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2024年12月8日日曜日

クロスウェイなかまち

このあたりには道の駅がたくさんある。奈良県全体でも17ヶ所。メジャーなのは,名阪国道の針インターに併設されている針T・R・S(針テラス)であり,最も新しいのが,奈良市に先週オープンしたクロスウェイなかまちだ。

クロスウェイなかまちは,奈良県道7号線と第二阪奈道路(中町ランプ)の交わるところの南西角にある。その東隣にはイオンタウン富雄南が,南西隣には富雄丸山古墳(4世紀後半)がある。この古墳からは,237cmもある国内最大の蛇行剣と過去に類例の無い鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡が最近発掘されている。

平日なのでそこまで混んでいないかと思いきや,11月30日から12月15日までは開駅記念フェアが開催中だからか,駐車場はほとんどいっぱいだった。ドッグランが併設されているので犬連れの家族がたくさん集結していた。店内は旬の駅が運営していて,それほど目新しいものもないのだ。もっとも,1/4スケールの蛇行剣ポップコーンが販売されていた。レストランは行列ができていたのでこれはパス。

天理市内には,山の辺の道沿いのなら歴史芸術文化村に併設された道の駅がある。また自宅から最も近いのは,国道24号線沿いにある鍵・唐古遺跡史跡公園西隣のレスティ鍵・唐古という道の駅だ。まあ,道の駅ばかり集めても何かもらえるわけではない。



写真:クロスウェイなかまちからの帰り方(2024.12.6撮影)

家に帰ると,襟巻きがみあたらない。どこで落としたか一生懸命思い出すが全く心当たりがない。結局,クロスウェイなかまちに電話してみたところ,届けられていることがわかった。襟巻きを紛失したのは5年ぶり2回目だ。大丈夫か。

2024年9月28日土曜日

宮越家花鳥図

宮腰からの続き

以前,宮腰(金沢市金石)と勘違いしてしまった,青森県中泊町の旧家宮越家の話題がまた登場していた。宮越家の離れ詩夢庵にあった狩野派の襖絵(伝狩野山楽筆)が,実は,大英博物館に所蔵されている秋冬花鳥図(17世紀狩野派)と対になる春夏花鳥図である可能性が非常に高いことが判明したというものだ。

大英博物館によれば,秋冬花鳥図の裏書に,大和の談山神社の近くの地名が記されていて,これらの対となる襖絵は元来談山神社に所蔵されていたと推定されている。大英博物館の秋冬花鳥図は,2018年に,キヤノンの綴りプロジェクトによって高精細複製品が制作された。そして,談山神社に里帰り奉納されて常設展示されることになる。ところがですね,肝腎の談山神社のホームページをみると,一瞬その写真がみえるだけで,まったく説明も案内も宣伝もされていないのであった。しっかりしてよね。

奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある談山神社(たんざんじんじゃ)は,中臣鎌足と中大兄皇子が乙巳の変の謀議を図ったところということで有名だ。2回ほど訪れたことがある。何かの行事で蹴鞠やってたかな。


写真:宮越家詩夢庵の春夏花鳥図(日本経済新聞から引用)


2024年9月23日月曜日

梨園

奈良県の大淀町,近鉄吉野線の大阿太駅の北側には,大阿太高原といって果樹園や観光農園が広がっている。この季節ならば梨園だ。家からは明日香村経由で車で小一時間のところにある。

ChatGPTに教えてもらった龍水園は今の時期二十世紀しかなく,百華園はネット販売が中心なのかお客さんがみあたらない。にぎわっているのは梨狩りができる観光農園だけれども,食べ放題とかいわれても老人にはちょっとしんどい。

さて,歌舞伎の世界を梨園というのはどうしてだろうかという問題が発生したので,早速帰ってからWikipediaで調べて見た。
梨園(りえん)とは中国・唐の宮廷音楽家養成所である。日本では転じて、一般社会の常識とかけ離れた封建・特殊社会として、かつての歌舞伎俳優の社会を差別的に表す。(Wikipedia)

由来:語の由来は、唐の玄宗の初年(712年)に、唐都長安西北郊の西内苑内で、芸人達を梨が植えられている梨園と称される庭園に集め、音楽教習府と呼ばれる施設で芸を磨いたことに始まる。 (Wikipedia)

そうなのか。由来についてはよく理解できた。ただ,最近の週刊誌記事を見ている限りは,差別的な表現とまでは思われなかったけれど・・・昔はそんな使われ方をしていたのだろうか。


写真:梨園の二十世紀?(なら旅ネットから引用)

2024年9月5日木曜日

運転免許更新

高齢者講習からの続き

運転免許証更新の誕生日が近づいてきたので,奈良県運転免許センターに向かった。次回の為に今回の手順を参考に書いておく。8:50ごろにはすべての手続きが完了していた。

