2021年4月9日金曜日

ミューオンの異常磁気能率(2)

 ミューオンの異常磁気能率(1)からの続き

微視的な粒子(電子,陽子など)の多くはそれぞれが小さな磁石の性質を持っている。この磁石の強さを粒子の磁気能率とよんでいる。粒子の磁気能率は粒子の持つ電荷(電磁相互作用の源)に由来し,古典物理学でいえば,電荷を持つ粒子が回転することにともなう円電流によって磁気能率が生ずるというアナロジーで考えるとわかりやすい。そこでは,粒子の回転運動における角運動量と磁気能率が比例することになる。この比例定数で単位を取り除いたものをg因子とよぶ。回転運動のうち粒子の自転に対応するものがスピン(スピン角運動量)である。

電子のスピンに対しては g ≒ 2 であることが理論的にわかっている。電子に対する相対論的な運動方程式である電磁場中のディラック方程式を非相対論的に近似して磁場に比例する項を見ると,スピン角運動量と磁気能率の間の関係が求まり,この場合は厳密に g = 2 となる。ところが,場の量子論では粒子の生成消滅を許すため,真空中に電子-陽電子などの仮想粒子のペアが絶えず発生したり消滅したりすることから,g = 2 から少しだけ値がずれることになる。これが,異常磁気能率とよばれる項であり,朝永振一郎の量子電磁力学で初めて理論的に説明された。

電子の異常磁気能率については実験値と理論値が非常に高い精度で一致したため,量子電磁気学の驚異的な成果として認められることになった。ところが,電子とほぼ同じ性質を持ち,質量だけが約200倍重い素粒子であるミューオンの異常磁気能率については,まだ決着していなかった。今日はここまで。


2021年4月8日木曜日

高野山町石道

 町石道(ちょういしみち)は,和歌山県九度山町(くどやまちょう)の慈尊院から高野山までの参詣道である。弘法大師が母のいる慈尊院に月に九度通ったことから九度山の名前が付いたということだけれど,往復に丸一日費やすことになりそうで,他の仕事に差し支えるのではないかと思う。

町石というのは一町(109m)ごとに置かれた道標のことであり,根本大塔から慈尊院までの22kmの道のりに180基,根本大塔から奥之院の弘法大師御廟まで4kmで36基と,あわせて216基あるとのこと。ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を構成している。慈尊院から高野山までは6-7時間のコースだとのこと。

高野山町石道の途中に丹生都比売神社がある。空海の高野山開創の伝説を構成する紀伊國一宮なので,ちょっと期待していたのだけれど,周辺にへび出没注意の看板があるくらいで一般参詣者には見所もなく残念だった。せめて,弘法大師を高野山に案内した犬の子孫?の二匹の神犬を見ることができれば良かったのだけれど,公開日ではなかったのだ。



写真:慈尊院と丹生都比売神社(撮影:2021.4.7)


2021年4月7日水曜日

奥之院参道

 高野山の奥之院参道は,一の橋から弘法大師の御廟がある奥之院まで北西に2 km続いている。,杉木立の中に墓所や供養塔,慰霊碑などが20万基あまり並んでいる。織田信長,明智光秀,石田光成などの戦国大名や豊臣家,前田家などの大名家と,主に関西系の企業,パナソニック,クボタ,住友,南海,江崎グリコなどに普通の個人の墓が時間と空間を超えて入り混じる不思議な空間だった。

一の橋,中の橋をすぎて,休憩所の先の御廟ノ橋を渡ると撮影禁止の聖域に入る。高野山大学の新入生らしき一団が研修のためなのか,教員(僧侶)に引率されて奥之院についての説明を受けながら回っていたので,その後についていった。弘法大師の御廟に向かって般若心経の斉唱が始まったので,大人しく聞きながらお参りしていました。


写真:高野山奥之院参道(2021.4.6撮影)




2021年4月6日火曜日

ビビビ・ビ・バップ:奥泉光

奥泉光(1956-)の「ビビビ・ビ・バップ」 を読了。奥泉光は「石の来歴」で1994年の芥川賞を受賞している。受賞後に出版された文春文庫で読み今一つピンとこなかったが,どこか惹かれるものがあって結局あれこれと7冊買ってしまっていた。「葦と百合」,「ノヴァーリスの引用」,「バナールな現象」,「グランド・ミステリー」,「鳥類学者のファンタジア」,「モーダルな事象」,「神器」である。「雪の階」も読みたいけれどまだ買っていない。

