2020年2月9日日曜日

稽古照今

にっぽんの芸能山川静夫が,「稽古照今(けいこしょうこん)=いにしえをかんがえ いまをてらす」という言葉をよく覚えておいてくださいとのこと。古事記の序文に出てくるもので,「莫不稽古以繩風猷於既頽・照今以補典教於欲絶」とある。「古(いにしえ)を稽(かんが)えて以(もつ)て風猷(ふうゆう)をすでに廃(すた)れるに縄(ただ)し、今を照らして以て典教(てんきょう)を絶えんと浴するに補(おぎな)わずということなし」であり,「昔のことをよく学び,すでに廃れてしまった道徳を見直し,今の基準とすべく失われかかっている尊い文献を補うために、この古事記を書き残しておく」とのことらしい。古事記編纂の趣旨である。ネトウヨの皆様にはよく肝に銘じてほしいところであるが,記録は全部廃棄したことにしてデータを改竄するのが最近のはやりなのだろう。

番組は,「蔵出し!名舞台~初世 吉田玉男」であり,ゲストの山川静夫とともに,玉男の名場面や思い出をたどるものだった。「曾根崎心中の天神森の段」,「菅原伝授手習鑑 丞相名残の段」,「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」,「心中天網島 河庄の段」が取り上げられた。英太夫の若々しい声や越路太夫の力強さが印象深かった。菅原伝授手習鑑の寺子屋の段は出遣いではないのだが,松王丸の迫力が凄い。


2020年2月8日土曜日

Scrapbox

スクラップボックスは,あの増井俊之さんが開発した,情報保存・共有システムだ。
いまでは,紙copiで(使わなかったけど)有名な洛西一周さんのNOTAで商品化されている。昔ちょっとさわってみて,結局使わずじまいだった。自分の情報保存コンセプトと微妙に食い違っている。いまは,もっぱらAppleのノートにためている。これはこれで問題があるのだけれど,MacからもiPhoneからもiPadからも同期しながらアクセスできるので安心だ。もっともうまいバックアップの取り方はよくわからない。

いろもの物理学者の前野昌広さんが,よくわかる熱力学の査読ページをスクラップボックスで作っていたので,さっそく参加させていただいて慣れない作業をしていたら,1章分のコメントページをふっとばしてしまった。ごめんなさい。悪いのは私です。で,調べたところ,バックアップのシステムが標準的にはついていないようだ。有償バージョンでどうなっているのかはわからない。落ち着いて作業することにしましょう。

2020年2月7日金曜日

悲しい個人番号カード

なんだか騙されて個人番号カードを作ることになってしまった。昨年,元の勤務先に書類を提出して数ヶ月,ようやく市から連絡の通知が来た。ご丁寧に,時間を予約してとりにきてくれとのことで,本日,市役所の地下に設けられた個人番号カード受付に行った。

ものものしいコーナで3人くらい同時に対応できそうな衝立ブースに職員が3,4人いて対応してもらった。準備物は事前のお知らせの通り,通知ハガキ,通知カード,身分証明(自動車運転免許証),印鑑の4つ。あとは,パスワードをあらかじめ決めておいたので,問題なく進行する。紙に書かされたパスワードを画面に入力するのがメインの手続きですぐに完了した。なんのことはない20分かかるといわれていたが,1人だと3分で終わりそうなので,予約制にする必要があるのだろうか。

カードを受け取って茫然自失となる。安っぽい感じで,自動車運転免許証より一回り小さいくてペラペラなのではないか(確認したら面積は免許証のサイズと同じで,ぺらぺらではなかったです)。へんな兎マークが付いていて色彩もいまいち。問題は写真。あらかじめ申請時に提出しておいたが,免許証より小さくて見るも無残なぼけぼけイメージになっていた。これでは本人確認できないんじゃないか。

その後,市役所の方に説明をきいたところ,さらに多くの問題点が発覚した。
(1)有効期限は10年だが,各種サービスと紐付けられたパスワードの有効期間は5年なので,これを確認されたうえで,市役所の人がサインペンで有効期間最終日を手書きした。おいおい,最初から印刷できないのか。
(2)遠隔地の戸籍関係書類は取り寄せられるのですねと聞いたところ(ほとんどそのために取得したようなものだったので),なんと,天理市は対応していないのでだめなのだそうだ。予算の関係その他でいつになるか分からないとのこと。えー,うそでしょう。
(3)ペイペイなどのスマホ決済サービスと連動した割引ができるとのことで,説明の書類をもらって帰ったところ,iPhone 6sには対応していないことが判明し,これも使えないのであった。だめだめだった。
(4)個人番号部分はみせると恥ずかしいものらしく,使うときはこの透明な袋にいれて下さいということで,部分的にグレイな四角が印刷されていて,個人番号やその他の部分を隠すポリプロの袋入りだった。ありえない。