(0) 高齢者に必要な必要な持ち物は,運転免許証,更新通知はがき,更新手数料(2500円),高齢者講習終了証明証 である。
(1) 朝7時に家を出ないと運転免許センターに8時に到着しない。受付は8時30分から。
(2) 久しぶりにラッシュ時の近鉄電車に乗るといろいろと不慣れで降りそびれそうになる。
(3) 新ノ口から免許センターまで歩く距離が昔より長く感じるようになった。色々不安。
(4) 8時に到着すると玄関の外に行列ができていた。
(5) 8時15分ごろから,持ち物確認をされて,建物内の行列に移動。5年前は,70歳以上の高齢者とそれ以外の2つの待ち行列があったはずなのだが,今回は一本化されている。ここにずっと立って待つ必要があるのか・・・,将来は携帯椅子が必須になりそう。
(6) 8時20分ごろから,順に受付機に免許証を通して4桁新規パスワード×2を設定する。このパスワードに何の意味があるのかが今一つよくわからない。
(7) 受付機前の窓口で名前を呼ばれ申請書類とチェックリストが渡される。申請書類は電話番号を記入するだけ。チェックリストは運転に支障がないかどうかの項目が数個並んでいる。
(8) 記入台で上記の書類に書き込むと,手数料を払う窓口への一元化された行列に誘導される。10年前は,いきなりこの行列に並列で適当に並んでいたので,進歩したかもしれない。
(9) 窓口の交通安全協会の説明をクリアして,手数料を現金で支払うと,証紙が貼られた書類が渡される。15年前は,これを自分で紙に貼っていたような気がする。進歩している。
(10) 書類を抱えたまま視力検査,右,左,両眼いずれも眼鏡有りでOKだった。
(11) 最後の書類確認窓口へいって,旧い免許証を提出する。住所変更なしの確認。
(12) 免許証用の写真撮影場所へいって,写真撮影。昔は犯罪者のような顔になったものだが,最近は寝ぼけた老人顔になってしまった。
(13) 高齢者講習が終っているため本日の講習はなくて,ちょっと待っただけ(高齢者5番)で新しい免許証がもらえた。ゴールドでない人は色々注意されていたようだ。

図:奈良県運転免許センターの受付案内図

70歳〜71歳なので,次回は4年後の2028年になる。高齢者は分離され,9:00受付になるようだ。次は75歳の誕生日なので,認知機能検査と運転技能検査が待っているかもしれない。それともグダグダのマイナンバーカードに飲み込まれてもっとややこしいことになるのだろうか。

[1]運転免許証更新の流れ(これは5年前の写真だろう)

2024年8月20日火曜日

橿原市昆虫館

夏休みのイベントです。橿原市昆虫館を30年ぶりに訪れた。

ゴキブリの飼育と放蝶温室で有名だった。今もその部分は申し分なかった。しかし,いかんせん設置後35年も経つと,施設や展示の旧さが目に付くようになってしまう。いまどきの博物館はより洗練された展示方法をとっている。

それでも,新館の特別生態展示コーナーで,学芸員の方が蝶の飼育方法やマダガスカルゴキブリを手に乗せて説明してくれるところは,非常に興味深かった。まあ,隣に展示されていたカメとスッポンと金魚の関連性については若干問題があったかもしれない。

放蝶温室のオオゴマダラやツマムラサキアゲハは,温室で回収した卵を別の飼育環境に移動して,一匹ずつ幼虫から蛹に育てて,温室に返すという手間のかかる作業をされているとのことだった。放蝶温室を最初に見学したのは,池田市に住んでいた40年前に訪れた伊丹市昆虫館だった。

せっかくの昆虫館なので,既存展示のリニューアルとか,博物館グッズコーナーの充実などをすればよいのだろうけれど,予算は限られている。維新県政では,県の支援も絶対無理だろう。日本全国何処も貧すれば鈍す状態を着々と進んでいる。



写真:橿原市昆虫館の放蝶温室(2024.8.20撮影)

2024年8月16日金曜日

大仏鉄道

天理軽便鉄道からの続き

奈良市内をクルマで回ると,大仏鉄道記念公園という大仏駅の跡地を通ることがある。

大仏駅は,1898年(明治31年)に,当時の関西鉄道の加茂駅−大仏駅の終着駅として設置された。次の年には奈良駅までつながるのだが,関西鉄道が奈良鉄道を買収して木津経由路線を確立すると,1907年(明治40年)には大仏線は廃止されてしまった。

学研都市の木津や平城山あたりやをクルマで通るときにも遺構がちらほら見られる。


図:運行わずか9年の幻の鉄道(たびよみから引用)

[1]大仏鉄道研究会(WebArchive)
[4]大仏鉄道(近代化遺産ある記)

2024年8月15日木曜日

天理軽便鉄道

夕方のテレビに近所の様子が映っているとの連絡で早速チャンネルを変えた。

ファミリー公園近鉄平端駅の辺りで,リポータがモチャモチャしていた。テーマは,天理軽便鉄道の跡地めぐりだった。法隆寺の近くにある木戸池の中央には軽便鉄道の跡を示す堰堤が残っている。

天理軽便鉄道は,JRの法隆寺駅近辺から,JRの天理駅までを結んだ狭軌ガソリン車による軽便鉄道である。1915年(大正4年)に開業した。新法隆寺−安堵−額田部−二階堂−前栽−天理の駅が設けられた。1922年(大正11年)には,天理軽便鉄道は廃止されて大阪電気軌道に移管,平端駅−天理駅間が広軌電化された。残る新法隆寺駅−平端駅間は,1945年(昭和20年)に運転中止その後廃止された。

