2022年2月27日日曜日

ウクライナ

 ウクライナへロシアの侵略が起こったのは,ウクライナへのNATOの拡大にたいする強い拒否反応を誘導し,ドイツとロシアの間の天然ガスパイプライン,ノルドストリーム2を妨害するための米国の思惑による部分があるという話があった。事の真偽はわからないが,日本のメディアはアメリカからの情報だけでまわっている。いや,だからといって,プーチンの行動はまったく正当化できないが。ウクライナが,グルジアのようになるのか,クリミアのようになるのかはまだわからない。

ロシアとウクライナの前身が1つの国であった,キエフ大公国(882-1240)の時代から考えれば,キエフが京都でモスクワが鎌倉のようなものなのだ。ロシアという名称自体が,キエフ大公国の正式名称であるルーシから来ている。自分たちのルーツが奪われて敵側軍事同盟に参加することへの圧倒的な拒否感ということか。

ウクライナといえば,中学校の社会科の時間に学んだ,肥沃な大地(黒土)と小麦というイメージだった。また,京都市の姉妹都市のキエフといえば,ムソルグスキーの「展覧会の絵(1874)」の「キエフの大門」か。

それ以外で,記憶にあるのは,ビージーズが1969年に発表したアルバムの「オデッサ」だ。1899年に遭難した架空の船の物語というコンセプトアルバムで,当時はビートルズの「ホワイトアルバム(1968)」に相当するというイメージだった。オデッサの収録曲「若葉のころ」と「メロディフェア」が,それぞれ映画「小さな恋のメロディ(1971)」の音楽として少し流行った。なぜ,オデッサという名前だったのか,本当に黒海に面したオデッサのことなのかどうかも確かではなく,当時も謎のままだった。


図:ウクライナの地図(AFP通信記事から引用)

P. S. Wikipedia 大鵬幸喜の項目から引用:「1940年(昭和15年),ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコの三男として,日本の領土である樺太の敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた。マルキャンはロシア革命後に日本に亡命した,所謂白系ロシア人であった。」

[1]満州事変(1931年)・・・柳条湖事件後,関東軍による占領,傀儡国家樹立

[2]イラク戦争(2003年)・・・虚偽事実による米英豪軍の侵攻と政権の転覆

[3]南オセチア紛争(2008年)・・・グルジア(ジョージア)が2州の支配権を喪失

[4]クリミア危機(2014年)・・・クリミア共和国の一方的独立宣言後,ロシアによる併合


2022年2月26日土曜日

関係量子力学(2)

Relational Quantum Mechanicsを関係量子力学と訳したけれどこれでよかったのか気になる。Relationalは形容詞なので ,関係的とかではないのかと思った。考えてみれば,リレーショナル・データベースの場合もカタカナでなければ関係データベースなわけで,英和辞典の例をみれば,ほとんどの場合,関係+名詞でよかった。

Relational Quantum Mechanics(RQM)の日本での評判を調べてみた。CiNiiではゼロでした。つまりは,ほとんど問題にもされていないということか。

Twitterでは2件ある。1つは東北大学の堀田昌寛さんで,RQMは標準コペンハーゲン解釈(フォン・ノイマン=ウィグナー流,量子力学=情報理論)とほとんど同じだが,意識を表わす直交基底系の選択ができない不良設定問題に陥っていると断じている(2021年11月)。堀田流解釈では意識が公理として定義(設定)できているということなのか。

もう1つは高知工科大学の全卓樹さんと阿蘇の史(Jimmy Ames)さんのTwitter上での議論だ(Carlo Rovelliの関係的量子力学をめぐって)。全さんの否定的評価を中心とした対話が続いていた(2017年)。まあ,最終的な落とし所はそこまででもなかったのかもしれない。

堀田さんは(あるいは皆さんは),簡単に人間の意識状態や宇宙の状態を1つのケットベクトルで表現している。フォン・ノイマンやウィグナーはそういう議論をしていたのかもしれない。抵抗はないものの,普通の教科書には書いていないのでちょっと気持ち悪い。

量子力学の解釈問題の歴史に関するオックスフォードのハンドブックが来月にも出版されそうだ。ちょっと高いので購入はためらわれるが,目次だけ整理してみた。

The Oxford Handbook of the History of Quantum Interpretations
Full Professor of Physics and History of Physics Olival Freire Jr
Oxford University Press, 2022/03/07 - 1312p
Introduction 1 

Part I Quantum Physics - Scienftific and Philosophical Issues Under Debate
1. Quantum Mechanics is Routinely Used in Laboratories with Great Success, but No Consensus on its Interpretation has Emerged 7
2. Philosophical Issues Raised by Quantum Theory and its Interpretations 53

Part II Historical Landmarks of the Interpretations and Foundations of Quantum Physics
3. Quantization Conditions, 1900-1927 77
4. Of Weighting and Counting: Statistics and Ontology in the Old Quantum Theory 95
5. Dead as a Doornail? Zero-Point Energy and Low-Temperature Physics in Early Quantum Theory 117
6. The Early Debates about the Interpretation of Quantum Mechanics 135
7. Foundations and Applications: The Creative Tension in the Early Development of Quantum Mechanics 173
8. The Statistical Interpretation: Born, Heisenberg, and von Neumann 1926-27 203
9. A Perennially Grinning Cheshire Cat? Over A Century of Experiments on Light Quanta and Their Perplexing Interpretations 233
10. The Evolving Understanding of Quantum Statistics 255
11. The Measurement Problem 281
12. Einstein's Criticism of Quantum Mechanics 303
13. Tackling Loopholes in Experimental Tests of Bell's Inequality 339
14. The Measuring Process in Quantum Field Theory 371
15. The Interpretation Debate and Quantum Gravity 393
16. Quantum Information and the Quest for Reconstruction of Quantum Theory 417
17. Natural Reconstructions of Quantum Mechanics 437
18. The Axiomatization of Quantum Theory through Functional Analysis: Hilbert, von Neumann, and Beyond 473
19. Tony Leggett's Challenge to Quantum Mechanics and its Path to Decoherence 495

Part III Places and Contexts Relevant for the Interpretations of Quantum Theory
20. The Copenhagen Interpretation 521
21. Copenhagen and Niels Bohr 543
22. Grete Hermann's Interpretation of Quantum Mechanics 567
23. Instrumentation and the Foundations of Quantum Mechanics 587
24. Early Solvay Councils: Rhetorical Lenses for Quantum Convergence and Divergence 615
25. The Foundations of Quantum Mechanics in Post-War Italy's Cultural Context 641
26. Foundations of Quantum Physics in the Soviet Union 667
27. Early Japanese Reactions to the Interpretation of Quantum Mechanics 1927-1943 687
28. Form and Meaning: Textbooks, Pedagogy, and the Canonical Genres of Quantum Mechanics 709
29. Chien-Shiung Wu's Contributions to Experimental Philosophy 735
30. On How Epistemological Letters Changed the Foundations of Quantum Mechanics 755
31. Quantum Interpretations and 20th Century Philosophy of Science 777

Part IV Historical and Philosophical Theses
32. Bohr and the Epistemological Lesson of Quantum Mechanics 797
33. Making Sense of the Century-Old Scientific Controversy over the Quanta 825
34. Orthodoxy and Heterodoxy in the Post-war Era 847
35. The Reception of the Forman Thesis in Modernity and Postmodernity 871
36. Quantum Historiography and Cultural History: Revisiting the Forman Thesis 887
37. The Co-creation of Classical and Modern Physics and the Foundations of Quantum Mechanics 909
38. Interpretation in Electrodynamics, Atomic Theory, and Quantum Mechanics 937

Part V The Proliferation of Interpretations
39. Hidden Variables 957
40. Pure Wave Mechanics, Relative States, and Many Worlds 987
41. Is QBism a Possible Solution to the Conceptual Problems of Quantum Mechanics? 1007
42. Agential Realism -- A Relation Ontology Interpretation of Quantum Physics 1031
43. The Relational Interpretation 1055
44. The Philosophy of Wholeness and the General and New Concept of Order: Bohm's and Penrose's Points of View 1073
45. Spontaneous Localization Theories Quantum Philosophy between History and Physics 1103
46. The Non-Individuals Interpretation of Quantum Mechanics 1135
47. Modal Interpretations of Quantum Mechanics 1155
48. A Brief Historical Perspective on the Consistent Histories Interpretation of Quantum Mechanics 1175
49. Einstein, Bohm, and Bell: A Comedy of Errors 1197
50. The Statistical Ensemble Interpretation of Quantum Mechanics 1223
51. Stochastic Interpretations of Quantum Mechanics 1247
Index 1265


写真:The History of Quantum Interpretationの書影(amazonより引用)

2022年2月25日金曜日

関係量子力学(1)

 関係量子力学について,Stanford Encyclopedia of Philosophy で勉強してみる。Copyright © 2019 by Federico Laudisa, Carlo Rovelli で本人が書いているので安全なやつだ。

関係量子力学(Relational Quantum Mechanics)

関係量子力学(RQM)は,現在まで議論されている量子力学の解釈の中で,最も新しいものである。RQMは,1996年に量子重力を研究していたロベリによって導入されたが(Rovelli 1996),この十年の間にしだいに,しかし着実に関心が高まってきた。RQMは,本質的に教科書的な「コペンハーゲン」解釈の改良版であり,観測者の役割を担えるのは古典的な系に限定されず,あらゆる物理系が担うことができるとされている。RQMは,波動関数(より一般的には量子状態)の存在論解釈を否定している。波動関数や量子状態は,古典力学のハミルトン=ヤコビ関数と同様の意味で,補助的な役割しか果たしていない。これは,存在論的な言及の否定を意味するわけではない。RQMは,古典力学と同様に,物理変数によって記述される物理系によって与えられる存在論に基づいている。古典力学との違いは,(a)変数は相互作用のときだけ値をとること,(b)変数のとる値は相互作用の影響を受ける(他の)システムに対して相対的にのみ決まることである。ここでいう「相対的」とは,古典力学において速度が他の系に対する系の性質であるのと同じ意味である。したがって,RQMでは,世界は,物理変数の時間的な相対値によって記述される,疎な相対的事象の発展的なネットワークとして記述される。

RQMの基礎となる物理的仮定は次のようなものである。S'に対する相対的変数の(未来の)値に対する確率分布は,S′に対する相対的な変数の(過去の)値に依存するが,別のシステムS″に対する相対的な変数の(過去の)値には依存しない。

この解釈では,定式化されるべき古典的世界の存在や,特別な観測者系を想定する必要はなく,測定に特別な役割を与えることもない。そのかわり,任意の物理システムがコペンハーゲン解釈における観測者の役割を果たすことができ,任意の相互作用が測定と見なされることを仮定している。これは,上記の物理的仮定により,量子論の予言を変えることなく可能である。なぜならば,S′によって観測される干渉効果は,別のシステムS″と相対的な変数の実現によって消去されることがないからだ(もちろんデコヒーレンスによって抑制されることはある)。このように,RQMは,隠れた変数,多世界,波束の収縮機構,あるいは,心・意識・主観性・エージェントなどの特別な役割を必要とせずに,完全に量子力学的な世界を理解することができる。

このような簡略化の代償として,物理変数が非相関的な値を持ち,すべての時間に存在するとされる古典力学の強い実在論が否定される。変数が相互作用時にのみ値をとるという事実は,疎な事象(または閃光する)の存在論を与える。変数が参照する系によってラベル付けされるという事実は,世界の表現に指標性の段階概念を追加することになる。

RQMは形而上学的に中立であるが,以下に詳述する意味で,強い実在論(Laudisa 2019)に疑問を示す強い関係性の立場にある。このように実在論に障るため,RQMは,構成的経験主義(van Fraassen 2010),新カント主義(Bitbol 2007, Bitbol 2010),最近では反一元論(Dorato 2016),構造実在論(Candiotto 2017)など様々な哲学的観点の文脈で順々に嵌められてきた(Brown 2009, Wood 2010)。この解釈は,量子ベイズ主義(Fuchs 2001, 2002),ヒーリーのプラグマティズム的アプローチ(Healey 1989),特にザイリンガーとブルックナーによって論じられた量子論の見解と共通する面がある(Zeilinger 1999, Brukner & Zeilinger 2003)。

たぶん,弱測定や弱値,圏論,ベイズ推定などとも相性が良さそうな 雰囲気がただよう。そういえば,圏論的量子力学という本も出版されていたが,これは正確には,Categories for Quantum Theory: An Introductionなので少し違うかもしれない。いやいや,Categorical Quantum Mechanicsもあった。

圏論的量子力学は,圏論を利用した図式的表現にポイントがあって,解釈問題とはあまり近接しない話題のようだ。量子計算への応用があるとかなんとか。arxivで調べてみると,"Categorical Quantum Mechanics"が63件,"Relational Quantum Mechanics"が43件で,どちらも流行っていません。

[1]Fantastic Quantum Theories and Where to Find Them (Stefano Gogioso)・・・怪しい量子力学のオンパレード

2022年2月24日木曜日

平方完成

 平方完成は,入試問題を解くときなど,条件設定の場面でたいへん重宝する技法だ。ちょっと手計算が面倒な式がでてきたので,Mathematicaに任せようと思った。

ところが,探してみてもMathematicaで平方完成する関数が組み込まれていないようなのだ。もしかしたら調べ方が足りないのかもしれないが,普通に考えるとイの一番に出てきても良さそうな機能なのだが。

それらしいユーザ定義関数がいくつか見つかったけれど,2変数の整式を代入しても思ったような変形ができず,望みのものではなかった。しかたがないので,自分で関数パーツを考えることにした。これを一般化するには,Mathematicaプログラミングにおける文法の知識が足りなさすぎる。