以上のように,国が後先を考えずに推進しているようだけれど,制度設計や運用に完全に失敗している。この程度の個人番号カードしかデザインできなかったのかと思うとなさけない。ほんとうに貧しい国になってしまった。国会では毎日のように,安部やそのとりまきの非論理的ないいわけや利権まみれの暴走が続いていて,それを官僚機構が必死にささえている。そんな不合理が染みついてしまった。大学入学共通テストの失敗といい,行政がまともに機能しなくなっている。


2020年2月6日木曜日

非常勤講師後期授業終了

今日の物理学Ⅲ(振動・波動)で今年の授業はおわり。昨日と今日は期末テストだったが,できる人はできて,できない人はそれなりの問題でした。週に2日から3日大学に通って,面倒な会議もなく,研究室の学生指導もないので,楽といえば楽になった。それでも,自分の体力や気力や記憶力がゆっくりと衰えてきているので,負荷がかかるといえばそうでもある。鈴木先生から来年は物理をとっていない学生が半分以上という話を聞いたので,それはそれで戦々恐々かもしれない。



写真:近所に買物へ出る途中(2020.2.6撮影)

2020年2月5日水曜日

絵ことばLoCoS

絵ことばLoCosは,非常口のデザインでおなじみの,太田幸夫が1964年に考案した絵文字・絵ことばのシステムである。1964年といえば東京オリンピックが開催され,様々な競技の会場や案内のためのピクトグラムが実用的に広まった年でもある。

LoCoSはLovers Communication System の略で,世界の人が言語や文化の違いを超えて,恋人のように理解しあえるコミュニケーションメディアを目指して考えられた。1971年にウィーン国際会議で注目を浴び,1973年には講談社から「新しい絵ことばロコス」が出版されている。当時大学生の自分は,梅田の紀伊国屋書店で何度もこの本に魅かれて立ち止まり,買おうかどうしようかと散々迷ったのだけれど,結局買わずじまいだった。

それから40年たって,いまなら十分進化したコンピュータとネットワークの機能により,もっと簡単に使えるのではないかと思って,いろいろ調べてみたけれど,誰もそれに着手していないようだった。うーん,もったいない話である。


[1]LoCoS WebSite Design (AM+A, 2007)
[2]LoCoS: 世界をむすぶ絵ことば(Kindle版,2018)

2020年2月4日火曜日

立春の問題

今日は立春。暖く晴れた春の一日。

こんな日は数学パズル。これを解くのがComputational Thinkingなのだろうか?
次の四角の中には1〜9の数が1回づずはいる。その配列を求めよ。という問題をtwitterでみかけた。
図 ピーターからの問題?

これを解くためにJuliaを用いると次のようになった。9重の整数のループがあってとてもださい。ループの範囲を集合にして1つずつ減らしていくということも考えられたが,もっときたなくなりそうなのでこれはやめ。それでも取り合えず答えは得られた。和と積で絞るのはちょっとトリッキーなので,正統的ではない。答えは1通りしかないというヒントに基づいている。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 
function loop()
  for i1 in 1:9
    for i2 in i1+1:9
      for i3 in i2+1:9
        for i4 in 1:9
          for i5 in 1:9
            for i6 in 1:9
              for i7 in 1:9
                for i8 in 1:9
                  for i9 in 1:9
                    a=i1+i2+i3+i4+i5+i6+i7+i8+i9
                    b=i1*i2*i3*i4*i5*i6*i7*i8*i9
                    c=i1/(10*i4+i7)+i2/(10*i5+i8)+i3/(10*i6+i9)
                    if a==45 && b==362880 && c==1
                      return (i1,i2,i3,i4,i5,i6,i7,i8,i9)
                    end
                  end
                end
              end
            end
          end
        end
      end
    end
  end
end
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 
@time loop()
  0.191865 seconds (201.31 k allocations: 10.933 MiB, 2.17% gc time)
(5, 7, 9, 3, 6, 1, 4, 8, 2)


2020年2月3日月曜日

なにわ夫婦八景

松竹座の「なにわ夫婦八景」は,廓(かまえ)正子(1929-)の「なにわ華ものがたり」が原作で,桂米朝の妻の中川絹子夫人と米朝およびその弟子たちの物語である。したがって,真琴つばさが主人公なのだろう。

桂ざこばが米朝の師匠の四代目桂米團治,ざこばの娘の関口まいがその妻の役。ざこばも書かれたセリフがないときびしいのが残念だった。桂団朝を除いて,ざこばの弟子たちが米朝の弟子の役をつとめる。桂團治郎は五代目桂米團治の弟子か。

聞いたことのあるようなエピソードの連続で,説明的な脚本だったけれど,わかりやすいといえばわかりやすい物語,ものたりないといえばものたりない。そもそもの趣旨が桂米朝五年祭なので,これは,これでよいのだろう。今日は節分,豆まきの日でした。

2020年2月2日日曜日

コンピューテーショナル・シンキング(4)

コンピューテーショナル・シンキング(3)からの続き

パパートを源流としてウィングが口火を切った「コンピューテーショナル・シンキング(計算論的思考)」は,K-12にひろがるとともに,日本では「プログラミング的思考」と名前とその性格を変えて政策的な道具として用いられることになった。

