2020年8月20日木曜日

気比神宮

福井県敦賀市にある 気比神宮は,越前国一宮の官幣大社。おとなりの加賀国一宮の白山比咩神社は国幣中社,能登国一宮の気多大社は国幣大社。気比神宮は畿内から北陸道への入口に位置しており,北陸道総鎮守として古代から重要な位置づけがされていた。

朱塗りの大鳥居を見逃してしまった。Wikipediaによれば,三大鳥居の定義も様々なので,まあいいことにする。敦賀赤レンガ倉庫まではいったが,肝腎の日本三大松原のひとつである気比松原も見逃した。これも次回にしよう。


写真:敦賀の地名の由来となった角鹿神社(2020.8.13)

2020年8月19日水曜日

一乗谷朝倉氏遺跡

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」のせいで, 福井市の一乗谷朝倉氏遺跡への観光客は増えていたようだが,お盆休みの最中にもかかわらず新型コロナウイルス感染症のためにそこまで混雑してはいなかった。が,猛暑炎天下に影のない遺跡を歩き回ることになる。

福井市の中心を流れる足羽川を東に上ってクルマで30分ぐらいのところから南に向う支流の一乗谷川をはさんで南北に3kmにわたって一乗谷朝倉氏遺跡がひろがっている。手前の足羽川沿いには福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館があったがここはパス。当主の館や侍屋敷,寺院,職人や商人の町屋,庭園から道路に至るまで戦国時代の町並みのうち一部が再現されている。こちらは福井市が管理しているようだ。春や秋で行楽シーズンをずらして人が少ないときにゆっくりと散策するのがおすすめ。


写真:一乗谷朝倉氏遺跡当主館跡(2020.8.14)


2020年8月18日火曜日

かこさとし ふるさと絵本館

ならの大仏さま:かこさとし とつながる

かこさとし ふるさと絵本館「砳」(らく)は,彼の生地である福井県の越前市にあった。敦賀の気比神宮から雨とトンネルの8号線をくぐり抜けてなんとかたどりついた。来場者はほどんどいないが,検温とアルコール消毒ののち連絡先を記帳した。ここでは,かこさとしの作品が収蔵・展示されている。1階には,絵本や紙芝居を読める絵本の部屋,工作のできる遊びの部屋があり,2階には原画や複製原画が展示されていた。館外にはだるまちゃんの遊具などもあって,こじんまりしているがかこさとしファンにはたまらない場所である。近くの8番ラーメン武生店も繁盛していた。

写真:かこさとし ふるさと絵本館の駐車場辺り(2020.8.13)



2020年8月17日月曜日

永平寺

永平寺は福井駅から東にクルマで 30分ぐらいの山中にある。永平寺門前の新しい宿をチェックアウトして土産物屋が並ぶ道をたらたらと上がっていくと右手に寺の入口がある。境内は巨木と苔の絨毯に覆われており,今夏は観光客も少ない。山門をくぐって外から拝観するのかと思っていたらそうではなく,参禅者向けの宿泊施設でもある吉祥閣に誘導された。中に入ってしばらく待っていると,雲水による5分くらいの拝観順案内があって建物の上階に向う。このあたりの雰囲気は天理教の施設内と少し似ている。ここから絵天井のある傘松閣を経由して,僧堂・仏殿・承陽殿・法堂・大庫院・山門と回った。たくさん居るはずの修行僧はどこにいあるのか,写真撮影は禁じられていたけれども,それほど目にすることもなかった。これまでにいろいろと拝観したお寺の中では最も規模が大きいものの一つだろうか。あ,土産物屋のボリュウムも含めれば,モンサンミシェルには負けるかも。その後,てらまえで昼食をとって福井駅に向う。


写真:永平寺境内(2020.8.15)


2020年8月16日日曜日

(夏休み 7)

「蒲の穂は剪るべくなりぬ盆の前」 (水原秋桜子 1892-1981)

