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2022年8月2日火曜日

高等教育研究センター(1)

昨日,京大の科学哲学の伊勢田哲治(1968-)さんが,次のようにツイートしていた。
京都大学の教育に関する情報共有・情報発信をしてきた高等教育研究開発推進センターが9月末で廃止されるとのこと。組織としては廃止されるとしても業務は移管されて残るのだろうと思っていたら、OCWやMOOCやCONNECTも含めてほとんどの業務がそのまま廃止の予定だという。
えぇーっ!である。早速,京都大学高等教育研究開発推進センターのホームページを見たが何も書いていない。しかし,センター長の飯吉透さんの任期が,2022年4月から6ヶ月(普通はありえない)となっていたので多分そうなのだろう。

放送教育開発センター(1978-2003)改めメディア教育開発センター(1997-2009)の廃止,教育情報ナショナルセンター(2001-2011)の廃止につぐ,日本のICT教育システムがまったく長続きしない問題の大ヒット事案だ。

各大学の高等教育研究センターは,国立大学の教養部解体の過程で1990年代半ばに登場した。ちょうどインターネットの商用化がスタートしたころだが,当初は,ICTとの関連が強調されていたわけではない。その後,OCW/MOOC,YouTubeからコロナ禍下でのZoom/オンライン授業へと,高等教育におけるICT対応の中心的な役割も果たしてきた。本当に,この盥の水をすべて流してしまうのだろうか?
東北大学
http://www.ihe.tohoku.ac.jp
大学教育研究センター(1993-)
高等教育開発推進センター(2004-)
高度教養教育・学生支援機構(2014-)

東京大学
https://www.he.u-tokyo.ac.jp
大学総合教育研究センター(1996-)
[全学センター→学内共同教育研究施設(2019-)]

名古屋大学
https://www.cshe.nagoya-u.ac.jp
https://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/link/jpcenter.html( 国内の高等教育研究センター)
高等教育研究センター(1998-)

京都大学
http://www.highedu.kyoto-u.ac.jp
高等教育教授システム開発センター(1994-)
高等教育研究開発推進センター(2003-)
(2022-)

大阪大学
https://www.celas.osaka-u.ac.jp
https://www.tlsc.osaka-u.ac.jp
全学共通教育機構(1994-)
大学教育実践センター(2004-)
全学教育推進機構(2012-)

2022年6月23日木曜日

評価基準と評価規準

 大阪教育大学のフェイスブックに「府内高校教員を対象に「教師の学び舎」第1回講座を開講」という記事が掲載され,お知らせがiPhoneにとんできた。

八田幸恵先生の講義が紹介されていた。八田さんといえば,京大教育学部の田中耕治研究室の出身なので,教育評価のプロである。自分が評価情報室に配属されていたころだったか,必要に迫られて田中耕治先生が書いた岩波書店の「教育評価」も買ったのだが,積ん読状態で放置していた。

さて,紹介された八田先生の講義の一コマで,次のようなスライドがあった。

キジュン={規準(criterion),基準(standard)}

規準:評価・解釈の規準を目標においたもの

基準:ある目標についてこれがこうできていれば5,こうであれば4ということを示して,教師に子どもの目標に対する達成度を把握させるもの 

   =量的な基準(○×10問中9問正解),質的な基準(ルーブリック)

うーん,循環定義になっている。そこで,師匠の本を繙いてみることにすると「相対評価」に対峙するものとして,「目標に準拠した評価」(「絶対評価」と混同されがち)があることを示したうえで,次のように書いている。

すなわち,規準」とは教育評価を目標準拠で行うということであり,教育評価の立場を表明する言葉として採用されている。しかし,この段階にとどまっていては,「目標に準拠した評価」は単なるスローガンに終ってしまう。その「規準」が量的・段階的に示された「基準」にまで具体化されなくては,「目標に準拠した評価」といえども,評価者の主観的な判断に陥る危険がある。

なるほどこれでわかったといいたいところだけれど,皆川さんの論文をみると話は錯綜していて,一筋縄では行かない。そもそも国立政策研究所の下記の資料は,ほとんどすべてを「評価規準」という用語で統一してしまったにもかかわらず,具体的な「基準」に立ち入って書いてあるのだから。混乱を招くこと必至ではないのか。

[1]「規準」と「基準」・‘criterion’と‘standard’の 区別と和英照合(皆川英代)
[2] 評価規準の作成のための参考資料(小学校)(国立政策研究所)
[3] 評価規準の作成のための参考資料(中学校)(国立政策研究所)
[4]「指導と評価の一体化」のための学習評価に関する参考資料(国立政策研究所)
[5]アメリカのスタンダード教育(さらに話が複雑な方向に・・・)

2022年6月8日水曜日

科学映像館

1960年代を中心として,日本では数多くの良質の科学映画が制作された。それらをデジタル化して保存・公開することを目的としたのが「NPO法人科学映像館を支える会」であり,科学映像館のサイトや,YouTubeチャンネルで700本以上の科学映画が配信されている。

本部は,埼玉県にあり,埼玉県の歯科医師協会が協力していることもあって,撤去冠の寄付を受け付けている。ジャンルとしては,幅広いものであり,教育,自然,動物,植物,生命科学,消化器・循環器・呼吸器系,骨,皮膚,医学・医療,食品科学,工業・産業,農業・漁業・暮らし,社会,芸術・祭り・神事・体育となっている。

科学映画といえば,国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が運用しているサイエンスポータルの中のサイエンスチャンネルも科学映画や短い動画クリップを扱っている。YouTubeのチャンネルには,1700本くらいのコンテンツがある。

2000年度の卒業論文で,「物理教育動画データベースの構築」というタイトルで物理実験のビデオクリップのウェブサイトを作ってもらった。当時は類似のデジタルコンテンツはごく限られていた。ユーザ側の負荷を考えて,かなり品質を落とした動画をアップロードしていた。その後YouTubeが2005年にスタートし,20年後の今は,質はともかく大量のコンテンツがあふれている。それが子供たちの学びにつながるかどうかはまた別の話となる。

[1]科学映画の一考察(中谷宇吉郎)

[2]科学映像を守る 記録映画の保存と活用(久米川正好)


2022年5月27日金曜日

三角関数(4)

三角関数(3)からの続き

東京大学の浜口幸一さんが2022年の夏学期に担当している「基礎方程式とその意味を考える」の中間試験問題が公開されている。

あなたが長い眠りから目を覚ますと、そこは 20xx 年の某国。そこでは、「三角関数は不要だ」と考える権力者によって全ての教科書から三角関数の記述が消されてしまっていた。これは大変だ。しかし幸いなことに、指数関数や複素数に関する記述は残っていた。そこであなたは「基礎方程式とその意味を考える」の講義で出てきた複素指数関数を用いて三角関数を定義し、そこから三角関数の性質を導くことにした*1 。

という設定で,三角関数の加法定理や周期性を導くものとなっている。 その参考文献として,立川裕二さんの2012年の物理数学IIの問題の以下の設定と,

問題:あなたは物理数学のテストの日になって目が覚めてみると空間が 1 次元増えて 4 次元になっていることを発見した!これでは三次元空間における球面調和関数だけでは物理を理解することはできない、四次元における球面調和関数を決定しないといけない。しかし物理数学 II の講義で習った内容は四次元の球面調和関数を決定するのに十分だ。そこで、以下の順序にしたがって、四 次元の球面調和関数について考えよう。

