ラベル 奈良 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 奈良 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年7月9日土曜日

KCN 光1G

フレッツ光 vs eo光 からの続き

あっというまに,9ヶ月過ぎていた。マンションの春の理事会で,KCNのインターネットが光に 切り替わるというアナウンスがあり,5月ごろに受付が始まった。早速申し込んだところ,6月に訪問調査があり,7月8日に開通することになった。

これまでは,TVの共聴同軸ラインから分配したものをモデム経由で無線ルータ(AirMac)に繋いでいた。今回は,NTTの電話線の配管に光ファイバーを通して,電話線の出口あたりからONUに入って無線ルータに繋げることになる。そこで,AirMacの設置場所も電話機の位置に移動するわけで,やや面倒なことになったのだが,ONUはとてもコンパクトだったので,壁に取り付けるまでもなかった。

光ファイバーの引き込みとONUへの接続に1時間ほどかかって作業が終り,KCNさんの端末では接続が確認された。ただし,クレームを避けるためか,速度測定はしてくれなかった。

入線担当グループはMacの設定についてはちょっと不安があるようで,KCNの別担当が工事終了後にくることになっていた。それまでに,自分でAirMacに結線して確認したところ,特別な設定なしに問題なく繋がった。肝腎の回線速度だけれど,下りが150Mbps,上りが100Mbpsくらいだ。下りは多少改善された程度だが,上りは20倍程度になったので,zoom会議も安心だ。

KCNの設定担当者がきても特にすることはなく,専用端末を有線でつないで,下り180Mbpsと上り210Mbpsでていますということで終了した。AirMacもかなり古いWifiルーターなので,これを取り換えてもいいかと考えていたが,有線でこの程度ならばあまり御利益はない。

ベストエフォートだし,月々の回線料も安くなったので,まあよしとしよう。問題は夜間の混雑時にどうなるかだ。うちが,マンション内の光回線引き込み工事第1号だったので,今週くらいはまだましかも(P. S. とりあえず夜間のスピードダウンは解消された)。


図:メカニカルストライプの構造(FUJIKURAから引用)


P. S. (7/13/2022 10:00)  ONUから直接Ethernetで接続しようとしてうまくいかず。手動でIPアドレスなどを設定したが端末のネットワーク設定でグリーンランプまでいくがだめ。PPPoEで繋げとかあるけれど,PPPoEはサポートしていないという記述もあり,ONU側はそもそもルータが繋がることしか想定していないのか。そういえば,AirMacの有線ポートが3つあったので試してみると,下り450Mbps,上り380Mbpsを出していた。問題はAirMacの無線の規格が遅いということか。

P. P. S.  たぶん,手元のAirMac(TImeCapsule 802.11n 2nd)は,2009年の2TBモデルではないか。つまり,802.11 a/b/g/n に対応している。いまどきのWiFi-5 802.11acとかWiFi-6 802.11ax 対応にすればもう少し改善されるかもしれない。

2022年7月6日水曜日

まひるの月を追いかけて:恩田陸

昔,最も多いときは,年に100冊近く本や雑誌を買っていたかもしれない。ところが,最近,ほとんど本を買わなくなってしまった。通勤帰りに毎日本屋に立ち寄る習慣がなくなったせいだが,そもそも行動範囲内から書店がどんどん消えていることも原因だ。

諸般の事情で少し空き時間があったので,久しぶりに近鉄八木店のジュンク堂書店に立ち寄ると,宮部みゆき(1960-)の文庫新刊「まひるの月をおいかけて」が平積みされていた。手に取って中をパラパラみると,奈良県のあちこちを回る話で,天理という字が目に入ったので思わず買ってしまい,並み居る未読書を差し置いてさっそく読了した。

主人公らは,東京−橿原神宮前駅−橿原神宮−藤原京−今井町−明日香−亀石−橘寺−石舞台−天理駅−山辺の道−長岳寺−大神神社−近鉄奈良駅−奈良公園−新薬師寺−白毫寺−東大寺−法隆寺−中宮寺−飛鳥駅−橘寺と巡り,それにつれて物語が転回していく。

実体験にもとづくような文章だったので,たぶん,宮部みゆきもこのルートを辿ったのだな。天理駅前のビジネスホテルと焼き肉屋はどこだろう。とあらためて本をよく見ると,著者は宮部みゆきではなく,恩田陸(1964-)だった。しかも新刊ではなく,2007年が文庫1刷(単行本は2003年)だ。写真で見る二人の顔形はなんとなく似ているような気がするし,文春文庫の黄色い背表紙をみて条件反射的に宮部みゆきにアサインされていたようだ。奈良のご当地ものということで,書店で平積みされていただけだった。