2020年8月15日土曜日

2020年8月14日金曜日

2020年8月13日木曜日

2020年8月12日水曜日

2020年8月11日火曜日

2020年8月10日月曜日

2020年8月9日日曜日

さよなら三角

妹のおかげで,少女マンガに触れる機会が多かった。月刊少女マンガ雑誌といえば,少女クラブ(講談社:1946-1962),少女(光文社:1949-1963),なかよし(講談社:1954-),りぼん(集英社:1955-)などだった。どれを購入していたのだろうか。あるいは,週刊誌の少女フレンド(講談社:1962-1974),マーガレット(集英社:1963-1988),セブンティーン(集英社:1968-)だったか。

砂糖や脂肪がふんだんに使われている洋菓子や和菓子のようなフレーバーでなくて,自分にも楽しく読めたのは,恐怖マンガ系の楳図かずお(へび少女とか),ギャグマンガの土田よしこ,あるいは巴里夫(ともえさとお)などに限られていた。巴里夫のデビュー作が「さよなら三角」となっているが,それだったかあるいは別のマンガのエピソードのひとつだっだような気もするけれが,さよなら三角の最初のフレーズだけが印象的だった。

 さよなら三角 また来て四角
 四角は豆腐 豆腐は白い
 白いはウサギ ウサギは跳ねる
 跳ねるはカエル カエルは青い(みどり)
 青い(みどり)は柳(葉っぱ)
 柳(葉っぱ)はゆれる
 ゆれるは幽霊 幽霊は消える
 消えるは電気 電気は光る
 光るはおやじのハゲ頭

また,単行本で萩尾望都のシリーズを揃えていたのを読ませてもらったのは,大阪に出てきてからかもしれない。

中でも最も印象深かったのは水野英子ファイヤー!だった。ちょうど自分が高校生の頃で,洋楽ポップスにはまっていた時期なので強く引かれた作品だった。いまだと,クイーンのボヘミアン・ラプソディー,昔だとロマン・ロランのジャン・クリストフか。

2020年8月8日土曜日

涼風至

きのう立秋を迎えた。朝夕に少し秋めいた風や空も感じられるが,日中の猛暑は続いている。

新型コロナウィルス感染症の第1波第2幕もまだ峠にはさしかかっていない。沖縄や愛知や大阪や東京が特に心配なのだけれど,あいかわらず,PCR検査を抑制しようという日本特有の雑音はいっこうにおさまらない。それどころか大阪維新はあいかわらずのクオリティで在阪TV局の吉本芸人と結託してとんでもない洗脳放送を続けている。一方で官邸政府与党は,いわゆる『低死亡率』を根拠として,積極的な対応を忌避してひたすら逃げ回っている。

それにしても驚いたのは,理科教育畑で日本の教育実践に最も影響力があると自負している大学教員が,家人の緊急連絡によってイソジンを買いに薬局に走ったということを,なんのためらいも,恥じることもなく,フェイスブックで開陳していたことだ。そう,日本の科学教育は確実に失敗の道を進んでいるのだろう。それがすべての分野に染みついている国民的で非合理的な判断態度を下支えしている。

まあ人のことはいえないのである。さんざん否定しておいたGOTOキャンペーンにいそいそと申し込んだのは,もろもろの事情があるのでと言い訳している私です。それにしても日本のITクオリティはすごすぎる。GOTOキャンペーン公式サイトのSTAY NAVIで手続きを進めてみたところ,最終段階で画面遷移せず割引クーポンが発行されなかった。さっそく問い合わせたが,たぶん週明けまで返事はないだろう。こんなポンコツシステムのために大量の税金が湯水のように投入されている。


2020年8月7日金曜日

日の丸

昭和30年から40年にかけては,少年マンガ雑誌は月刊誌がその中心だった。やがて,少年サンデー(小学館:1959-),少年マガジン(講談社:1959-),少年キング(少年画報社:1963-),少年ジャンプ(集英社:1969-),少年チャンピオン(秋田書店:1970-)などの週刊誌が主流となっていく。