彼は,ミステリーやSFの色彩の濃い作品も書いているが,特に「ビビビ・ビ・バップ」はSF+ミステリのど真ん中だった。大森望の解説から引用すれば,

AI,仮想現実,アンドロイド,テレロボティックス,人格のデジタル化,コンピュータ・ウィルスなど,いまどきのSFネタを全部盛りにした上に,古今東西の実在有名人をよりどりみどりにトッピングする,ぜいたくきわまりない近未来冒険SFエンターテインメント小説

というわけだ。また,これは「鳥類学者のファンタジア」 のフォギーの物語の続編にもなっている。

これまでに読んでいた7冊のうちで最も印象深かったのが,「鳥類学者のファンタジア」のおまけの部分である「終曲,ないしはニューヨーク・オプショナル・ツアー」の章だ。主人公達が時間を超えて1945年のニューヨーク,ハーレムでジャズセッションをするというものであり,ジャズでフルートを演奏する奥泉光の趣味が濃厚に反映されていた。そしてこの著者の気分が「ビビビ・ビ・バック」の主題に見事に引き継がれていた。

2021年4月5日月曜日

新型コロナワクチン接種予約(1)

天理市の新型コロナワクチン接種【高齢者】の第2回目(4/26-5/16,1000名分)の予約が4月5日の午前8時半から始まるというチラシが入っていた。第1回目(4/12-4/30,375名分)は3月29日に受付開始してすぐにいっぱいになったらしい。第1回目に予約サイトにアクセスしたが,そもそも登録ができずに終わってしまった。

天理市の人口は6万4千人あまり,その1/4の1万6千人が65歳以上の高齢者である。この調子で1ヶ月1000人のペースで接種していたら,高齢者だけで1年半かかってしまう計算なんですが。そもそも医療関係者などの接種は全員終わったのだろうか。

受付開始から1時間以上たっていたが,今日はどうかと試してみると辛うじて6月の予約を取ることができた。ただし,予約システム(複数の市町村に提供されているものらしい)のユーザインタフェース設計はあまりよくなかった。
予約方法
【接種会場を選択】ボタンを押して、接種会場を選んでください。
【接種日時を選択】ボタンを押して、予約日時を選んでください。
【予約登録に進む】ボタンを押して、予約を確定してください。
予約完了画面で予約票をダウンロードしてください。

となっているが,1回目と2回目がほぼ独立になっていて,3週間空けるはずの2回目の登録で混乱してしまい3週間後の日程が見当たらず,1回目の登録をキャンセルする羽目に落ち入ってしまった。予約票のダウンロードも1回だけできたが再出力できなかった。意味がよくわからないデジタル庁を作るとこのような混乱にさらに拍車をかけそうで怖い。

2021年4月4日日曜日

引き込み線

 引き込み線とは,鉄道の本線から分岐して車両基地や工場に引き込まれた専用の線路である。後者については,Wikipediaに専用鉄道として,全国の例が示されている。ほとんどが,機械・製紙・セメント・化学などの重化学工業を中心とする大規模な工場である。

金沢にも自分の記憶にある小規模な実例がある。今はなき,北陸鉄道石川線の野町-白菊町の終点白菊町駅と国鉄の西金沢駅である。いずれもインターネット上にも廃線跡としての記録が残っている。

白菊町駅は1970年に旅客の取り扱いがなくなり,1972年には貨物も含めて営業が終了し廃駅になったらしい(懐想石川の鉄道 北陸鉄道石川線1)。それまでは時々貨車が止まっているのを見かけた。乗車したことはない。

西金沢駅は1984年に貨物の取り扱いをやめており,そのときに引き込み線も廃線となった。工場には,当時の国鉄から(記念に?)貰い受けた貨車が1台残っていたけれど,いつの間にか処分されてしまったようだ。西金沢駅自体はまだ命運を保っており,2011年には駅舎もきれいになり東西に出口が整備された。

[1]廃線跡 北陸鉄道石川線 白菊町駅付近(vient49の日記,2015-12-9)

[2]羽二重豆腐専用線(廃鉄の処女Ⅱ,2015-8-21)

2021年4月3日土曜日

若い力

 若い力作詞:佐伯孝夫、作曲:高田信一)は,1947年10月の第2回国民体育大会(石川県)の際に国民体育大会歌として作られた。金沢が非戦災都市だったので戦後すぐの石川県単独での国体開催となった。開会式は10月30日に金沢市営陸上競技場(金澤市運動場)で行われている。

