2025年11月19日水曜日

穂積押山

国道169号線の櫟本にある中西ピーナツの東隣に和爾下神社がある。このあたりが和珥氏の本拠地だ。その南,布留の郷にある石上神宮と関係の深い物部氏とか,飛鳥の蘇我氏とかメジャーな氏はよく名前を聞くが,同じ古墳時代から奈良時代にかけての代表的な氏(うじ)である穂積氏というのは初耳だった。

天理市にあるなら歴史芸術文化村の「“穂積”の地の古墳を探る。~星塚古墳・小路遺跡と荒蒔古墳~」という歴史フォーラムに参加した。うちの近所の古墳がたくさん登場するというので楽しみにしていた。穂積氏の本拠地の1つかもね?と推定される小路遺跡,その穂積氏と関係あるかもしれない星塚古墳,すぐそばの我がマンションの敷地内にあった荒蒔古墳がメインテーマだ。

東の岩室池古墳や西の水晶塚古墳を含めてすべて,普段の朝の散歩コースの範囲内にある。これらの古墳時代後期の古墳群は30-60mの小さな前方後円墳(帆立貝型古墳)であり,大きな円筒埴輪石見型埴輪に加え,家,人,馬,雞,犬など多数の形象埴輪が出土した。荒蒔古墳に至っては250ケース分の埴輪が出てきて整理に38年もかかってしまった。

穂積氏は物部氏と同祖である。継体天皇の臣であった穂積押山(6世紀前半)は,512年に百済に使わされ百済官僚として現地の哆唎国守を務めた。任那の上哆唎・下哆唎・娑陀・牟婁の四県割譲にかかわり,奈良大学の小林青樹先生によれば,越境エージェントとでも言うべき,国をまたがっての活躍をした人らしい。

P. S. なら歴史芸術文化村の文化財修復・展示棟では「“穂積”の地の古墳を探る 奈良盆地中央部の古墳群」として,実際に発掘された埴輪やその他の遺物が展示されていた。星塚古墳から出た日本最古の木製笛は,その実際の音がテープで流されていた。早く重要文化財に指定してほしい。


写真:荒蒔古墳の出土品(天理市から引用)


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