小学校低学年のときに,母親からマンガの雑誌を定期購読してもいいという話をとりつけた。少年マガジンやサンデーなどの週刊誌もあるよとすすめられたけれど,付録もついている月刊誌を選択した。それが日の丸(集英社:1958-1963)だった。どちらかといえば最もマイナーだったのだが,どうしてそれが気に入ったのかよくわからない。ナンバーセブン(手塚治虫)やテレビ小僧(石森章太郎)があったのは憶えている。

当時の月刊誌といえば,少年クラブ(講談社:1946-1962),少年(光文社:1946-1968),冒険王(秋田書店:1949-1983),少年画報(少年画報社:1950-1971),まんが王(秋田書店:1952-1971),ぼくら(講談社:1954-1969),少年ブック(集英社:1959-)などがあった。

各社2冊のところがあるので,対象年齢層が少しずれていたのかもしれない。日の丸は小学校3年の終わりに休刊となって,同じ集英社の少年ブックに引き継がれたため,そのまま少年ブックを購読していた。少年ブックは日の丸と違って付録も充実しており,毎号楽しみだった。小学校5年生の時に実家が新築されたので,それを潮時として購読をやめたのかもしれない。やがて小学校が終わるころには,月刊誌のピークも終わりに近づいていた。

定期購読していないものでも,貸本屋,床屋,病院,友達の家などで読む機会は多かったので,各雑誌の主要マンガの印象は大きい。また,少年ブックに連載されていた,ビッグX(手塚治虫)や宇宙エース(吉田竜夫)などは,鉄腕アトムや鉄人28号などのメジャーではない作品がアニメ化されていく過程のさきがけのひとつだった。

2020年8月6日木曜日

海底軍艦

NHKの歴史秘話ヒストリアで「伊400幻の巨大潜水艦」をやっていた。伊四百型潜水艦は全長122mで第二次世界大戦中に就航したものでは世界最大の潜水艦であった(2012年まで世界一)。特殊攻撃機の青嵐を3機搭載できる潜水空母だ。そのコンセプトが後の核ミサイル搭載の原子力潜水艦につながっていく。

Wikipediaをみていると,特撮映画の「海底軍艦」の話がでている。宇宙戦艦ヤマトではないが,伊四百型潜水艦を改造して海底軍艦をつくったのかと思えばそうではなくて,実在の伊400,401, 402に続く,伊403という仮想の潜水艦を奪って終戦時に帝国海軍を離脱したグループが海底軍艦の轟天号をつくってムウ帝国と戦うという話だった。

海底軍艦が上映されたのは,小学校4年の冬だった。おばあちゃんの家で遊んでいたときに,どういう話になったのか,親戚のお兄さん(斉藤之泰さん)に当時の大和の上階で上映中の映画館に連れていってもらうことになる。マンガ月刊誌の付録でも読んだとおもう。印象的なのは冷凍光線だった。氷点下273度ですべてのものを凍らせてしまうというすばらしい兵器を搭載していたのだ。2本立てのクレージーキャッツを見るかと聞かれたが,当然もういいよといって,帰ってきたのであった。たぶん海底軍艦のプラモデルもつくったような気がする。


2020年8月5日水曜日

桑田次郎

桑田次郎が7月2日に85歳で亡くなったという報道があった。桑田二郎とあったので,何を間違えているのかと思ったが,間違えていたのは自分のほうで,1990年ごろに改名されていた。

まぼろし探偵は,少年画報に1957年から1961年まで連載されていた。少年と同じように新保の床屋でみていたのか,あるいは清藤の貸本屋で借りていたのかどうだったのか。吉永小百合が出ていたテレビのまぼろし探偵は1959年から1960年の放送で,これもなんとなく記憶にある。

月光仮面は,1958年から1959年までテレビで放映されていたが,こちらの印象のほうが強い。小学校の絵日記では,風呂敷をマントにして月光仮面ごっこをしている絵をかいていた。桑田次郎の少年クラブのマンガ版のほうは記憶にないが,サタンの爪の赤が印象的だった絵本は買ってもらったことがある。月光仮面といえば佐藤秀明君で,金沢大理(→北教大)の岡崎隆さんと一緒に原子核三者若手夏の学校で踊っていた。