この国体で,金沢市の小学校6年生男女 4000名による若い力の集団演技が披露された。その振り付けは,石川師範学校男子部付属小学校の稲場四郎と野町小学校の勝尾信子,文部省職員の3名で創作されたものである。それ以来,金沢市の小学校6年生は若い力の発祥の地である金沢市営競技場で開催される金沢市立小学校連合体育大会で,若い力の集団演技をするのが伝統となった。

というわけで,自分の小学生時代も若い力の演技をさんざん練習したのである。小学校の運動会の出し物にもなっていた。ここから記憶が曖昧になるのだけれど,泉野小学校の若い力運動会バージョンは六年生の男子児童のみが上半身裸で演技するということになっていた。ある日,その練習を体育館でやっていたのだけれど,女子は周りに座ってお喋りしているのである。その声がだんだん大きくなってきたので「静かにしろ」と切れて大声を出したのは私です。一瞬だけしずまったが,ほとんど効果はありませんでした。結局,この年の運動会は雨のため上半身裸の若い力の演技は中止になってしまったのだった。

[1]「若い力」と金沢(金沢文化スポーツコミッション)

[2]若い力〜金沢の伝統演技〜(かなざわスポーツねっと)


2021年4月2日金曜日

生物季節観測

標本木からの続き

 桜の開花は天気予報で知らされる。気象庁はこれまで生物季節観測として,桜だけでなく動物23種目,植物34種目の生物季節現象を記録してきた。ところで,気象庁大気海洋部は,昨年の11月に「生物季節観測の種目・現象の変更について」として,令和3年1月からこれらの観測を植物6種類9現象(あじさいの開花,いちょうの黄葉・落葉 , うめの開花, かえでの紅葉・落葉 , さくらの開花・満開 , すすきの開花)のみに変更すると発表した。まあ,国が貧しくなるとリストラはどんどん進行するのだ。

ところが,3月30日には気象庁と環境庁が,「生物季節観測」の発展的な活用に向けた試行調査の開始について,ということで,国立環境研究所も含めて存続の方向で進められるようだ。朝の散歩で,奈良盆地中央部における四季折々の植物や動物を見る機会が増えていたのでちょっとホッとした。スマートフォンのアプリにも生物名を判定するものがあって,これを市民からの情報提供のツールとして役立てるとか,学校教育と連携するなどの手もあるだろう。そもそも日本人の感性は古来,これらの環境によって育まれ,俳句などの文芸に結実しているわけで,この根幹の部分の情報が欠落することの損失は計り知れなかったと思う。

[1]気象庁に問いたい。動物季節観測の完全廃止は、気象業務法の精神に反するのではないだろうか(森田正光)

[2]生物季節観測,廃止・縮小から一転存続へ 気象庁と環境省、国立環境研究所がタッグを組む(森田正光)

2021年4月1日木曜日

佐保川の桜並木

コロナ禍の中,先日は月ヶ瀬梅林に行ったが,昨日は佐保川の桜並木を見てきた。これまでも遠目には眺めていたかもしれないが,満開の時期に歩くのは初めてだ。

江戸時代末期,奈良の名奉行として現在でも尊敬を集める「川路聖謨(かわじとしあきら,1801-1868)」が山林の整備や東大寺周辺の植樹など,景観整備を行う一環で植えさせたものに端を発すると言われています。

ということで,奈良にしては珍しく江戸時代が起源のものらしい。休館日の奈良県立図書情報館にクルマを止めて,小一時間散策した。佐保川の両岸に桜の並木が連なり,北の上流側から下流に向かって左岸と右岸の桜樹に管理用の樹木台帳プレートが設置されている(小さな金属製の円版を釘止め)。左岸がL-xxx,右岸がR-xxxとなっていた。情報館あたりで300-400番台なので,延長5kmの両岸で1000本以上はありそうだ。残念ながらまだ川路桜は拝めていません。

そういえば,金沢の寺町通りに市電が走っていた頃,広小路の近くに大桜という停留所があった。今もその松月寺の大桜は残っているのだが,ちょうど咲いている時期に訪れる機会がない。小学生の頃,大桜あたりから市電と競争した記憶というのは真性の記憶だろうか。市電は寺町にあるいくつかの停留所で何度も止まるので全く荒唐無稽な競争というわけではないのだが,夢の記憶かもしれない。


図/写真 佐保川の桜並木(撮影 2021.3.31)


