2022年2月9日水曜日

乗法的積分

新型コロナウィルス感染症のオミクロン株の感染者数を見ている。かつては,実行再生産数が話題になることが多かった。いまは,前週との感染者数の比較によって増加や減少の傾向が議論されている。その場合でも,指数関数的(等比級数的)な振る舞いかどうかをみるには,曜日による変動を除くために,前週の感染者数との比率が重要になる。

例えば,東京と大阪の各曜日の前週に対する感染者数比率の相乗平均を週ごとに計算してプロットすると次のようになる。増加率のピークで6倍になったのは1月の初旬である。この比率は1.0に近づいているので,感染者数のピークアウトがそろそろ視野に入ってきた。


図:東京・大阪の感染者数前週比の推移

この比率関数のモデル化が容易ならば,逆算して一日当たり感染者数関数を求めることができる。もっとも,大阪維新によって破壊されている行政統計は出鱈目なので,そもそも意味があるかという問題は残るのだが。

さて,増加比率$r(t)$からもとの関数$f(t)$を求める問題を$f(t+h)/f(t) =r(t)^h$と定式化した。$\lim h \rightarrow 0$で両辺は1になる。この両辺の対数をとると,$\log f(t+h) - \log f(t) = h \log r(t)$ であるから,$\lim_{h \to 0} \dfrac{\log f(t+h) - \log f(t) }{h} = \dfrac{d}{dt} \log f(t) = \log r(t) $ が得られる。

これから,$\log f(t) = \int_c^t \log r(t') dt'$ となり,$f(t) = e^{\int_c^t \log r(t') dt'}$ が得られる。適当な関数を使って試してみたが,比率のピーク関数を時間方向に対称にとれば,感染者数の関数は対称ではなく,後方に広がるといった程度の定性的なイメージしか得られなかった。

ところが,こうした関数の比率についての解析的な議論は,乗法的積分のうちの幾何積分としてすでに知られていることがわかった。数列の和から普通の積分が導かれるように,数列の積から乗法的積分が得られるのだった。なるほど,数学の奥は深い。

2022年2月8日火曜日

手取遊園

 スタイルからの続き

手取遊園は,北陸鉄道金名線の乗客増を目的に建設した遊園地であり,1955(昭和30)年9月に開業し,営業不振から1965年に北陸交通に移管され,1971年3月に廃止された。降雪のため営業期間は4月から11月であり,『楽しい科学のりもの』と称した大型遊具が人気を集めた。「金沢などで類似遊戯施設が開業したことなどにより経営不振に陥った」とある。大和の屋上の乗り物コーナーのことかな。

小学校低学年のころに,手取遊園に行ったような気がする。北陸鉄道の石川線野町駅から電車に乗って,加賀一の宮駅で金名線に乗り換えて,手取温泉駅で降りるというコースが考えられる。帰りの電車の中で西金沢駅あたりで,友達が気分が悪くなって吐いてしまったものが靴にかかったような気もするが,夢かもしれない。ただ,西金沢駅のそばにある加賀製紙の工場からくる臭いが吐瀉物の臭いだという誤認になって,長く記憶されることになる。

これが本当に手取遊園の帰りのことだったのはどうかははっきりしない。手取遊園には親類縁者の子供たちと一緒にいったこともあったようなボンヤリした記憶もある。ジェットコースターではない乗り物に乗ったが,それが楽しいのりものだったのだろうか。


写真:手取遊園の見取り図(砂丘の夢から引用)

2022年2月7日月曜日

佐渡鉱山

『歴史戦』からの続き 

2015年に「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産へ登録される際,長崎の端島(軍艦島)における朝鮮人の強制労働が日韓政府間で問題になった。このとき,日本側は「犠牲者を記憶にとどめるために適切な対応を取る」と表明することで韓国も登録に同意した経緯がある。

ところが,安倍政権が十分な対応をせずに済ませたため,2021年の7月22日にユネスコの世界遺産委員会は,朝鮮半島出身の労働者を巡る説明が不十分だと指摘し「日本の対応に「強い遺憾」を表明する決議を採択した。2022年の12月1日までに取り組みの報告が求められている。

この状況の中での佐渡金山の世界文化遺産への登録なので,岸田政権が当初慎重だったのはむべなるかなだった。しかし,自民党右派とその空気を増幅したマスメディアに簡単に押し切られてしまった。

当時の佐渡金山の状況については,広瀬貞三の「佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945)」が詳しい。なぜ佐渡鉱山という表現になっているかというと,金だけではなく銅などが算出されており,戦時中は貿易の対価としての金から銅へと需要の中心が移っていたいたためだ。