ここで考えたのは,ある変数の二次式を与えたときに,平方完成された部分と残余部分のリストを返すユーザ定義関数 sq[式, 変数]だ。変数がn個ある場合は,n回繰り返して使う必要があるという残念なコード素片だ。

sq[f_, v_] :=
 Module[{a, b},
  a = Coefficient[f, v^2];
  b = Coefficient[f, v];
  {a (v + b /(2 a))^2,
  c = f - a (v + b /(2 a))^2}] // Simplify
これを使って次のような計算ができる。
In[1]:= sq[2 x^2 - 4 x y + 2 y^2 + 24 x - 24 y + 288 + 3 x y, x] 
Out[1]= {1/8 (-24 - 4 x + y)^2, 216 - 18 y + (15 y^2)/8}
In[2]:= sq[%[[2]], y] 
Out[2]= {3/40 (24 - 5 y)^2, 864/5}

2022年2月23日水曜日

ヘルゴラント

 ヘルゴラントは,ドイツの北部,北海に浮かぶとても小さな島である。

ゲッチンゲンハイセンベルクは,1924年9月から1925年4月末までコペンハーゲンのボーアの理論物理学研究所に在籍した。5月に入って,花粉症を避けるためにヘルゴラントに10日ほど滞在し,そこではじめて量子力学の正しい法則にたどり着いた。ゲッチンゲンのボルンのところに戻ったハイゼンベルクは,1925年の9月に "Über quantentheoretische Umdeutung kinematischer und mechanischer Beziehungen" (運動学的・力学的関係の量子論的再解釈) という,今日の量子力学の出発点となる論文を出す。

ループ量子重力理論の研究で有名なカルロ・ロヴェリが,量子力学が誕生したこの島の名前をつけた一般向けの著書 "Helgoland" が2020年に出版された。2021年には冨永星による邦訳,「世界は「関係」でできている:美しくも過激な量子論」が出ている。書名がヘルゴランドのままだったら,誰も買わなかったかもしれない。

この本の内容は,ハイゼンベルクによる量子力学の誕生から出発して,ロヴェリが提唱している関係量子力学(Relational Quantum Mechanics)のエッセンスを説くものらしい。というのもまだ,読んでいないので目次しかわからないからだ。

これを,意識の科学に関わっている,神経科学者の土谷尚嗣と数理物理学者で小嶋泉の学生だった西郷甲矢人が取り上げ,意識ラジオの中でロヴェリの著書を巡る対談をしていた。彼らはさらに,脳科学の大泉匡史などにつながっていた。意識を圏論で定式化できる関係によって理解しようとする流れが,関係量子力学とのつながりを発見したということか。

世界は「関係」でできているー美しくも過激な量子論
カルロ・ロヴェッリ 冨永星

第一章 奇妙に美しい内側を垣間見る
1 若きハイゼンベルクの突拍子もない思いつきー「オブザーバブル」
2 シュレーディンガーの紛らわしいΨー確率
3 この世界の粒状性ー量子
第二章 極端な思いつきを集めた奇妙な動物画集
1 重ね合わせ
2 Ψを真剣に受け止めるー多世界と,隠れた変数と,自発的収縮と
3 不確定性を受け入れる
第三章 みなさんにとっては現実,でもわたしにとっては現実でない事柄とは?
1 かつて,この世界が単純にみえたことがあった
2 関係
3 希薄で曰く言いがたい量子の世界
第四章 現実を織りなす関係の網
1 エンタングルメント
2 三人一組の踊りが織りなすこの世界の関係
3 情報
第五章 立ち現れる相手なくして,明瞭な記述はない
1 ボグダーノフレーニン
2 実体なき自然主義ー状況依存性
3 土台がない? ナーガルージュナ(龍樹
第六章 「自然にとっては,すでに解決済みの問題だ」
1 単純な物質?
2 「意味」は何を意味しているのか
3 内側から見た世界
第七章 でも,それはほんとうに可能なのか


写真:RobvelliのHelgolant(イタリア語原著の書影)

[1]圏論による意識の理解(土谷尚嗣・西郷甲矢人,2019)

2022年2月22日火曜日

三次方程式の解

 二次方程式の解は,与えられた2次式を平方完成すればよいので,公式を忘れても導ける。まあ,平方完成の手順を理解して導出できるくらいなら,かつて曾野綾子に「二次方程式の解の公式を学んだことは,人生において何の役にもたたなかった」とボロクソに腐された解の公式もすぐに出てくるだろうから心配する必要はない。

準備として,$x^3=1$の解を,$\{ 1,\ \omega=\frac{-1+\sqrt{3} i}{2}, \ \omega^2=\frac{-1-\sqrt{3} i}{2} \}$としておく。

三次方程式$a x^3 + b x^2+ c x + d = 0$は,$x^3 +p x + q =0$ の形にすることができる。次に,因数分解の公式,$x^3+y^3+z^3-3xyz = (x+y+z)(x^2+y^2+z^2-x y -y z -z x)$を用いる。つまり,$p = - 3 y z$,$q = y^3 + z^3$とすれば,もとの三次方程式は因数分解できることになり,すなわち,解が求まることになる。

ここで,$y^3$と$z^3$の対称式を考えるのがポイントである。$p^3=-27 y^3 z^3$から,$y^3$と$z^3$は,$t^2-q t -(p/3)^3=0$の解である。$t = (q/2) \pm \sqrt{(q/2)^2+(p/3)^3}$

因数分解された右辺の第2項を$x$の2次式と考えてさらに因数分解するため,$x^2-(y+z)x +y^2 -yz + z^2 = 0$とおいて,2次方程式の解の公式を使うと,

$x=\frac{1}{2} \bigl( y + z \pm \sqrt{(y+z)^2-4(y^2+z^2-yz)} \bigr) = \frac{1}{2} \bigl( y + z \pm \sqrt{-3y^2+6yz-3z^2} \bigr)$

$\quad= \frac{1}{2} \bigl( y + z \pm (y - z ) \sqrt{3}i  \bigr) = -y \frac{-1 \mp \sqrt{3}i}{2} -z \frac{-1 \pm \sqrt{3}i}{2}$

したがって,$x^3 +p x + q =0$の解は,$\{ -y -z, \ -\omega^2 y -\omega z, \ -\omega y - \omega^2 z \}$,ただし,$\{ y , z \}= \{ \bigl( q/2 + \sqrt{(q/2)^2+(p/3)^3} \bigr)^{1/3}, \ \bigl ( q/2 - \sqrt{(q/2)^2+(p/3)^3} \bigr)^{1/3} \} $である。

2022年2月21日月曜日

二項分布と正規分布

統計物理学のための準備シリーズが続く。ここでは,$N$が大きいときの二項分布を正規分布で近似する方法を確かめる。

アボガドロ数$N$個の粒子を,左右2つの箱に確率$p$と$q$($p+q=1$)で入れるとき,分配される粒子の個数の確率分布は二項分布に従う。すなわち,左の箱に入る粒子の数を$n$,その場合の確率を$r(n)$とすると,$r(n)={}_N C_{N-n} p^n q^{N-n}=\frac{N!}{n!(N-n)!} p^n q^{N-n}, \quad \sum_{n=0}^N {}_N C_{N-n} p^n q^{N-n} =(p+q)^N = 1$

ここに,スターリングの公式,$n! \simeq \sqrt{2\pi n} (\frac{n}{e})^n $ 等を当てはめると,

$r(n) \simeq \sqrt{\frac{N}{2\pi n(N-n)}} \frac{N^N p^n q^{N-n}}{n^n (N-n)^{N-n}} =  \sqrt{\frac{N}{2\pi n(N-n)}} \bigl( \frac{Np}{n}\bigr)^n \bigl(\frac{Nq}{N-n} \bigr)^{N-n}$

$\therefore \log r(n) \simeq n \log \frac{Np}{n} + (N-n) \log \frac{Nq}{N-n} $

 ただし,$O(\{n,N\}^{-1/2})$である初項はおとす。極値を求めるため,$\log r(n)$を$n$で微分して,

$\log Np -1 -\log n -\log Nq +\log(N-n) +1 =0, \quad \log \frac{Np}{n} = \log \frac{Nq}{N-n}$

極値を与えるのは$n=Np$であり,このとき$r(n)=\sqrt{\frac{1}{2\pi N p q}}$ となる。

次に,$n=Np+x$とおき,$r(n)$を$n=Np$のまわりに展開して$x$の2次近似式を求める。ただし,$x \ll Np$であり,$\log (1\pm x) \simeq \pm x + \frac{x^2}{2}$を用いる。

$r(n )= \sqrt{\frac{1}{2\pi p q N}} \ \exp \{ -n \log \frac{n}{Np} - (N-n) \log \frac{N-n}{Nq} \}$

$\quad\quad = \sqrt{\frac{1}{2\pi p q N}} \ \exp \{ -(Np+x) \log (1+ \frac{x}{Np}) - (Nq-x) \log (1-\frac{x}{Nq}) \}$

$\quad\quad = \sqrt{\frac{1}{2\pi p q N}} \ \exp \{ -(Np+x)  ( \frac{x}{Np}+ \frac{x^2}{2 (Np)^2} ) - (Nq-x)  (-\frac{x}{Nq} + \frac{x^2}{2 (Nq)^2} ) \}$

$\quad\quad = \sqrt{\frac{1}{2\pi p q N}} \ \exp \{ -(x + \frac{x^2}{2 Np}) - (-x + \frac{x^2}{2 Nq}) \}$

$\quad\quad = \sqrt{\frac{1}{2\pi p q N}} \ \exp \{ - \frac{x^2}{2 p q N} \} = \sqrt{\frac{1}{2\pi p q N}} \ \exp \{ - \bigl(\frac{n-Np}{\sqrt{2 p q N }}\bigr)^2 \} $

このとき,次の規格化条件が満たされる。$\sigma = p q N$とおいて,$\int_{-\infty}^{\infty} \sqrt{\frac{1}{2 \pi \sigma}} \ \exp \{ - \bigl(\frac{n-Np}{\sqrt{2 \sigma }}\bigr)^2 \} dn = 1$

[1]De Moivre - Laplace Theorem

2022年2月20日日曜日

スターリングの公式

 d次元球の体積からの続き

統計力学をはじめるには,スターリングの公式が必須なので菊池誠のテキストで復習する。

ガンマ関数$\Gamma(x)$は,階乗の実数への拡張と考えることができる関数である。$x$が自然数$n$のときに$\Gamma(n+1)=n!$を満足し,次の積分で定義されている。

$\Gamma(x)=\int_0^\infty t^{x-1} e^{-t} dt ,\quad \Gamma(1)=1,\quad  \Gamma(1/2)=\int_{-\infty}^\infty e^{-x^2} dx = \sqrt{\pi}$

ここで,階乗の雰囲気をただよわせる漸化式が成り立つ。$\Gamma(x+1) = \int_0^\infty t^x e^{-x} dt = \bigl[ (-1) t^x e^{-x}\bigr]_0^\infty + \int_0^\infty x t^{x-1} e^{-x} dt = x \Gamma(x)$

引数$x$に,後にアボガドロ数オーダーの非常に大きな数になる予定の$N$を入れてみる。

$N!= \Gamma(N+1) = \int_0^\infty t^{N} e^{-t} dt = \int_0^\infty t^{N} e^{N\log t -t} dt $

指数関数の肩の項$N\log t -t$を微分して極値を探すと,$t=N$で極大値が$N\log N -N$となる。そこで,この$t=N$の周りで$N\log t-t$をテイラー展開して2次の項まで残す。

$N\log t-t \simeq N\log N - N -\frac{1}{2N}(t-N)^2$

指数関数の肩にある$t$の2次の項をほとんど寄与がない積分領域である$\int_{-\infty}^0$まで拡張した上でガウス積分すると,$N!= \int_0^\infty t^{N} e^{N\log N -N -\frac{1}{2N}(t-N)^2} dt = N^N e^{-N} \int_{-\infty}^\infty e^{-\frac{1}{2N}(t-N)^2} = \sqrt{2\pi N} \bigl( \dfrac{N}{e}\bigr)^N$

これから,スターリングの公式,$\log N! = N \log N -N + \log  \sqrt{2\pi N}$ が得られる。

2022年2月19日土曜日

d次元球の体積

 来年度の統計物理学の準備をしている。

先日購入したばかりだが,阪大の湯川諭さんの統計力学の教科書はなかなか読みやすいと思ったが,その師匠の菊池誠「統計力学のはじめの一歩」も結構よかった。これまでテキストに指定されてきた,講談社基礎物理学シリーズの北原・杉山の統計力学は取っつきにくかったが改めて見直すと丁寧でやさしそうだ。高橋康さんの統計力学入門は好感が持てるけれど・・・,あれこれ目移りするのでなかなか講義ノートがまとまらない。

とりあえず,ミクロカノニカル集団で出会う最初の関門が,半径$R$の$d$次元球の体積${\cal V}_d(R)$の導出だ。これは次のように$d-1$次元球面を動径方向に積分して求めることができる。ただし,半径$R$の$d-1$次元球面積は,その次元を考慮して,${\cal S}_d(R) = c_d \ R^{d-1}$で与えられるとする。$c_d$は幾何学的な係数である。

${\cal V}_d( R) = \int_0^R {\cal S}_d(r) dr =\int_0^R c_d\ r^{d-1} dr = c_d \dfrac{R^d}{d}$

したがって,幾何学的な係数である$c_d$が求まれば良いわけだ。これを計算するために,$r^2= x_1^2 + \cdots + x_d^2$として,次のガウス積分を利用する。

$\int_{-\infty}^{\infty} dx_1 \cdots \int_{-\infty}^{\infty}dx_d \ e^{- (x_1^2 + \cdots + x_d^2)} =    \int_0^\infty c_d\ r^{d-1}\ e^{- r^2} dr$

$l. h. s. = \Bigl( \int_{-\infty}^{\infty} e^{- x^2} dx \Bigr)^d = \sqrt{\pi}^{\ d}= \pi ^{d/2} $

$r. h. s. = c_d \int_0^\infty r^{d-1} e^{- r^2} dr = c_d \int_0^\infty \frac{1}{2} t^{d/2 -1} e^{-t} dt = \dfrac{c_d}{2} \Gamma(\frac{d}{2})$

$\therefore c_d = 2 \pi ^{d/2} / \Gamma(\frac{d}{2}),\quad  \therefore \ {\cal V}_d(R) = \dfrac{\pi^{d/2} R^d}{\Gamma(\frac{d}{2}+1)}$