天理教の勢力拡大に伴う大正普請で,多くの人の流れが発生したが,当時は大阪湊町駅−奈良駅−丹波市(天理)駅と,2時間半もかかっていた。そこで法隆寺駅で降りて天理まで歩く信者が多かったため,この軽便鉄道の敷設に至った。ところが,いざ開通してみるとそれほど利用者は多くない。帰りはみな別コースで奈良見物などをしたものだから,採算はとれなかったようだ。

うちの最寄り駅の近鉄天理線二階堂駅はその時代からあるわけだ。


図:天理軽便鉄道の路線図(奈良県立図書情報館から引用)

[1]天理軽便鉄道(奈良県立図書情報館)
[2]天理軽便鉄道(近代化遺産ある記)
[3]天理教と軽便鉄道(田舎暮らしdeほっ)
[4]天理軽便鉄道法隆寺線(廃線探索写真集)
[5]天理軽便鉄道の廃線跡(セピア色の線路)


2024年7月24日水曜日

植物標本廃棄事件

Perplexity PRO に概要を調べさせ,得られた結果と奈良植物研究会の要望書を,Claude 3.5 Sonnet に与えてブログ記事としてまとめるように指示した結果が,つぎのとおり。

奈良県立大学による貴重な植物標本廃棄事件:1万点の学術資料喪失の経緯と影響

はじめに
2024年3月、奈良県立大学が預かっていた約1万点の貴重な植物標本(通称:岩田コレクション)を誤って廃棄したという衝撃的な事実が明らかになりました。この事件は、学術資料の管理の重要性と、適切な引き継ぎの必要性を改めて浮き彫りにしました。本記事では、この事件の経緯、関係者の反応、そして今後の課題について詳しく見ていきます。

岩田コレクションとは
岩田コレクションは、故岩田重夫氏が収集した植物標本群で、奈良県内外で採集された約1万点(奈良県内7,344点、県外2,732点)の標本から成る貴重な学術資料です。2001年に「県立自然博物館をつくる会」を通じて奈良県に寄贈されました。

寄贈の経緯と協定内容
1.1991年から奈良植物研究会と「県立自然博物館をつくる会」が自然史博物館設立を目指して活動
2.1998年に奈良県が貴重なコレクションの保管施設を検討する意向を示す
3.1999年4月15日、県が「貴重な標本を受贈する場合の基本的な考え方」を提示
4.2000年8月から2001年2月にかけて、奈良植物研究会の会員が標本の整理と台帳作成を実施
5.2001年6月29日、「県立自然博物館をつくる会」から奈良県へ正式に寄贈
6.2001年8月13日、奈良県立大学の標本庫に搬入・配架

寄贈時に交わされた覚書には、以下の重要な点が記されていました:

第1条 標本については、その学術用研究財産としての重要性を踏まえ、散逸等を防止するために、乙(県立自然博物館をつくる会会長 菅沼孝之)が甲(奈良県)に寄贈し、甲が現状のまま保管・管理する。

廃棄の経緯
2024年3月21日、岩田コレクションが廃棄されたことが判明しました。廃棄に至った主な原因は以下の通りです:

1.建物の取り壊し:標本が保管されていた建物の取り壊しに伴い、職員が不要物品の整理を行った
2.所有者不明:標本が新聞紙に包まれていたため、担当者はその学術的価値に気づかず、所有者不明として産業廃棄物として処分
3.引き継ぎの不備:担当者間での引き継ぎが不十分で、標本の価値や管理の重要性が適切に伝達されていなかった

関係者の反応と対応
奈良植物研究会
奈良植物研究会は、2024年7月19日付で奈良県知事宛に要望書を提出し、以下の点を強く求めました:

1.岩田コレクション受け入れに関する奈良県の認識と経緯の説明
2.岩田コレクション廃棄に至った経緯の説明
3.今回の事実に対する奈良県としての対応
4.自然史資料の散逸を防ぎ、自然史研究・教育に資する体制の創設に向けた取り組みの推進
上記4点に関する30日以内の回答

要望書では、この事件を「断じて許されない行為」「奈良県における郷土の自然史資料の散逸を防ぎ自然史研究・教育を推進しようとする当会の願いに反する誠に遺憾な行為」と強く非難しています。

奈良県立大学
尾久土正己学長が会見で謝罪し、再発防止策として重要な資料の確認と引き継ぎの徹底を約束しました。

事件の影響と今後の課題

1.学術的損失:過去に採集された標本の中には、現在その採集地で確認できないものも含まれており、二度と採集することができない貴重な資料が失われました。
2.自然史研究への影響:奈良県、ひいては日本の植物学における大きな損失となりました。
3.資料管理の重要性:学術資料の適切な管理と引き継ぎの重要性が改めて認識されました。
4.自然史博物館の必要性:自然史資料を適切に保管・管理するための専門施設の必要性が浮き彫りになりました。