エイトマンは,平井和正原作のスタンダードなSFの設定だった。1963年から1965年までの少年マガジンの方は見ていなかったかもしれないが,1963年から1964年の丸美屋ののりたま提供のテレビマンガのほうは欠かさずに見ていた。小学校のバス旅行の帰りにはエイトマンの歌で盛り上がっていた。エイトマンといえば深山良徳君で,これまた夏の学校でのエイトマンの踊りはシュレーディンガー音頭を圧倒していた。



2020年8月4日火曜日

月の飛ぶ村

三枝和子の「月の飛ぶ村(新潮社,1979)」を買ったのは,院生時代に購読していた朝日新聞の書評欄がきっかけだったと思う。SFの一種だと思ったからかもしれない。非常に密度の高い読書体験をすることができたので,それから三枝和子の書いたモノに注目するようになった。

あるとき,梅田の紀伊国屋書店か旭屋書店の書棚の上の方の段に「思いがけず風の蝶(冬樹社,1980)」を見つけた。その本はかなりのボリュームであったにもかかわらず,これは買わねばと思ったのも,別の書評の効果だったのかもしれない。その本によって,式子内親王の「玉のをよたえなはたえねなからへは 忍ふることのよはりもそする」と,京都の「糺ノ森」が自分の記憶にインプットされることになった。

なぜかこの本を抱えた自分が,研究室の後輩の横田晃敏君と一緒にいる記憶が残っている。


2020年8月3日月曜日

思いがけず風の蝶

「冬の蝶」という季語に引っかかったとき,もしかして「思いがけず冬の蝶」だったのか,そんな伏線が潜んでいたのか・・・と思ったが,なんのことはない「思いがけず風の蝶」でした。1980年に読んでからもう40年になる。

三枝和子が2003年に74歳で亡くなってから17年経過した。「思いがけず風の蝶」で検索してもほとんど情報が得られない。CiNiiで三枝和子を検索すると,駒沢大学の倉田容子さんの論文が3編みつかるだけだった。あとは,小谷野敦高桑法子さん(富山県の福野出身ではないか)相手に,三枝和子をディスっているtogetter,三枝和子をめぐる対話くらいしかない。

2020年8月2日日曜日

SIRモデルとK値(2)

SIRモデルとK値(1)からの続き

新規感染者数の累計に対する微分方程式において,$\beta(t)=\beta e^{-\alpha t} $と仮定すると,
$\dfrac{dJ}{dt} = \beta e^{-\alpha t}J$であり,その解は,$J = J_0 \exp [ \frac{\beta}{\alpha} (1 - e^{- \alpha t}) ]$ となる。

ゴンペルツ関数を $f_G(x) = \exp[ - e^{-x}]$と定義して,$ \frac{\beta}{\alpha}=e^{\alpha t_0}$とおくと,

$J = J_0 \exp [ e^{\alpha t_0} (1 - e^{- \alpha t}) ]  =  J_0 \exp [ e^{\alpha t_0}  - e^{- \alpha (t-t_0)}) ]$
$= J_1 \exp [- e^{- \alpha (t-t_0)}] = J_1 f_G(\alpha (t-t_0))$ ただし,$J_1 = J_0  \exp [ e^{\alpha t_0}]$ とおいた。

これから,$K(t)=1-J(t-\tau)/J(t) = 1-f_G(\alpha (t-\tau -t_0))/f_G(\alpha (t-t_0))$となり,
$K(t) = 1 - \exp[-(e^{\alpha \tau}-1) e^{-\alpha(t-t_0)}]= 1 - f_G(x_k)$とかける。
ただし,$x_k=\alpha (t - t_0 - \delta t),\ \delta t = \frac{1}{\alpha} \log (e^{\alpha t})$ である。

ゴンペルツ関数の微分は,$f'_G(x) = e^{-x} f_G(x)$ であるから,K値の微分は,
$K'(t) = -\alpha e^{-x_k} f_G(x_k)$ となる。つまり,$K(t)=f_G(x_k)=1/2$のとき,
$e^{-x_k}=\log2$が成り立ち,$K'(t) = -\alpha \frac{\log 2}{2}$となる(なお,このモデルにおいて$K'(t)$の絶対値が極大値をとるのは,$f_G(x_k)=1/e, x_k=0$のときである)。