そもそも「○○的思考は学校教育に欠かせない」という言説は,「○○力が未来の子どもたちには必要だ」というスローガンと並んで,近年の教育改革の通奏低音となり,政策推進のツールとして悪用されている。プログラミング的思考もその最先端の代表例である。

学校教育をめぐる目標設定では,常に怪しい看板がつけられはずされしながら,「子どもたちのために」,「国の将来のために」,「地球の持続可能な発展のために」という大義名分のもとに,隠れた利益誘導や思想誘導の道具として,○○的思考と○○力のオンパレードが続いている。

最近の○○的思考の○○には何が入りうるか。工学,科学,数学,論理,批判,問題解決,デザイン,なんでもいいのだが,これによって利益を得られる社会セクターの人々は,なまじ悪知恵が発達しているので,ありとあらゆる正当化の論理を繰り出している。

計算論的思考は,その定義からして,情報科学(Computer Science & Technology)の領域基盤の概観(内容・方法)に対応している。これを「読み,書き,算術」に加える21世紀の第4のリテラシーとして位置づけようとするものだ。2000年前後を境とする情報テクノロジーの発展と浸透により,その重要性が飛躍的高まった。それゆえ,あらゆる分野や階層の人々に関係するという意味で,他の○○に比べて優位性があるのは確かだと思う。

ただ,それは,これまで情報リテラシー,ICTリテラシーとよばれていたのではないか。高等学校に教科情報を導入して 20 年近く培ってきたものではないか。そこではプログラミングこそ背景に退かされていたものの,情報科学をバックボーンとして,その成果を活用する能力をいかに獲得するかが目標であったはずだ。

それが,看板を変えてまで,あらたなテコ入れの道具として化粧直しするときの名前がプログラミング思考だった。計算論的思考(この訳語も微妙なのですが)に比べれば格段と見劣りのするしょぼい目標設定になってしまってはいたが。「一つ一つの動きに対応した記号を,どのように組み合わせたらいいのか,記号の組合せをどのように改善していけば,より意図した活動に近づくのか」だと・・・あんたらなにゆうてんの・・・orz。

たぶん,この30年の日本の停滞と,機械学習,クラウド,IoTなどの進化による産業構造の本質的な変化の予感が,日本にあせりをもたらしているのだと思う。それが小学校へのプログラミング教育の導入とGIGAスクール構想(児童生徒一人一台のPC整備)へとつながった。そのビジョンの柱となる考え方をプログラミング的思考に落とし込んだところに本質的な欠陥があるような気がする。

なぜプログラミングの能力が全員に必要なのだろうか。自動車整備の能力がすべての国民に必要なのだろうか。散々議論した末に,プログラミングが柱ではなく,情報科学や情報技術によってもたらされた成果や,それを実現しているアプリケーションを組み合わせて活用することで問題解決することこそが重要だとしてきたのではなかったのか。

プログラミングを体験することが,コンピュータの活用の質を高めるために本当に必須なのだろうか。むしろ,生活や学習のあらゆる場面で,必要に応じて自由に情報デバイスを組み合わせて,文書を作成し,計算し,マルチメディア情報を処理して創造できる環境の整備とサポートの仕組みこそが必要なのではないだろうか。

マセマティカによって提供されるような,あるいはジュリア(プロセッシング)によって実現されるような柔軟性の高い情報処理環境が,すべての科学や文芸や芸術の分野で必要であり,そのための専門的な能力を養成するルートやそのための裾野の広い学びが必要であることは認めるが,それは,小学生全員にプログラミングを学ばせることとは別だと思うのだ。

2020年2月1日土曜日

コンピューテーショナル・シンキング(3)

コンピューテーショナル・シンキング(2)からの続き

ジャネット・ウイングがコンピューテーショナル・シンキング(計算論的思考)で名をあげて10年後の2016年3月に,その後の状況について報告するエッセイを書いていたことはすでに紹介している。

その半年後の2016年9月,マセマティカでおなじみのスティーブン・ウルフラムが,ブログに「How to Teach Computational Thinking」という記事を書いた。ウイングのエッセイや中島さんの翻訳をまったく知らなかった私は,10月ごろに当時,清教学園におられた田邊先生とのメールのやり取りの中で,このリンクを使い「Computational Thinkingがはやりそうですよ」とお知らせしていた。10年遅れで。ただ,この時期は例の有識者会議がプログラミング的思考というキャッチフレーズを掲げて4ヶ月後だったので,そのあたりを意識していたともいえる。まあいずれにせよ,7周半ほど周回遅れなのである。

ウルフラムのやってきたことや作り上げてきたシステムは,まさにコンピューテーショナル・シンキングの直球ど真ん中だったので,これはイメージを作りやすかった。ただ,そのまま日本のK-12に導入するには敷居が高すぎたた。Wolfram Alphaをもってしてもすでに手遅れというか,マセマティカの導入価格高騰によって,多くの大学からは潮が引くように撤退してしまったのではないだろうか。

2020年1月31日金曜日

コンピューテーショナル・シンキング(2)