1943年における日本人の労働者は,709人(うち321人が選鉱婦など),朝鮮人の労働者は584人である。危険な坑内労働者である運搬夫・鑿岩夫・支柱夫では,約75%を朝鮮人が占めている。戦時体制が進むにつれ,産銅増産のために朝鮮人男性が戦時動員された。1939年2月から1945年7月まで募集・労務協会斡旋・徴用形式により約1200名が佐渡鉱山に送り込まれた。

朝鮮人の労働と生活は,三菱鉱業の労使協調機関である協和会,半官半民の鉱山統制会,特高警察が中心の新潟県協和会相川支会によって,三重にわたって厳しく監視されたが,1943年6月までに150名以上が逃亡している。

[1]「徴用工」問題を考えるために


写真:歌川広重の佐渡(Wikipediaより引用)


2022年2月6日日曜日

反知性主義(2)

反知性主義(1)からの続き

問題は,大阪・関西である。橋下徹と大阪維新によって,反知性的主義的な空気が横溢している。 かつて,上岡龍太郎が関西のテレビ界のご意見番だった時代があった。いまでは,右翼的な政権擁護発言や陰謀論発言によって,ホンコンを中心とした吉本軍団が報道バラエティ番組を牛耳っており,吉村とのタッグで連日洗脳活動を続けている。維新が関西の議席を席捲するわけなのだ。

橋下は,自らの言動への批判に対して「学者のいうことなんて」と反知識人的な言辞を振りまいて対抗した。そして,大阪府立国際児童文学館を解体し,文楽協会に対する大阪府・市の補助金をだまし討ちのような形で引き上げ,大阪人権博物館をつぶした。公共空間を民営化の名のもとに売り渡し続けた。それが松井,吉村によって継続されている。

橋下とそのまわりの維新メンバーらが,民族差別や病弱者差別をふりまくさまは,ほとんどナチスの前兆現象と重なって見えてくる。トランプや安倍を例にあげるまでもなく,反知性主義とレイシズムは容易に結合する。

町山智弘水道橋博士との対談で指摘していた話が興味深かった。1961年に来日したデイヴィッド・リースマンが日本には反知性主義がないことに驚いていたが,国民の多くがドストエフスキーの小説に親しんでいるような知性的な国は他にはなかったとの見立てだ。この知的・文化的な集積の中で日本の高度成長も可能になった。

その文化的な集積の中心であった関西には1500年の歴史があって,畿内は常に東国よりも文化的に上位に位置していた。ところが,大阪維新の台頭によってこれが見る影もなくなってしまった。大阪には本来豊かな文化的風土があったのだが,いつのまにか,最近の吉本芸人による下品な笑いが大阪の文化だといわれるまでになってしまった。

2022年2月5日土曜日

反知性主義(1)

Wikipediaによれば,反知性主義とは 1950年代にアメリカ合衆国で登場した概念であり,知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる主義・思想とされていた。1963年のホフスタッターの「アメリカの反知性主義」が代表的な文献とされているが,この日本語訳が出たのは,40年後の2003年になってからである。

安倍晋三や麻生太郎や菅義偉の発言や政策を巡って,あるいは橋下徹を筆頭とする日本維新の会やその支持者達に対して,反知性主義だという分析がされてきた。ところが,Wikipediaではむしろその対抗言論として,日本における(反知性主義の)誤用・乱用の指摘がやけに強調されていた。

録画してあった,ベトナム戦争後の1970年代のカンボジアを描いたドゥニ・ドゥ監督のアニメーション「FUNAN」をみて,クメール・ルージュ(オンカー)の酷薄さを改めて印象づけられた。カンボジア大虐殺では,100万人以上の知識人・専門家が都市から追放されて虐殺されたが,反知性主義の行き着く先はここにある。

[1]反知性主義とアメリカン・デモクラシー(清水晋作)

[2]公共圏への回路と新たな秩序問題(長谷川公一)

2022年2月4日金曜日

ヘイトスピーチ

菅直人がTwitterで,橋下徹の弁舌巧みな手口をヒットラーに例えた。これに対し,「橋下は我々の政党とは関係がない」と強調する日本維新の会が,意味不明で筋違いの謝罪を立憲民主党や菅直人に求めて暴れ出し,炎上による参院選前の集客効果を狙っている。

石原慎太郎が亡くなったのだが,あいもかわらず,死んだひとを批判しないのが日本人の美徳だという通俗道徳に絡め取られたマスコミと「体制側知識人」が石原を持て囃し,石原のあまたの差別発言や行動に対する批判を覆い隠そうと必死になっている。

これらの場面で,右翼サイドだけでなく中立を装うエセ学者やコメンテーター達からの「ヘイトスピーチはやめよう」というスローガンが使われることが多い。例えば,菅直人の発言や,石原慎太郎を批判する発言を憎悪によるヘイトスピーチだとラベリングする論理だ。