中野モデルを数理的に解析した秋山に従えば,中野モデルでの減衰係数$k \ (0<k<1, 1-k \ll 1)$は  $ \alpha = -\log k $ に対応していた。
$\therefore K' =  \frac{\log 2}{2} \log k =  \frac{\log 2}{2} (k-1) = \frac{1}{2.88}\ (k-1)$
つまり,$k = 1 + 2.88K'$ という中野が導いた現象論的関係式が得られる。

2020年8月1日土曜日

SIRモデルとK値(1)

ゴンペルツ関数からの続き

(復習)
(1) 阪大の中野らは,新型コロナウイルス感染症が拡大する時期の指標としてK値を導入し,その勾配がある範囲で一定になることをみつけた(ここまではOK)。さらにこれが普遍的な現象であると主張した(これはどうよ)。
(2) 東工大の秋山は,中野のモデルを数理的に解析してK値の定性的な振る舞いがゴンペルツ関数で表現されることを導いた。さらに,K=0.5におけるK値の勾配の式が中野モデルと一致することを示した(これは大丈夫)。
(3) 京大基研の大西らは,感染者数の増大の単純な微分方程式で,係数を指数関数にとることにより,感染者数やK値がゴンペルツ関数で表現されることを示した(これも大丈夫)。さらに,各国の感染拡大期の感染者数がこの普遍的なゴンペルツ関数で表されるとした。

K値はその出発点が完全な現象論だったとしても,一定の背景があることが示された。ただし,その適用条件や特性を無視して性急に政策に適応することへの批判は多い。


感染症のSIRモデルは次の非線形連立微分方程式で表すことができる。ただし,人口Nの
集団における感受性保持者(Susceptible)をS(t),感染者(Infected)をI(t), 隔離者・回復者をR(t)として,S(t)+I(t)+R(t)=Nは一定とする。また,$\beta$を感染者1人1日当りの伝搬感染者数,$\gamma$を感染者の回復率(その逆数が平均感染期間)であるとすれば,

$\dfrac{dS}{dt} = -\beta \dfrac{S}{N} I$
$\dfrac{dI}{dt} = \beta \dfrac{S}{N} I - \gamma I$
$\dfrac{dR}{dt} = \gamma I$

初期条件として,感染者$I(0)$が非常に少ないところから感染が拡大する場合を考え,$I(0) \ll S(0)$とする。このとき$S/N \sim 1$であり,元の微分方程式系は次のように近似できる。

$\dfrac{dS}{dt} = -\beta I$
$\dfrac{dI}{dt} = (\beta - \gamma) I = -\gamma (1 -  R_0) I$
$\dfrac{dR}{dt} = \gamma I$

ここで,$R_0 \equiv \beta/\gamma$ は基本再生産数とよばれる定数であり,$1 < R_0$のとき感染者数は指数関数的に増大し,$1 > R_0$ならば感染者は減少する。

$\beta$が定数でなく時間の減少関数であれば感染増大が抑制される。これを表わすために,$\beta$を$\beta(t)$としたときの,$R_t \equiv \beta(t)/\gamma$を実効再生産数とよぶ。

$I(t)$は感染者数であり,回復者の分は減少していく。一方新規感染者数の累計を$J(t)$とすれば
これは,ある集団において単調増加して収束する。そこで,上記微分方程式から減少項
$\gamma I$を除いたものが,$J(t)$に対する微分方程式だと仮定する。
$\dfrac{dJ(t)}{dt} = \gamma R_t J(t) = \beta(t) J(t)$

このとき$\bar{R}$値,$L$値,$K$値を次のように定義する。なお,$\tau=7$であり,時間の単位は日とする。
$\bar{R}(t) = J(t)/J(t-\tau) > 1,\  L(t) = \log \bar{R}(t) > 0,\ K(t) = 1-\dfrac{1}{\bar{R}(t)} < 1$