コンピューテーショナル・シンキング(1)からの続き

タベシュの論文のさきほどの引用部分の前段には,コンピューテーショナル・シンキングの定義がある。また,最近の議論と直接関るものとしてしばしば引用される,ジャネット・ウィング2006年のACM論文(エッセイ)「Computational Thinking」についての言及もある。公立はこだて未来大学の中島秀之によるその日本語訳は,2015年になって「計算論的思考」として情報処理 Vol.56 No.6 に掲載された。また,林向達によって〔学習用翻訳〕計算論的思考として訳された。このページでは「計算論的思考」を用いよう。

タベシュの論文の要約の前段:
 計算論的思考は,コンピューターが効果的に実行できるような方法で問題を定式化し,その解決策を表現することに関与する思考プロセスとして定義できる。それは,問題を解決し,システムを設計し,人間の行動を理解する方法であり,コンピューターサイエンスの基本概念に基づいている。今日の世界で繁栄するには,計算論的思考が,人々がものを考え,世界を理解する方法の基本的な部分でなければならない。
 計算論的思考は,児童生徒にとって不可欠であり,K-12カリキュラムの一部である必要があるが,最初にそのルーツとコンテンツ開発の基礎となりうる教育学的モデルを検討する必要がある。
 計算論的思考の本質は,心の拡張としてのコンピューターと対話しながら創造し発見できることだ。このような概念は,パパート著書マインドストームで次のように想定されていた。
 パパートは,計算の2つの側面に注目した。1つは計算を使用して新しい知識を創造する方法,もう1つはコンピューターを使用して思考を強化し,知識へのアクセスパターンを変更する方法だ。最近では,ウィングが,計算論的思考に修正されたアプローチと新しい注意をもたらした。
 ウィングは,計算思考を,読み,書き,および算術と並ぶ,我々みんなの分析能力の基本的なスキルと見なしている。ウィングの論文は,すべての階層のコミュニティ,特にK-12で歓迎された。K-12コミュニティは反応が早く,ティーンエイジャー向けのアプリケーションの開発を開始し,進行中である。パパートの基本的なアイデアにアクセスしながら,計算論的思考を浸透させる手段としての問題解決に進む。
ジャネット・ウイングは2006年のエッセイで計算論的思考を次のように表現している。
・計算論的思考は計算プロセスの能力と限界の上に成立しているもので,計算の主体が人間であるか機械であるかは問わない。
・計算論的思考は,コンピュータ科学者だけではなく,すべての人にとって基本的な技術である。
・計算論的思考は問題解決,システムのデザイン,そして基本的なコンピュータ科学の概念に基づく人間の理解などを必要とする。
・計算論的思考とは再帰的に考えることであり,並列処理であり,命令をデータとし,データを命令とすることである。
・計算論的思考とは巨大で複雑なタスクに挑戦した り,巨大で複雑なシステムをデザインしたりすると きに,抽象化と分割統治を用いることである。
・計算論的思考とは予防,防御,そして最悪のシナリオからの復帰という観点を持ち,そのために冗長 性,故障封じ込め,誤り訂正などを用いることである。
・計算論的思考はヒューリスティックな推論により解を発見することである。
・計算論的思考は超大量のデータを使って計算を高速化することである。
これすなわち,コンピュータサイエンスの特徴を述べており,それが専門家だけでなくすべての人々にとって重要であるというのが彼女のビジョンである。これが K-12 関係者などコンピュータ教育にかかわる人々にヒットした。そしてその10年後には[3]にあるエッセイを書いている。

[1]コンピューテーショナル・シンキングについて(林向達,2017)
[2]Computational Thinkingに関する言説の動向(林向達,2018)
[3]Computational Thinking, 10 Years Later (Jeannette Wing,2016)
[4]〔学習用翻訳〕計算論的思考,10年後(林向達,2018)

2020年1月30日木曜日

コンピューテーショナル・シンキング(1)

コンピューテーショナル・シンキングが何であるのかの説明は,2017年のイランのシャリフ大学のタベシュの論文(Computational Thinking: A 21st Century Skill)が分かりやすい。

コンピューテーショナル・シンキングのルーツを辿ってみると,1つは,シーモア・パパート(1928-2016)の書籍 マインドストーム(1980)になる。LEGO Mindstormsの方ではない。その中に,はじめて,Computational Thinking というフレーズが一度だけ登場している。

タベシュは次のように書いている。
 パパートは,コンピューテーショナル・シンキング(計算思考)とデジタル教育学を,ピアジェが始めた教育の現代的アプローチに結び付けた。
 ピアジェは、構成主義として知られる学習理論の先駆者としてよく知られている発達心理学者である。簡単にいうと,彼は,学習者の経験と既存の知識の相互作用が,学習者の心に新しい知識を構築するとした。
 パパートは,構成主義の理論を発展させ,学習者が「意味のある産物を構築する」ことに取り組んでいるときに学習が強化されるという概念を追加した。
 我々は,パパートの問題解決法に基づいて計算思考を検討する。つまり,計算思考は,批判的思考と計算能力を組み合わせて,現実の問題に対する革新的なソリューションの基盤とするものだ。
 計算思考には,次の4段階の問題解決過程が含まれる。
・分解:問題を分析し,より小さい部分に分割する。
・パターン認識:データのパターン,傾向,規則性を観察する。
・抽象化:認知されたパターンを生成する基本原則を特定する。
・アルゴリズム設計:問題解決のための段階的な手順を開発する。
 実験的な問題解決の「遊び場」をつくって,これに各段階を接続する。
このモデルでは,遊び場は簡単にアクセスできる場所であり,学習者はフロー,パターン,対称性,パリティ,不変量,再帰などを探しながら,単純または類似のケースでモデリングやバックトラックすることにより,数値的,幾何学的および手続き的に実験できる。遊び場は,強制的な学びでなく認知的な学習を促進する環境を与える。