[1]超球の体積

2022年2月18日金曜日

MAUD委員会

 フリッシュ=パイエルスの覚書の続き

1940年2月に書かれた,フリッシュ=パイエルスの覚書は,上司であるバーミンガム大学のマーク・オリファント(1901-2000)に渡された。フリッシュより4歳,パイエルスより7歳上だ。ことの重大さが理解され,3月には,イギリス防空科学調査委員会議長の化学者,ヘンリー・ティザード(1885-1959)宛てに送付された。

 これにより,ディザードが4月に設置した委員会は,G. P. トムソンを議長として,ジョン・コッククロフト,ジェームズ・チャドウィック,フィリップ・ムーン,オリンファントが加わった。6月にはMAUD委員会と称されるようになる。ただし,ドイツからの亡命者であった,フリッシュとパイエルスは加えられていない。なお,MAUDの由来は次のようなものだ。

1940年4月9日,ドイツがデンマークに侵攻した日,ニールス・ボーアはフリッシュに電報を打っていた。その電報は「コッククロフトとモード・レイ・ケントに伝える」という奇妙な行で終わっていた。当初、これはラジウムまたは他の重要な原子兵器関連の情報をアナグラムで隠した暗号だと考えられていた。一つの提案は、「y」を「i」に置き換えて「radium taken」を生成することだった。1943年にボーアがイギリスに帰国した時。このメッセージがジョン・コッククロフトとボーアの家政婦でケント州出身のモード・レイに宛てたものであることが判明した。こうして、委員会は「MAUD委員会」と名付けられた。(Wikipedia MAUD Committeeより)。

MAUD委員会は7月には報告書をまとめている。その第一部を訳出してみた。

MAUD委員会報告書「ウランの爆弾への利用について」現在の知見の概要

1.一般的な記述

ウランの原子エネルギーを軍事目的で利用する可能性を調査する作業は1939年以来行われており,現在では進捗状況を報告することが望ましいと思われる段階に達している。

この報告書の冒頭で強調したいのは,私たちがこのプロジェクトに参加したのは,調査しなければならない問題であると感じながらも,信じるよりは懐疑的であったということである。プロジェクトを進めるにつれ,大規模な原子エネルギーの放出は可能であり,それを非常に強力な戦争兵器にする条件を設定することができると,ますます確信するようになった。

我々は,有効なウラニウム爆弾を作ることが可能であるという結論に達した。この爆弾は,約10kgのウランを含み,1800トンのT.N.T.爆弾に匹敵する破壊力を持ち,さらに大量の放射性物質を放出する。このため,爆弾が爆発した場所の近くでは長期間にわたって人命が危険にさらされる。

爆弾は,通常のウランに140分の1程度含まれる活性成分(以下,「235U」と略記する)作られる。235Uと他のウランとの特性(爆発性以外)の差が非常に小さいため,その抽出は非常に困難である。1日当たり1kg(または1ヵ月当たり3個の爆弾)の生産工場は,約500万ポンドかかると推定され,そのうちのかなりの割合はエンジニアリングに費やされ,タービン製造に必要なのと同じ高度な技術を要する労働力を必要とするだろう。

このような多額の支出にもかかわらず,物質的にも精神的にも破壊的効果が非常に大きいため,この種の爆弾の製造にはあらゆる努力が払われるべきであると我々は考えている。所要時間については,帝国化学工業がメトロポリタン・ビッカースのガイ博士と協議した結果,最初の爆弾の材料は1943年末までに準備できると推定している。これはもちろん,まったく予期しない性格の大きな困難が生じないことを前提としている。

ウリッジのファーガソン博士は,核物質の接合に必要な高速度を出す方法(第3項参照)を完成させるのに必要な時間は1〜2ヵ月と見積もっている。この点については,材料の生産と同時に行うことができるので,これ以上の遅れは予想されない。たとえ爆弾が完成する前に戦争が終結したとしても,その努力は無駄にはならない。ただし,完全な軍縮が行われる可能性は低く,これほど決定的な可能性を持つ兵器なしでいる危険を冒す国はないだろうから。

ドイツが重水と呼ばれる物質の確保に多大な苦労をしたことは知っている。初期の段階では,この物質が我々の仕事にとって非常に重要な意味を持つのではないかと考えていた。実際,これが原子エネルギーの放出に役立つのは,直ちに戦争に利用できそうにない過程に限られるようだが,ドイツ人はもうこのことに気づいているかもしれない。また,私たちが現在取り組んでいる研究は,有能な物理学者なら誰でも思いつきそうなものであることを述べておく。

これまでのウランの最大の供給地はカナダとベルギー領コンゴで,それに付随するラジウムのために活発に探されてきたので,未踏の地域以外にかなりの量のウランが存在するということはないと思われる。

2.原理

この種の爆弾は,原子に内在する膨大なエネルギー貯蔵量と,活性成分であるウランの特殊な性質によって可能である。この爆発は,通常の化学爆発とはメカニズムが大きく異なり,235Uの量がある臨界量より多い場合にのみ発生する。臨界量以下の場合には非常に安定している。したがって,このような場合は完全に安全であり,我々はこの点を特に強調したい。

一方,臨界量を超えると不安定になり,非常に速い速度で反応が進行し,増殖し,未曾有の大爆発を起こす。従って,爆弾を爆発させるのに必要なのは,臨界値より小さいが,接触すると臨界値を超える質量を持つ活性物質(235Uの塊)を2個集めることである。

3.接合の方法

この種の爆発で最大の効率を得るためには,2つの半球を高速で結合させる必要があり,二重銃の形で通常の爆薬を同時に発射することによってこれを行うことが提案されている。

この銃の重量は,もちろん爆弾自体の重量を大幅に上回るが,1トン以上にはならないはずであり,現代の爆撃機の搭載能力の範囲内であることは間違いない。銃を含めた爆弾はパラシュートで投下し,これが地面に設置したときに雷管によって銃が発射されると考えられる。投下時間は,飛行機が危険地帯から脱出するのに十分な長さにすることができ,これはとても大きいので,非常に正確な狙いは必要ない。

4.予想される効果

1,800トンのT.N.T.爆弾が爆発するとどのような被害が出るかについては,1917年に米国ハリファックスで起きた大爆発が最もよく知られている。次の記述は「火薬の歴史」からのものである。「この船には200トンの雷管,55トンの軍用綿,2,100トンのピクリン酸が含まれており,合計2,355トンであった。爆発範囲は四方に及び,この範囲ではほぼ完全に破壊されていた。構造物の被害は大きく半径1.8kmから2.0kmに及び,ある方向では発生源から2.8kmまで及んだ。爆破片は5〜6km飛び,16kmさきの窓ガラスが割れ,一例では98kmまで破損した」。

この記述を検討する際には,爆発物の一部は水面下,一部は水面上に位置していたことを忘れてはならない。

5.資材の準備と費用

我々は,通常のウランから235Uを抽出する方法について詳細に検討し,多くの実験を行った。我々が推奨する方式は,この報告書の第Ⅱ部に記載されており,より詳細には付録Ⅳに記載されている。この方法は基本的に,非常に細かいメッシュのガーゼを通してウランの化合物を気体拡散させるものである。

この報告書に添付した規模とコストの見積もりでは,現在存在するガーゼの種類だけを想定している。比較的小さな開発で,より小さなメッシュのガーゼを作ることができ,同じ生産高であれば,より小型で安価な分離プラントを建設できる可能性がある。

この爆薬の1kg当たりのコストは非常に大きいが,放出されるエネルギーと与えられるダメージの点から考えると,普通の爆薬といい勝負になる。実際には,かなり安いのだが,我々が圧倒的に重要だと考える点は,この物質がもたらす集中的な破壊,大きな道徳的効果,そしてこの物質の使用によって,通常の爆薬による爆撃と比較して,航空労力の節約になることである。

6.議論

この方式の際立った難点の一つは,主要な原理を小規模で試すことができないことである。最小臨界サイズの爆弾を作るだけでも,多大な時間と経費がかかる。しかし,我々はこの原理が正しいことを確信しており,臨界サイズについてはまだ不明な点があるが,我々ができる最善の推定が一般的な結論を無効にするほど間違っている可能性はほとんどない。我々は,現在の証拠が,この計画を強く推し進めるのに十分であると感じている。

235Uの製造に関しては,実験室規模でほぼ可能な限り行ってきた。この方法の原理は確かなものであり,その応用は化学工学の一分野としてそれほど難しいとは思われない。しかし,より大規模な研究が必要であることは明らかであり,必要な科学者を見つけることが難しくなりつつある。

さらに,この兵器が今から2年後に利用可能になるとすれば,工場の建設計画を開始する必要があるが,20段のモデルがテストされるまでは,本当に大きな支出は必要ないだろう。また,最終的には製造の監督者となる人材の育成に着手することも重要である。235Uの濃度を測定する装置など,開発すべき補助的な装置も数多くある。さらに,私たちが使おうとしているガス状の化合物である六フッ化ウランを大量に製造するための化学的側面を,かなり大規模に開発する必要がある。

以上のことから,この戦争で有効な兵器として期待するのであれば,この作業をさらに大規模に継続するかどうか,決断することが重要な段階に来ていることがわかるだろう。今,大幅に遅れるようなことがあれば,この兵器が実用化される時期が相当程度遅れることになる。

7.米国での活動

アメリカはウラン問題に取り組んでいるが,その努力の大部分は,爆弾の製造よりも,動力源としてのウランに関する我々の報告書で述べたようなエネルギーの生産に向けられていると,我々は聞いている。実際,私たちは米国と情報交換をする程度の協力はしており,米国は私たちのために1つか2つの実験的作業を引き受けた。私たちは,235Uを分離する工場をどこに設置するかが最終的に決定されるにせよ,大西洋の両側で開発作業を進めることが重要であり,望ましいと考えている。この目的のために,委員会の一部のメンバーが米国を訪問することが望ましいと思われる。そのような訪問は,この問題を扱っている米国の委員会のメンバーから歓迎されると聞いている。

8. 結論と勧告

(i) 委員会は,ウラン爆弾の計画は実行可能であり,戦争において決定的な結果をもたらす可能性があると考える。

(ii) 委員会は,この作業を最優先し,可能な限り最短時間で兵器を得るために必要な規模を拡大して継続することを勧告する。

(iii) アメリカとの現在の協力関係を継続し,特に実験的研究の分野でそれを拡大すべきである。


写真:MAUD委員会が開催されたバーリントンハウス(Wikipedia MAUD Committeeより)

 [1]The MAUD Report 1941

[2] 放射能・放射線の発見から原爆開発の始まりまで(今中哲二)

2022年2月17日木曜日

アインシュタイン=シラードの手紙

フリッシュ=パイエルズの覚書からの続き 

比較のために,DeepLの助けを借りて訳出してみた(ときどき重要な部分がとばされているので注意が必要)。核分裂連鎖反応に必要なウランは数トンであるという知識の段階で出された手紙である。

連鎖反応は,1933年にレオ・シラード(1898-1964)によって初めて理論的に予言され,1939年に,フレデリック・ジョリオ=キュリー(1900-1958),エンリコ・フェルミ(1901-1954),シラードの3グループによって実験的に検証された。その直後の手紙である。

村上陽一郎が,そのマッチポンプ的な振る舞いに目をつぶっておかしいくらいに美化していたシラードだが,藤永茂が指摘していたように,彼の複合的な野心というものがもろに表現された手紙だと思う。残念ながら,その大半は空振りに終ってしまったが,原爆への道は開かれた。

アルバート・アインシュタイン
オールドグローブ・ロード
ナッソーポイント
ロングアイランド州ペコニック

1939年8月2日

F. D. ルーズベルト
アメリカ合衆国大統領
ホワイトハウス
ワシントンD. C. 

閣下

エンリコ・フェルミとレオ・シラードの最近の研究は,原稿で私に伝えられましたが,私は,ウランという元素が近い将来,新しい重要なエネルギー源になる可能性があると予想しています。このような状況の発生は,米国政府の側で注意深く観察し,必要であれば迅速な行動をとることを要求しているように思われる部分があります。そこで私は,以下の事実と勧告に注意を喚起することが,私の義務であると考えます。

この4ヵ月の間に,フランスのジョリオ,アメリカのフェルミとシラードの研究により,大量のウランで核連鎖反応を起こすことが可能であることが判明しました。これにより,膨大なエネルギーと大量のラジウム元素のような放射性物質が生成されます。現在では,これが近い将来に実現できるということはほぼ確実と思われます。

この現象は,爆弾の製造にもつながり,極めて強力な新型爆弾が製造される可能性があります(絶対ではありませんが)。この種の爆弾を一つ,船で運んで港で爆発させれば,港全体とその周辺の領土の一部を破壊することは大いに可能です。しかしながら,このような爆弾は,空輸するには重すぎることがわかっています。

米国には,中程度の量の非常に質の悪いウランの鉱石しかありません。カナダと旧チェコスロバキアに良質の鉱石がありますが,ウランの最も重要な供給源はベルギー領コンゴです。

このような状況を考えると,米国で連鎖反応を研究している物理学者グループと米国政府との間に何らかの恒常的な接触を維持することが望ましいと思われるでしょう。これを実現する一つの方法は,あなたの信頼が厚く,おそらく非公式な立場で奉仕できる人物にこの仕事を任せることかもしれません。その人の任務は次のようなものです。

a) 政府諸官庁に働きかけ,今後の開発状況を知らせるとともに,米国へのウラン鉱石の供給確保という問題に特に注意を払いながら,政府の対応について勧告を行うこと。

b) 現在,大学の研究所の予算の範囲内で行われている実験的研究を,資金が必要であれば,この目的のために寄付をする意思のある個人との接触を通じて,また,おそらく必要な設備を持つ産業研究所の協力を得ることによって,加速すること。

ドイツは,占領したチェコスロバキアの鉱山からのウランの販売を実際に停止したと聞いています。ドイツのヴァイツゼッカー国務次官の息子がベルリンのカイザーヴィルヘルム研究所に所属しており,そこでアメリカのウランに関する研究の一部が繰り返されていることを考えると,ドイツがこのような早い行動を取った理由が理解できるかもしれません。