宮部みゆきは何冊も読んだが,恩田陸は映画化された「夜のピクニック」を始めほとんど読んでいない。ハヤカワSFシリーズということもあって「ロミオとロミオは永遠に」はたぶん買ったような気がするが,期待外れだったので処分してしまった。


写真:まひるの月を追いかけての書影(amazonから引用)

2022年6月29日水曜日

信貴山朝護孫子寺

摂州合邦辻からの続き

今年は寅年なので,信貴山朝護孫子寺に注目が集まっているはずだ。信貴山登るなら今年がいいねということで,自宅から西に15km,車で30分のところにある信貴山寺に行ってきた。

実は,これは初めてではなくて2回目である。1回目は大学2年のゴールデンウィークだった。八尾(志紀)の柳田さんの家にお泊まりで行ったメンバーは誰だったか,楠本さんの他,藤原さんもいたかなあ。講義ノートを販売する作戦の倫理的問題について議論が巡らされたときだ。

次の日に恩智駅からいけば近いよということで,楠本君と二人で信貴山に上ることになった。信貴山寺は,恩智駅からほぼ東に5kmにある。Googleマップで道を確認して見たがみあたらない。しかし,ちゃんとハイキングコースがあって,2-3時間ほど歩くと迷わずにお寺まで到達できた。そのころにも大きな寅があったのだろうか,全く印象には残っていない。

さて,今回は,入り口の大寅(電動らしい)で記念撮影したあと,成福院,玉蔵院,本堂(戒壇巡り),千手院とまわったが,信貴山観光センターも霊宝館も臨時休業で,信貴山縁起絵巻(複製)も拝観できなかった。境内の電気工事のせいだ。戒壇巡りもコーナーの非常灯が消灯しているので,気をつけるように注意された。

本堂拝観の後,時間が余ったので信貴山城趾まで登ることにする。出発点から頂上まで560m20分と書いてあるけれど,両手に竹杖の高齢者夫婦にはその倍の時間がかかってフラフラになる。残念ながら力尽きて松永屋敷跡まではたどり着けなかった。

587年7月3日,聖徳太子が物部守屋を討伐したのを機に創建し,毘沙門天=多聞天を本尊とする信貴山寺だが,境内は鳥居だらけだった。真言宗でも高野山とはちょっと空気が違う。毘沙門天が戦いの神になったのは,仏教に取り込まれた後であり,そもそもは,「五穀豊穣,商売繁盛,家内安全,長命長寿,立身出世」という現世利益を授ける七福神の一柱なので,信貴山寺の売り出し方は本来の姿なのだろう。



写真:信貴山朝護孫子寺(撮影 2022.6.28)

[1]志貴山縁起上(国立国会図書館デジタルコレクション)
[2]志貴山縁起中(国立国会図書館デジタルコレクション) 
[3]志貴山縁起下(国立国会図書館デジタルコレクション)

2022年3月3日木曜日

水平社宣言

1922年の3月3日に,京都市の岡崎公会堂で,全国水平社の創立大会が開かれ,そこで, 水平社宣言が採択された。その100周年になる。奈良県御所市にある水平社博物館もリニューアルされて,3月3日にオープンする。

全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。

 長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によつてなされた吾らの爲めの運動が、何等の有難い効果を齎(もた)らさなかつた事實は、夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間を勦(いたは)るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。

 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、實行者であつた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剝ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖い人間の心臟を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。

 吾々が穢多である事を誇り得る時が來たのだ。

 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によつて、祖先を辱しめ、人間を冒瀆してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何なんであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃(がんぐらいさん)するものである。

 水平社は、かくして生れた。

 人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ。    

大正十一年三月


写真:水平社創立の綱領と宣言(水平社博物館から引用)

2022年2月11日金曜日

高取城

 晴れた祝日だったので(まあ年がら年中休日だらけかもしれないが)高取城に行くことになった。自宅のベランダからは標高583mの高取山が見えているが,その山頂の山城だ。車で40分南に走ると明日香の先に高取町の古い町並みがある。