おわりに
この事件は、学術資料の管理における責任の重さと、適切な引き継ぎの重要性を改めて示しました。今後、奈良県および関係機関が、この教訓を活かし、貴重な自然史資料の保護と活用に向けた取り組みを強化することが期待されます。同時に、この事件を契機に、全国の研究機関や自治体が所有する学術資料の管理体制を見直すきっかけとなることも望まれます。
奈良県は,維新の山下知事のせいで,奈良県立民俗博物館の資料の行方にも暗雲が立ちこめている。日本全国貧すれば鈍する状態だ。そういえば,大阪教育大学にも植物標本資料があって実験準備室に保管されていたけれど,大丈夫だろうか。

この4月に就任したばかりの奈良県立大学の尾久土正己学長(大阪教育大学出身)は,前任者の尻拭いでたいへんなことだ。そもそもこの資料が廃棄された2023年の10月は,前期のNHK朝ドラ「らんまん」が放映されたすぐ後なので,植物標本に関する重要性を認識できなかったのかという意見も巷にはみられた。


写真:搬入時の岩田コレクションの一部(朝日新聞から引用)


2024年7月2日火曜日

金魚三百年

金魚伝来300年というキャッチフレーズが飛び込んできた。金魚伝来からたった300年なのか?300年前は1724年,徳川吉宗の時代だ。Wikipediaのキンギョにもう少し詳しい説明があった。

Chat GPT-4oにWikipediaのテキストを入れてまとめさせると,次のような無味乾燥の結果が得られた。
中国
・発祥と歴史: 金魚の発祥は浙江省近辺で、南北朝時代に飼育が始まった。宋代に養殖が盛んになり、明代には品種が増えた。
・文化大革命の影響: 文化大革命で「旧文化」として非難され、生産・流通が壊滅状態に。1978年の日中平和友好条約後、日本の協力で復興が始まった。
・現状: 改革開放政策後に庶民にも普及し、現在は輸出品として政府の支援を受けている。
日本
・伝来と初期の飼育: 室町時代に中国から伝来。江戸時代に大々的に養殖が始まり、江戸中期には庶民の愛玩物として広まった。
・庶民への普及: 江戸時代後期に大量生産が確立し、庶民に普及。品評会や飼育用具も充実した。
・現代の状況: 各地に養殖産地があり、愛知県(弥富市)、奈良県(大和郡山市)、東京都(江戸川区)の三大養殖地が有名。2022年にはアートアクアリウム美術館が銀座に移転している。

どこが300年なのか。 

Perplexityに尋ねると,その情報源はやはりほとんどWikipediaなのだけれど次のようになる。

Q(koshix):江戸時代の日本に金魚が伝来してその飼育が普及するにいたる端緒になったのはいつどこのどんなことでしょうか。

A(Perplexity PRO):

江戸時代の日本で金魚の飼育が普及するに至った端緒は、以下のような要因が重なったことによります:

1.武士のサイドビジネス:江戸中期になると、藩士たちが副業として金魚の養殖を始めました。これにより金魚の大量生産が可能になり、価格が下がったことで庶民にも手が届くようになりました。

2.養殖技術の発展:江戸時代に入り、平和な時代が続いたことで養殖技術が発展しました。これにより、金魚の生産量が増加し、より多くの人々が金魚を入手できるようになりました。

3.金魚飼育書の出版:延享5年(1748年)に安達喜之による『金魚養玩草』という金魚飼育書が出版されました。この本の影響により、金魚の愛好が広まったとされています。

4.販売形態の確立:江戸中期には、金魚売りや金魚すくいなどの販売形態が成立しました。これにより、金魚がより身近な存在となりました。

5.夏の風物詩としての定着:金魚は江戸時代の夏の風物詩として定着し、庶民の間で人気を博すようになりました。

これらの要因が重なり合って、江戸時代中期から後期にかけて、金魚の飼育が庶民の間で広く普及するようになりました。当初は贅沢品だった金魚が、養殖技術の発展と販売形態の確立により、メダカと並ぶ庶民の愛玩動物として広まっていったのです。

Q(koshix):

大和郡山市では今年金魚伝来300年を記念する行事が行われるそうなのですが,その300年の根拠を教えてください。

A(Perplexity PRO):

大和郡山市で金魚伝来300年を記念する行事が行われる根拠は、1724年に大和郡山藩の藩主であった柳沢吉里が甲斐国(現在の山梨県)から大和郡山に転封された際に、金魚の養殖が始まったことに由来します。この年が金魚養殖の始まりとされており、2024年でちょうど300年を迎えることになります。


写真:大和郡山の金魚(日本経済新聞から引用)

[1]「金魚が旅した中山道を歩く」プロジェクト "金魚旅"(大和郡山市)


2024年6月8日土曜日

カラスに襲われる

サルコペニアからの続き

筋肉量減少に対抗するため,さらに散歩に力が入る今日この頃。本日は,西に向かう日だったので,久しぶりにファミリー公園まで足を伸ばした。

ファミリー公園(奈良県営まほろば健康パーク)を抜けると,奈良県浄化センターの横の広いケヤキ並木道が,大和川沿いに続いており,ジョギングやサイクリングのコースになっている。