本当にありがとうございました。

アルバート・アインシュタイン


写真:アインシュタインとシラードの再現映画のシーン(読書猿Classicから引用)

2022年2月16日水曜日

フリッシュ=パイエルスの覚書

ハイゼンベルグ原子炉からの続き

マンハッタン計画につながったのは,アインシュタイン=シラードの手紙ではなく,フリッシュ=パイエルスの覚書だったということで,その前半をDeepLを使いながら訳してみた。後半は,ウラン235の臨界質量を計算するための物理的なパートである。

オットー・ロベルト・フリッシュ(1904-1979)は叔母のリーゼ・マイトナー(1878-1968)とともに,オットー・ハーン(1879-1968)と学生のフリッツ・シュトラウスマン(1902-1980)のウランへの中性子線照射実験が意味するところを初めて理論的に明らかにし,「核分裂」という言葉を作った科学者である。フリッシュはナチスドイツをのがれて,バーミンガムのルドルフ・パイエルス(1907-1995)のところに身を寄せていた。

原文を読んでみると,ウランの臨界量を除いて非常に正確で重要な内容が,要点をはずさずに簡潔にまとめられていることに驚く。フリッシュやパイエルスはその後,マンハッタン計画に加わり,ウランの正確な臨界量を導くことに成功している。

ウランの核連鎖反応に基づく「超爆弾」の建設について

添付の詳細報告書は,原子核に蓄積されたエネルギーが爆発力の源となる「超爆弾」建設の可能性について述べたものである。この超大型爆弾の爆発で放出されるエネルギーは,1,000トンのダイナマイトの爆発によるエネルギーとほぼ同じである。このエネルギーは小さな体積の中で解放され,その中で一瞬,太陽の内部に匹敵する温度を発生させる。このような爆発の爆風は,広範囲に渡って生物を死滅させることになる。その規模を見積もるのは難しいが,おそらく大都市の中心部をカバーするだろう。

さらに,爆弾が放出するエネルギーの一部は放射性物質の生成に使われ,これらは非常に強力で危険な放射線を放出する。この放射線の影響は爆発直後が最も大きいが,徐々に減衰し,爆発後数日間は被災地に立ち入った人は死亡する。

この放射能の一部は風に乗って運ばれ,汚染を広げ,風下数キロのところで人が死ぬこともある。

このような爆弾を製造するためには,相当量のウランを処理して,天然ウランに約0.7%含まれる軽い同位体(U235)を分離させる必要がある。このような同位体を分離する方法は,最近開発された。しかし,この方法は時間がかかり,化学的性質が技術的な困難をもたらすウランにはこれまで適用されてこなかった。しかし,これらの困難は決して乗り越えられないものではない。大規模な化学プラントの経験が十分でないため,コストについて信頼できる見積もりはできないが,法外なコストでないことは確かである。

これらの超爆弾には,約1ポンド(450g)という「臨界サイズ」が存在するという性質がある。分離したウランの同位体がこの臨界量を超えると爆発するが,臨界量以下であれば絶対に安全である。したがって,爆弾は2つ(またはそれ以上)の部分に分けて製造され,それぞれが臨界サイズより小さく,輸送時にはこれらの部品が互いに数インチ(10cm〜)の距離を保っていれば,早すぎる爆発の危険はすべて回避されるであろう。爆弾には,爆発させようとするときに2つの部品を一緒にする機構が備えられているはずである。部品が結合して臨界量を超えるブロックを形成すると,大気中に常に存在する透過放射線の効果で,1秒かそこらで爆発が開始される。

爆弾の部品を結合させる機構は,臨界条件に達したばかりの時に爆発する可能性があるため,かなり速く作動するように手配しなければならない。この場合,爆発の威力ははるかに弱くなる。これを完全に排除することは不可能だが,このような方法で失敗する爆弾は,例えば100個のうち1個だけであることを容易に確認することができるし,いずれの場合でも爆発は爆弾そのものを破壊するのに十分強力なので,この点は重大ではない。

このような爆弾の戦略的価値について論じる能力はないと思われるが,次の結論は確かなようである。

1 兵器としての超爆弾は,事実上,これを防ぐことができない。爆発の力に対抗できるような材料や構造物はないだろう。もし,この爆弾を要塞(ようさい)線を突破するために使おうと考えるなら,放射性物質のために数日間,誰もその地域に近づくことができず,防御側がその地域を再占領することもできないことを心に留めておく必要がある。いつなら安全に再突入できるかを最も正確に判断できる側が有利となる。これは,爆弾の位置を事前に知っている攻撃側となる可能性が高い。

2 放射性物質が風に乗って拡散するため,多数の民間人を犠牲にすることなく爆弾を使用することは不可能であろう。つまり自国内で使うには適していないのだ。(海軍基地付近での深海爆雷としての使用も考えられるが,その場合でも爆破による大浸水と放射性物質による市民生活の大きな損失が予想される)。

3 同じアイディアを他の科学者も持っているという情報はないが,この問題に関係する理論的データはすべて発表されているので,ドイツが実際にこの兵器を開発していることは十分に考えられる。同位体を分離するためのプラントは,人目を引くような大きさである必要はないので,これが事実かどうかを見極めるのは難しい。この点で参考になるのは,ドイツの支配下にあるウラン鉱山(主にチェコスロバキア)の開発状況や,ドイツが最近海外で購入したウランに関するデータだろう。同位体を分離する最良の方法を発明したK・クルシウス博士(ミュンヘン大学物理化学教授)が工場を管理している可能性が高いので,彼の居場所や状況も重要な手がかりになるかもしれない。

一方,ウラン同位体の分離が超大型爆弾の製造を可能にすることに,ドイツではまだ誰も気づいていない可能性もある。この報告を極秘にすることは極めて重要である。なぜならば,ウランの分離と超大型爆弾の関係を噂されると,ドイツの科学者が正しい考えを持つようになるかもしれないからである。

4 ドイツがこの兵器を所有している,あるいは将来所有することになるという前提で考えるならば,有効で大規模に使用できるシェルターが存在しないことに気づかなければならない。最も効果的な応戦方法は,同様の爆弾による反撃であろう。したがって,たとえこの爆弾を攻撃手段として使用するつもりがないとしても,できるだけ早く,できるだけ迅速に生産を開始することが重要であると思われる。必要な量のウランを分離するのは,最も好ましい状況でも数ヶ月の問題であるから,そのような爆弾がドイツの手にあることが分かってから生産を開始するのでは明らかに遅すぎるし,したがって,この問題は非常に緊急であると思われる。

5 予防措置として,このような爆弾の放射性影響に対処するために,探知部隊を用意することが重要である。危険地帯に測定器を持って近づき,危険の程度と予想される期間を判断し,人々が危険地帯に入るのを阻止するのがその任務である。というのも,放射線は非常に強い場合は即死するが,弱い場合は遅発性であるため,危険地帯の端にいる人は手遅れになるまで警告を受けることができないからである。

探知部隊は,自分自身を守るために,危険な放射線を吸収する鉛板で装甲した自動車や飛行機で危険地帯に入る必要がある。機内は密閉され,汚染された空気を避けるために,酸素はボンベで運ばなければならない。

また,探知員は,人間が短時間に浴びても安全な最大線量を正確に把握していなければならない。この安全限界は現在のところ十分な精度でわかっておらず,この目的のための生物学的研究が早急に必要である。

上記の結論の信頼性については,まだ誰も超爆弾を作ったことがないので,直接の実験に基づくものではないといえるが,最近の核物理学の研究により,非常にしっかりと確立された事実に基づいていることがほとんどである。唯一の不確定要素は,原爆の臨界サイズに関するものである。私たちは,臨界サイズはおよそ1ポンドかそこらだと確信しているが,この推定には,まだ確証の得られていないある理論的な考え方に頼らざるを得ない。もし臨界サイズが私たちが考えているよりかなり大きければ,爆弾の製造方法に関する技術的な困難はさらに増すことになる。この問題は,少量のウランを分離した時点で明確に解決することができ,問題の重要性に鑑み,少なくともこの段階に到達するために直ちに措置を講じるべきだと考えている。


写真:バーミンガム大学の記念碑(Wikipediaより引用)

[1]The Frisch-Peierls Memorandum (Stanford University)

[2]Report by the M. A. U. D.  Committee on the use of the Uranium for a Bomb

2022年2月15日火曜日

イプシロン作戦

コペンハーゲンからの続き

 第2次世界大戦中のコペンハーゲンにおけるハイセンベルクとボーアの対談の意味を考えるために,ナチスドイツ敗戦後のイギリスのファーム・ホールにおける会話がしばしば取り上げられる。Wikipediaは英語版しかないので,簡単に紹介すると,

イプシロン作戦とは,第二次世界大戦末期に連合軍が,ナチスドイツの核開発計画に携わっていたと思われるドイツ人科学者10人を拘束した計画のコードネームである。科学者たちは,1945年5月1日から6月30日にかけて,連合軍がアルソス作戦の一環として主にドイツ南西部の大捜索を行った際に捕らえられた。

1945年7月3日から1946年1月3日まで,イギリス・ケンブリッジ近郊のゴッドマンチェスターにあるファームホールという盗聴器付きの家に収容され,彼らの会話を聞くことでナチスドイツがどれだけ原子爆弾の製造に近づいていたかを調べることが最大の目的であった。

 1945年8月6日、広島に原爆が投下されたことを知らされた科学者たちは,みな衝撃を受けたという。中には,その報告が本物かどうか,まず疑う者もいた・・・そして,アメリカの爆弾はどのように作られたのか,なぜドイツは爆弾を作らないのか,について考えた。

この記録は,物理学者,特にハイゼンベルクが,原子爆弾に必要な濃縮ウランの量を過大評価していたか,意識的に過大評価していたこと,ドイツのプロジェクトはせいぜい原子爆弾の仕組みについて考える,ごく初期の理論段階にあったことを示しているようだ。


写真:Farm Hall at Godmanchester(Wikipediaより引用)

2022年2月14日月曜日

コペンハーゲン

ライプチヒ実験炉事故からの続き

1942年6月のライプチヒ実験炉事故の1年前に遡る。ハイゼンベルグは,1941年から1944年にかけて,ドイツの占領地であったヨーロッパの各地をドイツ文化宣伝局の代表として訪ずれている。そのひとつに,1941年9月,コペンハーゲンのニールス・ボーアへの訪問があった。

ベルンシュタインによる,Hitler's Uranium Club には次のような記載がある。

9月16日の夜,ボーアとハイゼンベルグは個人的な会談を行った。この会談の意図と内容は、今でもこの歴史の中で最も議論の多い出来事の一つである。ひとつだけ確かなことがある。ボーアはこの会談から非常に動揺して帰ってきた。ハイゼンベルクはボーアに対して核兵器の可能性を提起したようである。何のためかは全く不明である。ハイゼンベルグが何を意図していたにせよ,ボーアにはドイツが原子爆弾の研究をしているという印象が残ってしまった。

この謎の多い会談をとりあげたのが,マイケル・フレインに よる戯曲「コペンハーゲン」だ。2000年にブロードウェイで初上演され,その翌年には日本の新国立劇場にかかっている。登場人物は3名だけ。ニールス・ボーア(1885-1962)と妻のマルガレーテ・ボーア(1890-1984)とヴェルナー・ハイゼンベルク(1901-1976)だ。

実際には,ボーアと会ったのは,ハイゼンベルクとカール・フリードリヒ・フォン・ワイツゼッカー(1912-2007)であり,ハイゼンベルク=ボーア会談を提案して主導したのはワイツゼッカーだという証言もある。ワイツゼッカーは,会談の結果をナチ軍部に報告している。


写真:コペンハーゲンのニールス・ボーア研究所(Niels Bohr Institute より引用)

2022年2月12日土曜日

ライプチッヒ実験炉事故

ハイゼンベルグ原子炉からの続き

 ナチスドイツの原爆開発については,まじめに学んだことがなかった。優秀な科学者の多くが英米に亡命してしまい,残されたのはハイゼンベルクやハーンなどわずかであり,ノルウェーの重水工場が連合国によって破壊されたために,完全に頓挫していたというイメージだけだった。

実際には,兵器としての原子爆弾開発にはほど遠い状況だったが,原子炉での連鎖反応については,実験炉での検証が何ヶ所かで進んでいた。その一つがハイガーロッホ炉だったが,もうひとつがライプチヒ実験炉だった。

なぜ,政池さんらの日本物理学会誌のハイガーロッホ炉の記事に,ハイゼンベルグ原子炉という名前がついていたかというと,ハイゼンベルグ自身がその開発に関与していたからだ。ライプチヒ実験炉で起こった世界初の原子炉災害は,Wikpediaによれば次のようなことだった。

1942年6月23日,ナチスドイツのライプチヒで,実験用の初期型原子炉L-IVが水蒸気爆発と原子炉火災という史上初の原子力事故を引き起こした。

ヴェルナー・ハイゼンベルクとロベルト・デッペルが開発したライプチヒL-IV原子炉は,ドイツで初めて中性子伝播の兆候を示した直後,重水漏れの可能性をチェックすることになった。その際,空気が漏れて中のウラン粉に引火した。燃焼したウランがウォータージャケットを沸騰させ,原子炉を吹き飛ばすのに十分な蒸気圧を発生させた。燃えたウラン粉は研究所中に飛び散り、施設内でより大きな火災を引き起こした。

これは,運転開始から20日後,ガスケットに気泡ができたため,ヴェルナー・パッシェンがデッペルの要請で装置を開けたときに起こった。光るウラン粉が6メートルの天井に飛び,装置は1000度まで加熱された。ハイゼンベルクは助けを求められたが,なす術が無かった。

それ以後,ハイゼンベルグは原子炉の実験から手を引いている。まあ,世界初のシカゴ原子炉実験を成功させたフェルミのような特別な人でなければ,ハイゼンベルグといえども理論家には難しい課題だった。ハイゼンベルグはその後,1942年9月にS行列の理論3部作を発表する。これはこれですごいことなのだった。