哲学系YouTuberじゅんちゃんの哲学入門チャンネルで,能川元一が正しい答えを説明していた。ヘイトスピーチとはマイノリティに対する差別・暴力扇動発言のことであり,差別という要素が含まれない悪口雑言はヘイトスピーチには当てはまらない。また,菅野完は,強者と弱者のバランスをとるために,我々はどこに立たなければならないかを,テコの原理とからめて巧みに説明していた。中立的な立場というのは本質的に存在しないのである。

2022年2月3日木曜日

機械判読可能データ

 令和2年12月なのでデジタル庁ができる前のこと。統計表における機械判読可能なデータの表記方法の統一ルールが策定されていた。この積み重ねがデジタル化された社会を作るわけだが,そもそもデータを改竄することになんのためらいもない政府だとどうなのか。

総務省が,政府統計の総合窓口(e-Stat)に掲載する各省庁の統計表における機械判読可能なデータの表記方法の統一ルールを策定した。e-Statは,日本の政府統計関係情報のワンストップサービスを実現するため2008年から本運用を開始した政府統計のポータルサイトだ。総務省統計局が整備し,独立行政法人統計センターが運用管理している。

統計表における機械判読可能なデータ 作成に関する表記方法」として,Excel形式のデータ表の場合について,作成ガイドラインが示されている。

1-1 ファイル形式はExcelかCSVとなっているか
1-2 1セル1データとなっているか
1-3 数値データは数値属性とし,文字列を含まないこと
1-4 セルの結合をしていないか
1-5 スペースや改行等で体裁を整えていないか
1-6 項目名等を省略していないか
1-7 数式を使用している場合は,数値データに修正しているか
1-8 オブジェクトを使用していないか
1-9 データの単位を記載しているか
1-10 機種依存文字を使用していないか
1-11 e-Stat の時間軸コードの表記,⻄暦表記又は和暦に⻄暦の併記が されているか
1-12 地域コード又は地域名称が表記されているか
1-13 数値データの同一列内に特殊記号(秘匿等)が含まれる場合
2-1 データが分断されていないか
2-2 1シートに複数の表が掲載されていないか
ガイドラインは,それぞれの項目について悪い例と改善した例が具体的に示されていて,たいへんわかりやすい。この項目がそのままでチェックシートとなっていて,実践的に利用できる。

高等学校の必履修科目である教科「情報」では,これを取り上げればよいのに。プログラミング言語はperlにして・・・というかプログラミング言語はなんでもよいので,データストリームを処理するアルゴリズムを中心にする。htmlファイルやCSVファイルから必要な情報を取り出して加工し,最終的なデータ処理やプレゼンテーションに結びつけるとかいうテーマの演習を積み重ねたら,日本の情報化が一段と進むものと思われる。


2022年2月2日水曜日

大河ドラマ

報道ニュース番組は壊滅状態で政府の宣伝機関に堕してしまったNHKだが,かろうじて,あさイチと,ドキュメンタリーのいくつかだけはまだ見られる(別のタイプの洗脳をされているのかもしれない)。NHKの大河ドラマについても毀誉褒貶があるが,ときどき,おもしろくて見続けることができる年がある。今回の,鎌倉殿の13人もそのひとつになりそうだ。脚本と配役がよいのかもしれないし,時代なのかもしれない。

これまでの大河ドラマで最初から最後まで見続けたものを振り返ってみた。マイベスト7は次のようなものだ。

3 太閤記(1965)
7 天と地と(1969)
29 太平記(1991)
41 利家とまつ(2002)
47 篤姫(2008)
50 江(2011)
55 真田丸(2016)
第1回の「花の生涯」が小学校4年,第2回の「赤穂浪士」が5年生のときであり,いずれも(たぶん親と一緒にぼんやりと)見ていた記憶ははいるが,ストーリーまで十分理解していたわけではない。「太閤記」は子供向けの物語もあったのでついていけたのだった。「天と地と」は,海音寺潮五郎の原作の文庫本も読んでおり,単純な高校生には余韻を含む最後のシーンがもの足りなかったのだった。

「太平記」はその舞台の一角である奈良に転居した年だ。「利家とまつ」は金沢出身者の必見番組で見ないわけにはいかない。「篤姫」も宮尾登美子の原作を読んだ。などなど。他の大河ドラマでも部分的な記憶に残っているものはあるが,ほとんど見なかった年もある。

法然・親鸞・蓮如とか出口王仁三郎・中山みきとかをやってほしいのだが,宗教系は無理かな。あるいは文学者とか科学者とか芸術家とか,ひとりでは難しいかもしれないので群像劇でお願いします。山川捨松と津田梅子の詰め合わせでもよい。