無料の観光駐車場から高取城までは,3km弱で440mほど登ることになる。この数字だけをみると簡単そうに見えるが,約2時間の山道は日ごろの鍛練を怠っている高齢者にはかなりハードな行程だった。きつい勾配にもかかわらず,キャッキャとはしゃぐ子供たちが横を駆け抜けていく。

高取城は日本三大山城のひとつだが,テレビでも日本最強の城として紹介されることが多い。竹田城にはバスで上ったことがあるが,なぜ三大山城にはいっていないのだろう?城郭の面積だけならば,どちらも同じくらい広いような気がする。

明治20年の高取城の写真が残っていて,これはWikipediaでもみられる。明治の版籍奉還によって,全国の城は兵部省の管轄になり,さらに陸軍省に引き継がれる。明治6年に廃城令が出され,陸軍が軍用として使用する城郭陣屋と,大蔵省に引渡し売却用財産として処分する城郭陣屋に区分された。この過程で,高取城を含む多くの城は廃城となった。


写真:高取城の本丸付近(撮影 2022.2.11)

2021年11月17日水曜日

オカジマサエ

 非常勤の授業からの帰り。今日はたまたま家人の用務先が大学の近くだったので,車でピックアップしてもらい,どこかで昼食をとることになった。

選んだのが,広陵町のCafe OMO屋。着いてみれば,田んぼの中にある昔の紡績工場の跡を改装した渋い建物だった。平日にも関わらず駐車場はほぼ満杯であり,店の入口で20分くらい待ってからようやく席につくと周りは若い人ばかりだ。

ランチの牛すじ煮込みカレーを食べながら隣の席の女性グループを見ると,いつの間にかワークショップが始まっていた。そういえば,待ち席の壁に,ひらがな絵本の原画が並んでいたのを思い出した。その作者本人が,絵本のイラストの切り抜きを小さなフレームにコラージュするコツを指導しているのだった。

食後のコーヒーを飲み終わって帰ろうとしたら,出口のあたりでオカジマサエさんが描いた絵本「いいもんみーつけた」を販売している。著者のサインがもらえるとあったので,早速,ワークショップの手を止めてお願いしてみたところ,快く孫のすーちゃん宛のサインをしていただいた。

オカジマサエさんの,声がとびだすひらがな絵本「あいうえお」は,現在た行まできている。帰って,Cafe OMO屋のことを調べていたら,今年の12月26日で閉店になるようだ。残念。


写真:オカジマサエの絵本「いいもんみーつけた」の書影(2021.11.17撮影)

2021年7月20日火曜日

奈良文化財研究所

 奈良文化財研究所文化財総覧WebGISが今日から公開された。さっそく自宅の近所を調べてみたけれど,荒蒔古墳星塚古墳岩室池古墳も出てきません。橿原考古学研究所ではないので,古代には弱いのかもしれない。おなじ奈文研の全国遺跡報告書総覧のほうが有用な感じである。


図:文化財総覧WebGISの文化財一覧(奈文研より引用)



2021年6月16日水曜日

辻村史朗

NHKのプロフェッショナル仕事の流儀で,「つくることが,生きること 陶芸家・辻村史朗」をやっていた。就寝の時間だったのでテレビを消して寝ようと思ったのだけれど,「奈良」というキーワードに引っかかって最後までみてしまった。

奈良の山奥(奈良市水間=みま)に自宅と窯があって陶芸を営んでいるが,自然の中で生活している夫婦の笑顔が素晴らしい。辻村史朗の略歴はこれが詳しい。京都のたち吉のウェブサイトにも紹介のショートムービーがある。

海外では高く評価されていて,Wikipediaの英語版はあるが,日本語版がない。細川護熙の陶芸の師匠であり,例年日本のデパートなどで個展を続けている。オンラインストアを覗いてみると,55万円とかだったのでちょっと手が出ません。


写真:陶塚となった水間の山(阪急百貨店から引用)

[1]陶芸家・辻村史朗さんからいただいた「宝物」(永松仁美)


2021年6月3日木曜日

どさくさ餅

 纒向遺跡からの続き

纒向遺跡から箸墓古墳にむかって走り,箸墓を一周すると途中に北橋清月堂という小さな和菓子屋があって,「どさくさ餅 八・十四日」とあったので,毎月8日と14日に売り出される餅かと思って調べてみると,お盆の真っ只中の八月十四日にだけ作られて売り出される餅のことだった。