2020年1月29日水曜日

プログラミング的思考(2)

プログラミング的思考(1)では,小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議の議論の第1回と第2回の様子を検討したが,第3回についてはよくみていなかった。

ここが,「プログラミング的思考」と「コンピューテーショナル・シンキング」の分岐点になっているので,もう少し読み込んでみた。前回,第3回議事録ではプログラミング的思考が26回でてくるが,コンピューテーショナル・シンキングは消えたと書いた。消えていませんでした。これだから文部科学省の官僚はせこいのである。第2回で優勢だった「コンピューテーショナル・シンキング」より「プログラミング的思考」の方が行政用語としてふさわしいと判断したので,議事録では前回カタカナ表記だったものを英文表記の Computational Thinking(8件出現)に改めていたのだった。正しい官僚制なら表記は統一するのが本来の姿だろう。

「コンピューテーショナル・シンキング」が使いにくいというのはよく理解できるのだけれど,姑息な繕い方だ。桜の会の答弁を彷彿とさせる官僚的な悪知恵というふうに邪推してしまう私が哀れである。まあ,議事録の段階なので会議中は文字化されていないのだから細かい話ではある。

本質的な問題に戻ります。要は「プログラミング的思考」が会議の中でちゃんと定義されていないということだ。発言者によるそれぞれの主観で語られた言葉が,便利だったのでそれぞれの主観によって受け止められつつ,官僚的な取りまとめのプロセスを経ることによって,まったく変質してしまったというのが今回の状況だと思える。

大阪電気通信大学工学部の兼宗進さん:
たくさん出てきていますプログラミング的思考というものについて,議論の中で出てきたのが,定義が分からないものですから,簡単に教えていただければということと,海外ではComputational Thinkingというのがかなりキーワード的に使われているんですが,それと何か関連した概念なのか,それとも,全く別に,今回の議論から出てきたものなのかということで,御確認お願いいたします。
文部科学省の大杉教育課程企画室長が堀田主査と相談した結果として,例の定義をつくったようで,「1回目,2回目の議論の中で,複数の先生方から,Computational Thinkingの重要性を御発言いただいたことを踏まえて,それをプログラミング的思考という形で,しかも,小学校教育ということを踏まえて,少し表現を工夫しながら,御相談しながら置かせていただいているものでございます」と答弁し,堀田主査も「よろしいですか」でとばしている。それ,あかんやろ。

マイクロソフトの中川哲さん:
あとは,Computational Thinkingというのは,前回の私の発表の中でも用いさせていただいた言葉なんですけれども,参考情報としては、よく日本語では、コンピュータ的思考というような言い方をされます。でも、事務局の皆さんがこの言葉を使わなかったのは、「コンピュータになれと言ってるの?」というような誤解を生むのかなという懸念があるのも容易に想像できます。一方,プログラミング的思考という言葉も、耳当たりはいいんですけれども,内容がComputational Thinkingとイコールなのかというとそうでもなく,Computational Thinkingは,アメリカでは比較的頻繁に用いられている言葉ですので,例えば,Computational Thinkingの中では,データの収集・分析・表現というのはものすごく言われるんですけれども,そういうところはこの取りまとめの中では余り触れられていません。という観点から言うと,プログラミング的思考というのは、Computational Thinkingと比べて,例えば、データに関しては触れていないんですよということなのか,ここは言葉の定義をしっかりとする必要があるなというのは,私も後から見て感じました。
やはり,違和感ありありである。 堀田主査はこれも華麗にスルーして議論を収束させた。

2020年1月28日火曜日

プログラミング的思考(1)

小学校のプログラミング教育がそもそも何を狙っているかという話。

プログラミング教育の欠点(2)でみたように,小学校学習指導要領の中には,「プログラミング」というキーワードが登場した。そして,この小学校学習指導要領の解説総則編の第3章 教育課程の編成及び実施,第3節 教育課程の実施と学習評価,1 主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善,(3)  コンピュータ等や教材・教具の活用,コンピュータの基本的な操作 やプログラミングの体験(第1章第3の1の (3))に,「プログラミング的思考」という重要謎キーワードが以下のようにしてプログラミング教育の本質として使われている。