2022年2月1日火曜日

御成敗式目

 NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人を見る都合から,丸竹夷/YouTube高校で日本史の勉強をしている。

高校は理数科だったので,2年の社会科で日本史は選択できず,世界史を選択した。いや,どちらか1つを選択できるということで,自分は世界史を選んだのだったか。なお,1年の地理と3年の倫理はクラス全員そろって履修した。理系の場合,大学入試受験科目としては地理を選択するものが多かったが,生きていく上では世界史の方が重要だと考えた自分は,受験科目に世界史を選んで後で苦労する。

大学の教養課程でも歴史学は避けたので,日本史については,中学校までの知識しか身についていない。大河ドラマを見るときに歴史常識が欠如していると,伏線や様々な表現を理解できずに困ることになる。文楽でも同様で,歴史的事実を象った出来事から物語が生み出されているので,そのあたりの機微がわからないと観賞レベルが下がる。あげくの果てには歴史修正主義にだまされてネトウヨ化する。

安直な日本史の学習は,物語の北条の時代を越えて後醍醐天皇まで到達しつつある。その,北条義時の息子の北条泰時が定めたのが御成敗式目だ。中学校の社会では事項名とTwitterの分量程度の説明しかでてこないので,そもそも何が書いてあるのか知らなかった。

検索してみると,御成敗式目の現代語訳があったので読んでみた。全51条からなるものであり,貴族社会に対応する律令にかえて,武家社会にふさわしい法が定められたものだ。女性の地位や財産に対してかなり配慮されているという印象を受ける。

第15条:「偽造文書(ぎぞうぶんしょ)の罪について」偽(いつわり)の書類を作った者は所領を没収する。領地を持たない者は流罪とする。庶民の場合は顔に焼き印を押す。頼まれて偽造文書を作った者も同罪とする。このあたり,森友事件にも適用してほしいくらいだ。

2022年1月31日月曜日

『歴史戦』

NHKが「歴史戦」という言葉を使い出したので,普通名詞かと思っていたらトンデモない話だった。

検索してみると,右翼カルトの広報媒体である産経新聞が,2014年から特集として組んでいる一連の記事が「歴史戦」というタイトルだったようだ。このシリーズは,慰安婦問題等をターゲットとした「貶める韓国 脅す中国」という歴史修正主義的記事の延長線上にある。

さて,このたびの佐渡金山世界文化遺産への登録である。端島(軍艦島)が2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」として世界文化遺産に登録された際に,韓国との間で戦時中の朝鮮人労働者の問題を巡り揉めた経緯があった。それが今回,再燃することが危惧され,佐渡金山という文化遺産の問題が再び政争の具となってしまった。

発端は,右翼カルトの中心にいる安倍晋三や高市早苗だ。岸田首相との権力闘争も背景にあるのか,性急な登録に慎重だった岸田政権を攻撃し始めた。これにマスコミが乗った。

1/26水 安倍晋三:「いまこそ,新たな『歴史戦チーム』を立ち上げ、日本の名誉と誇りを守り抜いてほしい」(夕刊フジ)。こうして産経用語の「歴史戦」というキーワードを用いて安倍が激を飛ばし,高市が国会でアシストする。

1/27木 岩田明子(NHK解説委員):「5分でわかる 特命チームがカギ?世界遺産登録,歴史戦チーム『政権の歴史認識に基づき事実集めて検証を進め国際社会の理解を得る目的』」(NHKシブ5時パネル)。安倍側近の岩田が昨日の発言に呼応して,「歴史戦」という産経用語で煽り立てる。

同日のニュースウオッチ9でも,まじめな顔をしたキャスターの田中正良が,まっすぐなメガネ視線で視聴者を煽っていた。こうして,『歴史戦』=パブリック・ディプロマシープロパガンダが振りまかれる。その歴史修正主義の洗脳対象は外国政府や外国人ではなく実は日本人自身なのだろう。

2022年1月30日日曜日

第3回ワクチン接種

 第2回ワクチン接種からの続き

1月30日14:00に第3回のワクチン接種を予約していたが,その接種が完了した。

第2回のファイザーワクチン接種が2021年6月26日だったので,当初は8ヶ月後の2月26日以降に接種することになっていた。ところがこれが早められて7ヶ月で3回目の接種が可能ということになり,天理市では早速,接種時期が前倒しされることになった。

オンラインや電話での予約受付は1月17日からはじまり,1月26日以降の日付で接種できることになった。当初の案内では,前回と同じタイプのワクチンを接種するということで,ファイザーの注意書きが送付されてきた。ところがその後,各医院での個別接種を除いた文化センターや高井病院での集団接種ではモデルナが指定されることになった。

