2024年11月19日火曜日

仮名手本忠臣蔵(第二部)

仮名手本忠臣蔵(第一部)からの続き

国立文楽劇場の11月文楽公演で仮名手本忠臣蔵の大序から七段目まで上演しているのは,前回紹介した通りだ。第一部の大序から四段目まで見た日,いつもの幕見席以外に当日指定席というのを半額程度で設定しているのに気づいた。よほど客の入りが悪いのかもしれないという説が出たので,第二部も行こうとなった。ちょうど,先月の文楽の集いで織太夫から七段目の演出についての紹介があったところだ。正月には続きの八段目九段目もあり,全段コンプリートできる。それはそれでよし。

四時から始まった第二部の最初は靭猿だ。これは昼寝の時間に当てることにして,本編に集中する。山崎街道出会いの段は若手の竹本碩太夫(千歳太夫の弟子)と鶴澤寛太郎(寛治の孫)コンビでなかなか良かったのではないか。次の二つ玉の段は,御簾内から聞こえる胡弓とその後の三味線が哀愁をさそう。よく知らない鶴澤清方の担当だ。三味線の物悲しい音がほとんど動いていない団七の手元から響くのかとびっくりしたけどそうではなかった。勘市の与市兵衛と玉勢の斧定九郎もいい感じ。この二人は昔近鉄の仕立てた文楽電車で奈良の文楽名所巡りをしたときにいっしょに参加していたので親近感がある。

早野勘平腹切りの段は,錣太夫と宗助。あいかわらず宗助の三味線はうまい。予習であらすじを理解していたけれど,与市兵衛の死骸を誰が持ってくるのかとか,斧定九郎との関係をどうやって説明するのかとか,疑問点はスイスイと解決して結論に導かれていった。

いよいよ七段目の祇園一力茶屋の段。最初に昼寝したおかげで,今夜は全編ついていくことができた。寺坂平右衛門の竹本織太夫が,舞台下手で見台も床本もなしで語る理由を説明している。顔世御前から大星由良之助にあてた手紙を手鏡で見てしまったおかるだが,昭和30年の古いNHK録画DVDでは,梯子を降りる前後で吉田文五郎から桐竹亀松に交替していた。今回は吉田一輔が一人でがんばっている。おかるが兄の寺坂平右衛門に気づく前にしたためていた手紙の説明がないので,ChatGPTに聞いてみたところ,どうやら家族宛の文らしい。ほんとかな。
Q(koshix):
文楽の仮名手本忠臣蔵の七段目祇園一力茶屋の段で質問があります。
おかるが由良之助から身請け話を出された後で,由良之助が引っ込んだ後,なにやら書状に書き物をしています。そこに兄の寺坂平右衛門がくるのですが,おかるは誰宛に何を書いていたのですか。

A(CHatGPT-4o):
文楽『仮名手本忠臣蔵』七段目「祇園一力茶屋の段」において、おかるが由良之助から身請けの話をされた後のシーンについてお答えします。

おかるが書状を書いている場面は、彼女の心情や立場を表現する重要な場面です。この書状の内容と宛先は作品の解釈による部分もありますが、以下のように考えられています:

宛先:おかるが書いていた書状の宛先は、一般的な解釈では彼女の母親または家族であるとされています。これは、身請け話を受けて、家族に自分の気持ちや状況を伝えようとする意図があるからです。
内容:書状の内容については具体的な台詞で明かされるわけではありませんが、由良之助の身請けの提案についての自身の心情や、今後の自分の運命についての思いが書かれていると考えられます。また、家族への感謝や別れの言葉が含まれている可能性もあります。
この後、兄の寺坂平右衛門が登場することで、おかるが置かれた状況がさらに劇的になります。寺坂の登場により、忠臣蔵全体の筋書きにおける陰謀や義士の計画が絡み合い、この場面が一層緊張感を増す構造になっています。

作品の詳細な解釈については、上演時の演出や注釈書による違いがあるかもしれませんが、家族に宛てた書状という解釈が一般的です。
あと,今回気になった点三つ。

おかると由良之助のからみのところで,斧九太夫の主遣いの桐竹勘壽がこそこそと帰っていった。あれ,九太夫はまだ縁の下に潜んでいるはずなのにどうするのと思っていたら,最後に由良之助に刺されたあとは九太夫は二人遣いのままで,平右衛門に担がれて終幕となった。なかなか珍しいパターンだ。

もう一つは,おかるが斧九太夫を討取るのかと見ていたら,由良之助が自身で畳の下の九太夫を刀で刺していた。おかるはその横にいたのだろうか。由良之助が自分で刺したらまずくないか?となってしまった(昭和30年のビデオではおかるの刀を由良之助が添えるのがはっきりとわかる)。単に自分が見逃しているだけかもしれない。

最後に,兄の平右衛門がおかるに勘平の切腹を告げた後,動転して気を失うおかるにひしゃくで水を飲ませるのだけれど,平右衛門が一口目を自分で呑んでしまうというチャリ場的な演出が入っていて,それはそれでおもしろいのだけれど,ええっ!となってしまった。さすがに,昭和30年の吉田玉男はそうではなかった。



写真:国立文楽劇場のチラシから引用


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