ケヤキの上の方にカラスが2羽いたので立ち止まって写真を撮影した(下図参照)。その直後のことだ。撮られてれていたカラスが急にこちらに向かってきた。あぶないじゃないのと立ち去ろうとしたら,頭になにか違和感を感じた。カラスの糞でも落ちてきたのかと思ったらそうではない。

そのまま並木道を歩いていくと,3ー4羽のカラスがカアカアと執拗に追いかけてくるのだった。さらに,私の頭をめがけて何度も蹴りつけてくる。ヒッチコックじゃないか。あわてて小走りで逃げ出した。ケヤキ並木が切れて,空への視界が開けたところでようやく脱出に成功した。

うーん,70年の人生でカラスに襲われたのは初めてかもしれない。大学時代,気分転換に理学部の屋上に上がったとき,大きなカラスが飛んでいた。目が合うと向こうから一直線に向かってきてびっくりしたことはあった。たぶん,なわばり争いの一種だ。それは一度だけであり頭を蹴られることもなかった。


朝の散歩では,毎日必ず鳥に遭遇する。スズメ,セキレイ,ツバメ,ハト,カラス,カモ,ムクドリ,ヒヨドリ,ヒバリ,メジロ,イソヒヨドリ,ケリ,シロサギやアオサギなどが季節ごとに見られる。ほとんどの鳥は逃避距離があって逃げてしまう。一番短いのがカラスだ。また,ケリはカモメに似た声で威嚇するような鳴き声を出しながら,頭上を旋回してくる。

この時期6-7月は,カラスの子育ての時期なので,近づいてくる人を襲うことが一番多い季節らしい。目を合わせるなという説と,目をそらすなという説があって,どうすればいいか困る。両手を頭上にあげろとか,傘をさせとか,走って逃げるなとか,いろいろ。でもしばらくファミリー公園は避けようか。


写真:カラスとの遭遇地点(撮影:2024.6.8)

[2]カラスの被害対策(カラスのトリセツ)

2024年5月31日金曜日

無書店自治体

本屋が消えるからの続き

4月から,NHKの午後のニュースの後に,NHKみみより!解説というニュース解説がはじまった。そこで,無書店自治体の話題が取上げられていた。下図は2022年のデータだが,2023年の新しい結果が紹介された。無書店自治体の割合が,全国で27.7%,ワースト3県では,沖縄県56.1%,長野県53.2%,奈良県51.3%というもので,前回とそれほど変わっていない。

全国の書店数(10598)を人口(1億2581万人)で割った1万人当たりの平均書店数は,0.87/万人である。奈良県の平均書店数は0.92/万人なので,それほど悪くない。平均書店数/万人は全国でそれほど大きく変わらないのだけれど,人口の少ない無書店自治体数があることよって,書店格差は強調されて見える。まあ実際にも近くに本屋がないわけだから,それはそれで困るのだ。

天理市の人口は,6.7万人なので,全国平均の書店数水準ならば,5.8店ということになる。実際の書店数がどうなっているかというと,8店舗見つかった。天理教の専門書店があるのでちょっとだけ上積みされている。
・TSUTAYA WAY書店天理店(田井庄町481−5)
・未来屋書店 天理店(東井戸堂町381 イオンタウン)
・ヤマト屋書店(別所町80−6)
・おやさと書店 三島店・Books道友(三島町432−1)
・おみちの書籍 天理書房(川原城町306−1)
・海老山書店(川原城町72)
・西廼書店(柳本町1255)
・大塚書籍文具店(櫟本町2423−1)


図:本屋さんが減っている(週刊学ぼう産経新聞から引用)

[1]増える「無書店自治体」各地の対応は?(NHKみみより!解説)
[3]日本の書店数(出版科学研究所)
[4]出版物の売り場毎の販売額推移をさぐる(2023年版)(Yahoo! ニュース)
[6]書店をめぐる現在(柴野京子)


2024年5月11日土曜日

時計修理

腕時計が壊れた。SEIKOの1967-8年製の21石手巻き式の腕時計だ。

1968年の秋にもらった時計だけれど,毎日使うようになったのは1972年に大学に合格してからだ。この55年の間に3-4回壊れて修理している。ステンレスのベルトも2回ほど替えたかもしれない。最近は,寄る年波には勝てず,ぜんまいを巻き切れなくて遅れたり止まるようになってしまった。

前回は数年前で,尼崎の寺内時計店に郵送でお願いした。今回どうしようかとネットで検索すると,奈良市の時計修理工房CoCoがヒットした。しかも評価5.0である。早速電話して,営業中であることを確認して向かった。お店は,白川ダム北側の山中,東海自然歩道=山の辺の道の途中にある。

2階の工房に上がるとやさしそうな若い店主が,とてもていねいに状況を説明してくれた。さっそく,オーバーホールと必要ならば部品交換の修理をお願いした。国内では珍しいらしく,部品を自作して修理することも出来るので,他道府県からも部品だけの注文が来るそうだ。


写真:セイコーの1697年のカタログにある当該機種(手巻きゼンマイ式)

