いろはにほへとちりぬるをわがよたらそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす
芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を発表して百年。高二の秋の文化祭,クラスの仮装行列のテーマが 蜘蛛の糸だった。お釈迦様の極楽タワーの竹を近所から切り出し,地獄の焔と煙の絵を描いた。犍陀多に続いて蜘蛛の糸(登山部の赤いザイル)に群がる地獄の亡者だったころ。
2024年11月23日土曜日
いろは札
2024年11月19日火曜日
仮名手本忠臣蔵(第二部)
Q(koshix):文楽の仮名手本忠臣蔵の七段目祇園一力茶屋の段で質問があります。おかるが由良之助から身請け話を出された後で,由良之助が引っ込んだ後,なにやら書状に書き物をしています。そこに兄の寺坂平右衛門がくるのですが,おかるは誰宛に何を書いていたのですか。A(CHatGPT-4o):文楽『仮名手本忠臣蔵』七段目「祇園一力茶屋の段」において、おかるが由良之助から身請けの話をされた後のシーンについてお答えします。おかるが書状を書いている場面は、彼女の心情や立場を表現する重要な場面です。この書状の内容と宛先は作品の解釈による部分もありますが、以下のように考えられています:宛先:おかるが書いていた書状の宛先は、一般的な解釈では彼女の母親または家族であるとされています。これは、身請け話を受けて、家族に自分の気持ちや状況を伝えようとする意図があるからです。内容:書状の内容については具体的な台詞で明かされるわけではありませんが、由良之助の身請けの提案についての自身の心情や、今後の自分の運命についての思いが書かれていると考えられます。また、家族への感謝や別れの言葉が含まれている可能性もあります。この後、兄の寺坂平右衛門が登場することで、おかるが置かれた状況がさらに劇的になります。寺坂の登場により、忠臣蔵全体の筋書きにおける陰謀や義士の計画が絡み合い、この場面が一層緊張感を増す構造になっています。作品の詳細な解釈については、上演時の演出や注釈書による違いがあるかもしれませんが、家族に宛てた書状という解釈が一般的です。
2024年11月11日月曜日
仮名手本忠臣蔵(第一部)
2012年/2019年/2024年の仮名手本忠臣蔵の通し狂言大序○○○鶴が岡兜改めの段(25分/24分/23分)○○○恋歌の段(12分/13分/11分)二段目×○○桃井館力弥使者の段(_/23分/22分)○○○本蔵松切の段(18分/18分/17分)三段目○○○下馬先進物の段(20分/20分/19分)○○○腰元おかる文使いの段(14分/14分/14分)○○○殿中刃傷の段(28分/28分/30分)○○○裏門の段(16分/15分/14分)四段目○○○花籠の段(17分/17分/16分)○○○塩谷判官切腹の段(53分/49分/46分)○○○城明渡しの段(8分/7分/8分)五段目○○○山崎街道出合の段(15分/16分/15分)○○○二つ玉の段(20分/17分/18分)六段目○○○身売りの段(27分/25分/26分)○○○早野勘平腹切の段(47分/45分/41分)七段目○○○祇園一力茶屋の段(85分/93分/87分)八段目○○○道行旅路の嫁入(33分/34分/**分)九段目○○○雪転しの段(15分/14分/**分)○○○山科閑居の段(96分/97分/**分)十段目×○×天河屋の段(_/68分/_)十一段目・大詰○××花水橋引揚の段(11分/_/_)×○×花水橋引揚より光明寺焼香の段(_/23分/_)
2024年10月27日日曜日
文楽のつどい
2024年4月11日木曜日
和田合戦女舞鶴
2024年2月14日水曜日
曾根崎心中
文楽の曾根崎心中は何度か観ているが,歌舞伎では初めてだった。