写真:ライプチッヒ実験原子炉(Nazi Nuclear Research より引用)

[1]ドイツの原子爆弾開発German nuclear weapons program(注:Wikipedia日本語版はかなり内容が薄い)

[2]ノルスク・ハイドロ重水素工場破壊工作

[3]Why Hitler Did Not Have Atomic Bombs(Journal of Nuclear Engineering)


ハイゼンベルグ原子炉

 レオ・シラード(1898-1964)がアインシュタイン(1879-1955)を使って,米国大統領のフランクリン・ルーズベルト(1882-1945)に宛てた原爆開発を進言する手紙を書いたのは1939年だった。これを発端とし,1940年のフリッシュ=パイエルスメモが契機となって,1942年に原爆開発のためのマンハッタン計画がスタートする。

当時のシラードや,同じハンガリー出身のユダヤ系である仲間のユージン・ウィグナーエドワード・テラー(いずれも原子核物理で毎日のように彼らの成果を使っていた)は,ナチス・ドイツが先に原爆開発に成功して,これを手にすることを極度に恐れていた。しかし,第2次世界大戦後,ナチス・ドイツの科学者達はとてもその域には達していなかった。というのが自分の理解であった。

物理学会誌をまじめに読んでいたら,そうではないことに気がついていたはずだ。2014年の記事「ハイゼンベルグ原子炉の謎」では,政池明さんと岩瀬広さんが,ドイツ南西部のハイガーロッホにあった重水炉であるハイガーロッホ炉のことを書いていた。天然ウランによる中性子の連鎖反応は起こっていたが,臨界に達することはなかった。しかし,円筒形の炉心の直径と高さを建造時の124cmから132cmにするだけで,ウランの量はそのままで臨界に達するというシミュレーション結果を得ている。

もちろん,原子炉が臨界に達しただけでは原子爆弾にはつながらないが,重水炉ではプルトニウムの生産効率も高いため,ウランの濃縮設備なしで核兵器の材料を作ることができたわけだ。


写真:復元されたハイガーロッホ炉(Wikipedia/de Atomkeller-Museum より引用)

2022年2月11日金曜日

高取城

 晴れた祝日だったので(まあ年がら年中休日だらけかもしれないが)高取城に行くことになった。自宅のベランダからは標高583mの高取山が見えているが,その山頂の山城だ。車で40分南に走ると明日香の先に高取町の古い町並みがある。

無料の観光駐車場から高取城までは,3km弱で440mほど登ることになる。この数字だけをみると簡単そうに見えるが,約2時間の山道は日ごろの鍛練を怠っている高齢者にはかなりハードな行程だった。きつい勾配にもかかわらず,キャッキャとはしゃぐ子供たちが横を駆け抜けていく。

高取城は日本三大山城のひとつだが,テレビでも日本最強の城として紹介されることが多い。竹田城にはバスで上ったことがあるが,なぜ三大山城にはいっていないのだろう?城郭の面積だけならば,どちらも同じくらい広いような気がする。

明治20年の高取城の写真が残っていて,これはWikipediaでもみられる。明治の版籍奉還によって,全国の城は兵部省の管轄になり,さらに陸軍省に引き継がれる。明治6年に廃城令が出され,陸軍が軍用として使用する城郭陣屋と,大蔵省に引渡し売却用財産として処分する城郭陣屋に区分された。この過程で,高取城を含む多くの城は廃城となった。


写真:高取城の本丸付近(撮影 2022.2.11)

2022年2月10日木曜日

WHOのデータ

 WHOによる,COVID-19における世界各国地域別の感染者・死者数日別データをjson形式で取り込んでいたが,形式が変わったのか読み込めなくなってしまった。jsonの形を再び分析する気にならなかったので,探してみるとWHO Coronavirus (COVID-19) DashboardにCSVデータが見つかった。

データ形式をころころ変えるのはやめてほしい。これが日本だと,URLごとデータが消えてしまうので,それよりはましかもしれない。これまでのコードを生かしながら,修正プログラムを作った。

#!/usr/bin/perl
# 02/10/2022 K. Koshigiri
# usage: covid.pl 2022/02/22 3
# extract 3 days' data from 2022/02/22
# original data = https://covid19.who.int/page-data/table/page-data.json
# data https://covid19.who.int/WHO-COVID-19-global-data.csv

use Time::Local 'timelocal';
\$in = "whox";
\$out = "who-dat.csv";
\$cvd = "https://covid19.who.int/WHO-COVID-19-global-data.csv";

(\$sec, \$min, \$hour) = (0,0,0);
(\$year, \$month, \$day) = split '/', \$ARGV[0];
\$epochtime = timelocal(\$sec, \$min, \$hour, \$day, \$month-1, \$year-1900)+32400;

system("lynx -source \$cvd > \$in");

open(OUT,">\$out");
  print OUT "Date, Country Code, Country, Region Code, Confirmed, Cumulative Confirmed, Deaths, Cumulative Deaths \n";

  for (\$i=0; \$i<\$ARGV[1]; \$i++) {
    \$ut=\$epochtime+86400*\$i;
    {\$sec, \$min, \$hour, \$day, \$month, \$year) = gmtime(\$ut);
    \$year += 1900;
    \$month += 1;
    if(\$month < 10) {
      \$ym = "\$year-0\$month";
    } else {
      \$ym = "\$year-\$month";
    }
    if(\$day < 10) {
      \$dt = "\$ym-0\$day";
    } else {
      \$dt = "\$ym-\$day";
    }
    print "\$dt\n";

    open(IN, "<\$in");
    while() {
        if(/\$dt/) {
          print OUT;
       }
     }
    close(IN);
  }
close(OUT);


2022年2月9日水曜日

乗法的積分

新型コロナウィルス感染症のオミクロン株の感染者数を見ている。かつては,実行再生産数が話題になることが多かった。いまは,前週との感染者数の比較によって増加や減少の傾向が議論されている。その場合でも,指数関数的(等比級数的)な振る舞いかどうかをみるには,曜日による変動を除くために,前週の感染者数との比率が重要になる。

例えば,東京と大阪の各曜日の前週に対する感染者数比率の相乗平均を週ごとに計算してプロットすると次のようになる。増加率のピークで6倍になったのは1月の初旬である。この比率は1.0に近づいているので,感染者数のピークアウトがそろそろ視野に入ってきた。


図:東京・大阪の感染者数前週比の推移

この比率関数のモデル化が容易ならば,逆算して一日当たり感染者数関数を求めることができる。もっとも,大阪維新によって破壊されている行政統計は出鱈目なので,そもそも意味があるかという問題は残るのだが。

さて,増加比率$r(t)$からもとの関数$f(t)$を求める問題を$f(t+h)/f(t) =r(t)^h$と定式化した。$\lim h \rightarrow 0$で両辺は1になる。この両辺の対数をとると,$\log f(t+h) - \log f(t) = h \log r(t)$ であるから,$\lim_{h \to 0} \dfrac{\log f(t+h) - \log f(t) }{h} = \dfrac{d}{dt} \log f(t) = \log r(t) $ が得られる。

これから,$\log f(t) = \int_c^t \log r(t') dt'$ となり,$f(t) = e^{\int_c^t \log r(t') dt'}$ が得られる。適当な関数を使って試してみたが,比率のピーク関数を時間方向に対称にとれば,感染者数の関数は対称ではなく,後方に広がるといった程度の定性的なイメージしか得られなかった。

ところが,こうした関数の比率についての解析的な議論は,乗法的積分のうちの幾何積分としてすでに知られていることがわかった。数列の和から普通の積分が導かれるように,数列の積から乗法的積分が得られるのだった。なるほど,数学の奥は深い。

2022年2月8日火曜日

手取遊園

 スタイルからの続き

手取遊園は,北陸鉄道金名線の乗客増を目的に建設した遊園地であり,1955(昭和30)年9月に開業し,営業不振から1965年に北陸交通に移管され,1971年3月に廃止された。降雪のため営業期間は4月から11月であり,『楽しい科学のりもの』と称した大型遊具が人気を集めた。「金沢などで類似遊戯施設が開業したことなどにより経営不振に陥った」とある。大和の屋上の乗り物コーナーのことかな。

小学校低学年のころに,手取遊園に行ったような気がする。北陸鉄道の石川線野町駅から電車に乗って,加賀一の宮駅で金名線に乗り換えて,手取温泉駅で降りるというコースが考えられる。帰りの電車の中で西金沢駅あたりで,友達が気分が悪くなって吐いてしまったものが靴にかかったような気もするが,夢かもしれない。ただ,西金沢駅のそばにある加賀製紙の工場からくる臭いが吐瀉物の臭いだという誤認になって,長く記憶されることになる。

これが本当に手取遊園の帰りのことだったのはどうかははっきりしない。手取遊園には親類縁者の子供たちと一緒にいったこともあったようなボンヤリした記憶もある。ジェットコースターではない乗り物に乗ったが,それが楽しいのりものだったのだろうか。


写真:手取遊園の見取り図(砂丘の夢から引用)

2022年2月7日月曜日

佐渡鉱山

『歴史戦』からの続き 

2015年に「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産へ登録される際,長崎の端島(軍艦島)における朝鮮人の強制労働が日韓政府間で問題になった。このとき,日本側は「犠牲者を記憶にとどめるために適切な対応を取る」と表明することで韓国も登録に同意した経緯がある。

ところが,安倍政権が十分な対応をせずに済ませたため,2021年の7月22日にユネスコの世界遺産委員会は,朝鮮半島出身の労働者を巡る説明が不十分だと指摘し「日本の対応に「強い遺憾」を表明する決議を採択した。2022年の12月1日までに取り組みの報告が求められている。

この状況の中での佐渡金山の世界文化遺産への登録なので,岸田政権が当初慎重だったのはむべなるかなだった。しかし,自民党右派とその空気を増幅したマスメディアに簡単に押し切られてしまった。

当時の佐渡金山の状況については,広瀬貞三の「佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945)」が詳しい。なぜ佐渡鉱山という表現になっているかというと,金だけではなく銅などが算出されており,戦時中は貿易の対価としての金から銅へと需要の中心が移っていたいたためだ。

1943年における日本人の労働者は,709人(うち321人が選鉱婦など),朝鮮人の労働者は584人である。危険な坑内労働者である運搬夫・鑿岩夫・支柱夫では,約75%を朝鮮人が占めている。戦時体制が進むにつれ,産銅増産のために朝鮮人男性が戦時動員された。1939年2月から1945年7月まで募集・労務協会斡旋・徴用形式により約1200名が佐渡鉱山に送り込まれた。

朝鮮人の労働と生活は,三菱鉱業の労使協調機関である協和会,半官半民の鉱山統制会,特高警察が中心の新潟県協和会相川支会によって,三重にわたって厳しく監視されたが,1943年6月までに150名以上が逃亡している。

[1]「徴用工」問題を考えるために


写真:歌川広重の佐渡(Wikipediaより引用)


2022年2月6日日曜日

反知性主義(2)

反知性主義(1)からの続き

問題は,大阪・関西である。橋下徹と大阪維新によって,反知性的主義的な空気が横溢している。 かつて,上岡龍太郎が関西のテレビ界のご意見番だった時代があった。いまでは,右翼的な政権擁護発言や陰謀論発言によって,ホンコンを中心とした吉本軍団が報道バラエティ番組を牛耳っており,吉村とのタッグで連日洗脳活動を続けている。維新が関西の議席を席捲するわけなのだ。

橋下は,自らの言動への批判に対して「学者のいうことなんて」と反知識人的な言辞を振りまいて対抗した。そして,大阪府立国際児童文学館を解体し,文楽協会に対する大阪府・市の補助金をだまし討ちのような形で引き上げ,大阪人権博物館をつぶした。公共空間を民営化の名のもとに売り渡し続けた。それが松井,吉村によって継続されている。

橋下とそのまわりの維新メンバーらが,民族差別や病弱者差別をふりまくさまは,ほとんどナチスの前兆現象と重なって見えてくる。トランプや安倍を例にあげるまでもなく,反知性主義とレイシズムは容易に結合する。

町山智弘水道橋博士との対談で指摘していた話が興味深かった。1961年に来日したデイヴィッド・リースマンが日本には反知性主義がないことに驚いていたが,国民の多くがドストエフスキーの小説に親しんでいるような知性的な国は他にはなかったとの見立てだ。この知的・文化的な集積の中で日本の高度成長も可能になった。

その文化的な集積の中心であった関西には1500年の歴史があって,畿内は常に東国よりも文化的に上位に位置していた。ところが,大阪維新の台頭によってこれが見る影もなくなってしまった。大阪には本来豊かな文化的風土があったのだが,いつのまにか,最近の吉本芸人による下品な笑いが大阪の文化だといわれるまでになってしまった。

2022年2月5日土曜日

反知性主義(1)

Wikipediaによれば,反知性主義とは 1950年代にアメリカ合衆国で登場した概念であり,知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる主義・思想とされていた。1963年のホフスタッターの「アメリカの反知性主義」が代表的な文献とされているが,この日本語訳が出たのは,40年後の2003年になってからである。

安倍晋三や麻生太郎や菅義偉の発言や政策を巡って,あるいは橋下徹を筆頭とする日本維新の会やその支持者達に対して,反知性主義だという分析がされてきた。ところが,Wikipediaではむしろその対抗言論として,日本における(反知性主義の)誤用・乱用の指摘がやけに強調されていた。

録画してあった,ベトナム戦争後の1970年代のカンボジアを描いたドゥニ・ドゥ監督のアニメーション「FUNAN」をみて,クメール・ルージュ(オンカー)の酷薄さを改めて印象づけられた。カンボジア大虐殺では,100万人以上の知識人・専門家が都市から追放されて虐殺されたが,反知性主義の行き着く先はここにある。

[1]反知性主義とアメリカン・デモクラシー(清水晋作)

[2]公共圏への回路と新たな秩序問題(長谷川公一)