2021年3月31日水曜日

業平姿見の井戸

大和の古道として全国的に有名なのは奈良盆地の東端で平地と山地の間を南北に走る山辺の道だ。これと並行して南北に三本走っているのが,東から上ツ道,中ツ道,下ツ道である。下ツ道は,平城京の朱雀大路と藤原京を結ぶ道で,近鉄天理線二階堂駅の西側を南北に貫いており,毎日の散歩コースでもよく歩いている。中ツ道は現在の奈良県道51号線天理環状線にほぼ重なっており,南は橘寺に至ることから近世には橘街道とも呼ばれていた。

その中ツ道と奈良盆地中央を東西を走る業平道が交差するあたりに,業平姿見の井戸があった。業平道とは,平安時代の貴族・歌人である在原業平が大和国と河内国を行き来した際に通ったとされる道筋の総称だ。姿見の井戸を東1km進んだ業平道の東端の起点あたりには,在原神社(在原寺跡)があって,ここにある井戸が伊勢物語で有名な筒井筒の井戸らしい,知らんけど。というわけで,姿見の井戸の方は筒井筒の井戸ではないので注意してほしい。

自宅から北西方向に往復60分強の朝の散歩の範囲でギリギリ到達できるあたりだ。天理市・大和郡山市から生駒郡にかけては在原業平ゆかりのポイントがたくさんある。以前在原神社を訪れたとき,筒井筒は教科書に載るくらい有名なので,天理市をあげて観光資源として売り出したらどうだろうとか話していたことがある。その際はヘルシーな業平饅頭を売り出して一儲けしたいものだ。


写真:業平姿見の井戸(撮影 2021.3.29)


2021年3月30日火曜日

駐蹕地之碑

 門戸厄神からの続き

近鉄天理線二階堂駅の前の碑の件だ。やはり自分の記憶はあてにならない。簡単に捏造されてしまう。フェイクニュースは頭の中でも生産される。明治天皇は全く関係ありませんでした。

碑文を解読すると次のようになった。読めない漢字が多かったので,精度は95%程度だ。

駐蹕地之碑  陸軍大将本庄繁謹書

 正三位勲一等功一級
 侍従武官長陸軍大将
共桉 聖上陛下昭和七年十一月十一日統監陸軍大演
習親閲戎焉 大懸進従乗鞍山于吾邑空堂堂銀翼陣野
殷殷砲聲 皇威維震貔貅咸忠勇馳道担驊騮嘶秋旻北
地駐 聖蹕長享栄耀沿道粛列庶民夭拝 龍顔華也集
闔邑 天卷優渥執不感激今茲乙亥秋九長吾邨帝国在
郷軍人會分會員等與本村當局者胥謀讀得本庄陸軍大
将之題額勒貞珉之以傳 聖蹟於永遠朱嗟呼彌萬世戦
夕此境仰止斯碑即崇幕之誠有興超忠愛者歟謹記之
 昭和拾年十一月三日
大日本帝國在郷軍人會二階堂村分會  建之
駐蹕(ちゅうひつ)とは「天子が行幸の途中,一時乗り物をとめること。また,一時その土地に滞在すること」,そんな難しい言葉は知りませんでした。近鉄二階堂駅前の駐蹕地之碑は,昭和7年(1932年)11月11日に昭和天皇が陸軍特別大演習の際にこの場所に留まったことを記念して建立されたもの。在郷軍人会二階堂村分会が,建立時の侍従武官長本庄繁陸軍大将に碑の揮毫を依頼したようだ。

参考文献[1]によれば,昭和天皇は,11月10日に大阪城に隣接する第四師団司令部に置かれた大本営に到着し,11月11日には畝傍御陵参拝ののち,大阪電気軌道丹波市駅(現近鉄天理駅)から天理外国語学校(現天理大学)へ向った。沿道周辺は約35万の奉送迎者で埋められた(うち天理教関係約20万人)とのこと。

天理外国語学校から,西乗鞍古墳(現天理市杣之内町)に設置された野外統監部で演習を統監後,南下して夜都岐(やつぎ)神社前で右折し二階堂駅前に至るまで戦線を視察したとある。夜都岐神社を経由せずに,そのまま西進した方が便利なのだけれど,どういうことか。ここから昭和天皇が乗車したのは,天理軽便鉄道だったのか。などなど謎は深まる。

本庄繁が関東軍司令官を務めていたときに発生した満州事変は昭和6年9月(1931年),なお,五・一五事件は昭和7年5月(1932年),本庄は,昭和11年2月(1936年)の二・二六事件で責任を取って侍従武官長を辞めている。終戦後,1945年11月19日にGHQから戦犯指名された翌日に満州事変の責任を取って自決した。