この世の名残り」夜も名残り。死に行く身を」たとふれば」あだしが原の」道の霜。一足づつに」消えて行く」夢の夢こそ」哀れなれ。あれ数ふれば」暁の」七つの時が」六つ鳴りて」残る一つが」今生の」鐘の響きの」聞き納め。寂滅為楽と」響くなり。鐘ばかりかは」草も木も」空も名残りと」見上ぐれば」雲心なき」水の面」北斗は冴えて」影うつる」星の妹背の」天の河。梅田の橋を」鵲の」橋と契りて」いつまでも」われとそなたは」女夫星。必ず添ふと」すがり寄り」二人がなかに」降る涙」河の水嵩も」勝るべし。
竹本住太夫が,近松は五七調からズレるのがあまり好きじゃないといっていたが, この冒頭の部分だとずれているのは一箇所だけだ。
2024年1月12日金曜日
伽蘿先代萩
国立文楽劇場の初春文楽公演(第173回)は,第1部が七福神宝の入舩と近頃河原の達引,第2部が伽羅先代萩,第3部が平家女護島と伊達娘恋緋鹿子で,第2部を観劇した。
今年から新年の鏡割りが再開されていたようだ。行ったのは晴の平日でそこまで冷え込んではいなかったが,第2部の観客の入りは4割弱というところか。外国人の姿が目に付いたが,お客さんの多くは日本人の女性高齢者である。
前回良かった芳穂太夫と錦糸の竹の間の段から始まる。悪役八汐が登場してからの場面で寝てしまったので,話の重要なポイントがわからなくなった。御殿の段は千歳太夫と富助だ。千歳大夫は昔のパターンに戻ったようで,どうも政岡の表現には合わないなあとつらつら考えているうちに再び眠りに落ちてしまった。
そうです,この茶道具による飯炊き(ままたき)の場面が第2部のクライマックスなのだけれど,それを見逃してしまった。昔,住太夫のままたきを見たときもかなり気合いを入れていたが,やはり途中から眠くなってしまったのだった。
調べてみると,住太夫の御殿の段は2010年の初春公演だった。奥の政岡忠義の段は津駒太夫。文楽を見始めてまだ間もない頃である。そんなこともあってかなり集中してみていたが,最後のなぎなたを持って見得を切る場面がすごく印象的だった。今回は視角がちがうので,ちょっと記憶とは合わない。
政岡忠義の段は呂勢太夫と清治で,いつもはここで寝ている。今回は千松が八汐に殺され,政岡が嘆き,八汐へ復讐を果たすという緊迫の場面の連続であり,呂勢太夫も気合いが入っていてたいへんよかった。
今回,最後の床下の段が追加されている。三味線の団吾休演の代役だった燕二郎がよかった。簑紫郎と玉勢が交替で,松ヶ枝節之助と貝田勘解由を演じている。そもそも大鼠は着ぐるみで演じられているとか,途中で鳴り物も太夫も三味線もない無音の時間が長く続くとか,せり上がる貝田勘解由には足がなく人形遣いも下駄を履いていないようだとか,なんだかよくわからないことが多い段なのであった。
2023年11月27日月曜日
奥州安達原
妹背山婦女庭訓(2)からの続き
国立文楽劇場の11月文楽公演(第172回)は,第2部の奥州安達原を観た。第1部は双蝶々曲輪日記と面売り,第3部は冥途の飛脚という演目。
奥州安達原を調べてみると,10年前の2013年11月に観ている。今回に加えて,道行千里の岩田帯,一つ家の段,谷底の段が上演されていて,一つ家の段と谷底の段の安達ケ原の鬼婆がでてくる怖い話のところが印象に残った。記憶の中では袖萩祭文が安達ケ原で行われたような錯覚に陥っているが,そんなことはありません。
今回は,朱雀堤の段と環の宮明御殿の段(敷妙使者の段,矢の根の段,袖萩祭文の段,貞任物語の段)なので,舞台は京都なのだった。出語り床の真ん前の席で,三味線の手も太夫の汗もよく見え,太棹の強いバチさばきが体に伝わるのだが,舞台の下手の方が遠いので肝腎の袖萩祭文の動き(和生・勘次郎)がよくわからない。
今回は,芳穂太夫・錦糸組ががんばっていた。呂勢太夫・清治の袖萩祭文から錣太夫・宗助の貞任物語もなかなかよかった。ところが,ストーリーが追いきれないので,平傔仗直方がなぜ切腹するのかがいまいち納得できないまま物語が急展開していくのだった。
休日で,阪神タイガースとオリックスバッファローズの優勝記念パレードの日だった。天気も良くて,人出は多かったのだが,文楽劇場の第2部の入りは40%ぐらいだった。大丈夫かな。
2023年7月26日水曜日
妹背山婦女庭訓(2)
2023年4月21日金曜日
妹背山婦女庭訓(1)