もうひとつ,グレブナー基底大好き bot さんのカクヨム小説「三角関数禁止法」があげられていた。三角関数禁止の世界が洒落にならないのがこわい。まあこの国では,禁止しなくてもみんな忖度で自分から身を捧げるので,だまっていてもどのマスコミも敵性語の三角関数を使わなくなるのかもしれない。キエフも敵性語ということでしたから。

2022年5月26日木曜日

三角関数(3)

三角関数(2)からの続き

三角関数の話題から,学習指導要領について調べていると,次の記事が目に入った。

最新の「学習指導要領」が,「絵に描いたモチ」になってしまっている以外な理由(現代ビジネス,2022/5/20 8:02 Yahoo! Japan News)。元文部官僚の前川喜平と法政大学教授の児美川孝一郎が,最近の教育政策について語り合った『日本の教育、どうしてこうなった?』(大月書店 2022)からの抜粋らしい。

平成30年3月告示(2018年)の現行学習指導要領が,教育内容ではなく「育てたい資質・能力」ベースで編成され,「社会に開かれた教育課程」や「学びの地図」といった目標設定がなされ,「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)や「カリキュラム・マネジメント」の導入など,話題が満載な改訂である理由について尋ねられて次のように述べている。

児美川:すべての教科・科目にそれぞれの「見方・考え方」が書き込まれ,かつ各教科・科目の内容もすべて「資質・能力」の3つの柱に沿って記述された。いわば、各教科・科目が縦軸、見方・考え方と3つの資質・能力が横軸となったマトリクス上にすべてが配置されました。芸術系の科目だろうが、体育だろうが例外はありません。その限りでは、形式的な論理性は究極まで貫かれています。ちょっと気持ち悪いくらいです(笑)。

前川:いかにもきれいに整理されているように見えるんだけど、そんなふうに整理しきれるものじゃないと思うんですけどね。書き込みすぎ,考え込みすぎ。要するに,やりすぎ

仕事柄,学習指導要領は,過去からの時系列を比較しながら読むことが多かったが,現行指導要領の印象はまさにその通りなのである。最初に見たときに自分の感じた違和感は,ルーブリック評価のテーブルをみるときの気持ち悪さと一緒であり,無理矢理に拵えられて過剰に書き込まれた論理的整合性なのだ。

前回の平成20年告示(2008年)の学習指導要領は,平成10年告示(1998年)版が,ゆとり教育路線による過剰な精選によって大きな批判を浴びたのをうけて,内容充実に柁を切ったものだった。それが,平成30年告示(2018年)では,教育方法にまで手を突っ込んで,箸の上げ下ろしのような細部まで拘束しかねない学習指導要領を追求している。

前川:まあ、両方とも合田君がやったからいけないんですよ(笑)。2008年・09年の改訂のときに合田君は,初等・中等教育局の教育課程課の教育課程企画室長だった。改訂の事務方の中心的な役割を担っていたんです。

 今回の改訂も合田色が強い。合田君が教育課程課長になったので。私が初等中等教育局長だったのが2013年~14年でしたが、合田君を課長にするつもりはなかったです。合田君がやったものを見なおすことのできる人間がやらないとダメだと思っていましたから。

 ところが私の後任になった小松親次郎君は,合田君がいいと思ったんでしょうね。合田君は合田君で,前回やり残したことがあったんですね。こういう文科省で誰が担当しているかということは,けっこう影響するんですよ。

前川:戦前の陸軍の関東軍は暴走しちゃったわけじゃないですか。ああいう強硬な中堅将校がいると,全体が引きずられちゃうことがあるわけですね。合田君はOECDの考え方の影響を強く受けているし,経済産業省が教育に乗り込んでくる動きにも乗っかっちゃったわけですね。

合田哲雄,現在は内閣府の科学技術・イノベーション推進事務局審議官である。2012-2015年の前後,自分が文部科学省によく通っていた時期には,この合田哲雄や小松親次郎の顔も拝んでいる。合田哲雄の評判は,当時の長尾学長らも口にしていたが,よくできるということだった(注)。

やり過ぎ感満載の学習指導要領を貫く精神は,大学教育にも大きな影を落としている。その結果,教育内容ではなく,アクティブラーニングをはじめとする教育方法と,抽象的な資質能力観が構成する3ポリシーでがんじがらめにされた,気持ち悪いカリキュラムを作るはめに陥ったのだった。まあ,文科省路線に迎合しようと努力していた自分も悪いのだが。

経営的にも組織的にも精神的にも自立できない日本の国立大学が共通に辿っている道だ。

[1]OECDの考え方:OECD Future of Education & Skills 2030

(注)「文部科学省には,大合田と小合田の二人がいてなんとか・・・」ということだったが,もうひとりの合田とは,もと高等教育局大学課長,生涯学習政策局長の合田隆文のようだ。

2022年5月25日水曜日

三角関数(2)

 三角関数(1)からの続き

前回の復習:金融教育を推奨している藤巻は,三角関数は高校で全員が学ぶ必要がなく,大学に入ってから学べば十分である個別的な専門知識だと主張している。しかし,そもそもの文部科学省の答弁で,三角関数は必履修科目の範囲にはなく(全員が学んでいない),金融教育が必履修科目「公共」の範囲だった(全員が学ぶことになっている)。


表:高等学校学習指導要領から

高等学校の学習指導要領をみると,各学科に共通する部分は表のようになっていた。図の黄色の科目が必履修科目であり,緑の科目は選択的な必履修科目だ。それ以外が選択科目となり,各高等学校がその特性に応じて決めている。

三角関数は,数学Ⅱと数学Ⅲに登場するだけでなく,物理基礎と物理の各分野でも必須の基礎知識なので,日本維新の会が政権に加わって,藤巻のいう方向で文部科学省が動けば,たちどころに日本の理工系教育が崩壊する。