プログラミング教育とは
子供たちに,コンピュータに意図した処理を行うように指示することができるということを体験させながら,将来どのような職業に就くとしても,時代を超えて普遍的に求められる力としての「プログラミング的思考」などを育成するもの
プログラミング的思考とは
自分が意図する一連の活動を実現するために,どのような動きの組合せが必要であり,一つ一つの動きに対応した記号を,どのように組み合わせたらいいのか,記号の組合せをどのように改善していけば,より意図した活動に近づくのか,といったことを論理的に考えていく力
この言葉が,登場したのは平成28年(2016年)に開催された,小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議である。

第1回で,ヒアリングによばれた東京大学大学院工学系研究科特任准教授の松尾豊さんが,「プログラミング的な考え方を身に付けるというのを、非常に簡単なやり方でやることが重要なんじゃないかなというふうに思います」と発言し,ヤマハ株式会社事業開発部の隅井淳一さんが音楽教育とからめて「プログラミング的な考え方」といっている。

第2回では,ソニー・グローバルエデュケーション代表取締役社長の礒津政明さんが,コンピューテーショナル・シンキング=プログラミング的思考として,
プログラミング教育の本質が何であるかというと,御存じのとおり,コーディングというよりは,プログラミング的思考,先ほどもありましたが,コンピューテーショナル・シンキングと言われているところがプログラミング教育の本質ではないかと考えておりまして,この部分を強めるのが,プログラミング教育のあるべき姿だと感じているところです。
さらに,
少しまとめますと,いわゆるコンピューテーショナル・シンキング,プログラミング的思考というのは,日本の算数では,ある意味,既に内包されていまして,これ自体がプログラミング科目と言ってもいいんじゃないかというのが我々の結論です。
なお,この場で最初に,コンピューテーショナル・シンキングという言葉を持ち出したのは, その前に発言したマイクロソフト業務執行役員シニアディレクタ ーの中川哲さんだ。
コンピューターをよく理解している方がコンピューター屋とお話をして新しいインダストリーを作っていくということも,十分有効なことではないかなと思います。これをコンピューテーショナル・シンキングという考え方で分類されていて,アメリカの方ではよくお話をされていらっしゃいます。
こんな風にして,コンピューテーショナル・シンキング=プログラミング的思考がプログラミング教育の柱になる考え方として取り入れられていくことになる。 最後のほうにだめおしで,帝京大学教育学部で数学教育の清水静海さんが,次のようにまとめた。
論理的思考力や創造性,問題解決能力等の育成という大変広い視点からの整理と,それからコーディング,プログラム言語の方に寄り添った二つを例示されておりますけれども・・・プログラミング思考とかコンピューテーショナル・シンキング,これをこの二つの間に入れるべきではないかと。
コンピューテーショナル・シンキングが17回,プログラミング(的)思考 が8回登場した。

ところが,第3回では,コンピューテーショナル・シンキングという言葉は消えて,プログラミング的思考に用語が統一された。「プログラミング的思考」は議事録には26回,とりまとめ案には19回登場している。文科省の事務方や主査がこちらの用語でまとめることにしたのだろう。本来の流れでは,コンピューテーショナル・シンキング=プログラミング的思考だった。ここから,有識者会議で登場していたコンピューテーショナル・シンキングの概念からかなりずれた意味のプログラミング的思考(文部科学省が定義)の概念がはじまることになる。

2020年1月27日月曜日

フラッグシップ大学(2)


文部科学省の中央教育審議会のワーキンググループが,「Society5.0時代に対応した教員養成を先導する教員養成フラッグシップ大学の在り方について(最終報告)」を公表した。

教育再生実行会議は,安倍内閣の閣議決定による私的諮問機関であり,このような装置を用いて教育政策が恣意的に進められてきた。その第十一次提言が「技術の進展に応じた教育の革新、新時代に対応した高等学校改革について(第十一次提言)(令和元年5月17日)」である(参考資料)。

これを受けて,中央教育審議会初等中等教育分科会教員養成部会教員養成のフラッグシップ大学検討ワーキンググループが最終報告をまとめた。その概要は,冒頭で次のように紹介されている。
☆Society5.0時代に対応した,教員養成を先導するフラッグシップ大学(例えば教員養成の指定大学制度等)を創設する。
☆ STEAM教育や,児童生徒がICTを道具として活用することを前提とした問題発見・解決的な学習活動等についての高い指導力を 有する教員の育成を促進する。
つまり,フラッグシップ大学が具体的に何をすることが求められているのかというと,「Society5.0時代にふさわしい教員養成カリキュラムの研究開発(教科横断的なSTEAM教育・プログラミング 教育,AIやビッグデータ等に対応した特別の授業内容、指導方法等)」であり,普通だと概算要求プロジェクトとして公募をかけるような案件だ。

それが,新しいカテゴリーの大学をつくる(期限付きのようだが)ような話に持ち込んでいるのは,これをテコとして教員養成系大学の再編統合やコントロールにさらに手を突っ込みたいという文部科学省の意志の表現だと思う。もっとも,これまでもずっとそのための誘導政策は進めてきているが,肝腎のところで文科省の根性が足りないため,10年以上もずるずるとひっぱってきたわけだ。