最近は,普及型用途では,完全な機械式の時計はほとんどなくなってしまい,クォーツ電子化されてしまった。そのかわり寿命は短い。機械式ならば丁寧に保守すれば何十年でも持つのだけれど,クォーツ電子化された時計では電子回路が劣化して在庫がなくなれば終わりだ。さらに,現在の主流であるスマートフォンや時計型デバイスは,たった数年で陳腐化してしまうのだ。

2024年5月4日土曜日

吉野

ゴールデンウイークの後半は好天が続いている。社会的情勢は,家でグダグダしている老人を許さない。大和八木から近鉄電車で吉野に向かうことになった。橿原神宮前で乗り換えれば簡単だ。

吉野には何度か行ったことがあるので,ちょっと甘く見ていた。老人とベイビーの一行が橿原神宮前で橿原線から吉野線に乗り換えるには,エレベータに2回乗らなければならない。モタモタしていたら,八木からの電車が3分遅れたこともあって,吉野行きの予定の電車はさっさと出発していた。もう少し気を遣ってくれてもいいのに。

次の特急に乗ろうとして,特急券の自動券売機を探すがホームの中には見あたらない。駅員さんに聞くと改札の外の窓口に行ってくださいとのこと。手動で改札を開けてくれる。しかし,すでに満席だったので,手動の改札を再びお願いしてホームに戻る。目の前に入線する満席の特急吉野行きはたったの2両編成だ。明日香や壷坂寺や高取城へのルートにもなっているゴールデンウイークの近鉄電車の運行計画はどうなっているのだ。

さらに,30分以上待たされてようやく吉野行きの2両の普通電車がくる。吉野線は単線で,対向電車の待ち合わせが頻発するので,橿原神宮前から吉野まで50分以上かかる。予定より1時間遅れで吉野駅に到着した。こんなに田舎だったのか。

吉野駅をおりて吉野山まで,ケーブルという名前のロープウェイに乗るが,これがまた危なっかしい。改札前の自動券売機は調子が悪いのか,駅員さんにお金を払って購入代行してもらいキップ無しで車両に向かう。ぎゅうぎゅう詰めにされた年代物のロープウェイは途中で大きく揺れるのだった。

吉野山の参道には葛粉や葛餅やさくらソフトクリームや焼きもちやコンニャクの店が連なっていて,坂道をひいひい上ってようやく金峰山寺までたどりついた。晴天で日差しは強いが,境内の日蔭のベンチに吹く風は気持ちがよい。

十数年前に秘仏ご本尊金剛蔵王大権現三体が何年ぶりかで今回限りの特別限定公開があるということで,近鉄電車の駅に美しいポスターが張り出されていた。これは見逃したらいけないということで,期待していったのだが,堂内が暗くてあまりよく見えない。ポスターみたいかっこよくなくてがっくりした。しかもその後,毎年のように特別限定公開が続いたのであった。当然,今回はパスしました。


写真:ゴールデンウイークの金峰山寺(撮影 2024.5.3)


2024年4月29日月曜日

高齢者講習

松任谷正隆(1951-)が,運転免許の高齢者講習のエッセイを書いていた。自宅のすぐ近くにある自動車教習所におもむくと,姨捨山のような小さい部屋に,未来のない表情の老人が押し込められており,免許返納を迫られるような圧力を感じた,という恐ろしい話だ。

あれ,ついこの間自分にも,高齢者講習の葉書が来ていて予約したところだった。あなたはいつなのと家人に尋ねられ,macbookのメモを確認すると,なんと今日の午後だった。どうしましょう。


集合時刻の30分前に,新ノ口の奈良県警察本部運転免許センターの怪しい建物に入ると,もう7人の老人がどよーんと溜まっていた。自分で8人目だ。松任谷正隆の話とほぼ同じだ。

予定時刻が来ると順番に名前がよばれて,待合室の外に出て整列する。3番目だった。6人のグループができると1つの部屋に誘導された。大阪市立科学館長だった齋藤先生のような,背の高い元白バイ隊員の優しいおじさんが講師だ。1.講義(30分),2.視力検査(30分),3.実車(30分=1人10分×3人),4.DVD視聴(30分)の2時間のスケジュールだという説明がある。まずは,免許証の提出コピー,6450円の受講料の徴収,書類への署名などからスタートする。

講義のほとんどは,実車指導のやり方に関する説明や細かな注意事項だった。これに少しだけ交通安全の手引きの解説が加わる。視力検査は両眼でおまけしてもらい,1.2となった。たぶん,0.8-1.0くらいなのである。視野は右80度,左90度ということでいずれもOK。いよいよ3人チームで実車に向かう。

実車指導は1人ずつで,他の2人の老人はブックエンドのようにベンチで待たされる。車はオートマで,バックが必要な課題はありませんとのこと。エンジンをかけてギアをドライブに入れてもらうといよいよ教習開始だ。あくまでも試験ではないので,リラックスしてくださいといわれたものの,緊張はしなくても肩は凝る。

ややこしい教習コースをぐるぐる回らされ,1.左折・右折,2.信号待ち,3.一時停止,4.段差乗り越え,5.時速50km走行の5つの課題ができればよい。事前に丁寧な注意ポイントの説明があったので,なんとかこなせた。段差乗り越えで,アクセルの直後にブレーキを踏むまではよかったのだが,踏み込みが甘くて,1m以内で停まるべきところが30cmオーバーですといわれてしまった。しかたないですよね。