一方,金融教育について必履修科目「公共」の学習指導要領解説編に何が書いてあるかを見れば,森田審議官の答弁で問題が解決したとも言い切れない。
公共
B 自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち
(ウ)職業選択,雇用と労働問題,財政及び租税の役割,少子高齢社会における社会保障の充実・安定化,市場経済の機能と限界,金融の働き,経済のグローバル化と相互依存関係の深まり(国際 社会における貧困や格差の問題を含む。)などに関わる現実社会の事柄や課題を基に,公正かつ自由な経済活動を行うことを通して資源の効率的な配分が図られること,市場経済システムを機能させたり国民福祉の向上に寄与したりする役割を政府などが担っていること及びより活発な経済活動と個人の尊重を共に成り立たせることが必要であることについて理解すること。
【解説編】
金融の働きについては,現代の経済社会における金融の意義や役割を理解できるようにするとともに,金融市場の仕組みと金利の働き,銀行,証券会社,保険会社など 各種金融機関の役割,中央銀行の役割や金融政策の目的と手段について理解できるようにする。
なお,「金融とは経済主体間の資金の融通であることの理解を基に,金融を通した経済活動の活性化についても触れること」(内容の取扱い)が必要であり,金融は,家計や企業からの資金を様々な経済主体に投資することで資本を増加させ,生産性を高め,社会を豊かに発展させる役割を担っていることを理解できるようにする。また,近年の金融制度改革の動向や金融政策の変化などを理解できるようにするとともに,フィンテックと呼ばれる IoT,ビッグデータ,人工知能といった技術を使った革新的な金融サービスを提供する動き,クレジットカードや電子マネーなどの利用によるキャッシュレス社会の進行,仮想通貨など多様な支払・決済手段の普及,様々な金融商品を活用した資産運用にともなうリスクとリターンなどについて,身近で具体的な事例を通して理解できるようにすることも大切である。
たぶん,藤巻の主張の中で,すべての生徒にとって必要だという部分はここにはない。実は,同じ必履修科目の家庭総合(ただし家庭基礎と選択の可能性あり)の解説編に該当部分の記載がある。
家庭総合
C 持続可能な消費生活・環境
(1)生活における経済の計画
ア(イ)生涯を見通した生活における経済の管理や計画,リスク管理の考え方について理解 を深め,情報の収集・整理が適切にできること。
【解説編】
生涯を見通した生活における経済の管理や計画,リスク管理の考え方については,人生を通して必要となる費用はライフステージごとに異なることについて理解して生涯収支に関心をもつようにするとともに,将来の予測が困難な時代におけるリスク管理の考え方について理解できるようにする。また,生涯を見通した経済計画を立てるには,教育資金,住宅取得,老後の備えの他にも,事故や病気,失業などのリスクへの対応策も必要であることについて理解し,預貯金,民間保険,株式,債券,投資信託等の基本的な金融商品の特徴(メリット,デメリット),資産形成の視点にも触れながら,生涯を見通した経済計画の重要性について理解できるようにする。

結局,藤巻の主張する金融教育というのは,金融リテラシーに相当するものを意味しており,それはすでに日本政府が率先して旗振りをしているのであった。

P. S. 「公共」の学習指導要領をこの度はじめて読んでみたが,その書きっぷりが他の教科とあまりに違いすぎて気になった。もう少し表現を吟味・整理して書くことができなかったのだろうか。

2022年5月24日火曜日

三角関数(1)

 先週,5月17日の衆議院財政金融委員会で,日本維新の会の藤巻健太(1983-)が質問している(藤巻健太の同学年が,今井絵理子,音喜多駿,丸山穂高なのだ・・・orz)。

金融教育がこれからの日本において重要であるという文脈で,自分が高校の時に受験で点を稼ぐために数学とくにサイン・コサインを朝から晩まで勉強したが,受験の翌日から20年使っていないという。また,サイン・コサインは測量,航空機の姿勢制御,星の距離を測るなどの特殊な分野だけに必要な専門知識であるとした。「知識として多くの人にとって三角関数より金融経済に関する知識のほうが重要で優先度が高いのでは」と文部科学省に尋ねた。

文部科学省の森田正信官房審議官は,大学入試や学習指導要領についての原則を無難に回答したが,藤巻健太が最後に,あなたは三角関数と金融経済のどちらが優先されるべきと考えるかを尋ねた。森田審議官の回答は,金融経済は,高等学校の公民科の必履修科目である「公共」に含まれる内容であるが,三角関数は,高等学校の数学科の必履修科目である「数学Ⅰ」には含まれていない(選択科目の数学Ⅱや数学Ⅲにある),とういものだった。

これで完全に論破されて議論終了のはずなのだが,藤巻がTwitterでこれを蒸し返したものだから,一週間にわたって騒動がつづいている。まあ,日本維新の会のお得意の,支持層受けをねらった学問芸術分野攻撃による炎上商法なのであろう。

炎上を招いた藤巻のTwitterでの主な発言はなかなか含蓄が深いので下記に引用する。

私の言う金融経済とはいわゆる金融リテラシーのことです。株や為替や国債とは?から始まり、保険・年金・投資信託・デリバティブとは?住宅ローンの変動・固定金利どう違うのか?多くの人にとって、人生を生きる上でそういった知識の方が、三角関数よりも必要だと考えます。

小学校の算数、中学数学はその概念・考え方を学ぶ上でとても重要だと思います。しかし高校数学は専門知識の側面が強いのではないでしょうか?三角関数などは、その道に進む人が大学で学べばいいと考えます。 

 車の安全な運転の仕方を知ることは大事だが、車の構造は知らなくていい。電子レンジの操作方法は知る必要があるが、電子レンジの仕組みは知らなくていい。三角関数が多くの技術に応用されているのはわかるが、必ずしも知っている必要はない。

三角関数は例えば木の高さを測るのに使われる。1人が木の高さを測ればいい。残りの99人は、木の高ささえ知っていればいい。99人にとっては、安全のために木を切る必要があるのか、どう切るのか、あるいはどうやって木を紙に変えるのか、その紙をどう流通・管理・販売していくかの方が遥かに大事だ。 

 世の中は分業し、お互いの知識を信用し合い、成り立っている。木の高さを測る人、木を切る人、木の安全を管理する人、木の役割を研究する人、木から紙を作る人、その紙を流通させる人、販売する人、それぞれに専門知識がある。三角関数はその専門知識の一つ。全ての専門知識を学ぶ時間はない。

三角関数が科学や工学のあらゆる分野において果たしている役割とその重要性についての決定的な理解の欠如があることは間違いない。それにしても我々は学校教育で何を学ぶべきかという重要な問いを含んでいることも確かだ。

2022年3月15日火曜日

メディア・ポートフォリオ(2)

 メディア・ポートフォリオ(1)からの続き

こんなことは誰でも思いつくことだし,現に,FeedlyなどのRSSリーダーはそれに近いコンセプトだろう。そこで,ネットで「メディア・ポートフォリオ」を検索してみると,面倒なことに異なった意味で使われる場合がほとんどだった。

(1)ビジネス分野におけるマーケティング用語:例えば,リード・ジェネレーション(見込み顧客)を獲得するための広報活動では,どのようなメディアを組み合わせて用いるのが有効かという考え方だ。ここでは,ターゲットのボリュームや心理に応じたメディアの選択などが例示されている。

(2)教育分野におけるポートフォリオ評価用語:ポートフォリオ+ルーブリック評価は,このところの流行であったが,動画や音声などのマルチメディアをどうやってうまくこれに組み込むかという論文が出ていた(保健体育教育の人なのか)。マルチメディア・ポートフォリオとして使われることが多い。

ポートフォリオを直訳すると「紙挟み」「書類いれ」であり,本来は,アート・デザイン・建築などの創作分野で,クリエイターが自分の作品を常に準備していて,新しい仕事の獲得のために自分の力量を示すものという意味で使われていた。それが,教育分野に転用された際に,クリエイターは児童・生徒に置き換わり,教師によって評価される対象としての学習記録総体を表わすこととなる。一方で,企業や個人の資産・投資分野では,リスクヘッジのために複数の金融商品や資産などを組み合わせて保持・運用することを意味している。

あ,忌まわしい,そして今はなき,Japan e-Portfolioを思い出してしまった。左記リンク先のコメントを書いた半年後の2020年8月に,野党の批判などを受けた文部科学省が「利用する大学が少なく,債務超過に陥り,今後の事業運営に必要な資産がない。プライバシーマークなど運営要件を満たす資格を取得していない」などの理由によって,Japan -Portfolioは運営の許可が取り消されている

