ニュースによると,天牛堺書店が経営破綻したとのこと。しばらく前に大阪市営地下鉄なんば駅の改札を出てすぐの ekimo なんば店が閉店していて残念だったのだが(と,調べてみると2016年9月・・・もう2年半も過ぎてしまったのか),このたび破産手続を開始したようだ。
所用で和泉中央駅に降りたときにも見かけたような気がする。あれはいったい何の用事だったのだろう。凄い勢いで記憶が失われている・・・orz(P. S. …桃山学院大学でした…)。というわけで,自分の活動範囲とはあまり重なっていない天牛堺書店を利用したことは少なかった。
天牛という名前がついているので,てっきり道頓堀にあった天牛書店の親戚か何かだと思っていた。天牛堺書店は,1963年に第1号店がオープンし,1968年にこの商号になった別会社で天牛書店とはまったく関係がないらしい。
天牛書店には,1972年に阪大に入学し大阪に住むようになってからたいへんお世話になった。当時は2〜3ヶ月に1度くらいは,梅田や桜橋を経由しながら,道頓堀から日本橋にかけての古本屋をハシゴするのが習慣になっていた。角座前店の方だろうか,奥に眼鏡をかけたおじいさんが鎮座していたが,あれが天牛新一郎さんだったのかもしれない。そのころの道頓堀は今に比べるとずっと落ち着いた(半分寂れかけたというのはいいすぎだろうが)繁華街であった。最近よくお世話になっている松竹座の他に,まだ,中座も角座も文楽の朝日座もあった時代だが,そちらの方にはあまり縁がなかった。朝日座に文楽ではなく映画を見に入ったように思う。
1970年代の後半に,出張で大阪に出てきた父に連れられて漫才を観たことがある。あれは梅田コマ劇場だったろうか,夢路いとし・喜美こいしの「もしもし鈴木さん(これでいろは四十七文字を大学生になってから覚えた)」とか「売り声(さおだけー)」がおもしろかった。梅田コマ劇場では,田村正和の眠狂四郎の円月殺法も。まあ,子どもの人生教育の一貫だったのかもしれない。
天牛書店は,その後,アメリカ村から緑地公園に移ってしまう。それぞれ1,2回は訪れたが,ちょっと遠いのだ。梅田の古本屋はカッパ横丁から紀伊國屋書店東横のうめ茶小路に移転し,理工古書の太田書店も入ったのは有り難いことだ。阪大豊中キャンパス下交差点近くの太田書店には石橋に住んでいる頃はたいへんお世話になった(学生時代は蛍池に住んでいたのでちょっと行きにくかったのだけれど)。
芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を発表して百年。高二の秋の文化祭,クラスの仮装行列のテーマが 蜘蛛の糸だった。お釈迦様の極楽タワーの竹を近所から切り出し,地獄の焔と煙の絵を描いた。犍陀多に続いて蜘蛛の糸(登山部の赤いザイル)に群がる地獄の亡者だったころ。
2019年1月30日水曜日
2018年12月11日火曜日
リップ・ヴァン・ウィンクル
1970年の大阪万博で,中央環状線南東のエキスポランドにあった5並列ジェットコースターの名前がダイダラザウルスである。生まれて始めてのジェットコースター体験が,万博終了後何年かのちに縮小再開されたそれだった。最高点から走り出してまもなく,止めて頂戴ね,と思ったがもう遅かった。
ダイダラザウルスは,日本民話のダイダラボッチに由来するらしいが,子どものときにこの話を見聞きしたことはない。かわりに親しんでいたのはアメリカ民話のポール・バニヤンという大男の豪快な物語であり,これは子ども雑誌で読んだ記憶がある(少年ブックの連載時から親しんでいた,手塚治虫のビッグXとイメージが重なるということはなかったですね)。
ポール・バニヤンの隣に記憶されているのが,リップ・ヴァン・ウィンクルで,NHKテレビの子ども番組で見たことがある。日本の浦島太郎のような話で,山奥の不思議なところでボウリングと酒盛りにしばらく興じていると,地上では何年も経っていたという話。リップ・ヴァン・ウィンクルは,「時代遅れの人」,「眠ってばかりいる人」の代名詞になっているようだが,まさに,今の自分であることを痛感する。
いつの間にか,High Sierra on MacBook Pro で特定のフォーマットの CD-ROMが読めなくなってしまい,Firewireもなくなって,Thunderbolt2とThunderbolt3=USB-Cのコネクタの変換が,オスメスとコネクタ端子サイズ条件を含めて無理筋なことに気付くのであった。
今日の結論,時の経つのが早すぎるので,止めて頂戴ね。
ダイダラザウルスは,日本民話のダイダラボッチに由来するらしいが,子どものときにこの話を見聞きしたことはない。かわりに親しんでいたのはアメリカ民話のポール・バニヤンという大男の豪快な物語であり,これは子ども雑誌で読んだ記憶がある(少年ブックの連載時から親しんでいた,手塚治虫のビッグXとイメージが重なるということはなかったですね)。
ポール・バニヤンの隣に記憶されているのが,リップ・ヴァン・ウィンクルで,NHKテレビの子ども番組で見たことがある。日本の浦島太郎のような話で,山奥の不思議なところでボウリングと酒盛りにしばらく興じていると,地上では何年も経っていたという話。リップ・ヴァン・ウィンクルは,「時代遅れの人」,「眠ってばかりいる人」の代名詞になっているようだが,まさに,今の自分であることを痛感する。
いつの間にか,High Sierra on MacBook Pro で特定のフォーマットの CD-ROMが読めなくなってしまい,Firewireもなくなって,Thunderbolt2とThunderbolt3=USB-Cのコネクタの変換が,オスメスとコネクタ端子サイズ条件を含めて無理筋なことに気付くのであった。
今日の結論,時の経つのが早すぎるので,止めて頂戴ね。
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