2024年11月25日月曜日

袖振り合うも他生の縁

Facebookで辰巳さんが,「袖振り合うも他生の縁」といってたので,『はて』となった。「袖擦りあうも多少の縁」じゃなかったっけ?

調べてみると,袖振り合うが正しいけれど,袖擦り合うでも間違いではない。他生の縁は,多生の縁でも構わないが,多少の縁は誤りということになった。この調子で間違ったまま定着している自分の知識が沢山埋もれている。

どの解説もいきなり,袖振り合う=袖が触れ合う,であるという前提で話を進めているので今一つ納得できなかった。昼寝から醒めると,すれ違う人の互いの袖同士が接触することで,袖が振れる=振動するという状況を表しているわけだと気がついて腑に落ちた。

相互作用によって,並進運動エネルギーの一部が振動エネルギーに転換したということか。その相互作用は,広い宇宙の中の自分と他者の関係にとってはレアイベントなのである。でエンタングルメントが発生するということ「袖振り合うも多少のエンタングルメント」。

(1)「袖振り合うも他生の縁」という言葉のイメージをください。
江戸時代の昼間,町中に通行人が少しだけいて,偶然に互いの着物の袖と袖をわずかに触れるような場面です。→左上
(2)これだと二人は意図的に手をつないで同じ方向をあるいていることになります。まったくランダムな方向をあるいている複数の通行人がいて,そのうちの全く関係ない他人である二人が違う方向を歩いているにもかかわらず,その着物の袖だけが偶然にちょっとだけかすってしまった場面に修正してください。→右上 
(3)いやいや,やはりこれは手をつないで同じ方向に歩いていますよね。そうではないのです。少なくとも二人の進行方向は別になるようにしてください。→左下 
(4)手をつなぐような表現はやめてください。歩いていて,手はつながずに,袖だけが振れてしまう状況なのです。→右下


図:いくらがんばってもうまくイメージが生成されないDALL-E3

[1]四分岐ポリマーからなる Tetra-PEGゲルの網目構造解析(酒井崇匡・松永拓部,2010)
   (多少のエンタングルメントの用例)

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