2022年3月10日木曜日

フラッグシップ大学(3)

フラッグシップ大学(2)からの続き

3月9日に,文部科学省から教員養成フラッグシップ大学の指定についての報道発表があった。15大学14件(国立大学13,私立大学2)の申請があり,7大学がヒアリングされ,4件が指定された。

指定されたのは,東京学芸大学,福井大学,大阪教育大学,兵庫教育大学の4件である。ヒアリングまで通過した他の3件は,北海道教育大学,上越教育大学,愛媛大学である。なお,教員養成系単科大学(11校)のうち,愛知教育大学はヒアリングを通過せず,宮城教育大学,京都教育大学,奈良教育大学,鳴門教育大学,福岡教育大学の5校は申請していない。

基本的には高等教育や学術研究予算の選択と集中の教員養成系版であり,複雑化した教員免許状の課程認定制度に特区的な要素を盛り込んでさらにカオスな体系にするものだ。企業との連携も必須条件であり,どうしても利権の影がちらついてみえる。まあ,今のGIGAスクール構想全体からみれば,微々たるものかもしれない。

それでも,大阪教育大学が選ばれたことは,例え毒饅頭だとしても関係者は喜んでいるのだろう。あるいは既定路線だったのかもしれないが,申請書をざっと眺めこれまでの歴史的経緯を考えれば,まあ妥当な4大学の指定だと思われる。

この間の経緯はおよそ以下のとおりである。途中で新型コロナウィルス感染症問題のために非常に急ピッチでスタートしたものが1年間遅れることになった。

2019年1月18日 教育再生実行会議提言中間報告(技術の進展に応じた教育の革新ほか)教育再生実行会議 技術革新ワーキング・グループでの検討部分,ここに東京学芸大学の松田恵示と東北大学の堀田龍也がワーキンググループの有識者として加わっている。

2019年3月20日 中央教育審議会初等中等教育分科会教員養成部会教員養成のフラッグシップ大学検討ワーキンググループの設置について(上記の中間報告提言を受けたものだが最終報告を待たないのか・・・)

2019年5月17日 教育再生実行会議第十一次提言(技術の進展に応じた教育の革新ほか)

2019年5月23日 教員養成のフラッグシップ大学検討ワーキンググループ第1回会議

2019年12月19日 教員養成のフラッグシップ大学検討ワーキンググループ第7回会議 Society5.0時代に対応した教員養成を先導する「指定教員養成大学(フラッグシップ大学)」の在り方について(最終報告 案)

2020年1月23日 中央教育審議会初等中等教育分科会教員養成部会(兵庫教育大加治佐学長=部会長)で上記WGの最終報告を承認

2021年6月28日 中央教育審議会「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会 ここには,兵庫教育大学の加治佐哲也に加え,福井大学の松木健一が入っている。教員養成フラッグシップ大学の今後の進め方について教員養成フラッグシップ大学推進委員会の設置について,が議論されている。

2021年7月30日 中教審初等中等教育分科会教員養成部会の教員養成フラッグシップ大学推進委員会第1回会議,東京学芸大学の高橋純とキャリアリンクの若江眞紀が臨時委員として加わっている。主査は

2021年8月4日 教育職員免許法施行規則等の一部を改正する省令の施行等について(文部科学省総合政策局長)

2021年8月6日 教員養成フラッグシップ大学の公募について(文部科学省総合教育政策局長)

2021年12月29日 教員養成フラッグシップ大学推進委員会第2回会議ヒアリング対象大学の選定

2022年1月18日〜20日 ヒアリング対象大学のヒアリング日程

2022年2月12日 教員養成フラッグシップ大学推進委員会第3回会議指定大学の選定

2022年2月22日 中央教育審議会教員養成部会【非公開】秋田主査から審議結果報告

なんだかんだいっても,東京学芸大学と兵庫教育大学の加治佐さんが中心となって(福井大学の松木さんの影の下)この問題が回っていった。出発点は,教育再生実行会議の技術の進展に応じた教育の革新 というピンポイントのテーマだったのが,いつの間にか,

「令和の日本型学校教育」を担う教師の育成を先導し,教員養成の在り方自体の変革を牽引するため,1 先導的・革新的な教員養成プログラム・教職科 目の研究・開発,2 全国的な教員養成ネットワークの構築と成果の展開,3 取組の検証を踏まえた教職課程に関する制度の改善への貢献等

という大風呂敷に変貌してしまった。そして,教職大学院の雄である福井大学と兵庫教育大学の得意分野のレトリックでべたべたと塗りたくられたグロテスクな提案書が並ぶことになってしまった。


図:日本の国立教員養成大学マップ(惜しかった愛媛大学提案書資料から引用)

P. S. 松木健一さんは福井大学の企画担当の理事だし,若江眞紀さんは兵庫教育大学の特命戦略理事になっていた。

2021年12月16日木曜日

現代の国語(2)

 現代の国語(1)からの続き

「現代の国語」の教科書を巡って,何やらややこしいことになっている。

先の学習指導要領の改定で設けられた「現代の国語(2単位)」では,論理的な文章や実務的な文章を扱うが,文学的な文章は扱わず,これは「言語文化(2単位)」の方に委ねられるとされた。というわけで(これが良いかどうかは別として),現代の国語の教科書には「文学作品」は登場しないものと思われていた。

ところが,第一学習社が検定に提出した4種類の現代の国語の教科書のうちの「現代の国語」では,羅生門(芥川龍之介),砂に埋もれたル・コルビュジェ(原田マハ),夢十夜(夏目漱石),鏡(村上春樹),城の崎にて(志賀直哉)の5つの文学作品が取り上げられ,文学のしるべというコラムまであった。

他社の現代の国語の教科書では,文学作品を掲載したものは全くなかったので,これが物議を醸すこととなった。

8月13日:一般社団法人教科書協会が「現代の国語」の検定について文部科学省の見解を明らかにするよう要望する

8月24日:文部科学大臣(萩生田光一)が,教科用図書検定調査審議会に,第一学習社の現代の国語の問題を踏まえて,今後の高等学校「現代の国語」の検定における小説の取扱いに関する考え方を示すよう検討依頼する。

8月24日:教科用図書検定調査審議会が,「高等学校「現代の国語」の教科書の検定においては、小説教材を扱うことについて、学習指導要領の趣旨に照らし、より一層厳正な審査を行うこととする。」という回答を返す(はやい)。

8月25日:文部科学省初等中等教育局 教科書課・教育課程課が,都道府県などの高等学校の設置者の教科書担当部署に,高等学校「現代の国語」に関する教科書検定の考え方についてという説明を送る。

9月27日:文部科学省初等中等教育局 教科書課・教育課程課が,都道府県などの高等学校の設置者の教科書担当部署に,高等学校「現代の国語」における指導上の留意事項についてというダメおしの文書を送る。

1 学習指導要領上、「読むこと」の教材として小説等の文学的な文章を取り扱うことはできないこと。

2 「読むこと」以外の領域の教材として小説等の文学的な文章を取り扱う場合であっても、〔知識及び技能〕の指導事項との関連を図りつつ、当該領域の指導事項を身に付けさせるためにどのような言語活動を設定することが適当か、という観点から、当該領域に関する指導の配当時間も考慮して、当該教材の適切な取扱い方を検討する必要があること。