2022年2月4日金曜日

ヘイトスピーチ

菅直人がTwitterで,橋下徹の弁舌巧みな手口をヒットラーに例えた。これに対し,「橋下は我々の政党とは関係がない」と強調する日本維新の会が,意味不明で筋違いの謝罪を立憲民主党や菅直人に求めて暴れ出し,炎上による参院選前の集客効果を狙っている。

石原慎太郎が亡くなったのだが,あいもかわらず,死んだひとを批判しないのが日本人の美徳だという通俗道徳に絡め取られたマスコミと「体制側知識人」が石原を持て囃し,石原のあまたの差別発言や行動に対する批判を覆い隠そうと必死になっている。

これらの場面で,右翼サイドだけでなく中立を装うエセ学者やコメンテーター達からの「ヘイトスピーチはやめよう」というスローガンが使われることが多い。例えば,菅直人の発言や,石原慎太郎を批判する発言を憎悪によるヘイトスピーチだとラベリングする論理だ。

哲学系YouTuberじゅんちゃんの哲学入門チャンネルで,能川元一が正しい答えを説明していた。ヘイトスピーチとはマイノリティに対する差別・暴力扇動発言のことであり,差別という要素が含まれない悪口雑言はヘイトスピーチには当てはまらない。また,菅野完は,強者と弱者のバランスをとるために,我々はどこに立たなければならないかを,テコの原理とからめて巧みに説明していた。中立的な立場というのは本質的に存在しないのである。

2022年2月3日木曜日

機械判読可能データ

 令和2年12月なのでデジタル庁ができる前のこと。統計表における機械判読可能なデータの表記方法の統一ルールが策定されていた。この積み重ねがデジタル化された社会を作るわけだが,そもそもデータを改竄することになんのためらいもない政府だとどうなのか。

総務省が,政府統計の総合窓口(e-Stat)に掲載する各省庁の統計表における機械判読可能なデータの表記方法の統一ルールを策定した。e-Statは,日本の政府統計関係情報のワンストップサービスを実現するため2008年から本運用を開始した政府統計のポータルサイトだ。総務省統計局が整備し,独立行政法人統計センターが運用管理している。

統計表における機械判読可能なデータ 作成に関する表記方法」として,Excel形式のデータ表の場合について,作成ガイドラインが示されている。

1-1 ファイル形式はExcelかCSVとなっているか
1-2 1セル1データとなっているか
1-3 数値データは数値属性とし,文字列を含まないこと
1-4 セルの結合をしていないか
1-5 スペースや改行等で体裁を整えていないか
1-6 項目名等を省略していないか
1-7 数式を使用している場合は,数値データに修正しているか
1-8 オブジェクトを使用していないか
1-9 データの単位を記載しているか
1-10 機種依存文字を使用していないか
1-11 e-Stat の時間軸コードの表記,⻄暦表記又は和暦に⻄暦の併記が されているか
1-12 地域コード又は地域名称が表記されているか
1-13 数値データの同一列内に特殊記号(秘匿等)が含まれる場合
2-1 データが分断されていないか
2-2 1シートに複数の表が掲載されていないか
ガイドラインは,それぞれの項目について悪い例と改善した例が具体的に示されていて,たいへんわかりやすい。この項目がそのままでチェックシートとなっていて,実践的に利用できる。

高等学校の必履修科目である教科「情報」では,これを取り上げればよいのに。プログラミング言語はperlにして・・・というかプログラミング言語はなんでもよいので,データストリームを処理するアルゴリズムを中心にする。htmlファイルやCSVファイルから必要な情報を取り出して加工し,最終的なデータ処理やプレゼンテーションに結びつけるとかいうテーマの演習を積み重ねたら,日本の情報化が一段と進むものと思われる。


2022年2月2日水曜日

大河ドラマ

報道ニュース番組は壊滅状態で政府の宣伝機関に堕してしまったNHKだが,かろうじて,あさイチと,ドキュメンタリーのいくつかだけはまだ見られる(別のタイプの洗脳をされているのかもしれない)。NHKの大河ドラマについても毀誉褒貶があるが,ときどき,おもしろくて見続けることができる年がある。今回の,鎌倉殿の13人もそのひとつになりそうだ。脚本と配役がよいのかもしれないし,時代なのかもしれない。

これまでの大河ドラマで最初から最後まで見続けたものを振り返ってみた。マイベスト7は次のようなものだ。

3 太閤記(1965)
7 天と地と(1969)
29 太平記(1991)
41 利家とまつ(2002)
47 篤姫(2008)
50 江(2011)
55 真田丸(2016)
第1回の「花の生涯」が小学校4年,第2回の「赤穂浪士」が5年生のときであり,いずれも(たぶん親と一緒にぼんやりと)見ていた記憶ははいるが,ストーリーまで十分理解していたわけではない。「太閤記」は子供向けの物語もあったのでついていけたのだった。「天と地と」は,海音寺潮五郎の原作の文庫本も読んでおり,単純な高校生には余韻を含む最後のシーンがもの足りなかったのだった。

「太平記」はその舞台の一角である奈良に転居した年だ。「利家とまつ」は金沢出身者の必見番組で見ないわけにはいかない。「篤姫」も宮尾登美子の原作を読んだ。などなど。他の大河ドラマでも部分的な記憶に残っているものはあるが,ほとんど見なかった年もある。

法然・親鸞・蓮如とか出口王仁三郎・中山みきとかをやってほしいのだが,宗教系は無理かな。あるいは文学者とか科学者とか芸術家とか,ひとりでは難しいかもしれないので群像劇でお願いします。山川捨松と津田梅子の詰め合わせでもよい。

2022年2月1日火曜日

御成敗式目

 NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人を見る都合から,丸竹夷/YouTube高校で日本史の勉強をしている。

高校は理数科だったので,2年の社会科で日本史は選択できず,世界史を選択した。いや,どちらか1つを選択できるということで,自分は世界史を選んだのだったか。なお,1年の地理と3年の倫理はクラス全員そろって履修した。理系の場合,大学入試受験科目としては地理を選択するものが多かったが,生きていく上では世界史の方が重要だと考えた自分は,受験科目に世界史を選んで後で苦労する。

大学の教養課程でも歴史学は避けたので,日本史については,中学校までの知識しか身についていない。大河ドラマを見るときに歴史常識が欠如していると,伏線や様々な表現を理解できずに困ることになる。文楽でも同様で,歴史的事実を象った出来事から物語が生み出されているので,そのあたりの機微がわからないと観賞レベルが下がる。あげくの果てには歴史修正主義にだまされてネトウヨ化する。

安直な日本史の学習は,物語の北条の時代を越えて後醍醐天皇まで到達しつつある。その,北条義時の息子の北条泰時が定めたのが御成敗式目だ。中学校の社会では事項名とTwitterの分量程度の説明しかでてこないので,そもそも何が書いてあるのか知らなかった。

検索してみると,御成敗式目の現代語訳があったので読んでみた。全51条からなるものであり,貴族社会に対応する律令にかえて,武家社会にふさわしい法が定められたものだ。女性の地位や財産に対してかなり配慮されているという印象を受ける。

第15条:「偽造文書(ぎぞうぶんしょ)の罪について」偽(いつわり)の書類を作った者は所領を没収する。領地を持たない者は流罪とする。庶民の場合は顔に焼き印を押す。頼まれて偽造文書を作った者も同罪とする。このあたり,森友事件にも適用してほしいくらいだ。

2022年1月31日月曜日

『歴史戦』

NHKが「歴史戦」という言葉を使い出したので,普通名詞かと思っていたらトンデモない話だった。

検索してみると,右翼カルトの広報媒体である産経新聞が,2014年から特集として組んでいる一連の記事が「歴史戦」というタイトルだったようだ。このシリーズは,慰安婦問題等をターゲットとした「貶める韓国 脅す中国」という歴史修正主義的記事の延長線上にある。

さて,このたびの佐渡金山世界文化遺産への登録である。端島(軍艦島)が2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」として世界文化遺産に登録された際に,韓国との間で戦時中の朝鮮人労働者の問題を巡り揉めた経緯があった。それが今回,再燃することが危惧され,佐渡金山という文化遺産の問題が再び政争の具となってしまった。

発端は,右翼カルトの中心にいる安倍晋三や高市早苗だ。岸田首相との権力闘争も背景にあるのか,性急な登録に慎重だった岸田政権を攻撃し始めた。これにマスコミが乗った。

1/26水 安倍晋三:「いまこそ,新たな『歴史戦チーム』を立ち上げ、日本の名誉と誇りを守り抜いてほしい」(夕刊フジ)。こうして産経用語の「歴史戦」というキーワードを用いて安倍が激を飛ばし,高市が国会でアシストする。

1/27木 岩田明子(NHK解説委員):「5分でわかる 特命チームがカギ?世界遺産登録,歴史戦チーム『政権の歴史認識に基づき事実集めて検証を進め国際社会の理解を得る目的』」(NHKシブ5時パネル)。安倍側近の岩田が昨日の発言に呼応して,「歴史戦」という産経用語で煽り立てる。

同日のニュースウオッチ9でも,まじめな顔をしたキャスターの田中正良が,まっすぐなメガネ視線で視聴者を煽っていた。こうして,『歴史戦』=パブリック・ディプロマシープロパガンダが振りまかれる。その歴史修正主義の洗脳対象は外国政府や外国人ではなく実は日本人自身なのだろう。

2022年1月30日日曜日

第3回ワクチン接種

 第2回ワクチン接種からの続き

1月30日14:00に第3回のワクチン接種を予約していたが,その接種が完了した。

第2回のファイザーワクチン接種が2021年6月26日だったので,当初は8ヶ月後の2月26日以降に接種することになっていた。ところがこれが早められて7ヶ月で3回目の接種が可能ということになり,天理市では早速,接種時期が前倒しされることになった。

オンラインや電話での予約受付は1月17日からはじまり,1月26日以降の日付で接種できることになった。当初の案内では,前回と同じタイプのワクチンを接種するということで,ファイザーの注意書きが送付されてきた。ところがその後,各医院での個別接種を除いた文化センターや高井病院での集団接種ではモデルナが指定されることになった。

世の中では,モデルナを忌避する傾向がみられ,これによる調整の遅れが第3回接種が進まないことの一因とされている。前2回のファイザーの接種ではほとんど副反応がなかったが,第3回のモデルナについても接種後8時間経過した時点までは大丈夫である。

13:45に会場に到着し,14:10には待機の15分も完了した。だいぶ要領がよくなっているようだ。65歳以上の高齢者が対象のためモタモタすることも多いが,十分に配置されたスタッフが手際良く動線を管理しているので,天理市の集団接種は非常にスムースに進んでいる。


写真:天理市文化センターの集団接種会場(撮影 2022.1.30)

2022年1月29日土曜日

スタイル

『スタイル』は1936(昭和11)年6月に,宇野千代(1897-1996)によって編集発行された月刊雑誌である。その1937(昭和12)年の記事がtwitterで紹介されていた

「おしゃれな」というタイトルのコラムで,金澤,神戸,横浜,名古屋の4都市が紹介されている。美川町出身の詩人村井武生(1904-1946)によるその金澤の記事は次のようなものだった。

 森の都 "金澤" も主要街はすつかり十三間道路に舗装され,北陸一の近代都市としての名に反かないが,一歩裏通りへ入ると昔ながらの屋敷町が曲折し,百萬石のお城下町の落ち着きを見せてゐる。百貨店はやがて約一萬坪に増築の宮市大丸と丸越の二つ,そこから呑吐される若い女性はもち洋装が身について来た。

 銀座と浅草とを一緒にしたやうな市の中央香林坊は金澤の誇る歓楽街,どこへ出しても羞かしくない完備した喫茶店 "芝生" や白椿,又,酒場にはターバン,珍味庵など。二つの劇場と七つの常設館で近代人としてのスタイルを調へ,大学や専門校らはインテリを急造する。

 郊外の粟ケ崎,金石等の海水浴場は丑の日などには六七萬の裸群が踊り,宝塚,松竹に次ぐ粟ケ崎少女歌劇団のスターは,当地方では映画女優以上の人気を持つ。遠出には随所に温泉があり近く飛行場も完成,秋ともなれば兼六園の幽邃賞すべく,競馬の興奮も一興,又夢向山公園へのドライブも快適であらう。

芝生といえば,柿の木畠にあった軽食・喫茶の店で,高校のクラブの友達と卒業後にコンパをしたところだが, 十数年前には閉店したようだ。

自分が子供のころ,粟崎遊園はとっくになくなっていたが,手取遊園や卯辰山のヘルスセンターはまだあった。幼稚園から小学校低学年までの頃,親戚とあるいは学校の遠足で手取遊園へ遊びに行った。


写真:粟崎遊園の絵地図(はんこ工房から引用)

2022年1月28日金曜日

野田中学校

 鹿賀丈史(1950-)が金沢の出身だというのは知っていたのだが,金沢市立野田中学校の先輩だった。同窓会名簿をみると,勝田重勝という名前で,第17期の3年2組,林義直先生のクラスに載っている。Wikipediaには,本名が勝田薫且(しげかつ)となっているので,たぶんそうだと思う。

鹿賀丈史は,小学校時代は一時東京にいたようなのだが,材木町小学校を卒業している。高校は二水高校だ。たぶん,近所に住んでいたのだろうが,残念ながら3学年違いなので世界線が交差することはなかった。

上に登場した数学の林義直先生は,自分が2年のときの担任だった。平成3年から5年まで,野田中の第14代校長を務めている。野田中の同窓会名簿をみていたら,阪大マンドリンクラブと金沢泉丘高等学校の先輩だった,徳井久康さんや,小学校・中学校が同じで高校との同級生だった,荒井秀典君が教諭を務めていた。

当時の野田中学校(1949-)は,十一屋小,泉野小,富樫小の3校が校区だった。やがて,郊外の人口増に伴って新しく高尾台中学校(1981-)が新設され,富樫小は伏見台小(1974-)や扇台小とともにそちらの校区に編入された。野田中は十一屋小,泉野小,長坂台小(1981-)を校区としている。

なお,田中美里も十一屋小学校らしいが,中学校からはミッション(北陸学院中学校・高等学校)に進んだので野田中ではない。幼稚園が若草幼稚園なら後輩なのだが,噂によると寺町の幼稚園とのことなので,これもどうやらちがうようだ。