写真:近鉄二階堂駅前にある駐蹕地之碑(2021.3.27)

[1]昭和7年陸軍特別大演習於奈良・大阪(奈良県立図書情報館)

2021年3月29日月曜日

鈍春

 今井 vs 美々卯からの続き

うどんといえば,阪急宝塚線の蛍池に住んでいたころ,駅前東口の武岡パン屋の北側に「鈍春(どんぱる)」という創作うどんの店ができたのは,1975-6年だったろうか。インターネットで検索すると断片的な記憶が散乱しているが,2000年代のはじめごろには廃業していたようだ。鳴門わかめうどんが1つの柱で,「春一番」という名のうどんが思い出深い。大ぶりの丼にたっぷりの出汁と太めの手打ち麺。ここに,まったく生臭さを感じない鳴門灰わかめの入った肉うどんの上にすだちと生姜がのっている。だしは完璧だけれど,米島君を連れて行ったときの感想は,「めんがもうひとつ」というものだった。

グラタンうどんとか他の洋風メニューなどもいろいろあったのだけれど,「春一番(もしかしたらこれは別のものを指しているのかもしれないような気がする・・・)」がもっともお気に入りだった。あるとき,隣の豊中駅の近くのうどん屋に入ったとき似たようなメニューがあって,蛍池の鈍春と関係があるんですかと聞くと兄弟分のようなものだという返事があった。残念ながらわかめがちょっと生臭くて鈍春の味とは全く違うのものであり,兄弟分ではなかったようだ。

1980年頃には,阪大豊中キャンパス正門西の中央環状線沿いの清風荘に鈍春の支店ができて,大坪先生と入ったことがある。年末の博士論文の追い込みの大晦日か小晦日で,生協食堂もしまっているときの昼食だった。味は申し分なかったし,場所もそれなりだと思ったが,残念ながらあっという間に閉店してしまった。それからは,もう鈍春を訪れることもなくなっていた。

なお,阪大生協図書館下食堂のきつねうどんは1972年には30円で,その後50円になった。これも毎日のように食べていたけれども,まったく飽きずに食欲を満たしてくれた。

[1]蛍池駅周辺スレッドうどんのうまい店(2002年にはまだ店は営業していたようだ)

[2]お手軽料理 うどんグラタン(新・さったんの独り言)

2021年3月28日日曜日

今井 vs 美々卯 & かにどん

 Apple心斎橋にMacBook Pro mid 2012 を修理に出して引き取った日,昼食はきつねうどんを食べた。大学生の頃(1970年代前半),年に数回,道頓堀の古本屋を回っていた。今はもうなくなってしまったが,大丸の地下に「かにどん」の商号できつねうどんのスタンドがあった。そこで昼食をとるのが学生時代のルーチーンだった。金沢のお多福や加登長のきつねうどんは,油揚げが刻んであったので,大阪の甘い大ぶりの油揚げは珍しかったが,すぐに大好きになった。かにどんの麺は中太のもっちりめん。夏場は暑かったので,横の大丸地下食品売り場のミックスジュースコーナーでコンボを決めていた。

道頓堀でうどんといえば,道頓堀今井である。本店にも娘と一度入ったことがあるがたいへんおいしかった。さて,今回のApple心斎橋訪問である。1日目は大丸地下のフードコートまわりに今井のスタンドがあったので,そこを利用した。2日目はホテル日航の地下に美々卯の店舗を発見したのでここに入った。それでは両者を比較してみよう。

       今井(大丸地下) 美々卯(日航ホテル地下)
 値段     870円      825円
 PayPay    不可       可
 湯茶     なし       お茶(おかわりあり)
 おしぼり   なし       あり(ペーパー)
 七味     小パック     七味容器
 油あげ    中×2       大×2(ジューシー)
 めん      中細       中細
 だし   七味にかきけされた 七味にかきけされた
 座席   セルフサービス   サービス有り

ということで,今回は美々卯の勝ち〜。両者ともあの山椒がきつめの七味があわないと思う。


写真:道頓堀今井本店のきつねうどん(今井のウェブサイトから引用)

[1]東京駅・彩食小路 かにどん 残念ながら2006年3月に閉店しました(食い道をゆく)
[2]かにどん(東京)(もみーのうどんレポ 2003.11.15)