3 上記2の適切な取扱いについて、あくまで設定した言語活動を行うために必要な範囲で当該教材を読むことが想定され得るものであり、当該教材を読む活動が中心となるような取扱いは不適切であること。

4 なお、もとより小説等の文学的な文章を取り扱うことが想定されている「言語文化」において、「読むこと」の近代以降の文章に関する指導に20単位時間程度を配当することとされていること。

12月8日:文部科学省が2022年度の高校1年生が使う教科書の採択結果を発表し,科目「現代の国語(2単位)」では,第一学習社が16.9%(19.6万冊)のシェアでトップになった(東京都のデータ)。現場では,昔のタイプの文学こみの教科書が支持されたということだ。

まあ,教科書検定に失敗しているというのか,学習指導要領の改定に失敗しているというのかなんといいましょうか・・・

P. S. 高校のとき,全く得意ではなかったが,一番好きで授業に集中していたのが,現代国語だった。山月記,舞姫,城の崎にて,こころなどが掲載されていて,真剣に先生の話を聞いていた。1年がみーちゃん美谷先生で,2年が小浦場先生,3年が普神先生だった,多分。

2021年12月15日水曜日

現代の国語(1)

夏井いつきからの続き 

夏井いつき俳句チャンネルを最初の方から順番に見て学習している。助詞の使い方ひとつで句の意味が大きく変わることなど,文法にしたがって論理的に説明している回が面白い。

高等学校の教科の国語は,必履修科目の「現代の国語(2単位)」,「言語文化(2単位)」と,選択科目の「論理国語(2単位)」,「文学国語(2単位)」,「国語表現(2単位)」,「古典探究(2単位)」から成り立っている。

学習指導要領には現代の国語について次のような記述がある。

ア 論理的な文章や実用的な文章を読み,本文や資料を引用しながら,自分の意見や考えを論述する活動。

「ここでの論理的な文章とは,現代の社会生活に必要とされる,説明文,論説文や解説文,評論文,意見文や批評文などのことである。一方,実用的な文章とは,一般的には,実社 会において,具体的な何かの目的やねらいを達するために書かれた文章のことであり,新 聞や広報誌など報道や広報の文章,案内,紹介,連絡,依頼などの文章や手紙のほか,会議や裁判などの記録,報告書,説明書,企画書,提案書などの実務的な文章,法令文, キャッチフレーズ,宣伝の文章などがある。また,インターネット上の様々な文章や電子メールの多くも,実務的な文章の一種と考えることができる。論理的な文章も実用的な文章も,小説,物語,詩,短歌,俳句などの文学的な文章を除いた文章である

「これまでの国語は文学作品偏重であり,それが若者の言語能力の低下を招く」のだという,「野党は批判ばかりしている」と同じレベルの印象論によって,現代の国語が作られた。これを根拠に文学ディスの人が盛んに発言している。

俳句の分析の方がよっぽど論理的思考力を高めるのだと,夏井いつきとその息子の家藤正人の話を聞いていて思う。夏井いつきや家藤正人の声は聞き取りやすく,内容をわかりやすく丁寧に伝える能力が高い。つまり,言葉を扱う技術に優れているということなのだ。

2021年12月5日日曜日

ヨビノリ(3)

ヨビノリ(2)からの続き 

教育系YouTuberにならない方がいい7つの理由」というタイトルで,東大駒場祭でヨビノリたくみの講演があった。2017年から教育系ユーチューバとして,予備校のノリで学ぶ「大学の数学・物理」というチャンネルを公開し,4年半になった。現在までに83万人が登録し,動画本数は700本,総再生回数が1.5億回,1日平均20万回再生に達している。

その7つの理由だが,(1) 視聴者の母数が少ない,(2) ライバルが多い,(3) 撮影がシンプルにつらい,(4) ミスが許されない,(5)  誰かに嫌われる,(6) 生活できない,(7) 仕事とプライベートの境目がなくなる。というものだった。受験に役立つ教育系ユーチューバの主なチャンネルだけでも120あって,そのうち収益が上がって運営できているのは5本程度だとのこと。

YouTubeは既にレッド・オーシャンになっているが,VR(メタバース)はブルー・オーシャンなのだろうか。そこで教育系のVRチャンネルが成立するのだろうか。思い至ったのが,情報のストック(リソース)情報のフロー(コミュニケーション)の違いだ。1990年代半ばにインターネットの商業化が始まって,インターネットの教育利用が話題になったときに,このキーワードで説明することがよくあった。

YouTubeはその基本機能が動画コンテンツ(リソース)の蓄積と配信であり,VR Chatのようなメタバースの特徴はアバターを通じたコミュニケーションの場というところにあるのではないか。メタバースにおける講義を収録したものがメタバース上で簡単に使えるならば,現在のYouTubeコンテンツと同様に扱えるのかもしれない。しかし,それはYouTubeと本質的には違わないような気がする。


2021年12月3日金曜日

夜間の授業(1)

 天王寺キャンパスの初等教育教員養成課程の夜間コース後期の非常勤の授業が始まった。小学校教員を目指す学生(主に2回生)の理科の授業で,理科Ⅰが生物と化学の分野,理科Ⅱが地学と物理の分野に相当する内容を扱っている。

諸般の事情で,後半の物理分野のピンチヒッターで登板することになった。夜間コースの平日の授業は,18:00-19:30の6限と19:40-21:10の7限から成り立っていて,理科Ⅱは7限であり,受講者は30名程度である。

現役のときも,夜間の授業(コンピュータ演習など)の手伝いをしたことは何度かあったけれど,7限目は初めてかもしれない。午後一番には柏原キャンパスで非常勤の授業があるので,それが終わってから久しぶりに大阪に向かった。授業が始まるまで4時間以上あるので,どうやって過ごすかが問題だ。

上本町の近鉄百貨店のジュンク堂や天王寺MIOの紀伊國屋書店を回ったが,久しぶりに普通の本屋にいくと面白そうな本がたくさん並んでいる。やはりネットでは出会うことができなかった。あとはメタバースの本屋・読書ワールドができるの(あるのかもしれない)を待つだけかもしれない。

夕食は,阿倍野地下のラーメンと餃子の古潭に入る。1968年にオープンしているが,大学に入った1972年ごろに柳田さんに美味しいラーメン屋があるということで初めて連れて行ってもらった懐かしい店だ。当時はいつも行列ができるほど繁盛していたが,コロナのせいか,時間のせいか,場所柄のせいか店はとても空いていた。普通の味噌ラーメンと餃子にしたが,次は彩菜麺にしてみよう。

2021年10月3日日曜日

USB-DAC

 オンライン授業の1回目を配信した後で,「ノイズが大き過ぎて聞き取れない,ノイズキャンセリングマイク使ってください」というコメントがあった。昨年は,「声が小さい」というのが何件かあったので,できるだけ iPhone内蔵マイクには口を近づけるようにしていた。

そもそも,オンラインデジタル教材は「遠隔授業のばたばた(2)」にあるように,iPhone のボイスメモ(非可逆圧縮)で収録した音声の m4aファイルと,iPadの GoodNotes5による手書きノートの jpgファイルを,MabBookAirに転送して,ffmpegでマージして mp4ファイルにしたものだった。