どさくさ餅は,奈良県に固有の盂蘭盆会のお供えのようだ。みかけはほぼ赤福であり,忙しいどさくさの時間でも作れるようになっているらしい。



写真:北橋清月堂のどさくさ餅

2021年6月2日水曜日

纒向遺跡

 ETV特集の「誕生ヤマト王権~いま前方後円墳が語り出す~」を再放送していたので,さっそく纒向遺跡(まきむくいせき)に向かった。数年前に行ったときは,発掘後の田んぼだけしかなかった。JR巻向駅西の線路沿いにある辻地区がその後若干整備されたようで,看板などが設置されていた。大和川から通じる運河の遺構も発見されていて,全国から物資が集積する古代ヤマト王権の最初の首都だったらしい。その南東すぐのところに箸墓古墳(はしはかこふん)がある。

写真:箸墓古墳(撮影 2021.5.30)

写真:纒向遺跡(撮影 2021.5.30)



2021年4月1日木曜日

佐保川の桜並木

コロナ禍の中,先日は月ヶ瀬梅林に行ったが,昨日は佐保川の桜並木を見てきた。これまでも遠目には眺めていたかもしれないが,満開の時期に歩くのは初めてだ。

江戸時代末期,奈良の名奉行として現在でも尊敬を集める「川路聖謨(かわじとしあきら,1801-1868)」が山林の整備や東大寺周辺の植樹など,景観整備を行う一環で植えさせたものに端を発すると言われています。

ということで,奈良にしては珍しく江戸時代が起源のものらしい。休館日の奈良県立図書情報館にクルマを止めて,小一時間散策した。佐保川の両岸に桜の並木が連なり,北の上流側から下流に向かって左岸と右岸の桜樹に管理用の樹木台帳プレートが設置されている(小さな金属製の円版を釘止め)。左岸がL-xxx,右岸がR-xxxとなっていた。情報館あたりで300-400番台なので,延長5kmの両岸で1000本以上はありそうだ。残念ながらまだ川路桜は拝めていません。

そういえば,金沢の寺町通りに市電が走っていた頃,広小路の近くに大桜という停留所があった。今もその松月寺の大桜は残っているのだが,ちょうど咲いている時期に訪れる機会がない。小学生の頃,大桜あたりから市電と競争した記憶というのは真性の記憶だろうか。市電は寺町にあるいくつかの停留所で何度も止まるので全く荒唐無稽な競争というわけではないのだが,夢の記憶かもしれない。


図/写真 佐保川の桜並木(撮影 2021.3.31)


2021年3月31日水曜日

業平姿見の井戸

大和の古道として全国的に有名なのは奈良盆地の東端で平地と山地の間を南北に走る山辺の道だ。これと並行して南北に三本走っているのが,東から上ツ道,中ツ道,下ツ道である。下ツ道は,平城京の朱雀大路と藤原京を結ぶ道で,近鉄天理線二階堂駅の西側を南北に貫いており,毎日の散歩コースでもよく歩いている。中ツ道は現在の奈良県道51号線天理環状線にほぼ重なっており,南は橘寺に至ることから近世には橘街道とも呼ばれていた。

その中ツ道と奈良盆地中央を東西を走る業平道が交差するあたりに,業平姿見の井戸があった。業平道とは,平安時代の貴族・歌人である在原業平が大和国と河内国を行き来した際に通ったとされる道筋の総称だ。姿見の井戸を東1km進んだ業平道の東端の起点あたりには,在原神社(在原寺跡)があって,ここにある井戸が伊勢物語で有名な筒井筒の井戸らしい,知らんけど。というわけで,姿見の井戸の方は筒井筒の井戸ではないので注意してほしい。

自宅から北西方向に往復60分強の朝の散歩の範囲でギリギリ到達できるあたりだ。天理市・大和郡山市から生駒郡にかけては在原業平ゆかりのポイントがたくさんある。以前在原神社を訪れたとき,筒井筒は教科書に載るくらい有名なので,天理市をあげて観光資源として売り出したらどうだろうとか話していたことがある。その際はヘルシーな業平饅頭を売り出して一儲けしたいものだ。


写真:業平姿見の井戸(撮影 2021.3.29)


