演説 > \$1.pdf

pdftotext \$1.pdf \$1-x.txt

cat \$1-x.txt | tr -d "\n\f[0-9][A-z] .,-(→/←);:'~Ö↑í" | sed "s/。/。\n/g" > \$1-y.txt

sed -e '/ウィキソース/d' -e '/作者:/d' -e '/この著作物/d' -e '/この作品/d' -e '/本作品/d' -e '/ 二次的著作物/d' -e '/許諾者/d' -e '/クレジット/d' -e '/あなたの/d' -e '/再構成/d' -e '/クリエイティブ・コモンズ/d' -e '/閲覧/d' \$1-y.txt > \$1.txt

rm $1-?.txt

perlまで必要ない場合は,小刀のような sed が使いやすいことがわかった。sedでキーワードによる行削除をするのだが,並列に記述できるということを学ぶ。


2023年1月21日土曜日

DeepL Wirte

DeepL翻訳からの続き

ニューラル機械翻訳ツールのDeepL翻訳にはずいぶんお世話になっている。無料版だと5000字までの英文は一括で翻訳できるので,ちょっとした記事はたいていDeepLにかけている。DeepLがダウンロードを奨めてきたので,最近は,ダウンロードしたmacOS版のアプリケーションを立ち上げるようにした。

重要な文書の場合は,確認しないとときどき抜けやエラーがあるとはいえ,昔のgoogle翻訳などに比べれば圧倒的に自然な訳文がでてくる。難をいえば,29言語に対応しながら韓国語が含まれていないことだ(*)。そんなときは,これも優秀なPapago(Naver)を使えばよい。

本ブログのイントロを英訳してみたけれど,3年前より大分良くなったような気がする。

It has been 100 years since Ryunosuke Akutagawa published "The Spider's Thread. In the fall festival of my senior year of high school, the theme of our class costume parade was "The Spider's Thread. I cut out a piece of bamboo from the neighborhood for the Buddha's Paradise Tower and painted a picture of the flames and smoke of hell. It was the time when I was a hell wraith following Kandata and swarming around the spider's thread (the red rope of the mountain climbing club).


さて,そのDeepLが最近,DeepL Writeという文章校正(改善)ツールを出して話題になっている。今のところ,英語(イギリス),英語(アメリカ),ドイツ語のみの対応だ。これも早速試してみよう。

大阪教育大学のホームページの英語版の冒頭の紹介文を例にとってみた。

原文:
Osaka Kyoiku University (OKU), which was founded in May 1874 as a teacher training school, boasts over 140 years history and tradition. The current number of undergraduate and graduate students totals approximately 4,400, with another over 5,000 students matriculated in affiliated schools. Among Japanese universities, OKU is a one of the leading producers of qualified teachers and a leading large-scale college of education.

 The main campus of OKU was established in the Kongo Ikoma Kisen National Park, in Kashiwara City, Osaka. This campus is approximately 670,000 square meters in area. In addition, OKU also has a campus in Tennoji, in central Osaka.

 The university’s programs are designed to meet the high educational standards of a comprehensive teacher training university. OKU is made up 11 affiliated schools, including primary, secondary, and special needs education that are located in three areas of metropolitan Osaka: Tennoji, Hirano, and Ikeda city.

DeepL Writeによる改善:英語(アメリカ)
Osaka Kyoiku University (OKU), founded in May 1874 as a teacher training college, has over 140 years of history and tradition. The current number of undergraduate and graduate students is approximately 4,400, with more than 5,000 students enrolled in affiliated schools. Among Japanese universities, OKU is one of the leading producers of qualified teachers and a leading large-scale college of education.

 OKU's main campus was established in the Kongo Ikoma Kisen National Park in Kashiwara City, Osaka. This campus covers an area of approximately 670,000 square meters. OKU also has a campus in Tennoji, in the center of Osaka.

 The university's programs are designed to meet the high educational standards of a comprehensive teacher training university. OKU consists of 11 affiliated schools, including elementary, secondary, and special education, located in three areas of the Osaka metropolitan area: Tennoji, Hirano, and Ikeda City.


(1) 1行目のteacher training school は師範学校のことなので,colledgeでなくてもよい。

(2) 附属学校の収容定員が5000人が,matriculateになっていたが,これはenrolledが妥当か。

(3) 大阪の中央部が,in central Osaka から in the center of Osakaに。

(4) primary school がelementary schoolに。

(5) 大阪都市圏が,metropolitan Osaka から the Osaka metropolitan area に。

図:DeepLのロゴ(DeepLから引用)

*注:1/27/2023 DeepLは韓国語に対応した。31言語とはどれのことかな?(イタリア語,インドネシア語,ウクライナ語,エストニア語,オランダ語,ギリシャ語,スウェーデン語,スペイン語,スロバキア語,スロベニア語,チェコ語,デンマーク語,ドイツ語,トルコ語,ノルウェー語,ハンガリー語,フィンランド語,フランス語,ブルガリア語,ポーランド語,ポルトガル語,ラトビア語,リトアニア語,ルーマニア語,ロシア語,英語,韓国語,中国語,日本語)