音声の収録に,iPhone内蔵マイクを使っていたのを反省して,多少はマシだと思われるEarPodsのマイクを使うことにした。これも3.5mmジャックで MacBook Airに繋ぐか,ライトニングで iPhone SE2に繋ぐか迷ったけれど,とりあえずライトニングの方を選ぶことにして,ffmpegの音声のビットレートを 72kから144kに上げてみた。

#!/bin/sh
for arg in "\$@"; do
 sips -z 880 660 \$arg.jpg
 ffmpeg -loop 1 -i \$arg.jpg -i \$arg.m4a -ab 144k -vb 288k -c:v libx264 -pix_fmt yuv420p -shortest \$arg.mp4
done


これで解決するかどうかよくわからないけれど,いきなり数万円のコンデンサーマイクを買うのもどうかと思うし,ちょっと関心がある AirPods Proにしたところで目的は達成できなさそうだ。これに至る過程でいろいろ調べてみたけれど,音声入力は奥が深くて難しい。

(1) USB接続のノイズキャンセリングヘッドセット(数千円から1万円)を探してみたが,どうもしっくりこない。

(2) アナログ–デジタルの変換やインピーダンスと入力ゲインに鍵がありそうで,USB-DACというものがあることに気づいた。3.5mmジャックをUSB-Cに変換するタイプが1500円からある。これだと思ったが調べてみると EarPodsのマイク入力には対応できそうでない。

(3) ソフトウェアでノイズキャンセルをAI的に処理するものとして,Krispがあったので早速無料版をインストールしてみたが,今ひとつ要領を得なかった。

(4) コンデンサーマイクは1万円からあるけれど,大き過ぎてどうもしっくりこない。iPhoneのライトニング端子に直挿しするzoomのiQ7が対応アプリのHandy Recorderとの組み合わせで良さげであるが,もう少し様子見をする(電波でプチプチ雑音が入るのが難らしい)。

(5) なんだかんだいって,結局 余分なコストゼロで済ませられる EarPods 単体が最も良さそうだなあ。

YouTubeばかり見ていると素晴らしい音質に慣れてしまうのだけれど,これらのYouTuber は数万円から数十万円のマイクやオーディオ環境を整えているので,なかなか簡単には手が届かないということを学生さんは理解してくれるだろうか。

あるいは自分の方がどこかで間違っているのかもしれない。なにせ,高齢者なので高音域の感度が全く悪くなっており,変なノイズもそもそも自分では聞き取れていない可能性も高い。聞こえチェックで,60代の10,000Hzがクリアできないのだから。


写真:zoomのiQ7(Amazonより引用


2021年8月30日月曜日

リスキリング

 リスキリング(reskilling)という言葉を聞いたとき,リスクマネジメントの変種かと思った。放送大学の奈良先生は,リスクマネジメントの次の宣伝ワードとしてレジリエンスを採用してがんばっているようだ。

そのリスキングは,たぶんリクルートが経産省に売り込んだ宣伝ワードである。「新しい職業に就くために,あるいは,今の職業で必 要とされるスキルの大幅な変化に適応するために, 必要なスキルを獲得する/させること」なのだ。

これが,DX(デジタルトランスフォーメーション)とセットの詰め合わせ商品になっているのではないか。こうしてコンサル屋や広告屋や教材屋がますます儲かるということになるのだけれど,実質的なリスキリングはたぶん進まないのではないかと想像している。

あるいは,学校教育へのリスキリングの適用がプログラミング教育なのかもしれない。

[1]リスキリング デジタル時代の人材戦略(20202021

2021年8月1日日曜日

人権と多様性

 教養学科が廃止させられ=教育協働学科に改組したときの,教養基礎教育のカリキュラム改正で,流行に便乗してダイバーシティ教育をキーワードの一つにした。まあ,もう一つ何かあったかもしれなけれど,ほとんどそれしかなかった。このとき,大阪教育大学の人権教育の歴史を背景としてという説明を考えていた。あまり強調する機会はなかったかもしれない。

きょうのTwitterで@metsaihmisetさんや@ShinHori1さんが次のように語っている。

Shin Hori :最近は,「権利」「平等」「差別否定」等という"強い"言葉を使いたくないので,「多様性」という"弱い"言葉を使ってごまかしているケースが目立つように思える。

Shin Hori :「多様性を実現するために差別を解消しよう」という訳のわからないことを言ってる人さえいる。差別解消はそれ自体で完結しており,"多様性"のための手段ではない。例えば女声に参政権が付与されたのは,多様性を実現するためではないし,"多様性"という言葉を使う必要さえない。

Albert Rasimus:生まれながらにして人は全て同等の権利(自然権としての人権)を持つため多様性とは無関係に人権は守られるべき権利とされています。結果として多様になるのであって権利が同等だからです。

Albert Rasimus:現行日本国憲法は自然権としての人権を認めていますが自民党はこれを気に入らないので改正したいのです。九条は建前です。危険を煽ることで九条は賛否両論となります。人権を奪いたいと言えば反対されるのは明白だからそちらに目を向けて賛成を増やしたいのです。憲法は人権という観点から見るべきです。

一方で,自分も陥りがちな観点として,生物多様性による環境適応の柔軟性や進化を念頭に,「人間社会においても多様性が実現しているほうが,社会としての安定性や継続性に寄与することが可能だろう」という準(疑似?)科学的な見方がある。

こちらのほうは,いわゆる「新自由主義」と親和性が高く,ともすれば多様性+自由競争という選択が,既存権益の温存につながるという残念な帰結をもたらしてしまう。そんなわけで,多様性の議論には人権というしっかりと地に足のついた観点が欠かせない。

あるいは,多様性=人権に気付いているからこそ,自民党宗教右派は,LGBTに反対し,選択的夫婦別氏制度を拒否し,多様な家族のあり方を否定する。


2021年7月18日日曜日

女紅場

 法事で京都の街を歩いていたら,丸太町の鴨川縁に女紅場(にょこうば)の碑があった。京都府立第一高女がなんとかとあったので,調べてみた。

女紅場とよばれた女子の教育機関にはいくつかの類型があるようだが,この京都の女紅場は1872年に設置された日本最初の公立の女学校であり,後の京都府立第一高等女学校の前身だった。現在は京都府立鴨沂高等学校である。

大阪でこれに対応するのが,1874年に堺県に設置された女紅場であり,後の大阪府立泉陽高等学校だ。ここは大阪で2番めに古い高等女学校となった。なお,大阪で最も古い女学校というのは,1882年に設置された府立大阪師範学校の附属裁縫場を起源として大阪府女学校となった,現在の大阪府立大手前高等学校である。


写真:丸太町鴨川西岸にある女紅場の碑(Wikipediaより引用)

[1]女学校(Wikipedia) 

2021年6月20日日曜日

教育データサイエンスセンター

文部科学省:青木栄一からの続き 

2021年の10月,国立教育政策研究所の下に教育データサイエンスセンターが設置される予定だ。定員が5名のごく小規模な組織である。その目的は,(1) 全国学力・学習状況調査のCBT(Computer Based Testing)化,(2) 教育データサイエンスの普及活動,(3) 教育データ利活用に関わる検討 などとなっている。