世の中では,モデルナを忌避する傾向がみられ,これによる調整の遅れが第3回接種が進まないことの一因とされている。前2回のファイザーの接種ではほとんど副反応がなかったが,第3回のモデルナについても接種後8時間経過した時点までは大丈夫である。

13:45に会場に到着し,14:10には待機の15分も完了した。だいぶ要領がよくなっているようだ。65歳以上の高齢者が対象のためモタモタすることも多いが,十分に配置されたスタッフが手際良く動線を管理しているので,天理市の集団接種は非常にスムースに進んでいる。


写真:天理市文化センターの集団接種会場(撮影 2022.1.30)

2022年1月29日土曜日

スタイル

『スタイル』は1936(昭和11)年6月に,宇野千代(1897-1996)によって編集発行された月刊雑誌である。その1937(昭和12)年の記事がtwitterで紹介されていた

「おしゃれな」というタイトルのコラムで,金澤,神戸,横浜,名古屋の4都市が紹介されている。美川町出身の詩人村井武生(1904-1946)によるその金澤の記事は次のようなものだった。

 森の都 "金澤" も主要街はすつかり十三間道路に舗装され,北陸一の近代都市としての名に反かないが,一歩裏通りへ入ると昔ながらの屋敷町が曲折し,百萬石のお城下町の落ち着きを見せてゐる。百貨店はやがて約一萬坪に増築の宮市大丸と丸越の二つ,そこから呑吐される若い女性はもち洋装が身について来た。

 銀座と浅草とを一緒にしたやうな市の中央香林坊は金澤の誇る歓楽街,どこへ出しても羞かしくない完備した喫茶店 "芝生" や白椿,又,酒場にはターバン,珍味庵など。二つの劇場と七つの常設館で近代人としてのスタイルを調へ,大学や専門校らはインテリを急造する。

 郊外の粟ケ崎,金石等の海水浴場は丑の日などには六七萬の裸群が踊り,宝塚,松竹に次ぐ粟ケ崎少女歌劇団のスターは,当地方では映画女優以上の人気を持つ。遠出には随所に温泉があり近く飛行場も完成,秋ともなれば兼六園の幽邃賞すべく,競馬の興奮も一興,又夢向山公園へのドライブも快適であらう。

芝生といえば,柿の木畠にあった軽食・喫茶の店で,高校のクラブの友達と卒業後にコンパをしたところだが, 十数年前には閉店したようだ。

自分が子供のころ,粟崎遊園はとっくになくなっていたが,手取遊園や卯辰山のヘルスセンターはまだあった。幼稚園から小学校低学年までの頃,親戚とあるいは学校の遠足で手取遊園へ遊びに行った。


写真:粟崎遊園の絵地図(はんこ工房から引用)

2022年1月28日金曜日

野田中学校

 鹿賀丈史(1950-)が金沢の出身だというのは知っていたのだが,金沢市立野田中学校の先輩だった。同窓会名簿をみると,勝田重勝という名前で,第17期の3年2組,林義直先生のクラスに載っている。Wikipediaには,本名が勝田薫且(しげかつ)となっているので,たぶんそうだと思う。

鹿賀丈史は,小学校時代は一時東京にいたようなのだが,材木町小学校を卒業している。高校は二水高校だ。たぶん,近所に住んでいたのだろうが,残念ながら3学年違いなので世界線が交差することはなかった。

上に登場した数学の林義直先生は,自分が2年のときの担任だった。平成3年から5年まで,野田中の第14代校長を務めている。野田中の同窓会名簿をみていたら,阪大マンドリンクラブと金沢泉丘高等学校の先輩だった,徳井久康さんや,小学校・中学校が同じで高校との同級生だった,荒井秀典君が教諭を務めていた。

当時の野田中学校(1949-)は,十一屋小,泉野小,富樫小の3校が校区だった。やがて,郊外の人口増に伴って新しく高尾台中学校(1981-)が新設され,富樫小は伏見台小(1974-)や扇台小とともにそちらの校区に編入された。野田中は十一屋小,泉野小,長坂台小(1981-)を校区としている。

なお,田中美里も十一屋小学校らしいが,中学校からはミッション(北陸学院中学校・高等学校)に進んだので野田中ではない。幼稚園が若草幼稚園なら後輩なのだが,噂によると寺町の幼稚園とのことなので,これもどうやらちがうようだ。


2022年1月27日木曜日

大学入学共通テスト(5)

大学入学共通テストで,試験問題が時間中に外部に流出する不正行為があった。家庭教師サイトで,問題の解答を依頼され,そうとは知らずに世界史の問題に解答した大学生が申し出たことで発覚した。