新ノ口の免許センターは老朽化して雨漏りもするらしいが,8年後に田原本青垣生涯学習センターのあたりに移転が予定されている。移転後は,バリアフリーになって,高齢者講習の実車指導の専用コースなどを整備されるようだ。あと2回は新ノ口での講習となるから,自分が田原本にいけるかどうかは微妙なところだ。



写真:免許更新センター外の一角にある怪しい待合室(2024.4.25撮影)

P. S. 今度からは,交通違反があると,実車指導の前に運転技能検査(試験だ!)が入ることになる。何回も受験できるとはいうものの,お金もかかるし面倒なことになるので,交通違反だけには注意しなければならない。

[1]高齢運転者支援サイト(全日本指定自動車教習所協会連合会)

2024年3月14日木曜日

春日祭

所用で春日大社に行くと,神事があるので午後1時頃まで本殿には参拝できないという。入口の手前のお宮参りの祈祷所あたりまではいけた。昼食をとって一回りして駐車場の前に戻ってくると,神官の行列が本殿からの階段を下りてきた。調べてみると,3月13日は春日祭の日だった。

春日祭は,藤原氏の祭祀を起源として平安時代に始まるが,明治時代に天皇の勅使が派遣される神社の祭祀である勅祭として再定義された。また,旧儀保存の目的で古式を参照した特殊な内容を持つものを特に三勅祭いう。これは,賀茂神社の賀茂祭(葵祭),石清水八幡宮の石清水祭,春日大社の春日祭の3つである。

春日大社によれば,「朝廷主催の祭であり、宮中より天皇陛下のご名代である勅使の参向を仰ぎ、国家の安泰と国民の繁栄を祈ります」とのこと。朝廷とは誰なのよ。この祭祀の本体は非公開なのだけれど,一連の主な行事が終った神官が,たぶん観光客向けにちょっとだけ顔見せ行列してくれたもののような気がする。

春日大社といえば,参道に鹿がたくさん遊んでいる。若くてひょろっとした鹿の二人組が観光客向けに模擬バトルを繰り広げている。件の行列の横にも近寄ってきてバタバタしていた。行列には,神馬も二頭参列していた。冷たい風の春の日で,本殿にも参拝できない時間帯だったが,あたりは外国人観光客でいっぱいだった。


写真:春日祭の行列(2024.3.13撮影)

2024年2月23日金曜日

お水おくり

東大寺修二会からの続き

東大寺二月堂修二会のお水取りは3月12日の深夜に行われる。二月堂前の若狭井(閼伽井)という井戸から観音菩薩にお供えする「お香水」を汲み上げる儀式である。

この「お香水」は若狭国から10日かけて地下を通って若狭井へ届くという伝説がある。福井県小浜市の若狭神宮寺では毎年3月2日に若狭井へ水を送る「お水おくり」の神事が行われている。

若狭井というのは聞いたことがあったけれど,小浜で「お水おくり」しているというところまで考えが及ばなかった。写真をみるとばかなり本格的な神事が行われていた。


写真:3月2日に行われる「お水おくり」(おばまナビから引用)

[1]「若狭井」から香水をくみ二月堂本尊にお供え(読売新聞オンライン)
[2]二月堂の謎の井戸「若狭井」(東大寺・御朱印)
[3]お水おくり(おばまナビ)

2024年2月22日木曜日

東大寺修二会

工場跡事務室からの続き

工場跡事務室の前の道路をそのまま東にまっすぐ進むと,奈良公園管理事務所を左手に見ながら,東大寺の大仏殿の裏を通り過ぎて,東大寺の二月堂まで十分弱で到着する。石畳の階段をたらたらと上ると二月堂の入り口だ。


写真:修二会(お水取り)のお松明(撮影 2024.02.18)

入り口の前の広場には,3月1日から始まる修二会で使われるお松明の長い竹が並べられていた。寄進者の名前などが書かれている。二月堂の階段を上がると,ニュースでよくみる練行衆がお松明を持って走り回る回廊に至る。東大寺の修二会は,お水取りの3月12日ではない平日に一度だけ見に来たことがあった。冷え込んだ夜だったような気がするが,今日は暖かい。

帰宅してテレビをつけると,東大寺修二会の油量りの行事のニュースがあった。修業中にともす燈油を計量する行事だ。3つの桶に合計63Lの専用の油が量り取られていたけれど,お松明の火もこれで点火するのだろうか。この燈油を納めているのが,愛知県岡崎市の太田油脂株式会社で,宮内庁・伊勢神宮・東大寺御用達,日本の灯り お灯明油「和灯(わあかり)」というものらしい。過去の写真では一斗缶5缶(72L)が並べられていた

お松明に使われる竹は京田辺市の講社などから納められる。その真竹は長さ7m,太さ10cm,重さ40kg程度である。毎日10本,3月12日だけ11本使われる。ChatGPTやGeminiに尋ねてみても正しい答えは得られない。