2021年3月9日火曜日

月ヶ瀬梅林

 奈良に住んで30年になるが,月ヶ瀬梅林に行ったことがなかった。毎日のようにテレビで宣伝しているので,片道60分のドライブで月ヶ瀬梅林を訪れた。売店の手前の駐車場に停めて坂道を登ると,そのあたりに梅のスポットが広がっている。最初に気がついたのが金沢との関わりである。月ヶ瀬の尾山天神社と前田家の間の因縁についての立て札があったが,いまひとつ事情が飲み込めなかった。

1919年(大正8年)に史跡名勝天然記念物保護法が制定され,1922年(大正11年)の最初の名勝指定11件に選ばれたものに,兼六園(金沢),平等院庭園(京都),奈良公園(奈良)などと並んで月ヶ瀬梅林(奈良)が含まれていた。これだけでも因縁めいたものを感じるが,さらに名張ライオンズクラブの森島さんによれば,次のような伝承があるらしい。

 石川県の尾山神社と月ヶ瀬村との関係は、伊賀市古山の史跡研究家吉住勘之(よしずみさだゆき)さんが、歴史資料として残してありました。 本稿は前田利家伝承を介しての大和国添上郡月ヶ瀬村(現・奈良市月ヶ瀬村)と近世金沢(現・金沢市)の地名に関する伝承資料であります。 加賀前田百万石、利家候の祖父・前田蔵人利成(まえだくらんどとししげ)幼名長五郎は、大阪近くの戦いで敗戦し、月ヶ瀬村真福寺の北の大矢家に逃げてきた。その後、村の女松本みのと婚して三学院に住まれた。それから何年かが過ぎ、北陸の森常恒(もりじょうこう)に仕官して、加賀に移ることとなります。ここで、妻はなを迎えて前田利昌を生み、金沢地に築城して、父の出世の守り神月ヶ瀬にある尾山天神を分神し、尾山に天神さん(菅原道真)を祭り、城山を尾山と名づけました。 金沢の地名は、中世末賊民とされた「金屋」によって発見されたもので、地名の由緒は「金洗沢」「金堀沢」であったことは周知のとおりであります。 金屋は一向宗門徒であったことから、「金沢」は早くから石山本願寺など畿内に知られていました。「金沢御堂」「金沢御坊」「金沢寺内町」がこれであります。前田利家は、一向宗門徒により命名された金沢の地名を嫌い、尾山城・尾山町と改めました。前田利家の家紋梅鉢は、月ヶ瀬村尾山の松本家の家紋と同じでありまた、奈良市月ヶ瀬村尾山は、昔から梅林の地で有名であります。

類似した別の伝説もある。月ヶ瀬梅林公園の中には白加賀がたくさん咲いていた。


写真:月ヶ瀬梅林の梅と加賀前田家関係の説明(2021.3.9)

[1]大正末期から昭和初期における名勝保護と公園事業をめぐる議論(赤坂信)

[2]金沢尾山と月ヶ瀬村尾山の地名に関わる伝承資料の紹介(森島國久)

2021年1月13日水曜日

寒中見舞い

 寒中見舞いは,二十四節気の小寒と大寒の間に出す見舞い。定年退職を期に年賀状はやめることにしたのだけれど,親戚についてはまだ完全にはストップできない。それでも年々これが最後ですという年賀状が届くようになってきた。なお,年賀状をいただいた知人には,寒中見舞いを出すことにした(が,いつまで続くだろう・・・)。ちなみに今年の年賀状(親戚分)のデザインは下記のとおりであった。


写真:奈良市の植村牧場にて


2020年11月1日日曜日

来寧

 各地との往来の慣用表現については,二字熟語による往来表現の一覧としてWikipediaにまとめられている。石川県はないが,金沢には「来沢」や「帰沢」がある。大阪は「来阪」や「帰阪」だけれど,大阪市が廃止されても,大阪府だからいいことにするのかしら。

奈良は,「来寧(らいな・らいねい)」や「帰寧」で,「寧楽(なら)」等と表記されたことに由来するとある。そう,奈良市には依水園・寧楽(ねいらく)美術館というものあったか。

2020年10月11日日曜日

坪枯れ

 10月6日の奈良テレビ放送のニュースによると,「稲刈り目前に,稲の「坪枯れ」被害深刻」ということだ。そういえいば散歩の途中でみる田んぼの多くに茶色く枯れて倒れた部分が目に付いて気にはなっていた。この原因は「トビイロウンカ」という害虫で,奈良県では次のような状況であるらしい。