あいかわらずのナンダカナー案件だが,いちおう行方は気になっている。


2020年1月26日日曜日

徳勝龍

奈良県奈良市出身の大相撲力士,西前頭17枚目の徳勝龍が令和2年の1月場所で優勝した。20年ぶりの幕尻優勝,98年ぶりの奈良県出身力士の優勝で話題になった。ちなみに東前頭筆頭の遠藤9勝6敗で殊勲賞,西前頭5枚目の炎鵬は8勝7敗で残念ながら技能賞を逃した。西前頭11枚目の輝は10勝5敗でらくらくと炎鵬に勝っていた。千秋楽のテレビにはしがみついて見ていたけれど,正大と御嶽海からはじまって,貴景勝と徳勝龍の対戦,優勝インタビューまで目を離せなかったし,久々の感動ものだった。

自分がテレビで観戦するスポーツで最も時間の多いのは大相撲だ。夫婦でよくみる。石川県からは相撲に強い力士が多く輩出されるからだ。富山県は前乃山くらいだけど。高校野球やプロ野球でもときどき松井秀喜のような選手が出てくるので目を離せない。スポーツは自分の中ではローカル・パトリオティズムと直結しているのであった。だからオリンピックはいやなのである。

奈良県出身の力士というのは誰かと思ってしらべると,鶴ヶ濱という名前がでてきたが,3名のうちで優勝したのは,1922年の東前頭4枚目鶴ヶ濱増太郎のようだった。相撲の起源は古代の奈良にあるのだけれど,相撲発祥の地として桜井市の相撲神社と葛城市(當麻町)のけはや座が争っている。これを機会にキャンペーンを繰り広げると良いかもしれません。

NHKの夕方の番組,ニュースホット関西や奈良ナビのスポーツコーナあたりで奈良県出身力士の勝敗情報が流れている。徳勝龍は十両あたりでいまひとつの成績だけど,とりあえずしょっちゅう目にしていたのだが,こんな日を迎えることになるとは,世の中何が起こるか分からない。



2020年1月25日土曜日

電子イオンコライダー(2)


そもそも,電子イオンコライダーの物理とは何だろうと思っていくつか資料を調べてみた。標語は結局こういうことだった。"The Next QCD Frontier − Understanding the glue that binds us all" なわけで,まあ,自分があまりよく分かっていないので,あまりおもしろいと感じてこなかった深部非弾性散乱だ。後藤さんによると,(1) パートン分布関数測定の精密化,(2)  核子・原子核のトモグラフィー,(3) グルーオン飽和,(4) 原子核内部でのハドロン化,なのでなんだかわくわくしない。

[1]The Electron-Ion Collider (BNL)
[2]The Electron-Ion Collider(JLab)
[3]A Large Hadron electron Collider at CERN(CERN)
[4]Electron‐Ion Collider (EIC) 計画と その物理(後藤雄二)
[5]An Assessment of U.S.-Based Electron-Ion Collider Science(2018)
[6]Electron Ion Collider: The Next QCD Frontier - Understanding the glue that binds us all (2014)
[7]eRHIC Design Study: An Electron-Ion Collider at BNL(2014)
[8]A Large Hadron Electron Collider at CERN: Report on the Physics and Design Concepts for Machine and Detector(2012)
[9]Electron Ion Collider User Group

2020年1月24日金曜日

湯川秀樹(2)

湯川さんといえば,大学院時代のゼミや博士論文審査会などは,理学部南の原子核実験施設の2F(1Fの高さにある)の入口を入ってすぐ右の雑誌室の隣にある湯川記念室で行っていた。この部屋の黒板の上には湯川さんの写真(下記参照)がかかっていた。大阪大学総合学術博物館湯川記念室のサイトのフォトギャラリーのA1ですね。あ,これは阪大提供の写真なので京大基研のようなうるさい条件はなくて,クレジットだけで使えるのか。湯川記念室はその後,阪大附属図書館に新たに部屋を設けられ,秘書(重永さん)もつくことになり,現在に至っている。

湯川さんを見たことが1度だけある。理学部物理の4回生のときに,毎回ゲストをよんで1時間くらいその専門分野の話を聞く授業があった。理学部5階のD501という階段教室で行われるが,誰でも参加して話を聞くことができるため,ノーベル賞2回受賞者のジェームス・バーディーン(1908-1901)のときなどは満席だった。湯川さんのときもそうだった。ただ,自分が湯川さんの話を聞いたのが,4回生のときだったのか大学院生のときだったのははっきり憶えていない。湯川さんはすでに京都大学を定年退職していて,病み上がりだったのかなんだかで,長いあごひげをはやしていた。で,なんの話をしたのかはまったく記憶にない。たぶん,あまりおもしろくなかったのです。

自分の所属していた森田研究室は,伏見研を引き継いだ内山研から派生しているので,湯川さんの流れを引いていることになる。また,研究内容も原子核における弱い相互作用と中間エネルギー物理であり,中間子交換流の話などまさにテーマのつながっているわけだった。したがって,いつも湯川ポテンシャルと戯れている人もいるのだった。