2022年1月27日木曜日

大学入学共通テスト(5)

大学入学共通テストで,試験問題が時間中に外部に流出する不正行為があった。家庭教師サイトで,問題の解答を依頼され,そうとは知らずに世界史の問題に解答した大学生が申し出たことで発覚した。

今日になって,香川県の19歳の女子大生が警察に出頭してきた。大阪府在住の大学生であり,別の大学を受験するために,大阪府の入試会場で共通テスト受験したとのことである。自分が現役の大学関係者だったらさぞかし肝を潰していることと思う。

当該の試験場の大阪の大学の学長にはすでに情報は伝わっているかもしれない。そうすると,試験室の担当者達と試験場責任者が全員呼び出されて,ネチネチと2時間ほど学内事情聴取されるのは明日か。警察にも出頭して説明することをを求められるかもしれない。ああ,考えただけでぞっとする。

あるいは,当該の女子大生が在学している大阪の大学においても,どんな学修・生活状況だったかのを聞き取りに警察がくるのかもしれない。さらに,この2つの大学が重なっている可能性もなくはない。大学に関する情報は秘匿されたままなのだろうか。あるいはどこかのマスコミがスクープするだろうか。

上着の袖に隠したスマートフォンで動画を撮影することは可能かもしれないが,そこから静止画を切り出してリアルタイムに家庭教師サイトにアップロードし,さらに,相手の複数の大学生に適切な指示を送ることが単独で周りの目を心配せずに実行することが可能なのだろうか。トイレチャンスは1試験科目で1回は使えるかもしれないが,まわりの受験生の目もあるだろうから,毎回は難しいのではないか。

ニュースを聞く前は,複数の人が関与しなければ絶対できないと思っていたが,そうではないのかもしれない。もし,この一連の過程を一人で立案して実行でできるくらいの技があるのならば,すべての大学は競ってその学生をリクルートしたほうがいい。

2022年1月26日水曜日

金沢商工人名録(昭和3年)

曽祖父の越桐与兵衛を検索していたら2件見つかった。

ひとつは,昭和3年に発行された金沢商工人名録である。まえがきに「本人名録は,金沢市内に於ける昭和二年度営業収益税の納税者を基礎として編纂したものである。本年版は編輯方法に変改を試み,且つ索引に於ても,分類別索引,品名別索引並に広告索引を付加した。之に依って検出を容易ならしむるであらう」とある。当時の小さな商店から,株式会社までさまざまな業種が網羅されている。内容は後日改めて紹介する。

もう一つは,奈良文化財研究所木簡データベースに収録されたものだ。木簡といっても明治時代のものだと思われる。「/田丸町専光寺筋/越桐与兵衛様∥○/糸□印/素麺/○五□□入∥・○金田□○駄□\○七月廿二日○θ(「〈〉」)」ということで,どこかから夏のお歳暮に素麺をもらった際の送り状かもしれない。いまなら,クロネコヤマトの配送状だ。木簡は,木ノ新保遺跡の用水路の合流部で見つかっている。サイズは162mm×46mm×7.5mmなので,スマートフォンのようなものか。

商工人名録はテキスト化されていたが,面白そうなので原本のpdfファイルのダウンロードを試みた。なんのことはない,そもそも全文pdfファイルへのリンクがあるではないか。下記は骨折り損のくたびれ儲けコードである。

#!/usr/bin/perl
# 01/26/2022 K. Koshigiri
# extract pdf from kanazawa shouko-jinmeiroku 1928
# kanazawa.pl ni nf
# get pdf files as ni.pdf - nf.pdf

\$ni=@ARGV[0];
\$nf=@ARGV[1];
\$url="https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/shoukoujinmeiroku/shoukoujinmeiroku_";

for (\$n = \$ni; \$n<=\$nf; \$n++) {
system("lynx -source \$url$n.pdf > \$n.pdf");


写真:金澤商工人名録(昭和3年)の表紙

2022年1月25日火曜日

水洗式便所

グリル狸からの続き

グリル狸の水洗便所の話をしたところだ。で,水洗式便所に出会ったのはそれが最初だったとしたが,正確には少し違う。和風の水洗便所が初めてだったので,驚いたのだった。

幼稚園に上がる少し前に,駅前の田丸町にあった家から金沢市立工業高等学校のグラウンドの横手にあった泉野町ヨ114-4の地に引っ越した。そこは祖父母と叔父が住んでいた寺町2丁目の家から歩いて5分くらいのところだ。昭和38年に始まった金沢市の住居表示変更によって,一番に泉野町から寺町1丁目に変わった地域だ。

桜畠(寺町3丁目)のあたりには,祖父である越桐弥太郎の弟の越桐與三次郎の一家が住んでいた。寺町台地から犀川を見下ろすことのできる端にあって,非常に見晴らしのよい立派な家だった。その近くにある料亭の仁志川で最近法事をしたところである。

金沢弁で分家のことをあじちというので,あじちのおじさんの家ということになっていた。その家の玄関を上がると広い廊下から洋風の長い階段が2階に続いていて,1階の右手には洋風の腰掛け式の水洗便所があった。そのトイレを子どものころにどうやって使っていたのかははっきりしないのだけれど,便座が木製のスツール型だったことは記憶にある。

小学校4年になって,寺町1丁目の自宅を建て替えることになり,自分だけ半年ほど祖母の家に預けられることになった。父母と妹達は笠舞町の借家の2階に移った。祖母の家もその少し前に洋風に改造されて(叔父が結婚するときだった),古い和式便所は残したまま,新しい浴室の隣に和風の水洗便所が設けられた。水洗便所は苦手だったので,もっぱら古い和式便所の方を利用していた。

小学校5年の夏には寺町1丁目の新しい自宅ができた。ここも和式の水洗便所になっていた。昔の家の和式便所にはバキュームカーがきて汲み取りをしていたが,その風景も臭いもなくなってしまった。

2022年1月24日月曜日

グリル狸

 かつて金沢にあった洋食の名店が「グリル狸」だ。いまはもうない。

大阪の長堀橋で20年以上営業していた洋食Katsuiが,天理の山辺の道にある天理市トレイルセンターに移転して数年経った。オーナーの勝井さんが天理市出身であり,指定管理者の募集に応募したものだ。

国立文楽劇場のパンフレットには,洋食Katsuiと姉妹店の御堂筋ロッジの宣伝が毎回掲載されていたので,何かの機会に家族で食べに行ったがなかなかよかった。天理に来てからは年に1度は訪れている。その洋食Katsuiのホームページに勝井ファミリーとして,金沢のグリルNew狸が紹介されていた。

あれっと思って調べてみたら,グリルNew狸は1967年から石引町で営業しているが,もともとは片町のグリル狸からのれん分けでスタートしたようだ。その片町のグリル狸の方は1997年には閉店しているらしい。

グリル狸は,三島由紀夫(1935-1970)の美しい星(1962)に登場している。主人公の一家の娘であり,自分を金星人だと認識している大杉暁子が金沢を訪問して,同じ金星人の青年竹宮と金沢を巡るのが第三章であり,ほとんど金沢の街案内のようになっている。

暁子が竹宮と内灘に行く前の段,「二人は再び香林坊へ戻って,狸茶屋という店で小さいステーキの午餐を摂った」とある。香林坊と書いているが,実際には,片町の金劇の向いにある歓楽ビルの裏手の細い裏道のあたりだった。

そのグリル狸は金沢でも有名な洋食屋の一つだったが,小学生のころに一二度連れて行かれたことがある。それほど大きな店ではなく,狭い階段を上がった二階の小部屋のテーブルを家族で囲んだ。トイレに行くと当時珍しかった水洗便器がある。

子供だったが,大人と同じようにコースのスープ皿が並べられ,お玉ですくわれたものが振る舞われた。白いじゃがいものポタージュだ。そんなものはそれまで見たこともなかったので恐る恐る口にしたが,とても美味しくてびっくりした記憶がある。ホットオレンジジュースもここで初めて経験したが,それはまた別の機会だったのかもしれない。

P. S. 以前紹介した,ステーキのひよこの大将も,グリル狸で修業していたらしい。なお,ネットの記事ではグリル狸のことを狸茶屋としているものが多いが,その名前で看板は出していなかったのではないか。三島の文章に引きずられているのではないか。


写真:片町のグリル狸の玄関(金沢グルメのバイブルあすかの美味献立から引用)

[1]平岡倭文江の項ですでにこれについては触れていたのだった。記憶は周期軌道を繰り返してたどり,脳の本質的な特徴かもしれないカオスからの逸脱をはかることになる。

2022年1月23日日曜日

柳宗悦

 柳宗悦(1889-1961)の民藝のアクセント問題で,日本民芸館に本人が民藝を発音する音源があるということだった。それならば YouTube にもあるのではないかと探してみると,NHKラジオアーカイブス〜声でつづる昭和人物史 が見つかった

この番組は,NHKの過去のアーカイブから政治家や実業家,文化人などの肉声が含まれるものを取り上げてその人となりや考えを紹介するものだ。柳宗悦の後編は,1959年10月の日本民藝協会での挨拶だった。彼が病気で入退院を繰り返して出席できなかったため,録音での挨拶が披露されたために記録に残っている。柳宗良の声には張りがあって気力も十分な話しぶりだった。番組は,宇田川清江(1935-)アナウンサーとノンフィクション作家・評論家の保阪正康の解説で進行する。

柳宗悦は,民藝が単独で出てくる箇所では,はっきりと‾ン_ゲ_イと発音している。しかし,宇田川も保阪もミ_ン‾ゲ‾イ‾なのであった。NHKが監修しているはずだけれど。

柳宗悦の父の柳楢悦(1832-1891)は,海軍少将・貴族院議員・測量学者であり,日本数学会の前身の東京数学会社神田浩平(1830-1898)と共に設立している。なお,柳宗悦の母,楢悦の後妻の勝子は嘉納治五郎(1860-1938)の次姉である。

柳宗悦の妻の柳兼子(1892-1984)はかつては「声楽の神様」と称されるクラシックの声楽家であり,85歳まで公式のリサイタルを続けていた。長男の柳宗理(1915-2011)は戦後日本のインダストリアルデザイナーの草分けであり,金沢美術工芸大学の教授を務めた。このため,金沢美術工芸大学には,柳宗理記念デザイン研究所が設けられている。

2022年1月22日土曜日

COCOAログチェッカー

 2020年の7月に厚生労働省の接触確認アプリCOCOAをインストールして568日目になる。COCOAは2020年の6月19日にリリースされており,現在までに2400万件ダウンロードされた。最初からアプリのトラブルが続き,開発の責任問題などを巡りゴタゴタしたことから普及が進まず,現時点でも全国民の20%程度というなさけない状況だ。

登録された陽性者と1m以内の距離に15分間以上の接触をしたというアラームは,まだあがってきたことがない。COCOAには,さらに詳しい接触通知ログ情報が14日間分,スマートフォンに記録される仕組みがある。このログを解析するツールが,COCOAログチェッカーというウェブアプリだ。

iOSの場合は設定に「接触通知」という項目があり,その中の「接触チェックの記録」に過去14日間の接触ログデータが格納されている。その一番下にある「接触チェックの記録を書き出す」がある。これを選んでコピーボタンを押すとログデータがクリップボードに保存される。そこで,先ほどのCOCOAログチェッカーの入力欄にこれをペーストしてチェックボタンを押せばOKだ。

早速やってみると,自分の場合,3件の新規陽性登録者が近くにいた記録が確認された。昨日は天王寺キャンパスの夜間の対面授業(次回はオンラインにする)があったので大阪に出たのだった。近鉄,上本町,地下鉄,天王寺地下街,大阪教育大学,天王寺駅などと16:00から21:30まで周回してきたので危ない危ない。15分以上は接触していないのでまあ大丈夫だとは思う。COCOAの普及率が20%だったから,一度大阪に出ただけで(先週は大学入学共通テストのため休講だから),この5倍の15人の陽性者と接触したことになる。


図:COCOAログチェッカーの画面


2022年1月21日金曜日

民藝

 NHKの「かわ善い民藝 いとお菓子」の録画を見ているのを聞いていたら,「‾ン_ゲ_イ_」というアクセントが飛び込んできた。夫婦揃ってゲゲゲの鬼太郎になってしまった。おかしいやろ。民藝は「ミ_ン_ゲ_イ_」という平板なアクセントのはずだ。

調べてみると,広辞苑無料検索という名前の統合検索サイトにあるNHK日本語発音アクセント辞典の例があった。はい,「ミ_ン‾ゲ‾イ‾」であり,にアクセントはなかった。いったいどうなっているのかと少しあたってみると・・・

2013年にYahoo 知恵袋ですでに問題になっていた。「今日のNHKで 民芸のミンの方にアクセントが強い発音をナレーターが発音していましたが,どうなんでしょう。ミンゲイ すべて平なアクセントが普通ではないでしょうか?」。これに対する回答は,「NHK発音アクセント辞典では,低高高高 (平板というアクセント)しか載っていません。長いことアクセントに関わっていますが,頭高の「民芸」は聞いたことがなく, 多数派も断然平板だと思います」であった。

一方,2018年に鞍田崇は次のように語っている。「たしかにアクセント辞典には平板に発音すると書かれています。でも,「民藝」という言葉を作った柳宗悦らに始まる民藝運動の関係者は「みん↗︎げい」と発音されることが多く,実際当の柳自身そのように言っていました。駒場の日本民藝館には彼の肉声録音が残されていて,そこでは,「みん→げい」ではなく「みん」にアクセントを置いています」。で,その後全国に普及する過程で平板化されたのでどちらでもよいとしている。

実際,YouTubeの最近のものでは,「‾ン_ゲ_イ_」が多いような気がする。うーん,もやもやが晴れない。

なお,NHKといえば,昼のニュースでシドニー・ポアチエが亡くなったことを報じた際,アナウンサーが「‾ド_ニ_ー・ポ_‾」と発音したのでびっくりたまげた。おかしいやろ。「‾ニ‾ー・ポ_‾チ_エ_」くらいじゃないのか。