県病害虫防除所によりますと、7月にウンカの発生が確認され、注意を呼びかけていました。そして、9月に入って県内で被害が目立ち始め、9月下旬に行った調査では、ウンカが発生している田んぼは全体の47%でしたが、10月上旬に行った緊急調査では50%を超えたといいます。

なかなか厳しいことになっている。

 


写真:奈良県の坪枯れの例(撮影 2020.10.11)

2020年8月25日火曜日

出穂期

奈良県農業研究開発センター水稲「ヒノヒカリ」を作りこなすための7つのポイントによれば,8月下旬が出穂期(しゅっすいき)だ。朝の散歩でも稲の白い細かな花が目につくようになった。

この田んぼからどれだけのお米がとれるのだろうか。上記の資料によれば,ヒノヒカリの精玄米重は560-610kg/10aである。10アール=1000㎡(25m×40m)は約1反であり,散歩でよく目にする一区画に対応している。なお,10反が1町歩で約1ヘクタール=10000㎡。

さて,我々老人は2人で1.5日に3合(450g,水浸前)程度のお米をたべている。1人1日1合150gに相当する。一方,炊き上がったごはんは3合で1050gであり,3合で650g程度の水が必要だ。また,カロリーでいうと,ごはん100gで170kcalなので,600kcalの熱量をごはんから,同じくらいをパンやめん類から摂取している。同量のカロリーを副菜などから取っているので1人1日2400kcalになるということか。

田んぼにもどれば,1反の収量は600kgなので,自分たちの量を基準にすれば,4000人日分になる。けっこうあるのだ。1ヘクタールで100人養えるから,奈良県の全人口140万人分をまかなうには,1.4万町歩≒140 ㎢ の水田があればよい。奈良県の面積,約3690㎢のうち可住地面積は23%の855㎢(全国最小)だ。必要となる水田の面積はその1/6に相当するが,実際に耕地面積のうち田は148㎢となっており,老人程度の食の部分はまかなえるのかもしれない。


写真:朝の散歩写真から(2020.8.25)


2020年7月30日木曜日

中干し

近所の田んぼの水が干されている。

奈良県農業研究開発センターの,水稲「ヒノヒカリ」をつくりこなすための7つのポイント,によれば,「3.水管理:登熟向上のために!中干しは必要な茎数を確保した後 に,軽くひび割れするぐらいまでで7日程度実施する(7/中〜下)」ということなので,ちょうど今がその時期のようだ。

今年は,稲の大害虫であるスクミリンゴガイ(ジャンボタニシ)が大発生していて,田んぼやその周辺には毒々しい赤い卵が目立つのだけれど,大丈夫なのだろうか。



写真:朝の散歩で撮影した近所の田んぼの様子(左 2020.7.28 / 右 2020.7.13)

2020年7月13日月曜日

七佛通戒偈

橘寺で改修を待っているお堂にはいると,写経コーナーがあった。般若心経ほどの分量はない,七佛通戒偈(しちぶつかいのげ)という非常に簡単なものだった。薄く印刷してあるところを筆ペンでなぞるだけなのである。1枚500円で,自分の祈願項目(四文字)を添えられるので,「世界平和」にした。

 諸悪莫作 ・ 諸善奉行 ・ 自浄其意 ・ 是諸仏教 ・ 南無観世音菩薩
  しょあくまくさ ・ しょぜんぶぎょう ・ じじょうごい ・ ぜしょぶっきょう

意味は,法句経の183にある,「ありとある 悪を作(な)さず ありとある 善きことは
身をもって行い おのれのこころを きよめんこそ 諸仏(ほとけ)のみ教えなり」ということらしい。

なお,七仏とは過去七仏と云われるもので,毘婆尸仏(びばしぶつ)・尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・拘留孫仏(くるそんぶつ)・拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のことだとか。


写真:橘寺の簡易写経,七佛通戒偈(撮影 2020.7.12)



2020年7月12日日曜日

橘寺

明日香の橘寺聖徳太子の生誕地だ。買物の途中の時間調整で訪れることに。厩戸皇子は馬小屋で生まれたのではなかったのか?そういえば寺の境内には馬の銅像があったけれどあれはなんだったのだろうか。明日香の観光スポットからすこし外れた落ち着いた場所にあり,ちょっと寂れた感じがしている。令和4年度にむけて老朽化したお堂を改修するための1億三千万円の募金をしていたが大丈夫だろうか。


写真:橘寺の二面石と賓頭盧さん(撮影 2020.7.12)