2023年3月20日月曜日
大江健三郎
2023年1月15日日曜日
壇浦兜軍記
2023年1月14日土曜日
傾城恋飛脚
2022年11月12日土曜日
一谷嫩軍記
2022年11月3日木曜日
團十郎への道
2022年5月18日水曜日
堀河夜討
NHKの大河ドラマ「 鎌倉殿の13人」は,平家が滅亡して義経が追われる段階に入ってきた。
人形浄瑠璃や歌舞伎の演目と重なるところが多いのでたいへん勉強になる。「義経千本桜」をはじめとして,「ひらかな盛衰記」「一谷嫩軍記」「源平布引滝」「近江源氏先陣館」「鬼一法眼三略巻」「鎌倉三代記」「梶原平三誉石切」「御所桜堀河夜討」などがこのテーマに関連した主な作品であり,文楽劇場でも何度か観ている。
今回は,1185年に頼朝の命を受けた土佐坊昌俊が,京都の六条堀河邸または六条室町亭にいる源義経を夜討するという史実に基づいた話だったが,ドラマでは義経の正妻の郷御前(三浦透子)がからむということになっていた。これが,浄瑠璃作品になると,平時忠の娘が正妻の郷の君になって,弁慶の隠し子が出てくるとか,もっと話がややこしくなったりするわけだ。
2022年4月21日木曜日
渦 妹背山婦女庭訓 魂結び:大島真寿美
最近,読書のスピードが極めて遅くなっている。本日,ようやく大島真寿美の「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」を読了した。2019年の第161回直木賞受賞作品だ。
もうすこし,重くて硬い作品かと予想して読みはじめると,意外に軽い文章だったので,始めのうちは少し慣れなかった。やがて,近松半二の物語についていくことができるようになった。この作品は操り浄瑠璃の竹本座の座付作者である近松半二(1725-1783)をテーマに選んだところが鍵だったと思う。
物語としては,やや物足りなかった。250年前に近松半二は,日高川入相花王(1759),奥州安達原(1762),本朝廿四孝(1766),傾城阿波の鳴門(1768),近江源氏先陣館(1769),妹背山婦女庭訓(1771),新版歌祭文(1780),伊賀越道中双六(1783)と,現在でも頻繁に上演されている,三大名作と近松の世話物以外の主要な浄瑠璃を次々と産み出した。それにも関わらず,操り浄瑠璃が歌舞伎に破れていくところが最も印象に残ったところだ。
もう一つは,妹背山婦女庭訓の主要登場人物のお三輪をふくめて,登場する女性陣がしなやかな強さをもっているところか。半二の妻はお佐久で,娘はおきみなのだが,これがどのようにして伊賀越道中双六の作者として名を連ねた近松加作につながっていくのかいかないのかは,次作の「結 妹背山婦女庭訓 波模様」を待たなければならないのか。
岡本綺堂の戯曲「近松半二の死」は青空文庫でも読める小編だが,そこでは祇園町の娘お作が加作につながることが暗示されている。
2022年4月13日水曜日
摂州合邦辻
国立文楽劇場の四月文楽公演には,豊竹咲太夫文化功労者顕彰記念・文楽座命名150年のタイトルがついていた。第一部が義経千本桜,第二部が摂州合邦辻,第三部が嬢景清八嶋日記と契情倭荘子だ。コロナ流行が始まってからは,以前のような三部通しの観劇がしんどいので,今回は第二部を見ることに。
住吉大社,万代池や天王寺界隈が舞台である摂州合邦辻。その万代池の段は,三輪太夫,希太夫,南都太夫,津國太夫,咲寿太夫,清友が並ぶ。公演記録の録画カメラが入っていたので,皆さん気合が入っていたようだ。最後に,吉田玉也の合邦道心によって,高安次郎丸の鬼若が,万代池に投げ込まれるのだが,池から可愛らしい顔を覗かせながら幕となる。
合邦住家の段は,中:睦太夫・清馗,前:呂勢太夫・清治,切:呂太夫・清介だった。今日は睦太夫が良かったと,家人と意見が一致した。声もはっきりと大きく変な癖がない。呂勢太夫と清治のコンビはうまいのだろうが,どうも自分にはピンとこない。一番良かったのは,呂太夫と清介だった。三味線の迫力やテクニックもすごくて(三の糸が切れた?),呂太夫も清介も熱演だった。