教育ビッグデータとは,児童・生徒・学生の学習履歴や行動履歴を広範に収集分析して,個人の学習活動にフィードバックするとともに,教育行政の改善につなげよういうものである。その大きな流れにおける文部科学省側の動きの一つが教育データサイエンスセンターだろう。

これについても,青木栄一さんが「文部科学省」の中で注意を促している。すなわち,文部科学省に対する間接統治の文脈で 268pに,

「間接統治」の「旨味」は,官邸の主である首相が代替わりしても忘れられることはないだろう。むしろ経産省以外の他官庁,その他の政治主体も教育・学術・科学技術の「間接統治」を目論む流れが強まっていくだろう。総務省は学校でのICT活用の主導権を経産省から取り戻そうとするかもしれないし,財務省は効率的(安上がり)な教育政策をさらに実現するかもしれない。また,学校の抱える多種多様で大量の個人データは,マイナンバーを通じた国民管理にはうってつけである。例えば,生徒個人の成績データや問題行動データ(暴力・暴言など)を犯罪抑止に使おうとすることは十分ありえる

権力の源泉は,情報ひと(人事)とかね(予算)である。情報を持つものが権力を掌握し,ひととかねを通じて支配構造を貫徹する。ビッグデータはその情報の部分の鍵なのだ。すでに張り巡らされた監視カメラとネットを流通するデータは補足されているが,GIGAスクール構想によって学校の中にもこの神経網が張り巡らされることになる。

2021年6月19日土曜日

文部科学省:青木栄一

 中公新書2635の「文部科学省 揺らぐ日本の教育と学術」を読了した。著者の青木栄一(1973-)さんは,東北大学教育学部教授で前職は国立政策研究所の研究員(2003-2010)だ。

「文部科学省」の目次は次のようになっている。

序 章 「三流官庁」論を超えて
第1章 組織の解剖−統合は何をもたらしたか
   1 幅広い業務,最小の人員
   2 組織構成から見る文部・科技のバランス
   3 揺らぐ機関哲学
第2章 職員たちの実像
   1 文科官僚−特急券をもつ者たち
   2 キャリアパスは変化したか
   3 融合は進んだか−幹部人事と出向人事から読み解く
第3章 文科省予算はなぜ減り続けるのか
   1 67万人の教員人件費,3万校の学校施設建築費
   2 高校無償化−政治に翻弄される4000億円予算
   3 国立大学の財政−年マイナス1%の削減
第4章 世界トップレベルの学力を維持するために
   1 ゆとり教育から学力向上へ
   2 教員の多忙化−過労死ライン6割超の衝撃
   3 教育委員会は諸悪の根源か?
第5章 失われる大学の人材育成機能
   1 高大接続−誰のための入試改革か
   2 大学改革−なんのためのグローバル化か
   3 先細る日本の学術・科学技術人材
終 章 日本の教育・学術・科学技術のゆくえ
2001年に文部省と科学技術庁が統合されて発足した,定員数が最も小さな文部科学省(定員2150人)の組織,人事,予算を説明した後,その政策について初等中等教育と高等教育にそれぞれ焦点をあてて非常にバランスよく説明している。自分の見聞・体験してきた分野とほぼ重なるので非常に読みやすく,飲み込みやすかった。

青木さんの専門分野は,教育行政学,地方自治論,公共政策論であり,現在の研究テーマは,官僚制のパネルデータ分析,教育と政治の関係,教員の労働時間とワークライフバランスなどであるため,第4章のゆとり教育の失敗や教員の多忙化のあたりが丁寧に分析されていた。

ただ,文部科学行政を牛耳ってきた自民党清和会の最近の極右的な傾向を反映した教科書検定の結果としての現状(従軍慰安婦記述など)や,その観点からの教員免許更新の意味,あるいは道徳教育の復活など,文科省がかかえる復古的な動きについてはほとんどスルーされているような気がした。

一方,第5章の大学の危機について。高等教育は著者の直接の専門分野ではないけれど,実体験に裏打ちされたリアリティのある記述が,直近の様々な事態までを含んで語られており,とても共感できるのであった。例えば,221ページ
まず政治家は危機を煽り改革を叫び,制度改革の機運を醸成する。いつの間にか既存制度の改革自体が目的となり,冷静な政策論議が忘れられる。企業は,こうした醸成された状況にキャッチアップし,受託を見据えた動きをする。ここに有識者が影に日向に関わっていく。
例としては,大学入試改革が,世代交代した新自由主義的傾向の強い文教族によって,民間委託の名のもとに売り払われようとしていることが挙げられている。そう,GIGAスクール構想などのEdTechの動きについてもまったく同様なのだった。そしてその端緒となる「インターネットの教育利用」に自らの手を貸していた私なのだった。

さらに,文科省の背後にいる,官邸,他省庁,政治家,財界の「間接統治」によってこうした政策(ロジスティクス軽視,前線依存)が進められていることが明らかにされていくが,これを防ぐものがいない。例えば,266ページ
不幸なことに,文科省のこうした思考と姿勢に注意を促す外部主体がいない。教職員組合は本来,文科省を叱咤激励するべき存在だが組織率が低下し弱体化してしまった。教育学者は「エビデンスの罠」に囚われてしまい迷走している。多くの教育学者はエビデンスが政治家や各省庁に都合よく使われる危険性に気づかず,エビデンス重視の流れに無批判に乗ってしまい,その結果,文科省の挙証責任ばかりが求められるようになった。教育メディアは改革の紹介記事を特集するが調査報道は不十分で,多くは「提灯記事」の域を超えない。他方,改革に対する批判の多くが感情的で,何らかの学術的知見に裏付けられたものではない。
最後に,これを打開するための著者のアイディアとして,シンクタンクの活動を呼びかけている。詳細は,本を買って読んでください。


写真:中公新書2635 文部科学省 青木栄一(amazonより書影引用)


2021年2月11日木曜日

工業小学

 天野皎が教職を辞してまもなくの1882年に著した小学校向け教科書の一つに「工業小学(東京 晩翠書楼開板 明15.7)」がある。工業は正式には小学校の教科になっていないので,あくまでも一つの試みだと思う。国立国会図書館のライブラリでデジタル化版が公開されていのは巻一だけであり,巻二と巻三はあちこち探したけれど見つからない。

なにが書いてあるのか知りたかったので,目次と緒言と第一篇工業の総論,第二編原動力を写経してみた。漢字を簡約してカタカナをひらがなに変換しただけだが,読めない字があったので正確ではないかもしれない。それでも明治初期の小学生はこれが読めると想定されていたわけだ。この時期の教科書には句読点がないのが普通なのか。

19世紀末の日本の工業とは,蒸気力・水力などを原動力とした繊維産業と手工業(工業以前かもしれない)だけだった。いまではほとんどが伝統工芸として扱われる分野だ。自分は,1958年の小学校学習指導要領の理科に基づいた教科書で育った世代だが,これも当時の昭和中期の工業(産業)を背景としたかなり具体的な教材から成り立っていたのでどことなく親近感を覚える「工業小学」だった。