今日になって,香川県の19歳の女子大生が警察に出頭してきた。大阪府在住の大学生であり,別の大学を受験するために,大阪府の入試会場で共通テスト受験したとのことである。自分が現役の大学関係者だったらさぞかし肝を潰していることと思う。

当該の試験場の大阪の大学の学長にはすでに情報は伝わっているかもしれない。そうすると,試験室の担当者達と試験場責任者が全員呼び出されて,ネチネチと2時間ほど学内事情聴取されるのは明日か。警察にも出頭して説明することをを求められるかもしれない。ああ,考えただけでぞっとする。

あるいは,当該の女子大生が在学している大阪の大学においても,どんな学修・生活状況だったかのを聞き取りに警察がくるのかもしれない。さらに,この2つの大学が重なっている可能性もなくはない。大学に関する情報は秘匿されたままなのだろうか。あるいはどこかのマスコミがスクープするだろうか。

上着の袖に隠したスマートフォンで動画を撮影することは可能かもしれないが,そこから静止画を切り出してリアルタイムに家庭教師サイトにアップロードし,さらに,相手の複数の大学生に適切な指示を送ることが単独で周りの目を心配せずに実行することが可能なのだろうか。トイレチャンスは1試験科目で1回は使えるかもしれないが,まわりの受験生の目もあるだろうから,毎回は難しいのではないか。

ニュースを聞く前は,複数の人が関与しなければ絶対できないと思っていたが,そうではないのかもしれない。もし,この一連の過程を一人で立案して実行でできるくらいの技があるのならば,すべての大学は競ってその学生をリクルートしたほうがいい。

2022年1月26日水曜日

金沢商工人名録(昭和3年)

曽祖父の越桐与兵衛を検索していたら2件見つかった。

ひとつは,昭和3年に発行された金沢商工人名録である。まえがきに「本人名録は,金沢市内に於ける昭和二年度営業収益税の納税者を基礎として編纂したものである。本年版は編輯方法に変改を試み,且つ索引に於ても,分類別索引,品名別索引並に広告索引を付加した。之に依って検出を容易ならしむるであらう」とある。当時の小さな商店から,株式会社までさまざまな業種が網羅されている。内容は後日改めて紹介する。

もう一つは,奈良文化財研究所木簡データベースに収録されたものだ。木簡といっても明治時代のものだと思われる。「/田丸町専光寺筋/越桐与兵衛様∥○/糸□印/素麺/○五□□入∥・○金田□○駄□\○七月廿二日○θ(「〈〉」)」ということで,どこかから夏のお歳暮に素麺をもらった際の送り状かもしれない。いまなら,クロネコヤマトの配送状だ。木簡は,木ノ新保遺跡の用水路の合流部で見つかっている。サイズは162mm×46mm×7.5mmなので,スマートフォンのようなものか。

商工人名録はテキスト化されていたが,面白そうなので原本のpdfファイルのダウンロードを試みた。なんのことはない,そもそも全文pdfファイルへのリンクがあるではないか。下記は骨折り損のくたびれ儲けコードである。

#!/usr/bin/perl
# 01/26/2022 K. Koshigiri
# extract pdf from kanazawa shouko-jinmeiroku 1928
# kanazawa.pl ni nf
# get pdf files as ni.pdf - nf.pdf

\$ni=@ARGV[0];
\$nf=@ARGV[1];
\$url="https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/shoukoujinmeiroku/shoukoujinmeiroku_";

for (\$n = \$ni; \$n<=\$nf; \$n++) {
system("lynx -source \$url$n.pdf > \$n.pdf");


写真:金澤商工人名録(昭和3年)の表紙

2022年1月25日火曜日

水洗式便所

グリル狸からの続き

グリル狸の水洗便所の話をしたところだ。で,水洗式便所に出会ったのはそれが最初だったとしたが,正確には少し違う。和風の水洗便所が初めてだったので,驚いたのだった。

幼稚園に上がる少し前に,駅前の田丸町にあった家から金沢市立工業高等学校のグラウンドの横手にあった泉野町ヨ114-4の地に引っ越した。そこは祖父母と叔父が住んでいた寺町2丁目の家から歩いて5分くらいのところだ。昭和38年に始まった金沢市の住居表示変更によって,一番に泉野町から寺町1丁目に変わった地域だ。

桜畠(寺町3丁目)のあたりには,祖父である越桐弥太郎の弟の越桐與三次郎の一家が住んでいた。寺町台地から犀川を見下ろすことのできる端にあって,非常に見晴らしのよい立派な家だった。その近くにある料亭の仁志川で最近法事をしたところである。