後半の玉手御前と浅香姫の激しいバトルでのキックには思わず笑ってしまった。この段は何度か見ているはずだけれど,百万遍の大数珠のイメージはすっかり消えていた。奴入平の吉田玉勢が,玉手御前の肝を取り出すのをビビって拒む当たりも面白い。
物語では,寅年,寅の月,寅の日,寅の刻に生まれた女の生肝の血が俊徳丸の毒を消すための薬になるという設定になっている。今年は寅年である。寅の月は旧暦の正月であり,2022年では,2月4日から3月4日までだ。寅の日は,12日ごとに巡ってきて,この度では,2月6日(日),2月18日(金),3月2日(水)。寅の刻は,24時間を12で割った3番目なので,午前3時から5時となる。
2022年1月7日金曜日
絵本太功記
昨日は授業がなかったので(曜日振り替えの日),国立文楽劇場の初春文楽公演(文楽座命名150年)の第二部「絵本太功記」を見に行った。
最近は,コロナ対策のため上演時間を短くした三部制となっている。パンフレットにある竹澤宗助の談によれば,演者は自分の舞台が終わるとすぐ帰ることになっていて,先輩の舞台を見て勉強する機会が減っているとのこと。
実際,第二部は14:15から16:40までの2時間半弱とかなり短くなっている。2011年の夏休み特別公演では,「二条城配膳の段」「千本通光秀館の段」「妙心寺の段」「夕顔棚の段」「尼ヶ崎の段」で3時間50分あったのに。それでも,午前中から久々に大阪に出てデパート巡り(といってもなんばの高島屋だけなのだが)をして疲れていたので,早々に寝てしまう始末だった。
今回は,「二条城配膳の段(太夫5名−勝平)」と「夕顔棚の段(藤大夫−團七)」と「尼ヶ崎の段(呂勢太夫−清治,呂太夫−清介)」という配役だった。そうか,咲寿太夫が森蘭丸だったのか,その辺は夢の中でよくわかっていなかった。最後の呂太夫−清介でようやく目覚めることができた。
今日は,呂太夫も声がでていたし,清介は太棹三味線の糸を切る迫力だったのでなかなかよかった。「夕顔棚のこなたよりあらわれ出でたる武智光秀」で有名な尼崎の段は,以前,清介が素人向けの浄瑠璃教室の練習テーマにとりあげてやっているのをネットで見たことがある。ただ,この物語はどうにも感情移入しにくくて苦手である。
2021年12月14日火曜日
中村仲蔵
さて今日は12月14日。元禄15年12月14日(1703年1月30日)に赤穂四十七士が吉良上野介邸に討ち入りした日を記念し,兵庫県赤穂市の赤穂大石神社では赤穂義士祭が行われる。昨年はコロナ感染症蔓延のため中止されたが,今年は規模縮小の上2年ぶりの開催となった。
俳句の春の季語にも義士祭というのがある,こちらの方は赤穂浪士の墓がある東京都港区高輪の泉岳寺で4月1日から7日まで行われるので春の季語になっている。赤穂浪士がそれぞれの大名屋敷で切腹させられたのは,元禄16年2月4日(1703年3月20日)なので,そのへんからきているのかもしれない。なお,泉岳寺義士祭は12月14日にも行われている。
この赤穂事件から45年後の寛延元年8月14日(1748年9月6日)に,人形浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵が大阪の竹本座で初演された。その五段目の話である中村仲蔵を初めて聞いたのは,立川志の輔の落語だった。忠臣蔵や歌舞伎の解説から入って,グングンと引き込まれる話だった。神田伯山の講談(張り扇がうるさい)はネット上に映像があるが,志の輔の方は残念ながら見当たらなかった。
その中村仲蔵の話が,NHKで忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段(なかむらなかぞう しゅっせのきざはし,外題は奇数でないと・・・)として2週に渡ってドラマ化されていた。主演は六代目中村勘九郎だ。先代の勘九郎はNHKの大河ドラマ元禄繚乱で大石内蔵助だったが,これは見ていなかった。
NHKのドラマはなかなか豪華なメンバーで面白かった。そうそう,上白石萌音の三味線も良かった。それでも志の輔の落語の方が印象的だったかもしれない。