写真提供:大阪大学湯川記念室




2020年1月23日木曜日

湯川秀樹(1)

阪大の橋本幸士さんがツイートしていた。
「今日は湯川さんの誕生日とのこと。113年前の今日、湯川秀樹は生まれた。1世紀前の物理に想いを馳せるのに良い日である」
ということで,1月23日は湯川秀樹の誕生日である。

橋本さんが阪大の総合学術博物館の湯川記念室へのリンクを張っていた。なかなか良い仕上がりのページになっている。湯川秀樹の論文や資料,写真などが紹介されている。阪大の湯川記念室で所蔵しているものに加えて,小沼先生らが京大の基礎物理学研究所を基点に資料収集整理されたものの一部が阪大で公開されているようだ。論文や資料などはダウンロードすることもできるが,メールアドレスを登録してパスワードを請求する必要がある。早速試してみたが,登録の目的をきかれるのがちょっと面倒である。また,京大基礎物理学研究所のクレジットが入ったものを使う場合は,事前の許諾が必要である。

この他にも,北沢さん,橋本さんや細谷さんの話とか,湯川さんが内山さんに出したはがきの筆跡鑑定から読み解く人物像などの記事もあってとてもおもしろいのだ。

[1]阪大理学部の創設と湯川秀樹(斉藤吉彦)
[2]理学部を語る(大阪大学理学友倶楽部)


2020年1月22日水曜日

電子イオンコライダー(1)

アメリカ合衆国のエネルギー省(DOE)が,次期加速器計画である電子イオンコライダー(EIC)の建設候補地を,ブルックヘブン国立研究所(BNL)に決定し,今後10年間に2000億円程度かけて建設する模様である。この計画は,80%偏極した5-18 GeVの電子と70%偏極した275GeVの陽子または100 GeV/uのイオンのコライダーである。

そうか,アメリカ合衆国の加速器施設を持った国立研究所はすべて,DOEの管轄だったのか。そういえば,2013-2017年のオバマ時代のDOE長官がMITで電子散乱の研究をしていたアーネスト・モニツ(1944-)だった。物理学者がDOE長官なのかと思ったけれど,DOEの歴史をみればむしろ自然だったのかもしれない。

ブルックヘブンのeRHIC計画は,対抗馬だったトマス・ジェファーソン国立加速器施設(JLAB)のJLEICを退けて,新施設の建設を勝ち取った。電子散乱といえば,CEBAFが有名だったのだが,これがJLABとして引き継がれていた。こちらのほうは,75-80 %偏極した3-12 GeVの電子(CEBAFを使う)と80%偏極した40-100 GeVの陽子または16-40 GeV/uのイオンのコライダーである。

一方,欧州原子核機構(CERN)のほうも負けていない。Large Hadron electron Collider (LHeC)を考えていた。こちらは60 GeV電子と7 TeV陽子または2.7 TeV鉛イオンのコライダーであり,将来的には10 TeV陽子とのコライダーになることも想定されている。


2020年1月21日火曜日

AI美空ひばり

NHKがお金をかけて,美空ひばりをAIで蘇らせる企画番組を製作し,2019年の9月に「NHKスペシャル AIでよみがえる美空ひばり」として放映された。その時点では見逃していたが,年末の紅白で使うためのプロモーションとして再放送されたほうを見た。いやー,映像のほうは全然ダメだったが,歌声についてはなかなか感動した。秋元康はそのビジネスモデルも含めてまったく好きじゃないのだけれど,1989年の「川の流れのように」はそこそこ良かったで,2019年の「あれから」も同程度によいと思った。さっそくiTunes Storeでダウンロードする始末だ。

ところが,ネット上では,有識者による批判の声が後を絶たない。うーん,なんでそこまで否定するのかしら。その場合,2018年の映画「ボヘミアン・ラプソディ」はどうするというのだろうか。これまでも多くの伝記映画がつくられており,あるいは故人についての様々な歴史を掘り起こして再現する物語が書かれていると思うのだが,その辺はどうでしょうか。

もちろん,機械学習とその周辺技術の進化によって,実在の人物とまごうかたなき存在を表現することが可能になりつつあるので,それについての倫理的な問題群はてんこ盛りでやってくるのだろう。あるいはそれを敏感に察知したカナリアたちが根源的で感情的な反発を様々な理論で武装して表現しているのかもしれない。それにしても「美空ひばりを冒涜するな」だとかそのエクストリームで「ファンを冒涜するな」とまでいいだすのにはちょっと首を捻らざるを得ない。

大学に入ったころは,美空ひばりを一番嫌いな歌手として得意げにあげていた。たぶん,演歌の持つ土着で非合理で自民党のような雰囲気を代表するものとしての「美空ひばり的な何か」に対する反発だったのではないか。その後,マンドリンクラブのK君による都はるみの涙の連絡船に感動するという話や,キダ・タローさんによる美空ひばりの絶賛やら,後年の岡林信康との逸話などによって,自分の美空ひばりに対する考え方はまったく変わってしまい,リスペクトするようになっていた。