2021年3月27日土曜日

Apple 心斎橋

 アップル製品が故障するとお世話になるのがApple Store(直営店)である。2004年の8月にApple 心斎橋が日本で2番目の直営店舗としてオープンして以来,MacBookやiPhoneを携えて何度もかよっている。2Fのジーニアスバーは,当時から合理化されたシステムでユーザーを受け付けていた。コロナ禍の現在,店舗への入店待ちの段階から大勢のスタッフに囲まれ,非常に丁寧なチェック体制のもとで入店管理がされている。

11:00開店の10分前に着いて,店舗の左壁面沿いの修理・受取の列につくと3番目だったがあっという間に10組ほどが並んでいた。御堂筋側には別の列が複数できていて,これはショッピングの方々ではないか。我々は1mの間隔を取るように指示され,店外で検温とアルコールジェル消毒がなされた。11:00になるとスタッフの拍手(新規開店と正月だけかと思っていた)で迎えられるなか,行列をつくり透明な螺旋階段で2階に誘導されたのであった。

今回の症状は,MacBook Pro mid 2012のバッテリ膨張である。使用上は問題ないのだけれど,本体枠が変形しトラックパッドも盛り上がってきて,さすがに危険を感じたので,春休みの時期を見計らってストア訪問となった。補修部品の保存期間が切れるため今回が最後の修理になるらしい。まあ10年も使えれば御の字だ。

Apple Storeのスタッフは非常によくトレーニングされていて,技術的な信頼度も高く,メンバーのダイバーシティも含めて好感が持てる。とりあえず症状は典型的なので標準的なバッテリ交換だけで終わった。iPhoneのバッテリ交換は即日でやってもらったが,MacBookでは3-4日といわれた。実際には次の日に連絡があったので2日で完了。

次のM1 MacBook Airまたは M1 MacBook Proの様子をみてから次期機種について考えよう。現行のM1 MacBook Air でほとんど問題なさそうではあるけれど,RAM 16GB-32GB, Stoage 1TB-2TB, USB-C × 2-3 + magsafe 電源 あたりで,ファンクションキーがついたM1X-M2マシンならば問題なしで移行できる。


写真 Apple 心斎橋(撮影 2021.3.27)


2021年3月26日金曜日

宇宙寺院

お彼岸の正信偈の唱和の後で,いつものように住職のお話が始まった。彼は大変活動的な方で話題も豊富である。で,宇宙寺院の話が出てきた。調べてみると,醍醐寺が2023年に浄天院劫蘊寺という名前で人工衛星を打ち上げるらしい。なかなか画期的な話である。宇宙条約でも南極条約でも,軍事利用は禁止されているが,宗教利用についての言及はなさそうだ。

醍醐寺は真言宗なので,ご本尊の大日如来は宇宙と親和性が高い。これが浄土真宗になるとちょっと微妙らしい。阿弥陀様は西方浄土にいらっしゃるが,宇宙に出るとどちらを向いて仰ぐことになるのかウロウロしそうである。

各宗派がどんどん人工衛星を打ち上げて宇宙からお経やらコーランやら聖書の福音が降り注ぐのはどうかと思うが,すでにインターネット上では似たような状況になっているので,どうということはないかもしれない。それよりも,月基地や火星旅行で人が死んだ時の宗教的な取り扱いがややこしそうであった。

2021年3月25日木曜日

ひよこ

お彼岸のお参りで金沢から帰った後,金沢の旅に関するvlogを見続けた。鼓門→近江町市場(海鮮丼)→東茶屋街(カフェ・金箔ソフト)→兼六園・金沢城→21世紀美術館→にし茶屋街→長町武家屋敷→金沢おでん・のどぐろ・お鮨,という典型パターンが延々と続いていた。

で,典型パターンから漏れているものがある。金沢でステーキといえば「ひよこ」だ。上菊橋を渡って笠舞の方へ行く細い道沿いに掘立て小屋のような小さな店がある。高校生のときか大学に入って間もなくだったか,一度だけ家族で行ったことがある。父親は以前から美味しい店だと繰り返していたので何度か訪れていたのだろう。

その当時はステーキだけでなくサイドメニューにキングサーモンがあったような気がする。それをオプションで食べた記憶がある。今ではステーキと付け合わせの野菜だけで12000円のコースが一つあるだけ。店主も当時から変わっていない。その店主が狸茶屋の出身だという記事があった

2021年3月24日水曜日

(春休み 7)

    「春愁や雲に没日のはなやぎて」 (原コウ子 1896-1988)

2021年3月23日火曜日

2021年3月22日月曜日

2021年3月21日日曜日