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天野皎 著  工業小学  東京 晩翠書楼開板 明15.7
工業小学目次
巻一
 第一編 工業の総論
 第二編 原動力
 第三編 工業制作及び製糸 (繭 糸 等)
 第四編 絹布 (絹 羅 錦 綺 綾 紬 甲斐絹 精好 金襴 緞子 繻子 綸子 縮緬 天鵞絨 □珀 等)
 第五編 綿糸,綿布 (雲齋 飛白 帆木綿 紋羽 唐桟 双子織 花布 寒冷紗 等)
 第六編 麻,麻布 (麻糸 幣 苧 布 飛白 亜麻布 芭蕉布 葛布 等)
 第七編 毛布 (羅紗 アルバカ フラネル 莫大小 等)
 第八編 染料,顔料,漂白剤 (青 黃 赤 紅 緑 紫 格羅爾 加爾基 等)
巻二
 第九編 製紙 (和紙 奉書 美濃紙 洋紙)
 第十編 漆器 (仮漆 ペンキ 等)
 第十一編 蒔絵
 第十二編 陶器 (七宝器 各国陶器 等)
 第十三編 玻瓈 (各色玻瓈 玻瓈器 等)
巻三
 第十四編 玉工 (硯 目鏡 玉 瑪瑙 水晶 珊瑚 金剛石 宝石 等)
 第十五編 彫工 (木偶 石像 玉石 玻瓈 木竹 金 銀 銅 骨 牙)
 第十六編 印刷 (木版 銅版 活版 鉛版 製本 等)
 第十七編 鉄工 (刃物 農具 家具 等)
 第十八編 金銀銅工 (飾屋 時計師 等)
 第十九編 建築 (家屋 橋梁 畳 建具 等)
 第二十編 家具 (桶 膳 椀 等)
 第廿一編 各種製造 (曹達 硫酸 塩 鍍金銀 鉛筆 墨汁 等)

緒言

一 本邦未だ工業書の小学に適当するものあるを見ず然れども工事たる甚浩大なるものにして且難事なれば児童の容易く之を了解すべきものにもあらず故に本書は勉めて其大要を挙ぐ決して高尚の域に渉るに非ず

一 児童の心性各種の作用其身体発育の時機に従ひ強弱一ならず故に本科の如きは其発育の能く此の難事に堪ふるに及びて之を授くべし彼米国の読本の如きも稍く高尚なる各学科を畢へて後之を教ふるの趣向なり児童の薄弱なる知力に難事を授るは猶駑馬に重荷を負はしむるに同じく却て発育を妨害するものなれば教師の尤も恐るべき処なり

一 此書は毎週一二時間位の科程にて三個年に畢るべき見込を以て編集セリ故に一巻を一年に畢へ三巻にして全備せり因て第一年より順次に児童の知力の度に従ひ強弱を量り其難易を斟酌せり是小学科程書を編する一大要訣なればなり

明治十五年三月 編 者 識

工業小学巻之一   天野皎 著

第一編 工業の総論

工業とは広き事にして今日人間の生活する所にて之を言はば衣食住とも皆工業を経ざるものなし衣は始めに糸に続き次に織り或は染め畢りに裁ち縫ひて始めて人の用となる此の用となるまでは幾許の手を経るや細かに之を数えなば指も屈するに遑まあらさるべし食といへども其食ふべきものは工を経ざるも其膳椀鍋釜箸茶碗包刀俎等に至るまで皆工業にあらざるなし又住居は言ふまでもなく悉く工業に非ざるなし

是を以て工業の事たる種々にして一々に之を習ふ能はざれども人として其大要を知らざる可らず工業の巧拙は其国の強弱貧富に拘はるものにして工業の盛大なる国に非ざれば商業も農業も進まず農商共に進まざれは何によりて富を致さんや国富まざれは何によりて海陸の軍備を盛大にするを得んや軍備盛大ならされは外国の侮を受け其人物は欺かはしき恥辱を承り遂には一国の滅亡に及ぶべし工業の関係大なりと云ふべし

工業は斯くまで一国の興敗存すにも係はる程のものなれば容易き事業にはあらじ故に之を習ふにも種々の術を知らざれば成る能はざるなり先第一に数学幾何化学理学画法を学ばざれば何れの工業も学ぶ能はず例へば大工の雨樋を作るに其屋根の面積を積もり其雨の量を測りて大小を定めざれば狭き屋根に大なる樋は空しき費にて広き屋根にて樋の小なる時は溢るるの患あり之を知るは数学なり又堅木細工師の種々の形ちの盆などを造るとき或は五角六角に木を截るは幾何の術に因らざれば精密ならず染工の善き色を染めんと欲するは化学なり種々の雛形を模し或は建築図等を書くは画学なり理学は何れにも広く渉るべき学科なり

工業は何事に因らず人力を省きて其品質を精良にするを第一とす故に此の力を省くに付き種々の工夫あり之を原動といふ原動とは一つの動力を生ずる所にして之を四方に移して人力を省く其種類三ツあり蒸気力水力風力是なり然れども極めて精良なる物に至りては悉く人力にあらざるなし今此の三原動より説き示すべし

第二編 原動力

原動力とは器械を運転するの本にて即ち蒸気水風は之を起すの本なり此の内広く行はるるは蒸気にして之に次くものは水なり風は其力弱けれは十分なる器械等を用うるを得ず水は何処にもあるものならず能く其水利を得ざれば之を使用する能はず若し其水利を得る時は費用少なきを以て甚利益あり蒸気は水風と異にして何処にても其気罐を装置するを得れは其費用の多きも勢ひ之を用うるもの多し又近来石炭瓦斯を以て蒸気に代ふるの発明あり

蒸気の理は甚解し難きものなれは理学器械学等にて能く研究すべし其理たるは水を沸騰して華氏の験温器の二百十二度に昇るときは変して蒸気となる此の蒸気は反発と膨張の性あるものなれは之を凝縮して其反発膨張する時に其力を追々に器械の緒部に伝ふるに過ぎず然れども其器械は大小種々あり又簡易なるものあり極めて繁雑なるものあり

水を以て器械を運転するは古へよりの発明なれとも近来は愈其器械等も精巧になりて紡績織物其外材木を截る等に用う是を水車といふ水車は車の上より水を注き掛くると車の中程に注き掛くると車の下を水の流過するとによりて其力に強弱あり又近来の発明なる渦旋水車といへるは車を平面に置き其車の外面を覆ひ其中に上ヨリ水を注き容るれは車輪に触れて之を運転する仕掛にて其力甚強し近来は追々に此の水車を用ふるものあり此水車は水源さへ高けれは水量多からすして強大の力を生すべし

風車は前にもいへる如く其力弱きを以て十分に器械を運転するの用をなさずといへども其力を多く要せざる所には之を用ゐは費用少なくして利益あるへし是を風車という右に示せる蒸気水車風車等は甚鮮し難き理あれは能く理学等にて研究すべし此の諸原動の力を量るは皆馬力と称して其力の強弱を算す

故に盛大なる器械を運転するには何れも数百馬力のものを用う若し人力にて為す時は千人二千人の職工に非ざれは為す能はざるものも蒸気又は水車等を用うれば僅か数人にて其工事を畢るべし

又人力を省くのみならす器械にて製する物は大小精粗とも一様にして其形ちに長短厚薄なく幾万を製するも差異なし且又人力にては数日を費すものも僅か一二時に成し遂くるの利あり