金沢弁で分家のことをあじちというので,あじちのおじさんの家ということになっていた。その家の玄関を上がると広い廊下から洋風の長い階段が2階に続いていて,1階の右手には洋風の腰掛け式の水洗便所があった。そのトイレを子どものころにどうやって使っていたのかははっきりしないのだけれど,便座が木製のスツール型だったことは記憶にある。

小学校4年になって,寺町1丁目の自宅を建て替えることになり,自分だけ半年ほど祖母の家に預けられることになった。父母と妹達は笠舞町の借家の2階に移った。祖母の家もその少し前に洋風に改造されて(叔父が結婚するときだった),古い和式便所は残したまま,新しい浴室の隣に和風の水洗便所が設けられた。水洗便所は苦手だったので,もっぱら古い和式便所の方を利用していた。

小学校5年の夏には寺町1丁目の新しい自宅ができた。ここも和式の水洗便所になっていた。昔の家の和式便所にはバキュームカーがきて汲み取りをしていたが,その風景も臭いもなくなってしまった。

2022年1月24日月曜日

グリル狸

 かつて金沢にあった洋食の名店が「グリル狸」だ。いまはもうない。

大阪の長堀橋で20年以上営業していた洋食Katsuiが,天理の山辺の道にある天理市トレイルセンターに移転して数年経った。オーナーの勝井さんが天理市出身であり,指定管理者の募集に応募したものだ。

国立文楽劇場のパンフレットには,洋食Katsuiと姉妹店の御堂筋ロッジの宣伝が毎回掲載されていたので,何かの機会に家族で食べに行ったがなかなかよかった。天理に来てからは年に1度は訪れている。その洋食Katsuiのホームページに勝井ファミリーとして,金沢のグリルNew狸が紹介されていた。

あれっと思って調べてみたら,グリルNew狸は1967年から石引町で営業しているが,もともとは片町のグリル狸からのれん分けでスタートしたようだ。その片町のグリル狸の方は1997年には閉店しているらしい。

グリル狸は,三島由紀夫(1935-1970)の美しい星(1962)に登場している。主人公の一家の娘であり,自分を金星人だと認識している大杉暁子が金沢を訪問して,同じ金星人の青年竹宮と金沢を巡るのが第三章であり,ほとんど金沢の街案内のようになっている。

暁子が竹宮と内灘に行く前の段,「二人は再び香林坊へ戻って,狸茶屋という店で小さいステーキの午餐を摂った」とある。香林坊と書いているが,実際には,片町の金劇の向いにある歓楽ビルの裏手の細い裏道のあたりだった。

そのグリル狸は金沢でも有名な洋食屋の一つだったが,小学生のころに一二度連れて行かれたことがある。それほど大きな店ではなく,狭い階段を上がった二階の小部屋のテーブルを家族で囲んだ。トイレに行くと当時珍しかった水洗便器がある。

子供だったが,大人と同じようにコースのスープ皿が並べられ,お玉ですくわれたものが振る舞われた。白いじゃがいものポタージュだ。そんなものはそれまで見たこともなかったので恐る恐る口にしたが,とても美味しくてびっくりした記憶がある。ホットオレンジジュースもここで初めて経験したが,それはまた別の機会だったのかもしれない。

P. S. 以前紹介した,ステーキのひよこの大将も,グリル狸で修業していたらしい。なお,ネットの記事ではグリル狸のことを狸茶屋としているものが多いが,その名前で看板は出していなかったのではないか。三島の文章に引きずられているのではないか。


写真:片町のグリル狸の玄関(金沢グルメのバイブルあすかの美味献立から引用)

[1]平岡倭文江の項ですでにこれについては触れていたのだった。記憶は周期軌道を繰り返してたどり,脳の本質的な特徴かもしれないカオスからの逸脱をはかることになる。

2022年1月23日日曜日

柳宗悦

 柳宗悦(1889-1961)の民藝のアクセント問題で,日本民芸館に本人が民藝を発音する音源があるということだった。それならば YouTube にもあるのではないかと探してみると,NHKラジオアーカイブス〜声でつづる昭和人物史 が見つかった

この番組は,NHKの過去のアーカイブから政治家や実業家,文化人などの肉声が含まれるものを取り上げてその人となりや考えを紹介するものだ。柳宗悦の後編は,1959年10月の日本民藝協会での挨拶だった。彼が病気で入退院を繰り返して出席できなかったため,録音での挨拶が披露されたために記録に残っている。柳宗良の声には張りがあって気力も十分な話しぶりだった。番組は,宇田川清江(1935-)アナウンサーとノンフィクション作家・評論家の保阪正康の解説で進行する。

柳宗悦は,民藝が単独で出てくる箇所では,はっきりと‾ン_ゲ_イと発音している。しかし,宇田川も保阪もミ_ン‾ゲ‾イ‾なのであった。NHKが監修しているはずだけれど。