2022年1月20日木曜日

大学入学共通テスト(4)

A日程とB日程で混乱していた共通一次をリニューアルしたのが,センター試験(大学入試センター試験)だった。これは, 1990年度から2020年度まで,約30年にわたって,31回実施された。大きな問題もなく安定して運用してきたが,いいがかりをつけられて共通テスト(大学入学共通テスト)に衣替えさせられた。

2006年度にリスニングが導入されるまでは平和な時代だったが,その後は,細かな不祥事が発生するたびに,これに対処するための試験の注意事項が単調増加していき,監督者マニュアルを読み通すのが大変なことになってきた。事情がある受験生や,突発事態に対応するための別室受験の準備もふえ,試験監督や警備のための教員の出動が半端ないことになった。

かつては,監督に当たる大学教員は,50代の後半くらいでセンター試験の業務からは解放されていた。そうはいっても,個別学力検査では出題もしているため,この時期は監督業務や質問対応業務で忙殺されることにはなる。自分がその年代にさしかかっても業務免除対象になることはなかった。

自分の在職期間に経験した29回のセンター試験を通じて,試験監督をした年よりも裏方の入試管理部業務などに携わった年の方が多かったかもしれない。拘束時間や労働内容は試験監督より量的に多いが肉体労働が中心であり,試験時間の間はピリピリと張りつめることなしに過ごすことができる。

2004年に国立大学が法人化されるまでは,2日目の後片づけが終わった後に,管理部スタッフや警備スタッフの教職員が集まって,準備していたおでんを囲んで歓談したものだった。リスニングが導入される頃には,リスニングの再試験対応などもある関係で,終了時間も遅くなってしまうため,業務が終わると解散ということになった。

2022年1月19日水曜日

大学入学共通テスト(3)

大学入試センターから,今回の令和4年度大学入学共通テストの平均点の中間集計結果が公表されている。ほとんどの科目は昨年とおなじくらいだが,数学Ⅰ・Aが,57.7点から40.3点へ17.4点下がり,数学Ⅱ・Bが,59.9点から45.9点への14点ダウンだ。読解力という謎のキーワードに振り回されて,どう考えても作問に失敗しているようにみえる。

大学入学試験の共通化は,1979年の共通一次(大学共通第1次学力試験)からはじまった。これは,1989年まで約10年にわたり11回実施された。その共通一次の監督業務が当たるようになったのは,1982年に大阪教育大学の助手になってからだ。池田分校や,天王寺分校,平野分校などで監督に当たったが,年配の先生の指導の元,教室で受験生への説明をすることもあった。

当時は,いまよりもずっとのんびりしていて,事前の監督者説明会もなかったし,現場では多少の融通もきいた。自分で問題を解いてみたり,欠席者の席にすわってあたりを監督したり,場合によっては読書も可能だったが,今となっては全て禁止でまったく考えられない。

池田分校の門から玄関に至る道では焚き火をしており,焼き芋を焼くのが通例になっていた。天王寺分校で一二度,管理部要員にあたったことがある。用務員さんがトラクターのようなものを運転して,試験問題を1Fにあった管理部の窓から搬入していた。天王寺分校の校舎はかつての師範学校の教室であり,教室の横には銃剣が並んでいたとのことだった。その話をしてくれた当時の天王寺分校の岡森博和主事(数学教育)の部屋で,試験日程終了後にささやかな食事が振る舞われた。

岡森先生には後にコンピュータ教育の科研費の協力者に誘われて,情報処理センター設置のために準備していた資料を提供したことがある。共同研究者ではなかったが,寺田町の安い中華料理屋で開かれた宴会に誘われてご馳走になった。退官後の学長選にも立候補されていたが残念な結果だった。

2022年1月18日火曜日

大学入学共通テスト(2)

 大学入学共通テスト(1)からの続き

数学IAの問題について批判ばかりしていてもしょうがないので,時間を決めて解こうとした。問題と解答は公表されており,次のようなものだ。

70分で4問(必答2問,選択2問)
第1問 必答:[1]対称式,[2]三角関数,[3]円と三角形
第2問 必答:[1]2次方程式の解と集合・論理,[2]統計処理
第3問 選択(2/3)[1]場合の数と確率
第4問 選択(2/3)[1]不定方程式と剰余
第5問 選択(2/3)[1]三角形の重心
スタート早々につまづいた。第1問の[1]の問題の条件が(1)だけでなく,(2)に及ぶことが読み取れずに全く進まない。なんとかクリアしたら[3]の問題が解けない。うーん,円周角の定理と三角関数はどういう関係になっていたっけ・・・,とりあえずおいて第2問に進むと,簡単な2次方程式の話なのだが頭に入ってこない。

というわけで30分経っても1/3もできずに脱落してしまった。チーン。不定方程式はなおさらだし,統計や幾何の問題は頭に入ってこないのであった。時間制限にあわてると平均点もとれないかもしれない。むしろこれで40点も取れるほうがすごい。

共通一次試験やセンター試験のころは,監督の時間に問題をパラパラと見て,これなら解けそうだと思ったものだ。いまでは新聞に掲載されている問題の字が小さすぎて読むことすらできない。ネットに掲載されている問題ならば字が大きいので大丈夫かと思ったら,共通テストになって読解力重視になったせいで,文章が多すぎてこれまた最後まで読み通せないのだった。

2022年1月17日月曜日

大学入学共通テスト(1)

 今年の大学入学共通テストはたいへんだった。オミクロン株の感染者数が急上昇するなか,1月15日(土)には東大の試験会場前で傷害事件があり,1月16日(日)にはトンガの海底火山の爆発にともなう津波警報で試験ができなかった会場がでた。

大学入試センター試験が,いろいろあって,大学入学共通テストに模様替えしたときに「思考力,判断力,表現力等を発揮して解くことが求められる問題を重視した」結果,今年の問題は読解力を必要とする部分が増えて,難易度があがったらしい。

そんなわけで,数学の試験を眺めてみたら,あら,防衛省の不祥事をヒントとしたようにみえる問題があるではないか。2019年にイージス・アショア配備の調査にかかわって露呈した事件だ。配備地の設定根拠を説明する資料において,Google Earthを使って水平方向と鉛直方向の縮尺比を考慮せずに山の俯角を導いて,判断のための重要なデータにしたというお粗末な(悪質な)ものだった。

今回の問題では,水平10万分の1と鉛直2万5千分の1の縮尺比を考慮せずに図を読み取った結果,キャンプ地から山頂を見込む俯角が16度になったのを検証するというものだ。三角関数表からこの16度に対応する正接を読み取り,これを1/4した値を解答し,さらに,この正接値から逆引して真の俯角(4度〜5度)を導くというものだ。

はい,いい問題ですね。しかし,平均点は数学I・数学Aで20点,数学II・数学Bで18点も下がった

図:朝日新聞2019年6月記事と大学入学共通テスト数学I・A問題の比較

P. S. Twitterの感想によれば,第2問のデータ処理,第4問の整数問題はかなり評判悪い。やはり,その出発点が利権がらみ(後に消失か)だった共通テストは失敗で,センター試験のほうが良質だったようだ。

2022年1月16日日曜日

Cityroam

 eduroamは,欧州の教育研究のためのネットワークコミュニティGEANTで開発された,高等教育機関や研究機関のための無線LAN相互利用のための仕組み(ローミングサービス)である。日本では,国立情報学研究所が運用している。

大阪教育大学もeduroamに参加していて(国内では323機関が参加),cc.osaka-kyoiku.ac.jpアカウントを持っている自分もその恩恵を受けることができる。といっても,他の大学や研究機関を訪問する機会はほとんどない。2016年からは初等中等教育機関にも対象が拡大され,大阪教育大学の附属学校10校が国内の最初の事例となった(尾崎先生と佐藤先生のおかげだ)。なお,初等中等教育機関については,学校無線LAN連携コンソーシアムによる実証実験という形で進んでいくことになる。

Cityroamとは,「プロバイダや電話会社,学校またはゲスト用のアカウントを用いて,各種施設や市街地において安全で自動接続可能な公衆無線LANサービスを実現する,無線LANローミング・フェデレーション(連合)です。利用者は,ひとつのアカウントを持つだけで,国内外の様々な場所でシームレスに,公衆無線LANを利用できます」というのが,その説明であり,eduroamもcityroamを構成する認証基盤の1つになっている。つまり,eduroamアカウント(自分の場合は,大阪教育大学のアカウント)があれば,cityroamの範囲で,自由に無線LANをつかえるようになる。

いまでも,FreeWifiのスポットは沢山あるのだが,そのたびにユーザ登録が必要であり,シームレスではない。また情報通信の安全性についても必ずしも保証されていない。おまけに,G4でつながっているときに,softbankのFreeWifiスポットに割り込まれて作業が中断したりするので困る。

さて,cityroamはどこまで使えるかというと,残念ながらまだまだだ。奈良県には0ヶ所,大阪府で3ヶ所しかないのだから。


図:大阪府の cityroam スポット(cityroamのgoogle mapから引用)

2022年1月15日土曜日

めった汁

テレビアニメの「舞子さんちのまかないさん」で,郷土料理の紹介リストに,石川のめった汁という言葉が出てきた。めった汁は全国に通用する普通名詞ではないのか。小学校の給食では定番のメニューだったが,そういえば,この50年ほとんど聞いたことがなかった。

めった汁ってどんなものと聞かれて返事に困った。普通に自宅の晩ご飯にでてくる豚汁と同じもので,野菜やいもが沢山入ったみそ汁だ。早速確認すると,農林水産省の「うちの郷土料理」というサイトには石川県の郷土料理として採用されており,次のような定義があった。「めった汁とは,さつまいもや大根、人参といった根菜類を使った具だくさんの豚汁のこと。従来の豚汁と異なるのは,じゃがいもではなくさつまいもを使う点にある」。

この農水省サイトは親切なので,著作権表示をすれば画像コンテンツを比較的自由に利用できる。下記写真の画像提供元は青木クッキングスクールだが,うーん,微妙に具が大きすぎて違う気がする。むしろ,いつもの夕食に出てくる豚汁の方が,追想/幻想の「めった汁」に近い。


写真:めった汁(出典:農林水産省Webサイト

P. S.  うちの郷土料理のページはよくできている。石川県,福井県,奈良県,京都府,宮城県など27府県分はあるが,富山県,大阪府,兵庫県,静岡県,東京都など20都道府県分は未作成で,令和3年度末にできることになっているけれど,間に合うのかしら。

2022年1月14日金曜日

公用文(2)

公用文作成の考え方(建議)」を踏まえた,内閣からの指示文書はまだこれからということだろう。高等学校の「現代の国語」が実用文にこだわるのならば,半分はこれをやったらどうか。

そこで(どこで?),文章校正ツールに,公用文作成に特化したものがないか調べてみた。マーケティングの観点からは,公用文に特化するメリットがないので,そうしたものはなかった。有料の文章校正ツールの中では,文賢がめだった。クラウド型のアプリだが,SafariではだめでChromeのダウンロードが必要。

また,一太郎でおなじみジャストシステムのJust Right!6というソフトウェアは,4.5万円程度。なお,ATOK Passportプレミアムを契約していれば,クラウド型のATOKクラウドチェッカーが利用できる。

無料版の文章校正ツールとしては,PRUV(プルーフ)Ennoがある。前者は登録なしで400字,ユーザー登録すれば無料で2万字までの文書を扱える。後者は,ユーザ登録不要であり明示的な字数制限はない。非公開の文書,顧客取引先の文書,試験問題・模範解答,個人情報を含む文書を入れるなとしている。Ennoの作者による「日本語エラーチェックサイトenno.jpを作った理由」が公開されている。

[1]現代仮名遣い(昭和61年)
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/gendaikana/index.html
[2]公用文における漢字使用等について(平成22年)
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/kanji/index.html
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/sanko/koyobun/pdf/kunrei.pdf
[3]常用漢字表(平成22年)
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/pdf/joyokanjihyo_20101130.pdf
[4]法令における漢字使用等について(平成22年)
https://www.clb.go.jp/files/topics/3485_ext_29_0.pdf
[5]表外漢字字体表(平成12年)
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/22/tosin03/index.html
[6]公用文等における日本人の姓名のローマ字表記について(令和元年)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/seimei_romaji/pdf/moshiawase.pdf

2022年1月13日木曜日

公用文(1)

 「公用文作成の考え方」について(建議)という文書が,1月7日に文部科学省の文化審議会から出ている。各省庁の審議会は,所管大臣からの諮問を受けて答申するのが普通だと思っていたので,建議という言葉が新鮮だった。

法的根拠は何かを調べてみた。文部科学省設置法の第13条で外局としての文化庁を置くこと,第20条で文化庁に文化審議会を置くこと,第21条の3項と4項で,旧国語審議会(現国語分科会)に対応する業務が規定されている。

三 文部科学大臣又は文化庁長官の諮問に応じて国語の改善及びその普及に関する事項を調査審議すること。

四 前号に規定する事項に関し、文部科学大臣、関係各大臣又は文化庁長官に意見を述べること。

したがって,前者が諮問に対する答申,後者が建議だと考えられる(建議:① 意見を役所、上位の人、機関などに申し述べること。また、その意見。建白。(小学館日本国語大辞典より))。 

公用文作成の考え方は6ページほどにまとめられているが,これに対する解説があるので,全体では36ページのpdfファイルとして公開されている。これまでは,昭和26年(1951年)に文部省の国語審議会の建議「公用文作成の要領」が,昭和27年4月に内閣から「公文書改善の趣旨徹底について」として各省庁次官宛てに出されていた。

1952年の要領では,「句読点は,横書きでは「,」および「。」を用いる。」となっていたものが,2022年の考え方では,「句読点に「。」(マル)読点には「、」(テン)を用いることを原則とする。横書きでは読点に「,」(コンマ)を用いてもよい。」になった。

Wikipediaの公用文作成の要領をみるとこれはなかなか面倒な話がたくさんあるものと想像される。

[1]公用文の書き方資料集三訂版(文化庁,1960)

[2]公用文の書き表し方の基準資料集