[2]<お水取り>「お松明」用 二月堂へ直進(読売新聞オンライン)
[3]修二会(東大寺二月堂お水取り)(奈良観光通信)
[4]東大寺二月堂のお水取り、修二会(しゅにえ)(東京木材問屋協同組合)



2024年2月21日水曜日

工場跡事務室

このあたりの梅の名所はどこかしらとGeminiに聞くと,一番に出てきたのが片岡梅林(奈良市高畑町1149)だった。Google mapで確認すると,奈良公園の浮御堂の隣である。早速向かった。人類はますますコンピュータに支配されつつある。知識も行動も感情も戦争も。

片岡梅林は梅の香りがして,白梅,白梅,紅梅,白梅とまばらに花盛りだった。さらに歩くと奈良国立博物館の裏手の仏教美術資料研究センターの横を抜けて東大寺の参道入口までやってくる。ここまでくるとあたりは冬枯れの鹿と外人観光客でいっぱいだ。鹿のフンを掃除してくれているおばさんと,中国語のピンポンの中をかき分けて南大門をくぐり,右に曲がり丘を越えて左に曲がると,喫茶スペース工場跡事務室に到着した。

普段はあまり営業していないらしいが,無事にそこで昼食にありつけることになった。乳酸菌飲料のフトルミンの製造や,食料菌類の研究をしていた工場が製造を中止して30年後,今から15年ほど前に工場跡のカフェとしてオープンしたものだ。外観は今にも壊れそうな昔ながらの古びた建物である。

奈良市の登録有形文化財喜多家住宅(主屋・蔵・離れ)と旧長壽會細菌研究所(工場・製品庫)から成り立っている。大正末期から昭和初期に立てられた建物だ。主家の方はモダンなデザインの洋館だが公開していないのかもしれない。


写真:喫茶スペース工場跡事務室立ち入り禁止区画

2023年11月12日日曜日

奈良の神社寺院

融通念仏宗からの続き

散歩の犬棒で思い出したが,うちの近所の寺には融通念仏宗が多いような気がする。早速,調べてみよう。日本の神社・寺院検索サイト「八百万の神」という,センスのよい有難い場所がある。誰が運営しているかというと,株式会社 INFO UNITE というあまり聴いたことのない会社だった。とりあえずなんとなくニュートラルな印象で,他にも日本の住所というデータベースを運営している。なんなのだろうか。

その結果を以下に整理した。まず。奈良県の神社・寺院数を市町村別に見たベスト7だ。五條とか宇陀などがかつては相対的に栄えていたのかもしれない。
奈良市   396   12%
五條市   238   7%
宇陀市   229   7%
橿原市   214   7%
大和郡山市 193   6%
桜井市   156   5%
天理市   155   5%
その他   1602  50%
また,神道の系列別のベスト7は次のようになる。八王子神社も散歩でよく見かける。
春日系列  146  20%
八幡系列  139  19%
祇園系列  83  11%
天神系列  81  11%
八王子系列 39  5%
伊勢系列  35  5%
稲荷系列  24  3%
その他   188  26%
問題の仏教の宗派別のベスト7は次のとおりで,融通念仏宗は第3位,奈良県ではけっこう存在感を示していた。
浄土真宗本願寺派 424  24%
浄土宗      318  18%
融通念仏宗    205  11%
高野山真言宗   164  9%
真宗大谷派    100  6%
曹洞宗      74  4%
真宗興正派    67  4%
その他      441  25%
なお,天理市には融通念仏宗の寺が25あった。なるほど近所でよく見かけるわけだ。


写真:融通念仏宗本山は大阪市平野区の大念彿寺(Wikipediaから引用)

2023年11月11日土曜日

融通念仏宗

朝の散歩でたまに珍しいものに出会う。犬も歩けば棒に当たる

11月8日の水曜日,北東に向って天理喜殿町セブンイレブンまで往復の散歩。ひまわり保育園の近くの八幡神社の向いに融通念仏宗大念仏寺の大きめののマイクロバスが停まっていた。中には運転手だけが待っている。こんな朝早くから法事でもあるまいし?そのまま北東に向かった。

帰り道,どこかから鉦の音が響いてくる。やっぱり法事なのだろうか。しかし,あいかわらずマイクロバスは空のままだ。さらに進むと,止んだと思った鉦の音が大きくなってきた。そちらの方をみると遠くに黒衣の坊さんが歩いているようだ。そのあたりには確か墓地があるが,そこに向かって田んぼの中のあぜ道を5人ばかりが鉦を鳴らしながら進んでいた。

うーん,これはいったい何だろう。本当にあのマイクロバスと関係があるのか。あのなんの変哲もない田んぼの中の小さな墓地に一体何があるのだろうか。謎は謎をよぶばかりだ。

かくして,人間は僅かな情報から,これらを結びつける説明や物語を紡ぎ出そうとする。


写真:鉦の音のなる方向に見えたのは(撮影 2023.11.08)

[1]融通念仏縁起絵巻(Wikipedia)
[2]融通念仏縁起絵巻(クリーブランド美術館)
[3]融通念仏縁起絵巻(シカゴ美術館)