柳宗悦の父の柳楢悦(1832-1891)は,海軍少将・貴族院議員・測量学者であり,日本数学会の前身の東京数学会社神田浩平(1830-1898)と共に設立している。なお,柳宗悦の母,楢悦の後妻の勝子は嘉納治五郎(1860-1938)の次姉である。

柳宗悦の妻の柳兼子(1892-1984)はかつては「声楽の神様」と称されるクラシックの声楽家であり,85歳まで公式のリサイタルを続けていた。長男の柳宗理(1915-2011)は戦後日本のインダストリアルデザイナーの草分けであり,金沢美術工芸大学の教授を務めた。このため,金沢美術工芸大学には,柳宗理記念デザイン研究所が設けられている。

2022年1月22日土曜日

COCOAログチェッカー

 2020年の7月に厚生労働省の接触確認アプリCOCOAをインストールして568日目になる。COCOAは2020年の6月19日にリリースされており,現在までに2400万件ダウンロードされた。最初からアプリのトラブルが続き,開発の責任問題などを巡りゴタゴタしたことから普及が進まず,現時点でも全国民の20%程度というなさけない状況だ。

登録された陽性者と1m以内の距離に15分間以上の接触をしたというアラームは,まだあがってきたことがない。COCOAには,さらに詳しい接触通知ログ情報が14日間分,スマートフォンに記録される仕組みがある。このログを解析するツールが,COCOAログチェッカーというウェブアプリだ。

iOSの場合は設定に「接触通知」という項目があり,その中の「接触チェックの記録」に過去14日間の接触ログデータが格納されている。その一番下にある「接触チェックの記録を書き出す」がある。これを選んでコピーボタンを押すとログデータがクリップボードに保存される。そこで,先ほどのCOCOAログチェッカーの入力欄にこれをペーストしてチェックボタンを押せばOKだ。

早速やってみると,自分の場合,3件の新規陽性登録者が近くにいた記録が確認された。昨日は天王寺キャンパスの夜間の対面授業(次回はオンラインにする)があったので大阪に出たのだった。近鉄,上本町,地下鉄,天王寺地下街,大阪教育大学,天王寺駅などと16:00から21:30まで周回してきたので危ない危ない。15分以上は接触していないのでまあ大丈夫だとは思う。COCOAの普及率が20%だったから,一度大阪に出ただけで(先週は大学入学共通テストのため休講だから),この5倍の15人の陽性者と接触したことになる。


図:COCOAログチェッカーの画面


2022年1月21日金曜日

民藝

 NHKの「かわ善い民藝 いとお菓子」の録画を見ているのを聞いていたら,「‾ン_ゲ_イ_」というアクセントが飛び込んできた。夫婦揃ってゲゲゲの鬼太郎になってしまった。おかしいやろ。民藝は「ミ_ン_ゲ_イ_」という平板なアクセントのはずだ。

調べてみると,広辞苑無料検索という名前の統合検索サイトにあるNHK日本語発音アクセント辞典の例があった。はい,「ミ_ン‾ゲ‾イ‾」であり,にアクセントはなかった。いったいどうなっているのかと少しあたってみると・・・

2013年にYahoo 知恵袋ですでに問題になっていた。「今日のNHKで 民芸のミンの方にアクセントが強い発音をナレーターが発音していましたが,どうなんでしょう。ミンゲイ すべて平なアクセントが普通ではないでしょうか?」。これに対する回答は,「NHK発音アクセント辞典では,低高高高 (平板というアクセント)しか載っていません。長いことアクセントに関わっていますが,頭高の「民芸」は聞いたことがなく, 多数派も断然平板だと思います」であった。

一方,2018年に鞍田崇は次のように語っている。「たしかにアクセント辞典には平板に発音すると書かれています。でも,「民藝」という言葉を作った柳宗悦らに始まる民藝運動の関係者は「みん↗︎げい」と発音されることが多く,実際当の柳自身そのように言っていました。駒場の日本民藝館には彼の肉声録音が残されていて,そこでは,「みん→げい」ではなく「みん」にアクセントを置いています」。で,その後全国に普及する過程で平板化されたのでどちらでもよいとしている。

実際,YouTubeの最近のものでは,「‾ン_ゲ_イ_」が多いような気がする。うーん,もやもやが晴れない。

なお,NHKといえば,昼のニュースでシドニー・ポアチエが亡くなったことを報じた際,アナウンサーが「‾ド_ニ_ー・ポ_‾」と発音したのでびっくりたまげた。おかしいやろ。「‾ニ‾ー・ポ_‾チ_エ_」くらいじゃないのか。